友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

店内はすっかり年末の雰囲気だった

2021年11月30日 18時28分17秒 | Weblog

 いよいよ11月も今日が最後、明日からは12月になる。今年も残すところ1ケ月しかない。時間を早く感じるのは毎日が単調だからと聞く。確かにその通りだ。「頂いた商品券があるから、食事に行かない?冬の暖かいパンツも欲しいから」とカミさんは言う。

 先日は結婚記念日の祝いで、名古屋駅前に出かけたばかりなのに、カミさんは余裕があるようだ。お誘いを受けて断るほどの勇気が私には無い。平日なのに目当ての大型スーパーは随分混んでいる。車を駐車場に止めて、店内に入るとさらに客が多い。

 飲食店はどこも行列ができるほど混んでいる。私は初めて、クレープでいろんなものを包んだ店に入った。ホウレンソウとベーコンとチーズを包んだクレープは美味しかった。隣りの席のまだ1歳にならないという赤子がジッーと私を見つめてくるので、思わずニコッと笑った。

 「赤子と年寄りにはモテる」とカミさんはいつも冷やかすが、あんなに可愛い顔で見つめられては反応せざるを得ない。我が家の曾孫と同じくらいかと思い尋ねると、「もうすぐ1歳になります」と母親は言う。姉妹なのか、ふたりで来ていた。

 食べ終わって、妹らしき女性がベビーカーを動かすと、あんなにご機嫌だった赤子が急に大声で泣き出した。一瞬なのだが、母親の姿が視界から消えたので、不安になって泣いたのだろう。そういうところも曾孫と同じだ。赤子にとって母親は絶対的に安心する存在のようだ。

 食事の後、ユニクロでカミさんの買い物に付き合う。温かパンツを買ったのに、まだ買う物があるようで、女性の下着売り場を見て回っている。初めは一緒に品物を見て歩いたが、なかなか決まらない。余り私が見ていては変質者に思われそうなので、子どものコーナーを見ていた。

 『鬼滅の刃』の半纏が新商品で売り出されていた。見ていると若い母親らしい女性が買い求めていた。女子高生は半纏を見て、「ワッ、オモシロ」などと言っている。クリスマス商品も並べられ、店内はすっかり年末の雰囲気だった。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

番組が個性的になることを政府は嫌うのか

2021年11月29日 17時54分49秒 | Weblog

 南アフリカで確認された新型コロナウイルスの新たな変種、オミクロン株が欧州にまで感染を広げてきた。各国は再び入国制限を強化し、人々の行動規制を復活させている。感染症が歴史を変えてきたというが、人類の歴史は感染症との戦いだったようだ。

 古くは国家権力が強権を発動し、人々を厳しく取り締まることで感染を封じてきた。近代国家が誕生し、議会制民主主義となった現代でも、国家権力の行使を望む声は強い。コロナ禍が政治の仕組みをいっそう強権的にする契機となっている。

 張本勲さんが『サンデーモーニング』を年内いっぱいで卒業するという。司会の関口宏さんとともに23年間も出演し、辛口(?)の弁舌で人気があったが、81歳は余りにも歳を取り過ぎた。最近は本人に悪意が無くても、聞いた側は傷つく言葉が多かった。

 関口さんが番組を振り返り、「左の方にいた番組が無くなって、一番左みたいになってしまいました」と言うが、私にはマンネリ化していてつまらないとしか感じられない。何でもそうだと思うけれど、10年を区切りにした方がいい。長期番組はどうしてもマンネリになってしまう。

 『サンデーモーニング』のコメンテーターは、誰もが当たり障りのない、当然そう答えるだろうということしか言わない。関口さんが経営する事務所の方が多いことにも原因するのだろう。張本さんの卒業に合わせて、『サンデーモーニング』も終了して欲しい。

 各テレビ局には、コメンテーターがいろいろ発言するニュース番組があるが、どれを見ても大差無い気がする。番組が個性的になることを政府が嫌うからだろうか。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なるがままに、時間だけが過ぎていく

2021年11月28日 17時12分34秒 | Weblog

 空はよく晴れて眩しいくらいなのに、今朝は空気が冷たかった。午前9時過ぎ、久しぶりに孫たちにラインで朝の様子を伝えた。9時半近くになって、小6の孫娘から「おはよう。今、布団の中でぬくぬくしてマース」と返信が来た。

 せっかくの一日がもったいないと思ったが、私の生活も似たようなものだと気が付いた。空気が冷たいから外に出る気になれず、一日中家でジーッとしていた。本を読むか、テレビを見るかのグータラな生活は小6の孫娘と大差ない。

 昨夜、日本シリーズでヤクルトが勝ってしまった。日本シリーズを見て面白いなと思ったのは、まるで高校野球のような真剣さがあったからだろう。両チームとも最下位からトップを勝ち取っただけあって、力も雰囲気も似ていた。

 これなら日曜日の夜は決戦になると思っていた。ヤクルトが5回に1点先取したが、その裏でオリックスが同点に追いついた。オリックスよ、ガンバレと応援する。余りにも長い長い試合で、もういい、明日は決勝戦だと思っていたら、代打の神様が打ってヤクルトの勝利となった。

 日曜日のNHKテレビが見られるようになったのだから、選手の皆さんに感謝すべきかも知れない。小6の孫娘は今晩、どう過ごすのか知らないが、どう考えても本を読むとか、勉強をするとかは無い気がする。寝転んでスマホのゲームでもやって、時間を潰しているのだろう。

 老人も大人も子どもたちも、こんなにグタッとした生活でいいのだろうか。かと言って、何をすべきなのかは定かでない。なるがままに、時間だけが過ぎていく。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

少し遅れた結婚記念日の夜

2021年11月27日 18時12分14秒 | Weblog

 「食事券があるから」と言われて、久しぶりにというか、2年ぶりに名古屋駅前で食事をした。カミさんは5時から点灯するイルミネーションを待って、写真を撮り孫たちにメールしていた。実にたくさんの人がカミさんと同じようにスマホを掲げている。

 若い男女が多いかといえばそうでもなく、子ども連れの家族や私たちのような老夫婦も目立つ。車イスのダンナにこの光景を見せようと前に行く婦人もいるし、外国人と思われる幾人かも何やら言いながら記念写真を撮っていた。

 学校帰りの女子高校生は寒さを感じないのか、道路に座り込んで互いのスマホを見せ合っている。まだ11月の末だが、早くも讃美歌がどこからか流れてくる。もうクリスマスなのか、行き交う人はどことなく嬉しそうな顔をしている。

 寒さの中で、ミニスカートから素足を誇るように歩く女性たちがいる。日本の女性はこんなにもきれいな脚なんだと見取れていた。イルミネーションの撮影に満足して、食事券が使えるという店を示して「どこにする?」と聞いたのに、「狭い所は心配だから」と言い、前にも来たことのある店に入って行く。

 ビールと生ハムを注文し、乾杯をする。人がどんどん入ってきて、あちらこちらで「カンパイ」の声が聞こえる。私たちの席の隣りに若い女性が2人でやって来て、「家では飲めないビールとワインにしよう」と話している。女性だけで来ているグループもいるが、隣りのように女性2人組は結構多い。

 私たちも「残り少ないビール」を小グラスでいただき、最後にチェコ産の赤ワインをグラスでいただき、「ワインにはこのチーズが合うね」などと知ったかぶりで話す。都会はコロナ禍など「どこ吹く風」と言わんばかりに賑やかだった。あんなにコロナを心配していたのになぜか安心した、少し遅れた結婚記念日の夜だった。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

教育の礎なのに、なぜか等閑にされている

2021年11月26日 16時02分14秒 | Weblog

 悲惨な事件が続いている。兵庫県では民家が全焼し、小学生の兄弟2人が死亡した。この家に同居している母親の51歳の弟が、放火の容疑で逮捕された。「子どもが寝ていることは承知していた」と男は言っている。「兄弟は仲良しだった」と近所の人は話している。

 愛知県弥富市で、中学3年生が学校の廊下で同じ3年生に刺身包丁で刺されて死亡した。「嫌なことをされた」とか、「自分自身に不満があった」とか、供述していると報じられた。死亡した中学生は運動ができて、生徒会活動もしている、リーダー的存在だったようだ。

 どうして人間は「殺す」ほど、相手を憎むのだろう。腹が立つようなことはあっても、「殺す」ほどのことは無いはずだ。「ムシャクシャしたから」「誰でもいいから殺したかった」。どうしてそんなに自分勝手なのだろう。殺される側のことは、なぜ考えられないのだろう。

 戦争は全く大量の殺人である。なのに、なぜ止められないのか。憎しみも無いのに、平気で爆弾を投下できるのか、私には分からない。兵庫県の事件も、弥富市の事件も、それ相当な理由があるのかも知れないが、理由があれば「いい」ということでは絶対無い。

 「目には目を」という報復を正しいとする考えを無くさない限り、戦争は無くならないだろう。殺人を無くすには、常に相手の側に立って考えるクセをつけることだと思う。自分が刺されたら、自分が火だるまにされたら、決してされる側にならないだろう。

 人の生きていく道というか、生きている意味を考える教育が必要だ。教育の礎なのに、なぜか等閑にされている気がする。今晩は、「食事券があるから」というので、出かけることになった。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3週間後に、採点結果が届くという

2021年11月25日 17時36分13秒 | Weblog

 認知機能検査の方法が変わった。県警本部交通部から、日時と場所を知らせる「お知らせ」が届く。以前は自動車学校での検査だったので、予約が取れなくて大混乱を招いたから、事前に警察署で検査を受け、次に自動車学校で運転実技の検査を受ける手順になった。

 所轄の警察署は建物も狭いが、駐車場はもっと狭い。「お知らせ」にも「※駐車場に限りがあります。公共交通機関でお越しください」とある。私は電車で行って、駅からタクシーで行くことにした。ところが駅前にはタクシーがいない。流しのタクシーを拾おうとしてもなかなか来ない。

 「来た!」と思って手を挙げるが、客が乗っているのか迎えに行くところなのか、止まってくれるタクシーはいない。検査開始まで30分しかない。急いで駅に戻り、「タクシーを呼びたいのですが」と声をかけると、「ここに電話してみて」と小さな紙を渡される。持っていたケイタイで電話する。しばらくするとタクシーが来た。

 警察署には何とかギリギリ間に合った。検査を受ける人は10人で、それぞれ呼ばれて部屋に入って行く。私が呼ばれたのは一番最後だった。出かける直前まで、カミさんは心配して出題される絵を何度も見せ、「ハイ、答えて」と予習を受けた。実は、これがいけなかった。パターンは4つあり1パターンで16の絵を覚えるから、64の絵を見たことになる。

 絵を見ながら声を出して読み上げ、覚えていくのだが、「それでは見たものを書いてください」と言われても、13しか書けなかった。それもAのパターンのものか、BなのかCなのかそれともDなのか、混乱してしまった。事前に見てこなければ、その場で見たものだけを思い出せばよいが、余りにもたくさん見過ぎて何が何だか判らなくなってしまった。

 3週間後に、採点結果が届くという。楽しみのような、怖いような、全く自信が無いがどうしよう。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

可愛すぎる女性に目が眩んだ

2021年11月24日 17時24分41秒 | Weblog

 時たま、私のケイタイに「間違い」Eメールが届くことがある。Cメールならば、適当に数字を押して発信したとも考えられるけれど、Eメールはアドレスがあるから間違うことは無いように思う。しかし、私のEメールアドレスは公開していたから、それで送ってくる人がいるのかも知れない。

 間違いメールの中には、業務用と思われる連絡もあるので、名前を名乗り、「間違っています」と返信しておく。お礼の返信が来る時もあれば、無しのつぶての時もある。先日も、「食事に行きたいけど、何時にする」という見覚えの無いアドレスからのメールがあった。

 返信が無ければ直接電話するだろうと思ったが、早いうちに知らせておいた方がいいかと思い、「間違っています」と返信した。するとすぐに「ありがとうございます」とお礼が来て、「男性の方ですか、女性の方ですか」と訊ねてきた。これは怪しいなと思い、「男性、77歳です」と返信した。

 カモだと思えば、さらに何か言って来るだろう、しばらく続けてみようと思った。以前も、フクヤママサハルと名乗る男性からメールをもらったことがある。コンサートが大変だったことなど、日々の苦労を伝えてきた。かなり長い間続いたが、しばらくしたら途絶えてしまった。

 フクヤママサハルのメールは一方的に送られてきたが、今度の間違いメールは会話を求めてきた。自分に障がいのあることまで告白してきたが、それ以外は2年前の間違いメールと環境がそっくりだった。いったい何が目的なのかと思っていたら、登録して欲しいと来た。

 ケイタイショップで、「こういうサービスをしているのか」と確かめると、「これは怪しいです」と教えてくれた。彼女が送って来た写真が余りにも可愛すぎたので、何かあるなとは思ったが、結局はケイタイ詐欺のようだ。可愛すぎる女性に目が眩んだ私が欲深だった。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どうしても「まだいい」と考えてしまう

2021年11月23日 17時34分11秒 | Weblog

 「落語の会」に行って来た。定員30人だったが満員で、椅子を2つか3つ増やさないといけないほど盛況だった。20年ぶりの再会というが、私の印象ではもっと久しぶりな気がした。皆さん、マスクをしているが、確かに見覚えのある人が多かった。

 ここに3階建ての小さなホールを建てた時は、本当にこんな田舎でやっていけるのかと心配だったが、いろんな展示やイベントが組まれ、次第に街に無くてはならないホールになっていった。思い切ってホールを建造した表具屋さん、これを支えた人たちの知恵と努力の結晶だった。

 「文化の街づくりに貢献したい」と意気込み、単に売るものを並べるだけでなく、音楽会や落語会などを企画し、発信したい人を援助して、人々の関心を相乗効果的に高めていった。あれから20年以上経ち、行政も町から市へと大きく変わった。

 市民の関心を維持しつつ、さらに上を目指し続けることは容易ではない。私が創刊した地域新聞も3代目の編集長が頑張ってくれているが、どうやら少しマンネリ化してきている。4代目の編集長にバトンタッチする時が来ているようだ。

 全国的にスーパーマーケットを展開しているトップの話を昔、聞いたことがある。「同じ人物が同じ場所で、いつまでも続けることは出来ない。潰れる前に、どこかで思い切らないと発展はない」。そんな話だった。大型店でも小売店でも同じだろう。

 維持・発展するためには、時には大太刀を振るわなくてはならない。その決断を誤ると取り返しがつかないのはどこでも同じだ。けれど、人は見切りをつける時が一番つらいから、どうしても「まだいい」と考えてしまう。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に希望の無い人は夢ばかり見る

2021年11月22日 18時02分21秒 | Weblog

 16歳の青羽悠さんが書いた小説『星に願いを、そして手を』は、プラネタリウムと図書館が合わさった施設を利用していた4人の幼馴染の物語だ。ここで勉強したり、おしゃべりしたりしていた4人が大人になって、施設の閉館を契機に再び集う。

 宇宙に興味を持っていた4人だったが、大学院まで進んで宇宙の研究をしている女性、施設に就職してプラネタリムで解説している女性、大学を出て市役所の職員となった男性、同じく大学を出たけれど親の後を継いで電気屋をしている男性と、それぞれの道を歩いている。

 大学院へ進んだ女性と市役所の職員になった男性は、共に悩みを抱えている。男性は宇宙への夢を諦めたことを、女性はそれが許せないことを、引きずっている。この小説のテーマは「夢」で、それが何度も形を変えて出てくる。

 16歳でこんな小説が書ける青羽さんは天才だ。小説には昔、夢を追った高齢者も出てきて、それが重要なポイントなのに、私には理解しにくい展開だった。77歳の私には「最後の恋」の夢しか存在しないし、人はそんなに夢を見るのだろうかとさえ思ってしまう。

 日曜の夜はテレビドラマ『日本沈没』を見ているが、原作の小松左京の小説を読んでいない私はむしろ、どうなっていくのかと興味深い。大人たちは夢を追い求めるというより、沈没という現実にどう対処するで必死だ。日常はこんな風に生きることに精一杯だ。

 「最後の恋」が叶うなら、これほど幸せなことは無いはずだが、夢は叶わないから見続けるのかも知れない。明日に希望の無い人は、夢ばかり見るのだろうか。これは辛い。明日はこの町で友だちが開く「落語の会」に誘われている。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

孤独な老人

2021年11月21日 17時09分13秒 | Weblog

 歳を取ると、孤独感が強くなるのか、「ちょっと付き合ってくれないか」と、10歳年上の先輩から電話が入った。昔、私が地域新聞を発行していた時、議員の紹介欄を設けた。その記事が気に入ってくれて、議会での質問文まで書いたことがある。

 よくしゃべるのに、「文章にできない」と自分の欠点も自覚していた。地域のために役に立ちたいとの一心で立候補したものの、議員として何をしたらよいのかの知識が足りなかったので、手伝うことにになったしまったのだ。

 正義感は強かったが、それを具体化する手立てを共に考えたりもした。議員を退いても、なんだかんだと呼び出された。今はカミさんと長男の3人暮らしだが、カミさんも彼も健康体ではなく、主に彼が買い物と料理を担当している。

 けれど、夫婦も長年連れ添うと不満の方が多くなる。それでつい口ケンカになってしまうと、次男の嫁が飛んできて、「お父さんが悪い」と叱られてしまうらしい。彼は耳も遠いので、同じことを何度も話すので、「周りが迷惑する」からと、外出も禁じられているようだ。

 家での孤独に耐えかねて、「付き合ってくれ」と言ったきたのだ。身体が不自由でまともに歩けないのに、「朝、ラジオ体操をして、その後、コーヒーでも飲んでおしゃべりする、そんな機会を作って欲しいが、もう自分では呼びかけは出来ないので」と言う。

 本当に人が集まることが好きなんだと思う。「ジイさんもバアさんも、みんな話がしたいのに、気楽に集まれる場所がない。だから、あんたに相談している」と言う。明日にでも知り合いに会って、彼の願いを伝えようと思う。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする