徒然なるままに

日常を取り留めなく書きます

樹海へ 7

2009-07-05 03:58:21 | 空想
 その部屋はテーブルとパイプ椅子だけがだけが置いてあり、ほかには」ホワイトボードがあるだけの、がらんとした殺風景な部屋だった。シバタはパイプ椅子に座り、私たちもシバタの対面の椅子に座った。
 「ミツヤさん、あのサンタという少年は何者なんですか?」
 まず、シバタが私に聞いた。私はサンタと先生のいる大学で出会ったことを話した。そして、ヨウコさんの死のこと、掲示板のこと、ヨウコさんの職場のこと、そして、サンタが掲示板のログを入手したことを話した。
 シバタは黙って、私の話を聞いていた。私がひととおり話し終えると、シバタは言った。
 「サンタが掲示板のログを入手したというのは本当なんですか?」
 私はズボンの後ポケットに折りたたんでいた掲示板のログを印刷した用紙をシバタに見せた。これはクワタ刑事にも見せたものだった。
 シバタはしばらくそのログを見ていた。
 「この掲示板をヨウコさんもトモミさんも見ていたわけですね。ミツヤさん、あなたは見ましたか?」
 私が見たときは既に掲示板は削除されていたこと、そして今はサイト自体がなくなっていることを告げた。
 「なるほど、サンタ君からも聞きましたが、掲示板もサイトもなかったので、我々としても、本当にそんなものがあったのか、少し疑っていました。一応、山梨県警にも生活安全係というものがあって、このような特定の人を非難・中傷する行為は取り締まっています。今、この掲示板について調査を進めているところです」
 シバタはそう言って、紺の上着を脱ぎ、丁寧に折りたたんで、となりの椅子の上に置いた。
 「しかし、ミツヤさん、こういうことはまず警察に連絡すべきではないですか?」
 私はぎくりとした。確かに警察にそのような組織があることは何となく知っていた。
 「でも、ミツヤさんが見たときは、既に掲示版は削除されてたんだから、内容がわからなかった。連絡しようがないじゃん。削除されていた掲示版のことを警察に言っても何も動いてくれないでしょ」
 クワタ刑事が私を援護するような発言をした。シバタはクワタ刑事の方に鋭い視線を向けていた。
 「それは-、それはそうかもしれませんが-」
 シバタは言葉を濁した。
 「それより、サンタは何故トモミさんが樹海にいると分かったのでしょうか?」
 私は一番聞きたかった質問をした。
 「それですが、サンタはトモミさんのブログを見て、彼女が樹海に行くことを知ったと言っています」
 トモミさんのブログ-?
 そんなものがあったことは、私はまったく知らなかった。

樹海へ 6

2009-07-04 18:01:34 | 空想
 サンタは私を見つけると、ニヤッと笑顔を見せた。しかし、私の目には心なしかサンタが疲れているように見えた。
 「サンタ君、君はいったい-」
 私は、数え切れないほどの質問をサンタに浴びせようと思った。しかし、サンタは私の言葉をさえぎり、こう言った。
 「ミツヤさん、トモミさんは二階の集中治療室で、まだ意識が戻らない。まず、二階に行って、警察と医師から状況を聞くといい。俺の話はその後」
 サンタは冷静だった。私にとって、まず、トモミさんの容態を確認することが最も重要だ。サンタは廊下の右側にある二階への階段を指差していた。
 「そうだな。まずトモミさんの容態だ」
 私はそう言って、階段を目指した。クワタ刑事は立ち止まって、サンタの方を凝視している。
 「あんたがサンタっていうの?」
 サンタは思いがけない対面に、目をパチパチとしていた。
 「あんた、外人?」
 クワタ刑事はサンタに聞く。サンタはきょとんとしていた。
 「いや、俺は日本人だけど-。あんた誰?」
 クワタ刑事は、サンタの顔から足まで、全身をなめまわすように見る。サンタの表情が曇った。
 「ミツヤさん、この人、何なの?」
 サンタが私に聞く。
 私はクワタ刑事から、今日は刑事だということを隠しておくように言われていたことを思い出し、とっさにこう言った。
 「いや、彼女はトモミさんの友達で、クワタさんっていうんだ。今日は心配になって、僕と一緒に来たんだ」
 サンタは腑に落ちない顔をして、クワタ刑事を見ていた。はたから見ていると、二人は不良少年がガンをつけあっているいるような感じだった。私はこの気まずい雰囲気を断ち切るように言った。
 「クワタさん、とにかくトモミさんの容態が心配です。とりあえず二階に行きましょう」
 二階の集中治療室には、私たちは入ることができなかった。治療室の前の長椅子に、ハヤシ課長とコマツというトモミさんと同じ職場の若い男性がいた。
 「おお、ミツヤ君、来たか」
 ハヤシ課長は私を見つけると、開口一番、そう言った。
 「それで、トモミさんは-、どうなんです」
 ハヤシ課長は青ざめた顔をしていた。その表情から、事態は良くないということが感じ取られた。
 「まだ、意識が戻らないんだ。医師はこれは安定剤などの薬を投与した関係だと言っている。でも、意識が戻ったとしても、なんらかの後遺症が残るかもしれない」
 ハヤシ課長の表情は暗かった。コマツという男もハヤシ課長の言葉にいちいち頷いていた。
 そのとき、廊下の向こう側から二人の男が私たちの方にやってきた。一人は紺色のスーツを着た長身の男だった。頭髪は丸刈りに近い短髪で、その雰囲気はちょっと近寄りがたい威圧感があった。長身の男の後ろには白衣を着た中年の男がいた。おそらく病院の医師なのだろう。
 長身の男は私を見つけると、ハキハキした早口で言った。
 「あなたが病院に電話をくれたミツヤさんですね」
 有無も言わせない断定的な、自身にあふれた言葉だった。男の顔は精悍で、私を見る目は鷹のように鋭かった。おそらく相当頭の切れる男なのだろう。
 「私は山梨県警のシバタというものです。トモミさんは荷造り用のロープで樹海の木で首を吊っているところをサンタという少年に発見されました。ただ、完全に足が地上から離れている状態ではなかったこと、サンタという少年の発見が早かったということもありまして、一命は取り留めました。サンタという少年の連絡で救急車が出動して、この病院に搬送されたわけです」
 シバタはそこまで言って、次の言葉を病院の医師に譲った。中年のさえない顔をした医師は、ゆっくりとした口調で言った。
 「首吊りでは、完全に意識を失うまで、人にもよりますが、五分程度かかります。その後、絶命にいたるまでには、さらに五分から十分頚動脈を圧迫し、呼吸ができないようにする必要があります。首を吊って、呼吸困難になってから、五分以内であれば、ほぼ後遺症は残らない場合がありますが、五分を超えると高次脳機能障害や麻痺などの後遺症が残ります。今回のトモミさんの場合は発見が五分を超えており、おそらく後遺症が残るでしょう」
 中年の医師の言葉はあまり感情を表すことがなく、冷たい口調だった。
 「その、後遺症というのはどういったものでしょうか?」
 私はおそるおそる医師に聞いた。
 「まだ、なんとも言えませんが、例えば、記憶障害、注意障害、遂行機能障害、社会的行動障害などの認知障害、脳の損傷を受けた部位によって異なります」
 私は目の前が白くなった。トモミさんは、トモミさんは-。
 ハヤシ課長も肩を落として、暗い表情をしている。
 「ともかく、明日になれば、トモミさんも意識を取り戻すはずです。その時、彼女がどういう状態か?今は待つほかありません」
 中年のさえない医師はそう言って、集中治療室の中に入っていった。シバタという男が私の方を見て言った。
 「ミツヤさん、発見したサンタという少年にいろいろ聞いたのですが、いささか納得できないことがあります。ちょっと話を聞かせてくれませんか?」
 シバタという男は、私の受けたショックを無視するかのように、冷淡に話した。
 私は少しむっとしたが、とりあえず、シバタに話をすることにした。しかし、私自身、なぜサンタがここにいるのか、わかっていない。
 「シバタさん、私の知っていることは話しますが、私もなぜサンタがここにいるのか分かっていません。まず、サンタと話をさせてくれますか?」
 シバタ刑事の顔が曇る。私とサンタが事前に口裏を合わせることを懸念しているようだった。
 「いや、まず、ミツヤさんとサンタ君の関係とヨウコさんのことを聞かせてください。先ほど、サンタ君から、いろいろと話を聞いたのですが、いかんせん十五歳の少年のいうことだし、証拠も信憑性もない。その後、サンタ君がトモミさんを発見した経緯を私から話します」
 そう言って、シバタは、私を病院の会議室のような部屋に案内した。クワタ刑事は退屈そうに集中治療室の前の長椅子に座って、携帯をいじっていた。
 「シバタさん、このクワタという女性も今回のことを知っています。彼女も一緒に話をしていいでしょうか?」
 その言葉を聞いて、クワタ刑事は私の方にするどい視線を向けた。
 余計なことを-。
 彼女の表情はそう言っている。しかしシバタは、まあ、いいでしょう、クワタさんも一緒に話を聞かせてください-、そう言って、私たち二人は病院の薄暗い会議室のような部屋に案内された。

樹海へ 5

2009-07-02 20:51:39 | 空想
 夜の中央高速は空いていた。
 私は制限速度を少し超える程度の速度で、車を走らせた。サービスエリアを出た後、クワタ刑事はシートを少し倒して、眠っているようだった。
 私の頭は富士吉田に近づくにつれて、段々とさえわたり、そろそろ、午前0時になるというのに、全く眠気は感じなかった。
 大月ジャンクションから、進路を南にとり、都留市を通って、富士吉田インターで中央高速を降りる。サンタから聞いたスズキ総合病院は、富士急ハイランドと富士吉田駅の中間あたりだった。
 インターを降りると、クワタ刑事が目を覚ました。
 「あら、もうそろろろね」
 私は、カーナビの指示に従って、市内を走る。十五分ほどで、スズキ総合病院の建物が見えた。
 「ああ、着きました。クワタさん、あそこです」
 クワタ刑事は何も言わず、病院の建物を見ていた。
 時刻はちょうど午前0時になるところだった。私達は病院の駐車場に車を止めて、入り口を探した。病院の周りにはほとんど建物がなく、どこからか虫の声が聞こえた。名古屋に比べるとずいぶんと涼しい。一般外来の入り口は既にしまっていた。裏口にある緊急用の入り口に小さな明かりが点いていた。
 「ああ、あそこから入れる」
 私はそう言って、小走りになって、その入り口に向かった。クワタ刑事も私の後に続く。
 「さあて、いよいよ、謎の少年、サンタ君に会える」
 クワタ刑事はサンタのことが気になるらしい。
 受付でトモミさんの会社のものだと告げた。ご苦労様です、ハヤシという人も来ていますよ、と受付の老人は言った。ハヤシ課長は私達より、早くついたらしい。
 私とクワタ刑事が、トモミさんのいる二階の病室を目指し、廊下を歩いていると、黒いシャツを着た男が廊下にある長椅子に座っているのが見えた。
 男は私達に気づくと、ゆっくりと立ち上がった。
 ―サンタだった。

樹海へ 4

2009-06-30 00:00:04 | 空想
 私は、クワタ刑事に聞いてみた。
 「クワタさん、この事件をどう考えます?」
 クワタ刑事はタバコを吹かしながら、澄みきった夜空を見つめていた。
 「まず、ヨウコさんの自殺―。これに遺書もなく、自殺する前兆もなかったという点。これが本当に自殺なのか?これが一番のポイント」
 クワタ刑事は、タバコをもみ消しながら、そう言った。
 「ヨウコさんの死は自殺ではないと―」
 私はクワタ刑事の大きな瞳を見つめながらそう言った。
 「いや、今のところ、全くそうは言い切れない。サンタってガキが入手した掲示板のログは、まあ、酷いことを書いてあったけど、おそらくヨウコさんはそんなことは、全然、気にしていなかったと思う」
 そうー、私もそう思っていた。ヨウコさんは心が強い人間で、そんなネットの顔も定かでない、落書きのような、戯言を真に受けるとは思えない。
 「それでは、ヨウコさんは何故、自ら命を絶つ必要があったのでしょうか?」
 「他の理由があったかもしれない。例えば―」
 「例えば―?」
 「恋愛感情のもつれ」
 クワタ刑事は、まるで、独り言を言っているようだったが、その言葉は私の心に響いた。
 「私は、少なくても、ヨウコさんと真剣につきあっていました。遊びなんかでは決してない。それはヨウコさんも同じで、二人の心は、どこか深いところで、確実につながっていた」
 クワタ刑事は、私の話には、あまり興味を示さなかった。
 「ミツヤさんは、ヨウコさんのすべてを知っていたの?」
 クワタ刑事の顔は真剣だった。私はヨウコさんのすべてを知っていたかと、問われると、少し自信がない。しかし、ヨウコさんと初めて結ばれた日のこと、あれは、まるで、幻想の世界に、立った二人だけが存在するかのような、日常から離脱した体験だった。私は少なくても、ヨウコさんの心のずっとずっと奥にある、魂を感じた。それは、私の人生経験でも、初めてのことだったし、ヨウコさん以外で、そのような不可思議な体験をしたことはない。
 「私は、ヨウコさんのすべてを知っていると思うし、ヨウコさんも、私のすべてを知っている」
 私は男女間の愛などということは、よくわからなかったが、あの日以来、私とヨウコさんは、心の奥底で、つながっていたのだ。少なくても私はそう感じていた。
 「ヨウコさんが、自殺ではないと、仮定する。すると、ヨウコさんは、事故か、あるいは、第三者によって、その命を奪われたことになる」
 私は、そのことは、何度か考えてみた。しかし、ヨウコさんが発見された状況。ヨウコさんは部屋に鍵をかけて、両親が入ってこれないようにして、睡眠薬とアルコールで、意識を失っている。言わば、彼女の部屋はミステリー小説でいう、『密室』なのだ。
 「でも、状況は、ヨウコさんの部屋は密室で第三者がヨウコさんの部屋に入ることは不可能な状況でしたよ」
 「密室って、まるで、推理小説みたいね。あとトモミさんは樹海で自殺しようとしたって、これも全く原因不明」
 クワタ刑事は続ける。
 「トモミさんも何故自殺をしなければならないの?後追い自殺?」
 私はヨウコさんが死んでから、何度かトモミさんに会ったが、彼女は確かに悲しんでいたが、そんなに追い詰められていたのだろうか?
 「要するに、不思議なことだらけね。ヨウコさんの自殺に無理やり原因をこじつけて、トモミさんの自殺未遂にも、後追い自殺なんていう理由をこじつけることはできる。でもそれは真相ではない」
 長野県の夜風は、名古屋のそれと比べると、冷たく、乾いていた。
 「まあ、今のところは、これくらいしか分からないわね。サンタってガキに話を聞いて、できれば、トモミさんからも話を聞いてみたい」
 私は、はっとしていた。トモミさんは意識不明の重態だった。トモミさんから話を聞くことができるだろうか?私は彼女の容態が気になり始めた。
 「クワタさん、そろろろ行きますか」
 「そうね、ここまでくれば、あと2時間くらいってとこかしら」
 このまま行けは、日が変わる前にはなんとか着きそうだ。私はサービスリアで給油して、クワタ刑事とともに富士吉田市の病院を目指した。
 

樹海へ 3

2009-06-28 22:02:46 | 空想
 そうー、クワタ刑事の昨日とはあまりにも違う変貌ぶりと、強引さですっかり忘れていたが、私は今回のことを警察に任せる気になっていたのだ。
 私はサカキバラ警部にすべて話してしまおうと思っていた。しかし、警部には電話はつながらず、予想に反して、クワタ刑事が現れた。彼女は警察関係者であることを伏せて、山梨へ行くという。私は今回の事件のことを、彼女に話すべきか、躊躇していた。彼女がまだ新米の刑事だということもあり、頼りなさを感じていた。
 しかし、突然、彼女は私に直球を投げてきた。私の迷いを知っているかのように。
 クワタ刑事はどこまで知っているのだろう―。
 私は意を決した。彼女の言葉で、忘れていたことを思い出した。サンタのことをクワタ刑事に話してしまおう。
 ヨウコさんの死後、彼女からのメールが届いたこと。
 掲示板があったサイトのログをサンタが入手して、一部をテキストファイルにおこしたこと。
 その内容がとても酷かったこと。
 掲示板にはプロキシ経由で書かれていて、個人の特定が困難であること。
 そして、すべての書き込みがプロキシ経由で書かれていて、一人の人間の自作自演である可能性があること。
 そんなことを、夜の中央高速を運転しながら、ゆっくりと、クワタ刑事に話した。
 クワタ刑事は、黙って、それを聞いていた。
 「ミツヤさん、あんた、嘘が下手だね」
 クワタ刑事はぶっきらぼうにそう言った。
 「昨日のミツヤさん、何か隠していることが見え見え。それで今日は強引に一緒にいる時間を作ったの。トモミさんのことを聞いて、絶対何か話してくれるだろうと思ったから」
 彼女はフロントウィンドウから見える夜空を見つめているようだった。
 「実は愛知県警ではほとんど何もわかっていないの。あのサカキバラはダメ。ミツヤさんの話は全く理解していない。あれが来るとやっかいなんで、わたし一人でミツヤさんに会うことにしたの」
 クワタ刑事は上司であるサカキバラ警部のことをボロクソに言った。
 「ミツヤさん、そのサンタがおこした掲示板のログ、今、ある?」
 私は、いつもあの掲示板のログを印刷したものを持っていた。それはダッシュボードの中に放り込んであった。
 私はクワタ刑事にそう告げると、彼女は早速印刷されたA4の用紙をダッシュボードから取り出し、読み始めた。
 「なるほど、何となく、見えてきたような気がする。で、そのサンタってガキは何者?」
 私は、そう聞かれても、サンタのことはほとんど知らなかった。十五歳の中学生だけど妙に大人びている。先生の研究室で知り合って、コンピュータに詳しい。それに非常に頭の切れる人間だということを話した。
 サンタが無免許運転で、酒を飲んだことは話さなかった。
 「ふーん、おかしなガキね。先生ってのは?」
 クワタ刑事の質問は先生のことまでおよんできた。私はどう答えていいのか、しばらく考えたが、大学時代の恩師で、物理学を研究している教授だと答えた。
 「ミツヤさん、言うことはそれだけ?」
 クワタ刑事は小さい子供のいたずらを問い詰める母親のような顔になって、私に質問した。
 「危ないから、しっかり、前は見ていてね」
 私はクワタ刑事の顔を横目で見ていると、そう注意された。それも、また母親の言葉のように優しく、厳しかった。
 「でも、サンタって子、何故トモミさんが樹海にいるって、わかったの?」
 私もそれを知りたい。サンタは話すと長くなるからと言っていた。私はそう、クワタ刑事に伝えた。
 ふーん―、そう言って、クワタ刑事はしばらく何かを考えているようだった。
 「ミツヤさん、疲れてない?」
 唐突に、そう聞いてきた。私はそれが、そろそろ休憩しようという、クワタ刑事の提案だと思った。
 「そうですね。それでは次のパーキングエリアに入ります」
 「うん、それもあるけど、ミツヤさん、この三週間で、恋人のヨウコさんが死んで、トモミさんがまた自殺未遂。落ち込む暇もなく、振り回されて、疲れたでしょ」
 クワタ刑事から、そのような思いやりの言葉が出てくるのは以外だった。彼女はその態度や言葉遣いとは違い、実は人の気持ちがわかる人間なのだろうか?
 「いや、疲れているけど、ぼくはヨウコさんが自殺だとは思えないんですよ。それで死の真相を知りたい。ヨウコさんを傷つけた人間がいるとしたら許せない。それが今のぼくを支えるエネルギーなんです」
 私は少し虚勢をはってそう言った。
 「そう、ヨウコさんのことが、よっぽど好きだったのね」
 クワタ刑事はぽつりと言った。なんだか寂しそうな声だった。
 ヨウコさんは、ぼくのすべてだった―。
 私はそう言おうと思ったが、クワタ刑事の寂しそうな横顔を見て、思いとどまった。
 私達は諏訪湖のサービスエリアでちょっとした休憩を取った。クワタ刑事は缶コーヒーを飲みながら、喫煙スペースでタバコを吸っていた。私はタバコは吸わないが、彼女のとなりに腰掛けて缶コーヒーを飲んでいた。
 クワタ刑事の寂しそうな表情は消えていて、ちょっと見下すようないつもの表情に戻っていた。
 「そのサンタってやつ、ちょっと会うのが楽しみになってきた」
 クワタ刑事は薄笑いを浮かべていた。
 私はサンタとクワタ刑事が対面するのを想像した。性格的に会いそうもない。ひと悶着起こりそうで、また憂鬱になった。

樹海へ 2

2009-06-28 17:58:09 | 空想
 クワタ刑事の話は強引だった。
 「サカキバラ警部は今手が離せないの」
 「トモミさんのことは気になるけど、事件性がなければ、愛知県警は、山梨に問い合わせるだけ。それでは何もわからないでしょ」
 「だから、私を連れていって―、ただし、警察関係者だということは、伏せておいて」
 「いろいろと面倒なのよ、警察って。管轄が違えば、別会社だと思って―」
 「ミツヤさんと一緒に行きたいの。いいでしょ?」
 クワタ刑事は、まるで聞き分けのない子供のように、屁理屈をこねた。最後はしかたなく、私が折れ、結局、私とクワタ刑事は、私の車で一緒に山梨の樹海へ行くことになった。
 クワタ刑事とは名古屋駅の近くで待ち合わせをすることになった。私は愛知から山梨へは中央高速道路を使うルートで行くつもりだった。私の住む町のインターチェンジから、まず東名高速に乗って、その後、中央高速道路に入るつもりだったが、クワタ刑事を乗せるため、名古屋インターで一旦高速を降りた。
 私は、夕暮れの名古屋市街を、カーナビに案内されながら、クワタ刑事と待ち合わせのコンビニへ車を走らせた。時刻が午後六時になろうかというころ、ようやくそのコンビニを発見し、駐車場に車を止めた。
 私は、エンジンをかけながら、車内でテレビを見ていた。ちょうど夕方のニュース番組を放送しているところだった。
 トモミさんのことが放送されるかもしれない。
 私はそう思い、ニュース番組を凝視していた。全国の主なニュースが終わり、地方の話題となった。トモミさんのことは放送されなかった。
 その時、こん、こんと、私の車のウインドウを叩く音が聞こえた。
 振り向くと、外にクワタ刑事が立っていた。
 黒いショートヘアがコンビニの明かりで艶やかに光っていた。体に密着した黒いTシャツと、細いジーンズを履いていた。全体的にスリムな印象だが、胸は結構ボリュームがあった。
 彼女は私の車の前をスタスタと軽やかに歩き、助手席に乗り込んできた。その動作はスマートで、無駄な動きがなかった。
 「さあ、行きましょうか」
 クワタ刑事の顔を見ると、昨日より、顔立ちがはっきりとしていた。明らかに化粧が濃い。薄く形のよい唇は、鮮やかな朱色で、私はつい見とれる。
 「何、ぼうっとしてるの?さあ、出発」
 「ああ、すみません」
 私は慌てて、車を発進させた。
 甘い香りがした。香水だろうか。あるいは、彼女の体臭のような気もした。それはどことなくエロティックで、私の胸の鼓動が少し早くなった。
 私はまた名古屋市街をカーナビに誘導されながら走る。
 しばらく二人は無言だった。名古屋インターから高速に乗ったころ、ようやくクワタ刑事が話し出した。
 「それにしても、色気が何もない車ね」
 「はあ―?」
 「もうちょっと洒落た車だと良かったのに―」
 いったい彼女は何を期待しているのだろうか?
 私は彼女が何故そんなことを言うのか、わからなかった。
 私の頭の中はトモミさんのこと、さらにはヨウコさんのこと、サンタのことで一杯だった。それにこのような形でクワタ刑事と山梨に一緒に行くことになってしまったのも不安のひとつとなっていた。
 「クワタさん、それにしても、勝手に行動してしまっていいのでしょうか?」
 今度は私が聞いた。
 クワタ刑事は、珍しいものでもみたような、少し驚いた表情になって言った。
 「勝手じゃないの。迅速な決断と適切な判断による行動。ミツヤさんは気にしなくていいのよ」
 そうだろうか?
 この彼女の勝手な行動は、後から問題になったりしないのだろうか?
 私はつい物事を後ろ向きに考えてしまう。
 「クワタさん、せめてサカキバラ警部には連絡しておいたほうが―」
 私は半分涙声になって、そう言った。
 「うるさいわね。分かったよ。後で連絡する」
 彼女は私の態度を見て、急速に不機嫌になった。
 車は長野県に入った。外はすっかり日が暮れて、星空が見えた。
 「ミツヤさん、あなた何か重大なことを隠しているわね」
 助手席でうとうとしているかと思っていたクワタ刑事が、急に体を起こして、運転する私の耳元でそう言った。
 彼女の突然の質問の意図と、耳元からの甘い香りが、私の中で交錯して、私は心臓を掴まれたように固まってしまった。
 そうかー。
 彼女の目的は、これだ。私から何か聞きだすことが彼女の目的なのだ。

樹海へ 1

2009-06-27 14:59:11 | 空想
 私は会社の重厚な門を出て、駐車場へ向かった。空は曇っていて太陽は霞んでいた。鈍い光が辺りの景色を包んでいて、生温かい空気が私の体を押さえつけているように感じた。私は重くなった体を何とか動かし、一足一足、ゆっくりと歩いた。
 何故、トモミさんが―。
 サンタの話、山梨県警のシバタという男の話、おそらくトモミさんは自殺をしようとしたのだろう。
 あまり詳しくは知らないが、富士の樹海といえば自殺の名所だ。
 後追い自殺というのがある。トモミさんは、ヨウコさんの自殺にショックを受け、自ら後を追ったのだろうか。それも考えられる。事実、私もヨウコさんの死の直後は、もう生きている意味がないと考えていた。
 私は車に乗り込み、エンジンをかけた。まず、アパートによって、着替えなど、準備をしようと思った。山梨までは車で五、六時間かかるだろう。時計を見ると午後三時ちょっと前だった。今日は泊まりになるだろう。
 車を運転しながらも、考える。
 先ほど、病院に電話したのは、軽率だったような気がしてきた。サンタに教えられて、思わず、すぐに病院に電話してしまった。それで山梨県警の男に私とサンタのことを話してしまった。
 考えてみれば、これはちょっとおかしい。
 トモミさんを発見した少年サンタ。愛知県に住む少年が富士の樹海で愛知県に住む女性を助ける―、これは、まあ、偶然だといえなくもない。
 しかし、その少年の知り合いが、助けられた女性と同じ職場だという―。
 これは、もう偶然ではすまない。山梨県警のシバタという男が、私に来るように念を押したのは、そういうことだろう。
 しかし、私は、それはそれでよかったのだと思った。トモミさんまでこんなことになってしまって、私とサンタだけでヨウコさんの死の理由を探るのは限界だと思った。これまでのことをすべて警察に話し、警察で調べてもらうのが最適な選択だと思った。
 ふと、サンタの顔が浮かんだ。
 彼はどうなのだろうか?
 アパートについて、旅の支度をして、車に乗り込もうとした時、愛知県警のサカキバラ警部の顔が浮かんだ。
 何かあったら連絡してください―。
 人懐こい丸い笑顔でそう言っていた。
 警察に任せるのであれば、連絡は早い方が良いと思い、私はサカキバラ警部に電話した。
 コールが続く。私は荷物を車の後部座席に放り込み、ルーフに寄りかかりながら、電話がつながるのを待った。
 「はい、刑事課です」
 若そうな男の声が聞こえた。サカキバラ警部ではなかった。
 「すみません。私、ミツヤといいますが、サカキバラ警部をお願いします」
 「サカキバラですか―」
 若そうな男はそう言いながら、あたりを探しているようだった。
 「えーと、ちょっと今出ちゃっているようですね。どうしましょう?」
 私はサカキバラ警部と一緒に来たクワタ刑事のことを思い出した。
 「すみません、それではクワタ刑事はいますでしょうか?」
 「クワタですか、ちょっとお待ちください」
 カタリと音がした。受話器が置かれたようだった。
 ―おーい、クワタどこいったんだ?
 ―何、帰った?
 ―何考えてんだ、あのくそ女。
 遠くで声、そんな声がした。
 「すみません。クワタもちょっと出ちゃってますが―」
 「そうですか。それでは結構です」
 私の言葉が終わる直前にぷつりと電話が切れた。
 私は少しむっとして、車に乗り込もうとしたが、クワタ刑事の携帯番号を登録したことを思い出した。
 今度はクワタ刑事の携帯にかける。
 「もしもし」
 透明な、しかしはっきりとした声が聞こえた。
 「ミツヤです。こんにちは」
 「ああ、ミツヤさん。どうも」
 「クワタさん、今、ちょっとよろしいでしょうか?」
 「いいけど、何?」
 「その―、私の会社のトモミさんが、富士の樹海で首を吊っているのを発見されまして―」
 クワタ刑事は何も言わない。沈黙がしばらく続いた。
 「まだよくわかっていなくて、私もこれから山梨へ行くところです」
 クワタ刑事はまだ黙っている。
 「トモミさんって、ヨウコさんの親友だった人だよね。その人が樹海か―」
 ようやくクワタ刑事が話した。頭の中でヨウコさんの事件を整理しているようだった。
 「ミツヤさん、わたしも連れてってくれる?」
 クワタ刑事が突然言った。

サンタの行方 5

2009-06-27 03:20:15 | 空想
 私は、慌てて席を立ち、廊下に向かって歩きながら、電話に出た。
 「もしもし―、あ、ミツヤさん、俺」
 サンタのとぼけたような声が聞こえた。私はつい大きな声になって言った。
 「おい、サンタ!どこにいるんだ。この二日間、ずっと電話してたのにー」
 「ちょっと、携帯がつながらないところにいた」
 「まあ、いいけど。今、大変なことになっている」
 「トモミさんのことでしょ」
 サンタはさらりと、そう言った。私は驚いて、携帯を落としそうになる。
 「何故、知ってるんだ。そう、トモミさんの行方が分からなくて、会社でちょっとした騒ぎに―。サンタ君、君、もしかして何か知っているのか?」
 「知ってるも何も、彼女は俺が助けた」
 「助けた?」
 「そう、彼女は樹海で首を吊っていたんだ」
 私は一瞬、頭の中が真っ白になってしまった。
 「樹海って―」
 「富士の青木ヶ原。河口湖の近くにある天然記念物で、自殺の名所」
 「何故、そんなところに―。それでトモミさんは、トモミさんは無事なのか?」
 「何とか命だけは。でも意識がない」
 「どこだ?君は今どこにいるんだ」
 「まあ、ミツヤさん、ちょっと落ち着こうよ。トモミさんは富士吉田市の病院で治療を受けている。電話番号は、0555-XX-XXXX」
 「ちょっと、待って…、もう一度言ってくれ」
 私は手帳を取り出し、サンタの言った電話番号をメモした。
 「すぐにそっちに行く。サンタ君、君もその病院にいるのか?」
 「うん、いるけど、今から帰ろうかと思っていたんだ。いろいろしつこく警察に聞かれて、疲れたし」
 「いや、僕がそっちに行くから、そこで待っていてくれ。そもそも、何故、君は、トモミさんが、その―、その樹海にいることがわかったんだ?」
 私は半ばパニックになっていた。
 「それはちょっと複雑で、電話で話すと長くなる。わかったよ。俺、ここで待ってる」
 サンタはそう言って電話を切った。
 私は何が何だかさっぱり分からなかった。しかし、とりあえずトモミさんの行方は分かった。私はすぐにサンタから教えられた番号に電話した。
 コールが何回か続いた後、女性が電話に出た。
 「はい、スズキ総合病院です」
 女性の声がそう言った。私は落ち着いて言う。
 「すみません。そちらにトモミさんという女性が入院していないでしょうか?」
 「少々、お待ちください」
 電子的な保留音が流れた。私はいらいらとしながら、そのクラシックのメロディを聴いていた。しばらくすると、今度は男性の声に変わり。こう言った。
 「もうしわけございませんが、あなたのお名前を教えていただけないでしょうか?」
 私は落ち着いていたつもりだったが、つい、自分を名乗るのを忘れていた。
 「すみません。私、トモミさんと同じ会社のもので、ミツヤと言います」
 「そうですか。確かにこちらの病院に入院しています。あなたはどこでこのことを知ったのですか?」
 男は冷たい口調でそう言った。私は早くトモミさんの容態を知りたかった。
 「その―、トモミさんを助けたサンタという男が私の知り合いでして、その男からこの病院の電話番号を聞きました」
 私はトモミさんのことで、変に疑われ、話が混乱するのを避けるため、正直に話した。病院ではサンタのことは知っているだろう。
 「そうですか。実は私は山梨県警のシバタといいます。我々もサンタ君から話を聞いて先ほどそちらの会社に連絡を入れました、いろいろと事情を聞きたいのでミツヤさんもこちらに来ていただけますか?」
 男は坦々とした口調で言った。
 「もちろん行きます。それより、トモミさんの容態は、どうなんでしょうか?」
 「トモミさんは首を吊った状態でサンタ君に発見されました。発見がもう少し遅かったら絶命していたでしょう。命は何とか取り留めました。ただまだ意識が戻りません。おそらくなんらかの後遺症が残るでしょう」
 私は何ともやるせない気持ちになった。いったいトモミさんに何があったのだろう。
 「ミツヤさん、遠いところ申し訳ないですけど、こちらに来ていただけますね?」
 私は力なく、分かりましたと言い、電話を切った。
 その時、総務部の部屋から、ハヤシ課長が私の方に向かい、バタバタと走ってくるのが見えた。
 「ミ、ミツヤ君、今、連絡があった。山梨だ。トモミさんが見つかった」
 ハヤシ課長の顔面は蒼白で、呼吸も乱れていた。
 私も今そのことを知ったばかりだが、サンタのことを話すのは、ことを複雑にすることになるため、今、ハヤシ課長から聞いたふうによそおった。
 「えぇ、山梨?何故そんなところに?それで、トモミさんは無事だったんですか?」
 ハヤシ課長は、ハンカチを取り出し、汗をふきながら言った。
 「命は無事らしいが、意識不明の重態だ。まったくどうなってるんだ。あぁ、何故樹海なんかで―、何故こんなことになっちゃうんだ」
 ハヤシ課長はそう言って、しばらく頭を抱え込んでいたが、はっとして顔を上げて言った。
 「とにかく、私と部長はすぐに山梨へ向かう。ミツヤ君、君はどうする?」
 「ぼくも後から別で行きます」 
 私はハヤシ課長の目を見ながら、そう言った。
 「それじゃ、くれぐれも気をつけて。それからこのことはまわりには言わないでくれ。まだ事情がさっぱりわかっていないんだ。頼む」
 ハヤシ課長はそう言うと、バタバタと走って私から遠ざかっていた。あの慌てようでは、私が何も言わなくても、トモミさんに何かあったことはすぐに社内のうわさになるだろう。
 私は品質管理部の自分の席に戻り、帰り支度を始めた。となりの席の新入社員が、そんな私の姿を見て言う。
 「ミツヤさん、帰るんですか?」
 「ああ、ちょっと急用ができたので、今日は帰らせてもらう。課長が来たらそう伝えてくれ」
 私の前の席の課長は不在だった。新入社員だけでなく、私のまわりの社員も私の行動を凝視していた。
 「総務部のトモミさんに何かあったんですか?」
 私のまわりの社員が、私の答えを聞こうと待ち構えているのを、ひしひしと感じた。ハヤシ課長からは何も話すなと言われていたが、先ほどハヤシ課長がバタバタと部屋を出て行くのをみんな見ている。今さら何もなかったなどということは通用しないだろう。私はどういう対応をしようか、少し悩んだ。
 「うん、ちょっとね」
 「まさか―!?」
 新入社員は私の顔を食い入るように見つめていた。
 「いや、大丈夫だよ。たぶん大丈夫だよ」
 私の言葉は答えになっていない。何が大丈夫なのだろうか。しかし、そういう言葉しか、私には浮かばなかった。
 私はまわりの刺すような視線を浴びながら、Windowsをログオフして、部屋を出て行った。

サンタの行方 4

2009-06-25 00:11:17 | 空想
ハヤシ課長は自分の席の近くまで来て、やれやれと言いながら、ハンカチを取り出し汗をふいた。私の姿を見つけると、ミツヤ君―、と小さな声で言った。
 私はハヤシ課長の近くまで行って、耳元に口をよせて小声で聞いた。
 「ハヤシ課長、トモミさんは―、トモミさんはアパートにいたのですか?」
 ハヤシ課長はいったん周りを見渡して、やはり小声で答えた。
 「アパートにはいなかった―」
 「課長は、部屋に入ったのですか?」
 「うん、事態が事態だから、近くに住んでいる大家さんに言って、トモミさんの部屋のドアを開けてもらった」
 私は法律には疎いので、このようなことが一般的に許されるのかは、分からなかった。
 「トモミさんの部屋はよく整理されていた。いや、整理されていたというか、ほとんど無駄なものがない状態で、生活感というものが感じられなかった。まるで引越しをする前の、いつでも出て行けるような状態だった」
 ハヤシ課長は力なくそう言った。
 トモミさんにいったい何があったのだろう。私には皆目検討がつかなかった。
 「とにかく、全く手がかりがない。今からこのことを総務部長に伝えて、今後の対応を決めなければならない」
 私とハヤシ課長は小声で話していたのだが、ミヤモトにはその会話が聞こえたようだ。突然、私達の会話に割り込んできた。
 「課長、これは、警察に届けて、指名手配をしてもらうべきではないでしょうか?」
 ミヤモトの発言は、小声ではなく、周りの人にも聞こえていた。総務部とその隣にある他の部署の社員にも、その言葉は聞こえたようで、みないっせいにミヤモトの方を向いた。部屋の中は騒然としていた。
 「馬鹿、指名手配ってなんだ。それを言うなら、捜索願いだろうが」
 ミヤモトはポカンとしていて、自分の発言の意味が分かっていないようだった。
 「とにかく、一度、部長に話をする。場合によっては捜索願いを警察に依頼することになるだろう。我々はできる限りのことはした。後は警察にまかせるしかないような気もする」
 ハヤシ課長は冷静にそう言って、深いため息をついた。
 その時、トキタが言った。
 「トモミさんって、彼氏いたのかなあ。彼氏とどこかで一緒で楽しんでいるんじゃないですか?」
 私はその発言を聞いて、頭の中で、何かがキレた。この男は―、このトキタという男は何というデリカシーのない男なのだろう。
 何か欠けていると思っていたが、欠けているからといって、それを許すことは私にはできなかった。言っても無駄なことは分かっているが、体が反応した。
 「お前、何いってんだよ」
 私は、ハヤシ課長の席から、トキタの前まで行って、彼の顔をにらみつけた。私は右の拳を握り締め、トキタを殴りつけようとした。
 その瞬間、ハヤシ課長が、私とトキタの間に入ってきた。
 「ミツヤ君、落ち着け、この男は相手にするな」
 ハヤシ課長はそう言って、私の右手を握って、トキタから遠ざけた。私はそれでも怒りが収まらず、ハヤシ課長を押しのけて、またトキタに近づく。
 トキタは少し怯えたような表情になっていた。
 「ミツヤさん、何むきになってるんだよ。まだ二日連絡がないだけだよ。トモミさんもヨウコさんのように―」
 トキタがそこまで言った時、ハヤシ課長は、トキタを突き飛ばした。トキタはよろよろとよろけて、ハヤシ課長の方をにらんでいた。
 「課長、何をするんですか。これは暴力ですよ」
 総務部の部屋の社員が、私達の行動を凝視していた。部屋は静まり返っていた。
 ハヤシ課長は、しばらくトキタの方を見て、沈黙していた。
 「暴力でもなんでもいい。とにかくお前は黙っていろ。ミツヤ君ももう自分の席に戻れ」
 トキタは一瞬、私の方を睨んで、乱暴に自分の椅子に座った。
 私の怒りはまだ収まらなかったが、ハヤシ課長の言葉にしぶしぶと従って、総務部の部屋を後にした。周りの社員の目が私に向けられている。その刺すような視線が痛かった。
 私が自分の席に戻ると、すぐにハヤシ課長がやってきた。
 「ミツヤ君、とにかく上に相談して今後の対応を決める。決まったら君に連絡するから、今日のところは我慢してくれ。トキタはああいう人間なんだ。君が真剣に相手をするのは君にとって為にならない」
 「捜索願は会社から出すんですか?」
 「トモミさんの身内がいないから、おそらくそういうことになると思う。また何かあったら協力してくれ」
 ハヤシ課長はそう言うと、部屋を出て行った。おそらく部長に相談にいったのだろう。
 私の隣の新入社員が、目をパチパチしながら、私の顔を見ていた。おそらく私がこんな行動にでるのが、信じられないのだろう。
 新入社員以外の私の席の周りの社員は、私の方を見ようとはせず、ノートパソコンに向かって仕事をしているふりをしていた。
 私はヨウコさんの死の後、明らかに、感情的な、短絡的な行動をすることが多い。これまで、真面目社員で、会社では感情を表に出すことは少なかった。ヨウコさんの死は確実に私の心を変えている。それほどヨウコさんの死は、私にとってショッキングなことだったのだ。
 私は自分の席に座り、大きなため息をついて、部屋の天井を眺めていた。仕事をする気は全くなかった。
 その時、私のシャツの胸ポケットにある携帯が振動した。私は携帯を取り出して、液晶画面を見る。
 着信―。
 それはサンタからの電話だった。