友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

それだけで部屋が華やぐから不思議だ

2023年02月27日 17時48分12秒 | Weblog

 風は無く、春の陽射しがいっぱいだった。何の躊躇もなくルーフバルコニーに出て、久しぶりに草木を眺め、雑草を抜き、水遣りをする。部屋に戻ると、マンションの向かい棟の人からメールが届いていた。

 「おはようございます。ベランダに出たら、ルーフバルコニーに動く人の影が‥そうか‥もうじき、啓蟄だなぁ。今日は、暖かな日差しで‥鈴木さんも、虫ちゃんみたいにモゾモゾと出てみえたのか‥。もうすぐ春ですねぇ‥」。

 本当に春めいてきた。三重県の紀北町の河津桜が咲き始めたと、テレビニュースが報じていた。静岡県伊豆半島の河津桜をマンションの友だち家族で見に行ったが、ソメイヨシノよりもピンクが濃くて桜とは思えなかった。

 桜といえば、ソメイヨシノで育った私には妖艶すぎた。薄いピンクの清楚なソメイヨシノの方が可憐な感じする。でも、花も食べ物も、結局は人それぞれに好みが違うのだから、それはそれでよしとしよう。

 明日は福井県にカニを食べに行く。井戸掘りの仲間で、新年会をどうするかが話題になった時、一番若い人が、「カミさんがカニを食べに行く話はどうなったの?と言っていた」と言う。先輩は調子のいい人なので、宴席でそんな約束をしていたのだろう。

 明日は福井県も良い天気のようだ。草津温泉に行った時のような、雪道の心配をしなくてもよいのは嬉しい。私自身は、カニは食べるのが面倒なので、中身を取り出してくれるなら食べるという横着者だ。

 明後日から3月になる。まだ寒い日はあるかも知れないが、3月と聞くとやっぱり春だなぁーと思う。虫が活動を始める啓蟄は、今年は3月6日とカレンダーにある。春は恋の季節というが、ジイジに青春はやって来ない。

 それでも何か良いことが起きる、そんな期待が春にはある。誰からも連絡が来なくても、ひとりウキウキと春を待つ。電子クーポンの使い方が分からなくて、友だちの孫娘がカミさんに教えに来てくれた。それだけで部屋が華やぐから不思議だ。

 明日のブログは休みます。

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一緒に考え、行動することが解決への道

2023年02月26日 18時00分00秒 | Weblog

 午前中は陽射しもあり穏やかだったのに、午後になると急に強風が吹き荒れるようになった。カミさんが車を置いていってくれたので、名古屋芸大の卒業展を見に行き、ついでに中古のプリンターを探しに行くつもりでいた。

 昼食は定番のフレンチトーストをと思ったが、パンが無い。NHKテレビの「のど自慢」も無い。やっぱり喫茶店で食事にするかと思ったら、急に風が狂ったように強く吹いてきた。こんな日は外へ出たくないと、ナマケ心が強くなった。

 昨日のブログで、朝日新聞の投書欄に載った中学生の「戦争は誰一人も幸せにしない」を引用した。多くの大人は「その通り」と賛成するが、「もし、敵に攻められたらどうするんだ」と、自衛隊の軍備の増強を支持してしまう。

 戦争が起きないようにするには、どうすればいいのかを考え行動することなのに、なぜ軍備の増強を口にしてしまうのだろう。国民の命を守ることが指導者の使命と言うなら、指導者は自分を人質にしてでも、戦争を回避する道を探るべきだ。

 スェーデンの環境活動家・グレタさんが、地球温暖化の危機を訴えたが、「子どもは黙ってろ」とか、「(グレタさんは)病気だ」とか、非難する大人が相次いだ。中には「全ての教室にエアコンを設置させ、かつてないほどに恵まれた西欧文明の上質な生活をしているのに」と指摘する。

 更に温暖化を問題にするなら、「電子機器を使用せず本を読め」「登下校は自分で歩くか自転車にしろ」と言う。非難する大人の言うことも分かるが、どうしてグレタさんの問題提起をブチ壊すような発言をするのだろう。

 投書の中学生やグレタさんの提言を素直に受け止め、彼らのような若い人々が世界に目を向けてくれることを歓迎しないのだろう。「恵まれた社会」を創り出し支えてきたのは私たちで、その責任は確かにある。一緒に考え、行動することが解決の道だと思う。

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中学生が確実に知っていること

2023年02月25日 17時33分07秒 | Weblog

 陽は射しているのに、冷たい風が猛烈に吹き付け、とても寒い。ルーフバルコニーの鉢からチューリップの葉が伸びてきているが、寒さにびっくりしていることだろう。大府のどぶろく祭りを見に行った時、せっかくだからと知多市の佐布里池と東浦町の於大公園の梅を見てきた。

 この陽射しを受けて蕾は綻ばせているのだろうか、それとも寒さでいっそう縮ませているのだろうか。私はゴミ出しに家を出る以外は閉じ籠っている。名古屋芸大の卒業展は明日までなので、今日は観に行ってこようと昨日までは思っていたのに、冷たい風のせいでその気が失せてしまった。

 卒業展がどうしても観たい訳でもないからだろう。いつも誘ってくれる友だちは、体調不良で出かけることが出来ない。偶には会って、世間話でもしたいけれど、この寒さの中を連れ出せば迷惑をかけることになる。大学生の作品を見ると、今の流行りや気が付かなかった表現に出会うこともある。

 何も声をかける訳でも無いが、若い人たちがいるだけで、こちらまでウキウキする。年老いたジジイは何を期待して生きているのだろう。いろいろ企画をしたり、それを実現したり、うまくいってもいかなくてもそれはそれで楽しかった。社会との接点がどんどん無くなって、寂しさを強く感じている。

 唯一社会とつながっているこのブログも、家に閉じ籠っているばかりなので、発信するネタが無い。愚痴など零さずに、前向きに生きようよと自らに言い聞かせている。社会で活躍する時代は終わった。ならば、自分のささやかな欲望を求めてみようと思い巡らしが辿り着けない。

 明日は明日の風が吹く。そんな生き方でいいのか、満足なのか、と中学生に叱られそうだ。今朝の朝日新聞に『拝啓プーチン様 正しい道を』と題した投書があった。「私はまだ中学生で分からないことがたくさんあります。しかし、1つ確実に知っていることは、『戦争は誰一人も幸せにしない』ということです」。

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悲惨な結果以外に何も無い

2023年02月24日 17時08分12秒 | Weblog

 ロシア軍によるウクライナ侵攻から1年経つのに、戦争が終わる見通しは全く立っていないと、新聞もテレビも報じている。素人の私には、そもそもなぜロシアがウクライナに侵攻しなければならなかったのかが分からない。

 歴史的には、ロシアもウクライナも1つの国だったと言う説がある。古代ローマ時代、キリスト教が広がって国教とまで認められるようになると、国の分裂と共にいくつかの分派が生まれ、ギリシア正教もウクライナとロシアに分かれたようだ。

 キリスト教は戦争を否定しているはずなのに、ロシア正教はプーチンを支持しウクライナ侵攻を後押しした。いざ戦争となれば、祖国に忠誠を誓うのが人の常なのだ。ロシアでも戦争反対と叫ぶ人はいたが、戦争が長引くと反対する空気は縮んでいく。

 1年前に比べると、プーチン支持者は増えているという。学校では軍事訓練や愛国教育が行われている。まだ、少数だが「ウクライナは敵ではなく、兄弟」とプラカードを掲げる人もいる。戦地に送られた兵士から多くの死者が出ているから、反戦を求める声も上がることだろう。

 侵攻されたウクライナは、徹底抗戦の空気が支配的だ。多くの人が殺され、土地を奪われたから人々は武器をもって戦うしか無い。国を捨てて外国に逃れた人も、「国を守るため」に帰国しているという。ウクライナの側から停戦を呼び掛けることは無いだろう。

 停戦に向かうとすれば、プーチンがどう判断するかである。「戦争で一番難しいのは終わらせることだ」と言うが、権力者が死ぬか、日本の敗戦の時のように、天皇制の維持という面子を立てるしかないのだろう。戦争はいつも、勝てると思って始めるけれど、終わってみれば悲惨な結果以外に何も無い。

 昨日は天皇誕生日の祝日で、抽選で選ばれた4000人が、皇居での一般参賀に歓喜した。天皇陛下やご家族がベランダに立って手を振られるだけのことだが、人々は大満足の様子だった。陛下もきっと、このような平和が続くことを願われたことだろう。

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人間も古くなれば劣化する

2023年02月23日 17時30分05秒 | Weblog

 昨日、電車にカバンを忘れた件には驚いた。エレベーターに乗って、鏡に映った自分を観て、「しまった。マスクを忘れた」ということは何度かあったが、まさか手に持っていたカバンを忘れるなんてビックリだった。

 それでも、カミさんの慌てぶりに比べれば私の方が落ち着いていた。岩倉駅の駅員さんも私を見て、この人かという顔でニコニコして対応してくれた。「届けてくれたのは、若い男女ですか?」と聞いてみると、「そうです」と言う。

 向かいの席のヤンキー風の男女から、私の身なりが伝えられていたのだろう。男の子は背が高くとてもイケメンだったし、女の子は大人しい顔立ちで色が白く、指がキレイだった。私が時々ふたりを眺めると、男の子が見返してきた。

 「オイ、ジイさん。何眺めているんじゃ!」と恫喝されたら、「いや、彼女の指があまりにキレイなので」と言い訳するつもりでいた。人を見た目で決めつけてはいけない。改めてふたりに感謝しなくては思った。

 中学からの友だちが、夢ばかり見て眠れないとブログに書いていたが、昨夜は私もよく夢を見た。というのも、草津温泉へ誕生日会で旅行した会計報告が間違っていたので、どう訂正の文面を作ろうかと、そんな夢を何度も見たからだ。

 会計報告は担当のカミさんが行うが、下書きをもとに私がパソコンで清書するのが習わしである。通帳残高の数字をなぜか「9」を余分に打ち込んでしまい、90万が990万になっていたのだ。

 今朝、慌てて訂正文を作り、印刷しようとしたら、1枚は出来たのに次の1枚が紙詰まりを起こしてしまい、慌ててコンビニでコピーして来た。先回、プロに直してもらったばかりなのに、余り使わないプリンターは送りの歯車が劣化するようだ。

 人間も古くなれば劣化する。私もプリンター同様に劣化が来ている。クソッと思うが、積もる歳だけに仕方がないようだ。

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「今日は赤ワインにするね」

2023年02月22日 18時41分12秒 | Weblog

 

 空が澄み渡り、遠くの山々がきれいだ。カミさんが観たいと言ってくれた美術展に行って来た。1つは松坂屋美術館で、26日まで開かれている『入江明日香展』で、デザイン科の卒業生に観てもらいたい展覧会だった。

 カミさんが「マンガみたいね」と言うが、マンガと言っていいだろうし、マンガと芸術作品とはどこで区別できるのだろう。入江さんは多摩美術大学の版画科の卒業だが、本当は油絵科に入学したかったとあった。

 けれど、版画科だったが故にフランス留学できたし、フランスで学んだおかげで今日の地位を築くことが出来たのだと思う。日本画のように鉛筆で細密な下絵を描いて、トレス紙で和紙に写し、水彩で色付けしていく方法が独自の作品を生み出している。

 水彩だから透明度があり、それを切り抜いて貼りながら作品を完成させていく。日本画ではないし、油彩画でもない全く新しいジャンルの絵である。吉村芳生さんの色鉛筆による「超絶技法を超えた」作品に圧倒されたが、入江さんの作品は写実ではないけれど、凄いという点では負けていない。

 もう一度楽しむために、作品集を買った。次に、金山の旧ボストン美術館で3月3日まで行われている『ゴッホ アライブ』を観た。ゴッホ展ではなく、ゴッホの作品を映像で見せるもので、入場料が2500円だったのには驚いたが、観てしまうと当然という気がした。

 圧倒的迫力でゴッホの作品が迫ってくる。音楽も凄いが、映像の切り口も凄い。卒業生が展覧会を観た感想をフェイスブックに載せていたが、彼の評価は正しかった。興奮の余韻がまだ残っていたところへ、名古屋駅から誕生日会で一緒に行った仲間が乗り込んできた。

 そこで再び盛り上がっていたせいか、下車して改札口を出た時、カバンが無いことに気が付いた。急いで駅員さんに忘れ物をしたと告げると、岩倉駅に問い合わせてくれた。あって良かった。私の向かいの席に座っていたヤンキー風の男女が、届けてくれたようだ。

 余りにもラッキーなことが続いたので、「今日は赤ワインにするね」と、カミさんの方から言ってくれた。今日はゾロ目の日か?何か関係あるのかな?

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早く旅立ちたいなどと言っていられない一日だった

2023年02月21日 17時57分46秒 | Weblog

 風が強く吹いて、メチャメチャ寒い。飛行場に着陸できないのか、飛行機が旋回を繰り返している。カミさんは朝早くからゴルフに出かけたので、今日のお昼はいつもの喫茶店でゆっくり週刊誌でも見ながら食べようと思っていた。

 午前中は、昨日頼まれた市長への手紙を添削する予定でいた。しかし、A4に6枚もあり、読んでみたらこれでは市長も返事の出しようが無いと思ったので、A4の1枚に書き直した。彼が見やすいようにと、文字を大きくしたので行間が詰まってしまった。

 書き直した文章を印刷し、電気店でUSBメモリーを買って保存し、彼の家にこの2点を持って行った。しばらくして彼から電話があり、「カアチャンはあんたのもの方が分かりやすくていいと言っている」と言いつつ、「何かインパクトが無いんだが‥」と言う。

 市役所の職員が無能とか威張っているとか、職員への批判を削ってしまったことが不満だとすぐに分かったが、「それを書いても意味が無いでしょう。まず、市長に行政と市民が共同して取り組む姿勢を求めた方がよいと思います。市長が一度会いたいと言ってくれれば、その時は職員の在り方についても話せると思います」と伝えた。

 彼は市民の能力をボランティアとして活用して欲しいと願っている訳だから、新市長の政策と一致する。頭ごなしに行政を批判したり、職員をバカにするのは得策では無い。歳を取ると頑固になってしまい、周りが見えなくなるようだ。

 井戸掘り仲間で、カニを食べに行くバス旅行の案内を配って回ったり、その費用を銀行から引き出したりしていたら、書店に寄る時間も無くなってしまった。昔、まだ私が地方議員だった頃、無党派市民派の勉強会を開いていた時の仲間が、「ちょっと相談がある」と電話してきた。

 現職で頑張っている市議の相談にのれるとは思えないが、話すことで整理できるのなら少しは役に立つかも知れない。まだ求められるのはとても幸せなことだ。早く旅立ちたいなどと言っていられない一日だった。

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どう対応していいのか苦慮していることだろう

2023年02月20日 17時58分09秒 | Weblog

 

 大府市のどぶろく祭りを見に行ってきた。私は隣の刈谷市の生まれだが、どぶろく祭りを見たのは初めてだ。長草町の天神社の周りには露天商が並び、子どもたちで賑わっていた。神事が始まると異様な格好の大きな鬼が、笛や太鼓に合わせて踊った。

 天神様は学問の神様、境内には合格祈願の絵馬があり、筆塚(?)もある。いったい何のお祭りなのかと思い、写真を撮っている男性に尋ねた。「赤鬼は猩々と言いまして、無病息災や疫病退治を叶えてくれます。この名古屋南部では、各地で古くからおこなわれているお祭りですよ」と、教えていただいた。

 そうか、鳴海で卒業生が営んでいたデイサービスも、施設名が「猩々」という名だった。真っ赤な顔の大きな鬼の猩々は、子どもたちに追われて大変そうだった。ここで振舞われる「どぶろく」を飲むと、大人は赤い顔の「猩々」になるという訳かと納得して、どぶろくをいただいた。美味しかった。

 晩御飯の時、中1の孫娘が横になって、テレビで「クレヨンしんちゃん」を見ていた。母親が「ポテトを食べるか、しんちゃんは見ないか」と娘に迫った。孫娘は「ポテト」と言ったので、テレビは消された。すると孫娘は、「どっちかと聞かれたから、ポテトと答えたのに、どうして消されるの。納得できない」と言い出した。

 大人は二者選択を迫ったつもりだったが、中1の孫娘はそのように解釈しなかった。自分の都合の良いように考えただけのことだが、この子も理屈を考えるようになったと感心した。ここはハッキリと、「食事中はテレビは見ない!」と言い渡すべきだった。

 母親に文句の矛先がいくのかと思ったら、父親に向かって、「私にスマホを持たせたのはあんなだからね」と言い出す。幼い子を黙らせておくために、私たちの頃はテレビにお守りさせていたが、今の子どもたちはスマホでお守りしてもらっているのだ。学問の神様も、どう対応していいのか苦慮していることだろう。

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天気予報通りだと雨になりそうだ

2023年02月18日 17時32分49秒 | Weblog

 土曜日の昼は、テレビで吉本新喜劇を見ている。最近は2本立てだから、終わると2時になってしまう。本当は1本だけにしておいてくれた方がいいのにと思うけど、せっかく放送されているのだからと2本続けて見てしまう。

 「好きねえ」とカミさんに笑われるが、何も考えずに笑っていられることがいいのだと思う。かなり以前は、容姿をバカにして笑いを誘うことが多かったが、最近は物語の中に笑いのタネがあって気持ちよく笑える。

 人によって好みが違うのは仕方がないし、むしろ違うことに意味がある気がする。ただ、夫婦だと好みの違いが大きくなると、ケンカになることもあるから妥協する気配りは必要だ。どんなことだって、些細なことでしかないのだから。

 中学からの友だちは、ブログで「自分には親友と呼べる友がいない」と書いていた。彼が親友をどう定義しているのか分からないが、いつでもそばにいて、何でも心から話し合える、そんな間柄の人がいるだろうかと思う。

 何十年と生活を共にしてきたカミさんだって、何でも打ち明けられることは無いだろうし、もしそうなら、とても重く息苦しいだろう。たまに会い、昔話をしながらお酒を飲み、笑ったり出来るなら、それで私は充分な気がしている。

 女性作家は真正面から「女と愛」に取り組んでいる。松井久子さんの『疼くひと』『最後のひと』は老いを前面にした圧巻だったし、窪美澄さんの『私は女になりたい』も正直な恋愛小説だった。窪さんと同年代の村山由佳さんの作品も面白い。

 高齢の男性の「愛と欲望」を描いた作品は、川端康成氏の『眠れる美女』しか私は知らない。男と女では欲望の発露の仕方が違うのだろうか。それとも個人差なのだろうか。高校生の時、文芸部の部長だった友だちはどんな話をしてくれるのだろう。

 明日は長女のダンナが大府の「どぶろく祭り」に連れて行ってくれる。雨が降っていなければ、東浦の於大公園や知多の佐布里池にも行ってみたいが、天気予報通りだと雨になりそうだ。ブログは休みます。

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草津温泉で見たもの聞いたもの

2023年02月17日 17時22分08秒 | Weblog

 草津温泉に行って、ちょっと変わったなあーと思った。湯畑やその周りの様子は昔のままだったが、来ている人々が全く違っていた。温泉地と言えば、中年の男たちや老齢の夫婦が多かったのに、若い学生や幼児を連れた夫婦が目立った。

 私がそんな風に見ていたのかも知れないが、大学生と思われる男女が、カップルであるいはグループで来ていた。ホテルでも高校生かと思うような男女が目に付いた。草津温泉はスキー場も近く、ホテルでスキーやボード、靴や防寒着のレンタルもやっていたから、手軽にスキーが楽しめる場所なのかも知れない。

 ホテルの露天風呂で、男2人が女のことで話していた。男のひとりが付き合っている女子大生は高校の後輩で、スマホのメールに気が付かないと「すぐ、怒る」と言う。何から何まで仕切りたがる彼女に、少々うんざりしているようだ。

 「お前から彼女に告白したんだろう」と片方が言うと、「あんなウルサイ女だとは知らなかった」と答える。「4月からは専門科目が増えるから、自由な時間は減ってしまう。それを理解してくれるのか心配だ」と嘆いていた。

 1分でも一緒にいたい彼女と、自分の自由な時間が欲しい男の葛藤かと、私は湯船に浸かりながら聞いていた。まだ、恋愛の初期段階だ。これからもっと喰い違いが生まれるだろう。それでも互いが好きなら、乗り越えていくだろう。

 愚痴っていた男は、ウルサイ女の友だちの女子大生に心惹かれているようだったから、さっさと別れて新しい恋に進めばいいと、勝手に妄想していた。今の若い人は、恋愛はめんどくさいと言っているようなことを聞いていたが、やっぱり異性に関心が無い訳ではないようだ。

 湯畑で見かけた沢山のカップルや、ホテルにいたカップルは、結婚に至るのだろうか。いや、ホテルにいたカップルは既に成就しているということか。バスツアーにひとりで参加していた男女が結構いたが、どういう思いで参加していたのだろう。

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