自宅と道志の日々

タイトルを「自宅と道志の日々」にしました。日記のようにつぶやいています

住職の葬儀で謝辞(檀家筆頭総代)

2024年02月28日 | なかま道志ベース

人さまにはいろいろとお役目があるかと思いますが、菩提寺には多くの檀信徒がいらっしゃる中、筆頭総代として通夜式と告別式で謝辞を申し上げてまいりました。

両日と共に「差定」(式次第)

法要に際して、荘厳・装束・次第ならびに法要出勤者などを記したものを「差定」といいますが、このれらに従って法要は進められます。

所作次第と言うものがあって、それぞれの住職・副住職の役割もあります。

この式では10名の住職などが、それぞれの役割を果たしておられました。

ご参列される方々の多くは「有縁の各聖」(うえんのかくしょう)*寺と関係の深いお坊さんとご友人やご家族です。

仏教用語は難しい言葉や言い回しです。

*ネットより拝借。私は筆頭総代として右奥に席があります。

差定(次第)に従って進められますが、響き渡る読経により厳粛な葬儀式となりました。

総本山身延山久遠寺法主(ほうす)の猊下(げいか)総本山のトップもご臨席賜りました。日蓮聖人ご遺文『報恩抄』の一節から「咲いた花は根にかえり、果実の真実の味が土にとどまるように、法華経に身命を捧げてきたその功徳は遷化上人の御身に集まるであろうとお言葉を述べられていました。

我が家の仏間には曼荼羅が3幅掲げられています。

古くは慶応3年ですので約160年前のもので、総本山久遠寺の五重塔を建立する際にご寄進(寄付金)したことのお礼のようです。

そんな経過もあり先代より総代を仰せつかっておりますが、この度筆頭総代を仰せつかり「謝辞」をお願いされました。

私は菩提寺の前住職から縁もありましたので、現住職の嫁さんを世話して仲人も仰せつかりました。

また、前住職が他界され現副住職が住職になられる時も、総本山久遠寺にて修行と認証式の場にも、檀家を代表してご参加させていただいたこともあります。

「弔辞」では、ご本人の思い出やご紹介をすれば良いのかと思いますが、「謝辞」はご臨席賜りました皆さまへの御礼ですので、作成する内容も難しモノがありました。

式を執り行う(主導する)導師のお礼、有縁の各聖、お臨席いただいた各ご上人、友人とご家族への言葉などをおりこむのです。

そして、最後に亡くな上人も七七日(49日)は、お世話になった方々へのお礼と旅支度をすることでしょう。

他界された上人に対し、「謹んで増円妙道をお祈り申し上げます」がしめの言葉になります。

この様に斎場では多くの各上人がご参列していただきました。

小雨降る中、初七日法要も終えて帰宅します。

丸の内線(四谷砂丁目駅)の地下通路です。むき出しの各種配管があります。

自宅に戻り、塩でお清めしイスに腰かけました。

この二日間の重荷が取れたような気もいたします。

大きなため息も出ました。

これからも、いろいろとあることでしょう。

それが人生とお役目かも知れません。

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参考に「差定」(式次第)とは

日蓮宗における通夜式や告別式の手順は、厳格な儀式的手順に基づいて行われます。以下は、具体的な式次第の手順です。

通夜式と告別式の「差定」は異なりますが、何かの参考になればとご紹介いたしっます。

第一鐘  警装(けいそう): 通夜や告別の開始を告げるための鐘が鳴らされます。これは、参列者に儀式の開始を知らせる役割を果たします。

第二鐘  会衆章堂: 参列者が集まり、儀式が行われる会堂に入場します。

先  師衆昇堂: 導師や僧侶などが堂に昇ります。

先  会式之辞: 導師や僧侶が参列者に対して挨拶や説法を行います。

先  道場偈: 導師や僧侶が法要の目的や意義を述べます。

先  勧請: 亡くなった方の霊を招くための勧請が行われます。

次  開教偈: 仏教の教えや教義について述べます。

次  焼香: 参列者が香を焚いて供養を行います。

次  読経: お経が唱えられます。

次  祖訓: 先祖の教えや故人の遺訓について述べます。

次  唱題: 参列者が題目を唱えます。

次  宝塔偈: 亡くなった方への供養や祈りが述べられます。

次  回向: 亡くなった方の菩提を祈ります。

次  四功請願: 四つの功徳を願います。

  謝辞: 導師や僧侶が参列者に感謝の言葉を述べます。

次  奉送: 儀式の終了を告げるための言葉が述べられます。

次  閉式之辞: 儀式の終了を告げます。

結  師衆退堂: 導師や僧侶が堂を退場します。

この様に、一般的な葬儀とは異なり住職やその親族が亡くなるとこのような儀式となります。

何かの参考になれば幸甚です。

 

Hiro 拝


檀家筆頭総代 謝辞の準備

2024年02月27日 | なかま道志ベース

菩提寺の住職が64歳と言う若さでご逝去され、檀家の筆頭総代として「謝辞」を求められました。

何十名もの有縁の各聖(お寺と縁の深いお坊さん)や檀信徒、友人、関係者の中で通夜式と告別式が行われます。

菩提寺檀信徒代表 筆頭総代として「謝辞」を申し上げ奉納されますので、お忙しい中友人の書道家「内田藍亭先生」に代筆をお願いいたしました。

私が読みやすいような書体です。

「弔辞」は墨を薄く書くようですが「謝辞」は濃くても良いようです。

文面は自分で作りましたが、他の上人(お坊さん)に確認していただき、これは「謝辞」の参考になると言っていただきました。

これをお受けする日が先週土曜日の午後1時半に最寄りの駅となりました。

何?1時半!(昼飲みタイムです)

先生へのお礼も兼ねて、近くの店に入りました。

先ずは、喉の殺菌です。染みわたります。

現状の書道会の話しや、私の年齢でこれから何を目的に暮らして行くのかなど・・・。

夢や過去の出来事などを話ました。

私には分からのですが、他の方からの目から見ると企画やまとめ役が向いていると言われました。

たしかにそうかも知れません。自分では前に出ないつもりでも、目だって仕舞うようです。

でも、この年齢になりましたので、いろいろなお付き合いも減らしています。

「謝辞」もただ読めば良いのですので、なんて言うことありません。

以前はいろいろな場でお話しする機会がありました。90分~120分間でも原稿なしで、アドリブでその場の雰囲気でお話しさせていただきました。

程よい時間でお開きにいたしました。

以前と同様に駅前のパルコ地下で、女房へのお弁当(手土産)を買い求め帰宅です。まだ、夕刻の5時前です。

通夜式と明後日の告別式で、お読みする「謝辞」の準備と昼飲み会の内容でした。

 

Hiro

 


道志の家は「人生の楽園」と言えるのか?

2024年02月26日 | なかま道志ベース

先日のことです。昼近くになって木々の枝が折れるような強風が吹いてきました。

これでは、山道も雪の重みで折れかかった枝も道路を塞ぎかねないと思い、帰宅することにしました。

薪ストーブの煙がたなびいています。

ちょっと作りたいものがあって、早朝に行って来ました。

地主さんの丸太などの置き場です。

面白い丸太がありますが、作りたいモノの寸法に合わせてカットします。

これらは薪用として売るために、約35~40cmにしています。

お許しをいただいて、もらって来ました。

丸太を平行に切断するのも慣れてきました。

重い丸太を車に積み込みました。

道志の自宅に戻って、杉の厚板を置き場から引っ張り出してきました。

これを加工します。

当初から考えていた寸法に切断し、サンダーで磨きをかけます。

大きなため息が出ます。この時だけでも6000歩になっていました。

さて、テレビで紹介されている「人生の楽園」と言う番組があります。

結果は楽園になるかも知れませんが、それまでは結構ハードな準備段階が必要かと思っています。

朝ですが、ブログを打ってみなさんのところへ訪問し拝読させていただいています。

南は沖縄や九州(宮崎)から関西や、北は北海道までを楽しみ拝読させていただいています。

みなさんの生活感のある表現や内容も面白く、時にはコメントでいじりコメントも打っています。

その一つに、関西方面で同世代(女性)の方だと思いますが、この方のブログも楽しみにしています。

「穏やかな日々」とタイトルにしているcyicyi・・・さんにコメントを入れました。*勝手にリンクしてスミマセン!

私からは:・・・そう、「人生の楽園」と言う番組がありますが、私はそう簡単に人生には楽園なんてできないと思っています。
もし、道志が楽園のように思えるのでしたら・・・。苦労の連続で、いつかは楽園的になるのかもと・・・?

>cyicyi・・・さんの返信コメントには:「人生の楽園」まさに、今実現なさってるのでは~? 地元の皆さんとも、上手く付き合われて楽しそう~♪
ご苦労の連続って~そら無いわ~ 好きな事してですもんね。

贅沢の極み~噛みしめて~ 感謝しかないような~ いい人生ですよね~羨ましいですわ。👍と・・・。

そういかぁ~、そんな風にも見えるのですね。

先ず、山の家(隠れ家)がある。またそれができる(許される)環境がある。好きな木工も出来る・・・。これが楽園と言うのでしょうか?

もし、道志の家が楽園とすれば・・・。

chatgptに聞いてみました。

「人生の楽園」という表現は、個々の人にとって幸福や満足の状態を指すことがあります。これは人それぞれの定義や理想によって異なりますが、一般的には以下のような要素が含まれることがあります。

  • 幸福な人間関係:家族や友人との絆が深く、支え合い、喜びを共有できる関係があること。A:まぁ~そのような人間関係は間違えないのでしょう。
  • 安定した経済的状況:生活の基本的なニーズが満たされ、経済的な不安が少ないこと。A:決して経済的に満たされているとは思いません。昨日も年金支給日がやっと来たと感じています。
  • 自己実現と成長:自分の能力や興味に基づいて成長し、自己実現を達成できる機会があること。A:これを言われると辛いものがあります。たしかにそのとおりかも知れません。
  • 心身の健康:健康的な身体と心を維持し、ストレスや病気の影響を最小限に抑えることができること。A:体は今のところ健康の方かも知れません。しかし、それなりのストレスはありますよ。現職の頃はストレスの塊でした。
  • 意義ある人生:自分の人生に意味や目的を見出し、それを追求することができること。A:意義のある人生ってなんでしょうか?深堀りすると難し言葉です。

これらの要素は人によって異なる場合がありますが、一般的には人々が幸福や充実感を感じるための基本的な要素と考えられています。とありました。

やはり、世の中いろいろと悩みを持ちながらも、それぞれの楽しみを努力して作り、結果それが「人生の楽園」と言うのでしょうね。

いつも道志(山の家)に行くと疲れ果てて帰宅します。

湧き水をポリタン4つを降ろし、道志で加工した木材や丸太も降ろしました。

自宅に持ち帰り、こんな縁側前のベンチを作りたかったのです。(まだ仮置きです)

ちょっとした腰掛?花鉢台です。

庭隅には採りきれないシイタケが、まだあります。

やっぱり、道志は私にとって「人生の楽園」だったのかも知れません。

しかし、手放す日も近づいているような気もいたします。

疲れで、その夜は随分寝込みました。動けるうちが花なんでしょうね。

知り合いからあるものを受け取るために、午後1時半に最寄りの駅で待ち合わせしています。

当然ランチと称して昼飲み会になるのでしょう。

 

Hiro


道志に入りたかったのですが、雪マークが

2024年02月25日 | なかま道志ベース

最近、ブログをサボっています。これも先週の内容です。

気分が本調子ではなく、リフレッシュのために道志に入ったのですが、来ると動いちゃうものです。

残雪はあるものの、暖かな陽気に誘われて動き始めました。

この日は昼用にと炊き込みご飯を作っています。美味しく出来ましたね。

空中ウッドデッキに照明を二つ(デッキと階段用に)付けることにしました。

別荘には器用な方が多く、電気工事をされていた永住している〇尾さんにヘルプをお願いしました。

資材は前回聞いていたのですが、分岐するには防水用ボックスが必要とのことです。

それではと、資材を買い求めるために山越えして都留のカインズ向かいました。

カインズは多目的型のホームセンターで、いろいろなものはありますが、特化したモノ(欲しい部品)はありませんでした。

その足で、今度は近くの綿半(以前はJマート)に向かいました。

必要だったものがありました。

ここで、2時間以上作業中止です。急いで戻りまた、〇尾さんに声をかけ手伝ってもらいました。私は補助役です。

いやぁ~実に器用で、臨機応変に考えながら取り付けています。

私だったら、ビニールテープだけで防水してしまうのですが、電気をばかにするとブレーカーまで飛んでしまうよ。と言われました。

希望どおり仕上がりました。

これで、空中デッキで夕涼みができます。

これが私の思っていたとおりの完成形でした。

遅い昼めしでしたが、炊き込みご飯とカルビの野菜炒めです。

もちろん、昼前には〇尾さんにも差し上げました。

”これ自分で作ったの?冷凍?Hiroさんも器用だねぇ~”と言っていました。

こんな時間になっても、まだ外にいました。

ホームセンターを2か所歩き回ったり、外灯の取り付けなどで11000歩になっていました。

翌日は、丸太をチェンソーで切り取ってきました。また、杉の厚板も車に積み込み持ち帰ります。縁側前にベンチを作るためです。

これで少しはリフレッシュできたのかも?

 

Hiro


道志でリフレッシュ?

2024年02月21日 | なかま道志ベース

最近もいろいろとありましてね、2月14日のことでしたが道志に入りました。

中央道であの富士山を目指します、

弟のような菩提寺の住職(62歳)が、病気療養中でしたが梅の花が咲くころ逝ってしまいました。

仲人も仰せつかり、二人の娘さんを授かりこれから宗門などで活躍する年齢です。

日曜日には通夜式、月曜日は告別式になりましたが、住職の葬儀になりますので一般的な葬儀とは異なり、上人(お坊さん)も何十名も参加しての読経になりました。

檀家の筆頭総代ですので謝辞を依頼され読み上げさせていただきました。

儚い運命とはこのようなことなのでしょう。

道志への山道です。必死に上り坂をこいている集団に出会います。

先週の道志自宅近くでは、雪はまだ残っていました。

この先を曲がったところが我が家になります。

四駆のスタッドレスを履いていても、駐車場にはスタック(滑って)して入れません。

お隣の雪が融けたところに止めさせていただきました。

誰もいない・音が聞こえない場所です。

何もすることが出来ない(したくない)時間です。

薪ストーブに火を入れました。

まだ、2時半でこんなこんな時間です。

薪ストーブで暖を取りながら、いいちこで始めました・・・。

ぼけっとっと、火を眺めています。

こんな時って、考えているようで何も考えていないのですね。

思い起こせば、この一年いろいろとありました。これが打ち止めとは成らず、さらに出会いは少なくなっても、別れは多くなるのでしょう。

なんか、気持ちがダッチロールしています。

今まではリズム感のある曲やプレスリーやビートルズのような洋曲も好きだったのですが(テレビを観ても知らない歌手やバンドばかりです)、最近は何故か演歌を好むようになりました。

特に歌詞が心に残ります。細川たかしさんも、八代亜紀さんも、さだまさしさんもいい・・・。

温かい薪ストーブです。

今日はウッドデッキにレトロな電灯を付ける準備をしました。

この朝の外気温は0度です。暖かい日になりました。

静かな道志でリフレッシュしています。

この時期も道志の良いところです。

 

Hiro


雑草に逆らってはダメです!

2024年02月19日 | なかま道志ベース

A紙でこんな記事がありました。

記事内容も「雑草も敵じゃない」はずが・・・。

耕さない農、楽勝?余裕は一転「地獄」とあります。

私も、自宅や道志で少しばかりの野良作業をしています。

長年経験してしてきたことは、「No plan」では前に進みません。

いろいろと悩んで考えて「Is may plan」になるのでしょう。

経験的にそう思っただけです。

これまで、仕事も生活も将来を考えていろいろな努力をしてきたつもりです。

けっして、「No plan」では現在は成り立ちません。

みなさんも同様かと思います。行き当たりばったりの考えでは上手く行かないのでしょう。

昨年の猛暑でも、雑草に負けました!いつも草刈りや雑草と戦いに終始していました。

サラリーマン時代も同じです。団塊の世代ですので、多くの雑草(敵?)との戦いでした。

現代中心的な役割になりつつあるZ世代の方々の考え方(plan)も知りたいものです。

趣味も仕事も同様です。

先日、弟のように思っていた、菩提寺の住職(62歳)病気療養中でしたが、こんなに早く訃報の知らせが来るとは思いませんでした。

ご本人もご家族も無念かと思いますが、私も同様です。

なんか落ち込んでいますので、女房が道志に行って来たらと言っています。

行けば気分転換にもなるからでしょう。

人って弱いもの(心)だなと感じています。

お寺さんの葬儀ですので、何十人もの上人(お坊さん)が参集しての式になります。

私は檀家筆頭総代として「謝辞」を仰せつかりました。

一般とは異なった葬儀ですので独特な宗教用語(言い回し)が多く、たった4分間の謝辞を作成するのも関係者に確認しながらです。

道志に入って、いろいろな想いをからっぽにして来ます。

そして、今後の「plan」も考えてきます。

 

Hiro


良き昭和30年代を思い出す

2024年02月09日 | なかま道志ベース

道志から帰宅すると読んでいなかった新聞がありました。

そんな中で「自分たちの手でやっていた」と踏切の遮断機を手であげている記事がありました。私の生まれた1948年とあります。

ふと、昔を思い出しました。

中央線のある駅では南口が無い時代です。今では別世界で整備された広場と大型スーパーが建っています。

何かの工場跡地だったのでしょう。私たち(私立の小学校が近くにあり)の遊び場でした。

当然、踏切も自動ではなく、人力で上げ下げしていた時代です。電車が通る時間表を見て踏切り番の方がそうしていました。その踏切りは家族でお住いで、中学校の同級生もいました。

やがて南口も開設されて、徐々に駅前開発も行われてきました。

当初、中央線は今の五日市街道沿いを通る計画でしたが、蒸気機関車などの煙や火の粉?で隣接する藁ぶき屋根の農家などから猛反対を受けて、結果計画を変更して、新宿から立川まで当時の計画者が原野だった場所に一本線を引いたと聞いています。

したがって、北海道以外でこんな直線の線路は2番目のようです。

最寄りの駅はここでした。

近くには日赤や当時獣医大学・亜細亜大学・少し離れて国際基督教大学などもあったような気もいたします。

当初、中央線の駅は新宿・高円寺・武蔵境・国分寺・立川だっけだったかと思います。それから次々に駅が出来て150年近くになりました。

駅の改札口を出ると、必ず伝言板や忘れ物などが書ける唯一の連絡方法がありました。

もちろん携帯電話の無い時代です。

この駅は、西武是政線もありました。

是政(これまさ)と言う終点から下りて、歩いて10分くらいのところに多摩川がありました。当時は水量も多く、水質も良く夏になると良く水遊びした場所です。

川の反対側は多摩丘陵と言って、人家の少ない場所でした。

時代は急激に変化し、高度成長期には多摩ニュータウンと言って、若い方が住み始めましたが、核家族化で当時若かった方々も年配者となり寂れたタウンの代名詞にもなりました。(最近はここも再び若者が住み始めているようです)

長男坊が住んでいる聖跡桜ケ丘と言うところも、高層・高級マンションも増えているようで、大型スーパーや高級有名店も多くある場所になりました。

昔は竹藪や雑木林の丘陵だったのですがね。不動産の値上がりも考えて土地を購入した時もありました。

時代はどんどん変わります。恵方巻をいただきました。

関東人にはなじみが薄かった恵方巻ですが、これも今風の商業展開なのでしょう。

バレンタインもホワイトデーも、ボジョレーワインにも踊れされない年齢になってしまいました。

新聞の「自分たちの手でやっていた」から、つい昔を思い出した私がいます。

きっと、みなさんの街でもご幼少の頃とは大きく変化しているのでしょう。

道志で動き過ぎたのか?昨夜はぐっすりと眠れました。

流木を加工して飾って見ました。来週には入りたい道志です。

 

Hiro


山越えして都留へ いよいよ完成!

2024年02月08日 | なかま道志ベース

これも先週の内容です。今では雪も残っているかと思います。

自宅では豆を挽いて飲んでいるガテマラですが、道志ではインスタント(ガテマラ)です。

静かな朝を迎えました。

外気温はマイナス3度くらいかな?これからもう少し下がるかと思います。

この日の朝のお月さんです。アレクサで”朝の空かな曲”と呼ん聴いています。

すでに、もっと三ケ月になっていることでしょう。

道志に入った目的、空中ウッドデッキづくりが中心でした。

道志も東京地方も一昨日けから雪が積もるくらい降りました。

ウッドデッキにレトロな外灯を付けるために、部品を買い求めに山越へして40分くらいのホームセンターに向かいました。

役場もほぼ完成しています。

やはり地域密着のホームセンターですね。除雪機まで展示されています。

必要は配線器具やケーブルなどと昼の出来合いものの食材も買い求めました。

女房もタッパに入れて、いろいろな調理することが無いような健康食材を持たせてくれます。嬉しいですね!

自分でも、一昨日はホタテの炊き込みご飯を作りました。

キャンプ場(地主さん)におすそ分けです。

美味しく出来ました。やはり水加減なのでしょう。

壊れた外の蛇口を改修しました。

収穫した野菜や手を洗うための蛇口です。

これらも道志に合うようなものをネットで(安いもの)を探し求めています。

近くの方もブログを読まれているのか、3人の方がウッドデッキを見に来られました。

作り方をパチリしていました。

また、春になったらここで飲もうと言う方もいました。

今回は達成感があった道志でした。でもやること、したいことは沢山あります。*沢山(沢と山は道志の言葉のようにも思えます)。

残材を燃やしています。

気持も燃え尽き感もありますので帰宅しました。

道志にいると、PCに向き合う時間が少ないので、楽しみにしているみなさんのブログを拝見する余裕が無いのも事実です。

永住できれば良いのでしょうが、そうは行きません。今のところ3軒(自宅・本家・道志)の家を管理(守って)することになります。

動けるのですから、一番贅沢な時間(年齢)なのかも知れません。

年金支給日まで、あと1週間です。

 

Hiro


ウッドデッキ完成近し!

2024年02月07日 | なかま道志ベース

一昨日以来降り続いている雪も気になります。

先週ですが、ウッドデッキも完成に近づきました。

こんなことしているから、比較的元気なのかも知れません。

道志の山の家に山や空を見る、空中ウッドデッキを作ろうと思ってから11カ月が経過しました。

何度もご紹介している内容です。

いろいろな出来事があり、夏の暑さも含めて凝縮された大変な一年でした。

昨日、ほぼ(98%)完成いたしました。

あとの2%は細部の補修やレトロな街路灯設置です。

10年前に苗木から育てた白樺も残して、テーブルも作りました。

全く一人で作り上げたデッキです。

あちこちに、自分の発想や工夫が凝縮されているのかも知れません。

脇のテーブルも設置しました。モノを置いたり正面だけですと会話が出来ないからです。

流木や蔓枝なども取り付けてみました。

終えたのは夕刻5時近くです。デッキから山に落ちる夕日が見えます。

女房に画像をラインで送ると”頑張りましたね!”と返信がありました。

思えば昨年の春に、この場所にウッドデッキを作ろうかと考えたのです。

ゆっくりと昼はハーブティー、夕刻はビールでも飲もうかと思ったからです。でも、昨年の夏の暑さに負けました!!

簡単なポンチ絵(構想図)を書き、寸法を決めて角々などに太い柱を立てました。深く掘って、土台になるコンクリート基礎を埋め込みます。

誰か押さえてくれる方がいれば容易なのですが、一人では垂直に立てるのは時間を要しました。

主な木材はありましたが、ベンチにするための木材(丸太)を地主さんの置き場で探しては車に積み込み運びました。

日中は暖かったですが、朝はマイナス5度にもなっています。

今回は天候にも恵まれ、動くと返って暑いくらいの陽気です。

そうですね。3m角の広さです。

9割は完成しても、あとの1割が結構手間がかかります。

ちょおと分かり辛いかと思いますが丸太はつって、ベンチ?(イス)お一人さま用を設置しました。

重たい丸太を上まで持ち上げるのも大変です。75歳過ぎた爺さんがやることではないかと思うくらいです。

作業中です。重い木材を落として足や指も青あざが出来ています。

こんな風に仮置きしては、安定感を考えます。そして、また加工するのです。

原木の丸太木を座り心地を考えてはつり(削り)ました。

念願の空中デッキから、山々も見えます。

次回の予定は、ここにアンティークな外灯を設置することです。

空中ウッドデッキほぼ完成のドヤ顔です。

今日は外の洗い場の蛇口を直す予定です。

上のオートキャンプ場(地主さん)から、2メート近いケヤキ板に看板を書いて(彫って)くれないかと、頼まれました。

隷書体にするか?細丸ゴシック体で丸みのある書体にするかを考えています。

結構、頼まれごとや飲み会の誘いも多い日々になっています。

指先はハンマーでたたいて、膨れ上がっています。

注意はしていたのですがね・・・。

 

Hiro


丸太はつり

2024年02月06日 | なかま道志ベース

先日のことです。道志に入るため相模湖から山道を利用しています。

後ろから来るバイクには合図して見通しの良いところで先に行かせます。ある意味ではこれが山道のルールなのでしょう。

この時は、若葉マークの車の後に付いてしまいました。コーナーごとにブレーキを踏んでいます。後ろには、バイクも含み10台以上の渋滞になっていました。

道を譲る余裕はないのでしょう。

年齢的にはモミジマークですが、常にご迷惑をお掛けしないように運転します。

強風の日があったのでしょう。木材置き場のシートが飛ばされていました。

だけど、玄関前の福寿草が咲いています。

日向の気温は26~27度・・・。春の気配を感じます。

しかし、誰もいない室内は5度でした。普通の外気温は13度くらいです。

今回の道志に入った目的はベンチを作ることでした。

山の置き場から、面白そうな丸太を切り取って運んできました。

これを削ってベンチの座り台にします。

普通の方は目にもしない形です。

使うのは「丸太はつり」と言う器具とその他です。

大まかは、手斧(ちょうな)削りのように加工します。浮かせるように削れば、結構きれいな木目が出ます。しかし、7kgくらいあるかと思います。

このくぼんだ部分が座るところです。面白いですね。

電気カンナも利用して、裏側も平らに削りました。この木目が好きなんですよ。

あとは脚をどうするかです。

もう一つ削りました。

こんな工具も使います。

ご覧になっている方は、こんなことが楽しいの?とお思いでしょう。

山に入ってイメージした木材を探し、チェンソーでカットして重たい丸太を車に乗せて・・・。

そして、下ろしていろいろな器具で加工して、まだ道半ばです。

この後のイメージして、完成に持って行くまでが楽しみなのです。

 

Hiro


高齢者の認知機能検査って必要?

2024年02月05日 | なかま道志ベース

特に、後期高齢者が運転する事故が多く発生しています。ほとんどが、アクセルの踏み間違えなど認知機能の衰えから来ているのでしょう。

しかし、警視庁公安委員会が行う必要があるのかも疑問になります。逆に言えばこのシクミしか、チェックが出来ないのでしょう。

実施する意味は分かりますが、あなたは認知症だとあの試験だけで担当官はわかるのでしょうか?

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さて、特に後期高齢者が運転免許を更新するにはいくつかの難関?を突破する必要があります

こちらは(公安委員会の試験場)1,050円の受講料です。

これだけ高齢者による事故が多いと、やむを得ないかと思いますが・・・。

じゃ~、認知機能って何なのか?と思ってしまいます。

地方では一人一台の車を所有しています。

そうでないと、医者にも町への買い物もできません。

たしかに、高齢者はいろいろな機能が低下しているのも事実です。

特に、アクセルとブレーキの踏み間違いなどで、悲惨な事故も起きています。

この時代ですので、もっと認知機能の低下を補うような車の開発をすべきかと思います。

第三者が諸条件を鑑みて、免許返納を促す手立て(シクミ)を強化すべきが先のようにも思えます。

先日、法令に従って「運転免許の高齢者講習等」に行って来ました。

東京都の認知検定試験会場は、都内3カ所にある公安委員会の試験場で行います。

◎いいですか!ここだけの話です。

こんな絵を並べられて、何が書かれていたのかの試験が開始されます。

約30~40分で結果が出ます。

運転免許認知機能検査は、ある程度の勉強?も必要かと思いました。

ここで、重要なのは試験日当日に、氏名と何年生まれ・何歳・試験日は何年・何月・何曜日・今何時ごろだけ書いて、あとは出題された(係官がスライドに移したものを2個くらい覚えていれば、落ちることはありません。

何故かと言うと、試験官はこんな問題(試験)で受けた方が認知症とは医者ではないので判断できないからです。

したがって、かなりの年配者もいましたが、この時も全員合格になります。

(ここだけの話し2、試験官がそう言っていました

特に、全くの白紙で認知機能に問題があるとすれば、専門機関で調べてくれとなります。

再度、受講(試験)を受けることが出来ます。

だって、法律に従ってですので、ポツンと一軒家に免許をお持ちで高齢ドライバーさんも同じ試験を突破?する必要があります。

その方の生活権を奪うことはできないのでしょう。(自主返納を促すしかありません)

もう一つ講習や実地運転などは、自動車教習所になります。

私の地域では「講習等」は数ある自動車教習所になりますが、通知が来てすぐに申し込まないと混みあっていて、1~2カ月先となったりで更新に間に合わない場合があります。これだけは注意が必要です。

非常に簡単な講習?(お話し)と簡易な視力検査を行います。

この検査や運転講習で、免許を取得できた訳ではありません。

これら後期高齢者の講習は150日前に届き、誕生日の前後30日で更新手続きをするのです。

そして、教習所内のコースを10分程走り講習を終えて、修了書を受け取ります。

8名が入室し(予約制)概ね2時間弱ですが、昨年までは5,000円だったものが、今年から8,000円になっていました。

9時から開始ですが、30分前に受付するように言われます。

一日にこの講習所では午前と午後の2回行われるかは分かりました。

ここでも、不合格になることはありません。(ここだけの話し3 担当者が視力検査も精度がばらつきがありますからね~と)

教習所も商売ですので、あそこは厳しいとか不人気になれば不合格に出来ません。

(ここだけの話し4 実地運転も、コースや車種も違うので脱輪しても注意してくださいね!です。

それにしても8,000円高い!

年金生活者から、そんなに金を取るなよ!と言いたいくらいです。

したがって、後期高齢者の認知機能検査などは、前もっての勉強などは全く心配ありません!

地域によっても異なりますが、公安委員会の試験場でも教習所でも両方できる場合があります。

これは1日で済みますので、これも良いかな?と思います。それだけは調べてくさい。

 

Hiro


パンクした!予備タイヤも無い車が多くなった。

2024年02月04日 | なかま道志ベース

先日のことです。女房は午後、美容院へ予約を取り向かいました。着くころかな?と思う時間に携帯に電話が入りました。

電話口では、駐車場がどこも満車で街道沿いの広いコインランドリー入ろうとしたら縁石でタイヤが擦れた感じと言っていました。あとは右前のタイヤがガタガタしていると・・・。

どうしたら良いの?の電話でしたとのことです。

先ずはJAFに連絡しなさいと・・・。(家族会員ですのでカードは持っているはず)

バイクで駆けつけると、連絡はついて30分くらで来るらしい。

時間より早く来てくれました。

JAF曰く、釘でも刺さっていれば抜いて、ゴムを差し込んで止めて応急処置が出来ると言っていました。

タイヤを外し調べています。完全にバーストしています。

私はディラーに電話して、状況を伝えました。交換するタイヤは無く取り寄せるとのことです。

JAFはけん引して、4~5km離れたディーラーまで運んでくれました。

あの偽装問題になっているダイハツのディラーです。

対応も実に丁寧でした。

前回の車検でタイヤが劣化していると示したそうです。

翌日はディラーは定休日で明日まで保管するとのことです。

代車をお願いしました。ダイハツもこんな情勢ですので、すぐに用意してくれました。

キャンバスと言う軽自動車ですが、実に視界も広く乗りやすく感じます。

こんな車でも良いかな?と思うくらいです。

そう言えば、道志でも何度かお世話になっています。

一度は室内灯が点いて、バッテリーが上がってしまいました。

また、山の家近くで路肩の石に接触しバーストしてしまい、山梨から東京のディラーに高速道を使って運んでもらったこともあります。会費を支払っていますので、無料になりました。

車ごと積んで東京までです。

スバルのディーラーまで、運んでくれました。

こんな時がありますので入会を継続して良かったな!と思いました。

まさに、転んだ先の杖になるJAFでした。(コマーシャルではありません。本音です)

 

Hiro


年配者は昼飲み会に限!!

2024年02月03日 | なかま道志ベース

不機嫌と言うのか?調子の良くない私を見て、女房が〇藤さんと一杯やってきたらと言われました。それではと相手にラインを入れて・・・。二つ返事でOKがありました。

先週の土曜日12時に、お互いの中間地点である駅前で待ち合わせです。

行き当たりバッタリで居酒屋を探し、ビルの6階の店に入りました。

当然のごとく先ずは「生」で乾杯です。

今回は焼き物中心のモノにしました。

私はサザエの取り出しが得意な方なんです。ちょっとしたコツもあります。

カニ味噌のなんとかです。忘れました!*ピンボケでスミマセン。

やがて、一番安い冷酒を注文します。

あるテレビ番組で、西田敏行さんが「人生には楽園が必要だ!」と声かけしていますが、まさにこれが人生の楽園の場かも知れません。

彼とはセカンドステージのころ知り合い、お互いに所属こそ違えど同じような境遇で苦楽を共にして来ました。

70歳過ぎても仕事を続け、似たような悩みも共感するところがあります。

女性(連れ合い)は、時間の使い方やストレス?の発散方法も上手なのでしょう。

特に、長電話や韓流ドラマなどで・・・。と思います。

そこを行くと男はだらしがないもので、晩酌が始まると昔の立場やそれぞれの環境のせいなのか、愚痴っぽくなるようです。*本人は分かりません!

したがって、大事な話は夕食時(晩酌中)でなく、朝の時間が良いようです。

先輩諸氏やご同輩も同じかも知れません。でも愚痴が言える人がいることも幸せと感じなければならないのでしょう。

美味しいシラスサラダでした。*これが安かったので注文したのです。

お互いにご満悦です。昼からこんなことが出来るのですから~。

この店はランチもありますが、昼飲みもできます。ご飯はお替り自由になっていました。

結構満席に状態になっています。

長々と他愛無い話が続きます。

もちろん、このような場しか話せないこともあります。身内のことから政治(世相)まで、話が広がります。

やはり、いつまで健康(人の世話にならずに)いられるか?そして、もっと穏やかに暮らす方法(努力)とはなどと・・・。

話しはつきません。時間を見るとちょうど良い時刻になっています。

駅前広場に面しているパルコの地下で、イカ刺しやちょっとしたおかずを買い求め、それぞれの奥方に対する手土産を買い求めました。

嬉しかったのは、同じバス停で外人のモデルさんのような方が乗り込んできたことです。私が降りる一つ手前のバス停で下車されました。最後までお得感のある飲み会でした。

今日は「楽しいもんだよ!昼飲み会」をご紹介いたしました。

さて、道志では昼飲み会が出来るような店(民宿)はあるのでしょうかね?

みなさん移動するにはくるまですから・・・。

交通便利な場所に住むのも利点の一つです。

 

Hiro


「改製前原戸籍」は150年前からの戸籍が分かる

2024年02月02日 | なかま道志ベース

我が家の仏間です。

そこには曼荼羅が3幅飾られています。慶応2年・明治5年・明治11年とあります。

古いものは慶応三年と記されています。徳川慶喜・大政奉還・坂本竜馬の時代です。

それぞれを調べて、時代背景や家系図も作りました。

母が102歳で他界し、相続で引き継ぐことになりました。関係書類をいただくとこの「改製前原戸籍」もあって、さらに深い過去を知ることも出来ました。

「改製前原戸籍」は、この原戸籍簿の保存期間は150年となりました。

「原戸籍(改製原戸籍)」とは、コンピュータ上で保管される様式となる前(改製前)の紙の戸籍のことです。

いわば古いバージョンの戸籍です。一般的には、平成6(1994)年の法務省令による改正以前の戸籍を「原戸籍(改製原戸籍)」と呼んでいます。

先代の古い記録には嘉永3年と記されていますので、実に170年前のことです。

祖父「榮次郎」の親である父「正壽」と母「せい」だと思います。

具体的な婚姻の日や亡くなった日、嫁ぎ先なども記載されています。

これが先代の「正壽」の写真だと思います。

私のお祖父さんとお祖母さんの「榮次郎とてふ(ちょう)」さんです。

父と母の結婚式の集合写真もあります。初めて見ました。

現存する中廊下です。

何が言いたいかですが、ご自分の本籍が置いてある区市町村の戸籍係に行って「改製前原戸籍」を申請すれば、少し時間もかかりますが150年前のルーツ(流れ)が分かるかと思います。

今までは約100年前まででしたので、戸籍をコンピュータ上で管理することが認められ、それまで紙の用紙にタイプライターで記載するという方法から、コンピュータ上で管理し、請求があった場合はそれをコピーして渡す方法へと変わったのです。

コンピュータ化により、従来の「B4サイズ縦書き」から「A4サイズ横書き」へ変わり、項目ごとに見出しも加えられて読みやすくなりました。この改製後の現在使用されている戸籍を「現在戸籍」といいます。

またこの時に、戸籍謄本(こせきとうほん)は「戸籍 全部事項証明書」、戸籍抄本(こせきしょうほん)は「戸籍 個人事項証明書」と名称を変えました。戸籍謄本は、戸籍簿に記載の全部の写し、戸籍妙本は戸籍簿に記載の個人の写しを指すようになりました。

ご自分のルーツを知るには、解明するのに時間はかかりますが、かなり詳細なことまで記されていますので、面白い?かも知れません。

何かのご参考に。

 

Hiro