友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

春の嵐か、新元号前の嵐か

2019年03月31日 17時48分08秒 | Weblog

 「桜の宴」を土曜日に行ってよかった。曇り空で、「花見日和」とは言えなかったが、今日のように冷たい風が吹き荒れ、時より雨が降り込む悪天候ではなかった。午後3時近くなって、風が冷たくなってきたから、「雨が降ってくるから、早めに切り上げよう」と呼びかけ、とりあえず屋根の下に避難した。予想通り、雨が降ってきたので歩いて帰るのを諦め、車を呼んでもらい、マンションの1部屋で2次会を行なった。

 酒が入ると誰でも声が大きくなるのか、車座から離れてみると、まるでケンカをしているような熱いやり取りが聞こえる。私は高校の新聞部の友だちが相次いで旅立ったことから、酒を飲むことも料理に手を出すことも、気が乗らなかった。友だちは熱い連中で、仕舞いには、「そうか、分かった」と手を取り合い涙を流す。一体何がそうさせたのか、席の遠い私には分からなかったが、議論の果てに互いの気持ちが通じ合えたなら、こんなめでたいことはない。

 私たちは、市のイベントに参加し、盛り上げることに一役買っているが、「マンションの維持管理こそ大事なことなのに、なぜ手を出さないのか」と不満な仲間もいる。マンションの自治会から要請もないのに、シャシャリ出れば、マンションのルールを犯すことになるし、一部の人ばかりが自治活動の一翼を担うのは、「みんなで支え合う」原則に反する。私はみんなで話し合ってすることなら賛成だが、いくら良いことだからといっても「協議」もせずに行うことには反対だ。

 「逃げてる」とか「結局やりたくないからだ」とか非難されるが、ルール作りにかかわってきた者としては、やはり原則に固執する。マンションも高齢化が進んでいる。建物も入居者の私たちも、いろんな点で限界に近づいてきている。だから早急な対処が必要なことは承知しているが、だからと言って、積み上げてきた原則を破っていいとはどうしても考えられない。

 明日は新しい元号が発表される。日本だけでなく世界中が行き詰まり状態にある気がするが、強烈な指導者が生まれて引っ張っていかないと、危機から脱出できないという考えには同調できない。どんなに時間がかかっても、たとえそのために人類が滅びることになっても、みんなが納得できることこそが大事なことだと思っている。今日は春の嵐なのか、それとも新元号前の嵐なのか。

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一番好きな人の傍にいる

2019年03月29日 17時46分35秒 | Weblog

 人には誰もいろんな事情がある。それをとやかく言う気はないし、詮索する気持ちもない。高校の新聞部の友だちが亡くなり、告別式に参列してきた。2月に亡くなった新聞部の友だちのカミさんは、私のブログを読んでいてくれるようで、今朝、電話があり、「お香典をお願いしたい」と言う。もうひとりの友だちも「出席できないから頼む」と言うので、香典袋を2つ用意し、ふたりの名前を書いて持って行った。

 亡くなった彼が養子であることは、高校の時に彼から聞いていた。家に遊びに行ったが、何の違和感もなかった。私の友だちには「もらい子」が3人いたが、どこの家に行っても我が家より仲の良い家庭だった。我が家は血のつながった3世代で暮らしていたが、父と祖父は仲が悪かったし、母に対する祖父母は決して寛容ではなかった。10人家族が一緒に食事をしていても、ピリピリしていて楽しかった思い出は記憶にない。

 彼は3度も結婚しているが詳しいことは知らない。喪主を務めた彼のカミさんには2人に子どもがいたようで、結婚した時は子どもたちは大人になっていた。母親が結婚するのを許すことは出来ても、実の親子のように呼べ合えるにはきっと時間がかかっただろう。それでも彼は持ち前の明るさでどんどん子どもたちを魅了していったようだ。そのふたりが弔辞で、「お父さんと呼んでくれ」と言った話や、娘さんの子ども(彼には孫になる訳だが)を溺愛し、「ママは最高のお母さんだ」と褒めた話など、飾らない彼の日々を知り、思わず私の方が泣けてしまった。

 こまめに庭仕事をしたり、桜の花が好きだったとか、私たちが知らない彼の豊かな生活を知ることもできた。式場の入り口には、そんな家族水入らずの、彼の満足そうな表情の写真が何枚も飾られていて、なんだかんだと言っても、ずいぶん幸せ家庭じゃないかと羨ましく思った。幸せは本人しか分からないことだが、いや絶対に幸せに決まっていると葬儀に参列して確信した。彼は「死んでも一番好きな人の傍にいる」と言い残したらしいが、亡くなってもまだカミさんに甘えていたいようだ。

 明日はマンションの友だちとの「桜の宴」なので、ブログは休みます。

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友だちは旅立った

2019年03月28日 17時46分22秒 | Weblog

 月曜日に見舞いに行って来た友だちが昨夜に亡くなった。なるべく早く旅立ってとブログに書いたけれど、現実に亡くなったと聞くとどうしても落ち込む。高校の新聞部の仲間の友情は強く、先月、仲間の一人が亡くなった時もみんなで葬儀に参列し、その後、一緒に食事をして3時間もしゃべった。あの時は、昔のように軽口で饒舌だったから、まさか亡くなるとは思ってもみなかった。

 1週間ほど前にクモ膜下出血で倒れ、一時期は話も出来るようになったと聞いていたのに、死に至るにはそんなに長い時間は必要なかったようだ。クモ膜下出血と聞いた時はビックリした。そして病室に見舞いに行き、ベッドに横たわる彼を見た時は虚しさに襲われた。死が順番にやってこないことくらい充分に分かっているが、実際に旅立っていったと知ると、10ヶ月も早く生まれた私よりも先に逝ってしまうのかと思う。

 私たちの仲間の中で、唯一新聞社に就職できたのに、なぜ辞めてカナダへ行ったのか不思議だったが、彼の最初の嫁さんが憧れていた尼僧がカナダに行ってしまったので、いわば追いかける形だった。生活のことも充分考えずに移住し、結局別れることになった。その原因を彼は「優しすぎるとカミさんから言われた」と説明していたが、相手への思いやりが裏目に出てしまったのだ。

 ルーフバルコニーのバラは全て植え替えた。なかなか咲かなかったスイセンが咲き、ピンクのツツジも満開になった。チューリップはもうすぐ花が開きそうなくらい大きくなった鉢もある。そんなチューリップをなるべく日当たりの悪い方に移動させ、出来る限り花が一斉に観られるようにと願った。30日はマンションから歩いて五条川の公園へ出かけて、みんなで花見をするけれど、まだ幾分寒さが残るようだ。

 桜吹雪の中の葬儀にはならないだろうが、楽しいことが好きだった友だちのためにも、桜よ咲いて見送ってくれ。

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孫娘のメガネ

2019年03月27日 17時56分43秒 | Weblog

 私は午後4時半から5時頃、パソコンの前に座ってメールをチェックしたり、ニュースなどを見てブログのネタを探し、思いつくままに打ち込んでいく。ブログのアップが終われば、台所へ行き晩飯を手伝うようにしている。以前は、食事の後でパソコンに向かっていたが、毎晩晩酌をするので、飲んだ後は何もしたくないので、このスタイルになった。

 昨日、ブログがアップできなかったのは、いつもの午後4時半過ぎに家に居なかったためだ。昨日は午前中に家を出て、県美術館で「白士会」と「主体美術」の展示を観た。主体美術は主張のある作品が多かったと思うが、何だかおとなしくなっていた。続いて、名東文化小劇場での「新老人の集い」に参加した。友だちから頼まれた義理の参加だが、中身はまあまあ面白かった。

 竹下景子さんによるスーダンの現状が映像で示され、救済の呼びかけも行われた。続いて、竹下さんによる詩の朗読があり、アルパとフルートによる演奏もあって楽しめる内容だった。しかし、みんなで元気に長生きすることには私は抵抗がある。老人は確かに元気だ。こんなに元気な老人が増えてしまって、本当にいいのだろうかと考えてしまう。

 家に帰ると午後5時近かった。それから私は車で、学童クラブにいる小3の孫娘を迎えに行き、眼科へ連れて行った。「黒板の字がよく見えない」と孫娘は言っていたから、どんな診断なのかと思い、私も病室に入って孫娘の様子や医者の言葉に耳を傾けた。待合室に一緒にいた時、孫娘に「先生からメガネをかけた方がいいと言われたらどうするの」と聞いてみた。すると、孫娘は「メガネは高いとママが言ってた」と話す。家計のことを彼女なりに心配していたのだ。

 やっぱり先生は、「メガネをかけてみるか」と孫娘に問いかけた。仮にかけたメガネでよく見えたからか、孫娘は「かけてみる」と答えた。「どこのメガネ屋さんでもこの処方箋を見せれば作ってくれます」と受付嬢が説明してくれる。孫娘は「今日中に作りたい」と言うので、私がメガネを買った店に連れて行く。いろいろ見ていたが、孫娘は値の張るフレームを指して「これ」と言う。可愛い孫娘のためだ。私が買ってあげるよ。

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暖かく大きな手だった

2019年03月25日 18時18分32秒 | Weblog

 見舞いに行って来た。いい男の顔が赤くむくんでいた。幾本もの管が身体と結ばれていて、4つの計器がいくつかの数字を表示していた。何かがうまくいかなくなると、すぐにアラームが鳴り、看護師がやって来て機械を操作し、身体の向きを変えたりしていく。彼はただスースーと息を吐いていたが、それは肺に送り込まれた空気が口から抜ける音のようだ。

 彼のカミさんが彼の手を握っていた。「少しでも長くこうしていたいけど、彼はそれを望んでいるでしょうか」と聞く。私たちは延命治療には反対だが、「彼もまた、あなたと一緒にいられることに幸せを感じているでしょう」と答える。「この人はとても優しい人で、私のことを真っ先に考えてくれる人でした」とカミさんは言いかけて、「それでは過去になってしまいますね」と涙ぐんだ。カミさんに言われて私も彼の手を握ったが、暖かく大きな手だった。

 まだ、意識があった時、「彼は『お前には本当に苦労をかけるね』と言ってくれたんです」とまた涙ぐむ。「最後になって、カミさんに懺悔できて、彼は幸せですよ」と言うと、カミさんは「彼は、自分の弱さもさらけ出して、私にだけはなんでも話してくれたんです」と言う。それを聞いて友だちは、「ウチのカミさんなんかに助けを求めたら、『何言ってるのよ。自業自得でしょう』と突き返されちゃうよ」と言って笑った。

 「肺に送っている空気の管を外すことは出来ないと医者に言われました。まだ治療の余地がある限りは、外せば犯罪になってしまうそうです」とカミさんは、ただ眠っている彼を見つめて言う。この状態がまだ何日続くか分からない。見舞客の私たちは30分も居れば、帰ってしまうが、カミさんは決して良くなることのない彼を見守り、じっと傍にいなくてはならない。今は彼女もそれを望んでいるが、願わくば早く旅立ってやれ、そう思わずにいられなかった。

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アリスさんのコメント

2019年03月24日 17時17分44秒 | Weblog

 アリスさんという人から続けて2回、コメントをいただいた。初めのコメントは3月21日の午前中で、「少し気になるブログだったのでこっそりと読み逃げしています。失礼しました。文章が流れる様で非常に興味深い」と大変なお褒めをいただいた。次に、その日の正午頃、2回目のコメントがあった。それは2009年10月24日のブログ「『方丈記』は何を伝えようとしたのか」をタイトルにした古いものだ。

 21日は「春分の日」だったから、アリスさんも休日で、「少し気になるブログ」を読み直してくれたのだろう。それにしても、10年も前の記事にどうして興味を持ったのかと、私の方が興味を持った。アリスさんは「無学で全く文学には知識がありません」と断っているが、「こういった事は(方丈記で私が書いたもの)、信長と同様に、敦盛の一説と同じだと解釈します」と書いている。

 「人間五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻の如くなり」という、桶狭間の合戦の前に、織田信長が能を舞い謡った「幸若舞(こうわかまい)」の演目『敦盛』の一節を持ち出してくるのだから大したものだ。そしてアリスさんは、「世の中には、良い人、悪い人、普通の人、色々と生臭く生きている。しかし、死亡率は100%です。(略)時は永遠に静かに流れるが、この世の生物は必ず死に直面する」と述べ、「時は無常であって、それを乗り越えようとする愚かな人間の一生は単なる夢幻の世界ではないかと愚考します」と結ぶ。

 私もアリスさんの考えに賛同する。永遠に生きるなどは拷問でしかない。いつか必ず死ぬからこそ、この世は楽しい。素敵な人に出会い、素敵な時間を過ごす。そのために生きてはいるが、永遠に続くならこんなしんどいことは絶えられない。友だちがまたひとり危篤だと言う。旅立ちが早いか遅いかはあっても必ずその時は来る。「来るものは拒まず」である。明日は友だちの見舞いに行くつもりだ。

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井戸のポンプ修理と血圧計

2019年03月23日 18時50分16秒 | Weblog

  資材置き場に掘った井戸の電動ポンプに車がぶつかり、「塩ビ管を破損させてしまったから『修理して欲しい』と電話があったので、午後から出かけたい」と先輩から連絡が入った。先輩は頼まれたらすぐに動くことをモットーとしている。仕方ない、午後からの作業は諦めよう。ルーフバルコニーでのバラの植え替え作業がなかなか進まない。

 資材置き場へ行き、見ると確かに車がポンプに当たったようで、吸管も蛇口に続く出水管も破損している。吹管はコンクリートで固定されてしまっているから、残った部分が間に合わなければ修理の仕様がないが、うまく切り離せばなんとか使えそうだった。出水管の方は部品があれば何とかなりそうだった。

 倉庫へ戻って部品を探し、つなぎ合わせて何とか修理できた。電気を通してみる。エンジンは正常に動いているが、なかなか水が出てこない。水位が下がったのだろうか?毎日使っていたのだから、そんなはずがない。そうなると、接着した部分から空気が入るため、水を汲めないとしか考えられない。念のために接着部分をビニールテープで巻いてみた。

 機械に強い男に先輩が助けを求める電話を入れたその時、水が出た。これで修理は完了だ。「断ろうか?」と先輩は言うが、「きっと向かっているから、来たら一緒にお茶しましょう」と答える。機械を扱っている彼は私たちとは発想が違う。感覚よりも論理を大事にし、順を追って考える。彼には教えられることが多い。

 喫茶店で先輩が、「ウチの血圧計はエラーばかり出る」と言う。彼は「計測中に動いたらダメですよ」と答える。「奥さんにも計ってもらい、同じようにエラーが出るようなら、機械に問題がある。ところでその計測器は何年くらい使っているの?」と聞くと、先輩は「7・8年かな」と答える。「その間、電池は交換した?」と尋ねると、先輩は、「ほとんど使っとらんから、交換していない」と言う。「じゃー、まず交換してみて。次に奥さんにも計ってもらってみて」と指示する。先ほど、「電池を交換したら問題は解決した」と先輩から電話が入った。

 

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イチロー選手の引退

2019年03月22日 18時20分12秒 | Weblog

 朝から強風が吹き荒れる嵐の一日だった。朝のテレビはイチロー選手の引退を特集していた。カミさんの友だちはイチロー選手を中学校で教えていて、それがちょっと自慢でもある。この地方の人はイチロー選手を知らなくても、勝手に誇りに思っている。彼のプロ野球人生は、塗り替えられないだろう立派な功績であるが、私の関心は、彼が話す言葉の機知と重みである。

 若い頃のイチロー選手はどこか生意気な態度のように感じていたが、実績を重ねていくと不思議なくらい「なるほど」と思うようになった。45歳になっても若い時と変わらない体形を維持していることも、彼のひたむきさというか執念の結果だろう。誰が何を言おうと、自分のやり方・生き方を変えない頑固さがある。多分、やり方を変えたならこんな結果に辿り着くこともなかっただろう。

 引退した後、どうするのか知らないが、「税金を納めるようにしたい」と言っていたから、何か考えることがあるのだろう。「サヨナラは悲しい言葉ではない」と誰かが言っていたが、まさしく卒業と同様に、新たな出発である。「会者定離」という言葉があるように、出会いがあれば必ず別れがある。以前、「別れるのが嫌だから、恋愛はしない」と言った人がいたが、ならば生きていることも無意味になってしまう。

 愛して苦しんで傷ついて、それでも求め合う、残念ながら人間はそういう存在なのだ。何もしなければ、出会うこともないし別れることもないが、小さな草木でも花を咲かせ実を結び朽ちていくのに、恐れていては喜びも悲しみも味合えない。人生がよく分からなくても、自分の心の命ずるままに生きていく、それが人であろう。イチロー選手のような超ストイックな生き方は例外で、多くの人は迷いながら悔やみながら、生きるしかない。

 今日は長女のふたりの娘といっぱいトランプをして遊んだ。「七並べ」は私が勝ったが、「神経衰弱」は小3の孫娘が強く、初めてやった「七五三」とか「一九三」は私の完敗だった。小3の孫娘をはじめ皆が笑い転げてくれたから、情けないが「ヨシ」とした。

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どれだけ伝えられたか

2019年03月21日 18時13分46秒 | Weblog

  天候不順な時はルーフバルコニーに出られない。気になっていた『メモリアルコンサート』のチラシをマンションの友人の郵便受けに配って回った。桜の開花はもう確実なので、30日の『桜の宴』の案内文も配った。先ほど電話で、主催者である亡くなったチェリストのカミさんが、「公民館に行ったらチラシが置いてあり、食事に行った店にもチラシが貼ってあって、ビックリした。店の女将さんが、『ロンドンデリーも白鳥も、とっても素敵な曲』と言ってくださった。ありがとうございます」と言う。

 知り合いには出来る限り頼んだが、参加してくれるかまでは分からない。「人事を尽くして天命を待つ」だけである。とにかく知らせて歩く以外にない。もうすぐ統一地方選挙が始まるから、各所に選挙事務所が建てられている。選挙を戦った経験では、知名度というのはどれだけの人に呼びかけられたかに比例する。正しいことを言っていれば、有権者は支持してくれると思いがちだが、実際は主張よりも熱意がどれほど伝えられたかにあるようだ。

 午後は思い切って、『二科展』を観てきた。油彩部門は知り合いも多いが、それほど興味が湧かない。私自身が写実が好きというためだろう。大学の先輩や同期にも、素晴らしい描写力の持ち主がいたし、私の教え子の中にも作家になれるだけの力を備えていた者もいた。世間に評価されるためには、実力だけではない、運とか巡り合わせとか、自分の気持ちとか、いろんなことが絡み合い重ね合って生まれる。多分、芸術の世界だけでなく、サラリーマンでも商人でも、学生でも主婦でも、何かが生まれるとはそういうものだろう。

 デザイン部門で私の知り合いがとても面白い作品を出品していた。その作品『地球平面説一話』の前に立つと、まるで海の中にいるような感覚になる。人の心を「騙す」のも芸術の役割である。彼は今、一番乗っているようだ。二科展は24日まで開かれているので、興味のある人は県美術館に出かけて、この作品を観て欲しい。

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春は門出の時

2019年03月20日 17時54分37秒 | Weblog

  天気が良いのに作業しない手はないと思い、朝からルーフバルコニーに出て作業した。午後は姉のところに見舞いに行くし、明日から天候が悪くなるようだから、出来るだけ多く作業をする予定だった。ルーフバルコニーから隣りの小学校の運動場がよく見える。今日は黒っぽい服を着た人が次々と学校に入って行く。運動場には校舎の前に2本の線が引いてある。

 今日は小学校の卒業式だ。午前11時過ぎた頃、人が大勢出てきた。2本の線を挟んで花のアーチが作られ、児童の父母らが線に沿って並ぶ。しばらくしたら、着物姿の担任を先頭に卒業生が出てきて、アーチの中を進んで行く。「おめでとう」とあちらこちらから声が上がる。着物に袴の女の子が1クラスに4・5人いる。以前の卒業生は皆、中学校の制服を着用していたが、何時から自由になったのだろう。

 中学校の制服では、「進学した学校が分かるからイヤ」と言う声はあったが、こんな風に大学生の卒業式のようになるとはビックリだ。ひとりでは目立つからか、友だち同士で申し合わせているのだろう、行進が終わると着物組の女の子たちが集まって記念写真を撮っていた。時代はこんな風に変わってきた。

 姉にその話をした後、「姉さんの時の卒業式も袴だったよね」と言うと、「知らん」と言われてしまった。今日は顔色もよく、よく笑い、機転の利いた言葉がいくつもあった。「調子がいいね」と言うと、「頭がいいの」と答え、みんなで笑った。帰り際に姪っ子が、「みやげ」と言って大きな袋を渡してくれた。義母が採ってきた「つくしも入れてある」と言う。

 家に帰って袋を開けると、「寿」とあるお菓子の詰め合わせだった。次男の結婚が決まった「記」ということのようだ。姪っ子のところも新しい展開がやってきた。そうなると、ますます長男の嫁探しを本格的に進めなくてはならない。どこかに出会いはあるのだろうが、その機会を作ってやらなければと思う。

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