自宅と道志の日々

タイトルを「自宅と道志の日々」にしました。日記のようにつぶやいています

奈良の友人と京都で一杯(7年前のこと)

2022年12月31日 | なかま道志ベース

外付けのハードディスクが3台あり、2テラ2台と1テラ1台にデーターを保存しています。内容によって振り分けの保存です。たまたまですが、2015.6.11のデータに目が留まりました。

7年前になるんですね。奈良へ出張の際に昔(現職時代に)知り合った友人にお会いすることができました。奈良にお住まいで、各地で選抜?された方々が千葉県のある研修で2週間ほどいろいろな研修を受けました。(詳しは申し上げられません)

ちょうど、中東問題勃発のころです。*ほとんど新聞の挿絵は切り取ってスクラップブックに保存しています。

その研修所はいろいろな決まりごとがあって、食堂以外は飲めないことになっています。しかし、自己責任の範囲で(その規則?を破って)私の部屋が居酒屋になっていたのです。各地の方が集まり大きなネットワークになりました。そのメンバーたちとは今でも付き合いが続いています。

その中の友人とも未だにお付き合いをしています。道志にも来ました。

現職時代の30歳代のころからですので、長い付き合いになります。我が家にもお泊りいただいたこともありました。

このお店は「つじや」さんはエキナカだったと思います。今はあるかは分かりません。

飛び込みで入ったお店です。具体的な仕事は申し上げられまあせんが、濱ちゃんは優秀な人材で、仕事も秀でていたのでしょう。気もよく合いました。私はたまたま研修に行ってこいと言われただけです。

彼は趣味も多くエレベストの登山隊のメンバーになったり、そのために(足腰を鍛えるために)自転車も愛好している方でした。

女性客も多く、賑わっている店でした。息子さんは奈良でシェアーハウスも経営されているようです。

何故か、私の画像は飲み食いする場面が多くなります。昨日は回らない鮨屋で一人忘年会でしたね。

どこへ行っても焼き鳥屋さんを探してしまいます。このお店も美味しかったのですが、今までで一番美味しかったのは伊勢市の「にかわ」さんでした。居酒屋はどこにもありますが、岡山の何故かミシュランに選ばれていた普通の居酒屋「鶏よし」さんか、弘前の「土紋」さん、中野の「第二力酒造」が印象に残っています。

彼とも酒を酌み交わしながら、仕事上のことや家族・趣味の話をしていました。

これらの画像を見ても美味しさが伝わります。お互いに現職時代は苦労したことが共通なので理解し合えたのでしょう。

今では仕事のやり方?も異なり、相手先もパソコンなど机上で済ませることも多くなったのか現場に出ることが少なくなったと聞きます。昨日も電話である方と話をしましたが、現場を知らない方が多くなったと嘆いていました。「満足」とは満る足と書きます。どんなにデジタル化が進んでもやはり足を使わなければ問題は解決できないかと思いますが・・・。足を使わないから「不満足」になるのでしょう。

この時は濱ちゃんにいろいろとご馳走になりました。

その後、新幹線で帰宅の途につきました。

よく先代に言われました。当時(カードが無い時代)財布には年齢に合わせて現金を入れて置きなさいと・・・。

十代なら1万円。二十代なら2万円・・・。70歳代になりましたが7万円は入っていません。今ではカードやd払い、交通系カードなどで済ませることができます。先代の言うことも一理あると思いました。

年齢なりの付き合いもあります。

東京に来られれば、私のおごりはもちろんのことです。そのくらいの蓄えはまだ残っています。

一昨日も質素に門松やしめ飾りを付けました。

作ったテーブルも所定の位置に設置しました。

瀬戸内海の大島上崎町の友人から届いたみかんをいただいています。

やはり、夕食(晩酌)はグリルでの焼き鳥がつまみです。

そんな感じで一日が終わります。

 

Hiro


行き付けの鮨屋で一人忘年会

2022年12月30日 | なかま道志ベース

この時代、世の中は大きく変化しています。まだ、この状況について行けない私がいます。今年の節目として、昼間にお一人さま忘年会を実行いたしました。(女房は仕事です)

行き付けの回らない鮨屋さんです。場所は我が家から電車やバスを利用して約1時間15分くらいのところです。

昼の11時半開店ですので、それに合わせて家を出ました。(最寄りの駅です)

そして、西方面に電車で30分くらいの駅に降りました。

洒落た駅ビル構内です。

11時05分バスを待ちます。賑やかな街を離れここからバスに揺られて30分・・・。

最初は結構満席状態です。

街から離れ、景色も変わり閑静なところにやって来ました。

終点に着くころは乗客は私を含めて数名でした。

終点の戸吹と言うバス停を降りると、大きな青い建物が見えます。目的のお店はいつもご紹介している「戸吹 鮨忠」さんです。

あれ?入口が変わった!

以前は玄関先だった場所に個室ができています。

奥座敷などは変わりません。間仕切りの戸板は今の天皇陛下の幼少時代の書道の先生だった「桑原翆邦」先生が揮毫した戸板が並んでいます。

内田藍亭先生のお書きになった「笑顔」も見えます。

こんな感じの回らない鮨店です。若大将は奥さんとともに、裏でお節の準備で忙しそうに動き回っていました。

大将が出迎えてくれました。たまたまですが、最初のころに伺った写真をお持ちしました。

また、この店に合ったカレンダーを毎年お持ちしています。元呉服店だったので当時の風呂敷(60年くらいのモノ)に包んでお渡ししました。

大将は家族写真をジーっと見ています。ポツリと女房は昨年亡くなりましてね。最後は大腸癌で、その前から何度も大病をしていたとのことです。そんなこともつゆ知らず・・・。懐かしく大切な写真だと言ってくれました。

2~3日前に漬けたゴーヤなど、ミョウガとなんだっけな?付け出しです。

鮮度の良いあん肝です。お一人さま忘年会が始まりました。

先ずは生ビールです。今年一年を振り返ると、個人的には大きなことも無く過ごしました。母も百寿を迎え施設で穏やかに暮らしています。私個人は50年間働いてきたことで生活の変化(コロナ禍も含み)で気持ちもお付かないことも多くありました。最近になってやっとこれからの考え方や暮らし方に慣れてきたところです。

大将も心得たもので、握りでなく酒のつまみが出されます。タコも美味しい!数の子もお正月気分にさせてくれます。そうなれば当然これです。

キンキン冷えた日本酒です。まろやかな味と香りです。

友人の雅号に似た、新潟の酒「鶴齢」にしました。*彼の雅号「鶴嶺」さんです。

自家製のたくわんだけど・・・と出してくれました。酒に合い美味しくいただきました。

握りながら、大将との会話が続きます。お酒などの出し入れは当時小学生だった孫娘さんが大学生になり仲居さん(アルバイト?)をしています。大勢の内孫外孫がいて幸せだよと言っていました。

贅沢至極で旨い鮨をいただています。日本酒ももう一つ(呑み助は一本とは言わずもう一つと言っています)お願いしました。

ガリが好きで、いつもたくさんいただいていますが、手前がつくられた(出来合い)もので、奥が自家製です。味や歯ごたえが全然異なります。大将も自慢していましたね。

お一人さま忘年会ですので、反省を含めてこの一年を考えて見ました。よく道志にも入りました。維持管理には趣味も含めて大変な労力ですが、そこが贅沢な居場所にもなっています。女房や次男坊などにも偉そうに命令口調になっていたこともあり、嫌な思いをさせました。

肩書の無いのは私だけです。女房は小さなお店ですが代表取締役社長、子どもたちもそれなりの肩書はあるのでしょう。私が何か事件でも起こせば無職の○○となります。今までは多くの部下もいて過ごしてきましたので、習慣でつい偉そうな振る舞いをしてしまうのでしょう。これからは自重しなければと思いながら、今年一年が終わりそうです。

店に入って2時間になります。帰りがけに女房にと手土産をお願いしました。

帰宅の途につきます。このバス停から戻ります。

まだ早い時間ですが、バスの中はウトウトです。電車も途中乗り換えて、最寄りの駅に着きました。

帰宅して、手土産を渡しました。やはり新鮮さとシャリの味が違うと言っています。

酔いも覚めて、また庭で木工作業を始めました。今日は松飾などを設置します。29日だと「くんち」(9日)飾りで、30日や31日だと一夜飾りになってしまいます。

良いお一人さま忘年会を過ごすことができました。

来年はどんな忘年会になっていることやりゃ?

 

Hiro


以前の忘年会と言えばこうだった!

2022年12月29日 | なかま道志ベース

まさにコロナ禍を境にして、時代の変化を感じます。その一例ですが私の働いていた部署(営業部門)では忘年会も暑気払い、歓送迎会も大勢が集まりそれぞれ労っていました。

場所は鎌田です。私にはなじみのない街です。多くの参加者は羽田の本社からの参加ですが、出張者も多く時間に合わせて京急で羽田空港から直ぐに来られる場所なのでここを選んだのでしょう。

私は地理に不案内ですので、仲間に付いて行くだけです。蒲田などにはあまり来たことがありません。東京も広いなぁ~と感じます。

どうやら、会場はこのビルの5階のようです。いわゆる雑居ビルですので、エレベーターは6~7乗りですので、参加者は待ちながら上がってきます。

こんな方が、待ち受けてくれるようなお店です。いつもそれなりの会費制ですので安いところです。

ビールでの乾杯なども、遅れて到着した方ごとに何度も行います。30人以上は集まったのでしょう。

若い社員も中堅もそして統括する役員クラスも・・・。

単身赴任の方も多くいます。そんな中で私は70歳近くの時でしたが、アドバイザーとしての役割です。本社は事務仕事が多く女性社員も忙しく動き回っていました。また役員も全国を飛び歩いていますが、本社での会議などが多いので自席ににいることが多かったですね。

酒も入り盛り上がり話も進みます。大所帯でありながら、まとまりがあって楽しい部署でした。

私は60歳で定年退職して、65歳まで他の場所で働いていました。その後、縁あってある企業から手伝ってくれないかと声がかかり、73歳までお世話になりました。(通算50年間働いていたことになります)

60歳から年金をいただいていましたので、お手伝いした企業は嘱託社員ですのでボーナスがありませんでした。もう慣れていますが、最初はボーナスがあるのが当たり前だと思った時期もありました。ほとんど何か大きな出費に使えたのです。そのあり方(ありがたさ)を痛感していました。

社員は忘年会なども嫌々参加する訳でもなく、みなさん進んでの参加ですので意気投合しあちこちで笑い声が聞こえます。本社勤めの方は、転勤で全国のあちこちから来られています。全国に300近くの事業所があり、出張の際はその方にお伴し(もちろん仕事はしましたが、現地の美味しいものをご紹介いただきました)たことも何度もあります。

今から考えれば、良き時代の経験でした。大勢で集まって飲み食いした時代です。

その後、新型コロナウイルが発生して、生活も激変しました。もうこのように大勢で集まることも無いのでしょう。鍋を食べながら笑うことも無くなりました。

コロナ禍前から、社ではリモートワーク推進を方向性にしていました。いわゆるテレビ会議も頻繁に行われていたくらいです。今では在宅勤務が主流になってきました。

みなさん私にはだいぶ気を使ってくれたかと思います。

こんな方が見送ってくれます。

忘年会もお開きになり、カラオケやもう一軒行こうとするに行くグループもいましたが、私は家が遠いい(もう年齢なので)、直行で駅に向かいます。

見慣れた電車です。これに乗ればもう帰宅したようなものです。

午前様寸前で帰宅です。今では懐かしく思える時代?でした。

立場的には意見や世の中の動きそして経験談など発言(コメント)する役割りです。社内の常識が世間の非常識になることもありますので、外部目線でお話ししていました。私の発言や提案で社内の雰囲気も大きく変わったと役員や社長などにも言われました。

職場では大小の研修会・講演会などで経験に基づいたお話もさせていただきました。最初は週に3日間の出社でしたが、リモートワーク(在宅勤務)になり、コロナ発生以来はほとんど出社していない状況が続き、やがて退職の日を迎えたのです。

途中で勤め場所も変わり、品川になりました。

懐かし、品川駅のコンコースです。

私はほとんど弁当持参でしたが、時にはこんな場所も利用していました。まさに都会のサラリーマンです。

あの大勢が参加した忘年会などがあったのも、コロナ禍を挟んであの時代と言われるようになるのでしょう。

コロナの感染は拡大しています。しかし、日常生活や経済も大事だと思います。

以前の忘年会はこんな雰囲気でした。

 

Hiro


ウッドデッキ脇のテーブルづくり

2022年12月28日 | なかま道志ベース
東京の我が家です。もう28日になり正月飾りを終えたところです。

年の瀬を感じます。風もなくさほど寒くはありありません。やり残したことを年内にと動き出しました。

女房は「そんなに動き回らなくてもいいのに~」と言っています・・・。

先ずは、玄関先に植えてある柿木の剪定です。甘柿ですが、時期(秋)になると落ち葉が道路に散って掃くのも大変です。

ついでに梅も剪定?しました。柿木は徒長した枝を落ちました。こうして見るともっと落とさなければダメですね。素人ですので、どの枝を残して良いのか分かりません。まぁ~いいっか!です。

続いて、朽ち果てたテーブル(庭用)の改修です。これ以上補修できませんので作り直すことにいたしました。

作って10年近くは経っているのでしょう。幅60cmの厚板でした。

テーブルと言っても、デッキの脇あるものでモノが置いてあるだけです。

こんどは、厚さ5cmと押さえの2cmの杉板で作ります。考えた長さに合わせて丸ノコでカットします。

防腐剤を塗って、板が反らないようにシッカリとビス止めします。木の厚さに合わせて長さ5cmのビスを打ち込みました。

そして、足を取り付けます。ビスの種類を変えました。

結局 2種類のビス(木ネジ)を使っています。

座金付きの6.5cmのビスです。シッカリと固定されました。

庭が散らかっていますね。パチリするときは片付けなければ。

ご覧になっても、面白くもない画像です。自己満足の世界です。再度、防腐剤を塗り完成しました。予定では板4枚を並べるところでしたが、道志から持ち帰った板の厚さが一枚異なっていましたので、とりあえず三枚(幅60)で終えることにしたのです。もう一度作り直すことを考えています。

日曜日でしたので、ご近所にご迷惑をお掛けしないように、出来るだけ静かにしていたつもりです・・・。でも、昔は「日曜大工」ってありましたよね。

出来上がりはこんな感じです。これから周りを片付けます。

昨日の夕刻、玄関のチャイムが鳴りました。宅急便で~す。と・・・

毎年お送りいただいている、広島(瀬戸内海)大崎上島町から自然栽培のみかんです。

彼とは現職時代に知り合った方で、それがご縁で毎年送っていただいています。女房はこの自然栽培しているみかんが甘くて美味しいと、友だちにもお分けしています。

元職場では、全国から集まる研修会などもありましたので、その時に知り合った多くの友人とまだこのようにしてお付き合いさせていただいています。65歳以降の仕事では全国の支店や営業所(事業所)に伺いましたので、各地に知り合いができました。

何処にも行ったことない女房と、主要都市など全国をほとんど歩き回った私ですので、テレビを観てもとらえ方が異なっています。

動き回って疲れていたのか、居間で2時間もうたた寝していたようです。

昨日は、回らない行きつけの鮨屋さんで、昼間に一人忘年会をして来ました。(女房は仕事です)

この内容は後日ご紹介いたします。

 

Hiro


自由時間があるようで自由じゃない

2022年12月27日 | なかま道志ベース

仕事を辞めるとエブリーサンデーと言いますが、まだそんな感覚ではありません。

しかし、最近は日にちと曜日がすぐに浮かんできません。エブリーフリータイム(サンデ))ですとスマホのスケジュール表を見て確認する毎日です。また、冷蔵庫に貼ってあるカレンダーには家族の共通の理解にと、それぞれの予定を書き込んでいますが、私にはそんなに重要な事項はほとんどありません。

居間の自席からの縁側方向です。柔らかな陽射しが入り込んでいます。

届く場所のコンポまで届いています。

ゴチャゴチャしている自室です。早朝から年賀状の宛名書きをしたり、裏面は印刷して添え書きをしていました。片付いていなくあまりお見せする画像ではありません。PCのマウスが動かなくなり、次男坊が簡単に直してくれました。(ブルートゥースの接続が問題だったようです)年賀状は枚数こそ少なくなりましたが、もうお出ししました。

また、好きな木工で動き始めました。デッキ脇に置いていたデーブルが朽ち果てて来たので改修することにいたしました。

台はもう一回り大きくする予定です。今までのは2枚の厚板を合わせたものですが、こんどは3枚の板を張り合わせることにしました。

道志から持ち帰った杉の厚板に防腐剤を塗ります。ご近所には申し訳ないのですが、日曜日に丸ノコを使って改修していました。どうやって作るかなども考えるのが楽しいのでしょう。測った寸法(木材材の厚さ)の木ネジがありませんので、ホームセンターに行ってきます。

ほぼ完成している一坪菜園の補強をしました。見た目では分からないかと思いますが、土の重みで板が膨らむので他の板で押さえます。

高床式ですので、サイドの目隠しの板も打ち付けました。

下段は花壇で、今回作った上段が野菜中心になるかと思います。あとは種や苗を植える時期を待つだけです。絹さやのタネは今が蒔き頃なのでしょう。

この日はイブでクリスマスケーキを予約しているので、受け取りに行くようにと女房から指示をいただきました。近くのスーパーでは広告チキンを買い求め、また昼食用の安い寿司パックも買い求めて来ました。

次男坊は出かけるかと思いますので、二人だけのクリスマスイブです。全く普段と変わりない生生です。

小分けにして、私の分です。あと仏壇にもお供えしました。仏教徒ですが甘いものが好きだった、先代も喜んでくれるかと思います。

買い求めたチキンですが、私には甘く出来ています。まぁ~風物詩としていただきました。外国産と国産では値段も開きがあります。国産品を買い求めました。やはり、私には焼き鳥の方が美味しく感じます。

そう、道志でいただいたヒメマスの半身を刺身用にしました。シャケとは違い、と言って川魚の感じもしません。美味しくいただきました。残りはマリネや焼き魚にすると言っています。骨はスープの出汁に使うようです。

ブログ仲間で何年も仲良くさせていただいている西の方から、「フロインドリーブのシトレーンケーキ」が送られてきました。この方とは長い付き合いで、オフ会で東京や京都などで開催し、何度もお会いしているブログ仲間です。

私にとっては贅沢な一品でレーズンや他のモノも(私には説明できません)混ぜてあり、美味しいシトレーンケーキでした。日にちが経つと表面の砂糖が染み込んで味が変わってくるとの説明書きがありました。

夕刻に行けつけの鮨屋さんに電話を入れてみました。月曜日はお休みで28日まで開いているとかで火曜日の今日(昼に)一人で行ってきました。

こうして、ケーキなどをいただくとクリスマスイブだと気が付くくらいなメリハリのない日常生活になっています。

 

Hiro


平安・鎌倉時代に使ったものが 我が家でもまだ使っている(御簾*みす)

2022年12月26日 | なかま道志ベース

スミマセン!平安・鎌倉時代などで使っていたものが、我が家でも同じく使っていると言う意味です。

御簾(みす)、簡単にいえば簾(すだれ)のことです。鎌倉殿の場面で良く見かけるものです。

最終回は壮絶なもので、役者さんの演技力にも圧倒されます。

この簾のことを「御簾」(みす・ぎょれん)と言うようです。この御簾とは布の縁取りなどが付けられたものですが、 大名や公家などの地位の高い者が、謁見者に姿を隠して会話するために天井に取り付けられていたものが多く、表舞台に立つことを「御簾を上げる」ということもあるようです。

なんの意識もせずに観ていた場面の「御簾」(みす)です。我が家では今でも仏間などに吊るしています。竹ひごを編んで作られているものです。

我が家で降ろすことはほとんどありません。冬は障子や唐紙を入れ、夏にはこの御簾をすだれのように付けているだけです。今でも京都などで使われているかと思います。

そう、鎌倉殿の壮絶な演技力は、気持ちが入らないとできないのでしょう。

正直、内容が良く分かりませんでした。女房や息子はこの背景や今後の流れなどを話し合っていますが、それこそ私は蚊帳の外(御簾の外)です。

我が家(同じ敷地内の実家)ですが、3幅の曼荼羅を飾っています。一番古いのが慶応三年(約155年くらい前かな?)我が家だけの大事な家宝ですので、この「御簾」をかけているのでしょう。

先代は熱心な仏信徒でした。祖父は自宅の仏壇を前にして、毎日お経を唱えていました。木魚を叩いてリズムをとっています。その音がまだ耳に残っています。菩提寺にも先代がご寄進したものが残されています。

その一つが慶応三年の曼荼羅に記されています。本山である身延山の五重の塔を建立する際に、きっと多額のご寄進した際にいただいたものだとしています。

そんなご寄進を少し少額にして、子孫(私)のために、少し残して置いてくれれば・・・と邪念がある私です。

仏間の御簾です。以前は菊のご紋で飾られていたのですから、すごい方だったのでしょう。その微塵も持ち合わせていない私です。

日常生活で見るものですから、何とも思いませんでした。しかし、よく見ると今では珍しい和風建築なのでしょう。

床の間。ここには母が趣味で集めた大きなビアドロ(白鳥?)などが飾られています。100歳の総理からの祝い状も額に入れてがざっています。

仏間の柱です。買えば高いのでしょうね。

真竹のなげし(一本モノ)。

欄間。以前は組式の欄間でしたが、私が一か所を壊したらすべてが落ちてしまいました。お爺さんに大変怒られた記憶があります。その欄間も木彫りに入れ替えました。

天井の高い家ですが、風通し窓もあります。また、縁側の通し張の丸太は10m近くあるかな?

どうやってここまで運び入れたのか分かりません。こんなに長いと道中の曲がり角などはどうしていたのでしょう。この家もだいぶ傷んでいますので、やがては取り壊すことになります。

ふと、鎌倉殿を映像を見ながら、あぁ~我が家にもある。と思ったからです。

・・・・

おかげさまで、腹痛も治りました。睡眠剤もいただいて良く?眠れました。

同級生が理事長のかかりつけ医院です。

名を呼ばれるまでに1時間以上は待ちました。

理事長の奥さん先生は小児科とコロナなどを担当し、娘先生が院長として私の面倒?を診てくれています。理事長は週イチで診察にあたっています。そうしないと(理事長)も外部との接触も無くなってしまうのでと娘先生は言っていました。同級生のお医者さんであっても、気力・体力も低下し、また大病もしているようです。同年齢ですので、お医者さんも同じなんですね。

私の眠れないのはストレスや神経のたかぶりもあるので、心療内科の方が良いと言われました。睡眠剤の「リスミー」はお出ししましょう。といただきました。

趣味の木工でこんな木鉢も、この医院に差し上げています。

道路端の植え込みにはメキシカンブッシュセージが峠を越えて来ましたので、片付けました。

金曜日は可燃ごみ収集の日ですので、収集車が来るまでに慌てて片付けたのです。

年賀状の宛名書きも終えました。難しい字などは老眼鏡をかけなければ書けません。その方の親もよくこんな難しい名前を付けたな?と思うくらいです。きっと先生も名前を呼ぶことができなかったような字でした。

朝から、くしゃみと鼻水が止まりません・・・。

 

Hiro


凍てつく道志で風邪を引いたのかな?

2022年12月25日 | なかま道志ベース

凍てつく道志で数日間過ごし、寝不足で帰宅して床屋に電話したら、今なら空いているとのことで散髪に伺う。床屋ではやたら足元が寒かった(冷たかった)。体調もイマイチだったのだろう。夕食もほどほどに7時前には寝てしまった。

翌朝(一昨日)は雨降り・・・。早朝なので勝手に朝食を作り、コーヒーを飲んでいたが・・・。どうも左の脇腹下が痛む。腸が弱いのは昔からで、痛みの場所でなんとなくどんな風になるのかが分かる。

今回は大腸のS状結腸の憩室付近だ。きっと憩室で炎症を起こしている感じがする。周期的に来る痛みに耐えていた。テーブルにうつ伏せになったり、床に座り込んだりしていた。いわゆる腸閉塞のような痛みだった。ベッドに横になっても痛みは続く・・・。

女房は用事で都心に出かけてくると言っている。

最近、有名人が大腸癌で亡くなっているが、私は定期的に内視鏡検査を受けているが検査の時に2リットルの下剤を飲んでも、検査をできる状況ではなく更に1リットル飲むのが通常である。みなさんは終わって帰宅するが、私は順番はいつも一番最後だ。前回も小さなポリープがあってその時点で削除した。(おかげで?手術にあたるので生命保険が利用できた)

今回も何度もトイレに行くが、回復する兆しはない。かかりつけ医に相談しようと電話するが休診日(木曜日)だった。

これまでに、同じ症状で2度入院したことがある。#7119に電話するかも考えた・・・。

この番号は救急相談で、そこで判断を仰ぐ。また、必要に応じて救急(119番)を依頼してくれる。

救急車を呼ぶかも悩む(直接119より#7119からの方が病院は扱ってくれる)・・・。しかし、時が解決するだろうと様子をみることにした。

牛乳を沸かして軽食をとる。痛みの感覚が長くなった。その間に年賀状の宛名書きをしていた。現職のころに比べると、だいぶ少なくなった。

痛みは間隔は長くなっても、それでも夕刻まで続いていた・・・。何度かトイレに行って少し回復の兆しが見えてきた。

救急車を呼べば、こんな状態になってしまう。近くの大学病院や日赤病院もコロナ禍で受け入れてくれないかもしれない。

夜半になってなんとか回復してきた。安堵する。何度も目が覚めては少し寝るの繰り返しで朝になった。

ハードディスクに残っている救急病院の画像を探す。その画像はあったが、もう10数年前のことだった。

こうして、早朝ではあるがブログを打てることまで回復してきた。

私の判断では、風邪からくる腹痛かも知れない。風邪は万病の元とも言われるのでバカにしちゃダメだ!

我が家でもウサギ(もぐちゃん)を飼って時がある。来年は期せずして兎年(女房の干支でもある)

こんな不安も付きまとうのがこれからの人生なのだろう。

 

Hiro


誰もいない 今どきの道志

2022年12月24日 | なかま道志ベース

月曜日から水曜日の午前中まで、道志にいました。直接お会いしたのは養魚場の霧〇さんと車ですれ違いざまに挨拶した地主さんのヒロさんと奥さんだけです。

近所の別荘の方々はいらしていません。

面と向かって話したのはこの方だけです。

朝5時ごろの気温は零度でした。やはり暖かく感じます。先日のものとその翌日に作った氷中花も持ったら割れてしまいました。

人けのない道志です。おそらく山側は何キロも人けは無いのでしょう。街道の方は人家などもありますし、精密機械の作業場もあり社員の何台もの車は駐車していますが、お会いすることはありません。

私は年末の片付けをするために道志に入りました。

その日の夜明け寸前の東京方面です。午前中は曇りで、夕刻から雨予報とのことで昨日帰宅することにしました。

いつもなら陽の上がる時間ですが、にわかに雲が垂れ込めて来ました。

どうもいろいろと考えていたら寝不足気味(睡眠時間は3時間くらい)になってしまいました。片づけをしていますが、動作が鈍く思えます。

眠い目をこすりながら、家で使う木材をカットし車に積み込みました。

今年最後の道志入りです。雪でこのグランピングテント(温室)がどうなるか?です。

帰宅して、サッパリしようといつも行っている理容院に電話を入れました。午後の1時半から空いていますとのことで、自宅に着いて直ぐに向かいました。

カットやマッサージ中は夢の中です。道志では現実的に一人しか会っていないのに、爆睡中(カット中)の夢では何十人もの方が出てきました。まさに夢で会いましょう!です。

店主にも良く寝ていましたね!と言われるくらいでした。

きっとこんな場面も出ていたのでしょう。

家には宅急便が届いていました。

1つはスマートウォッチのバンドです。

取り付けようとしたのですが、サイズの間違えでした。測ったのですが、18mmと20mmが間違えていたようです。中のピンだけ(送料込みで200円)を再注文しました。

2つ目はバジルのタネです。

人生の楽園だったかな?都留市の方がホーリーバジル(トゥルシー)を育てていました。都留市と似た名前のハーブです。

都留と道志では同じ環境ですので、これを育ててハーブティーにでもと考えたのです。種でも良い香りがします。

少し昼寝をして、いつもの晩酌です。

道志の養魚場からいただいた、ニジマスのイクラです。薄い醤油味になっていますが、実に美味しい!

思わず、養魚場に電話して「これ美味しいねぇ~」とお礼を伝えたくらいです。

今日はいただいたニジマスの刺身しようかと思っています。

昨日の朝は雨が降っています。午後からは晴れるとか?晴れれば車から材木を降ろして防腐剤塗りして、一坪菜園の補強をする予定です。あと年賀状の作成もありました。

こんな人生が続くのでしょうね。

 

Hiro


今年最後の道志に入って2日目

2022年12月23日 | なかま道志ベース

今年最後の道志に入って2日目。

利き腕の方にもスマートウォッチをはめていました。各種測定機能があるので確かめるつもりでした。

いつも東京方面の朝です。今回 道志に入ったメインは自宅(東京)での一坪菜園改修で出た残材を処理することでした。

昨日もだいぶ冷え込みました。この画像は霜柱です。朝は外付けの湯沸かし器が凍結で?使えず困っていましたが、昼ごろから解凍したのでしょう使えるようになりました。夜は湯沸かし器の元火を消して、水をチョロチョロと出して置くべきでした。

自宅から運んだ残材です。大きな袋に車の荷台いっぱいになるくらいです。長さ20cmくらいにした枕木や床板など・・・。

火力が強いので半分は鉄板を被せました。

道志に通うようになって、最初に造ったのがこの燃やし場でした。耐火煉瓦や耐火用のセメントで構築します。四方向から空気が入るようにし、鉄筋棒で桟(さん、この字かなぁ?)通します。良いアイデアだったかと思います。

その上にエキスパンションメタル(鉄網)を敷いています。(灰だけが下に落ちるようにしたのです)落ちた灰は畑に撒きます。

この構造ですと良く燃えますね。他の作業をしながらですので、夕刻まで燃やしていました。

もちろん、敷地内の片付けもありますので枝木なども燃やしていました。

この冷え込みを考えて、氷中花も挑戦しましたが取り出したのが昼近くでしたので、持ったら割れてしまいました。失敗です。また水を足しての挑戦?です。

これらの花はグランピング用テントを一部温室にしたところから採って来ました。

この寒さの中でもラディッシュ(二十日大根)などが温室内で発芽しています。

畑の大根は何本か抜いて、土産にします。(持って帰るのを忘れました!)

ボート池も完全凍結です。

湧き水を水道用として使っていますが、ホースの中が凍ってなかなか出て来ません。やがてその水をポリタンクに入れて持ち帰ります。

昼は夜食兼用で鍋にしました。ごった煮です。(ワンタン・白菜・豆腐・エノキ・余った飯・タマゴ落としなど)結構 美味しく出来ていましたよ。

淋寂しそうにススキが揺れています。剪定したり、おがくずを撒いたり忙しく動き回っていたのは事実です。

利き腕にスマートウォッチをはめると、歯みがきしてもカウントされてしまいます。ですので13400歩は歩数ではなく、手を動かしていたからなのでしょう。

陽が落ち始める夕刻4時半で2度です。

近くの山々は雪化粧になっています。

夕刻の東京方面です。今日は曇りで遅くから雨だとか・・・?

早目の作業が必要です。まだまだいろいろとやることが残っています。

何か疲れもあって、7時ごろには寝室に・・・。午前2時には目覚めてしまいました。その後、コーヒーを沸かしていろいろと考えごとしています。(その内容は言えません・・・)

陽が昇って動き出しました。

 

Hiro


年末最後の片付けに道志に入る

2022年12月22日 | なかま道志ベース

月曜日にですが昼過ぎから、道志に入ることにしました。今年最後になるかと思います。荷台には先日改修した一坪菜園の残材が山ほと積み込みました。

慣れている中央ハイウエイです。調布インターから入ります。こんな時間ですので輸送トラックが目立ちます。

こんな歌もありましたね。右に見えるのは競馬場~♪

左に見えるのはビール工場~♪

歌にはありませんが、ヤクルトの研究所も見えます。このビルに仕事で訪れたこともあります。

目指すは、あの富士山方向です。だいぶ冠雪してきました。

やがて、多摩モノレールの下を走ります。ちょっと前にモノレールはとおり過ぎて行きました。

更に富士山も大きく見えてきました。いつも通る高速道ですので、景色は見慣れています。

八王子インターを過ぎいて丹沢の山々が見えます。ここまで来ればあと20分で下ります。

圏央道とのジャンクションです。よくまぁ~こんな風に造ったものです。

小仏トンネルを抜ければ、相模湖インターで下ります。

ここは渋滞の原因になる個所ですが、こうした渋滞を解消するために下り線には相模湖BS(バス停)付近~相模湖IC間に登坂車線を新設、上り線では小仏トンネル前後の3車線化を行なう渋滞対策事業を進めています。

ここからは、普段ですとあと40分です。ちょうど半分です。相模湖を渡って、道志みちに入れば着いたようなものです。

この日は先ず養魚場に向かいました。美味しいドリップコーヒーを淹れてくれます。女房が持たせてくれた「いかめし」を土産にしました。お一人生活ですので・・・。

子持ちアユも安く分けてもらい、ニジマスの半身になっているのもいただきました。あとは捕ったばかりの鹿肉もです。

そして、ヒメマスの筋子?のビン詰めもいただきました。

道志の家に着き、荷物(残材など)を降ろします。

ボート池は完全に凍結しています。

白樺の葉も落ち、寒々しい道志です。テント温室の中の草花は元気でした。

今夜は冷えそうです。

洗面器に花を浮かべ、氷中花をつくろうかとセットしました。朝がどうなっているかが楽しみです。

早朝に起きるとお湯が出ません。外付けの湯沸かし器が凍結してしまいました。普段ですと元火は消して、水だけはチョロチョロと流して置くのですが・・・。どうなるのか心配です。自然解凍で直ればよいのですが。

朝5時頃ですが、どんどん冷え込んできました。

寒いわけです。マイナス5度でした。

9時半過ぎから作業を開始しました。結構動きましたね。

 

Hiro


コロナ禍前は元気な中国(青島・上海)でした

2022年12月21日 | なかま道志ベース
現在、中国では新型コロナウイルス防疫政策の急転換に伴い、コロナ感染症の死者は国内で約100万人に上る恐れがあるとされています。
火葬場などに長い車列を映像で目にいたします。
 
私は4年前に仕事で2度ほど、青島と上海を訪れました。仕事の内容や写真はご紹介できませんので、それ以外の街中や人々の暮らしなどアップいたします。その時の感想です。

開発が進む中国。日本の戦後復興時の発展と前の東京オリンピックが同時に来たような、驚くべき開発と活動を感じます。新幹線や高速道の進捗はある意味では日本は遅れをとっている感じもするくらいです。

これも国家の強さかも知れません。それ以上のことは控えさせていただきます。

交通ルールも分かりませんので、歩道にもバイクが走っているような気もいたします。駐在員も車の運転はしないと言っています。クラクションや車線変更なども平気で行い、歩行者優先とは考え辛い状況で、車は止まってくれるもんだと思いこんではダメのようです。絶対に運転手とは目を合わせるな?!と言われました。

人々は忙しく往来し、街の喧騒さと発展を感じさせます。

ヘルメットをかぶっている人はほとんど見かけません。

モダンなビルが建ち並び、ショーウインドウもセンスある飾りつけをしています。

夏と晩秋に行きましたが、完全に日本は追い越されていると感じるくらいです。

何故か、人々の明るさも感じます。聞くところによると、通勤する人たちは朝食も昼食なども外食するようです。

若者は都会を目指し、結婚するにもマンションと車、子どもを面倒見てくれる親などが条件ともされているようです。共稼ぎが一般化しているのでしょう。

市街地の生活感は富裕層や私たちのような仕事(観光も含めて)で街を利用する方とは大きく異なっりいるのでしょう。

海鮮の食材は豊富です。この辺はいわゆる富裕層や観光客相手なのでしょう。

特に中国経済の発展は目をみはるものがあります。(コロナ禍前に感じたことです)

何か事業計画をたてるにしても、元締めがいて各業種を集めて計画書をつくり事業主に売り込むのです。

一社がすべてを請け負うことは無いかと思います。

夏の時期、この市街地は青島ビールの近くにある、ゆわゆる屋台街です。パーキングなどはありません。早い者勝ちで縦列駐車も気にしません。

驚くことに、聞いた範囲ではマンションなどには駐車場の設置義務は無く、みなさん路上駐車しているとのことです。

コロナ禍前ですので、物売りも(ギター弾きも)多く各テーブルを回っています。

もちろん、青島ビールです。中国の方はあまり冷えているの物は飲まないようで、キンキンに冷えたビールをのむのは日本人くらいだと言っていました。

各テーブルにはこのようにティッシュの箱が置いてあります。現地の駐在員は、食器から箸・ナイフ・フォークまできれいに拭きとってから、料理に手を付けます。

そう空港について、最初に渡されるものはミネラルウォーターです。生水は絶対にの飲まないようにと注意を促しています。

ヒトデの揚げたものをいただいています。

食材も豊富で、選んでは調理してもらいます。

私どもの泊るホテルは星印ですが、日本より室内は広くシッカリと手入れされています。駐在員は別棟に長期滞在していますが、コンドミニアムのようになっています。朝食はホテルのラウンジで宿泊客と同じようにいただきます。

上海の有名な観光スポットです。対岸は近代的な超高層ビル群が建ち並びネオンも華やかです。

一方ではイギリス風建築物が保存され、ライトアップされています。

あるホテルの有名な?バーに立ち寄りました。年配者が演奏していますので、リズムはバラバラですがそれなりに楽しめます。

上海の有名な観光スポットですが、内容がごちゃ混ぜになっています。

私の内容もごちゃ混ぜになっていますが、中国(青島・上海)の模様も旧市街と新たな開発地域がごちゃ混ぜになっています。

もっとまとめてご紹介すべきかと思いますが・・・。コロナ禍前の中国の生活ぶりをです。

画像が多すぎてすみません!

先ほど、寒い道志から帰宅しました。今日は午後から雨模様とのことですので、予定より早くです。

 

Hiro


家紋と鳳凰

2022年12月20日 | なかま道志ベース

私の家紋は丸に蔦、そして女房の方は九曜星です。

結婚当初に(50年前)、我が家の守り神(縁を結んだ)?として私が杉板に描いたものです。

家紋(西洋ではエンブレムでしょうか?)は先祖代々からつながるもので、その家の目印として繁栄や勝利するなどいろいろな意味が込められているのでしょう。

丸に蔦は、ツタは、樹木や建物などをつたって、どんどんとそのテリトリーを広げる繁殖力の強い植物であることから、家系や子孫の繁栄のイメージで捉えていると聞きます。

また、女房の九曜星は真ん中の大きな丸のまわりに小さい丸を8個並べたデザインで太陽と惑星の意味し、いつでも明るくと言う思いからできたのでしょう。女房は山梨県出身ですので、戦国時代で武田信玄の関連があるのかも知れません。

紋付(もんつき)の着物を見ることは、最近は減っていますが、かつては紋付き袴が正装とされ、成人式や結婚式で着用されていました。年齢がある程度上の世代なら、紋付の着物を持っている人も多いため、家にないか確認してみると良いかもしれません。また、先祖の写真に紋付の着物を着た人物が写っていれば、自分の家紋が分かる可能性もあります。

私も結婚式の時は紋付袴姿でした。しかし、貸衣装でしたので紋は張り付けた(張り付け紋)でした。

また、嫁入りする時は自分が生まれた家紋を身に付けます。したがって親として結婚式などで着る江戸褄着物や喪服などには実家の紋になります。結婚して子どもたちはほとんどが主の家紋になりますが、このようにして二つの家紋が存在しています。

今では、貸衣装やドレスなどで家紋の入った和服などをきるかたも少なくなったのでしょう。皆さんの家の「家紋」がどんなものかご存じですか?「いや、うちには家紋はないよ」「見たことない」という方も多いかもしれません。でも、機会があったら是非調べてみてください。家紋は日本に古来からある紋章であり、現在の苗字や住まいのある地域に由来することも多いと言います。お墓を建てるときや、着物を仕立てるときなどに家紋を入れることもありますので、意外と目にする機会の多い家紋です。

実は私の方は代々呉服屋をしていましたので、家紋帳などを良く目にしていたからです。

・・・・

話は異なりますが、鳳凰ってご存じですか?

賞状など縁取りにも鳳凰が描かれています。

鳳凰と言う一羽の架空の鳥とお思いでしょうが、実は鳳と凰と言う二羽で成り立っています。

西洋では、東洋の不死鳥ともみなされ、「フェニックス」と呼ばれることもあります。鳳が雄、凰が雌のようです。

最高券面額として、品格のある紙幣にふさわしいものとして、瑞鳥(ずいちょう)として、旧1万円券の裏面でも図案化されていた鳳凰を採用されていました。

旧一万札です。

紙幣も変化し、現在はこの裏面になっています。

これも雑学です。

・・・・

先日もダンスのレッスンに行ってきました。

ピンナップボードには最近パーティー参加され踊られた方の写真が張り付けてあります。私も・・・。

教わると、なるほどと感じることがたくさんあります。

翌朝翌朝も体を使ったのか節々が痛く感じます。

そして、夜になって長男坊がひょっこり顔を出しました。(メールで今向かっていると・・・)

ある病院の幹部を仰せつかっていますので、経営だとかいろいろな問題を抱えているようです。顔もほっそりとスマートになりました。

身長も180数cmありますが、体重は68kgだとか・・・。親としては痩せて(スマートになって)心配なこともありますが、本人は疲れているけど元気だ!と言っています。

こんなデカい車で今から(夜10時過ぎて)病院り仕事すると言って帰って行きました。

私の財布から鳳凰の一枚が無くなりました・・・。

雑学で間違っているかも知れませんが、お許しを!

 

Hiro


一坪菜園やっと完成 あとは植えるだけ(種はまくだけ)

2022年12月18日 | なかま道志ベース

今年もあと2週間になりました。年金も入りました。昨日は朝から晩まで動き回っていました。それができるのも健康である証なのでしょう。

いたずらに和洋折衷のリースです。クリスマスにも正月にも室内に飾ります。

育てたオキナワスズメウリを蔓に巻いて、自作のしめ縄を付けてみました。

デッキで育てていたシャコバサボテンを室内に入れました。

もう10年くらいは育てているかと思いますが、夏場前に植え替えました。

さて、一坪菜園改修の続きです。

試しに置いた側板をちょうど良いように移動し、作業開始です。

補強のために底板に網を張りました。

そして土が漏れないようにシートも張ります。もちろん水抜き用の切れ目を入れています。

側板も二段積み(深さ40cm)にして、いよいよ待ちにまった土の投入です。

おが屑や肥料も混ぜています。雨で湿れば土も落ち着き平坦になるかと思います。

構想から半年かけてやっと出来上がりました。

あとは、種や苗を植えるだけです。ここは菜園にするつもりです。

残るは周りの片付けです。

無くしたと思って探し回ったスマートウォッチが出てきましたが、気が短いものですから、ネットで検索し新しいものを購入してしまいました。

これは血圧計・体温・心拍数・血中酸素濃度+睡眠時間を測るためだけに使います。

私がスマホとペアリングしても、途中から進みません。

次男坊にお願いし、なんとかつないでもらいました。

ウォッチより高い手間賃をあげました。(年金も入りましたので)

90歳(母さま)と70歳(娘さん)の二人で営んでいる豆腐屋さんで買い求めた餃子です。

美味しいので気に入っています。

当初 女房は友だちと食事に行く予定でしったが、都合で行かなくなりました。

私の夕食はこれで十分です。疲れた一日(動きま合った一日)でした。

年賀状もお出する方も少なくなりました(少なくしました)。「時節ながら、しばらく年賀状をお休みさせてください。お許しい頂ければ幸甚です」と・・・。の文末を付けてです。

 

Hiro


自宅(東京)で一坪菜園づくり

2022年12月17日 | なかま道志ベース

興味の無い方は、ふぅ~んと思うことでしょう。木工などを趣味としている私にとっては、改修方法や材料はどうやって手に入れるかなど、考えたり構想することが楽しいのです。

これを作ってから十数年経つ一坪菜園もだいぶ朽ち果て、改修を思い立ってスタートしてから半年近くになります。

枕木は近くのホームセンターには置いてありませんでした。ネットで検索してもかなり高価になっています。よって、使用する木材は道志で製材したモノを使うことにしました。製材をお願いするにしても、この改修する寸法(板の厚さ)をお願いした経緯があります。

朽ち果てた枠を外しては丸ノコで切断し土嚢に詰め、土を掘り起こしては同じく土嚢袋に詰めて山にしています。これが一番大変な作業でした。

何故、高床式にしたかと言うと大きな庭石がたくさんあって、それを退かすことは容易ではありませんでした。したがって石の一番高いところに枕木の台を置いたのです。その枕木もだいぶ傷んでいます。

防腐剤を塗って、虫食いで穴が空いたところはセメントで埋めました。(これが良いのかどうかは分かりません)

枕木の上に補強のため厚板を敷き、そしてビス打ちで固定します。

高床の土台がほぼ完成です。またビス打ちして厚板(4cm)を固定しました。

場所によっては障害物を避けるようにカットしています。

昨日はここまでですが、仮に菜園の側板(厚5cm)を置いてみました。どんな厚さでも製材してくれますが、長さ4mのものになっていますので、それ以上の厚さですと重くて私の体力では持てない(加工できない)のです。

今日はこの底板だけですと、土が下に落ちてしまいますので穴をあけたシートや金網を張ります。木枠はまたビス打ち(長さ9cm)と補強すれば形だけは完成します。

そして、深さ40cmの囲いの中に土嚢袋の土を戻すのです。そうすれば今蒔き時の絹さやなども植えらます。女房も菜っ葉などを育てたらと言っています。約半年前の構想から、改修作業が終わります。いろいろと趣味もありますが、無心になっているのが良いのかも知れません。

ここまでできるのも健康である ありがたさです。

 

Hiro


突発性難聴か?話がかみ合わない時もある

2022年12月16日 | なかま道志ベース

若き頃、スキューバダイビングを趣味にしていたことや、米国出張で過度なストレスの影響なのか?聞こえずらくなりました。目が回り病院に行きましたが、特に処置はしませんでした。あとから思えば突発性難聴だったのでしょう。現在も難聴で悩まされています。そのせいばかりではありませんが、聞き間違えが多くなりました。

*画像と内容とは関係ありません。昨夜の夕食です。

また、女房との会話でも、お互いに主語を言わずに話すからなのでしょう。長年連れ添っていると、同じ方向で話し合っているかと思ってしまいます。

「それが」「あれが」・・・。で、会話が成り立ってしまうのも原因かも知れません。

*道志の大根を降ろしました。

「お~い」と言えば「お茶ですね」と、コマーシャルもあるくらいです。

夫婦の会話はそんなに大事な話ではありません。一般家庭より多く話す方かだと思います。急に会話の方向が変わると、変な返答をしてしまいます。お互いに自分では相手が分かっているかと思いますが、主語や目的語が無いのが間違いのもとになります。

*ゴボウの天ぷらです。良い香りです。

いつ・誰が・どうして・こうなった。など、良く5W1Hと習った会話は仕事上だけだだたような気もいたしました。いつ・誰が・何をが無いと、結果だけの「こうなった」だけの会話になってしまいます。

*人参と玉ねぎの天ぷらです。特に玉ねぎが甘くて美味しい。

聞き間違えの原因はこんなところにありました。「こうなった」だけの会話です。私もそうですが、女房に対しても主語「誰が」無い。また、目的語「○○を」も無く、分かっているつもりで話してしまうからなのでしょう?耳が遠くなったのも原因かも知れません。

重要ではなく他愛無い日常会話ですから、聞き返せば良いだけで 特に問題ではありません。

*朝食のお雑煮タイプです。ダンス仲間からいただいたサトイモや柚子と近所からいただいた餅と庭のシイタケが美味しい・・・。

女房は小さなブティックを経営していいますが、お客さまの多くは高齢の方で、座り込んで1時間以上はお話しして行くのが通常のようです。みなさん嫁さんや子どもさんに対して気を使っているのか、話す場が無いようです。たしかに、スーパーやデパートなど、どこへ行っても長話する場はありません。

お客さまからも、お店を止めないでと言われているそうです。お話しできる場が無くなっちゃうからと・・・。たしかに小さな個人商売は傾聴から始まるのでしょう。

*ブログ「Nおじさんの きまま日記」に紹介されていた見かけたワーゲンがありました。

紹介されていたワーゲンです。

*若き日、私が同車種の乗っていたボロのワーゲンです。つい私も乗っていたとコメントしちゃいました。

さて、女性は話すことでストレス発散にもなるのでしょう。また、どんな場所(電話を含み)でも探すことができます。そこを行くと、男性はだらしがないもので話す場所も無く、話す相手も少ないのが現状だと思います。

知り合いの植木屋さんや工務店の会長などもふらりと寄っては、お茶を飲みながら長話しをしています。きっと、気楽に世間話しする相手も少なくなったのでしょう。会社関係ではその立場もあり、社員とは世間話しも出来ないと思います。

私も昔はカウンターバーやスナックが話しする(ストレス発散)場でした。今ではたまに会う友人と、居酒屋で一杯やるのが会話の場になっています。

先日の午前中は材木店からおが屑をたくさんいただいてきました。道志の畑に利用します。

まして、道志では話す相手もいなく、夢中になって畑仕事や木工をしています。話す相手もいなきゃ、話す必要もありません。これが好きなんです。

 

Hiro