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米帝→官邸→マスコミの洗脳による植民地状態からの脱却を考えてみるブログ♪主権を取り戻し、日本の未来を考えよう。

“英才教育”はひきこもりやうつの原因の一つかもしれない

2015年11月23日 | 雅無乱日記

新聞などを見ていると、最近、英才教育、乳幼児の習い事がホットな産業となっているらしい。

一昔前は母親だけだったが、どうも父親の英才教育熱がすごいとの話。

そういうのはどうなんだろうか…と思っている。

脳の成長という観点から、“英才教育”について考えてみたい。

 

 

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人間の赤ん坊の脳の重さは400g。これは体重が10倍もある大人のチンパンジーの脳と同じ重さである。

それが、わずか1年ほどで2倍の800gに、さらに4年目で1200gに増加し、6~7歳になるまでにほぼ大人と同じ重さになる。

ところが、実はこの同じ時期に、大量の神経細胞(ニューロン)が死滅し、シナプスが消失していっている。

生まれてまもなくの幼少期に、実は脳細胞は半分近くが死滅しているのです。残った半分の脳細胞は、豊かに発達し、神経回路も複雑になってゆきますが、この急増も4-5歳をピークに衰え始め、先に述べたように、15歳ころには増殖は停止してしまいます。(リンクより引用)


Huttenlocher,P.R.1990年のシナプス密度の調査報告によると、出生時は0.3×10の12乗/㎝3であったのが、生後8ヶ月には約8倍の2.5×10の12乗/㎝3に急増する。まだ一歳にもなっていないのに、そこから一転して下がり始め、2歳では2.0×10の12乗/㎝3に、そして10歳には半分の1.2×10の12乗/㎝3にまで急速に減ってしまう。そこから多少の上昇はあるけれど、老化するまではほぼその密度のまま推移することになる。(参考:㈱日立製作所フェロー 小泉氏のインタビュー中のグラフ)

「三つ子の魂百まで」という諺があるが、このニューロンの急激な増加と、生後八ヶ月から始まるシナプスの刈り込み(急激な消失)は、その後の記憶や知性・学習能力に大きな影響を与えることは確かだろう。

要するに、この時期、子供が受ける多様な外圧(経験)と関連しながら、使われている回路ほど残り、あまり使われない回路が消失していくという形で、ドラスティックに「最適化」に向うわけである(なので“ネグレクト”するとニューロンやシナプスがごっそり無くなり致命的になるわけだ)。外圧に対応して柔軟に彫刻される脳の姿がイメージされる。

音楽・芸術にしろ、語学にしろ、“お受験”にしろ、幼児の頭のやわらかいうちに吸収すれば才能を伸ばすことができる、ということが一般に信じられており、それが「英才教育」の根拠になっている。しかし、(たしかに“音感”など音楽の才能がある子供にとっては有効な場合もあるらしいのだが)大抵の場合、偏った幼児教育はそれほど有効に機能しないばかりか、子供の正常な精神発達を阻害することが分かっている。

というのも、その時期の幼児の脳は、人間として仲間・社会の中で生きていくためのトータルの能力を習得することを必要としていて、それに対応して急激に変化しつづけているからだ

例えば、相手の表情から相手の気持ちを読み取る力や、周囲に同化することで自分の気持ちや意思を伝えるすべを体感の中から学んでいくその重要な時期に、英才教育をされる子供は極めて限定的な、しかも偏った(現実の社会に適応する上で最大の外圧=同類圧力を無視した)能力を身につけることを強制されるわけでる

ひどいのになると、ほとんど日替わりで様々な「お稽古事」「習い事」「お受験勉強」を強要され、スケジュールもびっちり母親が送り迎えについてまわっていたりしする(ここまでくると、脳の話以前に子供がかわいそうだが…)。

己の見栄(相対優位の欠乏)や存在不安の解消など自我充足のために偏った教育を子供に強要する母親(しかも彼女らは「それが我が子のため」と本気で信じているからコワイ。最近は“子育てパパ”までその仲間入りをしている)と、それを金儲けのネタとしている幼児教育業界の方々は、このようないびつな教育が子供の脳にとって取り返しのつかない弊害となり、それが人と関わる能力を未熟にし、ひいてはひきこもりやうつの原因にもなっている可能性について、もっと考えるべきだと思う。

併せて、親の「過剰な期待」が原因で自己攻撃にはしる人が多い世代:特に現在の20代後半から30代前半(?)は、その原因の一つに上記のような外圧を無視した偏った幼児教育の影響があったかもしれない

 るいネット投稿『小児うつ』北村氏より引用

おそらくうつ病の場合、幼児期の母親から刻印された親和欠損による精神不安や恐怖記憶が要因となって、対象から逃避(危機逃避回路による)したいという欠乏が働いている。

しかしその対象が例えば原点が幼児期の母親の親和であれば、幼児にとって母親は絶対的な存在であるわけで、もともと存在した欠乏と逃避したいその対象は一体のものである。だからその時点で意識は大きく混濁する。

従って対象を否定、封鎖するためには、同時に自身が持つ対象に対する欠乏も否定・封鎖する必要が出てくる。この対象凍結・主体凍結の回路が、周囲の人の評価圧力を前に働き出すと言うことではないか


母親が“英才教育幻想”に獲り付かれると、必然的に子供への親和が犠牲にされ、その評価の厳しさが不安を常態化させる。しかし、母親は子供にとっては最大の親和対象であるので、潜在思念や欠乏を犠牲にしてでも母親の期待に応えようとする。ここに葛藤が生じる。

これについては「うつのメカニズム」
http://www.biological-journal.net/blog/2007/06/000034.html
として既にこのブログに書いたことがある。

このことを総括し、今後はよりスキンシップや仲間との関係を重視し、加えてより多様な外圧に対応する能力を育成するにはどうするかということに頭を使っていく必要がある。
しかし、ここに致命的な問題がある。

基本的に母と子しかいない密室空間である家庭では、母親の価値観しだいで歪んだ圧力場が形成されるので、多様な外圧に対応する脳を育てるのはどうがんばっても不可能であるという問題である。

まずは、多くの人と関わらなければならない場に、子供はもちろんだが、そういう母親自身も身を置くというのが不可欠ではないだろうか。そうしたら、多くの人との関係で充たされて(もちろんストレスもあるだろうが、子どもが将来出て行く「社会」とはそういうものだ。多くの人と関わることで子供の脳も健全に発達するし一石二鳥^^)、母親も存在不安にかられて子供に偏った英才教育を強制する必然性も無くなるだろう。

「英才教育やめろ」というだけでは答えにならない。むしろ本筋は、母も子も閉鎖空間である家庭を飛び出して、多くの人と課題を共有できる場を創っていくということなのかもしれない。


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「コモンズ(共有財産)」のことごとくを商品化し、収奪構造を創り出す連中

2015年11月21日 | 雅無乱日記

韓国で「世界水フォーラム」が行われたそうな。

http://japanese.yonhapnews.co.kr/society/2015/04/12/0800000000AJP20150412000700882.HTML

168カ国4万人が参加したそうで、この問題の世界における関心の高さがうかがえる。

水がこれだけ不足し、安全な水にアクセスできる人口が現在のように非常に少ない状況が生じているのは、構造的な原因があるように思われる。

 

というわけで、今回は「水商売」について書いてみる。

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この話題に関する、
『「水」戦争の世紀』(モード・バーロウ & トニー・クラーク,集英社新書)という書籍について端的にまとめておられるHPを見つけた。

石岡第一病院の「傷の治療センター」長である夏井 睦(なつい まこと)氏のHPから紹介したい。

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 今から10年以上前,「第三世界ではミルクを溶く水が手に入らないために,コカ・コーラを母乳代わりに飲ませられている赤ん坊が多く存在する」と公式に報告されている事実を,あなたはご存知だろうか?

 なぜ,水が手に入らないかというと,水の値段が高すぎるからだ。なぜ,コカ・コーラを飲ませているかというと,水よりコーラの方が安いからだ。もちろん,赤ん坊の時からミルク代わりにコーラを飲ませられれば,重大な栄養失調と蛋白質不足をきたす事は,医療関係者なら誰にもわかるだろう。

 だがこれは,第三世界だけの問題ではないのである。水を単なる商品と考え,水で大儲けを企むグローバル企業があり,水道事業を民間会社に委託して財政負担を軽くしようと政府が考えれば,これはいつか,私たちにも降りかかってくる可能性があるのだ。
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コーラなどの清涼飲料水は実はまったく「清涼」なんかではなく、なんと10%もの糖分を含んでいる。飲んだら余計のどが渇くと感じるのはそのためである。

「ペットボトル症候群」

実は、糖分が過剰な飲料を脳が「快」と感じるので(しかも飲むと余計にのどが渇くので)、清涼飲料水はハマると止められなくなる。メーカーはこれを見越して製造販売しているのである。

こんなものを母乳の代わりに飲んで育つ赤ん坊って…

引き続き夏井睦氏のHPより~

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 食料の自給自足を目指して灌漑農業を始めたサウジアラビアで,穀物1トン生産するのに3000トンの地下水を汲み上げてしまい,地下水(帯水層)があと50年で枯渇することは避けられそうにもない。

 世界最大の淡水,アメリカの五大湖の水量は毎年低化を続け,ついにセント・ローレンス川が大西洋に注がなくなった。

 中国の黄河は1972年以降,海に注がない日が増え,1997年の断流日数は226日に達している。

 かつて世界4番目の湖だったアラル海は輸出用綿花の生産のための使われ,そのため現在では,総水量の80%を失い,残りの水も昔の10倍の塩分を含むようになった。結果として,漁業は壊滅し,周辺地域の気温の変動も大きくなり農業も壊滅した。

 これが,世界の淡水の現状である。(中略)

 さて,物が足りなくなれば,それをビジネスの対象にする人間,会社が現れるのは世の常である。足りなければ足りないほど,その商品価値はうなぎ昇りだ。

 世界的に不足している淡水は石油より貴重な「資源」だと気がついたのが,グローバル企業であり,世界銀行であり,IMFであり,またたく間に,水という資源は投機の対象になり,独占された。全ての地下水を買占め,商品化しようとして彼らは世界中を飛び回っている。

 ここで彼らが拠り所にしているのは,「全世界にとって自由市場経済以外の選択肢はなく,この経済モデルに従うべきだ」とする「ワシントン・コンセンサス」である。まさに,淡水危機はワシントン・コンセンサスに基づけばビジネスチャンスであり,水の私有化と商品化の方向が決まってしまった。
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世界銀行もIMFもグルになって、途上国の資源が徹底的に搾取される構造ができあがっている。

これについては
「アメリカが世界から収奪する仕掛けはこうして構築された」というエントリーでも扱ったが、「水」さえも例外ではないようである。

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 2000年にハーグで開かれた「世界水フォーラム」ではなんと,【水は人間にとって必需品であるが,権利(人権)ではない】と採択した。採択したのは国連と世界銀行である。もちろん後押ししたのは,グローバル企業と営利目的の水道企業。

 「必需品であるが権利でない」のだから,金のある者,金を出す者は水を手に入れられるが,貧乏人は手に入らなくなる。それが経済の原則だ。

 ある,世界規模の水道会社のCEOは次のように言っているらしい。

「水ほど効率のよい商品はない。何しろ,この製品は生命にとってなくてはならないものだからだ。普通はただで手に入るが,わが社はそれを売っている。」

 おそらく彼はこう続けたかったはずだ。

「水がただで手に入らなくなれば,わが社の水を買うしかなくなる。死にたくなければ,わが社に金を払わなければいけない。どんな貧乏人でも死にたくはないだろう」と・・・。

 一方,財政的に裕福でない政府は,財政問題の解決策として金のかかる水道事業を民営化しようと考えた。事実,多くの国で本来なら「非営利的公共事業」であるべき水道事業が,営利目的の外資系企業に乗っ取られてしまったのである。(中略)

 その結果,どうなったか。

 ある国では,国営で行っている水道は裕福な国民にだけ廉価で供給され,貧乏人の住む地域には水道が敷設されず,彼らは100倍の値段の水を水売り商人から買わざるをなくなった。

 インドネシアの旱魃で住民の井戸が涸れた時でも,首都ジャカルタの観光客向けゴルフ場では大量の水が芝生に水が撒かれ芝生は青々としていた。

 フランスでは水道事業民営化後,水道料金が150%高騰した。

 ボリビアでは水道料金が月収の1/5まで跳ね上がり,食費より高くつくものとなった。

 そしてこれに,ボトル入りの水,清涼飲料水を売るメーカーが絡んでくる。水が高くて買えない層がいることは,彼らのとってビッグ・ビジネスチャンスだ。彼らは「そんなに高価な水道水を飲まなくても,わが社のミネラルウォーターを飲みましょう。わが社の清涼飲料水を飲みましょう」と宣伝し,水より安い値段で貧乏人たちに売りつけた。かくして,貧しい家庭の赤ん坊達は水でなくコーラを飲んで渇きを癒すしかなくなる。もう,健康になどに構っていられない。(中略)

 「水は必需品であるが権利でない」というのはつまり,こう言うことである。

 この本では,このようなグローバル企業とそれに追随する政府・自治体を徹底的に糾弾している。人類共通の遺産,そして共通の権利を「コモンズ(共有財産)」として考え,それら(水や空気などの天然資源,遺伝子,健康,教育,文化,伝統など)を売り物にすべきでないと主張している。これらを次世代に受け継ぐのが自分達の世代の義務だと宣言している。淡水は人間だけの独占物ではなく,あらゆる生物が共有する財産だと提案している。そして,「ワシントン・コンセンサス」はこの「コモンズ」の商品化であり,根本的に間違っていると糾弾している。その上で,この,世界規模の淡水供給の不平等を正すために,まず何をすべきかを提案している。

 何年か前,解析した人間の遺伝子コードに特許を申請したメーカーがあった。そのニュースを見て,非常な違和感を感じたが,この本を読んでその違和感の原因が初めてわかった。遺伝子を読み取る技術や機械には特許をかけてもいいだろうが,遺伝子コードそのものに特許を与えるのは基本的に間違っているのだ。

 この違和感を放っておくと,次は空気の番だぞ。淡水がいよいよ少なくなってあまりに高価になりすぎて売り物にならなくなった時,やつらは「空気」を売り物にするはずだ。これぞ,究極の商品だ。

 「空気なんてどこにだってあるから売り物になるわけないよ」と考えている人がいたら,あなたは甘いと思う。売れるものを売るのが商売でなく,売り物でないもので商売するところに「銭の花」が咲くのだ。世界銀行がいきなり「空気は生存にとって必需品であるが,人間の権利ではない」と宣言してからでは遅いのである。
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20世紀は【石油】の世紀。次の21世紀は【水】、その次は【空気】の世紀か…

「CO2排出権」なるものが商品になってしまう時代である。

連中は、何でもかんでも「商品化」する。そしてそれを売りつける。

イギリスでは、自分にかけた生命保険を債権化して販売する…なんて事までやっているそうではないか。

グローバル企業が「呼吸がしたかったら我々にカネを払うことだね」なんて言い出す日も…?

実にぞっとする未来である。「遺伝子の特許」もそうだがこういう事を平気でやる連中の専横を許さない新しい仕組みを創る必要があるだろう。でないと「ワシントン・コンセンサス」が地球を破滅させてしまう。

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「消費は美徳」の時代は終焉し「過剰消費はアホだ」という時代へ

2015年11月04日 | 雅無乱日記


消費による充足から生産による充足へ 内田樹と宮崎駿、かく語りき

ちょっとおもしろかった。

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孫引き「内田樹の研究室」
http://blog.tatsuru.com/2008/12/06_0911.php

「人はその消費生活を通じて自己実現する」という80年代から私たちの社会を支配していたイデオロギーは少なくとも20歳の女性たちの間では急速に力を失いつつある。(中略)

メディアはあらゆる機会に(コンテンツを通じて、CMを通じて)視聴者に「もっともっと金を使え」というメッセージを送り届け、その一方で非正規労働者や失職者がどれほど絶望的な状況であるかをうるさくアナウンスして「消費行動が自由にできないと人間はこんなに不幸になるんですよ」と視聴者を脅しつけている。
(中略)

けれども、若い女性たちはそろそろこのイデオロギーの瀰漫に対しての「嫌厭感」を持ち始めている。

彼女たちは「自分より豊かな人たち」に向かって「あなたの持っているものを私に与えよ」と言うのを止めて、「私より貧しい人たち」に「私は何を与えることができるか」を問う方向にシフトしている。


ものすごい変化である。私が学生の頃なんて、過剰消費を謳歌していた女性たちはワンレンボディコンで街を闊歩していた(歳がバレる…^^;)。ところが、今の学生に聞いてみると、「合コンって何?そんなのやったことない…」。

スーツの上下で20万、靴は8万…なんて着てるもの自慢してた知人がいたが、今そんな事してたらみんなから「アホか?」と思われるだけである。酒呑んでバカ騒ぎして楽しかったのは、旧世代まで。今は、そんなヒマがあったら、もっと誰かの役に立つ事がしたい、or何かの役に立つような勉強がしたい!…って意識が主流を占めている。

アメリカ発の金融危機が日本を襲った。当時マスコミは、「内定取り消し」「解雇」「派遣斬り」などを連日大きく報道して人々の不安を煽っていた。

トヨタのお膝元の名古屋は、今回のアメリカの自動車消費の大幅な冷え込みの直撃を受け、急速に失業者が増えていっているようだが、いかにアメリカの過剰消費に依存していたか、というのが逆に浮き彫りになった。

私が学生の頃なんて、かっこいいスポーツカーがモテるための必須アイテムだったりしたこともあるのだが…。しかし、車以外も、もうそれほど欲しいと思えるモノは無くなった。

何よりも、金融危機の震源地であるアメリカの、稼げる以上にローンを組みまくって何かに取り付かれたかのように過剰消費しまくってるのは単なる「アホ」だ…環境破壊の元凶・世界の迷惑だ…あんなライフスタイルを日本人は真似する必要はない…ということに人々は既に気付いている。

人々の潜在意識の上では確実に市場は縮小に向って動き始めたのである。

これが意味するところは、「モノをつくって売る」という事で稼ぐ「仕事」がそろそろ終焉を迎えつつあり、これが大量の解雇・リストラとして近々日本を襲うという事である。

ところが、それでは困るモノ世界で儲けたいシステム(人々)は、市場の縮小など許してはくれない。マスコミで、CMで、無理矢理煽って「消費は美徳だ、もっと拡大しろ~」の大合唱。

ところが時代の状況は一変した。

http://www.news.janjan.jp/world/0810/0810159463/1.phpより

アメリカが消費大国として君臨し続けた戦後の世界経済の中では、「消費は美徳」という言葉を信じることができた。だが、その経済構造は崩壊しようとしている。完全な崩壊までには、しばらく時間がかかるだろうが、榊原英資氏が指摘するように、「ドル支配の終焉の始まり」が起きているのだといえる。これは、「消費は美徳」という環境問題から考えれば、見当違いの信念で支えられてきた世界構造の終焉でもある。


「過剰消費」を煽るデンパに洗脳されてほんとに消費が拡大した時期もあったが、今やそれも限界。ついに、マスコミに踊らされた「消費」なるものに、まったく充足感を抱けない層が多数派を占めるようになったのである。それが、内田樹氏が指摘している人々だ。

そんな人々は逆に、エゲつないシステムの上に乗っかって自分だけ甘い汁を吸う、なんていう自分は許せなくなり、「世の中のために自分は何ができるのか」と問うようになる。


こういう人々の画期的な意識の変化は、残念ながらまだ直接には活力に結びついていない。「世の中のために自分は何ができる?」と探索する意識は確実に存在するが、既存の市場システム・働き方の中では、答えが簡単には見つからないのだ。

ここらへんに答えを出していく、つまり、モノに代わる新しい価値を創造する「新しい役割=仕事」を創出するというのが、次に期待されていることなんではないか、という気がしている。



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以下 http://blogos.com/article/142842/ 北野武氏より引用

今の人類が置かれた立場を考えれば、むしろ夢をかなえようなんてことより、清貧の方が大事なんじゃないの、と思う。

 人間がじゃんじゃんエネルギーを消費して、地球の平均気温がじわじわ上がって、近頃は異常気象が当たり前になってしまった。5月に台風が来たり、気温が30度を超えたりしても、今じゃ誰もたいして驚かない。

 東日本大震災のときは、節電しないと夏を越せないとかいって、東京の夜は暗くなった。自動販売機が電気の無駄遣いだと目の敵にされた。昔の夜が戻ってきたみたいで、こういうのもいいなあなんて思っていたけれど、しばらくしたらまた元通りのピカピカな夜が戻ってきた。節電なんて言葉もどこかへ行ってしまったみたいだ。

 だけど、地球上で起きている問題の大半は、人間があまりにもエネルギーだの資源だの食糧だのを無駄遣いしているから起きているという事実は変わらない。中国の14億人が、アメリカ人と同じくらいエネルギーを消費するようになったら、地球は保たないなんていわれている。

 このままではどう考えたって文明は破綻する。現代人は今すぐにもライフスタイルを改めなくてはいけないはずなのに、その話はいっこうに進まない。節電や節約くらいで、この問題が解決するとは思えないけれど、それでも解決に向けた最初の一歩にはなる。
それは誰もがわかっているはずなのに、そういうことにはあまり真剣にならない。節電だの節約だのは、結局のところ経済活動のマイナスになるからだ。

 


映像の情報過多は共感能力の発達を阻害する?

2015年11月01日 | 雅無乱日記

おもしろい+ぞっとする研究結果をネットで見つけた。

脳の「共感スイッチ」:情報の氾濫は共感能力を阻害する?
より引用

この研究は、現在のメディアのあり方についての興味深い議論も引き起こした。研究者によれば、共感を呼び覚ます脳のシステムが作動し始めるまでには平均で6~8秒かかるのだという。研究者がこの事実をメディア利用の習慣と結びつけているわけではないが、この研究の報道は、『Facebook』世代がやがて社会的に好ましくない行動をとるようになるのではないかという憶測をあおっている。

 

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メディアの中でもいろいろな種類があるが、映像によるニュース報道については、同情という感情が神経生物学的に短絡的になってしまうという可能性があるかもしれない。たとえば、エピソードが連続的に語られていくときは、場面が次々に切り替わる形で語られる場合よりも共感の度合いがはるかに高くなる、という既存の研究がある。


ストーリーを追いかけるには、じっくり語られた方がついていける。

また、『Journal of Broadcasting & Electronic Media』誌に掲載された、タブロイド[扇情的な大衆紙]的ニュース形式についての考察によれば、矢継ぎ早で刺激的な、視覚的な語り口は、生理的な刺激を与え、見たことを記憶させる度合いを強めるが、これは本来の題材が面白くないものであった場合に限られるという。すでに興味を引かれている題材の場合、タブロイド風の語り口は認知的に過負荷となり、深く心に刻み込まれるのを妨げてしまうというのだ。


情報過多になるとかえって印象が薄くなる。さもありなん。

「素早いカット割りは、コンテンツが面白くない場合でも視聴者の目を引き、彼らの意識を引きつけたままにしておける。連続性を無視したMTV風のカット(ジャンプカット)は、多くのエディターが普通に使うようになっているが、画面にいつも目を向けさせる役目を果たす」

テレビニュースのアーカイブに取り組んでいるサイト『Vanderbilt Television News Archive』でディレクターを務めるJohn Lynch氏は、「今われわれが感じているのは、各シーンがどんどん短くなっていることだ」と語る。例えば今年1月にハドソン川に墜落した航空機の報道についてLynch氏は、プロデューサーたちが「レポーターの話や、何人ものニューヨーカーの目撃者たちのあいまに航空機の映像を少しずつ散らばらせては、また別の地点からの航空機のショットに戻していく」ことに着目している。「20年前に同じような事件が起きたとしたら、ずっと(航空機の)映像を追い続けたはずだ」


ニュースの報道手法も変化してきている?

同情の念が、持続した注意を向けることでのみ引き起こされるとするなら、速いカット割りの編集ではこれが妨げられる可能性がある。そうなれば、他者の物語によって心底から感情が動かされる能力が退化するおそれがある。さらには子どもの適切な発達を損なうかもしれず、そうなれば形成過程にある子どもの脳には、生涯にわたる影響が残るだろう。研究をもっと進める必要があるのは明らかだが、この仮説には説得力があるように思える。


確かに危険性は大きいと思う。
テレビ脳 (てれびのう)
テレビ脳 前頭葉の不活性化はヤバイ!
これらを見る限り…

「物事があまりに速く起こると、人は他の人の心理的な状態についての感情を十分に体験しなくなる可能性があり、このことは倫理に影響する可能性がある」と、元々の論文の共著者であるMary Helen Immordino-Yang氏(南カリフォルニア大学)は語っている。


もうすぐ2歳になる息子が、テレビを見せると画面に釘付けとなり、周りからの呼びかけに全く反応しない事がある。実感からしても、素早い画面の移り変わりは、「共感スイッチ」が作動しないままに脳内刺激を与えている印象を受ける。

しかも、画面の切り替わりが早いほど、「その番組の内容なんやった?」と問われてもほとんど何も覚えていない。このような状態が長く続けば、人としての重要な「共感機能」がまともに発達しない、といった可能性は大いにありうる。

我が子にはまともに育ってほしいので、TVを極力見させないようにしている。

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