友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

子は親を見て育つ

2024年03月31日 17時46分19秒 | Weblog

 長女のところの中2の孫娘からカミさんに、「教員移動が載っている新聞が見たい」とメールが来たと言う。そこで私は「じゃー、午前中にボクが届けるよ」と、長女の家へ出かけた。家には誰もいないようだったので、郵便箱に入れて帰って来た。

 長女の家は新聞を購読していない。テレビも新聞も不要なものという考えのようだ。新聞はニュース記事ばかりでなく、人の考えや本の紹介や、様々な情報が掲載されている。同年代の人の投稿もある。広告やお知らせ記事だって、役に立つことがある。

 中2の孫娘は、自分の学校の先生がどこへ移動したのか、代わりの先生はどこから来るのか、そんなことを知りたいのだろう。何かを知りたい、そう思う気持ちは大切にしてあげたい。会うことは出来なかったが、ジジイの誠意は見せられただろう。

 午後は、友だちが教えているピアノ教室の発表会に行って来た。嫁に行った孫娘も通った教室だ。3部構成になっていて、2部は舟木淳先生の朗読による音楽物語だった。舟木先生は91歳になられるというが、太くよく通る声で年齢を感じさせない。

 朗読されたのは『窓ぎわのトットちゃん』、ピアノは連弾で何組かが入れ替わり、そこへチェロやフルートが加わり、音楽物語は厚みのある演出だった。私は聴いているうちに涙が堪えられなくなり、ハンカチで目を被った。

 今日のような時代こそ、トットちゃんが通った学校、「あなたはいい子だよ」と認めてくれる先生が必要だと痛感した。誰もが自分を認めて欲しいのに、「ヘン」とか「変わっている」とか言われてしまうと、それだけで生きている意味を失ってしまう。

 中2の孫娘は少々変わっているが、自分では気付いていない。彼女のパパもママも変わっているのだから、仕方ない血筋だ。それだからみんなで、いいところを認めてあげないと、ますます「いい子」から遠のいていってしまう気がする。

 子育てはとても難しい。子は親を見て育つから。

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緊急時に使える井戸があれば

2024年03月30日 17時24分50秒 | Weblog

 明日の選抜高校野球大会の決勝戦は、群馬の健大高崎と兵庫の報徳学園に決まった。雨で順延もあり、選手や関係者には「お疲れ様でした」と伝えたい。一生懸命なプレイを見ていると、どちらも勝たせてやりたくなってしまう。

 明日は知り合いのピアノ教室の発表会で、プログラムには私が朗読クラブにいた時、お世話になった舟木淳先生による音楽劇『窓際のトットちゃん』が載っていた。どんな演出なのか楽しみであり、ご挨拶を兼ねて観に行く予定なので、残念ながら決勝戦は見られない。

 今日は、何年ぶりかで井戸掘りの依頼を受け、現場を見て来た。能登半島地震を見ていて、井戸の必要を感じたと言われる。依頼主は、私が地域新聞を発行している時からの知り合いで、町長選挙に出た時は本当にいろいろと応援してもらった。

 工夫することが大好きなご主人は、表具師なのにその技術を伝える教室まで立ち上げていた。そればかりか、父親の体質を受け継いだのか長男さんも、細かな手作業で宅配ボックスに、荷物が届いたことを知らせる仕組みを作っていた。

 それだけでも充分感心させられたのに、2重ガラスの引き戸で、夏も冬も快適に暮らせる工事をしている。それに、絶対に破れない網戸まで見せてくれた。2重ガラス戸の工事には、行政から半額援助が出ることも教えてくれた。

 表具よりも2重ガラス戸の設置が、今はメインの仕事になっているという。井戸は草花への水遣りのためだが、地震に対する備えの意味が大きいようだ。依頼を受けたからには期待に応えたいが、何しろ「井戸掘りおたすけ」は高齢化してしまった。

 私たちの後を受けて井戸掘りを続けてくれる人も、途中から加わったので手順がしっかり分かっていない。しばらくは私たちも一緒に作業し、彼に覚えてもらうしか無い。能登半島地震で、井戸の大切さはいっそう高まってきた。

 シルバー人材センターに、井戸掘りチームが出来ればいいのにと思う。緊急時に使える井戸がいくつかあれば、ずいぶん助かるはずだ。もう一度、井戸の必要性を訴えていこう。

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孫娘は尾崎豊など知らないかな

2024年03月29日 17時49分02秒 | Weblog

 青い空、まるで急に初夏が来たように暑い。今日が最後になりますようにと願いを込めて、法務局へ出かけた。書類を提出し、4月8日までに呼び出しが無ければ完了となる。スッキリと、今日の天気のように終わりたい。

 車のラジオから、尾崎豊の歌が流れて来た。私はもう、オジサンになっていたはずなのに、尾崎豊の歌を最初に聴いた時、歌と同じ10代に戻っていた。尾崎豊のファーストアルバムが発売されたのは1983年というから、私は39歳になっていたのに。

 それでも共感して聴けたのは、10代の頃の感性のせいだろう。私は真面目な高校生だったが、通っていた普通高校の授業に嫌悪していた。バンカラが校風の学校だったが、教師は大学入試のことばかり口にした。

 新聞部の機関紙で、生徒の萎縮を取り上げると、校長室に呼び出された。それならと、自分たちで金を出し合って新聞を作り、登校して来る生徒に配ったりした。同級生の中には、学生服の裏生地に龍や虎の絵のあるものを着て、不良ぶっている者もいた。

 喫茶店に入ることも、男女の交際にも厳しかった。多くの同級生が、なんというバカらしさかと思っても、目立って反抗することも無く、「いい大学」へ行くことだけを目的に日々を送っていた。それでも書くことが好きな友だちは、自主出版の「本」を発行した。

 生きている意味を求めて、私はキリスト教会に通い、自分の恋愛に浸っていた。「あなたはあなたが作り上げた私が好きなだけなのよ」。「僕は、君が僕ではなく、他の男性と文通していることは知っている。それを止めてくれとも思っていない」。

 寛容であることが愛の証と思っていたのだろうか。尾崎豊の歌をキチンと聴いてみたい。今度、孫娘が来た時、アマゾンで買ってもらうつもりだ。そんな操作も出来ないジイジなのに、尾崎豊の歌が聴きたいなどと言ったら、笑われてしまうかな。

 そもそも孫娘は尾崎豊など知らない、むしろ長女の高校時代だったかも知れない。夕陽が眩しく輝いている。

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芸術の範囲と価値が変わってきた

2024年03月28日 17時40分57秒 | Weblog

 午後4時過ぎ、気が付くと雨が降っていた。次女一家は今日、茨城県から甲子園のある西宮へ引っ越す。テレビを点けてみると、甲子園は雨が降っていないのか、高校野球大会が行われている。雨降りの引っ越しは、いくら業者任せでも嫌なものだ。

 今朝の中日新聞に、「次期学長セクハラ調査」の見出しがあった。名古屋芸術大学の次期学長に予定されていた人から、背中や頭をなでられたと、複数の女子学生からセクハラの訴えがあり、大学側が調査委員会を設置したとある。

 私は、現学長の竹本先生に大変お世話になった。先生から著書を頂いたが、余り私が興味を持つような本では無かったからか、書棚のどこかにあるはずなのに探しても見つからない。西春町に文化勤労会館が出来た時、ここを拠点に活動する市民オーケストラを創ったらどうかと町長に提案した。

 町長の賛同を得て、オーケストラの団員募集を始めた。その当時の名芸大の大島学長に、「誰かいい、指導者はいませんか」と話したところ、竹本先生を紹介された。それで竹本先生に、「音楽が好きなら経験が無くても団員になれる、そういうオーケストラは無理ですか」と尋ねた。

 一蹴されると思ったが、「いいと思います」と返事を頂いた。以来、長期に渡って市民オーケストラを指導し育ててもらった。学長になられた時も、「芸術大学がある街」として、大学が協力することに、努力してもらった。

 ところが、理事会から大学への出入り禁止の処分が出た。これはもう、理事会が竹本学長の権限を抑えようとしているとしか、私には映らなかった。今度は次期学長のセクハラ問題が浮上したから、竹本先生は学長に戻れるかなと希望を持った。

 名芸大に詳しい知人は、「東の音楽関係学部と、西の絵画関係学部との争い」と解説する。絵画関係は卒業しても就職口が無く、入学希望者は少なかったが、今日のアニメブームで人気が出ているそうだ。先日、卒展を観に行ってもよく分かった。

 芸術の範囲と価値が大きく変わって来た。どうなるのかと心配してみた。

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春うららのひと時だった

2024年03月27日 18時09分52秒 | Weblog

 今日は水曜日、カミさんは眼科を受診する予定日だったのに、「別に今日でなくてもいいから、午後からどこかへ行かない」と誘って来る。昼でもモーニングを提供する喫茶店があるから、その店に行くのかと思ったら、昼食は却下された。

 高校野球が見たかったのだ。第1試合は三重の宇治山田商と千葉の中央学院、圧倒的に中央学院の勝利に見えたのに、宇治山田商が粘りを見せた。結果は6対7で、かろうじて中央学院が勝った。

 第2試合は青森の青森山田と広島の広陵の試合で、息詰まる展開だった。両チームの投手の投げ合いで、なかなかランナーを出すことが出来ない。青森はヒットすら出なかった。これは広陵が勝つなと思って見ていた。

 7回までは0対0だったのに、8回に広陵が2点を先取し、これで終わったと思ったが、その裏に青森山田が2点を上げて追いついた。さらに、9回に広陵が3点を上げ、もう決まったと思ったが、青森山田が同点にして、10回のタイブレークとなった。

 試合巧者の広陵の勝利と思って見ていたが、先攻の広陵は得点出来ない。そして青森山田は激的な勝利を導き出した。「アメリカの大リーグも大したことないね」と私が言った時、卒業生が「それは違いますよ。プロに比べて、高校生は真剣にやっているだけで、実力は大違いです」と教えてくれた。

 夢を追っている高校生と、生活のためのプロ選手の違いと納得した。試合が終わって、小牧のメナード美術館へ出かけた。メナード美術館は小さいが、ここの学芸員の企画は面白い。今回のテーマは「花ひらく春」で、花を集めている。

 何度も通っているから、以前も見た作品なのに、テーマの紹介に魅かれてしまう。平日なのに駐車場が満車だった。困ったなと思ったら、係りの高齢の男性が隣の駐車場を指示してくれた。会館の中も私たちのような高齢の夫婦が多かった。

 絵画を観たり、音楽を聴いたり、映画や芝居を観たり、やっと余裕が出て来たのかも知れない。天候もよく、春うららのひと時だった。帰りは、いつでもモーニングの喫茶店でコーヒーを飲んだ。ここもやはり、高齢者で埋まっていた。

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「昨日は人の身 今日は我が身」

2024年03月26日 17時17分46秒 | Weblog

 喫茶店で高齢の女性たちが、大谷翔平選手のことを話していた。どこへ行っても大谷選手は話題の中心だ。「大谷君は、ウチの中学生の孫と同じくらい、子どもだね。世間が全く分かっていないもの」。「でも、しっかりした奥さんらしいからよかったわね」。「中学生カップルといったレベルよ」。

 他人のことは何とでも言える。もし、我が子であれば、そんな悠長なことは言っておれないだろう。公務員や学校の先生が、盗撮したと話題になっている。「とてもキレイな脚だったので、つい」スマホを向けたと弁明していた。いくらキレイでも、盗撮したら犯罪でしょう。でも、その心理、分かる。

 神戸大学のバトミントン同好会が、富山県での春合宿で信じられないドンチャン騒ぎをして、大学幹部が記者会見して謝罪していた。障子戸を破り、そこに顔を突き出していたり、胴上げして天井に穴をあけたり、壁にキムチを塗りつけたり、備品を壊したり、全く大学生とは考えられない行為の数々だ。しかもSNSで発信されている。

 酔っぱらって、ふざけ合ったのだろうが、小学生が修学旅行で枕投げをする、レベルを超えた迷惑行為だ。大学が謝罪会見する前に、イタズラした本人たちを記者の前で謝らせた方がいい。60年安保や70年学園紛争の時も、学生たちは大学の器物を破壊し、公道で暴れたりした。あの時はそれでも、大義があった。

 大谷選手の通訳を勤めていた水原一平さんの、違法賭博が問題になっている。おばさんたちは大谷選手が「シロ」だと信じているし、私もそう願っているが、どんな展開になっていくのか心配だ。人は金に弱い。真っ当に働いて得る金は大事に遣うけれど、賭博で得るともっと儲けようとする。「昨日は人の身 今日は我が身」。

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春めくのはいつからだろう

2024年03月25日 17時24分27秒 | Weblog

 ロシアのモスクワ郊外のコンサート会場へ武装した複数が乗り込み、大勢の人が殺された。コンサート会場で何が行われていたのか、武装した連中が何を目的に銃を乱射したのか、全く分からないが、イスラムの過激派組織「イスラム国」の犯行のようだ。

 それにしても、モスクワはロシアの首都、プーチン専制下で厳重に警戒されているはずなのに、どうして銃を持った連中の行動を阻止できなかったのだろう。プーチン大統領にとって、決してプラスになる出来事ではないはずなのに。

 武装した連中は、「迷わずに殺せ」と言っていたそうだ。訓練を受けた兵士だったのだろう。ロシアとウクライナの戦争でも、銃を持った兵士が互いに撃ち合うよりも、最近では遠くからのミサイル攻撃であったり、ドローンによる攻撃であったりしている。

 第1次世界大戦では大砲による攻撃から戦車に替り、第2次世界大戦になると飛行機による空からの爆撃が加わった。見えない相手に対しては、何の躊躇もいらなくなる。兵士も民間人も関係ない、皆殺し作戦になってしまった。

 かつて、無党派市民派の勉強会で一緒だった女性が、大府市議の補欠選挙に立候補していたが、昨日の投票で落選した。いったん市議を退いたのに、どうしてまた立候補したのか私には分からない。彼女がFacebookで発信している様子を見て、厳しい気がした。

 今朝の新聞に、投票率が24%とある。これでは当選は無理だろう。自民党に対する不信が広がっているのに、全国の県知事選や市長選では、自民・公明が推す候補者が当選している。自民党の裏金問題は、二階元幹事長の引退で幕引きになりそうだ。

 明日もまだ、寒い日が続くようだ。法務局への提出書類は書けていない。やる気がすっかり失せてしまっている。マンションは外壁工事のため、黒い幕で覆われていて、外の景色が見えない。春めくのはいつからだろう。

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みんなが繋がっていけるといいのに

2024年03月24日 17時47分42秒 | Weblog

 選抜高校野球大会は朝からの雨で中止になった。困った、見るテレビが無い。NHKのど自慢を観て、カミさんがいないので喫茶店に食べに行って来た。パソコンの前に座って操作していると、大府高校野球部監督の送別会がアップされていた。

 大府は父の妹夫婦が、桃山公園に登って行く辺りに住んでいて、子どもの私は何度か行ったことがあるが、その頃は高校は無かった。叔母の家には、私より下の女の子とその下に男の子がいた。大府の子どもたちは名古屋へ出るか、刈谷にある2つの高校へ来るようだった。

 叔母は刈谷にあるもう1つの高校で、事務をしていた。私が通っていた刈谷高校に、石膏像が無かったので高3の2月、叔母に頼んで同校の美術室でデッサンをさせてもらった。1月に父が亡くなり、急に美術科を受験することにしたからだ。

 叔母の長女は私と同じように、高校の国語科教師になったようだが、どこの高校なのかも知らない。大府高校が創立されたのは、いつなのだろう。私が大府高校の名を知ったのは、大府高校野球部が甲子園大会に出場したからだった。

 その時の投手が、後に巨人で活躍した槇原投手で、バッテリーを組んでいたのが後に、同校の野球部の監督、馬場茂校長だった。16日の馬場校長の送別会には槇原投手はじめ、教え子として選抜大会に出場した阪神OBの赤星憲広さんらが集まったとある。

 大府高校とは何のかかわりも無いのに、大府の名を見ただけで懐かしくなる。こんな風に、人は繋がっていくのだろう。同郷とか、同年とか、共通なものを媒介に、親しみを感じるようだ。みんなが繋がれば、差別や排除は無くなるだろうに。

 気になってテレビを点けると、尊富士が優勝杯を受け取るところだった。よかったネ。

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私たちに残された時間はもう少ない

2024年03月23日 17時41分37秒 | Weblog

 朝から雨、テレビを見ていたら、グラッと揺れた。地震だと身構えたが、続いてグラグラ揺れることは無かった。震源地は岐阜県美濃辺りと速報が流れた。いよいよ東南海沖地震がやってくるのだろうか。1月1日の能登半島の地震以来、日本各地で地震が続いている。

 地球の地殻そのものの、活動が活発になっていると唱える人もいる。確かに、いろんなところで地震が起きているし、地震とは関係ないかも知れないが、大きな自然災害が発生している。地球に何か、転換期が来ているのかも知れない。

 卒業生が「書名がおもしろかったので」、思わず買ってしまったという、辻堂ゆめさんの『答えは市役所3階に』を読み始めたら、止まれなくなった。とりあえず第1話を読み終えた。吉本新喜劇を2本続けて観なければ、もっと先まで読むことが出来たのに。

 出版は2020年、世の中はコロナ禍で大騒ぎの時、コロナが私たちの生活にどう影響したかを題材にしている。細々とした日常が描かれているが、そこに、個別にかかわる苦悩や恨みを抱え込んでいることがよく分かる。

 中学からの友だちがブログに、公園の駐車場に止まった車の男女を観察し、「不倫に違いない」と書いていた。後から来た女が、止まっていた車に乗り込むと、運転席の男は微笑んで迎え入れ、ゆっくりと車を発車させた。女が40代、男が50代と推測していた。

 彼のブログによく登場する題材だ。それで私は、「小説を書いたら」と勧めている。羨ましく思うよりも、男と女の惹かれ合う意味を掘り下げて欲しいからだ。いつだったかクラス会の時、「不倫したことがある人?」と問うと、男も女も何人かが手を上げた。

 真面目で絶対に不倫しないだろうと思った男も、子ども会を通して知り合った女性との関係が続いていると告白した。ブログを続けている同級生も、取り引き先の受付の女性や飲み屋の女性に下心を持って接近したことを書いている。

 それが男と女の宿命というもの、ぜひ小説に仕上げて欲しい。読み応えのある物語になるか否かは、掘り下げ次第だろう。大いに期待している。何しろ、私たちに残された時間はもう少ない。

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また今夏、ガンバレと声援を送る

2024年03月22日 17時42分39秒 | Weblog

 「こんにちは。70歳の古希を祝う時に開催するはずだったクラス会も、何とか開催出来そうな気配となりました」と、案内状を頂いた。案内状には1年の時の、クラス写真が載っていた。私が愛知工業高校のデザイン科の教員となって、初めて担任したクラスで思い出深い。

 昭和42年に教員となったが、1年目は担任が無く翌年、新任の7人はそれぞれ担任となり、張り切っていた。デザイン科は皆、個性的で面白かった。留年して1年を再びやり直すことになった生徒もいたし、父子家庭で遅刻の常習者もいた。私は軽自動車で通勤し、毎朝、彼を迎えに行った。

 お父さんが何をしていたのか、授業料が滞納になっていた。「就職したら返す」と言うので、私が支払ったが約束は守られなかった。進んでルーム長に立候補した男に遠足の時、「カメラを貸して」と言うので渡したが、それっきり戻って来なかった。

 音楽好きの子も何人かいて、よくギターを弾いて歌っていた。今度のクラス会でも歌ってくれるようだ。この子たちの1年の秋に、私は結婚した。デッサン室でお祝いの会を開いてくれたし、何人かは私の新居であった江南団地まで遊びに来てくれた。

 私は、昭和48年に小牧工業高校へ転勤となるまで、愛工での担任は1年が4回、2年と3年が1回だったが、クラス写真は1枚も持っていない。卒業アルバムは教師にも配られると思っていたからだ。後から聞くと、「注文して、金を払う」ことだった。

 愛工は今、東山工業高校と統合され、愛知総合工科高校となった。私が在職していた時のように、デッサンすることも面相筆を使うことも無く、もっぱらパソコンを使った作業を学習しているようだ。時代は大きく変わってしまった。

 選抜高校野球で愛工大名電は、兵庫の報徳学園に延長戦で負けた。6回に先取点を上げたが7回に追いつかれ、延長戦になった。10回に1点入れた時は勝ったと思ったのに、その裏に2点入れられ終った。また今夏、ガンバレと声援を送る。

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