にほん民族解放戦線^o^

米帝→官邸→マスコミの洗脳による植民地状態からの脱却を考えてみるブログ♪主権を取り戻し、日本の未来を考えよう。

“勝ち組”まつりあげ構造とは?

2006年01月19日 | 雅無乱日記
新聞の見出しにも、強制捜査のニュースに“勝ち組の象徴にメス”の字が躍ることになった。

株価も、たかが一企業が強制捜査を受けたくらいで全面安になり、国際市場の株価にまで影響が出ているという。

市場が、この“勝ち組”がつくりだす幻想にいかに依存しているかを証明する出来事だ。

あらためて、新聞やTVでよく見かける「勝ち組」とか「負け組」という言葉を再検証してみるにはちょうどよい機会である。そもそも、いったいどんな連中が「勝ち組」でどんな人が「負け組」なのか?「勝ち組」になることは、なんとなくみんなが羨ましく思うよいことで、「負け組」になるのはなんとなくかっこわるい避けるべきことだという、中身ははっきりしないがボンヤリとした共通認識はあるような気がするが、一体その中身は何なのか。

「勝ち組」になりたい? と聞かれれば、大半の人はなりたい、と答えるだろう。わざわざ負けたい、という人はあまり居ないはず。だが一方で、現在の「勝ち組」と言われている人達を自らの同化対象(目標)として、同じ道を目指そうとする若者はごく少数である(なんとなく「あんなふうに要領よく金持ちになりたいなぁ」くらいなら多いかもしれないが目指して努力するわけではない)

今現在の「勝ち組」とは、結局のところ現在の短期的な時流=「注目」に乗っているだけであり、みんなの目指す充足可能性ベクトルには乗っていないのかもしれない。

マスコミが「勝ち組」として採り上げる人物は、社会システムの中での市場競争に突出して勝っている者であり、かつ有名な人物(マスコミが有名に仕立て上げた?)がほとんどだ。

マスコミや社会がなぜ、このようなタイプの「勝ち組」をわざわざまつりあげなくてはならないのか? その背後にある構造について、面白い記述を見つけたので紹介したい。

『乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない』(集英社新書 2005.11.22発行)http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4087203182/250-2797210-0619412の著者の橋本治氏は、「日本経済全体が、実は“負け組”なのだ」と言う。

>日本の社会は「もう完成されている」になっているのです。完成されているから、修理がしにくい。「修理をする」となったら、一挙に「壊れる」というところまで行ってしまう。(中略)だから「勝ち組」は出現しにくい。

>そして、一度出現して「勝ち組」と位置付けられてしまうと、「勝ち組の出現」を拒んでいたシステムは、今度は一転して「勝ち組」をリーダーのように扱うのです。「勝ち組」は、決してリーダーではないのです。そう簡単に、「勝ち組の出現を拒んでいた既成のシステム」が、「勝ち組」を許容するわけはありません。だから、リーダーにはせずに「勝ち組」にぶら下がるのです。「リーダーのように」とは、このことです。

>そのようにして、「勝ち組ではないが、“負け組”ともジャッジされない」の「その他派」は、自分達のシステムの中で得られる既得権益を守るのです。

>だから、「改革は、なされるべきか、否か」という議論は起こりません。「改革」というのは、そのシステムに依存する人間達の既得権益を奪うことになるものだからです。そういう前提があるのだから、「なにをもって“改革”とすべきか」の議論も起こりません。そもそも、「改革などというものはなくてもいい」というのが、「日本」というシステムの中にあるからです。

>では、「改革をすれば自分達の既得権益が損なわれる。しかし、このままではどうにもならない。自分達の既得権益は減少し続けている」という事態になった時には、どうするのか?

>「自分達はなにもしないが、誰かがなんとかするべきだ」ということになります。「牽引役としての勝ち組の登場」は、このような形で期待されるのです。


“負け組”とはまだジャッジされていない“既得権組”が、“ブラ下がるための「勝ち組」”を必要とする。この部分がポイントだと思う。

'70年代に貧困が消滅し、さらに'90年代にバブルが崩壊して以降、市場は消費を拡大してくれるフロンティアと必死で働く労働力の両輪を失い、停滞しつづけている。ここで気付かなくてはならないのは、「市場システムの構造的限界」(貧困の圧力が消滅すると活力が生み出せない構造)であり、本来考えなくてはならないのは、大前提がまったく変わってしまった(=私権パラダイムの終焉)ということを考慮した上で成立する新しいシステムである。

ところが、現状のシステムの中で既得権益を得ている一部の人々(もっぱら投資する側の人々)は、そんなことは認めたくない。

>時代が豊かになってきて、「必死で金儲けのためのアイディア出す起業家」と「必死で働く労働者」、つまり金儲けの野心で眼をギラギラさせている人が減少すれば、“投資”する金持ちは「金を貸しているだけで昼寝していても金儲けできる格好のネタ」を失って、困ったことになる…(http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=5877

飽和した(フロンティアを無くした)市場は縮小するのが必然。そんな時代に金を儲けようと思ったら、あとは人々の「欲望」を観念的に喚起して、本来それほど「必要」のないサービスを売る仕事をむりやりつくりだすしかない。

これが、例えばライブドア(や村上ファンド)に代表される新興の「勝ち組」ベンチャー企業群だ。

彼らを「勝ち組」として過剰にまつりあげ、「夢」や「憧れ」を植え付けることで現状の私権ヒエラルキーに上昇ベクトルを再生させたい。一方、“負け組”の冴えなさを過剰に強調し、不安を煽ることで、中流~底辺の人々の労働意識を再生させたい。そうすれば、新たな投資先が生まれるから、現状のシステムでまだなんとか甘い汁が吸える…

いわゆる“勝ち組”にブラ下がる“既得権組”の意識はそんな感じなのではないだろうか。

この勢力が、現在の既得権組の代弁者であるマスコミを通じて、大衆の「幻想」や「欲望」や「恐怖」を効果的に喚起している。そのための格好のキーワードが、やたらと巷に溢れ返っている“勝ち組”“負け組”という言葉なのであろう。

「市場拡大絶対」の価値観を信奉する既得権階級の意図を受けたマスコミによる、「“勝ち組”になりたい」「“負け組”はいやだ」、という中身の曖昧な羨望や不安を煽る発信に振り回されていてもしかたがない。しっかり地に足をつけて、「そのモノサシ自体がおかしいんじゃないか?」「現状の私権システムの構造的限界を認めることが出発点だ」「人々の新しい意識に合ったシステムやパラダイムをみんなで作ってく必要があるのではないか?」と本質な問いを投げかけ、具体案を提起していくことが今必要なのだと思う。

※既存のヒエラルキー上位の文化人でありながら(放っておけばベストセラーなどテキトウに書いて甘い汁が吸える立場にいながら)、本気で社会を考えて常識をひっくりがえそうとしている“橋本治”という人物は、かなりスゲーと思う。(しかも、この本、結構売れてるみたいで、それにも可能性を感じる)

というわけで、今回のライブドアショックで、思ったとおり、あれほど“時代の寵児”などともてはやしていたマスコミも“既得権者”たちも、そろいもそろってすっかり手のひらを返したようにホリエモンバッシングである。「もともとブラ下がるために利用していただけであって、巻き添えを食らうのはまっぴらごめん」といったところだろうか…。1/18のサンケイ一面の証券関係者の言葉「大手マスコミもライブドア流情報操作のお先棒を担がされていた」が重く響かないのだろうか(気になるのは、何でわざわざその時期に強制捜査なのか、である。ヒューザーと自民党森派との癒着を暴くという世論を別の話題に逸らせてうやむやにしようという魂胆では?参照:きっこのブログと疑ってしまう)。

この件で相当数の個人投資家が痛い目にあっていれば、日本のバブル化(参照:当ブログ過去ログ)にはブレーキがかかって、破綻する時期は先に延びるだろう。この事件が、「株価など共同幻想にすぎない」「市場社会は既に限界に来ている」という本質問題に人々の意識を向けさせ、地に足のついたまともな感覚を取り戻すきっかけになればと祈るばかりである。

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