友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

自分の好みで

2019年01月31日 17時10分53秒 | Weblog

 友だちのカミさんは、明るくて行動的で身体を動かすことが好きだ。そんな彼女が珍しく、家から1歩も出ずに貯まっていた整理をしていたところ、夕方になって、「頭が重い。夕飯の用意できないから、あなたがやって」と言ったそうだ。友だちが言うには、「1日中家事をしていた訳ではなく、ただ、ぼんやりと新聞読んだり、テレビ見ている時間が多かった」ということらしい。

 「それはストレスだと思う。1日中、亭主と顔つき合わせていると気が滅入るって言うじゃーない」と茶々を入れると、「そうかなー。何も彼女に負担かけないようにしているのに」と零す。身体を動かすことが好きなのに、ただぼんやりしているのは逆に、苦痛になってしまったのだ。外で元気に遊ぶ子に、家で勉強しなさいと言うのと同じだ。

 友だちはカミさんが居ない時は、食器を洗い、洗濯物を干したり片付けたり、掃除機をかけたり、時間があれば本を読み、眠くなればフトンに入って寝てしまう。勝って気ままに暮らしているから、ストレスを感じないのかも知れない。でも、ふたりを見比べると、彼の方が神経質で、彼女の方が鷹揚であるから、本当は違うのかも知れない。

 今日は小牧市のメナード美術館に行って来た。メナード美術館は小さいけれど、企画が面白い。今回のテーマは「空の情景」で、当美術館の所蔵作品をテーマに合わせて展示したものだが、作品の解説文がとても優れている。ホンのわずかな文章なのに、何故か心惹かれてしまう。学芸員の企画力と文章力にいつも感心させられ、次はどんな展示をするのかと期待してしまう。

 美しい女性を見れば、男性は間違いなく関心を示す。美しいから好きになる男性は大勢いるが、それだけが女性の魅力では決してない。「素敵な女」と男性に思わせてしまう魔力を持った女性はたくさんいるのに、自分の魔力に気が付かない女性たちがいる。絵画や彫刻など、演劇や映画あるいは音楽も、きっと見る側が「美しさ」を見つけ出すものなのだ。自分の好みが人には絶対にあるから。

 

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聖書の話

2019年01月30日 17時35分13秒 | Weblog

  いつもキリスト教の冊子を届けてくれる女性が、「いよいよ、最後の時が近づいています」と言うので、「ええ、私もそう感じます」と答える。彼女はこの時とばかり、「神の裁きが近づいているのです」と念を押す。「ええ、神の裁きを厳粛に受け止める覚悟はできています」と付け加えると、神を受け入れていないのにと、困った顔をする。

 先日も、「狭き門を通って入りなさい。滅びに至る道は広く大きく、それを通って入って行く人は多いからです。一方、命に至る道は狭く、その道は狭められており、それを見出す人は少ないのです」とマタイ伝7章13・14を書き写したメモをくれた。私は冗談で、「だから太らないように努めています」と答えたので、またしても彼女は困った顔をした。

 マタイ伝の5章から7章は有名な山上の垂訓で、中学生の私が最も感銘を受けた箇所、キリストの教えの神髄だと思っている。「『目には目、歯には歯』と言われたのをあなた方は聞きました。しかし、私はあなた方に言います。邪悪な者に手向かってはなりません。あなたの右の頬を打つ者には左の頬をも向けなさい」(マタイ伝5章38)。なんという 凄いことを言うかと感心した。

 さらに、「敵を愛し、呪う者のために祈れ」とか、「見返りを求めるな」とか、私が求めていたことをズバリ口にしている。ところが、私は「姦淫してはならない」とあるのに、抱きたい抱かれたいと欲望が日増しに強くなっていた。高校生になり、そんな自分に悩んでいる時、アメリカ人の牧師が「聖職に就きなさい」と言う。ベトナム戦争の最中だったので、「神はなぜ戦争を許しておられるのか」と聞いた。

 キリスト教徒で東大の総長を務めた、矢内原忠雄さんに手紙を書いて、『政治と人間』を読んだ感想などに触れ、我が校で講演して欲しいと伝えた。息子の矢内原伊作さんから断りの返事をいただいたが、身体の具合が悪い時だったかも知れない。その後すぐ亡くなられた。豊田市美術館で彫刻家のジャコメッティ展を観た時、伊作氏をモデルとした作品があり、会ったことも無い人だったのに懐かしい気がした。

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人気アイドルグループ『嵐』に学ぼう

2019年01月29日 17時28分40秒 | Weblog

  厚労省の統計不正問題に対する対応と、財務省の森友学園問題に対する対応を見ていて、先輩の話を思い出した。「もし、浮気がばれても絶対に弁解してはイカン。知らぬ存ぜぬを徹すことだ」と自らの体験を語った。財務省はこの手法で、「知らない」と言う以外には何も答えない。ところが厚労省は「第3者委員会で調査する」とか、「不正がどうして起きたのか検証する」とか、弁解を繰り返している。

 「ホテルに行ったでしょう?」と問われて、「行っていない」と答えたのに、「見た人がいる」と指摘されると、「たまたま、ホテルの前を歩いていただけ」と答えてしまう。「確かにホテルに入ったと言っている」と詰問され、「1回しか行っていない」とまで話してしまう。先輩は「こういう人は、ベッドに入ったところに踏み込まれると、『まだ、やっていない』と答えてしまうよ」と言い、みんなで大笑いした。

 厚労省の役人は正直なのかも知れない。なんとか弁解してみようと心がけている感じがする。それにしても国家は役人天国だ。いや、地方の自治体でも変わらないし、世界中どこでも行政が住民を支配している。あらゆる情報を手にし、税金の使い道も、お願い事も、全てを握っているのだから仕方ないのかも知れない。住民を代表した議員が、監視と提案をしているはずと言うが、果たしてどこまで役割を果たしているだろう。

 人気アイドルグループの『嵐』が、2年後に活動を休止すると宣言した。リーダーの大野さんが言い出したことのようだが、ひとりが他の人の犠牲になってはならないし、ひとりが他の人を縛ってもならない、それが『嵐』の在り方と言っていた。ひとりの考えに全員が従うことはなく、多数決で決めることでもない。なるほど、これが民主主義ではないか。1年以上かけて、何度も話し合って達した結論のようだ。

 単位が小さいほど、『嵐』のように論議できる。国家は解体し、自治体も出来る限り小さくする。これが民主主義を活かす道かも知れない。行政が住民の奉仕者になる方法なのかも知れない。今日は長女の誕生日。みんなでお祝いしているのかな。

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人には得手不得手がある

2019年01月28日 17時37分43秒 | Weblog

  土曜日は大阪なおみさんが、メルボルンで行われた全豪オープンで優勝した試合を、翌日の日曜日は大相撲初場所で玉鷲が遠藤を破り、初優勝した土俵をテレビでカミさんと観た。大阪選手はカッとなりそうなところを抑えられるようになっていた。技術も進歩したのかも知れないが、心の持ち方は格段と成長していた。彼女は「5歳になった」と言うが‥。

 初場所は横綱・白鵬がひとり抜きん出ていたから、もう優勝は間違いないと思っていた。ところが3連敗してしまい、これでひょっとすると貴景勝の2場所連続の優勝かと思ったが、地道に白星を挙げて来た34歳の玉鷲が優勝した。勝ち名乗りを受けて土俵を降りた玉鷲は、感無量といった表情だった。優勝杯を受けるまで、目頭は潤んでいた。

 カミさんはスポーツ好きだからか、大阪選手の時も、玉鷲の時はそれ以上に、声を出して応援し一緒になって泣いていた。私は残念ながらそこまでの一体感はないが、優勝までの年月が次々と浮かんで来ているだろうことは、それでも分かる。苦労してつかみ取ったものは、苦労していない私の想像をはるかに超えているはずだ。

 スポーツ選手は結果を出すために、それはもう血の出るような努力を惜しまない。私はどういう訳か、その努力が嫌いだった。好きになった女の子のためなら、1時間でも2時間でも平気で待つのに、自分が汗を流し、血を吐くほど頑張る、そういう根性は全くなかった。でも、自分が好きなこと、新聞を作ったり絵を描いたり、そういうことに時間を惜しむことはなかった。

 やっぱり、得手不得手があるのだと思う。話は全く違うが、昨夜のNHK大河ドラマ『いだてん』を見ていて、「スポーツ」という言葉が何度も出ていて気になった。「バケツ」も使われた。明治のあの時代に、一般的に使用されていたとは思えない。脚本家の宮籐官九郎さんは、時代考証をしているのだろうかとさえ思った。カミさんは「当たり前じゃーない」と言うが、些細な点が気になる私だ。

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小説『モーリス』が抱える問題

2019年01月27日 17時44分19秒 | Weblog

  フォースターの小説『モーリス』は、14歳から始まる。モ―リスは使用人が何人かいる中流家庭の長男で、父親は亡くなっていて、母親と下にふたりの妹がいる。この家族構成が彼の成長に大きく影響しているようだ。「父親のようになりなさい」が口癖の母親と兄に無関心な妹たちの中で、彼は使用人の少年と裸でよく遊んでいた。

 パブリック・スクールに進学する彼にひとりの教師が、「父親がいなかったね」と念を押し、図を描いて性教育をする。祖父の書棚にあったギリシアの書籍に興味を持ったこともあったから、性に関して全く無知ではなかったはずだ。ケンブリッジ大学に進学し、そこで雄弁家で理知的な美しい、地主階級の青年と出会い、互いに何かを感じ合う。

 異性でも同性でも、「何かを感じ合う」ことが「愛の出発」なのだ。私は自分を振り返ってみると、幼稚園に通っていた時から好きになる子は女の子だった。友だちは男の子だったが、女の子に抱くようなものは全く感じなかった。女の子なら誰でも好きになったのかと考えてみると、そうではない気がする。なぜ、人は好みがあるのだろうか。

 逆に、男の子が寄ってきたことがある。中学1年の時、同じクラスの男の子から「一緒に帰ろう」と誘われて、ふたりで遠回りして帰った。色白でなよなよしていて、女の子のような子で、だから女生徒とキャーキャーワイワイと平気で話せて羨ましかった。学年が変わってからは1度も話したことがないが、彼は悩みを抱えていたのかも知れない。

 モーリスは雄弁家に惹かれ、やがて唇を重ね、愛し合うようになる。けれど、大学を卒業した雄弁家は結婚し、「モーリスとの愛は終わった」と宣告する。悩み苦しみ絶望するモーリス、ところが雄弁家の使用人の青年とベッドを共にし、再び「愛」を感じるが、階級社会の残る時代では、同性愛は犯罪で更に階級を超えた「許されない恋」である。小説はここで終わっている。

 

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この世に必要でない人はいない

2019年01月26日 17時17分29秒 | Weblog

  北風が激しく吹き付けている。時々、風に乗って雪が舞っている。今日は寒さが厳しい。昨日のカミさんの実家での「新年の集い」で、70歳になる義理の妹が、「いい人生だったと思う」と言った。いろんなことがあったから、不満というか、悔いといか、不幸せを呪うような言葉が出てくるのかと思ったから意外だった。今が幸せなら、それでよい。

 ふと、人は何のために生きるのだろうと思った。そしてすぐ、何かのためではなく、「生きるために生きる」しかない気がした。新成人にインタビューで「何になりたいですか?」と聞くが、果たして20歳の時、私は明確な目標を持っていただろうか。大学も入れるところで、好きなことが出来ればよかった。大学を出て、どうするというイメージもなかった。高校の教師は自分に合っていたが、続けていればアーチストか教師かで迷っただろう。

 若い人で明確な目標を持っている人が羨ましい。同時に、そんな目標を持つことが出来るのかという疑念を持ってしまう。「流されて」生きて来た。生きた「その場所」で、必死になって、自分の価値を求めて来た。「この世に、必要でない人はいない」。実際、そう思う。生きていることは、必要とされているからと勝手に信じている。でなければ、人生は惨めなものになってしまう。

 E.M.フォースターの『モーリス』を読み終えた。長女のダンナは自称「モーリス」で通している。「モーリス」の由縁を聞いても、ハッキリしない。音楽好きなので音楽家の名前かなと思ったが、そんな人は見当たらない。そんな時に書店でこの文庫を見つけ、早速読んでみた。結論から言えば、同性愛の物語だった。

 20世紀初頭、イギリスでは同性愛は法律で禁じられた犯罪であった。男が男に恋することと、男が女に恋することに、違いが無いことまで、私には分からないが、少年から青年となり、社会人となっていく過程での葛藤は理解できる。私もまた友だちと、「理性とは欲望を隠すために生まれたもの」などと議論した。「人生の意味は、自分の価値を見出すこと」などとも言い合った。

 今晩はお世話になった人の通夜が行われる。知らない人ばかりの葬儀に参列しても意味がない。皆互いに、参列していることを確認することが葬儀の意義なら、大勢がいる通夜に行くしかない。

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お金にまつわる話題

2019年01月24日 17時44分07秒 | Weblog

  未公開株詐欺で服役中の羽賀研二が、強制執行妨害で逮捕された。財産があるのに無いと見せるため、財産を妻の名義に移行し、離婚したためだ。財産のある人がよく使う資産隠しである。離婚した元妻の財産を差し押さえることは出来ないので、計画的な財産隠しであると証明する必要があるが、実際はかなり難しい。

 未公開株の詐欺もよくある。株式市場に公開されていない株で、「上場されれば、必ず2倍になる。いや4倍の価値がある。今、買っておけば必ず儲かる」と言って出資させる。世の中に必ず「儲かる」ものなどない。もし、儲かるなら、そう言う人が買っているはずだ。我が家のようなつつましい暮らしのところにも時々、「必ず儲かる」という電話がかかることがある。

 「全く、興味がない」と言うと、「お金が増えるのですよ。お金が欲しくない人はいません」と説教してくれる。羽賀研二に騙された人は気の毒だが、「儲けたい」と思った人もアホだと思う。金はコツコツ働いて得るもの。楽して儲けようと思う心が卑しい。3億7千万円も騙し取られたらしいが、それでもその人は生活には困らないのだろう。

 秋篠宮の眞子さんの恋人、小室圭さんのお母さんの元婚約者が、小室母子のために支払った400万円を「返して欲しい」と言っているらしい。この人のことは知らないし、知る必要もないが、どういう経緯で週刊誌ネタになったにしても、バカな男だと思う。お母さんと婚約していたくらいだから、「愛していた」ということだろう。なのに、「金目当ての女性だと分かり、婚約を破棄した」と言う。

 自分に人を見る眼がなかったからで、そのために息子の結婚が危機に瀕している。その責任は大きいと思う。もっと大きな気持ちで、「お金は返す必要はない。幸せになてくれ」と言って欲しいかった。お金に執着する人は、お金に呪われる。眞子さんと圭さんが愛し合っていて、どうしても結婚したいなら、みんなで応援してあげたいと私は思う。

 明日はカミさんの実家で「新年の集い」があるので、ブログは休みます。

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父はおしゃれな人だった

2019年01月23日 18時15分07秒 | Weblog

 月に1度、姉を見舞いに妹夫婦と出かけている。姉が姪っ子に、私を指して「お父さん」と言う。姉は母よりも父が好きだった。確かに私は父似で、父の親族からも母の親族からもそう言われてきた。生前なら分かるが、父が亡くなってからもう20年も経つ。私は父よりも20年も長生きしてしまい、父より20年も老けているはずなのに。

 私が知る限り、父は30代で禿げていた。その血を受けているから、もちろん私も禿げ頭になると思っていたが、若干父より遅かった。先日、兄の長男夫婦と演劇を見たが、その時、甥っ子はグレーの中折れハット帽を被っていた。祖父の血を引いて、なかなかおしゃれ好みだと思った。姉に「お父さんは女性にもてたんだよね」と聞くが、「知らん」と素っ気ない。

 甥っ子はほとんど父を知らない。父が亡くなったのは54歳で、既に校長を退職して4年くらいは過ぎていた。早い退職は若くして校長になったためと私は聞いていたが、本当は兄が跡を継いだ材木屋を助けるためだと思う。「退職金で土地を買い、家を建てる」と言って、その土地を見せてくれたことがあった。長男でありながら店を継がずに、息子に押し付けたことに負い目があったのだろう。

 賭け事もしなければ、男同士の交渉事も不得手だったし、大工や左官と話を合わせることも苦手な人では、商売など出来るはずもなかった。なんとか兄の手助けをしたいと思いだけではどうしようもなかったと思う。この時の父の日記を読んでも、どうしてこんなにお人好しなのかと思うほどの楽天家である。人を信じることは尊いとは思うけど、誰でも信じてしまっている。

 見舞いの最後に、姉に「じゃーまた来るから」と言うと、「誰?」と姪っ子に聞く。私が「あんたのお父さんだよ」と笑うと、怪訝な顔していた。介護の職員が、「お昼はシチューをよく食べられました」と教えてくれた。この歳になっても和風よりも洋風好みは変わらないようだ。父は何が好きだったのだろう。

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金儲けの話

2019年01月22日 17時12分06秒 | Weblog

  先輩が「センター試験の問題をやってみたけど、難しかった」と言う。彼は昭和33年に工業高校を卒業したが、「就職先がなくて」、仕方なく上京し東京理科大に入学した秀才である。大学の同級生の中にはバルブ期に、「共同で土地付きの家を買い、これを転売してまた土地付きの家を買い、何億円も稼いだ奴もいた」そうだ。

 そう言えば、昭和42年に私が教員になった時、先輩の先生が「金があったら、マンションを買っておけ。値上がりするからすぐ売って、もっと広い部屋のあるマンションに移ればいい」とアドバイスを受けた。残念ながら私は金がなかったし、財産を増やす情熱にも欠けていた。教員の給与も毎年ウナギ登りに上がっていたから、アドバイスは正しかったのに。

 金儲けに長けた人は、金に執着するだけでなく、冷徹な判断が出来る。「金は無いよりあった方がいい」くらいにしか考えられない私は、当然金持ちにはなれない。「儲かります」とか、「お得です」とか、「絶対に損しません」と、どんなに言われても心が動かない。たとえ、「あの店なら10円安いのに」と言われても、自分の気持ちを優先してしまう。

 100円ショップで売っている品物も、普通の店で売っている品物も大差なくなってきた。だったら安い店で買うのが当たり前なのに、頑固に文房具は文房具屋さんに出かけている。けれど今に、小売店は無くなってしまうだろう。ドラックストアで野菜まで売っている。スーパーよりも値段が安いと評判だ。安い野菜を買いに来て、ついでに薬や化粧品も買ってくれれば儲けはあると聞く。

 街にあった薬屋は本当に少なくなった。もう八百屋は見当たらないし、電気屋も自転車屋も無くなった。街の形も様変わりしている。それでもどの自治体も、「企業を誘致し」「豊かな街づくり」を進めるという方針は変わらない。高齢者が増え、若い人たちが相対的に減っているのに、どうしてバラ色の「街づくり」にこだわるのだろう。

 みんながそこそこに暮らしていけるなら、それが一番良いのではないのか。「金儲けしたことのない人間は夢がない」と叱られそうだが、「心が豊かに感じられる街づくり」が私は好きだ。

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アメリカ女性のスマホはサムソン製

2019年01月21日 16時49分48秒 | Weblog

  アメリカから来た女性たちが使っていたスマホは、アメリカのアップル製ではなく、韓国のサムソン製だった。「映像が鮮明で、使いやすい」と言っていた。先輩が「家電量販店に行ったことがあるか?」と聞く。「ない」と答えると、「並べてある最新の商品は、どう使うものなのかさっぱりわからん」と言う。もう年寄りが扱える商品はないようだ。

 最新技術の商品をいとも簡単に扱う若者が保守化し、時代に取り残されそうな年寄りが反保守なのはどうしてなのだろう。先輩が「アメリカの白人労働者がトランプを支持するのは、彼らの仕事がヒスパニックやアジア人に奪われるのではないかという危機感にある。イギリスのEU離脱も、EUにやって来る移民に対する嫌悪にある。要するにみんな自分が可愛いのさ」と。

 人類はフランス革命で「自由・平等」を手に入れ、政治の仕組みを市民が決める「民主主義」を確立した。「民主主義っていうのは何だったのかね」と先輩が零す。「主権は国民にあると言っても、誰もそんな実感がないだろう。投票率の低さが見事に証明している」とも言う。選挙で1票を投じても何も変わらなければ、投票行為は無駄な気になってしまう。

 けれど、投票の権利を放棄すれば、全てを委ねることになる。イギリスは国民投票でEU離脱に賛成した。アメリカもフランスもブラジルも投票で大統領を選んだ。国民が主権者であるのに、国民の意思と異なる結果が生まれている。民主主義という制度を持ちながら、自分と意見が違うからと、暴力でテロで圧殺しようとする人々までいる。

 沖縄で「辺野古米軍基地建設のための埋め立ての賛否を問う」県民投票が進められている。これに対して、宜野湾市などの5市が「投票を行わない」と宣言している。市役所の前では抗議のハンガーストライキを行っている青年がいると言う。国の方針に反して県民投票が、その県の方針に反して投票拒否が決められた。ならば公認でなくても、個人が意思表示するための投票を行えばいいと思う。

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