ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

日本のラジオ番組で「月と日」が紹介されました!

2008-03-28 | ベラルーシ文化
 とりいそぎご報告です。
 日本の二つのラジオ番組でCD「月と日」が紹介されました!

 1回目は3月11日CBCラジオの番組「ツー快! お昼ドキッ」です。

 2回目の放送は3月27日、ABCラジオ「元気イチバン 芦沢誠です」のばんばひろふみさんの音楽紹介コーナーで『月と日』CDの紹介がありました。

 2回にわたり、紹介してくださったばんばひろふみさん、ありがとうございました! そして聞いてくださった方もありがとうございます!

 ラジオ番組の内容の詳細は「みつばちマーサのベラルーシ音楽ブログ」をご覧ください。

http://blog.goo.ne.jp/mitsubachimasa/e/4d577679d9851ccbd54c6ae94e707cdf

チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第73回」

2008-03-22 |   ビタペクト配布活動
 3月20日にビタペクト2と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村での第73回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクト2を12個、そして「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2は合計1468個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1110部となりました。
  
 今回で通算83目のビタペクト2の配布となりました。
 のべ人数になりますが、現時点で1468人分のビタペクト2、そして1110家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト2配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(ビタペクト2を開発、製造、販売しているベルラド研究所のサイトはこちらです。)

http://www.belrad.nsys.by


 今回、2家族がゴメリ(チェルノブイリ原発から約140キロ)から来ており、お話を伺いました。

(家族A)
 この家族は3回目の保養滞在でした。
 1回目の滞在は2003年7月です。そのときのご報告はこちらをご覧ください。
HP「ベラルーシの部屋 チロ基金の活動報告」チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第5回」)
 2家族のうちのゴメリ州から来た家族のほうです。

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/2003/no5.html


 2回目の滞在は2006年3月です。そのときのご報告はこちらをご覧ください。
HP「ベラルーシの部屋 過去ログ 2006年3月」チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第43回」(家族A)

http://belapakoi.s1.xrea.com/logs/2006/index.html


 3回にわたる放射能測定値の結果はこのとおりです。2003年、2006年、2008年の結果順です。○印がついている子どもにビタペクト2を渡しました。

母親  11ベクレル  → 14ベクレル○ → 13ベクレル 
長男(18歳)26ベクレル○ → 28ベクレル○ → 26ベクレル ○
長女(16歳)19ベクレル○ → 27ベクレル○ → 28ベクレル ○
次男(14歳)22ベクレル○ → 27ベクレル○ → 26ベクレル ○
三男(11歳)31ベクレル○ → 24ベクレル○ → 13ベクレル
次女(10歳)36ベクレル○ → 20ベクレル○ → 42ベクレル ○
四男 (7歳)35ベクレル  → 30ベクレル○ → 49ベクレル ○
甥 (13歳)          24ベクレル○ → 36ベクレル ○     
姪  (7歳)(今回が初めての保養滞在)       35ベクレル ○       
甥 (11歳)(今回が初めての保養滞在)       34ベクレル ○

 長男は高血圧、長女は低血圧に悩んでいるそうです。長女は不整脈のほか、心臓が弱いそうです。
 長女は1年前、舞踊学校に入学したのですが、すぐに体調不良を訴え、1年もたたないうちに、ドクターストップがかかり、退学したそうです。そのほか、甲状腺の肥大も見られますが、ここ3年ほど海外保養に行かなかったら、肥大した、とお母さんは話していました。
 三男と次女は1年前と2年前にイタリアへ保養に行き、元気になって帰って来たということでした。
 ゴメリに住んでいる子どもたちは今でも優先されて、海外へ保養に行っており、この兄弟たちも四男を除き、海外保養に行ったことがある、と話していました。主にイタリアやイギリスですが、イタリアは病気治療は行われなかったが、イギリスでは虫歯の治療をしてくれた、ということでした。

 この結果を見てみると海外保養に複数回行っているにもかかわらず、値が高めなので、ゴメリに住んでいる場合、ビタペクト2は1年に1回以上は飲むほうがいいのでしょう。しかし実際問題として、なかなか実現は難しいものです・・・。

 
(家族B)

 この家族も3回目の保養滞在となりますが、1回目の滞在は1998年で、ビタペクト2の配布活動開始前ですので、体内放射能値の測定などは行っていません。
 2回目の滞在は2006年3月です。今回いっしょに滞在した(家族A)とそのときもいっしょに滞在しました。そのときのご報告はこちらをご覧ください。
HP「ベラルーシの部屋 過去ログ 2006年3月」チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第43回」(家族B)

http://belapakoi.s1.xrea.com/logs/2006/index.html


 
 この一家にも6人の子どもがいますが、そのうち3人の子どもとお母さん、そして姪っ子と甥っ子が保養に来ていました。
 体内放射能の測定結果はこのとおりです。2006年、2008年の測定結果の順です。○印の子どもにビタペクト2を渡しました。甥と姪はゴメリ州ブダ・コシェリョボに住んでいます。

母親 21ベクレル○ → 14ベクレル
女子(17歳) 23ベクレル○ → 12ベクレル
女子(11歳) 28ベクレル○ → 41ベクレル ○
男子 (4歳) 27ベクレル  → 33ベクレル ○
姪 (12歳) 24ベクレル○ → 19ベクレル ○
甥 (15歳) 27ベクレル○ → 29ベクレル ○

 前回、次男は1歳半だったので、ビタペクト2は渡していません。
 11歳の次女は2006年に会ったときは元気だったのに、今は心臓病を抱えているそうです。放射能値も高く、心配ですね。
 そのほかの子どもたちも風邪をよくひく、ということでした。前回うかがったときも同じことを話していました。やはり放射能のせいで免疫力が落ちているのでしょうか。
 
 今回も子ども達に折り紙や竹とんぼ、日本のカレンダー(もう3月ですが・・・)などをプレゼントしました。
 折り紙は子どもたちは得意で、家でも折り鶴をたくさん作ってモビールにしてかざっているそうです。すごいですね!(日本人が住む我が家にはない・・・)(^^;)

 最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、竹とんぼやカレンダーなど子どもたちへのプレゼントを寄付してくださった方々、またバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。

チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第72回」

2008-03-21 |   ビタペクト配布活動
 3月11日にビタペクト2と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村での第72回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクト2を9個、そして「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2は合計1456個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1100部となりました。
  
 今回で通算82目のビタペクト2の配布となりました。
 のべ人数になりますが、現時点で1456人分のビタペクト2、そして1100家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト2配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(ビタペクト2を開発、製造、販売しているベルラド研究所のサイトはこちらです。)

http://www.belrad.nsys.by


 今回保養に来ていたのは、ゴメリ州カリンコビッチ市(チェルノブイリ原発から約100キロ)から来た第3学校の校長先生夫婦とその娘さん、そして引率されてきた14人の生徒さんたちです。
 この校長先生夫婦は2007年1月にも別の子どもたちを引率してきていました。そのときのご報告はこちらをご覧ください。
 HPベラルーシの部屋レポート 過去ログ
チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第54回」

http://belapakoi.s1.xrea.com/x/repo/hobby_book.cgi


 今回で2回目の滞在となるのは、校長先生とその娘、14歳の男の子の4人でしたが、校長先生は今回は体内放射能値を測定しませんでした。
 そのほかの15名の体内放射能値の結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト2を渡しました。


校長先生の奥様 0ベクレル(前回12ベクレル)
校長先生の娘(16歳)16ベクレル (前回17ベクレル)
女子(17歳) 23ベクレル ○ (この子どもだけ隣町のモズィリ市)
女子(16歳) 23ベクレル ○
女子(15歳) 28ベクレル ○
男子(14歳) 15ベクレル(前回12ベクレル)
男子(13歳) 37ベクレル ○
男子(13歳)  0ベクレル
男子(12歳) 26ベクレル ○
男子(12歳) 17ベクレル ○
女子(12歳)  0ベクレル ○
男子(11歳) 43ベクレル ○
女子(11歳)  0ベクレル
男子(10歳) 35ベクレル ○
女子(10歳)  0ベクレル

 このうち男子(12歳・26ベクレル)は2005年5月と2006年1月に自分の母親といっしょにSOS子ども村に滞在しています。
 2005年、2006年に測定した結果は24ベクレル ○ と 18ベクレル ○ です。
 この男の子が2005年と2006年に滞在したときの様子はこちらの過去ログをご覧ください。
 
チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第31回」(家族A)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/2005/no31.html


チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第41回」(家族B)2006年1月 過去ログ

http://belapakoi.s1.xrea.com/logs/2006/index.html



 校長先生ご夫婦は、学校の生徒の中で特に病気を持っている子どもや貧困家庭の子どもを選んで連れてきたそうです。
 今回は子どもたちのほとんどがアレルギーを持っているか、慢性胃炎の子どもたちを引率していました。
 12歳の男の子はかんきつ類の食物アレルギー。(かんきつ類のアレルギーを起こすベラルーシ人は多い。もともとベラルーシでは育たない果物なのでアレルギー反応が出てしまうのでしょうか。)
 11歳の女の子は日光アレルギーで、日に当たると、足に発疹が出るそうです。

 胃炎の子どもがたくさんいて驚きました。しかし、SOS子ども村のリリヤ先生によると
「それは胃炎ではなく、別の消化器官に問題があるのでは。たとえば胆嚢の機能障害など。」
と話し始めました。
 その後、続けて「どうして腫瘍というものが、人間の体にできるのか。」の講義が始まり、みんなシーンとなってしまいました・・・。(白衣を着たリリヤ先生が話すと説得力が違う・・・。)
「自分の体は一つしかない。自分で健康の管理をしないといけない。そして、次の世代、つまり自分の子どもに健康な体をあげないといけないのですよ。それには子どものうちから、健康に注意しないといけないのです。」
とリリヤ先生が話すと、子どもたちは「ビタペクト2をちゃんと飲みます。」と言っていました。
 前にも滞在した14歳の男の子は「前に渡されたときは飲みたくなかったけど、がんばって飲んだ。」と話していました。

 今回も子ども達にはガリガリプロペラや、日本の絵葉書などをプレゼントしました。
 子どもたちはとても喜んで、目を輝かせていました。絵葉書には自分の名前を日本語で書いてもらって、興味津々の様子でした。
 家族(主にお母さんや兄弟)で保養に来るのもいいですが、学校の先生と学校の友達どうしで行くのも有意義だな、と思いました。きっとみんな心身ともに成長していると思います。

 画像は記念撮影したものですが、校長先生は心電図を取りに病院へ行き、娘さんも高血圧の検査のため、病院へ行っていて、不在でした。でもミンスクで専門病院で診てもらえる機会に恵まれて、よかったですよね。
 
 最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、ガリガリプロペラなど子どもたちへのプレゼントを寄付してくださった方々、またバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。

再びトーダルのインタビュー記事が朝日新聞に掲載されました!

2008-03-13 | ベラルーシ文化
  3月13日(木)付『朝日新聞』京都版の朝刊「ピンスポット」コーナーで、トーダル紹介記事が再び掲載されました。

  朝日新聞のWEBぺージでも記事が読めますので、ぜひアクセスしてみてください。

http://mytown.asahi.com/kyoto/news.php?k_id=27000170803130001


 2回も朝日新聞にトーダルの記事が掲載されて、本当にうれしいです!
 それに前回の記事に書いてほしかった、ベラルーシ語を音楽を通じて継承していこうとして努力している歌手、という視点で記事を書いてくださったので、記者のSさんには本当に感謝しています。
 わざわざ2月23日のコンサートには三脚カメラを持ってきてくださって、写真の撮影もしてくださいました。
 この記事を読んだ日本人読者の方々はトーダルやベラルーシのことを少しでも身近に感じてくれたと思います。

(画像はせっかくなので、京都らしいのを選んでみました。写っている人は全然京都らしくないけど・・・。(^^;))


ベラルーシのテレビ番組に出演しました

2008-03-12 | 日本文化情報センター
 3月10日にベラルーシの国営テレビ局ONTで生放送されたトークショー番組「選択」に出演しました。
 テーマは「ベラルーシ在住の外国人は、ベラルーシ人にとって脅威かどうか?」
 すごいテーマでしょ? (^^;)
 そんなこと、ベラルーシでは外国人の私にきくのかとびくびくしながら、出演しましたわ・・・

 そしたら、驚きの結果が・・・
 この番組では視聴者から電話による投票を募り、その結果を発表します。今回は1万5030の投票があり、結果は・・・
「はい。在ベラルーシ外国人はベラルーシにとって脅威です。」76%
「いいえ。脅威ではありません。」24%

 この最終結果が発表されたとき、生番組に出演していたにも関わらず、「ええっ!」と叫びそうになりましたよ。
 
(ロシア語が読める方は、こちらのONTサイトでご覧ください。)

http://www.ont.by/programs/programs/vibor/arhiv/0024974/


 ベラルーシは地理的に大陸の真ん中にあって、歴史的に見てもいろいろな民族が入ってきていました。
 そんな中で、ベラルーシ人という少数民族が生き延びるためには、他民族との共存が不可欠。その結果、現在に至るまで、あんまり民族差別がない国民性を持っている・・・と言われています。
 ベラルーシ人自身もそう思っているようで、
「ベラルーシ人は人種差別をしない。友好的に解決しようとするおとなしい民族だ。」
とはっきり言う人が大勢います。
 なので、「ベラルーシに住んでいる外国人はベラルーシにとって脅威だ!」と言う人が76%もいた、というアンケート結果はショックでした。

 で、ゲストの方々についてですが、私(日本人)以外でどんな民族がいたかというと・・・
・映画監督(両親はタジキスタン人とロシア人。ロシア生まれ。50年近くベラルーシ在住。)

・歌手(両親はアゼルバイジャン人とベラルーシ人。ベラルーシ生まれ。ユーロビジョンソングコンテストのベラルーシ代表候補、だったが、予選で落選。)

・大学教授(両親はアゼルバイジャン人とロシア人。アゼルバイジャン生まれ。33年間ベラルーシの大学の教壇に立つ。)

・レスリングのオリンピックチャンピオン(グルジア生まれのアゼルバイジャン人。ベラルーシ在住25年。ベラルーシ・ナショナルチームのメンバー。)

・ボクシング選手(オリンピック銀メダリスト。タゲスタン人。他にもタゲスタン出身のボクサーがベラルーシ代表として試合に参加し、好成績をあげているそうです。)

・カフェ経営の実業家。(アゼルバイジャン人。ベラルーシには20年在住。妻もアゼルバイジャン人だが、子どもとの会話はロシア語。)

・ベラルーシ・ジプシー協会会長(ジプシー。ベラルーシ生まれ。ジプシーは500年前からベラルーシに住み続けているそうです。)

 あのですねえ、私以外、全員がロシア語ペラペラの旧ソ連の国の出身ですよ。ベラルーシ在住期間も「生まれたときからずっと。」とかめちゃくちゃ長い。
 私だけ浮いている感じがしましたね。
 インタビューも私には「ベラルーシ人と結婚されたんですね。」とかテーマをやたら「愛」に持っていこうとしており、まじめな質問はされませんでした。
「もっと私にしゃべらせてくれ!」とも思いましたが、番組中私にはマイクはほとんど振られませんでした。まあ、日本文化情報センターの宣伝のために行って来たので、まあ、映っただけでもいいんですが。

 それでですね、これら「外国人」のほかに政治学者、役人、警察の代表が来ていました。
 その話によると、ベラルーシの人口は約900万人。外国人が占める割合はたったの1%(ただし不法滞在外国人の数はこの中に入っていません。)
 ベラルーシ領域内で犯罪を犯す外国人もいるにはいるが、隣のロシアやウクライナに比べると、大変少ない。

 司会者は「ベラルーシの人口は減ってきています。経済的な視点から考えて、労働人口を増やす、つまり外国人をどんどん受け入れるほうが、ベラルーシ経済にとってはプラスなのでは?」
と話し始めました。しかし、そこへ視聴者からの電話。
「最近フランスで問題になった外国人労働者の問題のように、暴動が起こるから外国人はベラルーシに入れないほうがいい。」
 それに対し、政治学者は
「フランスで人口に占める外国人の割合は15%です。ベラルーシではそのような暴動は起こらないでしょう。」
とばっさり。

 さらにはレバノン人を名乗る男性から電話があり、
「ベラルーシに長年住んでいて、何の問題もない。ベラルーシ国籍を申請中。」
と言うと、スタジオから拍手が起こりました。
 私以外の外国人ゲスト(この人たちを外国人呼ばわりすること自体が大間違い。もっと適任な人は見つからなかったのか?)たちも口々に
「人種差別など受けたことは一切ない。」
「ベラルーシは故郷そのものである。」
「こんなこと自体を番組のテーマにすること自体、ソ連時代には考えられませんでした。」
と発言。それはそうですよ。
 どうせなら、私のようにロシア語が母国語ではない、滞在歴も10年以下という外国人を呼べばよかったのに。
 映画監督や大学教授といった仕事の実績のある人を捕まえて、外国人と呼ぶほうが間違っています。

 さらに次の視聴者からの電話は最悪でした。
「なんでわざわざベラルーシにタジク人やアゼルバイジャン人が来るのか? 市場で商売なんかするな。自分の国に戻って、立派な国家を建設せよ。住む家なんかやるな。」
 あと、オンエアされなかったものの
「このまま外国人が増え続けると、純粋なベラルーシ人がいなくなり、民族が消滅してしまう。」
という電話もあったそうです。(そうなるまで何世紀かかるのか・・・)

 スタジオのゲストが視聴者からの電話に引きつっていると、司会者が
「私事ですが、私の母はベラルーシ人ですが父はちがいます。戦後すぐの時期、多くの外国人が焼け野原になったベラルーシにやってきて、復興のために心血を注いだこともあるのです。」
とその視聴者に軽く反論。今のベラルーシがあるのはベラルーシ人だけの努力によるものではないのだから、現在になってベラルーシから外国人を追い出せ、といった意見はまちがっていませんか? と言いたいところなのでしょう。

 番組の放映中は、画面の下に視聴者の電話投票の結果が棒グラフになって表示されていたのですが、出演していた私たちにはそれが見えませんでした。
 そして番組の最後にスタジオのパネルにどーんと前述の

「はい。在ベラルーシ外国人はベラルーシにとって脅威です。」76%
「いいえ。脅威ではありません。」24%

 が表示されたとき、叫びそうになりました。
 
 ゲストの皆さんは固まってしまい、司会者が政治学者にコメントを求めると
「このような結果になるとは、予想していませんでした。驚きです。ベラルーシ人はベラルーシに住んでいる外国人についての情報をもっとよく知るべきです。われわれはフランスに住んでいるのではないのですから、フランスでの外国人労働者の暴動のニュースなどは必要ない。ただ外国人というだけで不必要に恐れの念をいだくのは、単なる情報不足なのです。われわれはもっと学ばなくては。」
 と答えていました。(全くそのとおり!)

 収録終了後、スタジオ横の廊下でゲスト外国人の皆さんは爆発したような勢いで、自分の意見を言っていましたが、私は(実はこの日、微熱が出ていて体調が悪かった)よろよろしながら、着物を着替えて、それを抱えて家路につきました。
 帰り道、地下鉄のホームで
「ああ、ここにいるベラルーシ人の76%が外国人、嫌いなんだ・・・。」
と熱が上がりそうになるのを感じました。

 しかし翌日出勤すると、
「昨日のテレビ見たわよ!」
という同僚などから「あの結果はおかしい。」「視聴者のレベルがたまたま低かった。」とか、他にも知り合いから
「え、日本人のマサコがベラルーシ人の脅威だって? ぎゃははは!」
と爆笑されたりしました。

 とにかく、こんな集計結果などは全く気にせず、ベラルーシにおける外国人人生を生きておりますよ、私は・・・。
 脅威だの、嫌いだのと言ったところで外国人はたくさんベラルーシに住んでいるんだし、ベラルーシのために貢献している人だっていっぱいいる。
 心配しなくても、ベラルーシの経済状況が今のままでは、まず出稼ぎ外国人が増える可能性は非常に少ない。そう言いたいですね。
 あと、ベラルーシのテレビ局は、テーマにあったゲストの人選をしていただきたい。番組の準備の仕方がいい加減すぎます・・・。


トーダルがミンスクのコンサートで日本の歌を歌いました

2008-03-12 | ベラルーシ文化
 3月8日にトーダルがミンスクのコンサートで日本の歌「村祭」「さくら」を歌いました。
 しかも日本土産である祭のはっぴを着てくれましたよ。(^^)画像参照。
 
 詳しいレポートは「みつばちマーサのベラルーシ音楽ブログ」のほうにアップしましたので、アクセスしてみてください。

http://blog.goo.ne.jp/mitsubachimasa

トーダルの来日公演大成功でした!

2008-03-06 | ベラルーシ文化
 おかげさまで2月23日と3月1日のトーダルの来日公演、2回ともほぼ満席で大成功のうちに終了しました!
 寒い中、聴きに来て下さった皆様、本当にありがとうございました!
 そして共演してくださった日本人ミュージシャンの方々にも大感謝しています。
 
 詳しーいご報告はみつばちマーサのベラルーシ音楽ブログで更新中です。(トーダル君 in JAPANは強烈におもしろかったです。)(笑)

 みつばちマーサのベラルーシ音楽ブログ「トーダル"アリガトゴザイマシタア!"日本滞在記」シリーズ

http://blog.goo.ne.jp/mitsubachimasa/


 それから、チロ基金に寄付してくださった皆様、本当に本当にありがとうございます。近日中に個々にお礼のメールを送ります。すみません、時差ぼけで、眠くて仕方がありません・・・しかし、必ずメールしますので、もう少しお待ちください。 

 それからまた朝日新聞にトーダルのインタビュー記事が載ります!
 それと日本のラジオ番組でも「月と日」が紹介される予定なので、決まり次第、お知らせしますね!