にほん民族解放戦線^o^

米帝→官邸→マスコミの洗脳による植民地状態からの脱却を考えてみるブログ♪主権を取り戻し、日本の未来を考えよう。

“緑の革命”はバリ島の女神にはかなわない

2015年01月28日 | 雅無乱日記

今回は、過去のこのエントリーで紹介した、「奇跡の米」“IR8”について書かれているおもしろいブログがあるので紹介したい。

キューバ農業ブログ“バリの女神さま”

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キューバ農業ブログ“バリの女神さま”

 1960年代、フィリピンの国際稲研究所(IRRI= International Rice Research Institute)は、完璧な米と自賛するハイブリッド米「IR8」を開発した。125日と短期間で収穫でき、試験場では6.5 t/haという驚異的な収量をあげる高収量品種だった。インドネシア政府は、人口増による食料増産のため、このハイブリッド米の導入に力を注いだ。1974年にはバリ島の中央部と南部にある棚田の48%でIR8が栽培されるようになり、1977年には作付け率は70%にも増えた。

 だが、バリ島で栽培が始まってわずか3年も経たない間に、IR8には意外な弱点があることが判明する。害虫、トビイロウンカに弱かったのだ。IR8はトビイロウンカに襲われ、1977年には200万トンもの被害が出た。

 国際稲研究所の研究者たちは、すぐに改良品種「IR36」を作り出す。それは、トビイロウンカに耐性があるだけでなく、IR8よりもっと短期間で収穫できる優れものだった。インドネシア政府は大喜びし、バリ島の農民たちに在来品種の作付けを禁じた。そして、ハイブリッド米を2期作、3期作することまで法律で縛った。

 緑の革命技術は、米の生産を約5割も増やした。だが、近代農業は大量の水を必要とする。バリ島の灌漑制度を近代化するため、米国人を中心とした外人コンサルタントたちが招聘され、1979年にはバリ灌漑計画(BIP)が立ち上げられた。政府は4000万ドルもの資金を借り入れた。

 だが、IR36にも弱点があった。縞葉枯病というウィルス性の病気にかかりやすかったのだ。次には、PB50が登場する。PB50は縞葉枯病には強かった。ところが、ごま葉枯病には弱く、いもち病に弱いこともわかった。どこまでも続く果てしないイタチゴッコ。

 その一方、農薬の多用で水田では魚や鰻が取れなくなり、鳥さえ姿を消し、農民たちの睾丸ガンの発生率も驚くほど高まっていた。農薬の影響である。

 農民たちは新品種の導入で手にした現金収入は多くはなったものの、害虫が増え、不健康になり、結果としては貧しくなってしまった。



まさに、一番上の図解と全く同じ悲劇が繰り返されているというのがお分かりいただけるだろうか。

インドネシアのバリ島は、愛媛県ほどの面積の島である。そこでは、水が少なく、火山の頂上にある湖から時には十数kmにわたって岩盤をくりぬいた水路で、棚田に水を引いている。

この用水の管理運営をしているのが「スバック」という水利組合で、水田を利用する以上、世帯から一人は必ず参加しなくてはならない。彼らは水路の掃除や定期的な水引きなどのかなり大変な労働に協力して従事している。

「スバック」には、実に様々な規則がある。棚田の補修などの共同作業にどうしても参加できないという場合は、その代わりに何をしなくてはならないか、水管理のための会議に遅れた場合はどうするか、自分の棚田に引く水を人の水路から盗んだ場合はどうなるのか、といったことが、実に細かく決まっているが、厳格な中にも人情的な機微に富んでいる。


※画像は、私が数年前バリ島に行ったときに撮影したテガララン村の棚田

島では、水が不足しがちで、水に関わる村民の対立は深刻なものに発展しやすいという構造を孕んでいる。特に、同じ水系の棚田の人々は共通の利害関係により派閥を形成しやすく、日本でも時には殺し合いをやっていた地域があるくらいである。

そんな彼らも、実戦課題の政(まつりごと)の話ばかりをしているわけではない。信仰とその行事(祭)運営では、水の利権とはまったく別のグループが組まれ、さらにバリの芸能では対立している者どうしであろうがなかろうが ともに芸能で音やリズムを深いところから共有しなくてはならない。そうすることで、固定的な派閥対立や個人の身勝手な発言や振る舞いが制御されるしかけになっているようだ。(日本の祭も、かつてはこれと同様の意味を持っていたと思われる)

キューバ農業ブログ“バリの女神さま”の後半は、このエントリーの後半は、バリ島の伝統農業のすごさが書かれている。


 混乱状況に直面したインドネシアのバリ公共事業局は、1980年台半ばにウダヤナ大学の農学者チームに状況打開の調査を依頼する。その結果は意外なもので

「政府はスバック寺院の序列と作付け様式との関係に注目すべし」

というものだった。

 バリ島の宗教のコアとなっているのは、湖の女神、デウィ・ダヌ(Dewi Danu)である。灌漑施設には、寺院のネットワークが戦略的に置かれ、各スバックの寺院には農民を代表するリーダーがいる。何か問題が生じたり、翌年の潅漑計画を決定するときにコンサルテーションが必要な場合は、スバックのリーダーは、より上級の寺院におもむく。そして、遠く離れた下流のスバックも水が確保できるよう、灌漑用水を放流日時を決めていたのは「ジェロ・グデ」(Jero Gde)と呼ばれ、幼少期に女神から選ばれ、死ぬまで女神に仕える高僧だった。

 バリで10年間以上もフィールド・ワークに携わってきた米国の人類学者、スティーブン・ランシング(J.stephen Lansing)は、バリの宗教を理解するには、農業技術も理解しなければならないと考えた。ランシングは、寺院や女神のもつ重要性やそれが、潅漑や病害虫管理に果たす役割、そして、緑の革命がバリにもたらした悪影響に心を痛めた。

 そこで、ランシングは、コネチカット大(University of Connecticut)のシステム生態学者、ジェームズ・クレーマー(James N. Kremer)と連携し、伝統的な水管理のやり方をコンピューターで画像化し、シミュレーションしてみた。

 まず、無作為に作付けをした場合は、モデルの平均収量はたった4.9 t/haだった。一方、「緑の革命」方式では、最高では10 t/haにもなった。ところが、多収量をあげたのは一回目だけで、次シーズンには害虫の被害で作物が全滅してしまうこともあった現実と同じである。それと比べ、スバック寺院が管理するやり方は、一年目の収量は8.6 t/haと緑の革命方式よりも低かったものの、稲の収量と害虫とのバランスが保て、二年間の平均収量では、緑の革命方式の9 t/haに比べて17 t/haと倍以上にもなったのだ。

 女神や古代から続く儀式は、何百もの散在した村々の潅漑や作付けをコントロールする役目を果たしていた。コンピューター・モデルが示すように、バリの稲作農民たちが行ってきた資源管理は、最も安定して多収量をもたらす効率的な営農システムだったのである。今、ようやくインドネシア政府は、寺院による水の管理システムを再認識しはじめた。女神様は「緑の革命」よりもずっと知恵深かったのである。


たしかに、近代の農業技術は一時的に反収を上げるのかもしれない。しかし、長い目で見た場合、近代的な農業手法に頼る危険性と天秤にかけた場合、明らかに近代技術の方が劣るということのようである。

バリ島の人々は長い歴史の中で、自然の摂理を対象化してほぼ掴んでいたということだ。安易に目先の収量を上げようとする試みは、長い目で見て実は自然界では成立しないということなのではないだろうか。

しかし、国際金融資本をバックに付けたモンサントをはじめとするアグリビジネス企業は、そんなことお構いなしに、途上国に対して自分たちの創りあげたF1種子やGM植物を強制し、途上国の環境と途上国の人々の人体と、途上国の経済・社会を破壊していっている。到底許されることとは思えないのだがどうだろうか。

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アメリカの侵略パターン

2015年01月05日 | 雅無乱日記

今日は、ブログ「猫の教室」さんより、アメリカが世界を侵略する基本パターンについての記事を紹介する。

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 侵略の基本パターンは、まず、スペインなどから独立した直後で、まだ国内が安定していない中南米の国に、19世紀は農業を中心にアメリカの大資本が入りこみ、そこで現地人を使役しながら、土地を買収し続け、中米の小国においては、国土の過半をアメリカの企業が所有するという事態を招いてきた。

 この一方的な、富の独占と収奪に対して、19世紀から、中南米のいくつかの国では、反米政権ができ、それらの土地の没収と小作農への分配という農地解放が試みられた。

 しかし、アメリカは即座に、「アメリカ人の生命と財産を守るため」という言葉のもとに、圧倒的軍事力で、政権を転覆させ、再び、農地解放以前の状態に戻していった。日本に来航したペリーも、これらに先んずる、スペインとの領土戦争で功績をあげた海軍軍人である。

 20世紀前半までは、この状態が続く。中南米諸国では、国家の富はアメリカが独占し、国家の支配は、アメリカに追従するその国の富裕層が握り、国民の大多数は貧困に陥っていた。そして、アメリカのくびきから脱却しようという試みはすべて、アメリカ軍の直接介入で封じ込められた。

 第二次世界大戦後、アメリカは世界の超大国になった。その背景には、「アメリカの裏庭」と呼ばれた中南米諸国から吸い上げた富があった。

 アメリカのCIAが本格的に活動し始めるのも、このころからである。

 20世紀後半は、南米にとって、もっとも暗い時代だった。1970年代に、民主的選挙で選ばれた、世界初の社会主義政権、チリのアジェンデ政権を倒すのに、CIAは、軍部のピノチェト将軍に資金、武器を提供し、クーデター後の統治の仕方を教え込み、チリはピノチェトによるクーデターにより、軍事独裁政権となった。

 同じころ、中南米各地で、同様の軍事独裁政権がクーデータにより成立し、民主主義は葬られ、暗殺や拉致による恐怖政治が支配した。

 これらの背後には、すべてCIAがいた。また、「米州アメリカ学校」という名前の、中南米の軍人を集めて、アメリカの支配への忠誠を誓わせ、クーデターの起こし方から恐怖政治のおこない方まで、アメリカが教えるという組織すらあった(現在どうなっているかは書かれていない)。

 イラク人への拷問が知られるグアンタナモ海軍基地で行われた拷問の数々は、この米州アメリカ学校で教えられていたものと同じだという。「自由と民主主義の国アメリカ」はどこへ行ったのだ?

 しかし、アメリカが「世界の警察官」を標榜し、世界的に影響力を行使しようとする一方で、南米においてはアメリカへの反感が高まり、軍事独裁政権は、次々と選挙により政権の座を放逐され、一部の軍人は犯罪者として裁かれた。

 そして、さらにことは進んで、アメリカが湾岸戦争などで、中東諸国に目が向いている間に、ベネズエラのチャベス大統領が、それまでのアメリカの傀儡政権の代表を選挙で破り、一気にマラカイポ油田などの石油会社を国営化し、そこで得た富で、貧困層への教育と食と医療を無償で提供するという政策を始めた。

 猛烈な反米主義者のチャベス大統領の台頭を受け、南米では次々に反米左翼政権が誕生する。どれも、正当な選挙による政権獲得であり、それまで搾取にさらされてきた貧しい人々が、選挙による権利の行使で、それまでの対米従属、被搾取の状態からの脱却を望んだのだ。

 そして今や、南米大陸では、コロンビアを除く、すべての国で反米を標榜する政権ができている。
(後略)


記事全文はぜひ、ブログ「猫の教室」さんに行って読んでみて。


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