自宅と道志の日々

タイトルを「自宅と道志の日々」にしました。日記のようにつぶやいています

歯医者で出会った旧知の友人

2024年01月31日 | なかま道志ベース

たまたまファーストステージで部署は異なりましたが、一緒に仕事したことがある旧知の竹ちゃんと近所の歯医者さんでお会いしました。

二人とも3時半の予約だったようです。

住まいはお互いに近所です。

拙ブログも毎日ご笑覧いただいているようです。

どんなに顔などを編集?していてもバレバレで、私以上に行動記録?を覚えていて、他の方も同じように、日常をご存じ方が多くいらっしゃいます。

私は自分では気が付いていないのですが、歯ぎしりするようで家族も含み気になっているとのことす。

そんなことからマウスピースが有効とのことで、以前作ったのですが更に調整していただくために伺いました。また、新たに薄くて違和感のないものを作るために歯型も取りにです。

一方、竹ちゃんはインプラントにするために通っているようです。

私は4本インプラントにしていますが、どこを入れたか分からないくらいです。

たしかに、インプラントは手術ですが、土木工事のようなドリルで歯の骨に穴を開けるのですから一定覚悟?はあります。

しかし、この歯医者さんは名医で麻酔も効いていますので、手術中は痛くもかゆくもありません。大事な歯を一生使うなら(そんな状態なら)インプラントをおすすめいたします。

歯医者さん前でお別れいたしました。

本来はここまでですが、続編?をご紹介いたします。

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竹ちゃんとの付き合いは17~8年前ですかね?

仕事で渡米する際にお世話になりました。

また、先方が来日した時も竹ちゃんが主導し、拙宅にもお出でいただきました。

全くの日本建築(ぼろ屋)ですので、和の文化を味わっていただきたかったのです。

仏壇に手を合わせ、お線香を上げていただきました。きっと先代も驚いていることでしょう。

庭では書道のセレモニーもしました。書道家内田藍亭先生にお願いいたしました。

みなさんのお好きな言葉を揮毫(書いて)していただきました。

これも日本文化のご紹介ですが、このようなことが出来る場面は少なくなったのでしょう。

更にガレージで、大揮毫も演出してくれた内田藍亭先生です。

その後は、食べ放題、飲み放題のレストランに移動です。

牛・豚ですき焼きやしゃぶしゃぶなどで、さすが大食漢のアメリカ人ですので、その食べっぷりには驚きを感じます。

最初はこれは美味しいと、すき焼きにも生卵を付けて食べていました。

(米国では生卵は食べないようですが・・・)

もう、ギブアップの表情です。

これらすべてが竹ちゃんの立案でした。

思い出して見ると、仕事とは言え楽しい時間でしたね。

お互いに、腰や歯を労わる年齢になってきました。

偶然、歯医者であった竹ちゃんをご紹介いたしました。

今日は道志に入りました。日向の気温は27度になっています。

 

Hiro


箸にも棒にもとは

2024年01月30日 | なかま道志ベース

昨日の昼食はちゃんぽん麺でした。

新しい箸を使いました。

「箸にも棒にも掛からない」の語源(意味)ですが、あまりにもひどすぎて手が付けられず、どうしようもない」という意味を表す言葉で使われています。

同じような使い方で、「でくのぼう」もあります。

1.人形。あやつり人形。をでくと言うようです。

2. 役に立たない人。気のきかない人。人のいいなりになっている人。また、そのような人をののしった言葉になっています。

今ではあまり聞かない言葉です。昔は熊さん八っさんと大家さんなどが落語の世界で聴いたことがあります。

今日の話は箸のことです。

昨日、女房が街に出かけた先のデパートで、職人展があったようで次男坊の誕生日と私たちが使っている箸を買い求めたとのことです。

これは私用で、軽く使いやすい箸で気に入りました。

箸より重たいものは持ったことが無いと言いたいのですが・・・。

でも、最近は食器も箸も軽いものにしています。

生ビールの大を頼んで腕をねん挫したことがあり、それから中ジョッキまでにしています。

一番軽いのはサイフの中身かも知れません。

そして、女房用です。味わいがあっていいですね。

そして誕生日祝いにと次男坊用です。

シーズンに入ると、試合結果が翌日の朝食で分かるくらいです。

折れた(使えない)バットを再生して、箸にしています。

私からは現金にしました。吹けば飛ぶような額です。

棒とは言えませんが、山から切り落とした原木(棒)にシイタケ菌を打ちました。

庭でシイタケが収穫できるなんて、贅沢かも知れません。

他の語源では、『箸にも棒にも掛からない』は、文字通り「小さな箸でも大きな棒でも持てず、どんな道具でも拾い上げることができない」というところから来ているようです。

小さくて細かいものであれば、箸でつまみ上げることで取り出せます。

大きなものであれば、棒にひっかけたり、挟んだりすることで取得できるでしょう。

しかし、箸でも棒でも取れないものは、どうしようもありません。

そんなに何でも利用できる道具?は中途半端で使いづらさがあるのかも知れません。

オキザリスも満開です。(意味のない画像です)

良いじゃないですか!それぞれ万能でなく、使い道があれば十分です。

万人が大谷選手ではありません。世の中も小さな歯車がその役割を果たして動き回っているのです。

庭で収穫した春菊などの青物を入れていただきます。

これは軽い箸には調度良い食材かと思います。

「箸にも棒にも掛からない」人生を75年も続けてきました。

人さまにご迷惑をお掛けしなければそれで十分です。

これからは誰かのお世話になる暮らしになるのかも知れません。

認知症予防?にブログを続けている私がいます。

今日は道志に入ります。

 

Hiro


そろそろ車も1台にしようかな?

2024年01月29日 | なかま道志ベース

どうしても、道志に入るには四駆で荷台が広いものを考えていました。

そろそろ、必要のなくなる日も近づいているような気もいたします。

今まではホンダ系が多かったのですが、生活の変化でトヨタ系にしたり、今ではスバル(レヴォーグ)にしています。

環境に良いと、ハイブリッド車のプリウスにも乗り換えました。

次にプリウスからレクサスにしました。

たしかに高級感はありましたが、安全機能に疑問を持っていました。

スバルのようなアイサイト的なモノは設置する予定はないのかとお聞きしたのですが、その予定はないとのことでした。レクサスあたりは高額なので年配の方が乗るのが多いかと思いました。

高齢者が多くが利用するレクサスですので、アクセルとブレーキなどの踏み間違え無いような車にと質問したのですが、当時は聞く耳を持たなかったようです。

当時(10数年前)道志の山の家を買い求め通う生活が始まりましたが、やはり山道や凍結した道路などを考慮すると、レヴォーグが良いと判断したのです。

レヴォーグは四駆ですので燃費も良くありませんが、荷台が広いのです。長さ2mくらいのモノは運べます。

段々、道志を離れる日も近づいているかと思います。

我が家には、私が中心的に乗っているレヴォーグと、女房や次男坊が利用しているダイハツのキャストがあります。

近いうちには2台も必要なくなるのでしょう。なんとか1台にしたくてぶらっとディラーを歩きまわりました。

ちなみに、長男坊はバカデカい、ダッジと軽自動車に乗っています。

スバルでも新車を出しました。値段が高過ぎますし、私には必要もなくなるのでしょう。

現在のプリウスもかっこよく、いろいろな部分で優れているかと思いました。

冷やかしでディーラーで試乗してみると、私は気にいりましたが大き過ぎて(昔のクラウンのような感じ)で、女房は運転しないかと思います。しかも納車まで1年だとか・・・!

なら、昔乗っていたカローラはとパンフレットをいただきましたが、想像したよりふた周り大きくなっています。これも却下されるのでしょう。

希望する車は・・・。

①安全機能を重視したもの。②燃費の良いもの。③小型化したものでスタイリングも。④やはり価格も重要です。

個人的にはあと6~7年は車を利用したいですね。その後は女房や息子が続くかも知れません。

こんな私の希望に適合した車をご存じであればお教え願いたいものです

軽自動車も考えられます。やはり軽自動車かなぁ~?

道志では一家ではなく、一人1台の生活になっているようです。

我が家周辺では、交通の便も良く、車も必要無いのかも知れません。

 

Hiro


趣味の一つに社交ダンス

2024年01月28日 | なかま道志ベース

先日は市のダンス連盟が主催するダンスパーティーが開催されました。

もう、25年以上続けている趣味の一つです。パートナーは女房です。

まさに90歳の年配者から若い方も参加しています。まさに生涯スポーツと言えるのでしょう。

このパーティーではダンスタイムとか、ミキシングと言って男女が分かれて並び、誰と踊るか分からない形式です。

また、トライアルと言って、踊る相手を決め(私は女房と)小さな試合形式のモノもあります。

私は久しぶりに女房とトライアルに参加いたしました。

女房との試合形式も久し振りでしたので、汗もかきましたがまぁ~まぁ~のダンスでした。

運営側も大変なんでしょうが、当初は一人2種目までとなっていましたが、急きょ何曲踊っても良いとのことです。

どちらかと言うと、失礼ですが今回のパーティーは楽しむより女房との試合形式のつもりで参加いたしました。

ある方から、〇〇さんと踊ってやってくれ!と女房に声がかかりノーとは言えませんので参加していました。

私にもお声がありましたが、丁重にお断りしてその間は会場の外にいました。

なんか、最近ダンスに対する楽しみとか、気使いも含めて、自分とダンスのあり方も変化してきました。

以前のようにダンスを楽しめなくなったのです。

ここらが潮時とも思いますが、健康のためともう少し続けてもと思い始めてきました。

コロナ禍前は、大きな競技会にも出場しその緊張感や結果も楽しんんでいました。

やはり、試合となると「勝つぞ!」と気合が入ります。

そう、コロナ禍前ですが、甲斐路スポーツ大会(小瀬)で優勝したこともあります。

そのうに時にはたまたまですが、優勝することもありました。トロフィーも置き場所が無くなり、かなり処分いたしました。

まぁ~、この頃(コロナ禍前)が体力的にも気力も充実していたのでしょう。

女房もダンス用の髪型にして参加です。少しでも目立つ?(点数が入る)ようにです。

無駄な抵抗とは思うのですが、女性にとってはドレスやこれら準備も楽しいのでしょう。

時には、先生方が開催するディナーパーティーもあります。

ディナーと各先生方の踊りを見るのも楽しみです。

もちろん、私も先生と踊ります。

ちょっと、ホテルでのパーティーは高額になります。年金が飛んで行くような額です。

昨日のダンスパーティーを終えて、スーパーに立ち寄り簡単に食べられるようなものを買い求めました。

意外に美味しいのは、蒲鉾を薄く切って、オリーブオイルと塩だけでいただいます。

酒のつまみにはもってこいです。

私の好きな、白菜サラダです。実に簡単で白菜を千切りにして、かつお節とサラダ油と醤油をかけるだけです。

簡単で本当に美味しいのでお試しあれ!です。

飲みながら、女房とも話しました。

先ず、私は50歳代に突発性難聴から音が聞こえづらくなりました。(今、何の曲が流れているの?と聞くくらいです)。ワルツよ!スローフォックストロット!、ルンバ?と教えてくれます。

曲が流れれば、リズムでなんとなく踊れます。

出だしのカウントも取れず、いわゆる裏カウントになることもありますが、女房と踊る時は合図してくれます。

これでは他人とは踊れません。自分にとっては辛いものがあります。

あまり理由にしたく無いのですが、コロナ禍で3年以上ダンスから離れると、年齢的にも難聴もあり、気使いする?パーティーはダメですね。

こんな状況から、ダンスと向き合う考え方も変化してきました。

上手く踊りたいなら、あたりまえですが二人で徹底的に踊り込むことが必要だと思います。

きっと、今後も悩みながら続くダンスと私なのでしょう。

 

Hiro


ここまでを振り返って(道志)

2024年01月27日 | なかま道志ベース

ここ何日間か、道志で作成したウッドデッキの内容をご紹介してきました。

我ながらと言うのか、この歳でもと・・・。完成した時は自己満足に陶酔していました。

発想と行動が一致したのです。

夕刻は、階段で息も荒く絶え絶えで過ごしていました。

体(体力)もヘトヘトの状態です。

見えるものほとんどが手作りです。

こんな贅沢は無いと思いつつ、ここを離れる日も近づいているような気もいします。11年通ったことになります。

自宅の土産用にと、またニジマスの一夜干しを作りました。

いただいたニジマスです。

塩をまぶして、半日置いて水で洗い流し、そして水気を拭き取り干すのです。

良い塩梅で出来上がりました。

あとは簡易な真空パックにします。

これが土産です。

付き合う方も少ない道志ですが、村民や近くの別荘の方や建材屋さん、養魚所の霧〇場長などとも、親しくお付き合いをさせていただいています。

その日も建材屋さんは山越えして資材を持って来てくれ、また帰りには分別の厳しいごみも可燃と金属に分けて置けば、トラックに積んで処分してくれます。

私からは、道志産のゴーヤの醤油漬け(大好物と言っていた)と錦松梅(四谷)を差し上げました。

他の方(ピザづくりしている方)は、角材が欲しいと2本お持ちになりました。

何故か寝不足でしたが、昼近くに家を出ました。運転も注意が必要です。

ちょうど、多摩モノレールと交しました。

帰宅しメダカの様子を伺います。20~30匹いるメダカは全て元気です。

こんな道志での暮らしは自己満足の世界なのでしょう。

ここまで振り返って見ると、道志ではいろいろと楽しみました。

やることをやったと言う感じです。

年齢的(体力・気力も)今年いっぱいか?来年には・・・。

 

Hiro


いいよ完成(ウッドデッキ)

2024年01月26日 | なかま道志ベース
思えば、10か月前にデッキを作ろうかと構想案を練りました。
やっと、思いどおり?のウッドデッキが完成しました。
 

同じような画像です。山の家(どうし)の朝は比較的暖かく、マイナス3度くらいでした。

一昨日、洗面器で作った水中花に再び水を入れて朝を待ちました。

同じように氷中花が出来ていました。

構想から10カ月を経て、完成いたしました。

この場所にウッドデッキを作ろうかと思ったのですが、この間にはいろいろとありました。

3月にはバイク事故(被害者)、4月には母が他界、そして昨年の夏の暑さでは作ろうとする気が置きませんでした。気持ちも折れていました・・・。

あの暑い夏が過ぎ初秋になり、やがては晩秋になった頃には、気持ちも落ち着き始め作る気になったのです。

柱の基礎も、砕石を入れて突き固め、コンクリートの平板と柱の基礎となるブロックも設置しました。すべて一人作業です。

水準器も使って、真っすぐに立てます。押さえてくれる方がいれば良いのですが、一人では・・・。

やがて、時期は晩秋になってきました。凍土になっており、杭を打つのも大変です。

昨年の暮れになり、何とか形に成ってきました。

床張りまで来ましたが、この頃はまだ道半ばです。

失敗も多く、せっかく打ち込んだ杭が垂直にならずに引き抜いたり、寸法が合わなかったり・・・。

75歳にしては、我ながらよくやったなと思います。

昨年の12月ですが、ある程度完成したころの朝方はマイナス6度の気温でした。

陽も暮れるまで動き回っていました。

昨年の暮れですが、なんとか完成しましたがまだ未完成です。

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そして、今回は完成へに向けて作業開始です。一番楽しい場面です。

材料や工具類がごちゃごちゃになっています。

頭の中は構想が溢れています。

先ずは白樺を囲むテーブルづくりです。

1mくらいの苗から育てた白樺の木も大きくなりました。それを保護するように作ります。

ジグソーでカットし、サンダーで縁を削ったり磨きます。

2枚の木を張り合わせ、こんな形にしました。

防腐剤を塗り、床からテーブルまで白樺をそのまま保護しています。

こんな画像をラインで女房に送りました。”凄い!良く出来たわね。食事するにも良いかも”と言っています。私はビールなどを飲むのに良いと思っていました。

近くの伐採した木々から、拾ってきた蔓も柱にデコレーションしました。

カウンターからモノが転がり落ちないように柵も取り付けました。

ほぼ完成し、片付けているころ建材屋さん(初狩のナイトー建商)出羽さんが頼んで置いた材料を届けてくれました。

初の客人?です。Hiroさんこれいいねぇ~。凄いねぇ~。よく作りあ上げたねぇ~と言っていただきました。

*真ん中の柱部分蔓を取り付けました。

構想から10か月で、中休みがありましたが何とか完成です。

全くのド素人ですが、構想から目的に向かって何度も失敗しながら作り上げる楽しみはここにあるのでしょう。何でも同じことが言えるかと思います。

陽も暮れてきました。夕刻の5時過ぎていますが、まだ外に言います。

誰も来ることも無い隠れ家づくりですが、自己満足に浸っています。

最近では胃カメラで十二指腸潰瘍が分かり処置し、ピロリ菌の二回目で除菌も出来ました。

後期高齢者の認知機能検査、

同じく教習所で学科と実技も終え、あとは更新のみになりました。きっと、2月ごろには小型船舶の更新も予定されています。

夕食は簡単な焼肉牛カルビを入れた焼きそばにしました。

そして、使った工具の手入れです。よく働いてくれました。

急に寒く感じてきました。ファンヒーターの石油切れです。

私も年齢的にも、燃料切れの時期が来たようにも感じます。

最後に、どや顔をアップさせてください!

 

Hiro


道志に入って2日目(寒い!)

2024年01月25日 | なかま道志ベース

この時期道志に入るといつも作る画像です。また作りました。

自宅ら持って来た草花です。

道志はまだ枯れた無色の世界です。

外気温はマイナス5度です。これなら水中花できます。

これも考えた一つで、自宅から持って来た草花からです。

参考にご紹介いたします。

軒先は日向ぼっこするのにちょうど良い場所(29度)です。

ちなみに、朝の気温はマイナス5度で日中は29度です。この寒暖の差は何なんでしょう。このことをラインで女房に話したのですが、信用してくれません。

あさイチで、換気扇の取り替えです。

こんなことは、まさに(本当に)朝飯前に取り換えました。

いただいた餅も切り、真空パックで保存しました。(持ち帰ります)

貧弱ですが、お茶漬けで朝めしです。一人暮らしってこんなものです。

朝の散歩で道志川の支流(すぐそば)に行きました。

メダカ用の流木探しですが、ちょうど良いのが見つかりません。

蔓に絡まった枝がありましたので、切り取り持ち帰りました。

何かのオブジェに使えそうです。

丸太の置き場に行って、計算した長さにチャンソーで切断します。

チャンソーの刃も研いたので、よく切れます。

重さが30kg~40kgはあるかと思います。やっとの思いで車に積み込みました。また、積み下ろすのも大変です。手伝ってくれる人が欲しいくらいです。

仮置きに、この場所まで運び上げるのも、一段一段持ち上げて行くのです。

こうなると意地と体力の戦いです。腰は痛くなるし息絶え絶えです。

せっかく作った台をジグソーでカットし始めました。座ってお茶でも飲みやすくするためです。

そして、サンダーで縁を磨きます。(座った時に腕などが痛くならないようにです)。

この曲線を作りたかったのです。

防腐剤を塗って、あの蔓枝を置いてみましたが、邪魔で絵になりません。置く場所を考えます。

運び上げた丸太を置いてみました。

中をくり貫いた丸太です。この中に草花でも植えようかと思います。

まだ、未完成ですが今日はここに置くテーブルづくりをする予定です。

東京にあれば、洒落た場所になるのでしょう。

しかし、誰に来ない私だけの居場所です。

夕刻まで、枯れ葉を履いていました。集めて堆肥にいたします。

重い丸太を担いだり、転がしたりで良く動いた一日でした。

8000歩以上になっています。

疲れ果てて、夕食も作る気がしません。豆腐のパックとチクワを食べて済ませました。

まぁ~75歳にしては、いろいろな発想が出て来て、動けるのですからまぁ~いいかです。

次回は完成に向けてをご紹介いたします。

 

Hiro 


先週道志に入った時のことでした

2024年01月24日 | なかま道志ベース

家を出た時の気温は10度だった・・・。

しかし、道志に着くと5度・・・。近いのにこんなに気温差があるのです。

目指すのはあの富士山の方向。荷物をトランクいっぱいに積んで約1時間半のドライブ。

地主さんのキャンプ場に着いて、お年賀のご挨拶。

そう言えば、この看板も作って差し上げました。

今度は長さ2mくらいのメイン看板を作って欲しいと依頼を受けました。

書体を考えて、柔らかい字を考えています。

何しろ寒いのが道志の特徴。

道路も池も凍っている。

当然、明日の朝は零下が予想されるので、また氷中花を作って見ることにした。

今日はこのデッキにテーブルを作る予定。乞うご期待!

青空だけど、吹き飛ばされそうな強い風だ!。

完全防寒して、使いたい丸太や倒した木の置き場を見に行くことにしました。

わぁ~私にとっては宝の山だ!どれを使って良いとのこと。

今日はチェンソーを持って来て、切り落とすつもり。

いろいろな発想(何を作るかなど)が浮かびます。これはキャンプ場で使う薪の置き場です。

そう、地主さんから鹿肉をもらいました。前処理をしなければなりません。

陽も暮れてきたました。

お月さんも出ているが、星も見えるがパチリは出来ない状態です。

女房からラインも入りました。

いつもお世話になっている、建材屋さん(初狩のナイトー建商さん)からバッグをいただき、いつもの場所に置いてあった。特別なお客さんでは無いと思う。

少額で今回は塀の柱に使う鉄筋棒を頼んだが、こちらの希望する寸法に切断して持って来てくれる。それも山越えしてです。

夕方からこいつが付き合ってくれます。

そして、夜が明ければ、やること、やりたいことが待っています。

これが道志の暮らし方です!

 

Hiro


ビート武がさんが明かす被災地への思い(同感!)

2024年01月23日 | なかま道志ベース

ビートたけしが明かす被災地への思い「“被災地に笑いを”なんて戯れ言だ」「震災のたびに芸人の無力さを感じるよ」1/15(月) 19:15配信

NEWSポストセブン

震災について思いを語ったビートたけし氏

東日本大震災から13年が経とうという時に、再び日本を襲った能登半島地震の被害。

今も被災地では多くの人が避難を続け、行方不明者の懸命な捜索活動が続いている。

最新刊『ニッポンが壊れる』で日本社会の問題点を指摘している映画監督・タレントのビートたけし氏(76)が、『週刊ポスト』の取材のなかで今回の震災に関して「スマホ」が普及したことによる功罪について緊急提言した。

2024年は新年早々、能登半島地震のニュースに心を痛めることとなってしまったね。

元旦といえばどのチャンネルでも似通ったお笑い番組をやったり、芸能人の誰それが結婚したなんて発表があったり──そんな代わり映えのしない日常だった。こんなショッキングなことが起きたのは、オイラの人生でも記憶にないよ。

地震が起きた時、オイラは家にいたんだけど、揺れはまったく感じなかった。だからテレビのニュースを見て本当にビックリしたよ。特に津波が5メートルなんてテロップが出ていたから、どうしても10年前の東日本大震災のことがフラッシュバックした。きっとそういう人は多かったんじゃないかな。

こういう時、オイラたち「芸人」*私たち一般人も含めてという職業は本当に無力だと感じる。

今も土砂崩れのなかで行方不明になっている人がいる。

普段はバラエティ番組ばかりのテレビ局も、しばらくは余震が起きればすぐに速報ニュースに切り替わるだろう。東日本大震災があった後、この「ポスト」の連載で同じような話をしたけどさ。「被災地に笑いを」なんて戯れ言だよ。

「陰謀論」に騙されないでほしい

 普段通りに仕事をして、安心して眠れる場所があって、しっかりメシが食える。それが揃ってヒトは初めて心から笑えるワケでさ。オイラたちにできることがあるとしたら、それは震災が落ち着いた後だろうね。

 悲しみはすぐには消えないだろうけど、*どんなことも悲しみはすぐに消えない、それを乗り越えようって時にもしかしたら「笑い」が役に立つことがあるかもしれない。とにかく今は早くそんな日が来ることを祈ってるよ。

ただ、東日本大震災の時と少し状況が変わったと感じたのが「スマホ」の存在だ。当時はまだ、スマホを持っている人数も今より少なかったし、YouTubeやTwitter(現在はX)を見る人も若い人が多かった印象がある。それが、今やオイラだって持っているし、“生活必需品”になった。

 今回の震災ではスマホがあることで家族と連絡を取り合ったりするのにプラスの面もあったと思う。それは素直に良かったと思うけど、一方でネット上ではふざけた「陰謀論」を流布するような動画がジャンジャン出回っているらしい。

一体、どんな了見で「2024年に大災害が起きると予言してた」と自慢気に語るのか。そんな不謹慎なヤツの神経は理解できないし、こうした天災を“チャンス”と捉える感覚は“壊れている”と思っちまう。最近は動画の再生回数を増やすためなら何でもヤルってヤツが多すぎるね。

オイラも最近、「たけしは◯◯と不仲で大喧嘩した」なんて根も葉もない噂を流されて困っちまった。実際は喧嘩するほど親しくないし、会ってもないんだよ。まァ、そんなのいちいち相手にしないけど、陰謀論を見た被災地の人たちがどう思うのか。その「想像力」を欠いて、自分のことしか考えてないヤツがいるってのが不安だよ。

今回の地震で改めて感じたのは、日本人はみんな能登半島の揺れを“他人事”と思っちゃダメだってことだ。いつか都内で同じことが起こるかもしれない。そうなった時、少しでも被害を減らせるように準備しなきゃいけない。そういうことも含めて、やっぱり大変な時に一番大事なのは想像力なんだよな。

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胸が詰まるような思いを感じます。

テレビのコメンテーターなども、支援が遅いとかだから言ったじゃない!と他人事のような解説をしている。

少なからずも、同類の自分がいるます・・・。

各報道機関やコメンテーター自身が被災された時は、どんなコメントを言うのだろう?

だから言ったじゃない!と言えるのかどうかだ。

 

Hiro


何か面倒をみる生き物を飼いたくて

2024年01月22日 | なかま道志ベース

最近、面倒をみるような生き物を飼いたくなりました。

道志では生け簀にマスを飼っています。またボート池にはメダカでしたが、カエルが繁殖し鳴き声が大きくて、ちょっと困っています。

そう、カブトムシやクワガタも白樺の木の樹液を吸っています。

捕獲しては、大きな木箱に入れていますが、時期が来ると産卵し出てきます。

以前は、外犬(番犬)として何代かに渡って柴犬を飼っていました。

名はいつも「ぺる」でした。

最後に飼ったぺるは17歳くらいまで生きていましたが、高齢となり他界しました。生き物との別れは家族同様に辛いモノがあります。

小さい時は可愛かったウサギも成長すると、建具などあちこちをカジリます。

欲しいと言う方がいて、差し上げました。

子ウサギも小さい時は可愛いですね。

そう、小学生の頃から当時流行っていた伝書鳩を飼育しては、地方で放って帰って来るのが楽しみでした。30羽くらいは飼っていました。

白い鳩舎はオヤジが作ってくれたものです。

ある時、野良ネコ(イタチ?)だと思うのですが、すべて鳩舎の中でやられてしまいました。

その後は、別れが辛いので犬などの生き物を飼うのやめました。

そう、熱帯魚を飼育していた時もありましたが、管理が大変で遠ざかりました。

そして、最近になってまたメダカを飼育する気になりました。

丸い35cmの大きな容器をネットで注文しました。

届くまでだいぶ時間がかかりました。

梱包も雑で、中〇製のモノです。

丁寧に洗い流し、準備するものをホームセンターで買い求めました。

砂利や水草・水がきれいに保てる状剤やブクブクなどもです。

それらを配置(中に入れて)して、水を入れ数日間放置しました。

癒されますねぇ~。

ヒメメダカ(一番安い)を20匹。クロメダカ20匹を入れてみました。

多すぎるかな?と思いましたが、今のところすべて元気に泳いでいます。

時期が来れば産卵するかと思いますので、卵は移し替えて稚魚の大きさに合わせて増やそうかと思っています。

癒されるメダカも手軽で良いものです。

そう、夏になればスズムシもふ化するかと思います。

 

Hiro


中廊下と障子張

2024年01月21日 | なかま道志ベース

ふと思うと、中廊下のある家は少なくなったかと思います。

他の部屋を通らずに、各室に入れるのが中廊下です。

先日、障子を張り替えました。

前日に障子紙を剥がし、翌日に張ります。

これは中廊下で夏場は障子を外し、風通しよくするための障子です。

今や障子のある家も少なくなったかと思います。

まして、外廊下や中廊下があることも珍しいのでしょう。

この障子は桟も多く、張り替えるのも結構手間のいる作業でした。

マンションなども快適に過ごせる構造になっているかと思いますが、中廊下は無駄なスペースで、それより一室作る方が構造的にも売れるのかも知れません。

でも、中廊下がある生活も良いもですよ。

これも唐紙と障子の組み合わせで、夏場は障子も外せます。またこの障子は明り取りにもなります。

以前は畳部屋だったのですが、フローリンに張り替えました。

しかし、障子だけは変えませんでした。

今やエアコンも設置され、自然の空気を利用する必要は無いからだと思います。

ちょっと分かりずらいのですが、和室の外廊下はすべて障子になっていますが、障子は自然採光と暖かみを感じ、また下の障子を上げるとガラスが入っていて、雪見障子になります。

ガラスが入っているため、寒さを防ぎながら外の景色(雪見)が出来る構造ですが、ここからの雪景色を見ることが出来るのは贅沢かも知れません。

上下させる障子には、このようにバネが付いています。

家の近くにも建売り住宅が沢山出来ていますが、不思議なことに軒先が無い家が多いことです。

ちょっとした、雨風はどうやって防ぐのでしょうか?

日本の風土と気候に合わせた建物はまさにSDGsの先進だと思います。

障子張などは手間もかかりますが、これまた良しと言うべきなのでしょう!

霧を吹いて、乾かしている途中であちこちしわが寄っていますが、乾けばピンと張った状態になります。

前日に、私が障子を外し女房と私が障子紙を剥がします。

これも結構な手間作業です。

今では便利なノリもホームセンターで売っています。

昔話しですが、ノリと言えばご飯粒でしたね。ご飯をヘラで潰して練ってノリにしていました。また、ノリのきいたYシャツなども木綿袋に入れて練り状にしてその液汁が衣類のノリにしていました。

この様な障子用のテープも売っていますが、どうしても桟との接着が良くなく剥がれてしまいます。私はおすすめしません。(買って失敗しました)

私どものような素人が使うなら、このようなノリをおすすめします。

一人で張るのは難しいので、お二人の方が良いかと思います。角を持ってもらいピンと張れるからです。あとはカッターと定規で余分な紙を切り落として行くだけです。

概ね乾いたら、霧を吹くと紙はピンとなります。

そう、大事なのは紙の裏表です。和服の反物もそうですが中表(なかおもて)と言って、巻いてある内側(中)が表になります。ノリを付けたら転がすように張れば良いのです。

感じはツルツルした方が内側でざらざらしている方が外側の表になります

何かの参考にしていただければ幸いです。

 

Hiro


70歳が一つの節目かも?

2024年01月20日 | なかま道志ベース

先ずは、「一線を退く」ですが、完全退職を意味するのでしょう。

一般的に一線を退くでchtatGPTに聞いてみました。

「一線を退く」という表現は、通常、ある活動や職務から引退または撤退することを指します。

これは、特にリーダーシップのポジションや重要な役割を担っていた人が、その職務から離れ、新しい世代や人に場を譲るという意味合いがありますと・・・。

私は72歳まで、ある企業で働いていました。

70歳くらいだと、体力的にはまだ元気でしたね。

*ある大学で400人が聴講する前でお話ししていた頃です。

現職の頃はいろいろな場面がありました。外付けのHDのデータを見ると、50年間もよく働いたなぁ~が印象です。

また、よく遊んだ時・飲んだ時のデータも保存されています。

私の言いたのは、退職後の健康寿命がどのくらいあって、どうやって過ごすかです。人それぞれで異なるかと思います。

先日、ある会社の有志のOB会があって参加してきました。長老は85歳でじょう舌で独演会のようでした。

でも、これは飲む席であって日常はどうやって過ごしているのかです。

*卒業後(退職後)に、友人との一杯も楽しいものがあります。

現職中には気が付かなかった、思い出話しもたくさんありました。

きっと、今の調子ではあと5年(80歳)くらいまでは、健康であればそれなりの生活を営むことが出来るのでしょう。

問題はその後です。一般的にどんな健康な方でも、気力はあっても体力の衰えは出て来るかと思います。

歩く速度も遅くなり、ちょっとした段差にもつまずき、こんな筈じゃないと思いながらの暮らしになるのでしょう。

本当に一人ぼっちになるかも知れません。けっして、ネガティブではなく現実だと思います。

健康診断も、治すためでなく良くない所を探すためです。

医者に行けば、また何か言われるのでしょう。

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先日、行き付けの床屋さん(理容院)に張り紙がありました。

店主のご挨拶状です。

84歳の6月30日をもって退職すると書かれていました。

「この道より我生かす道なしの信念のもとに・・・」とあります。

もっと続けてくれと懇願いたしましたが・・・。

17歳からこの道に入って、67年間ハサミを1本で過ごした本格的な理髪職人さんともいえる方でした。

カットしていただいている間は、気持ち良くていつも眠り込んでしまいます。

最終日の6月30日の一日前29日(土)に予約を入れました

元気でいれば85歳が一つの節目のようにも感じました。

この店主のように笑顔で84までいられるかどうかです。

考えて見ると、70歳も一つの節目かと思いますし、75歳も、80歳も、85歳でも(人によって異なりますが)、他人の世話にならずに生活できます。

今の私は弱気になっていますが、85歳まではあと10年、もう10年しかありません。

私の健康寿命があと何年だか分かりませんが、実際あと5年間をどうやって暮らして行くかでしょう。時計は止まりません。

次々と湧いて出たアイデアや発想と行動力なども減少しています。

先日、出かける間際に50歳になる長男坊がやってきました。

働き盛りです。ある病院の役員をしながら、また事業拡大でその担当も任されたと・・・。

女房に”オヤジはどう?”と聞いていたそうです。

”元気よ!”と・・・。こたえてくれました。

しかし、75歳も一つの節目かと感じています。

 

Hiro


小料理屋の座敷も懐かしい

2024年01月19日 | なかま道志ベース

プレバトにご出演する各芸能人や俳優さんなども、凄い勉強されていて作品も大したものだと思います。

そこに登場するのが夏井先生が、作品の添削ややりとりに笑を誘います。

季語や動詞・助詞の並べ方や使い方など・・・。

しかし、私には季語などはちょっと難し過ぎて、俳句の良さも分かりますが付いて行けません。

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以前、若かれし頃は毎晩のように飲んで歩いていました。

そんな中に行き付けの小料理屋もあって、ちょいと一杯はカウンターで、ゆっくり飲むときには座敷に上がりました。

座敷では70~80歳過ぎたお姉さんたちが酌をしてくれ、世間話や三味線を弾いて都々逸なども紹介してくれていました。

ハシゴ酒するなら、小料理屋さんで都々逸を聴いたり習ったりするのも安いものです。

小駒さん・お時さん・節ちゃんの顔を今でも覚えているくらいです。

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都々逸は今で云う三味線を聴きながら風刺や色気の混ざったもので、スマホの画面では通じないものなのでしょう。

まさにアナログの世界で、昔からある名調子でお姉さんが唄ってくれます。

例えば・・・。

♪ 丸い玉子も切りようじゃ四角 ものも言いようで角が立つ~

♪ 白だ黒だとけんかはおよし 白という字も墨で書く~

♪ 惚れさせ上手なあなたのくせに あきらめさせるの下手な方~

♪ 嫌なお方の親切よりも   好いたお方の無口が良い~

♪ 信州信濃の 新ソバよりも   私しゃお前の そばがよい ~(よく聞き来ますね)

♪ 面白いときゃ お前とふたり   苦労するときゃ わしゃひとり

♪ 立てば食欲 座れば布団 歩く姿はブリの腹~

♪ うちの亭主とこたつの柱   なくてならぬがあって邪魔~

♪ 振られた数を引けば 女房が残るだけ~

♪ 夢で見るよじゃ惚れよが足りぬ 真に惚れたら眠られぬ~

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どうですか?都々逸はウイットとジョークで、世相を切ったり笑わせたりです。

三味の音とお姉さんの節回し、聴いている私は小皿たたいて音頭とる・・・。

80過ぎの(90歳近い)お姉さんになんか飲む?と聞くと、”わたしゃコーラが良いよ”と返事が返ってきた時代でした。

スマホでは味和えないアナログの世界です。

もう、このお店も閉店しています。

 

Hiro


年配者は昼飲み会が主流

2024年01月17日 | なかま道志ベース

立場は違えど、40数年前からの付き合いです。

久しぶりに、飲み会しようとのラインが入ってきました。

集合は東京駅八重洲の北口です。東京駅も広くてよく歩きます。

通勤していた頃は、良く利用していた東京駅の名店街です。

ここでは駅弁は買いませんでしたが、人気商品は買い求め自宅へ持ち帰りました。

数年前まで毎日?(週に2~3日出勤)利用していた私でしたが、この混雑ぶりには目が回ります。

ちょうど昼時でしたので、この界隈はどの店も昼食で満席状態です。

今回は北町酒場「卯兵衛」です。

やはり、午後1時からしか個室は取れません。

前日に、日程を確認したら夕刻ではなく昼飲み会でした。

あぶなく時間を間違えるところでした。

こんな昼飲み連中があちこちに見受けられます。

やはり、同類の高齢者が多くなったのですね。

おぅ~しばらく!とお互いに握手します。

当時の仲間の多くは他界しました。このメンバーは86歳から70歳です。

長老をパチリしては、笑顔でよく撮れているので遺影になると笑っています。

大阪の芸人さんも83歳で老衰。八代亜紀さんも73歳でこの世を去りました

酔うほどに、昔話(自慢)に花が咲きます。

久し振りに昔を思い出したり、笑ったりで元気になりますよ。

話しも国内の北から南まで仕事や、中国上海や青島の話しも出ます。

やはりじょう舌なのは長老ですね。君とか呼び捨てです。

いつもの”お前はなぁ~”が出てきます。

しかし、年取るとトイレも近くなります。順次席を立って行きます。

先ず、店内の個室から入口までが迷います。

更に各店のトイレがある訳ではありませんので、トイレ探しも大変です。

でっかく表示してくれれば良いのですが、お上品な?マークは年寄り向きではありません。

こんな時間に一人飲みしている方も・・・。

以前の私のようです。

午後3時過ぎると、人通りはばたっと絶えます。

すると、情けや?自分が入った店も分からなくなります。

あぁ~ここだ!と気が付けば、今度は個室もどこだか分からない!

そんなもんですね。

やがて3時半になり、握手してまたやろうな!で店を離れました。

私は今日、健康診断検査があります。ガンマーGTB(肝臓)の数値が上がっているかと思います。

健康診断は日常生活の状態なので、普段通りで良いと仲間に言われました。

みなさんはお茶でもと、次の店に向かいました。

帰宅ラッシュ前ですが、私は4時頃の中央線を一台見送って、座って帰宅しました。

御茶ノ水で赤い札を付けた女性が前に立ちましたので、席を譲って差し上げました。

帰宅しても中途半端です。まだ飲みたいし、腹も空いてきました。

しかし今日は検査日ですので、飲まずに休みました。

大きく飲み方が変化した自分(年齢)になったのを自覚いたしました。

 

Hiro


現在二人合わせて148歳⇒米寿の176歳を目指したい!

2024年01月16日 | なかま道志ベース

先日、二人合わせて148歳になりました。

ただの通過点だと思っています。できれば二人あわせて176歳を目指したいですね。

まぁ~気持ちばかりですが、寄せ植えの買ってきました。

時期が来たら庭に植え替えます。

特にこれと言ったセレモニーも無く、淡々と普段の生活になっています。

昼は焼うどんでした。

長男坊からはおめでとうのメールが入っていたと言っていました・・・。

次男坊は何かをプレゼントしています。

庭から収穫したシイタケを焼いて・・・。

あとはマグロと山芋の山かけぐらいです。

せめて、健康で(ボケずに)合わせて176歳くらいまでとは思っています。

私は来年は喜寿(77歳)で「この山越えれば 花畑」ですが、米寿(88歳)の「もう少し楽しみ 米と酒」も捨てがたいですねぇ~。

ご参考に

 

Hiro