安倍首相はドイツで、「そう簡単に『原発はもうやめた』と言うわけにはいかない」と発言したそうな。
ドイツは、けっして簡単に原発をやめたわけではない。ドイツの脱原発への取り組みに対する無知が、このような配慮のない発言をさせているのだろうか。だとしたら、日本の外交の行く末が非常に心配になる。
これに絡んで、今後の原発について示唆を与えてくれる映画がある。
ドキュメンタリー映画「アンダー・コントロール」(フォルカー・ザッテル監督)インタビュー記事である。
記事全文はここでも見れる → Youtube
☆動画 → ココ
実に興味深い映画なのでぜひ一度見てみることをオススメしたい。
これを見ると、安倍首相の発言が、いかに相手国への敬意を欠く発言であるかがよくわかる。
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原発は一度作ってしまうと、要らなくなっても勝手にフェードアウトはしてくれない。
ドイツは既にかなり前から、原発依存から脱却していっている。
このドキュメンタリー映画では、
ドイツの美しい森林の中に忽然と姿を現し煙をもうもうと上げる巨大な建造物を…
原発内部で、あらゆるリスクをシミュレーションして安全計画を立てる技術者を…
使用済み核燃料がゆっくりとコバルトブルーの冷却水に貯蔵されていく美しい姿を…
防護服に身を包み、ひたすら何事もないように任務をこなす大勢の原発労働者を…
使用されなかった巨大な冷却塔の跡を使ってできた遊園地で楽しく遊ぶ子供達を…
地下深く六百メートルに、鎖につながれて次々蓄えられていく放射性廃棄物を…
何十億マルクもかけて建造したのに稼動することなしに解体される原発の建造物を…
スクリーンにただひたすら淡々と映し出す。
原発推進とか反原発とかの価値観を棚上げにして見ると、責任感あふれるドイツの技術者も、防護服を着て一生懸命働く労働者も、はっきり言ってカッコいい。実に尊敬すべき愛すべき人々のような気がした。
そして、人間の技術が作り出した原発という怪物も、価値判断を排除してみると、実に美しく荘厳に見える。間違いなく「工場萌え」の人は夢中になるだろう。(目には見えない放射能を無視すれば…。)
人類のバラ色の未来を切り開くと期待され、次々とつくられてきた建造物が、23億ユーロと何十年もの歳月をかけて解体されていこうとする姿を、カメラはただ淡々と見つめる。
何とも言いようの無い異様な、そして妙な美しさのある映画であった。
原発の現場がどうなっているか、働いている人々が実際にどんな風なのか、できてしまった原発をこの世から消滅させるためにどれだけの金と人材が必要なのか、それも知らずに、なんとなく「原発いらないよね」なんてネット世論に乗じて軽々しく言っていた自分が、少し恥ずかしくなった。
だが、現実にドイツは、国家としてメリットとデメリットを秤にかけて、結果として完全に脱原発に舵を切ったのだ。それが社会の共認になったのだ。どれだけ莫大な費用と人材を投入しても原発の存在を消す他ない…という静かな決意のようなものも映像から伝わってきた。
一方、日本はどうなのだろうか。
2013年5月10日の中日新聞夕刊には、ザッテル監督のこんな言葉もあった。
そして311が起き、汚染水は太平洋に垂れ流され、現在首都圏も含めて放射能汚染はさらに進んでいる。
安倍首相はUAEやトルコに原発技術の輸出を約束した。
そして、自民党は公約に原発の再稼動を掲げる。http://www.asahi.com/politics/update/0512/TKY201305110380.html。
この状況を我々はいったいどう捉えたらいいのだろうか…
映画「アンダー・コントロール」日本語公式サイト:
http://www.imageforum.co.jp/control/
映画「アンダー・コントロール」ドイツ語公式サイト:
http://www.unterkontrolle-film.de/unter_kontrolle/
原発は確かにコストに見合わないように思う。
これ以上推進すべきではないように感じられる。
しかし、全てを長期的な目線で論じる必要性も薄いのでは?
技術は進歩するし、価値観も変化する。
その辺の振り幅を見据えて未来を論じられるといいですね。
これ、全て原子力発電の宿命的な問題点でもあった。
『夜間だから』との理由で安くなる電気代ですが、生産コストは夜間でも昼間でも同じなのです。
だから火力発電は夜間には停止される。
ところが、原発は急には止まらない。
原発比率が高いフランスは、当然夜間の電力が無駄になり、これをドイツなど近隣諸国に安く売っているのが現状で、日本でも2011年3月11日のフクシマ以前ではテレビで電力会社が大宣伝していた『オール電化』のフランス版なのです。