友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

恋愛も不倫も、人はコントロールできない

2021年03月31日 17時38分04秒 | Weblog

 春の高校野球の準決勝、第1試合は東海大相模が天理に2対0で勝った。これで、優勝戦は中京と東海大相模のエース対決かと思った。私の勝手な思い込みが悪い方に出てしまった。第2試合の大分の明豊と地元の中京は互いにエースを残しての戦いだったので、大丈夫だろうかと不安が走った。

 それでもピッチャーは抑えていたから、後半勝負になると思って観ていた。ところが4回に5点取られ、万事休すかと半分諦めかけた。ところが6回に2点差まで追い上げたから、逆転するのではという期待が生まれた。しかし9回に1点差まで詰めたけれど、ここまでだった。全力を尽くしたのだから仕方ない。

 何事も思い通りにはならない。今年の『歌会始』で、秋篠宮家の長女眞子さまは、「烏瓜その実は冴ゆる朱の色に 染まりてゆけり深まる秋に」と詠まれた。あくまでも恋一筋を貫くお気持ちなのかも知れない。今年の秋には結婚されると予想する人もいる。小室圭さんやそのお母さんをマスコミは叩くが、ふたりが愛し合っているのだから、応援してあげたらいいのにと思う。

 人は他人の幸せを妬み、他人の不幸を笑う。高校野球では勝った相手に喜び、負けた相手を称える。恋も同じように、いやむしろ、もっと大きな気持ちで祝福してもよいはずだ。恋はふたりの間のこと、他人がとやかく言うべきではない。恋愛も不倫も、人がコントロールできるものではない。明日はエイプリルフール。ブログは休みます。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

孫娘の成長は楽しみなのに‥

2021年03月30日 17時23分29秒 | Weblog

 空がぼんやりしている。天気予報で黄砂が多いと言っていたが、その影響なのだろうか。余りに暖かかったので、黄砂の日なのによいのだろうかと思いつつ網戸を洗った。冬の間は窓ガラスも拭けなかったから、ついでに水洗いしておいた。

 昨日の夕方、カミさんが茨城の次女とラインで話していた。次女のところの4月から1年生になる娘が割り込んできて、ワイワイと盛り上がっていた。画面で見ても大きいが、「クラスで一番うしろ」と言う。「でもね、隣りのクラスには、私より大きい男の子がいるよ」と教えてくれる。

 昨年の秋に仙台から引っ越して来て、幼稚園に転入したけれど、すぐに友だちも出来たようだ。なにしろ自分のことより他の子の世話を焼く子なのだ。先生からも頼りにされているらしいから、女ボスなのかも知れない。5月生まれだから、身体も大きく何でも出来てしまうのだろう。

 すると、同じ5月生まれの、今は小さいカミさんが、「私も小学校までは後ろの方の席だった」と言う。ラインでのやり取りを聞いていても、「エッ、こんな言葉を知っているの」と思うくらい大人っぽいし、使い方が見事だ。ひとりっ子はこんなに大人びるものなのか。

 小学校に上がると、ますます大人びてくるだろう。母と娘というより、次第に姉妹のようになっていくのかも知れない。すると、男は排除されて、「パパちゃんはあっちに行っていて」とか、「ウザイ」などと言い出すのだろうか。

 成長は楽しみなのに、成長に伴って生理的に嫌われる時期があるのがちょっと寂しい。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日もよい天気になるようだ

2021年03月29日 18時15分39秒 | Weblog

 

 すっかり春の陽気となった一日だった。今日こそは桜を写しておこうと思い、桜の樹の下で3枚ばかり写真を撮った。それを自分のパソコンに送ったが、パソコンのメール画面に映像が無い。ピクチャーに保存すれば、映像が出てくるだろうと思ったが保存が出来ない。

 最近、保存した写真を編集して、ブログに載せたいのに思うようにいかない。縦長の画面が横長になってしまう。以前は自由に編集できたのに、全く言うことを聞いてくれない。文章が作れて、時々写真が掲載できればそれで充分なのに、上手くいかない。

 昨夜は強風になると予報されていたので、咲きかけたチューリップを壁際に避難させておいたが、幸い風はそんなに強くなかったようだ。むしろポカポカ陽気で、花が早く咲いてしまいそうだ。開花が揃わないときれいに見えないから、これも困ったものだ。

 テレビを見ていたら、都会の人出は多くなっているという。服装も春らしくなっていて、若い女性が短いスカートで歩く姿が目に付いた。甲子園のスタンドのチアガールは時々しか映らないが、みんなマスク姿だから美人に見える。スラリとした足を最近のカメラマンは余り映してくれない。

 新型コロナ感染の第4波が始まっているらしい。女の子のきれいな足に見とれている場合ではないが、いや、むしろコロナ禍に惑わされず、女性の足に惑わされる方が健康ではないだろうか。地元の中京が東海大菅生をリードしている。明日もよい天気になるようだ。写真も何とか出来た。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

勝ち負けをスポーツで決めれば、戦争は必要ない

2021年03月28日 17時33分37秒 | Weblog

 聖火リレーが25日、福島県のサッカー施設から出発した。約1万人のランナーが日本の各地をつなぎ回り、7月23日の開会式で国立競技場の聖火台に点火される。「密にならないように」と組織委員会は言うけれど、「祭りを見るな」とは言っているようなもので、沿道は応援する人でかなり密になっていた。

 聖火リレーが始まったのだから、東京五輪の開催は確実になったのだろうか。私はオリンピックの開催に反対ではないけれど、このコロナ禍で開催して良いのだろうかと心配している。私がオリンピックで気になることがもう1つある。何のために開催するのか?

 オリンピックは古代ギリシアに倣って、その間は戦争をしない、つまり「平和」のための祭典だった。なのに、国別対抗戦になってしまい、どの国がいくつメダルを取るかばかりが強調されている。国では無く、個人やチームが称えられてこそスポーツ競技の意義がある。

 聖火が灯されたのも、聖火リレーが始まったのも、そんなに長い歴史ではない。聖火台は1928年のアムステルダム大会でのスタジアムの設計者の発案と言われているし、聖火リレーは8年後のベルリン大会から始まった。1936年と言えば、ヒットラーの時代である。

 オリンピックは国民の心をひとつにする良い機会であっただろうし、聖火リレーはその高揚感を作り上げただろう。「祭り」はどこでも、何となく楽しいし、一体感を生み出す。選手が持てる力を発揮して戦っているのだから、見ている者が感動しない訳が無い。

 勝ち負けをスポーツで決るのであれば、戦争なんか必要ない。そのためのオリンピックなら大いに賛成だ。みんなで盛り上げたい。きっといつか、そういうオリンピックになるだろう。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春爛漫に備えて

2021年03月27日 18時16分43秒 | Weblog

 マンションの桜も満開近くになってきた。そう思っていたのに、写真を撮ることを忘れて、ルーフバルコニーでの作業に没頭していた。バルコニーの南側に避難させていたバラの鉢を所定の北側に移し、咲き始めたチューリップを並べ直し、咲く時期が揃うようにと配置した。

 植え替えたペチュニアの鉢も咲き揃うように、こちらも場所を移動させた。作業をしていると汗ばむくらいだった。我が家のルーフバルコニーも春爛漫に備えての作業だが、以前に比べると鉢が少なくなった。出来るだけ少なくしていこうと思っているのだから、この寂しさはやむを得ない。

 午後は、地元の中京と茨城県の常総との試合を観た。圧倒的な点差で中京が勝利したが、内容は15対5が示すように、スカッとした試合では無かった。4球や暴投が多くて、ナニコレ!?とブツブツ言いながら、それでも最後まで観てしまった。

 高校野球好きの次女はどちらを応援したのだろう。次女は今、茨城に住んでいる。仙台に住んでいた時は「楽天」のファンで、球場にも足を運んでいた。高校野球は仙台育英を応援したいところだったが、対戦相手の神戸国際に知り合いの子が選手として出場していたから、きっとこちらを応援したことだろう。

 次女は転勤族ながら地元愛が強い。ひとり娘が4月から小学生になるから、さらに地元が好きになることだろう。「住めば都」と昔から言う。地元に馴染み、羽ばたいていって欲しい。4月に上の孫が5ケ月の赤子を抱え、下の小6になる妹と一緒に茨城に行く。

 長女の子どもと次女の子どもは姉妹のように仲がいい。コロナ禍で心配ではあるが、久しぶりに従妹に会えるのだから、気を付けて行っておいで。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人の気持ちを察する子になって欲しい

2021年03月26日 18時41分54秒 | Weblog

 昼前に孫娘2人と曾孫がやって来た。カミさんはスパゲッティを、私はフレンチトーストを作った。友だちがイチゴとパイナップル、それにかける練乳まで持って来てくれたので、皿に並べてデザートまで用意した。

 小5の孫娘は、身体はもう大人サイズだ。フレンチトーストを「食べる」と言っていたのに、「要らない」と言う。イチゴとパイナップルも練乳は「要らない」と言い、「甘いものは好きじゃーない」と拒否する。出された物は何でも一口は食べてみればいいのに、「お腹一杯」などと言って食べない。

 上の孫娘が、「太りたくないみたい」と教えてくれた。小5からダイエットなどしない方がいいのに、もうそんなことが気になるのだろうか。そういえば、鏡の前で短パン姿を見ながら、「太ももが太い。男子なんか凄く細いのに」とブツブツ言っていた。

 食事の後、やりたいと言っていた「UNO」とトランプをした。トランプのババ抜きでは、カミさんと小5の孫娘が残り、ふたりでカードのやり取りをするが、5回やってもババが往復するばかり。余りの滑稽さにふたりが大笑いするので、曾孫がビックリして泣き出した。

 小5の孫娘は、「ちょっと寝る」と言って曾孫のベッドで横になる。眠いのかと思ったら、iPadで何やら見ている。こんなにiPadばかり見ていて本当によいのだろうか。昔、テレビにお守りをさせることが問題になったが、その時は、チャンネル権は親にあった。今は子どもたち一人ひとりがiPadを持っているから、何を見ているのか分からない。

 4月からは小6になるのに、こんなにわがままで自分勝手な子のままでいいはずがない。子どもは成長しながら自分を変えていくが、この子もそういう時がくるのだろうか。このままでは、人の気持ちを察することが出来ないのではと心配になる。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高校野球を2試合続けて観てしまった

2021年03月25日 17時29分13秒 | Weblog

 熱烈な野球ファンでもないが、高校野球は見ている。今日はルーフバルコニーで作業するつもりでいたが、霧のような雨が降ってきたので諦めた。丁度、第1試合が中京大中京と千葉の専修大松戸だったので、これ幸いと見入ってしまった。

 カミさんは友だちとゴルフに出かけている。そのカミさんのiPadに次女からメールが届いた。次女の文面はいつもながらよく分からないが、親戚のあるいは知り合いの子が、甲子園に出ているから応援してという趣旨のようだ。

 第1試合は中京が勝ったので、そのまま第2試合の神戸国際大付属と仙台育英の試合を観ることにした。仙台は昨年まで次女一家が住んでいた街だが、相手の神戸国際付属は兵庫県の代表だから、ダンナの親戚の子かも知れない。

 試合は圧倒的に仙台育英が勝っていた。それでも次女が教えてくれた子は大活躍していたから、負けてもそれなりに楽しかったことだろう。次女も長女も、高校時代は高校野球が華やかな時で、テレビの前で声を上げ興奮して観ていた。

 カミさんの弟の下の娘は、毎年、甲子園まで観戦に行っていたが、今も続いているのだろうか。高校野球には人を引き付ける何かがある。「筋書きの無いドラマ」の面白さなのか、子どもたちの真剣な所作なのか、勝っても負けても一緒に涙してしまう。

 今晩はゴルフの反省会に私も出席する。昼食はテレビ観戦のために、ロクなものが食べられなかったから、美味しいものを期待したい。明日は、長女の娘2人と曾孫がやって来る。カミさんはスパゲッティを、私はフレンチトーストを、孫娘たちのために作る。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダリは私の手本だった

2021年03月24日 18時55分53秒 | Weblog

 久しぶりに三重県立美術館まで出かけた。高速道路を走っていくのはちょっと気が重かったが、余りスピードを上げて走る車は無く、ゆったりと走ることが出来た。着いたら丁度お昼だったので、まずは美術館にあるレストランに行った。

 「本日は予約でいっぱいですので、お名前を書いてお待ちください」とある。なかなか雰囲気の良さそうな店だったので待つことにした。芝生のテラスに、パラソル付きのテーブルが2セット置かれ、その1つを子ども連れが使っていた。子どもたちは食事をしたり、遊びまわったりして、とても楽しそうだった。

 そんな光景を眺めていると、席が空いて座ることが出来た。見るとワインがたくさん並べてある。美術館に付属しているが、独立したフランス料理の店のようだ。コース料理もとても美味しかった。美術館で観たかったのは『ダリ展』で、1月9日から3月28日までの長期開催だが、それだけ人は呼べると見込んでいるのだろう。恥ずかしいことに、日本でダリの作品を所蔵している人がいることを私は知らなかった。

 この『ダリ展』は福島県にある諸橋近代美術館から借用したとある。これまでのダリ展では見られなかった作品もあり、興味深かった。作品の前で、若い男が女に、「結構、絵うまいじゃん」と話していた。デッサンが出来ていると言いたいのだろうが、「腕前は天才的だよ」と教えたい気になった。

 ただ、晩年の作品は迫力が無かった。私が描いた蝶よりも下手だ。私は子どもの頃、兄の部屋でアメリカの雑誌に掲載されていたダリの絵を見て、惹きつけられた。美術を専攻し、シュールリアリズムに関心を持った。何だかよく分からなかった『マルドロールの歌』(ロートレアモン)は、不条理で超現実だが心地よかった。ダリは私の手本だった。

コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フォークソングはいいなあー

2021年03月23日 18時27分44秒 | Weblog

 穏やかに晴れた一日だった。花芽がぐんぐん伸びてきて、今にも咲きそうなチューリップが3本ある。このまま暖かな日が続けば、開花は早いかも知れない。皆さんに来てもらって、花を愛でる機会が今年はあるだろうか。

 テレビを見ていたらフォークグループの「紙ふうせん」が、「坂の細い道を」で始まる『冬が来る前に』を歌っていた。何度聞いても、「冬が来る前に もう一度あの人に めぐり逢いたい」のフレーズが何とも寂しく悲しい。

 去って行った人は決して戻らないだろう。追いかければもっと心が痛む、分かっていても、「もう一度あの人に めぐり逢いたい」のだ。歳を取れば、そんな感情も無くなってしまうと思っていたのに、人は都合よく清算など出来ないようだ。

 「やっぱりフォークソングはいいなあー」と思うのは歳のせいなのだろうか。フォークソングが全盛だったのは1970年代だったと思う。私は67年に大学を卒業して教員になった。その頃の高校生は教室にギターを持ち込んで、ビートルズの曲を弾いていた。

 子どもが生まれてカミさんの実家に連れて行くために、スバル360を中古で買い、車での通勤になった。ラジオから流れる歌はフォークソングが多かったと思うが、私が選局していたのかも知れない。ダークダックスが歌うロシア民謡にも聞き惚れた。

 今、テレビから流れてくる曲は、みんなで踊りながら歌うためなのか、テンポが速くて軽快で、しっとりとした失恋の歌は聞かれない。歌は時代とともにあり、世相を反映するからなのだろう。

コメント (3)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

卒業生に叱られた

2021年03月22日 18時09分15秒 | Weblog

 鏡に映る自分を見て、「老けたなぁー、そろそろ旅立ちの日が来てもよいはず」と先日、ブログに書いたことで卒業生に叱られた。「先生の喜寿とボクたちの古希を祝うクラス会をやる予定でいるんですから、元気でいてくださいよ」と。

 自分のことばかり気にしていたが、この子たち、そう古希を迎える卒業生のためにも、元気でクラス会に出られるようにしなくてはと思う。私が新卒2年目で担任した子が古希になり、担任の自分は喜寿となる、「そんな巡り合わせなんて、滅多にないんですから」と励まされた。

 私も彼らも、還暦を迎えた時は、決して年寄りになったとは思わなかっただろう。65歳の時も、若い時と何も変わらない気がしていた。古希の時は、少し年寄りの仲間に入ってきたのかなとは思ったが、まだまだ若い気になっていた。卒業生の中にはいまだに現役で働いている人もいる。

 75歳になった昨年は、よくここまで生きてきたと思った。私の人生プランでは、75歳が終着点のはずだった。自分では充分に生きてきたので、未練はないつもりだった。昨年の正月に仲間内で一杯飲んでいて、どういう話からそうなったのか分からないが、最後の恋が話題になった。

 最後の恋が成就しなくても、せめてそんな思いが感じられる時がやってこないかと期待したが、コロナ禍と一緒で全く何も見えない。「求めよ さらば与えられん」とキリストは言った。私の人生の先に、何があるのだろうか。当たり前のことだが、死ぬまでは生きていこう。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする