自宅と道志の日々

タイトルを「自宅と道志の日々」にしました。日記のようにつぶやいています

プレゼントはと・・・「忘れる力」

2023年01月31日 | なかま道志ベース

A紙の天声人語を読んでいます。また折々のことばもです。その中でお歳暮にお中元、誕生祝い。日本人のプレゼントは30種類にのぼるとされていました。

たしかにプレゼント(贈り物)などにはいろいろな意味が込められているのでしょう。身近ではバレンタインデーやホワイトデーもその一つなのでしょう。まぁ~見返りとしての下心はあるのかも知れません。

更に関係者などへのお歳暮や中元なども同じことが言えます。以前、父親がある企業の購買部(部品などを購入する部)の役職でした。もう、50~60年以上も前のことです。時期になると関係会社などからのお歳暮やお中元で、四畳半すべてが贈り物で山積みになっていました。今の時代は虚礼廃止などで、年賀状やカレンダーはもちろんのことだいぶ少なくなりました。これらはやはり下心の部類に入るのでしょう。

私も記念日などにはプレゼントを用意いたします。今日も長男の49歳の誕生日です。

1月は女房や子どもたちの誕生日もありました。これは下心では無く祝いと感謝のつもりで贈っています。

値段ではなく、もちろん下心も無いかと思います。私が子どもたちからいただいた時は、気持ちだけ一番喜ぶものを包んでお返ししています。

海外に行くときは、お世話になる方へお土産を用意するのが通例になっていますが、日本人は比較的高価なものを用意すると言われています。

女房も子どもからいただいた誕生日プレゼントなどは、飾ったりまた愛用しているものもあります。嬉しいのでしょうね。

私も女房の実家に伺う時は、母親に内緒でお小遣いを渡していました。(内緒なんですが、仏壇にお供えしていますのでオープンになってしまいます)私にとっては元気でいてくださいね!と言う意味合いなのです。

私の多くのプレゼントは下心ではなく、感謝の気持ちになっています。

いつも新聞の挿絵を切り抜いてはスクラップブックに保存しています。「濃厚な人間関係を必要とし、贈り物習慣が発達させてきてました。首相の長男が政務秘書官として海外へ歴訪した際に同行していましたが、パリやロンドンで公用車を使いたくさんの土産を買いまわったとのことです。何故土産を必要としたのかも分かりません。もし議員や知人への私的な贈り物なら・・・と邪推してしまいます。国民の暮らしを良くするためのことに専念していただき、土産買いなどは他の方法があったのかも知れません。

沖縄に駐留する海兵隊をグアムに4000人移動させる費用も36億ドル?(日本円で約4700億円)で、住宅建設や他の設備費に充当されるとしています。移転のための費用の半分近くは日本が拠出するそうです。総合的に考える必要があるかと思いますが、これって何ですかね?

これ以上はコメントを控えます・・・・。

他の話題です。幻冬舎の新刊で鎌田 實先生の著書が紹介されていました。

すでに75歳近い私ですが、気になる(参考になる)紹介記事がありました。60歳から「忘れる力」です。

人生の8割は忘れていいこと

「もの忘れへの恐怖を忘れる」・・・ほとんどは健康なもの忘れ(あぁ~救われます)

「実年齢を忘れる」・・・マイナス12歳のつもりで生きる(そうかぁ~まだ62歳なんだ)

「一人のさびしさを忘れる」・・・友だちはいなくてもいい(理解できます)

「夫婦水入らずを忘れる」・・・心地よい距離感は年齢とともに変わる(なるほど~)

「早食い・ながら食いを忘れる」・・・誤嚥を防ぐ、食べる前の準備運動(良く分からない?)

「血圧のふつうを忘れる」・・・正常値に縛られないい(血圧は薬のお陰?で正常値)

「寝れない焦りを忘れる」・・・いい睡眠のための6つのポイント(最近睡眠時間が浅い。いいちこが良い睡眠導入剤になっている)

「不要な検査・治療を忘れる」・・・自分の命は自分で決める。家族に忖度しない(御意!良くわかりました)

「怒りを忘れる」・・・ムカッときたら、唱える・離れる・気をそらす(なるほど・・・)

「あの世の存在を忘れる」・・・人生は一度きりだからおもしろい(そんな気分になりたい)

スミマセン!文字ばかりになってしまいました。

私はどんな理由でも結構ですので、プレゼントはありがたくいただきます。

 

Hiro


年齢とともに・・・

2023年01月30日 | なかま道志ベース

メモして置かないとすぐに忘れてしまうような年齢になりました。備忘録も大なような気がいたします。

はじめにですが、備忘録はです。あとから参照の必要のある事柄を書き留めておく帳面のことでした。文章や改まった会話で用いられる、やや硬い漢語で「備忘録」とも言うようです。

備忘録の「備」はそなえる、「忘」はわすれるの意で、「備忘」は忘れることに備える意味だとそしています。「録」は物事を書き記した帳面で、したがって「備忘録」は忘れることにそなえて書く帳面の意味だとしています。

ここ数日、ちょっと考えることがあって市営のプールに通っています。2時間で300円ですので、スポーツジムより安いかと思ってです。3日間続いています。土曜日の午前中はダンスの練習会のアシストがありました。

約50分間プールでウォークして、その後400mくらい泳ぎます。中・高・社会人では水泳部に属していました。水泳指導員(文部省)の資格もありますが、今では泳ぎ方(泳法)が全く異なります。ダンスも同じく、昔の踊り方とは異なっています。

*シマアジとタコの刺身です。美味しい!

年齢のせいか?自身のいろいろな変化が垣間見えてきました。持ち物が多いのか置いた場所やどこのポケットに入れたのかが分からないことが増えました。

*好きな油揚げを焼いたものです。

普段持ち歩いているものは、スマホ・財布(カード用と現金など2つ)マスク・メガネ・補聴器・スマホと補強器で音楽が聴ける器具・車やバイクのキー・・・・。などがあります。

*美味しく作ってくれたロールキャベツです。プールの帰りにキャベツを買って来るようにと指示がありました。

昨日も、プール利用の発券を間違えてしまいました。また受けつけに行って払い戻し、再発券をしました。いつも行っているこんな簡単な発券も間違えてしまうのが残念でたまりません。靴のロッカーなども100円コインを入れます。100円玉ばかり入れている小銭入れが開いていたので100円玉がすべて通路に転がり落ちました。不注意としか言いようがありません。

また、プールに行って帰宅しバイクの調子(ガソリン漏れ?)が良くないのでバイク店に向かいましたが、途中で財布を忘れているのに気が付きました。すぐには修理できず、代車をお借りしています。

*大根と豚肉の煮ものです。私の口に合っています。きっと、50年も一緒ですので合わされたのでしょう。

私の年齢になると身体的にもいろいろと問題も発生します。先ずは目です。老眼や乱視も強くなり、免許証の更新もヒヤヒヤです。

運転する時はメガネは忘れません。(車から出るときにマスクは忘れることがあります)

続いて、耳が遠くなりました。以前から補聴器を両耳に着装しています。(突発性難聴だと思います)外すとほとんど聞こえません。

結構、高性能でそれなりの値段でした。これが無いと、会話もダンスの曲も聞えません。

これは便利で、補聴器とスマホの音楽や音楽を聴いている途中でかかってきた電話などが分かります(話せます)。ブルートゥスでつながります。

次はやはり歯ですかね。入れ歯や差し歯では機能に限りがあります。

私は近所の歯科医でインプラントを4本施しました。

歯の元の骨に穴をあけて、義歯をボルトで施すのです。手術は麻酔をかけていますので、麻酔の注射がチクッと痛いくらいで、思ったより簡単です。ただしスタートから終わるまでには半年苦くらいかかります。今ではどこをインプラントにしたか分からないくらいです。私からの要望で3カ月一度は歯間などを定期的にきれいにしてもらっています。

このことによって、目と耳そして歯においては、これと言った問題もなく過ごしています。

あと無くす?(どこに置いたか分からなくなるもの)は、スマートウォッチがあります。

普段、着装しているウォッチですが、ブルブル震えて誰からの着信かラインやメールの内容も表示されます。また、睡眠時間もかなり正確に標示され、スマホと連動しています。これは便利ですよ。プールに行って外して、どこかのポケットかバッグに入れたのでしょう。着替えて帰る時に探しいました。結局防寒ジャンパーの内ポケットでした。

もう一つのスマートウォッチですが、毎日計測している血圧や心拍数・血中酸素濃度・体温などが表示されます。これを健康手帳に記入してかかりつけ医に見せるのです。充電などで探すこともあります。

あとは血圧の薬などを飲んだかを忘れる時もあります。危ない症状です。

*ロールキャベツのキャベツだけです。やげんの七味をかけていただいています。好きなんです。

忘れるは心を亡くすとも書きます。また、忙しいも同じく心を亡くすです。忙しく動き回っているので、忘れることも多くなったのでしょう。持ち物も多すぎると女房に言われています。

ハッキリ言えることは、探し物や置き忘れが多くなったのも事実です。この流れ(事実)は残して置きたい事象です。やがてはもっと酷くなり?認知症などの始まりがいつからか分かるかと思いますので・・・。もう始まっているのかも?

Hiro


ダンスシューズを履いて

2023年01月29日 | なかま道志ベース

道志のことはまた違った機会にご紹介いたしますが、我が人生の25年間ダンスシューズも履いていました。

趣味もたくさんありますが、今現在 時間を費やすのはやはりダンスや道志への通い生活が多くなりました。今年で金婚を迎える夫婦ですが、その半分の25年以上前から夫婦共通の趣味?はダンスなのでしょう。日常会話も流れるBGMもダンスのことが多いですね。それが良いのかどうかは分かりません。

若かれし頃は、試合に出場すれば何回かに一度ぐらいはトロフィーなどをいただきました。

何故か目立っていた?のでしょう。新聞の地域版にも掲載されていました。

たしか3級のころです。当時は2級だったかな?にならないと平服で燕尾服が着れなかったのです。

そして、ランクも上がり燕尾服が着れるようになりました。

ラテンも同じく、自由ではなく平服(男性はベスト)でした。

お互いに若かったので、ダンスに夢中になっていたころです。

あちこちの試合会場に行っても、決勝戦まで行くことができず無言で帰宅することがほとんどになりました。

優勝できるときは、たまたまとの言い訳になります。

不思議です、あんなに忙しかった時もダンスシューズを履いていました。

大きな会場や各市の体育館での試合にも行きました。

背番号51が私たちの市です。

市の代表選手としての出場もありました。

段々、歳を取って行くのが画像からも分かります。

しかし、このコロナ禍の3年間は試合には出場はしていませんでした。結局、ランクはほとんど落ちました。例えばB級がC級のようにです。(大関が関脇になるようなものです)

今でもレッスンは続けていますが、技術は上がっても体力や体幹(バネ)が衰えています。体育館ぐらいのフロアーで、同じランクの方が100数十組出場した時もありました。そんな時は自分たちがフロアーに出るまでかなりの時間を待ちです。同じヒート(フロアーで踊る組数)では、多い時には14~5組がいっぺんにフロアーで踊ります。若い方がそばにいれば、ジャッジはどうしてもそちらの方に点数が入ります。スピードなどタイムレースではなく、見た目?の結果です。おのずと表現力も大事です。

初戦や二次予選など予選の段階で負けて帰宅することも多くなります。それが夫婦喧嘩?の原因もダンスであり、決勝戦まで行けば伴に喜ぶのもダンスでした。やはり、若い方には負けます。あと数カ月で後期高齢者になります。

市のある会の周年事業で、女房とのデモンストレーションなども披露したことがあります。当時は若かったおふくろなども、二人のダンスを見に来るのが楽しかったのでしょう。表面上?は仲の良い夫婦に思えたのかも知れません。仕事も超忙しくてもダンスの練習時間は作っていました。

私がダンスを始めたきっかけも、以前にもご紹介しましたが退職した時に記念に船旅をしたかったのですが、船内でダンスでも踊れればと思ったからです。ダンスが踊れるようになるには10年かかるよと言われました。

外国の方はダンスを普段から気楽に楽しんでいますが、それはジルバとか簡単?なパーティーダンスになります。

ある時、外国に行く機会がありました。「あなた(Hiro)の趣味は何ですか?」と聞かれると夫婦で踊るダンスですと答えました。「あぁ~ダンスですか!」との反応です。

しかし、自己紹介のために家族写真や趣味のアルバムをお見せすると、ビックリしたような様子です。外国の方のダンスとは違ったイメージです。そこには背番号を付けた本格的なダンスの試合風景です。

日本人である私(Hiroあなた)のダンスは私たちもやらない?本格的なものなんですね!と・・・。日本人が趣味でダンスですと言われたて、思ったより違う世界でのダンスだったのでしょう。他にもスキューバダイビングとか、ヨット、書道もですとこたえると、日本のイメージが変わったようにも思えます。まだ、侍や芸者、刀のイメージがあるのかも知れません。

たしかにダンスと言ってもいろいろとあります。私も飲み屋さん(バーなどで)チークダンスやマンボなども踊っていました。

また、レッスンを受けている教室などのパーティーに参加することもあります。結構費用は掛かりますが、それもまた許せる範囲で楽しダンスにもなります。

年齢をひしひしと感じています。意見が合わないことはいつもです。しかし健康(姿勢を良くして過ごす)であることもダンスのお陰かと思います。まだ現役のアストリートのつもりでいます。(勝てませんかがね!)

年齢に関係なく、戦う気持ちが自分をフレッシュにしてくれるのでしょう。

こうして、25年以上もダンスを愛好していることも事実ですので、こちらにもウエイトを置いていますのでご紹介すべきかなと思いました。

たくさんの画像を並べてしまいました。25年の歳月を感じます。画像からも最近はダンスをやめたのかな?と思う方もおります。更に同じサークルで親しくしていた方も、先日、ご主人から寒中見舞いも届きました。若かくして奥さま(69歳)が他界されたとの訃報でした。

いろいろとありますが、健康のありがたさを感じます。

*これまでに拙ブログでもご紹介した画像が多く含まれています。お許しを!

 

Hiro


人生山坂転んで・・・今の自分

2023年01月28日 | なかま道志ベース

いつもご紹介している名言?です。

人生山坂転んで起きて

還暦(六十才)   まだまだ三役 突き落とし

古稀(七十才)   そんな誘いにや 耳かさぬ

喜寿(七十七才)    この山越えれば 花畑

傘寿(八十才)   まだまだこれでも 役に立つ

米寿(八十八才)  もう少し楽しみ 米と酒

卒寿(九十才)   人生大学 卒業なしさ

白寿(九十九才)  この世は三色(みいろ) 黒白グレイ

茶寿(百八才)   茶柱立ったよ まだまだ元気

皇寿(百十一才)  ここらでゆずろう 長寿日本一

・・・・

私も古希を過ぎて、喜寿まではあと5年近くもあります。一つの節目として75歳を考えています。これを越えればなんとか喜寿(77歳)が見えてきます。喜寿(この山越えれば花畑・・・?)本当に花畑かどうかは分かりません。

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*アンチエイジングでなく、スマートエイジングなのですね。

あと3カ月で節目?の75歳になります。夫婦共通の趣味のダンスも考え方が異なります。私は戦う競技ダンス(試合)は好んでいましたが、コロナ禍で試合も中止が多くダンスに対する気も薄れて来ました。また、私はパーティーダンスは全くダメなんです。先ずは、耳が遠く(難聴)で曲のリズムが分かりません。また参加すると気を使う性格なのかいつも不機嫌になって帰宅します。音が取れないので他人と踊ることが好まないのでしょう。(意外とシャイなんです)。その反面、女房は踊ることが好きで、試合にも出場することも好んでいますし、パーティーも進んで参加しています。

男性の多くは完全退職して、人と話す機会が少なくなるのでしょう。やはり仕事上の付き合いであって、そんなに退職後も頻繁にお会いして会話は必要としません。同級生も同じくです。数年に一回会えば良いところです。

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*今のところ、足腰などは痛くも無く不便は感じていません。

ある方のブログでは、仲間と地域おこしや歴史など探索している方もおります。

東京生まれの私にとっては、小中高も私立で地域とのつながりはほとんどありません。それでも子ども頃遊んだ仲間は、近所には住んでいませんし他界した方も多いのです。いても話し込むほどではありません。田舎もありませんので、お爺ちゃんやおばあちゃんも敷地内で一緒に暮らしていました。田舎のある方は良いなぁ~と思っていました。

これは本心ですが、趣味が多そうに見えても実際は話し相手がいない(少ない)のが実情です。いわゆる孤独な世界に入り込んでいます。

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*たしかに、睡眠時間は短くなりました。深い眠りも15分くらいです。

思うところあって、昨日から再びプールに通うかと思って行ってきました。体力の維持や何かの変化を求めてです。プールに行くにしても、それにはいくつもの課題?準備?も必要です。水着やその他の必需品の準備もです。

とりあえず準備して、公営の施設に向かいました。

駐車券も3時間まではタダです。

広い駐車場に止めました。

ここからいろいろな入場の手続き?が始まります。

先ずは、何を利用しに来たかをタッチパネルで選択します。プールを選択し高齢者の減額カードをピッとします。

高齢者は減額されて、2時間で300円です。

バーコードの付いた券を持ってプールに向かいます。

そして、地下のプールに移動し靴箱のロッカーに100円入れて(あとで戻ります)、シューズを置きます。支払った券を機械に読み込み入場です。ここからが2時間の制限時間になります。(オーバーすればもう一時間分を支払います)

次にやはりコイン式のロッカーに100円を投入します。ここからが個人的には面倒なのです。

入場料300円とシューズロッカー100円・脱衣ロッカー100円(入場料以外は戻ります)の準備が必要です。これこそすべてがスマホでピッと出来ないモノかと思ってしまいます。

衣類を脱ぐ順番とか、持ち物(時計・駐車券・携帯・財布・私の場合は補聴器などを)どのポケットに収納するかもあります。このシーズンですので襟巻や手袋などもです。

ロッカーの片隅にフード式襟巻が置いてありました。

こんなのを落とす人がいるもんだと思ったら、私のものでした。

結局、久しぶりですので水中ウォークを50分して、途中休憩がありその後400m泳いで上がりました。

整髪して帰宅する準備です。あれ?時計が無い。とか駐車券は?と探しまくります。やれやれとはこのことです。

今日も行こうかなと思っています。誰一人を話すことなく時間は過ぎて聞きます。

帰宅すると硬焼きそばが置いてありました。

晩酌のつまみは油揚げです。

一つの峠まで(75歳)まで、あと3カ月・・・。早く春にならないかなぁ~。

 

Hiro


昨年の今頃とちょいと一杯

2023年01月27日 | なかま道志ベース

数日前の東京地方です。今朝6時の室温は1度。雪は降っていません。

しかし、ご存じでしたか?5年前の1月25日は東京地方は大雪でした。

我が家も街もこんな感じの大雪でした。滑ってけが人も続出して、交通網も大きく乱れました。

ダンスのレッスンを終えるとこんな街並みになっていたのです。

また、この寒さを利用した昨年の道志での作品?です。

こんな氷中花が出来ました。自宅から草花を持って行きました。

本来はこんな画像をご紹介し、優雅に飲む姿をお見せしたいのですが・・・。なんとなくマクロでパチリしたものです。

普段はこんな飲み方はしていません。

やはり赤ちょうちん(居酒屋)が一番ですね。ここは有楽町のガード下の飲み屋街です。最初はガード下ですので、上の線路を通過する山手線や新幹線などの音が気になりますが、そのうち聞こえなくなるのも不思議です。

以前は魚○(マル)本店でしたが、屋号も代わっていました。

店内は以前と同じです。これがこのシーズンの雰囲気です。友人との一杯でした。(コロナ禍前です)

時には、チビチビと焼き豚で一杯です。私は焼き鳥より焼き豚の方が好きですね。

ここは調布の焼き豚専門店です。混んでいて、予約しても2時間で帰されました。

他の店です。大相撲で言う、三役揃い踏みです。

三種類の酒を銘柄ごとの味比べです。たまらないですねぇ~!正直三杯目になると味の違いは良く分かりません。飲めればいいだけで、日本酒のソムリエにはなれません。

なみなみと注がれた酒(受け皿も一杯)。まるでナイアガラの滝のように注いでくれます。

これが呑べいの楽しみとストレス?発散にもなります。今では大ぴらにこんな酒(居酒屋)も楽しめません。(コロナ禍ですので、あごにマスクです。風情がありません)

私たちもそれなりの年齢になりましたので、友人とも5時前に入店し8時近くにはほろ酔いで店を出ます。何よりも健康の秘訣かと、自分なりに理解しています。

店内では一人酒を楽しんでいる方もいます。きっと、席も決まっているのでしょう。

この方もやがて・・・。

イナバウアーになって行きます。荒川静香さんが見ていたら何て言うのでしょう。もっと反らなきゃダメよ!と言うのかも?

不思議に安定感良く、この体制(バランス)を維持しています。こうやってこの時期の過ごし方と姿もあることご理解いただければ幸いです。

あぁ~飲みてぇ~なぁ~。

 

Hiro


道志に家があっても、グランピングには憧れる

2023年01月26日 | なかま道志ベース

家の近くにはオートキャンプ場がたくさん存在しています。我が家にも夕刻になると美味しそうなバーべキューの香りが漂って来るくらいです。みなさん大型テントでキャンプを楽しんでいます。

さて、タイトルの内容です。何気なくネットを見ていましたら、15000円くらいで購入できるグランピング用テントがありました。今では25000円くらいしています。たかが半年前に購入したのにです。これは道志でも利用できるテントだと直感しました。

*以下、ネットより拝借。

しかし、大きさは良いのですが、こんなちゃちなテントは道志での雪や強い風には自立しないと思いました。これにはかなり補強が必要です。

買い求めました(中国製で生地は薄い)。

建てる場所を決めました。今まで農作物を作っていた場所ですので、平らに整地します。

杭などはたくさんありますので、これを使用します。簡単に言えば杭で骨組みをつくり、その中にテントを建てるのです。

杭をつくるためには、防腐剤を塗り打ち込みやすいように先端を尖がらせます。

寸法に合わせて木枠づくりです。ここまでで1日目は終了です。

まだ、頭の中は構想図を考えています。

一人作業ですので、誰か押さえていてくれれば作業は倍の速さで進むのですが・・・。

だいぶ木枠の形ができて来ました。

当然、アクシデントは付きものです。何かの拍子にこの木槌が落ちて頭の側面を直撃したのです。一瞬、ふらつきましたね。頭部のてっぺんだったら、倒れ込んでいたのでしょう。これも私の不注意からです。ヘルメットなどは必要です。

梱包されていたものを開きました。

安物ですので、素材は弱いものを使っています。強風だったら吹き飛ばされそうな品物です。木枠で補強する考えが当たっていました。

木枠の中にテントを仮に広げてみました。木枠が狭かったり、長さも足りなかったりで更に一部を作り直しました。

思ったようには張れません。しわが多すぎます。何度も調整しては吊り上げる方法を調整しました。

中もきれいなふくらみも無く、納得できません。そこで園芸用(トマトハウス用)のスチールを幅や大きさに合わせて切断したり、広げたりもしました。

なんとなくイメージに近づいてきました。

木枠のぐらつきを固定するために鉄網(メッシュ)を張りシッカリとして来ました。

この屋根?鉄網には蔦類やバラなどで囲みたいと思っています。*時間は要しますけどね。

テント内を耕して、温室にもします。

一番奥の部屋?は説明書では6人が横になれるとあります。地べたですと濡れてしまいますので、防水シート張りました。また、テントに付属されている床シートもあります。最終的には大きさに合わせて木で床を設置しました。

床づくり用の板を加工しています。

奥の部屋の板も張り終わり、通路も作り温室ですので両脇に草花や野菜なども植えることにしています。

形だけは一応できました。ここまで月に2回くらいの通い生活ですので、1カ月半要しています。

更に細かい手直しを行ないます。

ハーブや草花を越冬のために植えてみました。

結構手間がかかったのは、入口のビニールシート張りでした。

分かりますかね?温室にしますので、入口のビールシートです。どうやってぶら下げるのか?取り付けるのかを結構考えました。今度行ったときに裏側の貼り付けた部分をパチリして来ます。

自宅から使わなくなった絨毯を敷きました。ちょっと豪華な雰囲気になりましたね。

別荘の隠れ室です。

 

奥の部屋は間仕切りができます。お一人さまキャンパーにもお貸しできるような雰囲気です。

外周も掘って雨や雪が降っても浸水することは無いかと思います。結構苦労して、補強などを考えました。

庭で収穫したカリンの実を置いています。自然の芳香剤で良い香りが漂ってます。

私はここを「カリンの部屋」と名付けました。

これでほぼ完成形です。大雪が降っても持ちこたえられると良いのですが・・・。

こんなことをしながら(時間を費やしながら)、別荘の敷地内にグランピングテントで住処をつくるのも楽しいものです。

 

Hiro


結局 1泊で帰宅

2023年01月25日 | なかま道志ベース

1泊で帰宅しました。夜中にスマートウォッチがブルブルと震え何か連絡が入ったような気がしました。スマホを確認すると、ドコモメールだったようです。なんでこんな時間にと思います。

100歳となる母がおりますが、何か緊急連絡でも入ったかと飛び起きたのです。いつでもどこに居ても気になるものです。

朝は残っていたシャケ弁当をチンしてお茶漬けの素を入れていただきました。また、昨年9月に作ったゴーヤのニンニク醤油漬けも美味しくいただいています。

今の道志は作業するには寒過ぎます。食料など数日間 宿泊する準備はしてあります。簡単に調理できるものばかりです。

先日も母がお世話になっている施設から、連絡が入りある症状が出ているので検査しましたが、更に精密な検査は専門病院でとのことでした。あとはご家族の判断ですと・・・。

*グランピングテント(温室)内です。奥の部屋?はカリンの香りで一杯です。「カリンの部屋」と名付けました。入口付近は温室ですので草花もそれなりに元気です。

・・・・

姉さまや女房も含め、100歳になった母を移動させて検査し状況が分かっても、いま静かにして見守っている方が母のためじゃない?との判断です。もちろん私も賛成ですが・・・。

女性陣の判断力は的確で、私(男性)を上まわります。分かっちゃいるけど気持ちが落ち着きません。たしかに100歳と言う年齢は理解していますが、息子の気持ちはまだまだと思いたいのでしょう。

*木枠をつくり、ワラを敷いたり落ち葉を入れて春の準備です。生け簀のマスにもたくさんエサを与えて置きました。

思いついたように1泊で帰宅することにしました。なんか一人こんなことをしていて良いのだろうかと?持ち帰りの湧き水もタンク4つに入れて車に積み込みました。部屋も簡単に片付け、食料品も持ち帰ります。

カツが買ってありましたので、鍋に玉ねぎとつゆの素、みりんなどを入れてカツを乗せ吹き上がるのを待ちました。最後に卵とじです。ちょっと量が多すぎましたが昼食としては十分で夕食になるくらいです。

*自作の鍋敷きです。土鍋などに使っています。簡単にできますので何枚も作っています。

睡眠時間は十分過ぎますが、浅いウトウト状態だったのでしょう。返って寝疲れを感じます。

昼過ぎに家を出て東京の自宅に向かいました。この時期ですので、道路は空いていましたね。山道も高速道も何故か眠気が誘います。しかし、1時間半かからずに午後3時過ぎには着きました。

女房はダンスパーティーからまだ帰っていません。1時半から2時間ですので、4時頃の帰宅になるのでしょう。車からモノを降ろし片付けて風呂に入り体を休めました。物音が聞こえます。「あら、もう帰って来たの?」です。

パーティーの様子も聞きました(話していました)。多くの方からご主人は?と声をかけられたそうです。

何が言いたいのかご理解できないかと思いますが、気持ちも落ち着きもう少し暖かくなったら野良作業などに道志に入るのでしょう。

 

Hiro


その日の優先順位はそれぞれ異なる

2023年01月24日 | なかま道志ベース

夫婦で同じ趣味のダンスがあります。しかし、優先順位は人それぞれで趣味の時間の使い方が異なります。私は野良作業をしようかと道志に入りました。女房は市のダンス連盟主催のパーティーに行ってくるとのことです。今年はコロナも減少傾向?になってきました。また、次のピークがやってくるかも知れません。状況もありますが、ダンスの試合に出場しようかと思っています。しかし、パーティーは苦手な私です。

今日も予報によると強い寒気団が押し寄せそうです。

先日、私は中央道に入りました。あの山の向こうを目指しています。土曜日ですが、さすがこの時期は空いています。

翌朝の気温は零下4度です。思ったより寒く無いですね。陽が射し込むのは9時半ごろなのでしょう。

道志でお会いしたのは、この方(養魚場の霧〇さん)のみです。

ヤマメも元気に育っているとのことです。生き物商売は大変ですね。

道志川の支流ですが、水量がいく分少ないのかも知れません。

養魚場の隅にあるユンボ(重機)ですが、まだ動くそうです。これを使って敷地内を整備するとかです。

シカの角ですが、肉が付いたままの頭部を地面に埋めて腐らしているのです。もう少ししたら、鹿の角をいただくことになりました。これも道志生活なのです。

自宅付近ですが、誰もいません。余計に寒々さを感じます。

景色もセピアの世界になっています。

この日は動く気がしません。

ボート池の水も融けていました。ワサビも元気です。気温は6度になりました。

枯れ葉を運びこんで、この辺を耕そうかと思っています。しかし、そんなに動く気がしません。のんびり過ごすことにしました。

廃材をチェンソーで切断して、燃やします。

室内に入って暖を取りました。何故か急に寒くなりました。灯油切れです。ガス暖房にしていますので、無くなることはあまり考えていませんでした。山梨県竜王中学出身(女房の後輩)の竜電が9勝がニュースになっていました。

ブログをアップしている最中に、寒くなってきました。温風機の石油切れでした。

石油を入れようとしたらポンプのホースが切れて噴き出しています。仮止めにテープを巻いて応急処置です。これも道志生活です。

早くもこれを用意しました。

スルメを焼き、しゃぶりながら一杯がスタートしました。

その日の大相撲結果ですが、さすが山梨県YBSテレビです。

この日は途中目が覚めましたが、9時間37分寝ていたことになります。陽が射すまで時間がありますのでお茶漬けで朝食を考えています。

女房(おばあさん)の華やかなダンスパーティーとおじいさんのセピアの世界の道志暮らしの差がここにありました。

 

Hiro


これまでに3回お世話になったJAFロードサービス

2023年01月23日 | なかま道志ベース

また、JAFの加入延長のお知らせが来ました。

何でも保険などと同じで、加入して置くと安心感があります。JAFも当然同じですが、心配ない方は年に4000円+家族2000円を支払うことはありません。

私はこれまでに3回お世話になりました。全て不注意?からです。

1回目と2回目はバッテリーが上がってしまいました。3回目は路がたの段差で前輪がバーストしてしまいました。

さて、1回目です。

レクサスに乗っている時でした。独自のサービスがあってセンターと直接車内からやりとりできます。その分諸費用が(値段など)も高くなっているのでしょう。そこまでしなくてもと言いたくもなります。

ディラーにはレクサスのオーナーズラウンジがありますがオーナーしか入れません。この時はバッテリーが上がってしまい、オーナーズデスクにはつながりませんので、携帯でオーナーズデスクに直接電話しました。ちなみにオーナーズデスクの電話番号です。0800-300-0365 です。

全て登録されていて、携帯で電話をかけると、○○さまと相手側から答えてきます。位置情報も分かるのでしょう。

道志の別荘にいるときに、きっと何かの拍子でルームランプが点きっぱなしだったのかな?帰宅しようとしたらうんともすんとも・・・。

普段ですとドアーでも開き続ければ、けたたましいクラクションが鳴りひびいたり、自宅や携帯に知らせが入るようになっています。駐車場に置いて揺すったりすると盗難防止ようにまた、クラクションが鳴りひびきます。

今回は原因は分かりませんがドアーが開きません。もちろんエンジンもかかりません。別荘に滞在中は何日も車も乗らずにいたので、何かの拍子でバッテリーが上がったのも分かりませんでした。

オーナーズデスクに電話を入れると、1時間くらいで来ていただけるとのことです。レクサスと契約会社がJAFで、山中湖から来てくれました。30分ちょっとでです。

持ち歩けるバッテリー充電器を使って、すぐにエンジンがかかりましたがそのまま2~3時間はかけたままにしてくださいとのことです。その後、無事帰宅することができました!

2度目の出来事です。今度は自宅でです。車はスバルのレヴォーグです。道志への通い生活では、この時期は四駆でスタッドレスを履いているのが安心です。もちろんアイサイトもです。当時、レクサスにはアイサイトの類はありませんでした。

また、すぐに来てくれて持ち運びの出来るバッテリー充電器を用意していました。

それは自宅での駐車場でした。これもバッテリーが上がってしまったのです。レボーグは荷物台も倒せば広く長さ2mくらいなら乗せられます。道志生活にはピッタリでした。

この時はJAFを利用しました。30分くらいで来てくれました。やはりガレージの角に駐車したものですので、他の車とのバッテリー用の延長コードが接続できなかったのです。

理由は、ある方を後部座席に同乗させた際に、シートベルトの位置が分からずに室内点灯をして探していたのと、その方の荷物を降ろした時にやはりルームライトを付けっぱなしにしていたのでしょう。

その後、車は利用していませんでしたので、バッテリーが上がってしまったのです。JAF会員ですので無料で済みました。

バッテリーの寿命も近かったので、新品に替えました。(ちょうどJAFが持ちあわせていたバッテリーでしたので、オートバックなどよりも安く出来ました)

利用の仕方ではJAFも専門ですので、部品なども安く手に入るのでしょう。

その3です。

大変なことに遭遇しました。大雨の降る中、道志から帰宅する時でした。

家を出て坂道になりますが大雨で路がたがわからなくなるような状況でした。(雨が降り止んで現場をパチリです)。路がた舗装に大きな段差があったのが気が付かなかったのが原因です。

バーストしているのも分からずに5分くらい走ると、どうもハンドルが取られます。端に止めて見てみると前輪タイヤがバーストしていました。今の車は予備タイヤを積んでいません。あれば簡単にタイヤ交換できたかと思います。

ノロノロ運転で自宅(別荘)に戻りました。そして会員となっているJAFに電話を入れました。

電話先(JAF)では状況が分かりませんので、事故ですか?などと聞いてきます。安全な場所に退避してくださいと・・・。

状況を説明して、ヘルプをお願いしました。出動できる車を探して、相模原から向かうので、2時間くらいはお待ちくださいと・・・。

結局、車ごと積んで移動です。

 

レッカー車が来られました。目的地まで運ぶとのことです。自宅近くのディーラーまでです。運転席に乗せてもらい、高速道を利用して運んでくれました。

雨の中、道志の山道を抜けます。

2時間近くかかって、最寄りのディラーまで運んでくれました。

ディラーに着いてホッとしています。

全て、会員ですので無料となっています。

この辺が会員加入(継続)には難しい判断だと思いますが、結論としては、いつ、どんなことが発生するか分からないことから、私にとっては継続することに決めました。

保証(保険)と手間?を考えると、この年齢になると加入継続を選んだのです。(女房と次男坊)も同じく利用できます。

お世話になってはならないことですが、万が一を考えて加入延長いたしました。

 

Hiro


湯川れい子さんの87歳バースデー音楽会

2023年01月22日 | なかま道志ベース

池袋の東京芸術劇場で開催された「湯川れい子さんの87歳バースデー フィルハーモニー音楽会」に行ってきました。

司会者も徳光和夫さんで、豪華な出演者が揃いました。

久し振りに最寄りの駅から東京方面の電車に乗ります。1時間半以上もかけて、羽田や品川本社に通勤していた時代が懐かしくも思えます。

新宿で乗りかえ、山手線で池袋に向かいいます。この辺から全くのいなかっぺになっています。この人ごみに慣れていないのでしょう。

駅を降りても、近いのに迷います。結局は交番で聞きました。ふぅ~です。ちょっと前(退職する前)まではこんなことは無かったのですが・・・。

最寄りの出口から2分とありましたが、5分以上は探していたかと思います。やっと到着です。

案内されるままに、指定席に着きました。

2階席ですが、オーケストラや東京女性合唱団と各アーティストが間近で見れる場所でした。

開演時間とともに席も埋まり始めました。前列には(良い席には)、それらしき関係者が着席しています。

時間になり開演となりました。徳光さんの司会などで最初は中川翔子さんが歌を披露しています。

???全く、この席では歌が聴こえません!スピーカーが客席側を向いているものですから、オーケストラの強い演奏しか聞こえないんです。隣席の方に聞いても同じでした。

失礼ながらも曲の途中で係の方に説明して席を変えてもらえないかと伝えました。3階ならと・・・。(半分は退席し、帰宅を考えていたくらいです)完全に会場の席を把握していない主催者側のミスだと思います。反対席もみなさん移動しています。両サイドで30名くらいはいましたかね。一斉に移動したくらいです。これじゃ~演奏会も台無しです。

この画像で分かりますかね?オーケストラや合唱団近くの2階席がずらりと空席になっています。私たちは右側でした。左側は何人か着席していますが、きっと聞こえていないかと思います。

そして、3階に移動しました。今度はそれなりに聞こえますが音が割れています。どの会場でも音響もこんなものなのでしょう。いつも音が大きめに聞こえます。どの辺を対象にしているのか関係者に聞きたいくらいでした。

本来 演奏時はカメラや録画等は許されていませんが、エンディング近くになると、徳光さんは写真などもこれからOKですよ。SMSで紹介してください!と・・・。粋な計らいです。さすが徳光さん。

湯川さんも87歳になって、記念となる素敵な音楽会だったかと思います。最後の袖口でのご挨拶は感極まったのでしょう。下を向いたままでした。

私は特に「ゴスぺラッツ」ゴスぺ―ラーズとラッツ&スターのメンバーが歌う各曲が大変気に入りました。フルオーケストラと女性合唱団をバックにして歌う出演者も感動したかと思います。

何でも結果オーラ―イです。音楽会を終えて帰宅したのは10時半を過ぎていました。

喧騒な街を歩く時は女房と腕を組んだり手をつないだりです。気分も若返りましたね。また、何か演奏会などがあれば行きたいものです。

 

Hiro


せせらぎづくり第二弾(道志)

2023年01月21日 | なかま道志ベース

専攻は理工学部の土木工学科でした。別に好んでこの方向に進もうかと思ったわけではありません。生まれた環境が代々続く呉服商を営んでいましたので、親たちは当然その道を継がせたかったのでしょう。

若かったのでしょう。そんな雰囲気に反発して、真逆の建築か?または土木の道を選んだのです。これからは首都高速など橋梁の時代だと思い、橋梁工学を専攻しました・・・。東名高速が完成していないころ、静岡の山中の工事現場で作業員と半場(労働者の宿泊所)に住み込み渡米する資金をつくるためアルバイトをしていました。渡米中は仕送りなどはもちろんありません。

高校生時代から単独山歩が好きで、奥多摩の山々はほとんど行きましたね。返還前の沖縄(18歳)も一人です。米国生活(21歳~)も一人です。ベルリンの壁が崩壊した時も一人で行きました・・・。

前段が長くなりました(スミマセン!)

・・・・

当然、せせらぎの水を流すには下流が必要です。

急こう配な階段も塩ビパイプの半割で側溝をつくり(初狩のナイトー建商さんの出羽さんにお世話になり半割に切断してもらい)、通路脇に水路を設置しました。土が崩れないよう土留めもしました。

仮に塩ビパイプなどを設置したところです。最後はプラの池を泥溜めにします。その後は大きな浸透ますにつながります。

このころは寒い時期だったかと思います。

同じく防水シートを張り、両サイドは角材で固定します。

一応、この段階で流れ道は完成しました。

小石を拾い集めてサイドに形をつくります。中にはまた砂利を敷きました。

脇にはチューリップの球根も植えて、春先には咲いてくれました。

また、ワサビも植えましたが、底が浅かったのか上手く育たずに失敗です。

これが今の状態の完成した場面です。

晩秋になれば落ち葉で通路も水路も埋まってしまいます。

水源(湧き水の水道栓)、蓋もこれまでに二度直しています。

前任者が作られたものを残して、部分改修です。

作った当初は水源からの水道も、まだ新しさを感じます。

やがては水草が生えて落ち着いて来ました。

このように、水源からのせせらぎは完成しました。構想から春~夏~冬~また春になりました。

ワサビの花です。

結局、水源の下はワサビ田。

次に生け簀(イワナやマス)。2週間くらいエサなしでも生きています。

クレソンが植わっている池が2か所、そして下流の水路になります。近くのキャンプに来た方が、クレソンを収穫してくれています。出来過ぎて、伸ばし放題になっています。

ニゲラの花

菖蒲やアヤメも咲いています。

よく、ここまでやりました。自己満足の世界です。

あちこち、傷も絶えません。打身や切り傷、虫刺されなど・・・。

育てたワサビを擦って・・・。

クレソンをタマゴでとじって・・・。

広いデッキや薪ストーブの火を見ながら過ごす・・・。

贅沢な環境で(このような環境にして)通い生活している私です。

あと何年いられるか分かりませんが、山道の運転と体力・気力がいつまで続くかです。手放す時もそんなに遠くは無いかと思っています。

今日はこれから道志に入る準備をしています。

 

Hiro


5年前を思い出してください

2023年01月20日 | なかま道志ベース

ある雑誌に5歳若い自分に戻る。と言う記事がありました。「5歳若い自分」をつくることは、からだにとどまらず、精神面でも5歳の若返りをつくってくれるはず・・・。とありました。

男性でも女性でも5年前を思い出してください。きっと大きな?変化を感じることでしょう。

若い時は感じなくてもある程度の年齢になると、5年間の差はいろいろな意味で大きいものです。やがてはそう感じない年齢にもなることでしょう。ちょうど今の私は5年の差を強く?感じる年齢かも知れません。

今回はせせらぎをつくるを題にし、ご紹介いたします。写真の枚数も多いので2回に分けてになります。

前任者が苦労してコンクリートでせせらぎと池を作っていました。コンクリートでは冬の道志では土が10cmも持ち上がるくらいですので、ヒビ割れも多く補修に大変だったかと思います。

やはり、体力も気力もあった5年くらい前だったでしょうか?この何も無い部分にせせらぎと生け簀をつくることを考えました。右側には前任者がつくったせせらぎがあります。

私はコンクリート式ではなく、防水(専用)シートで作ることにしました。これなら伸縮しても漏ることは無いと思ったからです。シートはアマゾンで購入しました。

先ずは、深さを考えて掘り始めました。敷地内まで湧き水が水道として敷かれています。したがって、年中出しっぱなしでOKです。

こんな風に、途中生け簀をつくろうと大きなボックを設置しました。これも通販で購入です。今ではヤマメやマスが元気に泳いでいます。やはり水抜きの位置や構造も考えました。

先ずは掘り起こした部分に、保護のために毛布のようなシートを張ります。これもネットで購入しました。

その上に、防水シートを張ります。(5年間くらいの保証がありました)

シートの両脇をや底などに大きな石を置きました。何度も適当な石を探しては運び入れます。これがせせらぎの原型になります。

絵になるように、自宅で使わない太鼓橋を運び入れました。(車に積み込むのにも重くて苦労しました)。そこからここまで運ぶのもやっとです。50~60kgの重たさはあるかと思います。

底には砂利(小粒の砕石)を敷きます。これは地主さんからキャンプ場で使う砂利をたくさん分けてもらいました。こんな風に湧き水を流してみます。

両サイドにはアヤメやカキツバタを植えました。以前あったものを移植です。

次に池づくりも同様で、ある程度の深さに掘って底には保護のために絨毯を敷きました。

そして、せせらぎと同じく大きなシートを張ります。脇はまた石を置いて崩れないように固めます。砂利も運び入れました。

湧き水を流しては、漏れが無いかを確認します。石積みも終えてこれでほぼ原形は完成です。永住している訳ではありませんので、通うごとにイメージ合わせて作るのです。

生け簀も板で囲んで見えないようにしています。流木などを探しては絵になるように置いています。この砂利はバケツで何度も運び入れました。バケツにたくさん入れては重過ぎます。少なくても運び入れる回数が増えます。努力と体力勝負でした。

池には砂利を敷き、水草が育つように土を入れた器を沈めました。

底から下流はU字溝と防水シートで作ります。ここは違う場所の畑やブルーベリー畑に行くために横断するところです。よって、頑丈に作るためにU字溝を利用したのです。

U字溝の上に同じくシートを張りました。水漏れはありません。

その上にも板を張り、見栄えを良くします

ここまでするにも、月日は流れました・・・。(暑かった夏から、雪がちらつくようになりました)

池にはクレソンを植えています。

生け簀の近くにも、池を作っていますが(計2つの池)、土を入れてそこにも水草やクレソンを植えます。

サイドの土が崩れないように土留めの板も張り付けました。

上流にはワサビも植えています。作っては部分的に改修し流木を探しては置いたり、出来るだけ自然と同化するようにしています。

ボート池とせせらぎもマッチしてきました。これも湧き水を使える道志だからできるのでしょう。

とりあえず第一弾として、せせらぎづくりや生け簀、そして池づくりまでご紹介いたします。

これは5年前以上の作業でした。今作れと言われても気力や体力の余裕はありません。あの頃に戻りたい!しかし戻れない現実がここにあります。

 

Hiro


この日は冷たい雨が降っていました

2023年01月19日 | なかま道志ベース

一昨日の東京地方は朝から冷たい雨が降っていました。

私はほとんど朝一番でブログをアップしています。起きるのが早いせいもあるのですが、寝るのも早い!適当な時間にコーヒーを淹れます。その香りで女房が起きてきます。

一昨日から部屋の模様替えをしていました。

ここには自作の書道机がありましたが、他の部屋に女房の机があり使わないと言っています。寸法を測ったらちょうど入る大きさです。いただくことにいたしました。

中廊下ですが、机の幅はこの廊下いっぱいです。3cmくらいの隙間はありました。これを一人で移動させたのです。廊下に座布団やマットを敷いてです。引きずるように運びました。部屋から出すときは、横にして壁との机の脚は避けながらずらして、飛び出ている二階への階段などは持ち上げて奥の右側に運ぶのです。

持ち上げた机が滑り親指に落ち、痛くてしばし動けない状態でした。湿布したりテーピングしたりで、ズキンズキンしますが一晩過ごしました。アザが出来るくらいです。皮も剥けました。

もう一つのパソコン台も整理して、広々と使えるようになりました。

未だにZライトを使っています。今のZ世代と言われる方でもZライトと言っても分からないでしょうね。

先日、行き付けの鮨屋さんに伺った時に女将さんが亡くなったのを知って、気持ちだけお香代として受け取ってもたっらお礼でなのでしょう豆腐セットが送って来られました。

たかさん豆腐店とあります。お豆腐のおいしい食べ方が紹介されていました。

☝はいただいた豆腐セットの一部です。油揚げがこんなに美味しいとは思いませんでした。湯葉や豆乳もです。(これらは夕食にです)

女房は小雨降る朝ですが都内へ出かけますので、駅まで送って行きました。

昼食用として、パエリアがつくられています。また前日のクリームシチューも美味しい味になっています。昼はこれでいただきました。

ある方のブログで懐石風うな重が紹介されていましたので、刺激を受けて買い求めに行ってきました。一本もので2030円(税込み)です。これを3回に分けていただきます。3回分なら安いかと思います。

雨の日の昼過ぎでしたので、空いていましたね。

どれも美味しそうですが、自腹になりますのでうなぎだけにしました。

草花の写真を撮ってたくさん保存されていますので、いつか自費出版で「花の写真日記 365日」を作りたいと思っています。前々からの夢でした。

そんなことを考えながら、冷たい雨降る日を過ごしていたのです。夕刻にはダンスの練習会があり参加してきました。

ダンスも始めたころ(25年くらい前)は楽しかったのですが、上手くなろうとするとそれなりに苦しみにもなります。

何度かご紹介していますが、始めたころは新聞にも何故か載っていました。ダンスに対する想いは人それぞれなのでしょう。まさに生涯スポーツになっています。

午後3時から一人レッスン(女性先生に習う)に行ってきました。やはり先生は楽しく上手に教えていただけます。

道志生活とはまた違った生活です。やはり落ち着くのは道志にいることですね。

 

Hiro


人気の「スリラチャの赤備え」はどこで売っている?

2023年01月18日 | なかま道志ベース

今、人気の「スリラチャの赤備」はご存じですか?以前、テレビで紹介されていましたが何だろうと思いながら通り過ぎていました。

こんな場所に設置されていました。ネットで調べるといろいろな場所で販売されているようです。しかし、意外にもこんな場所にありました。

先日、バイクを止めて自販機を見てみました。なんだぁ~タバスコだとおもったら、テレビで紹介されていた、「スリラチャの赤備え」でした。辛そうな感じですが1つ(700円)買い求めました。

私はスイカで買ったのですが、ガチャンと落ちた音は聞こえます。しかし、どこから出すのか分かりません。それらしきところを押すと(の場所)シート?が折れて取り出せました。年配者には絶対に分からないかと思います。

さて、ネットより検索した内容です。スリラチャの赤備えとはです。ニンニク仕立ての旨辛ホットソースです。 スリラチャソースは、アジア地域や、アメリカなどにもあり、なぜか日本には知れ渡っていません。アメリカでは爆発的人気でスーパーや飲食店などに、塩、醤油などと一緒に並べられているところも多く、ハンバーガー、ステーキピザ・・などなど何にでもかけて食べられています。

そんなスリラチャソースを化学調味料・保存料・着色料なしの高品質でアメリカから直輸入しました。 世界は知っていて日本は知らないスリラチャソースが 日本初上陸したのです。

 元はタイ発祥のソースでロサンゼルスで商品化されアメリカ大ヒット商品となりました。 アメリカでもっとも売れている万能ソースです。 2016年に米国市場規模は日本円で推定約500億円に達し、現在も成長していると言われています。

スリラチャソースはアメリカ合衆国の衛生的なソース専用工場で作られています。保存料、着色料、を入れずに作っていますので、保存状態により色が多少変化する可能性があります。色が変化しても味に変わりはなく、安心して食することができるとありました。

日本の商品衛生基準に適したスペックにして特別に日本向けに作っています。賞味期限は日本の検査機関のもと、18ヶ月に設定としていました。

辛いモノ好きの私は硬焼きそばにかけてみました。うん 美味しいですよ。

また、石さんからいただいた燻製ベーコンでホワイトシチューを作ってかけて見ましたが、これも美味しい!

スリラチャの赤備とケチャップやマヨネーズと混ぜても良いようです。辛党の私の口には合いましたね。

こんなところで(自販機)で売っているとは・・・。*そんな場所でです。

 

Hiro


海外でのもてなし方

2023年01月17日 | なかま道志ベース

30年前のくらい前のことだったでしょうか?仕事でノースカロライナ州のダラム市(デューク大学が所在する市)に伺いました。この年齢(74歳)になると昔のことをふと思い出します。

*画像が不鮮明でスミマセン!報告書のCOPYです。

ここは米国の東海岸です。ダラム市に用事があって伺いましたが、着いたのは前日でタクシーで市に向おうとしたらフロントで車を用意していますと・・・。

なんとキャデラックのリムジンでした。当時 日本で乗っていた車はシビックです。先ずはこの大きさには驚きましたね。

先ずはギャリー市長(当時)にお会いして、表敬のご挨拶です。ほとんどの市長は名誉職で他に弁護士の職業もお持ちです。実質的には、バイスメイヤー(副市長)または、(シティーマネジャーと呼ぶ)が実務管理者です。その後、シティーマネジャーのパウエルさんにお会いしました。

ちょうど幹部による朝食会議が終わところだったようです。

温和な方で、握手を求めながらあなたのニックネームは?と聞いてきました。「○○」と呼ばれています。「ハイ!○○よく来たね」と返してくれました。心から私を歓迎してくれることが伝わります。

応接室に通され、どうだい何か飲むかい?と言われ、「ではコーヒーを」とお願いしました。

案内してくれたのは秘書の黒人の女性ですが、パウエルさんは秘書を前にして「私の秘書が淹れたコーヒーは世界一何だよ。彼女は私の片腕で、彼女なしでは何もできないんだ」と突然言うのです。彼女(秘書)は笑顔でコーヒーを運んで来ました。緊張していた気持ちも急に和みました。

さすが市のトップの方で、人を使う?のがうまいなと感じた一瞬です。人前でその方を褒めることをここで覚えたのです。

注意する時は個別で・・・。褒めるのは人前(みんなのまえで)が、米国で教わるとは思っていませんでした。それからは私もそうしています。

いただいたコーヒーも本当に美味しいものでした。

その夕刻ですがご自宅に招かれました。面識のないご家族(奥さま)も、私のニックネームで「○○よくいらっしゃいました。おめにかかれて嬉しいです!」と、すでに私のニックネームも伝わっていたのでしょう。

夕食が進むにつれて、私の仕事に関わりにあることや家族や趣味などの話などにも常に私が主役となるような話題になっていました。楽しい会話は最上のご馳走と言いますが、こういった心づかい(もてなし)を異国の地で受けるとは思って見ませんでした。

*ランチをご馳走になった街で一番のハンバーガー店での一枚です。

もう一つ、同じようなこともありました。ある方にお会いするため、住所を片手にエレベーターに乗り、部屋に向かいました。835、837とつづき、では次の部屋だな?と思ってドアの前に立つか、立たないかにドアが静かに開いて、「よく来ましたね。さぁ~どうぞ」と招いてくれた方がそこに立っていました。たったそれだけのことでしたが、こんなに素晴らしいもてなしに感激しました。

日本では、伺うことが分かっても呼び鈴(ブザー)を鳴らし「どなた様ですか」と声をかけてから玄関のカギを開ける経験をしたことがあります。

不用心なアメリカで体験したことが、もてなしの心として残りました。

市のどなたかが手配されたのかも知れません。宿泊先に電話がありインタビューをしたいとのことです。訪ねて来たのはダラム・モーニングハロルド社の女性記者で、カメラマンも一緒でした。

キャデラックのリムジンでのお迎えから、地元新聞での取材など完璧な対応に驚くばかりです。

私にとってもこんな経験もどこかで活かされているかも知れません。また活かさなければならないと思っています。

人を「おもてなし」することは、日本人だけの特技?ではないことが分かりました。

 

Hiro