友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

聖書の話

2019年01月30日 17時35分13秒 | Weblog

  いつもキリスト教の冊子を届けてくれる女性が、「いよいよ、最後の時が近づいています」と言うので、「ええ、私もそう感じます」と答える。彼女はこの時とばかり、「神の裁きが近づいているのです」と念を押す。「ええ、神の裁きを厳粛に受け止める覚悟はできています」と付け加えると、神を受け入れていないのにと、困った顔をする。

 先日も、「狭き門を通って入りなさい。滅びに至る道は広く大きく、それを通って入って行く人は多いからです。一方、命に至る道は狭く、その道は狭められており、それを見出す人は少ないのです」とマタイ伝7章13・14を書き写したメモをくれた。私は冗談で、「だから太らないように努めています」と答えたので、またしても彼女は困った顔をした。

 マタイ伝の5章から7章は有名な山上の垂訓で、中学生の私が最も感銘を受けた箇所、キリストの教えの神髄だと思っている。「『目には目、歯には歯』と言われたのをあなた方は聞きました。しかし、私はあなた方に言います。邪悪な者に手向かってはなりません。あなたの右の頬を打つ者には左の頬をも向けなさい」(マタイ伝5章38)。なんという 凄いことを言うかと感心した。

 さらに、「敵を愛し、呪う者のために祈れ」とか、「見返りを求めるな」とか、私が求めていたことをズバリ口にしている。ところが、私は「姦淫してはならない」とあるのに、抱きたい抱かれたいと欲望が日増しに強くなっていた。高校生になり、そんな自分に悩んでいる時、アメリカ人の牧師が「聖職に就きなさい」と言う。ベトナム戦争の最中だったので、「神はなぜ戦争を許しておられるのか」と聞いた。

 キリスト教徒で東大の総長を務めた、矢内原忠雄さんに手紙を書いて、『政治と人間』を読んだ感想などに触れ、我が校で講演して欲しいと伝えた。息子の矢内原伊作さんから断りの返事をいただいたが、身体の具合が悪い時だったかも知れない。その後すぐ亡くなられた。豊田市美術館で彫刻家のジャコメッティ展を観た時、伊作氏をモデルとした作品があり、会ったことも無い人だったのに懐かしい気がした。

コメント
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