友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

担任の娘さんから届いた段ボール箱

2019年01月15日 17時39分02秒 | Weblog

 天気予報通り、午後から雨粒が見えない雨降りになった。友だちのお姉さんたちは、もうアメリカの家に着いているだろう。日本にいる間は本当に天候に恵まれた。到着した翌日の雪景色は素晴らしいプレゼントになった。31日の除夜の鐘は突くことが出来なかったが、風もなく穏やかで、寒さも厳しくなかった。11日の下呂温泉は雪景色を期待していたがダメだった。おかげで名古屋城を見学出来た。

 毎日一緒にいた訳ではないのに、帰国してしまうと何故か虚脱感がある。今朝、中学時代の担任の娘さんに小包で復刻版のクラス誌3冊を送った。実家を訪ねた時、親戚の方から先生のカミさんのお兄さんの住所を教えてもらい、そこに手紙を書いて、息子さんか娘さんに渡してくださいとお願いした。北九州市の大学に務めているという息子さんからお礼の手紙をいただいた。そして年が明けると東京に住む娘さんから段ボール箱が届いた。箱の中に手紙が入っていた。

 「お正月に帰省しました折に、畑のミカンをたくさん採りましたので召し上がって下さい」とある。先生が子どもや孫のために植えたもので、先生自身は「口にすることもなく亡くなった」とあった。そして先生がワープロで書いた日記のような思い出や、随筆、取り組んでいたボランティア活動の記録などが封筒に入っていた。「父は文章を色々書きためていたようですが、実家のどこにあるのかよくわからず、私の手元にあるものだけ送らせていただきました」と添えられていた。

 先生の書いたものを見ると、短気で頑固で几帳面で真っすぐな先生の性格そのものという気がした。脳梗塞になった後、介護のことや地域活動にも取り組まれていたようだ。集められた資料なども先生らしくきちんと残されている。私はいつの間に先生の影響を受けたのか、同じような記録クセがあるが、先生のような几帳面さには欠けている。担任の時は、「すぐ怒る、怖い先生」だったが、卒業して「神経質なくらい気配りの人」と知った。

 私は兄がクラス誌を持っているなら妹にもと思い、中学からの友だちのブログで先生のことに触れた最近の記事と一緒に送った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする