友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

誕生日会

2013年08月31日 14時30分13秒 | Weblog

 今晩は久し振りの誕生日会。誕生日を祝っての食事会だが、要するに飲み会である。男たちは飲めれば何でもいいのだが、1品持ちよりの食事会がいつの間にか2品、3品と品数が増えた。料理に加えて会場となる家庭の準備が大変だからという女性たちの言い分から、ひとり暮らしの家庭を除いて、4軒だけを受け持ちにした。だから誕生日会は1年に4回、当番は1回だけとなった。全員が60代と70代だからこんな風に和気藹々と続けてこられたのだろう。

 以前はもう少し、誕生日以外にも理由をつけて集まって飲み会を開いていたけれど、最近はそんな機会も少なくなった。夏は、広いルーフバルコニーのある我が家でビアパーティが定番である。ところが今日はどうだろうか。今は陽も差しているけれど、夕方からは雨になると予報されている。こんな時が一番困る。朝6時半にはルーフバルコニーの手入れをし、ホースで水を撒き、デッキブラシで掃除もした。

 それから念のため、雨降りに備えて居間も掃除をして、こちらでも出来るように準備をする。カミさんと準備の手順で息が合わないことが多い。何を大事にするかという基準が違うから仕方がない。特に今日のように、雨なのか晴れなのか分からない場合、居間の方を優先して準備をすればいいのだが、せっかくなら星空の下で開きたいという欲もあり、2重に準備をすることになる。私たちだけでなく、子どもや孫も来ていいよと言ってあるから、下は4歳のひ孫から集まると20人ほどになる。おっと、「そろそろ支度して!」と声がかかったので、今日はここまで。

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キング牧師の演説から50年

2013年08月30日 18時58分47秒 | Weblog

 「I have a dream」とキング牧師は演説した。「私には夢がある。いつの日か、私の4人の幼い子どもが肌の色ではなく、人格そのものによって評価される国に住むことを」。あれからもう50年になるという。その同じ場所で、オバマ大統領が演説した。黒人の大統領が生まれると50年前は誰も思わなかった。確かにオバマ大統領が言うように、「人々が行進を続けたからこの国は変わった。より自由で公平な国になった」。

 けれども、差別は今もある。ニューヨーク市警が行なっている職務質問と身体検査は黒人やヒスパニックを狙いうちにしていると裁判所が違憲と判断した。黒人議員が生まれ、黒人大統領も誕生した。けれどもそれは一部の恵まれた成功者に過ぎない。差別撤廃がなかなか進まない現実は黒人の失業率が白人の倍近くあることからも分かる。黒人やヒスパニックに身分証明書の提示を義務付けたり、期日前投票を制限したりと、投票をしづらくする法律が複数の州で成立しているそうだ。

 「Yes We Can!」と新しい時代の到来を語ったオバマ大統領だった。プラハでは核兵器の廃絶演説も行なった。オバマさんを支持した人々は戦争のない世界へ進むと信じた。ところが今、オバマ大統領は大量破壊兵器である化学兵器をシリア政府が市民に使用したとして、「化学兵器をやめろと告げる矢を放つ(武力攻撃をする)ことは、長期的にはアメリカの安全保障にとって、また一般市民に対して化学兵器が2度と使われてはならないという意味で、効果がある」と発言している。

 アメリカのシリア攻撃は人道的な攻撃だというのだ。化学兵器による死者も、「人道的な」ミサイル攻撃による死者も、どこに変わりがあるというのだろう。殺すことは許されない行為というなら、どんな理由があっても殺してはならないはずだ。イギリス政府もフランス政府もアメリカのように直接攻撃には参加しないようだ。それは世論調査で攻撃を支持する人の倍が攻撃に反対しているからだ。この数字はアメリカも同じで、反対が賛成の倍ある。

 人道的な立場で紛争解決の先頭に立つのであれば、全ての兵器の廃絶を具体的に提案すればいい。アメリカはそれが出来る国であることは間違いないと思う。

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出来ると思う人だけが成功する

2013年08月29日 18時39分46秒 | Weblog

 今日も昨日に続いて井戸掘り。拳くらいの石また石ばかりで一向に進まない。しかも今日は3人で人手も少ない。適当にやろうなどとたとえ思ったとしても、力を抜けるような場面がない。掘る道具を回す人、穴に入ってそれを補佐する人、掘り取ってきた石や砂をかき出す人、彼は同時に道具の交換や道具の始末をしなければならない。要するに、誰がどこの分担になっても楽な仕事はひとつもないのだ。

 余り頑張り過ぎるとみんなでへたってしまうので、適当なころあいを見計らって「休憩にしよう」と一番力を使い果たした人が声をかける。木陰に座り込んで、お茶を飲む。初めは冗談も出ていたけれど、そのうちに黙って飲むだけになる。声を上げれば、「こんなに石が多くては掘れない」と愚痴が出そうになるので、取り出した石を見せて、「ちょいとやればこんな石だってちょろいものだ」と気を遣う。

 それにしても今日も暑かった。時々近所の人が作業を見に来て、「水は出ますか?」と聞いて行く。取り出した石の山を見せて、「こんな石が次々に出てくるので苦戦しています。何とも言えませんが、この石の層の下には水はあると思います。とにかく掘っていく以外にないので、もう少し頑張ります」と営業上手が説明をする。おそらくその説明に間違いはなく、手堀り以外で重機でも使えばもっと楽に掘れるのかも知れない。

 借りたアメリカ製の道具はなかなかの優れものだ。水圧では掘れなかった砂利や石の層でも、時間はかかるけれど何とか掘っている。石をうまく道具の刃先に取り込めば、それで石を取り除くことが出来る。根気が要る。いくら石を取り除いてもまた石にぶつかってしまうから、確かに嫌になるし、イライラも募る。それでも、この方法しかないのだから、気長にやるしかない。「ダメかも知れないと思っている人に成功はない」、つまり「出来ると思う人だけが成功する」。なるほどと思う。

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やっと井戸掘り、でも‥‥

2013年08月28日 19時12分44秒 | Weblog

 本当に申し訳ないと思っていたけれど、面と向かって「水が欲しい毎日でした」と言われると、素直な気持ちであっても皮肉っぽく聞こえてしまった。「この暑さでは私たちが倒れてしまいます」と皮肉の応酬である。確かに依頼主さんは水が欲しかったと思う。あんなに暑い日が続いたのだ。今日、お邪魔して畑を見ると、野菜が大きく青々と育っている。かなり水撒きに専念されたことだろう。

 ここの土質は砂地だけれど砂利が多い。「昔は川底だったのだから水は出るはず」と言われるけれど、それだけに石にてこずっている。川底には砂利や玉石が多い。私たちがやってきた水圧を利用して掘る方法では、しばらくは掘れたけれど、砂が流れ出れば出るほど砂利が溜まってしまい掘れなくなった。そこで手押しポンプを製造している会社の紹介で、手掘り道具で掘っている会社からその道具を借りることにした。

 夏休み中は道具の貸し出しが続いていて、昨日やっと届いた。暑さも少し収まったので、丁度よいとばかりに今日出かけた。結論から言えば、しかしまだ水脈まで至らなかった。1ヶ月以上にわたって放置してあった現場で、アメリカ製という道具で掘ってみると、面白いようにどんどん掘れた。私たちが掘った穴が雨で砂に埋まった分である。そこからがこの道具の見せ所と頑張るが、またまた石にぶつかった。拳よりも少し大きめの石が穴の底に微かに見える。

 困ったと思っていたら、器用な人がいて、木の棒を2本結び、それを穴の中に入れて拳ほどの大きさの石をつまみ出してくる。少し掘ってはまた石にぶち当たり、この原始的な道具で石をつまみ出す。そんなことを何度も何度も繰り返す。「私は気が短いから、どんどん掘れんとイライラする」と言うが、自分が考案した原始的な道具で石をひとつまたひとつとつまみあげることにかなり熱中していた。

 遅々とした動きだが、それでも1メートルほどは掘り進んだ。前回からの合計で、3メートル50センチほどになる。出来ればこの倍、7メートルくらいは掘りたい。となると、まだ2日か3日はかかりそうだ。気長にやろうよと言いつつも、もっと早く水が出てこないかと欲が出る。なかなか立派な大人になれない。

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歴史を知ると面白い

2013年08月27日 18時24分46秒 | Weblog

 冬季オリンピックが開かれるソチは黒海に面したリゾート地で、プーチン大統領の別荘もあるそうだ。ソチはグルジア共和国のすぐ隣にあり、街の北には高い山々が迫っている。スキー競技はこの山で行なわれるのだろう。地図を見ると、ソチの東にクリミア半島がある。この半島の先端のリゾート地ヤルタのリヴァディアン宮殿で、「大戦終結後の平和構築と、敗戦国の分割統治を決めた秘密会議」が行なわれたと中学の歴史で学んだ。

 1945年2月3日、アメリカのルーズベルト大統領、イギリスのチャーチル首相、ソ連のスターリン大統領が一堂に会した。勝者による分捕り合戦の場である。元外務省の職員で、ロシア大使館に勤めた後、国際情報局分析第1課に在籍し、鈴木宗男がらみで逮捕され、現在は文筆活動をしている佐藤優氏流に言えば、「会場がヤルタに決まった段階で、スターリンの勝ち」だったのだろう。

 スターリンの腹心、秘密警察長官ベリヤは会場決定からわずか3週間で会場を作り上げたという。家具や寝具や食器、食糧もモスクワから直送させた。当然のことだけれど、宿舎内には盗聴システムと監視カメラが設置された。3人によって強烈なやり取りが行なわれたかと言えば、どうもそうではなかったようだ。私も中学の歴史の時間に、ヤルタ会談の写真を見たが、ルーズベルトは元気のない顔をしていた。

 2月のクリミア半島は凍りつくような寒さで、空港からヤルタまでは峠を越えて6時間もかかったと同行したチャーチルの娘サラは書いている。ルーズベルトは出発の2ヶ月前に大統領選挙に勝利したものの体力は消耗していた。さらに夫婦は別居状態で、ルーズベルトの心は妻には向いていなかった。気力は衰え、歩行は困難で、車椅子を必要としていた。「頬はこけ、目は空ろ、痩せた身体から背広が浮いていた」とある。討議に積極的に関わる熱意はなく、終始無言だった。

 だから、会談はスターリンの一人舞台だったのだろう。スターリンは上機嫌で、「お互いに相手を欺くことだけはよそう」と宴会で何度も祝杯を挙げたという。イギリス主催の晩餐会でチャーチルは「スターリン万歳」を三唱した。娘のサラは「スターリンは陽気で親しみやすい」と書いている。ヤルタ会談から2ヵ月後、愛人と一緒にいたルーズベルトは急死した。チャーチルは総選挙で労働党に敗れた。スターリンは死後の1956年、フルシチョフ首相によって批判された。歴史を知ると面白い。

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『半沢直樹』の痛快さは?

2013年08月26日 18時01分37秒 | Weblog

 ドラマ『半沢直樹』を観た。なるほどサラリーマンだった人々が喜ぶのも無理はないと思った。水戸黄門や遠山金さんのように上から悪を退治するのではなく、いかにも現代版にふさわしく下から悪に立ち向かっていく。現実では考えられないことなのに、展開されているのはどこの職場にもあることばかりだ。原作者は池井戸潤さんという元銀行員だ。銀行の窓口はどこも丁寧で親切だけれど、融資となると大変厳しい。

 私もマンションを購入する時、購入資格に足りない部分があったけれど、幸いなことに運命の巡り会わせなのか、支店長が高校の後輩だった。彼は私のことをよく知っていて、「生徒会長、任せてください」と言う。ドラマ『半沢直樹』でも、大学の同期生が何かと彼に情報を提供してくれるし、半沢もまた同期生を助ける。昨日のドラマでは、電機会社に出向させられ、そこでは経理部長なのに「銀行さん」と、部下にバカにされている同期生を、「大学の時を思い出せ」と叱咤激励する場面があった。

 大人の社会は、たとえば製品が優れていれば相手は購入するかといえばそうでもない。たまたま出身校が同じとか、故郷が近いとか、同じ趣味とか、そんなことで結びつくことがある。同じ出身校というだけで相手を信用することに驚くけれど、それほど結束が強いということだろう。そして結びつきができれば、力関係が上下であっても全く一方的にはならずにギブ アンド テイクになっていく。

 大手の広告会社に勤めた友だちは、「企業の中はあんなものじゃーないわよ」と言う。パワハラもセクハラも、女同士の引っ張り合いもあったことだろう。そんな中で、あくまでも不条理な権力に立ち向かっていく半沢直樹は、現実の社会では絶対に出来ないことをやっていくから、「観ていてスカッとする」のだろう。あれだけ上司に逆らえば当然左遷だろう。けれども半沢は相手の弱みを握っていて、「やれるものならやってみろ。必ず倍にして返してやる」と捨て台詞を吐く。

 いつもはニコニコと優しさとひ弱さがにじみ出ている堺雅人さんが、目を吊り上げて怒鳴ることの意外性が受けているのかも知れない。「どうしてこのドラマは大声で怒鳴るの。そんなに威圧的な言い方しかできないの」と男の本性を突く女性がいたけれど、男が大声をあげる時はたいてい相手を威圧する時だ。動物が吠えるのと同じだろう。男は勝たなければならない運命を背負っているのだ。観ていて痛快さは覚えたが、余りにも現実離れしていると感じてしまった。

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何がよくて、何が悪いのか

2013年08月25日 18時22分47秒 | Weblog

 夕方になって、陽が差してきた。雨降りのせいで空気も清々しい。これで秋に近づくのだろうか。NHKがイジメを無くすための番組作りをしていくという。何がよいことで、何が悪いことなのか、絶対なものはなく相対でとらえることが、曖昧さを蔓延させてきた。私自身は、曖昧であることの方がよいと思っている。しかし、世間は基準があった方がよいらしい。それならば、いろんな意見が発せられるようにまず保障すべきだろう。

 漫画『はだしのゲン』を松江市の教育長は校長会に頼んで閉架図書に追いやった。憲法は思想・信条の自由を謳っているのに、大阪市の橋下市長は「公務員は国家に忠誠を尽くすべき」として、日の丸・君が代を強制する。また憲法は、改正を提案するのは国民と定めているのに、安倍内閣は国家公務員でありながら、憲法改正を言い出している。何が正しいのか、その時の政治や社会情勢で考え方も変わり、主流が変化する。それは仕方のないことで、堂々と議論し合えばよい。

 旧日本軍がひどいことをしてきたことは事実なのに、それを認めることは戦争に行った兵士の皆さんを辱めることだとか、日本民族を賤しめる自虐史観だと言う。戦争は殺し合いだから理性など存在しない。相手をいかにたくさん殺すかという世界だ。奪い、犯し、殺すのが当然の行為なのだ。だからこそ、戦争をこの世から無くさなくてはならない。それが今、生きている人間の使命だと思う。

 けれども今もなお、シリアでエジプトで世界の各地で、考え方が違うとか、信じるものが違うとか、虐げられているからとか、反抗するからとか、理由は何であれ殺し合いが行なわれている。日本は平和でいいなと思っていたら、子どもたちの7割がイジメを体験しているとか、大企業の社員の2割が心の病だとか、福島の事故のあった原発やタンクから汚染水が海に流れ出ているとか、挙げればきりがないくらい「悪いこと」が起きている。

 誰もが「間違っている」と思うことでも、それを止めることが出来ない。絶対に正しいことが存在しないように、絶対に間違っていることも存在しないのだろう。利害やさらに国益などというもので、曖昧なものになっている。どうすればいいのだろう。議論する以外にない。議論できなくなった時は終焉を迎えるのだろうか。

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夏祭り

2013年08月24日 17時48分53秒 | Weblog

 雨はそんなに降らなかったのに、今朝からかなり涼しくなった。隣りの小学校の運動場では朝早くから夏祭りの準備が行なわれた。昼からはマイク調整のためか、歌が流れ、マイクからは「アー、ヒー、ホー、ヘー」などよく分からない言葉が聞こえてくる。祭りを準備してきた人たちにとって、雨に降られないことが何よりなのだろうが、こうした涼しい風は格別に快いのではないだろうか。

 人は祭りが好きだ。世界中どこへ行っても祭りのない国はない。祭りは収穫への感謝とか、安全を祈願するものとして、自然に生まれてきたのだろう。人々は集団で暮らしてきたから、そのためには心をひとつにするものが必要だったはずだ。それに生活を維持するためには働き続けなくてはならないが、それでは疲れ果ててしまう。そこで祭りが必要だったのだろう。どこの祭りにもそうした目的が備わっている。

 集団が組織化されると、権力を持った者はその維持に努めるし、権力を持たない者は不平や不満を持ち、抗議や暴動にまで発展することもある。祭りはそんな不平や不満のガス抜きに使われてもきた。祭りの時は無礼講で、多少の破廉恥が許されたのもそのせいだろう。暴動は若者たちが中心となるから、その若者たちが異性にめぐり合い、性を歓喜する機会としたのだろう。日本は特に性についてはおおらかな国と言われているが、世界中でどこでも祭りの時は開放的になるようだ。

 悩みや苦しみのない人はいない。どうしてこんなに報われないのかと思い、他の人もそんなに差がないのに「隣りの芝は青い」と思ってしまう。信仰心がある人もない人も、なぜ自分ばかり不幸なのかと恨むことが多い。不公平を口にする人も祭りの時は気持ちが高揚する。1年に1回や2回、そんな日があってもいいじゃーないかと思う。ただし、祭りにボケて、現実を忘れないようにしなければとも思う。人は結構忙しい存在なのだ。

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瀬戸内寂聴と藤圭子

2013年08月23日 16時48分26秒 | Weblog

 「あまりの暑さは判断力が鈍るよ」と他人に注意してきたけれど、鈍っているのは自分かも知れない。無気力になっているし、夜は早く寝ているのに、昼も恒例のように眠りについている。何かしなければという気持ちはあるのだが、何をしてよいのかわからない。それでも、カミさんがいなくても、お昼ご飯は自分で作って食べているから、欲望を全く失っているわけではない。朝のNHKテレビに、作家の瀬戸内寂聴さんが出ていた。「やれるだろうかって思ったらダメ。やりたいことはやるのよ」と言っていた。

 私は瀬戸内さんの小説を読んだことがないが、社会の常識に囚われない生き方のせいなのか、反体制の人々から支持されていた。「小説を書いたら世間は私小説だというので、それなら私小説を書いてやれと思って書いたら、受けたのよ」と言っていた。小説を書き始めた頃は、「子宮作家」と呼ばれていた。戦後からまだ間がない時代で、自由ではあっても常識は戦前と変わらなかったのだろう。作家として認められるようになるのは1963年の『夏の終り』からで、この小説で女流文学賞を受賞している。

 瀬戸内さんは実生活で不倫また不倫と重ねてきた。人生相談では常に不倫を肯定し、ダンナに隠して不倫相手の子どもを生みなさいとも言っていた。そんな瀬戸内さんも91歳、恋多き女は今も元気なようだ。他局のテレビニュースが、歌手の藤圭子さんが飛び降り自殺したことを取り上げていた。藤圭子さんは太く捨てバチな歌い方から、全共闘世代に支持されていた。彼女もまた、世間の常識に縛られない生き方を選んだ。貧しかった時代を生きてきた女性として、世間は不幸が似合う女性と勝手に作り上げたと思う。

 「よい子」で東京女子大に進んだ瀬戸内さん、「貧しくて、歌を歌えば食べ物が得られた」藤圭子さん、屈折した人生を歩いてきたように思うけれど、幸せは本人しか分からない。暑い夏が続いている。今日は処暑である。立秋から次へと変わっていくはずなのに、今年の夏は長い。無気力状態から一向に抜け出せないのは季節のせいなのか、歳のせいなのか、身体がダメなのか。

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韓国映画を観る

2013年08月22日 21時07分05秒 | Weblog

 建物の外に出ると、熱風が押し寄せてきた。カラッとした暑さではなく、かなり湿度が高く息苦しい。「韓国は自分勝手で嫌いだ」と言う友だちを誘って、市の国際理解講座「映画を通じて見る、韓国」に行って来た。70代より上の人たちは韓国嫌いが多い。そこへ竹島問題や慰安婦問題、靖国神社への閣僚の参拝問題などが続き、「自分たちだけが正義であるような発言は我慢ならない」と言うのだ。

 講座は、市の国際交流協会でインターンとして働いていた韓国の若い女性が講師を勤めた。韓国で映画製作が盛んになったのは1990年代からで、政府が後押ししたからと言う。映画の製作には大手の他にも自主制作などもあり、かなりの数になるようだ。日本でもショッピングモールと映画館が併設されているところが多いが、韓国も同じで複数の映画を上映するマルチプレスが主流になっているそうだ。

 韓国で話題になった映画や韓国と日本で共同制作した映画、互いにリメイクした映画などの紹介があり、最後に2007年にヒットしたという映画『食客』を観た。韓国の宮廷料理を受け継ぐ者は誰かという、料理人が腕を競い合う映画だ。最後のテーマは1910年に日本に合併され、「国を奪われた」最後の王様に、料理長が作ったスープを再現するというものだった。

 王様は失意のどん底にあり何も口にしなかったから、それでは身体に悪いと料理長はスープを作った。これを飲んだ王様は涙を流されたという。主役の料理人が作ったスープは韓国人の味であり、悪役が作ったスープは美しくきらびやかなもので、日本の伝統的なダシを基調とした日韓の文化が融合したものだった。韓国映画好きな私の妹に、「韓国映画はどこが面白い?」と聞いた時、「分かりやすい」という答えだったが、この映画もそんな感じだった。

 映画の力は大きい。韓国映画は日本人が忘れていた原点を見せてくれたけれど、きっといつか、韓国映画の中にも鬼才と言われるような人が生まれるのだろう。いやもう、生まれているのかも知れない。映画の輸出や輸入についてはまだまだ規制が厳しいと言うが、それでもいつか、みんなが自由に見られる時がやってくるだろう。

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