友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

整理できる範囲でいいのでは

2023年11月30日 17時22分11秒 | Weblog

 明日から12月ということでは無く、今日は予定が無いからということで、倉庫の掃除を行った。倉庫は奥行56cm、幅120cm、高さ190cmで、5段に分かれている。カミさんは物を大事にするので、何かに使うことがあるからとたくさん仕舞い込んでいる。

 全ての物を倉庫から出して、どうするかふたりで吟味した。私が判断すると、「何でも平気で捨ててしまうから」と、決済はカミさんが行った。それでも不用品がゴミ袋3個にもなった。明日は燃えるゴミの日だから、私が持って行くことにする。

 倉庫の扉を開いて、「わあー、スッキリしたわね」とカミさんはご機嫌がいい。「今晩はシチューにして、ワインを飲みましょう」と言ってくれる。最近、「疲れた」を連発するし、昨日も今日も、「私もお昼寝するわ」と言って2時間近くも寝ていた。

 私たちは確実に歳を取った。高齢の友だちについて話す時、「本当にすぐ忘れてしまうのよ」とか、「なかなか判断できないみたい」と評するが、他の人から見れば私たちも同様かも知れない。老いることは嫌だけれど、仕方ないと受け入れる他ない。

 年老いた家庭がどんなものか、考えたことも想像したことも無かった。結婚して子どもが生まれ、この子たちを連れて、自分が感動した景色を見せてやろう、そう思ってあちらこちらへ出かけた。音楽会や演劇も連れて行った。

 でもそのうち、子どもと親は違うということが分かってきた。夫婦だって、いや夫婦こそ血のつながりも無い他人同士だから、感性はかなり違う。しかし、理性で相手を理解することはできる。理解しようとする気持ちが無くなれば、夫婦は離婚するのかと言えば、そうでもないところが夫婦の良さなのだろう。

 1年使わなかった物は捨てなさいとか、1年着なかった服は捨てなさいと言われている。その通りだと思うけれど、なかなか捨てられない物もある。まあ、子どもたちなら思い切って捨てられるだろうから、整理できる範囲でいいのではと勝手に思っている。

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今日はとても良い一日だった

2023年11月29日 17時52分22秒 | Weblog

 一宮市には138タワーパークという公園がある。地上百メートルのところには展望台があり、尾張平野が360度よく見える。展望台にはレストランもあって、コーヒーを飲みながら見える景色を語り合う夫婦がいた。

 今はイルミネーションの季節で、夜になればきっとキレイな景色が観られるだろう。ふたりの子どもの母となった孫娘が、まだ幼かった頃に連れて来たことがある。その頃と比べると随分整備され、花壇も遊具も増えている。

 子連れの時には来られなかった、奥の雑木林の方まで行ってみた。入口付近の芝生には子ども連れが多かったが、雑木林の中は老夫婦や年寄りのふたり連れが多く、カメラを構えて何やら真剣に撮影していた。

 タワーパークでゆっくりしていたら、昼過ぎになってしまったので、目当てのレストランへ出かけた。来る時にマークしておいた、ちょっとシャレたレストランを目指した。葉栗小学校の南の辺りという記憶だったが、すぐに見つけることが出来た。中に、女性の3人とひとりで来ている2組が居た。

 先客は常連さんのようだった。喫茶店でランチを食べれば1千円以内で収まるが、ここはフランス料理の専門店でランチでも2千2百円もする。クリスマスメニューが始まっていてお得な金額の上に、とっても美味しい仕上りでカミさんは大喜びだった。

 空が曇って来たのですぐに帰ろうと思ったが、「せっかく計画したんだから、行ってもいいわよ」と言ってくれたので、一宮市博物館へ車を進めた。催し物は見ずに、隣接する妙興寺を見て回った。江南市の曼荼羅寺も大きな寺だが、この寺は雑木林が広がり、散歩するにはうってつけだ。

 寺内には小さな池があり、周りの紅葉もきれいなのに、池の水が濁っているので、曾木公園のような水鏡にはなっていなかった。それでも秋を堪能でき、やって来た甲斐はあった。

 「今日はとても良いところに連れて来てくれてありがとう。明日は倉庫の掃除をしましょう」と、カミさんは言う。「はい、分かりました」と返事する。

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「明日は何も予定が無いわよ」と言う

2023年11月28日 17時19分58秒 | Weblog

 カミさんはどうして私と結婚してくれたのだろう、そう思ったら、じゃー私はなぜ彼女と結婚したのだろう、それを解くことが先だろうと思えて来た。

 カミさんに出逢ったのは、大学の入学式の朝の電車の中だった。日焼した、目のパチッとした、見知らぬ女の子がいた。南の国から、集団就職でやって来た子かと想像していた。

 入学式でその子を見かけた。同じ大学だったが、話すことは無かった。しばらく経て、帰りに新名古屋駅で偶然出会い、同じ車両に乗り込み、話をしたのが最初だった。

 彼女はテニス部、私は新聞部だったが、新聞部に彼女の友だちがいて、ふたりが北海道旅行に出かける時は駅まで見送った。私の故郷の万灯祭りを一緒に見た。

 大学4年の時、私は東京で働くことになり、せっせと彼女に手紙を書いたが返事は来なかった。東京で彼女以上の女性に出逢うことも無く、帰って来た。

 高校の教員となり、友だちの紹介で上飯田に下宿した。上飯田は彼女の勤務校への乗換駅だったが、出逢うことも無く、私は勤務校に近い下宿に引っ越した。

 そこは彼女の家に近かったので、頻繁に行くようになった。教員になって2年目、彼女の両親に「結婚させてください」と話し、受け入れてもらった。

 私は自分の両親が共働きだったので、家庭はふたりで働いて築くものと思っていた。先生同士なら生活出来るだろうと、ママごとに毛の生えたくらいの考えだった。

 彼女が拒まなかったから、結婚し家庭を持つことが出来た。「私モテたのよ」と彼女は言うが、テニス部でも乗馬クラブでも確かにモテたはずだ。

 どうして結婚を決意してくれたのか分からないが、そんなことはどうでも良いことなのかも知れない。たまたまが重なって、人は今日を迎えているのだろう。

 毎日、毎日を楽しんで暮らしていくことこそが、人生の目的なのかも知れない。「明日は何も予定が無いわよ」と、カミさんは言う。

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上を見ないように、ひたすら下を向いている

2023年11月27日 17時06分12秒 | Weblog

 家から外に出てみると、いろんなことに感心させられる。名古屋駅前は相変わらず人出が多い。若い女性たちは素足にミニスカートで、闊歩していた。エスカレーターに乗る時が一番困る。見上げるとどうしても下着が見えてしまう。スカートの中を盗撮した事件が新聞に出る時もあるが、どうして盗撮までしたいのだろう。これでは、「見ていません」と言い訳もできないだろうに。

 駅前でアジア系外国人の女性がふたり、スマホを見ながら話していた。短パン姿で真っ白な足がキレイだった。太腿辺りに刺青が見える。「刺青なんかしない方がいいのにね」と、カミさんに言うと、「あれはきっとシールよ」と断言される。彼女たちはパパ活でもしているのか、時々行き交う男性を見ている。

 曾木公園はとても寒かったが、ここでも若い女性たちはミニスカートだった。赤い紅葉の下で、「キレイ」と声を上げて自撮りしていたが、彼女たちの方がキレイだった。「撮らせてもらってもいいですか」と声をかけたかったが止めた。女性にやたら声をかけて、「キレイ」と身体に触れれば、セクハラになってしまう。

 愛知県東郷町の町長に対する不信任決議案は、賛成10反対6で4分の3の賛成が得られず成立しなかった。町長は職員に対して「フレンドリーのつもり」だったと言うが、「役に立たん奴」「死ね」などと言われたら、それはもうパワハラでしょう。町長としての器に欠けると思うけれど、そう思わない議員が6人もいたのだ。

 町は第三者委員会を立ち上げ調査するというが、宝塚歌劇団の外部委員会のようなものでは意味が無い。国会では予算審議だというのに、「増税メガネ」とか「減税メガネ」とか、容姿を揶揄する言葉が飛び出している。どうしてこんなにもレベルが低いのかと情けなくなるが、私たちが支えてしまっているのだから仕方ない。上を見ないように、ひたすら下を向いているせいだろうか。

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とっても素敵な「紅葉巡り」をありがとう

2023年11月26日 17時57分34秒 | Weblog

 長女のダンナが連れって行ってくれた紅葉巡りは、初めて見る所ばかりでとってもキレイだった。恵那インターで降りて、大井ダムへと向かう。恵那峡で観光船に乗ったことはあったが、ダムを見下ろす場所から見るのは初めてだった。

 その上の土産物店の駐車場では、観光バスでやって来た団体や中国人観光客と一緒だった。恵那峡を真下に見られる岩場に観音像が置かれていて、岩に硬貨が張り付いていた。土産物屋の主人に聞くと、「中国人が初めたものだ」と言う。「よく落ちないですね」と訊くと、「雨、風の日は落ちるよ。それでまた張り付けておくのさ」と笑う。

 そこからダンナがディナーショーで、裏方を務めたという温泉旅館で昼食をいただいた。ものすごく豪華な料理にカミさんたち、写真を撮るのも忘れて大喜びだった。岩寿荘のラウンジから、外の紅葉がキレイに見えた(写真)。外に出て、紅葉のトンネルを歩いた。

 

 ダンナが「栗のスイーツを食べませんか」と言うので、中津川の栗菓子店で1皿1300円もするパフェを食べ、コーヒーを飲んだ。そこからいよいよ本命の曾木公園へと向かう。「駐車できなかったら、諦めていいよ」と言うが、「とりあえず、行ってみましょう」と車を進めてくれた。

 陽が落ち、辺りが暗くなる。順調に走っていたが、曾木公園に近づくと渋滞になった。最初の駐車場は満車でダメ、さらに奥へ行けと指示され、とうとう公園の真ん前の駐車場まで来た。本当に運がいい。一番止めやすい場所に案内された。公園に入ると人、人で一杯だった。

 

 それだけの人を、「キレイ」と満足させてくれる公園だった(上の写真)。私のケイタイでは上手く撮れなかったが、ダンナのスマホはバッチリ撮れる。こんなにキレイな公園を維持するのは大変だとよく分かった。ライトアップは昨日が最後だというのも理解できる。長女のダンナに、とっても素敵な「紅葉巡り」をありがとう。

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遺影はいい顔だった

2023年11月24日 17時11分23秒 | Weblog

 先輩の葬儀に行って来た。先輩は昭和8年生まれだから、90歳になる。先輩は名古屋の縫製会社で働いていたが独立し、西春で会社を立ち上げ、何人かの従業員を抱えて順風だった。詳しくは知らないが、独立した時はもうカミさんと一緒だったようだ。

 亡くなったのは11月22日で、「いい夫婦の日、仲良し夫婦だった」とアナウンスされていた。けれど、カミさんはショックからか私に気付かなかった。参列者の中にはご近所のオバさんが4人ほどいた。顔に覚えがあるが、名前までは知らない。

 私と先輩の出会いは、私が地域新聞を作っていた時で、当選した新しい町会議員を紹介する記事のために会った時からだ。先輩は蒲郡の出身だったことで、同じ三河の刈谷出身の私と話が合った。私が書いた記事を、「わしの言いたいことだった」と喜んでくれた。

 以来、「議会でこういう質問がしたいから」と、質問原稿を頼まれたり、答弁に対する再質問も用意した。私が町長選挙や市長選挙に出馬した時は、「恩返しだ」と言って応援に来てくれた。ふたりともただの人になってからは、「ウナギが食べたいから」と付き合わされた。

 病院に入院した後も、介護施設に入所してからも、よく電話がかかって来た。介護施設に何度か面会に行ったけれど、見る度に衰えていくのが分かり心配した。「バナナが食べたい。アイスクリームが食べたい」と言い、お金を渡されたので、買い求めて持って行った。

 けれどある時、「差し入れは止めてください。ご家族の意向です」と施設の人に言われてしまった。しばらく電話がなかったので、11月11日に介護施設に電話すると、「退所されました」と言う。「どこの病院ですか」と訊くと、「申し上げられません」と言う。

 悶々としていると昨日、友だちから連絡が入った。やっぱりそうだったのか。預かっているお金を返さないとネコババになってしまうと思い、葬儀会館へ出かけた。遺影はいい顔だった。息子さんに聞くと、「金婚式の時のものです」と言う。安らかにお眠りください。

 夕方になって、風が強く吹いて寒くなってきた。明日は長女のダンナが、彼の母親と私たち夫婦を紅葉巡りに連れて行ってくれる。そんな訳で、明日のブログは休みます。

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結婚って何だろう

2023年11月23日 16時51分10秒 | Weblog

 結婚記念日前夜祭と称して、大名古屋ビルヂングでディナーと洒落込んだ。カミさんはいくつか見たいところがあったようで、新名古屋駅を降りるとスタスタと先に歩いて行く。高島屋のクリスマスツリーをスマホに収めると、次はキッテ会館のメガホンをつるしたクリスマスツリーを写していく。

 このツリーは音楽に合わせて光が微妙に変わる。そこから大名古屋ビルヂングを眺めて、「まだ点灯されていないけど、今年もあるわよね」と、呟きながらまたスタスタと早足で行く。カミさんの言うように、今年はそんなに人出が多くない。けれど5階まで上がると、結構な人が5時からの点灯を待ち受けている。

 たくさんのイルミネーションが点灯され、一気に華やかになった。カミさんはスマホに収めるのに夢中だ。そんな時、私は可愛いサンタさんを見つけた。若い夫婦が連れて来た2・3歳の子どもだ。「写真撮っていいですか?」と訊くと、「どうぞどうぞ」と言ってくれるが、なかなかジッとしていない。「今がチャンスですよ」と教えられて撮った。

 ワインが飲みたかったけれど、カミさんが「のどが渇いたからビールね」と言うので、昨年と同じ店に入った。広々としているのに、客はまだ少ない。全員が女性で、中には子連れもいる。ふたりの子の母親になった孫娘も、子どもを連れていろんな所へ出かけているようだが、今は当たり前なの光景かも知れない。

 「私、モテたのよ」と言うカミさんに、「どうしてボクと結婚してくれたの?」と聞きたかったが、ヤブヘビになりそうで止めた。その代わりに若いボーイに、「私たちは明日が結婚記念日で、そのお祝いに来たんです」と話すと、「いいですね。ウチの祖父母は歩けなくって、羨ましいです」と言って来る。

 結婚して55年、「長い忍耐の年月でした」とカミさんに言えば、「お互い様です」と言い返されてしまった。ふたりが共に生活するというのは、そういうことなんだろう。でも一度どこかで、どうして結婚してくれたのか、聞いてみたい。

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あれから65年を経て、世の中は全く変わった

2023年11月21日 18時02分53秒 | Weblog

 穏やかな一日、中学生がワイワイと楽しそうに話しながら帰っていく。私の中学校は刈谷市の東のはずれの方にあったので、家から学校まで30分ほどかかった。登校は近所の友だちと一緒に行くが、帰りはひとりの時が多かった。

 学校までの道は舗装されていなくて、道の両脇は畑地で、ところどころに肥溜めが置かれていた。帰り道にふざけ合って その肥溜めに落ちる子がいた。中にはわざと大きな石を肥溜めに放り込んで、周りに糞尿をまき散らして喜ぶ子もいた。

 何年生の時だったのか覚えていないが、先生が「男子は体操服に着替えて、便所の前に集まれ」と言う。何をするのだろうと思っていると、大きな桶を渡された。便所の蓋を開け、柄杓で糞尿を掬い上げ桶に入れる。

 その桶を運動場の南の端まで持って行く。そして、「出来るだけ遠くへ流せ」と先生は言う。運動場の南側は崖になっていて、崖はその下の用水路まで続いている。中学生の男子はここを、戦場やジャングルに設定して遊んでいた。

 あんなところに大量の糞尿を流して本当に良かったのかと、今なら思うけれど、その時は臭いし汚いし、嫌だなあーとくらいしか思わなかった。いつもは汲み取りの業者が来るのに、その時はどうして生徒にさせたのだろう。

 まだまだ全体に貧しかった。体育の時間に先生が「体操服のズボンを脱げ」と言った。ひとりの男子が先生のところへ行き、何か告げていた。すると先生は男子のズボンを引っ張って覗き込み、「ヨシ」と言う。どうしたのと彼に聞くと、「パンツをはいてなかった」と言う。

 彼は父親が戦死した母子家庭だった。そんな家庭がまだまだあった。傷痍軍人が家々を回ってくることもあった。橋の下で暮らしている人もいた。あれから65年を経て、世の中は全く変わった。「明日は結婚記念日の前日だから、名古屋でディナーにしましょう」とカミさんは言う。そんな訳で、ブログは休むことになるだろう。

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「よく考えてみなさい」と、叱る先生はいないのか

2023年11月20日 17時12分36秒 | Weblog

 寝ていてもレンジフードのことばかり考えていた。カバーを取り外すことが出来るなら、きっとスムーズに作業が出来るはずだ。カバーを外すにはどうしたら良いか、ああでもない、こうでもないと考えながら眠った。

 朝食の後、「さアー、もう一度やってみよう」と、作業を開始する。しかし、どうしてもカバーを外すことは出来ない。ならば、ファンを差し込む主軸を磨けば、固定するネジがスムーズに主軸に回っていく気がした。

 金ブラシは無いから、歯ブラシを短く切って、主軸に当てて磨いてみる。電源を入れて、主軸を回し、歯ブラシを当ててみた。この作戦が功を奏し、ファンを固定することが出来た。カバーをもとの状態にして、これで完成である。

 「やれば出来るじゃない」とカミさんは、元小学校の先生に戻って褒めてくれる。「これも、先生の叱咤激励のおかげです」と、私は真面目な顔で答える。でも、1年や2年はもつだろうが、そろそろ替え時にあることは確かだ。

 創価学会の池田大作氏が亡くなった。95歳と言うから長生きの方だろう。さて、誰が次の創価学会をまとめていくのだろう。何時までも同じ状態は続かない。ましてや池田大作氏は、ナンバーツーを作らなかった。ご自身は神格化されたが、神を失うと組織は崩れる。

 イスラエル軍はガザの病院を占拠した。あまりにも惨い戦場に、多くの人々がイスラエルを非難する。パレスチナを支援するアラブ諸国から、イスラエルに向かってミサイルが撃ち込まれている。イスラエルもパレスチナもアラブも、元々は同じ神の下に暮らした同じ民なのになぜ憎しみ合うのか。

 戦争に勝者はいないと誰かが言っていた。死者と負傷者と、家や家族を失った絶望の民ばかりだ。それでもなぜ、戦争を続けるのだろう。軍需産業にかかわる大富豪ばかりが肥えているのに。「よく考えてみなさい」と、叱る先生はいないのか。

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レンジフードの掃除で悪戦苦闘する

2023年11月19日 18時12分56秒 | Weblog

 朝、ルーフバルコニーに残っている鉢を見ていたカミさんが,「友だちが大きい鉢を欲しいと言っていたから、電話してみる」と言う。「これから、持って行っていいですか」と聞いて、「いいと言うから、持って行こう」と随分積極的だ。

 大きな15号鉢は重くて、ひとりでは持って行くのは無理だ。「私が手伝うから、ふたりなら大丈夫よ」とやる気満々だ。一度には持てないので、ふたりで13階の廊下まで2度往復し、台車に乗せて車まで運び、友だちの家の前へ届けた。

 私は汗びっしょりになったが、カミさんは涼しい顔で、「汗かいたのならすぐ着替えなさい」と言う。これで一仕事終わったと思ったら、「今日は何も予定が無いから、昼からは台所のガス周りとレンジフードの掃除をしましょう」と言う。

 昼までの時間、パソコンの印刷機を調べてみるつもりでいたが、カミさんが「誕生日会の忘年会をいつするか、相談したい」と言うので、先輩に我が家へ来てもらった。「会場の都合もあるから、忘年会に限定せずに新年会になってもいいのでは」と、私は口を挟む。

 昼食後ちょっと横になった後で、台所周りの掃除に取り掛かる。これが大きな誤算だった。レンジフードのファンを取り付けようとしたが、軸に上手く入らない。カバーを付けたままでファンは外すことは出来たけれど、嵌めようとしてもカバーが邪魔して出来ない。

 台所の改修をした時からもう何年も経つ。「諦めよう。今年はこのままにして、来年、レンジフードを新しものに取り替えてもらおう」と私が言うと、「あなたはすぐに諦めるのね」とカミさんに叱られた。しかしもう、私たちの歳では作業は困難なのだ。

 「今日は朝から絶好調だったのに」とカミさんは嘆くが、残念ながらお金で解決できるならそうしたい。鉢を運び出す時もそうだったし、レンジフードの掃除の時も、長く同じ姿勢でいるとドッと疲れてしまう。困ったなあー。

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