にほん民族解放戦線^o^

米帝→官邸→マスコミの洗脳による植民地状態からの脱却を考えてみるブログ♪主権を取り戻し、日本の未来を考えよう。

日本の「バブル経済」はアメリカによって仕掛けられた壮大な罠だった

2007年07月28日 | 雅無乱日記
さて、ちょっと前のエントリー“バブル経済の構造とその行方~”で、「アメリカのバブルはいついつはじけてもおかしくない状況にある」なんて書いたが、図らずも予測通り暴落していってるようだ(もっともこのまま下がっていくかどうかはまだ分からないが)。

その次のエントリーで予告したが、日本にバブルを仕掛けたのが実はアメリカだったのではないか、という話が、ビル・トッテン著“日本は日本のやりかたで行け”(PHP研究所出版)に書かれている。

注目すべき内容があるので、転載する。
http://www.geocities.jp/swingi70/americanway.html より

■アメリカはいかにして日本を滅ぽしたか

◆マイケル・ハドソン氏が論破するアメリ力の帝国主義的金融政策

前節で登場したマイケル・ハドソン氏には、私が刊行しているオピ二オン・ペーパー“OUR WORLD”でアメリ力の帝国主義的な金融政策がいかに日本を滅ぽすことになったかを解説してもらった.ここでは、{1985年プラザ合意の教訓とその影響}と題するその諭支の要約を紹介してみたい。

マイケル・ハドソン博士は、1972年に{SuperImperialism:Economic Strategy of American Empire}を執筆した。

この本は金本位制に代わる「財務省証券(米国債)本位制を確立することによって(それは1971年に確立された)、アメリカがどのように他の諸国を搾取しようとしているかを諸外国に説明するために書かれたものであった。しかし、出版された本のほとんどを買い占めたのはアメリカの政府機関で、それを職員の教育用マニュアルとして使用したのである。

また、米国防省は、金に代わり財務省証券で貿易赤字の資金調達を行なうことによって、どうすれはアメリカが他の諸国から「ただ乗り」を享受できるかを説明するために、ハドソン氏を雇ったという。

自分たちにとって不利な情報を発信する人間に対して、連中は札束で頬を張って自分たちの味方に取り込んでしまう。これが常套手段のようだ。

このインタビューのニック・ロックフェラーのようにね…

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=157633

というわけで、今までさんざん批判してたのに手のひらを返すように擁護に回るような奴(丸川珠代とか^^;)は、何かエエもん貰って仲間に引き入れられた「裏切り者」と見たほうがいいだろう。

おっと話がそれた…
日本の出版社もごの本の版権を買い取り、日本語に翻訳した。しかし、アメリカ側は、この本が日本の読者を動揺させ、日米関係の緊張につながる…として、出版社に庄力をかけ出版を中止させたのである。

そのために日本語版の出版には至っておらず、その結果、日本はその後も、アメリカの金融侵略の犠牲者となり、今日に至っている。

この本も同様の憂き目にあわされていた。そういう情報操作の圧力は様々なところからかかっていると見たほうがよかろう。

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では、アメリカの金融侵略がどんな形で行なわれていったのか、ハドソン氏の講義を聞いてみることにしよう。

★プラザ合意の真の目的とは……

1985年9月22日、ニューョ-クのプラザ・ホテルで、日本は金利を引き下げることにより、ドルの為替相場を支えることに同意した。いわゆる「プラザ合意」である。

これは世界経済安定のために、先進諸国が協調して相場に介入した事例として語られているが、ハドソン氏によれぱ、それは表向きのことにすぎないという。

当時大蔵大臣だった竹下登以下日本の高官は、日銀を含む日本の投資家にアメリカの貿易赤字の資金援助を行なうよう働きかけることにより、日本経済を歪めることに合意したのである。

具体的に言えば、日本が輪出で稼いだドルを米財務省証券(米国債)に投資させたのだ。日本人は余剰ドル(日本の貿易黒字)を円に換えて日本国内(および海外の新しい生産設備)に投資するのではなく、そのドルをアメリカへ融資するよう求められたのである。

アメリ力の狙いは、これによって「ドルの還流」を刺激することであった。

なるほどね。

アメリカ側は、もしこの要請を日本が受け入れなけれぱ、円に対するドルの価値を引き下げると脅かした。

ドルの価値が下がれば、海外における日本製品の価格が上がり、日本の輸出業者が苦しむことになる。またアメリカや他のドル地域(カナダやラテンアメリカ)に、日本がすでに投資した円換算の投資価値も目減りしてしまう。

そのため日銀は、価格の高い(すなわち、金利の低い)財務省証券を購人せざるをえなかったのだ。そして、それはさらに別の副産物を生むことになる。この取引によって日本は低金利政策を敷くことになり、またアメリカでも日本から大量の資金が流入してきたことが低金利につながった。そこに銀行の安直な融資が加わり、両国内で金融バフルが膨らんだ。

こうして日米は1980年代後半、バブル経済へと突人したのである。

お見事!

日本に大量に財務省証券を買わせておきながら、アメリカ人自身は財務省証券は購入せず、アメリカの株式や不動産市場で儲けていた。

金利を意図的に低く仰えることによって、日本と同様アメリカ市場も活性化した。しかしアメリカの場合、日本がその要請に従ったがゆえの活況だった。

結局、日本の大蔵省は、自国の経済に低金利の貸し付けをあふれさせただけではなく、アメリカ経済へも巨額の資金を流出させ、アメリカの低金利をも可能にしたのである。アメリカにとっては、まさにこれが「プラザ合意」の目的であった。

当時は健全であった日本経済は、不健全なアメリカ経済への資金援助のために、自国の経済均衡を犠牲にするよう求められた。インフレを誘発するアメリカ経済が均衡を保てるよう、日本の通貨制度を不安疋にしてアメリカと釣り合わせることを要求されたのである。

このプラザ合意では、「釣り合い」と「均衡」を回復するためにという大義名分が掲げられたが、それは不健全な経済を健全にするのではなく、健全な経済を同じように不健全で不均衡でインフレ過剰のものにすることによって維持されたのである。

これを実現可能にしたのが日本であり、その結果、日本は深い痛手を負った

当時のアメリカはレーガノミクスによって、巨額の財政支出にもかかわらず富裕者の税金は削減され、貿易赤字と財政赤字が増加するにもかかわらず、金融緩和策がとられ金利は下げられていた。この後に統いた通貨供給量の増加と産業の空洞化はさまざまな問題を引き起こしたが、その治療をするよう求められたのはアメリカ国民ではなく、日本だった。

日本はブラザ合意でアメリ力の抱える双子の赤字に資金援助を行なうことに応諾したのである。この治療こそ、バブル経済で知られる状況である。

やってくれるじゃないの。

★プラザ台意のお膳立て - 金本位制に代わる財務省証券制

なぜこのとき、日本はドルを支える必要性を感じたのか。この答えは、アメリカがいかにして自国の貿易赤字を他国に支払わせることができたかの理由にもなる。

貿易赤字を抱えていれば、通常は消費や投貸の抑制、さらには歳出削減や冨裕者、特に不動産役資家への増税を行なう。そのために景気は減速する。

では、アメリカはいかにしてこれを回避したのか.

ドルの還流政策がとられ始めたのは、アメリカが金本位制を廃止した1971年であった。

べトナム戦争でアメリカは海外に莫大なドルをぱら撒いていたため、世界中の中央銀行が米ドルを一オンス35ドルで金に交換し始めた。しかし、日本のように国際収支が黒字の国は継続してドルを受け取っていた。

たとえば、べトナムのアメリカ兵が休養と娯楽のために日本に送られてくると、アメリ力は日本で使うために何十億ドルもの米ドルを円に交換した。

この間のアメリカ経済は、消費財ではなく、いわゆる「ペンタゴン資本主義」とも言える武器製造に集中した。原価に術定の利益を加算する原価計算方式によって、企業の経営者は製造費用をできるだけ高くし、価格にそれを反映させて儲けたため産業界は豊かになった。

しかしこれは市場競争にとってよい経験とはならなかった。コスト削減意識が培われなかったためである。

政治制度もまた、べトナム戦争とそれに関連する軍事支出に反対する多数の団体を買収することで成り立っていた。

このような状況下でアメリカの消費者は急速に、自動車や電化製品などを海外のサブライヤ-から購入するようになっていった。

日本製品もアメリカ市場で売れるようになったが、日本のメーカ-はそこで得た米ドルを日銀で円に交換し・その円を生産設備の充実や住宅その他の投資に便った。日銀は集まったドルの使い道を決めなければならなかった。

フランスでは、ドゴ-ル将軍が余剰ドルを毎月「金」に換えていた。しかし敗戦の痛手から抜け出せなかったためか、日本は他の主要国に比べて「金」の保有高を少なくするようアメリカに圧カをかけられた。つまり、余剰ドルをアメリカ保有の金や、さらには公開市場でも金に換えないように要請されたのである。

ふむふむ

したがって、日本の輸出業者やその他のドル受領者が稼いだドルのうち、輸入やアメリカへの民間投資に必要な分を除いた余剰ドルを日銀はどうすることもできなかった唯一残された選択肢は、日銀がドルを外貨準備金として、財務省証券の形で保持することだけだった。このようにしてアメリカの対日貿易赤字は、日銀を経由してアメリカの財務省に還流していたのである。

通常は、貿易赤字を抱える国はなんとかしてそれを穴埋めしなければならない。

米ドルが「金」にリンクしていた1971年まではアメリカは、「金」を売却することで赤字を埋めていた。しかし、アメリカの金保有高が底を尽きはじめると、金本位制を廃止して、別の方法を選択したのである。

つまり、金利を上げて民間部門を外国資本に引きっけるのではなく、日銀に余剰ドルを財務省証券に投資するよう働きかけたのだ。財務省証券の利率は当時の市場の状態(およびその後のドル安)を考えると低かった。日銀がこの財務省証券で得た金利は、アメリ力の投資家が海外直接投資で稼いだ金利よりずっと少なかっただろう。

アメリカに還流した日本の資金は、日銀の余剰ドルばかりではない。日本が金利を意図的に低く仰えることによって、アメリ力への投資は儲かるという幻想を抱かせることになったのである。

それは、確実に日本全体の経済を歪めていった。つまり、アメリカの外交官が日本の高官に圧力をかけたのと同じように、日本政府は日本の投資家に「アメリカに投資しなさい」とささやきかけたのだ。

その結果は、もうお分かりだろう。バブル当時、多くの日本企業がアメリカの不動産や企業を買収し、またドル建て債券に金を注ぎ込んだが、その多くは膨大な損失となって日本経済を餌む一因となったのである。

こうしてアメリカは、金本位制から財務省証券制とでも言うべき体制を作り上げていった、そうして、まるで詐欺のような財務省証券制の成立に、もっとも貢献したのが日本なのである。

日本は詐欺の片棒を担ぐというより、自国の経済を犠牲にしてアメリカに協力したのだ。
(強調は雅無乱による)

っ…………

もう言葉も出ない…

そして、バブルとその崩壊のせいで10年が失われ、次に連中はハゲタカとなって別の手段で日本を襲う準備が整ったというわけだ。

っ…………


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日本をガタガタにした「バブル経済」とその崩壊って何だったのか

2007年07月21日 | 雅無乱日記

さて、前のエントリー「金あまり」によるその「余った金」の投資先として目を付けられたのが、それまで値上がりし続けてきた(つまり「下がることがない」という神話があった)土地(と株)である。

単純に言うと「さしあたり使うあてもないし、設備投資に使っても儲かるとは限らない。だったら、とりあえず、“必ず上がる”土地でも買っておくか」ということだったのだろう(土地への投資は“ローリスク・ハイリターン”であるという幻想が当時はあった)。

土地というものは(株もそうだが)、「上がるから買う」「買うから上がる」、ということでとめどなく相場が上がっていく構造を持っている。一度上がり始めると、「まだ安いうちに土地を買っとかなきゃ損だ」ということになり、欲しいという人が集中する。そうなると「欲しい奴はなんぼでもおるんやから、そんな安値では売れへんな~」ということになって、どんどん、どんどん地価が暴騰していくわけだ。

しまいには、払わなきゃいけない「金利」と計りにかけて、金を借りてでも土地を買う人まで出てくる。借金して、土地や株に投資して、タイミングよく上がった土地を売れば、な~んもせんでもボロ儲けできるわけだから、あくせく働くのはバカらしくなる。要するに資金運用の要領の良さこそが全てであって、「コツコツやる奴っつぁご苦労さん」(byクレイジーキャッツ)ということである。「バブル時代に日本人の精神は腐ってしまった」とよく言われるが、それはこの価値観に富裕層がどっぷりと染まってしまって、その後もそういう濡れ手に粟のオイシイ思いができないか…という幻想をいまだに捨てきれない事を指しているのであろう。

このようにしてダブついた投資資金が集まることで‘90年代初めに上がるだけ上がった株や土地が、ついに“暴落する”という事態になる。それが「バブルの崩壊」である。つまり
「土地は絶対に上がる」「株は下がるわけがない」という“神話”の崩壊である。

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よくよく考えてみると、実質価値のそれほどないものが、多くの人が欲しがるという理由だけでバカみたいに高い値がついているわけで(参照:「オランダ・チューリップバブル~そのとき人はどう行動したか~」)、「こんなもんがそんなに高いのはなんぼなんでもおかしいのでは?という共通認識が一気に市場を駆けめぐればおしまいなわけだ。

大量の人間が、少しでも高い値を付けているうちに、少しでも早く売りぬけようとすることによって、一気に暴落が加速する(これは、何度か日本や世界を襲った株価大暴落で、もうおなじみである)。


さて前振りが長くなってしまったが、「不良債権って何であんなに増えちゃったの?」というもともとの疑問にやっとたどり着いた^^;)。

まず、空前の「金あまり」状況に対して、バブルの初期に金融機関は、(今にして思えばだが)そもそも担保に見合わない金額を返済能力の乏しい対象に貸しまくっていた、という状況がある。

前のエントリーでも書いたように、「設備投資をする企業」という重要な借り手が減っきたという流れもあり、金融機関としても、豊かになった国民から集積した大量の資金をどこに貸して金儲けするか(眠らせておいても何の意味もない。あるのだったら何がなんでも運用して少しでも儲けなくてはならない…思わせるのが「金」の魔力である)、ということに困りはじめていたと考えられる。

そこで、金融機関は、とにかく人々に借金をさせるために、いろんなことをしてきた。

当時より、「土地」(や「株」)は将来必ず上がるという神話があった。そこで、「あなたの土地は将来こんな高い価格になると見込まれるので、それを担保にすれば、こんなにたくさん金を借りることができますよ」と耳元でささやくことによって、金を借りる人間(一般富裕層や企業も含む)を次々と発掘していったのである。

また、こんなことも行っただろう。「この土地は、我々の査定によると将来これくらいの高い価値を持つようになるから、今のうちに、銀行から金を借りて買っておかないと損ですよ」。金融機関としては、利子を付けて返してくれる保証のある限りは、できるだけ多くの人や企業に金を貸せば貸すだけ、金利による収入が増えるわけである。「土地神話」や「株神話」(「土地や株は下がらない」)があるので、それをもとに金融機関がどんどん甘い基準で資産を査定し、金を貸しまくったのがバブルの直接原因だろう(裏の原因についてはまた後日エントリーする)。

では、地価が下がり始めた時点で、金融機関はなぜ担保(地価)に見合わない債権を抱えつづけたのだろうか? 

金融機関としてはバブルの気運に酔いしれて、本来借金を返す能力のない対象に、己自身が甘い査定することによって金をガンガン貸してしまった。多額の借金との価値が釣り合わなくなってしまった土地を、借金の担保に押さえたとしても損が確定するだけである。それならば、借金の利子だけでも払い続けてもらった方が、自分の甘い査定の責任は追及されないし、(さしあたりは)目に見えて損するわけでもない。それが、債権を抱え続けた理由だろう。

いずれ地価が上がるのを待っていたというのもあるだろうが、まあ読みが甘いとしか言いようがない。

とにかく、塩漬けにしたまま5年も6年も放置し続けた。おかげでその間に、借金の返済どころか金利を払う能力さえ失った人や企業が雪だるま式に増えてしまって、収集がつかなくなってしまった。

不良債権を抱え続けた理由のもう一つは、土地は所有者を動かさない限りは価値を曖昧にしておけるということだろうか。債権処理あるいは取引で実際に査定し直したとたん、実は雀の涙ほどの価値しかないということが判明したら、計上しなくてはならなくなる。だから、破産を認めず、金利だけでも払い続けさせることで、問題を隠匿し、明るみに出ないようにさせていたわけだ。

金融機関が不良債権の開示や処理に対してなぜ消極的だったのか?という疑問もこれではっきりする。

上にも書いたが、不良債権が増えてしまった原因は、そもそも甘い査定で担保を見積もって、本来返済能力の無い対象に金を貸しまくった金融機関自身にあり、バブル経済の気運に合わせて踊った自らの非を認めたくなかったのだろう(少なくとも経営陣は責任を追及される)。

また、「実はうちの銀行、不良債権を大量に抱えちゃってます」なんてことを正直に言おうものなら、当然、預金者が忌避して、銀行に押しかけて片っ端から預金を下ろす → ひどい場合は倒産に追い込まれる(取り付け騒ぎ)可能性さえある。だから、銀行がつぶれた場合にも預金者の預金を国が保障するという制度がつくられたのである。そして「取り付け騒ぎ」という最悪の事態は避けられ、統廃合を繰り返しはしたが、なんとか銀行は首をつないだわけだ。「なんでわしらの税金が、そもそもバブルの原因を作った銀行なんかを助けるために使われなあかんねん」といった人々の声はいまだ無視され続けている・・・)。

あまりに大雑把な分析かもしれないが、概ねこんな風に捉えられるのではないだろうか。考えれば考えるほど腹が立っくるが、まあこれもバブルに浮かれた日本人全体の責任として、なんとかするより仕方ないのだろう。

しかしほんとにそれだけか?と言われるとどうも釈然としない。

野村證券のHPを見ても
http://www.nomura.co.jp/terms/japan/ha/bubble_e.html

そもそも日本がバブル経済に突入したきっかけは「プラザ合意」にある、と書いてある。

この合意を受け、急速な円高が進行した。プラザ合意前日の東京市場では1ドル=242円であったが、1985年末には、1ドル=200円を切るまでの円高が進み、さらに、1988年の年初には、1ドル=128円をつけるまで進行した。

円高で競争力の落ちた日本国内の輸出産業や、製造業を救済する為に、円高対策として、1987年2月までに5回の公定歩合引き下げが行われた。当時としては、戦後最低の2.5%となった。金融市場では、急激な円高により、米国債券などに投資していた資金に為替差損が発生した。その結果、運用資金は為替リスクのない、国内市場に向けられた。

そこで、株式市場では株価が上昇し、不動産市場では地価が上昇した。さらに、資産の増大が、個人・企業の含み益を増大させ、担保価値や資産価値が増大することで金融機関による融資も膨らみ、バブル景気が起こった。

「バブル」は、破竹の勢いだった日本経済を失速させ、自国の「双子の赤字」を何とかするためにアメリカによって強制的に起こさせられた…と考えられるのではないだろうか?

この事については、またいずれ書いてみたい。


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バブル経済の構造とその行方~

2007年07月19日 | 雅無乱日記

米国株式市場でNYダウが史上最高値を連日更新している。

2007年7月16日(月)には13,950ドルと14,000ドルの大台寸前まで上昇。
2007年7月12日(木)には4年強ぶりの大幅上昇となる前日比283ドルの上昇を示した。

現在、NYだけでなく中国やインドなどの株価もバブル化していて、いつはじけてもおかしくない状況にあると思われるが、この「資本主義」というシステムを考える上でも、未来を予測する上でも、この「バブル経済って何?」というのは、考えておく必要があるだろう。

なんせ日本は、バブルに踊ったツケとして「失われた10年」と言われる状況を経験し、その間に
ドラマ『ハゲタカ』にあるように足元を見られて外資に喰いものにされたわけである。それに「構造改革」や「民営化」なるものの必要性がさかんに叫ばれて政局に大きく影響しているのも、もとはと言えば、このバブルの狂乱とその崩壊後の停滞が原因だろう。

素人なりにこのへんを振り返ってみたいと思う。

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ドラマ『ハゲタカ』では、外資系ファンドが不良債権を二束三文で次々と買い叩いていく様子が描かれている。

バブルとバブルの崩壊のおかげでハゲタカのエサである不良債権がたんまりできたわけだから、「それって何やねん」というとこらへんから迫ってみよう。

「不良債権」を考える上での中心的な切り口は、「金あまり」「投資」「借金」「金利」、そして「土地神話」「株神話」だと思う。

まず、バブルの前提には「金あまり」という状態が前提になっている。この「金あまり」というのはどういうことなのだろうか。

高度経済成長がほぼ終わった'70年以降、飢えるほどの貧困は日本ではほぼ消滅した。それまでの主要な活力源は、大雑把に言えば「貧困や飢えから逃れたい」というエネルギーだったと思われる。

飢えている状態で、今日・明日食べる飯を何とかしなくてはならない(少なくとも明日食べるものに不安があるという状態)。そのために、権力者の用意した活動(仕事)をして、お金を儲けて、それをすぐさま飯なり生活必需品の購入に使って自転車操業することによりかろうじて生きていく状態である。

貧乏人には選択の余地などなく、そうせざるを得ないのでそうしているのだが、ケツに火がついている状態なので、これが生み出す活力は強力なものだ。貧乏人が大多数を占め、その彼らには“「金」も「モノ」もまだ十分は行き渡っていない”という状態、さらに“金を手に入れれば即座にモノに代えて生活をしていかなくてはいけない”という状態が、いわば「つくれば売れる」という時代の前提にあったと考えられる。

これについては、以前のエントリーに書いた事があるので参照されたし。

「豊かになったのに労働時間が減らないのはなんで?」(生産をめぐる時代状況の変化についての論考)

さて、高度経済成長が終わった'70年以降、メシも含めて生活必需品が大多数の人々に行き渡るようになり、潜在的には「つくれば売れる」時代は終焉した。'70年代から'80年代前半は、潜在的な物的欠乏は衰弱していたのだが、それでも「貧困や飢えへの不安」が惰性で続いたというのと「相対優位の欠乏(ライバルより豊かになりたい、もっともっと豊かになりたい)」をメディアによって無理矢理喚起され続けていたために、大衆にはまだ「欲しいもの」がたくさんあった(そんな気にさせられていた)。だからまだ、設備投資をして新しいものを作れば、それなりに失敗する確率が少なく成長でき、金もうけができたわけだ。

ところが、'80年代になり、「つくれば売れる」時代の終焉がいよいよ表面化してきた。要するに、買わなくても「間に合っている」という気分…、そして「そんなにまでして必死で働いて金儲けしなくてもええやんか…もうしんどいわ」という時代の気分が、多くの大衆に浸透したのだ。

「金」というのは、ふつうは、ただ持っているだけでは物価の上昇と共に目減りしていく。

金をたくさん持っている人間は、それを「いずれ必要になるときまで、うまく運用して増やしておこう」と考えるものだ。

'80年代後半になると、次のような理由で、それまで「投資」によって甘い汁を吸っていた人にとっては、困った状況が生じてくることになる。

その一つは、「“金儲けしてやろう”という野心を持っている、金を借りてくれる貧乏人」の減少である。

投資する側の人間にとって、「豊富な金儲けのアイディアと、金儲けの野心・活力の二つを備えた人間」、そして、そういう野心家に素直に付き従っている「メシを食うために必死で働く労働者」というもののセットは、「投資」して儲けるための絶好のネタである。しんどい仕事は他人にさせて、「野心家」が「雇われ人」を遣って儲けが出た暁には、利子や配当を付けてがっぽり返してもらう。「金儲けしたい野心家」と「雇われ人(実質的には奴隷)」は、そのためのいいカモというわけだ。投資家は、「投資」という行為さえしていれば、自分は昼寝をしていてもらくらく金が儲かるわけである(投資先さえ誤らなければであるが…)。

時代が豊かになってきて、「必死で金儲けのためのアイディア出す起業家」と「必死で働く労働者」、つまり金儲けで眼をギラギラさせている人の数が減少すれば、金持ちは「金を貸しているだけで昼寝していても金儲けできる“ネタ”」というのを失って、困ったことになる。

それに加えて、消費者の視点から見て「モノはもう間に合っている」という気分の人が増え、モノが売れなくなってきて「設備投資をしても必ずしも金が儲かるとは限らない」という状況も生じてくる。そして、設備投資ができる余裕のある企業でさえ、設備投資に金をまわすのを控え、「余剰資金をどう運用しようかなぁ・・・」などと考えるような状況になってくる。

さらに、一般大衆における富裕層の増大も、困った状況を後押しする。これら数が増えた一般の富裕層も、わざわざ自ら仕事をやって金を儲けるより、いやな仕事をやってくれる「活力のある貧乏人」に投資して自分は昼寝して金儲けできないもんだろうか、それが無理ならより儲かる可能性がある投資先はないのだろうか、と考え始めたのだ。

つまり「金あまり」とは、より儲かる投資先を求めて「楽して金儲けしたいと考える、増加した富裕層の資金」がダブついた状況、と捉えられる。

さて、長くなったので今日はこのへんに^^;)


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『パパラギ』から「資本主義システム」について考えてみる

2007年07月14日 | 雅無乱日記
「市場」のパラダイムをその外から見たらどんな風に見えるのだろうか。それを想像することで、市場システムにどっぷりと浸かったままでは見えにくい根本の価値観の違いが浮かんでくるかもしれない。

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ある日曜の朝に久々にTVを見ていたら、次のような番組をやっていた。

タイには少数民族が多数暮らしているが、共通語のタイ語も話せない人々が多く、学校もあるが、施設も粗末で、進度に合わせたクラスわけもままならない状態のところがほとんどである。あるタイのTV番組のプロデューサーは、TVで呼びかけて寄付金を募り、それぞれの少数民族の村に小学校を建て、そのプロセスを放映する番組を作っている。その人物を取材して、どんな活動をしているのかを紹介する、という番組だった。

番組の基調は、「未開」である彼らに「まっとうな教育」を施すために、資金を集めて学校を建設し、それを番組にしたてて放映して寄付やボランティア活動を盛り上げようとしているタイの番組プロデューサーを、ただただ称えるもの。

僻地の村に住む少女の母親は、病気なのに医者にもかかれなかった。その少女は、医療を学ぶためにもタイ語の勉強がしたいのに、教育機関がない。そういった村に朗報が・・・・その敏腕プロデューサーが、ボランティアと地域の人々の協力で僻地の村に学校を作っていく・・・

そんなふうにして番組は展開していった。

番組の途中から、たまらなく苦々しい思いがあたまをもたげてきた。

学校ができて、彼らの村はこの後どうなっていくのだろう。

学校ができたのは仮によしとしよう。共通語のタイ語を学んだ子供達は、きっと目先の豊かさを求めて労働者として都会に流出し、村は過疎化し、その少数民族の文化も集団そのものも危機に瀕することになるだろう。

あるいは、それまではその少数民族以外にとっては未開の地で、細々と彼ら自身の生活が営まれていたかもしれないが、彼らのもとに「市場化」「グローバリズム」という波が襲ってきて、「この山を○○バーツで売ってくれ」などと言って買い叩こうとする商人達が都会からやってきて、彼らみんなの生活の場は誰かの所有物となっていくかもしれない。
そして、そこに開発の手が入り、彼ら自身が食べていくために、彼らがそれまでの生活糧としてきた環境を破壊する労働(木材の伐採や道路やダムの建設など)に、法外な安い賃金で従事させられたり・・・・

そのようにして、中南米、アジア、アフリカなど世界各地で、彼ら自然とともに生きてきた人々の生活は完膚なきまでに破壊されてきた。

きっと、思慮深い村の長老たちは、この先どういうことになるのかを予測して、学校ができることを、おそらく快く思っていないだろうと私には思えた。

そう、昔読んだ「パパラギ」http://www.aritearu.com/Influence/Native/NativeBookPhoto/Papalagi.htm という本にあった酋長のツイアビの言葉が想い起こされた。

 (略)大いなる心は、私たちをアイツウ(悪魔)から守ることによって、私たちを愛してくださった。お金がアイツウである。その仕業はすべて悪であり、悪を生む。お金にさわったものは、その魔力のとりことなり、それをほしがるものは、生きているかぎり、その力もすべての喜びもお金のために捧げねばならない。もてなしをしたからといって何かを要求したり、何かをしてやったからといってアローファ(贈り物・交換品)をほしがるような人間を、私たちは軽蔑する。という尊いならわしを、私たちは大切にしよう。ひとりの人間が、他の人たちよりずっとたくさんの物を持つとか、ひとりがうんとたくさん持っていて、他の人びとは無一物、というようなことを私たちは許さない。そのならわしを大切にしよう。そうすれば私たちは、隣の兄弟が不幸を嘆いているのに、それでも幸せでほがらかにしていられるあのパパラギのような心にならずにすむ。・・(略)

 (略)私たちはさらに誓いを立て、彼らに呼びかけよう。私たちに近づくな。おまえたちの喜びと快楽を持って私たちに近づくな。腕にも、頭にも富を求め、かき集めてきた野蛮な略奪物を持って私たちに近づくな。兄弟よりも豊かであろうとする貪欲さ、たくさんの無意味な行ない、むやみやたらに手を動かす物作り、好奇心だけでものを考えて、なんにも知らない知識、そういうがらくたを持って私たちに近寄るな。むしろの上のおまえたちを、安らかに眠らせることさえしないあらゆる馬鹿馬鹿しい行ない。そういうものを、私たちはいっさい必要としない。私たちは神さまからたっぷりといただいた、気高く美しい喜びでじゅうぶん満足できる。(略)

そのTV番組に出てきたプロデューサーとやらがやっていることは、本質的には、その民族の生活や文化を崩壊させることに他ならない。

私には、その活動が、戦後アメリカが日本にしてきたこととダブって映った。

番組には、そういった視点が全く欠けていたので、思わずそれを口にすると、当時の彼女と言い争いになった。

彼女の主張はこうだ。

「学校を作るのはええことやん。彼らが教育を望んでいるから、それを与えてあげるんやで」「あんな汚いところに住んで、教育も受けられない、医療も受けられないなんてかわいそう。彼らにもそれを受ける“権利”があるでしょ」「プロデューサーは報道するだけじゃなく、実際に呼びかけて、金を集めて、自分も大工仕事に精を出してるなんて、すごい偉いやん」「村の人たちがそれを望んでいるのに、自分自身は教育も医療も享受しながら、彼らにはそのままでいい、なんて言って価値観を押し付ける権利があなたにはあるの?」

つい「善意だろうがなんだろうが、こいつのやってることでこの少数民族の村が必然的に崩壊していくってことが分からんのか?!アホかおのれは!」などと感情的になってしまって、実に説得力を欠く話になってしまった。だが、私が上で述べた視点が番組に欠けていて、それが重要だというところまでは最後にはようやく共有できた(ように思うが、どうだっただろうか…)。しかし、何かとても虚しかった。

「市場」に組み込むことで彼ら少数民族の生活を破壊し、彼らから資源や労働力を搾取しようとする人々(システム)は、自分たちのその行為を「かわいそうな彼らのために施しを与える」という都合のいい観念で美化している。

何世紀か前から、世界中を侵略して有色人種を奴隷として売買したりこき使ったりを平気で行ってきたエゲつない連中がいる(彼らは現在も形を変えて同様のことを行っている)。彼らは当時、「神も信じていないかわいそうな連中にキリスト教を布教してあげるのが、我々の聖なる役割だ」と思い込み、実際に布教して洗脳した後、奴隷商人と軍隊を呼び寄せて、その土地の資源や冨を掠奪し、もともとその土地に住んでいた人々を奴隷として酷使してきた。

「恵まれない人々に学校を」という、さも美しげな観念のオブラートに包まれてはいるが、タイの村で今起きようとしているのは、それとまったく同じ事である。

私が見たその番組では、その美化された都合の良い価値観以外の視点は一切排除され、一面的な採り上げ方しかしていなかった。

その番組を作ったTV局・番組制作会社の欺瞞(あるいは欺瞞ということを自覚さえしていないのかもしれない)には、この番組を見たほとんどの人は気づかないだろう。そして多分、私の当時の彼女と同じように「寄付金を集めて、ボランティアで学校つくってあげるんだ。世の中には立派な人もいるもんだね~」という感想を持つのだろう。実に恐ろしいことである。


      ==================================================

さて、現在の市場原理は、金持ちはより金持ちに、貧乏人はより貧乏になるようになっている。それを放置したままだと、システムそのものへの反感から社会秩序が保てなくなる(詳しくは、当ブログ“格差社会で繰り返される「アメリカンドリーム」による洗脳…『幸せのちから』”)。だから、「福祉」とか「寄付」とかいう欺瞞で、その綻びをちびちび塗り固めてごまかしながらやってきた。

勝ち組、搾取する側にとっては現在の社会システムには何の問題も感じられない(むしろ、こんなオイシイシステムはずっと続いてもらいたい、と思っているだろう)。

日本は、欧米が世界に対して行っている搾取のおこぼれにあずかっているから、世界全体から見れば「勝ち組」の側である。だから、「市場システムってどうなん?」という問題提起がされても、「自分はそこそこ生活も豊かだし別になんの問題もない。いいんじゃないの?今の社会システムで」ということになるだろう(それか、まったく疑問さえ持たないか)。そんなことより、既存の市場システムの中でいかに上位に食い込めるか、そこんとこのノウハウをお手軽に教えてもらいたいもんだ…と。

本当にそんだけでいいのかなぁ?

市場は、搾取する対象を広げることによって拡大してきた。しかし、その対象は有限である。

また、搾取される人間や、意志に関係なくシステムの中で労働させられる人間の肉体や精神の様々なところに軋みが生まれており、それも無視できない社会問題になっている。勝手にルールをつくって「市場システム」や「市場のルール」に適応できない奴が悪いんだ…ということにはならないだろう。

そういう意味で我々は岐路に立たされており、システムそのものを見直す必要にいずれ迫られるであろう。

その時のために、このシステムを俯瞰して問題点を追究しておくのは、意外と意味深いことなかもしれない。

<次につづく>


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原爆投下という人類最大の愚行を正当化するアメリカの情報操作がココにも…?

2007年07月10日 | 雅無乱日記

私は広島出身というわけではないが、誕生日が8月6日ということもあり(誕生日の朝に毎年甲子園でサイレンが鳴って黙祷がささげられる)、子どもの頃から人より原爆や戦争について考えることが多かったように思う。

私が初めて平和記念資料館(原爆資料館)を訪れたのは、たしか中学1年の時だっただろうか。

焼けただれて皮膚がはがれ落ちた人、黒こげの炭になった死体、ガラスの破片が無数に突き刺さった少女、死体に埋め尽くされた河原、そして積まれた死体の山。

こういった写真が強烈に脳裏に焼き付けられた。

しばらくの間は、目をつぶるとその写真の光景がはっきりと思い浮かぶほどだった。

「こんな惨いことを、人間が人間に対して行ったのか!」「こんなことは絶対に繰り返してはいけない」と子ども心に強く思ったものだった。



ところが、10年程前、従兄弟の結婚式で広島を訪れ、再び原爆資料館を訪れたとき、非常にショックを受けた。

資料館の雰囲気も展示の中身も、ガラリと変わっていたのだ。

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久しぶりに訪れた「原爆資料館」。

まず驚いたのは、海外からの観光客の多さだった。

ツアー客も含まれているとは思うが、3割から4割くらいが外国人だった。もちろん顔を見ただけでは、アメリカ人かドイツ人かロシア人かは分からないが…。

外国人たちは、わいわいがやがやぞろぞろと順に資料を見ていく。各資料の横に、英語と中国語の翻訳モニターがついていて、ボタン一つで切り替わるようになっていた。


「この場は完全に観光地化されている」と思った。


もう一つ、決定的な、にわかには信じがたい変化があった。

私が前回訪れたときに見たはずの、いまなお脳裏にこびりついている数々の犠牲者の方々の写真が、きれいさっぱりなくなっていたのだ。

私は、「これはぜったいおかしい。そんなはずはない」と思い、一度見終わった資料館を再度くまなく見てまわった。

しかし何度見ても、「原爆の光や熱で人の形が焼き付けられた壁」とか「被害者の少年がかかえていた黒こげになったお弁当」「被害者が着ていた服の切れ端」などの、間接的に被害を伝える「モノ」だけで、被害者の方々の姿はまるっきり無くなっていた。

展示のメインは、リトルボーイや当時の広島市街の模型に変わっていた。

>「爆心地における衝撃波の圧力は1平方メートル当たり35トン、突風の速度は1秒当たり440メートル」

>「爆発1秒後に最大直径約280メートルの高温・高圧の火球が発生しました。火球は強烈な熱線を約3秒間放射し、約10秒間輝き続けました。爆風の先端を進む衝撃波(しょうげきは)は、30秒後に爆心地から約11キロメートルの距離まで達しておとろえました」

>「急性障害は被爆後4カ月間に現れた病気で、熱傷や外傷による症状のほかに、初期放射線による特徴的症状として、爆心地から1.5キロメートル以内の被爆者に脱毛、出血、白血球減少が顕著(けんちょ)に現れました」


(平和記念資料館HPhttp://www.pcf.city.hiroshima.jp/より引用)といったような、原爆の物理的な威力の説明と、淡々とした被害報告の展示ばかり。

実際の「平和記資料念館」の基本展示も、上のHPのとおりで、目を覆いたくなるような写真は一切なく、唯一、白血病のためにやせ細った人の写真が最後の最後に小さく展示されてあるだけだった。

原爆の威力の科学的データは明らかにアメリカの提供によるものだろう。

私は、このような資料館の中身の転換の背景に、自分たちの残虐行為を隠蔽しようとするアメリカ側の圧力を確信している。

あのような欺瞞だらけの展示であれば、あろうことか彼らアメリカ人は、罪の意識どころか、「パパ、原爆ってすごい威力だったんだね~」「アメリカが造ったんだよ。アメリカの科学力ってすごいよね」とでもニコニコと会話を交わしながら、観光バスに乗り込んで次の観光地の宮島かどっかに向かうのだろう。

広島に落とされた原爆は、14万人の命を一瞬にして奪い、その後、じわじわと後遺症で約23万人の命を奪ってきた

そして、長崎の原爆の死者は、即死状態で7.4万人。もがき苦しみながら死者の列に加わったのが、現在までに5万人以上

アメリカは、50万人もの非戦闘員をこの兵器で殺害したのである。
しかもただ殺しただけではない。実験台として観察し、データを採っていたのである。

             ↓
http://blog.goo.ne.jp/nanbanandeya/e/4ad76e0e215f4a6802892b637eb40cd4

なのに彼らは、原爆の投下が「何百万人もの人を救った」などとふざけたことを本気で信じている。それ自体、頭がイカレているとしか思えないが、展示内容が己が行った残虐行為を見えなくさせるようなものだったら、彼らは真実に気付くこともなく、50万人が苦しみもがき死んでいったことに対してハナクソほどの関心もよせないだろう。

原爆資料館のあまりの変貌振りに驚いた私は、後日、資料館に直接電話をかけて確認してみた。

電話に出られた資料館の担当の方(お電話の声や話し方からみて30代の男性?)も広島のご出身らしく、「子供の頃は入るのも怖かったけれど、今は展示全体が明るくなっている」という、私と似たような感想をお持ちだった。

実際、「昔展示してあった、焼けただれた少年の顔の写真などが展示から外されている」とおっしゃっており、「刺激の強い写真などが展示から外されてきた傾向はあるかもしれない」と明言はしないながらも(立場上しかたないのか?)認めておられた。

資料館は、数年おきに展示更新をしているらしい。

東館と西館に分けた平成6年の6月の更新の時に、大幅に展示が入れ換えられたそうだ。

「展示は、いったい誰がどうやって決めているのか?」

私の質問に、彼は、「学識経験者が集まって決められる」と答えた。

そこに不透明な圧力があったのか、それとも自主規制なのかは、電話でしつこく聞いたけれど分からずじまいだった。

このニュースを見てほしい。
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200705310023.html

>原爆資料館(広島市中区)を運営する広島平和文化センターのスティーブン・リーパー理事長は30日、館の展示内容を見直す検討委員会に、中国、韓国人らアジア出身の委員を起用する方針を明らかにした。リーパー理事長は中国新聞のインタビューに、「原爆投下を『日本の植民地支配から解放した』と肯定する考えが根強いアジアの声に触れながら議論を深め、多民族が共感、納得できる施設にしたい」と述べた。

スティーブン・リーパー理事長っていったい何者なんだ?どこの国の人間だ?

参照:東アジア黙示録
http://dogma.at.webry.info/200706/article_1.html

>原爆投下を『日本の植民地支配から解放した』と肯定する考えが根強いアジアの声

おのれらの犯したジェノサイドを、よくもまあそう都合よく解釈できるものである。

ファルージャで大量にイラクの民間人を虐殺したことも、そうやって彼らは正当化してきた。

この発言は、久間氏の「しょうがない」よりよっぽど問題発言ではないのか?なぜマスコミはもっと大きく報道しないのだろうか?

とにかく、現状の原爆資料館が、このようなわけのわからない価値観を持つ人物によって運営され、展示内容を都合よく変えられ、単に外国人観光客がわいわい言いながら楽しむ場所にされているという事は確かなようである。

人類最大の残虐行為、最大の愚行が、多くの人々の死や苦しみが、単なる「観光のネタ」かよ…

そんな事が許されていいとはどうしても思えないのである。


※被爆した後、内科医になられた寄田享氏のHP
 「核のない平和な21世紀を!被爆体験を通じて」
 http://ww2.enjoy.ne.jp/~yorita/index.html
 より、画像は転載させていただいています。

※追記:平和記念資料館では、平成13年より始まった企画展でわずかながら被害者の方の写真も展示はしているようです(平成15年)。

※一方的書き方になってしまいましたが、被害者の方の写真を展示から外すのには、被害者の方々やご遺族の方々に配慮して、あるいはあまりの悲惨な写真への自主規制、という理由もあるとは思います。しかし、それらの理由は、自らが行った残虐行為を認めたくないアメリカの詭弁(彼らはそういう詭弁をしょっちゅう使って人を騙す)で、このアメリカの残虐行為はありのまま世界に伝える事の方が重要なのではないかと考えます。


自民党CM「年金すべて保証します」を、TV局はウソ・誇張…と判断した

2007年07月07日 | 雅無乱日記
                        ※画像はTrend Review 2007/06/18より

当然のごとく消えてるのでキャッシュで見るべし。

「年金すべて保証」誤解招く TV局難色で自民CM変更 (2007年07月01日07時04分 asahi.comキャッシュ)

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「年金すべて保証」誤解招く TV局難色で自民CM変更

 現在放送されている自民党の参院選向けテレビCMで、当初、広告会社が提示したCM内容に民放側が難色を示し、表現の一部が変更されたことがわかった。

 参院選の焦点となる年金問題について、放送中のCMでは安倍首相が「年金の全額支払いに責任を持って取り組んでいます」と語っているが、関係者によると大手広告会社が6月中旬、民放各局に提示したCM案のナレーションでは、「皆様の年金は責任を持ってすべて保証します」となっていた。

 このCM案に対して複数の民放局が「すべて保証します」という表現について、「実現可能性がはっきりしない約束をしている」「視聴者に誤解を与える恐れがある」といった点を指摘。「局内の考査基準に照らして放送には問題がある」とする局が相次いだ。

 日本民間放送連盟が定めた放送基準には広告表現の項目に、「視聴者に錯誤を起こさせるような表現をしてはならない」などの取り決めがあり、民放各局ではこの放送基準を基に独自の考査基準を設けている。複数の東京キー局は、自局の基準に従いCMの一部の表現を再考するよう求めたことを認めている。

 自民党では当初、21日に参院選向けのポスターと同時にテレビCMを発表する予定だったが延期した。関係者によると、25日になって広告会社から修正案が民放局に提示され、各局が了承。翌26日に自民党が発表した。

 放送中のCMは15秒と30秒の2種類あり、どちらも、白いシャツ姿の安倍首相が登場。まず「自民党は約束します」と語り、年金問題のほか「日本のリーダーシップで温暖化ストップ」といった首相のナレーションが続く。
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修正前:「皆様の年金は責任を持ってすべて保証します」
     ↓↓
修正後:「年金の全額支払いに責任を持って取り組んでいます


…というわけで政府の広報機関に成り下がってしまった民放TV局でさえ、「年金制度は既に破綻してるのに、“すべて保障する”なんてできもしないことを … 自民党さん、いくら金もらってもウソは流せませんよ」と思ってたことが明らかになった。

たしかに、普通の若者なら、「年金制度はもう破綻してる」「カネを払ってもどうせ俺たちにはもうまわってこないな」なんてことは直感で既に分かっていることだと思うけど…。

でも、まあとりあえず、そんなウソのCMが全国に流されなくてよかった…(???)

参照:年金制度の流れと、現在の年金バランスシート
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=81834
 '99年度末で切って国民年金・厚生年金のバランスシートを試算してみると、国民年金の債務超過額は39兆円、厚生年金の債務超過額は450兆円になるそうです。

過去~'99年度末までの保険料拠出によって将来、受給することが約束されている給付額を負債とすると、国民年金は85兆円の負債厚生年金は720兆の負債を抱えています。それに対する資産(積立金+国庫負担)は国民年金46兆円、厚生年金270兆円しかありません。各負債-資産額が債務超過額になり、国民年金39兆円、厚生年金450兆円、合わせて500兆円近い赤字を抱えているのです。(元資料:財務省・財政事情の説明手法に関する勉強会『国の貸借対照表(試案)』 厚生労働省篇『厚生年金・国民年金数理レポート-1999年財政再計算結果-』より試算)

今や、年金制度は破綻していると言ってもよいと思います。


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久間防衛長官の真意はどこにあったのか?

2007年07月04日 | 雅無乱日記
みなさん、7月3日の各紙夕刊のトップの、あのさわやかな表情を見ましたか?

※上の画像は、asahi.comより

なんとも割り切れないね、どうも…。


久間氏はこれまで、こんな発言で槍玉に上げられていた。

イラク戦争、久間防衛長官「米支持は公式ではない」

久間防衛長官は7日の参院外交防衛委員会で、イラク戦争に関連し、「政府として(米国の武力攻撃を)支持すると公式に言ったわけではない。(当時の小泉)首相がコメントとして言ったということは聞いているが、政府の立場として、戦争を具体的に支持する法律を作ったわけでもないし、自衛隊もそれに基づいて出て行ったわけでもないと述べた。(yomiuri:2006/12/07)

そして…

久間防衛相「イラク開戦判断は誤り」と米大統領批判

久間章生防衛相は24日午後、日本記者クラブで会見し、イラク戦争について「(イラクに)核兵器がさもあるかのような状況でブッシュ米大統領は踏み切ったのだろうが、その判断が間違っていたと思う」と指摘、ブッシュ大統領の開戦判断を批判した。

さらに戦後処理についても「後をどうやってうまく処理するか、処方箋(せん)がないままだった」と述べた。(IZA 2007/01/24 17:36)


さらに…

久間防衛相が米政府批判
  「日本の調整、理解していない」-普天間移設


「(米軍普天間飛行場移設は)沖縄県知事の意見を聞きながらやらなければならないのに、米国は分かっていない。あまりえらそうなことを言ってくれるな、日本のことは日本に任せてくれと(米側に)言っている(1月27日、長崎県諫早市での講演)

これらの発言を、属米派、従米派の自民党員が大慌てで揉み消そうとしていたのを思い出すなあ。こういう発言のおかげで、チェイニーも久間氏との会談を拒否したくらいだから、アメリカ側は相当業を煮やしていたのだろう。

しかし、つくづく言葉を選べない人なんだな…と思ってしまうが、上のいくつかの問題発言を見る限り、少なくとも彼の主張は、一貫していたように思う。アメリカに対しても言うべき事は言わなければならないということだ。

実にもっともなことしか言っていないではないか。


でも今回は、まったく逆に、


広島、長崎に投下された原爆について。

広島に落とされた原爆の死者は、即死状態で14万人。その後、累積で現在までに23万人

長崎の原爆の死者は、即死状態で7.4万人。負傷者7.5万人

アメリカは、現地に医師団を送り込んだが、それは治療のためではなく、被害にあった人々を観察してデータを集めるためだった。

この原爆投下に関しては、多くの誤解と情報隠蔽がある。
          ↓

http://homepage3.nifty.com/shiina-lawoffice/genbakmokuji.htm
http://blog.goo.ne.jp/akyoon/e/5a4b6f7e6b4cdeff283815d002eed820

アメリカのこのような行為を「しょうがない」の一言で擁護して…んで辞任?

で、会見では実に晴れ晴れとした笑顔?


どうにもわけがわからない。つながらんのですよ。

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これが実態なのではないだろうか?
    ↓
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=156034

久間防衛大臣が辞任した。

原爆発言で引責と書かれた新聞記事から久間大臣の発言を拾ってみた。

久間防衛大臣の6月30日の講演会での原爆投下に関する発言は以下の通り

「原爆も落とされて長崎は本当に無数の悲惨な目にあったが、「あれで戦争が終わったんだ」という頭の整理でしょうがないと思っているし、それに対してアメリカを恨むつもりもない。勝ち戦とわかっているときに原爆まで使う必要があったのかという思いは今でもしている。国際情勢や占領状態からすると、そういうことも選択肢としてはあり得るんだな、ということを頭に入れながら考えないといけない」~読売新聞より抜粋

久間氏の辞任はまさにマスコミが作り出した。

当人は原爆を投下されたことを擁護している発言ではないことを何度も撤回している。

彼は九州の人間で口癖でしょうがないを使う。

辞任会見でも使った「今さらアメリカをうらんでもしょうがないでしょう」という感覚が彼の“しょうがない”である。

むしろ上記の久間氏の発言で最も言いたい部分は以下の部分にある。

「勝ち戦とわかっているときに原爆まで使う必要があったのかという思いは今でもしている。」

久間氏は反アメリカの尖兵として戦おうとしていた。

アメリカを擁護する部分をリップサービスで付けながら一番彼が言いたかったことは死に体の日本に原爆を投下したアメリカは許せないという部分ではないか?

そこにスポットを当てたマスコミはいなかった。

アメリカの手下に成り下がり、最もやばい大臣を切ったことでマスコミはその権力の強大さを誇示し溜飲をさげたのではないだろうか。

久間氏の発言に意図がなかったことを私はある人物からも聞いている。

その人は只の主婦である。テレビで発言を聞いたが、あの演説からあの報道はありえないと感じたという。

「前後の文脈はだれでも聞いていれば大臣にその本意がないことは直ぐにわかった、あれはマスコミの悪意だ」と言っていた。

選挙を前にマスコミの力を示すのに絶好の機会を与えた大臣の脇の甘さは攻められるかもしれないが、国体を下げることしか考えていないマスコミにこれ以上の権力を与えてはいけない。

しかし、あまりにもアッサリと辞任…。彼を辞任に追い込むことでメリットがあったのは誰なのか…を考える必要があるかもしれない。

最後に一言(7/5追記)。

歴史は勝者によって作られ、勝者に都合の良いようにつくり変えられる。我々は勝者のつくった歴史を押し付けられ、それを真実と信じさせられている。

マスコミは、反米発言をあげつらって攻撃したかと思えば、今度は「しょうがない」発言を勇ましくバッシングして辞任にまで追い込んだが、そんな一貫性も何も無いわけのわからんことをしている暇があったら、原爆投下という史上最悪の残虐行為を行った当人対して、ハッキリとモノを言ってはどうなのだろうか


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