友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

映画『帰ってきたヒットラー』を観た

2018年09月30日 17時02分07秒 | Weblog

  NHKテレビの朝のドラマ『半分、青い』が終わった。主人公の鈴愛の突拍子もない言動の面白さや恋愛の行方で、女性たちの人気は高かった。私たちのような高齢の男性は、「どこがいいのか分からん」と言い放ち、「主人公役の女優は美人でもなく、どこにでもいる」と評価が低い。最近のNHKテレビは大河ドラマ『西郷どん』もそうだけれど、明るくひょうきんで嫌味や悪さがない。

 NHKテレビからシリアスな社会性に富んだ重厚なドラマが消えた。常識的で道徳的、誰からも非難されないテレビ作りに徹している。自民党議員から「偏向」と非難され、こんなにも自主的に「改編」してしまうと、「やっぱり偏っていた」と印象つけられてしまう。今日は台風24号の接近で、朝からズーと台風情報を流している。私が好きな『のど自慢』も無くなった。もちろん、国営放送なのだから台風情報を詳しく伝える使命があるから、決して文句を言う気はない。

 最近、観たいテレビ番組が少なくて、歌番組ばかり見ている。晩御飯が終わるとカミさんは食卓で眠り込んでしまうので、昨夜も、何かいいものはないかと番組表を見ると、BS朝日で『帰ってきたヒットラー』という映画のタイトルが目についた。映画はこれまた死んだはずのヒットラーが2000年代の現在に蘇るという阿保くさいものだった。蘇ったヒットラーは当然だが、昔のままなので、この世の中を何とかしなくてはと人々を捕まえて喋り捲る。おかしな言動のヒットラーに目を付けたテレビ局が視聴率アップのために利用する。

 ヒットラーは真面目に取り組むが、新ナチ党や移民排撃の極右団体からも邪険にされてしまう。ヒットラーは国民の不満や不安を捕らえて選挙で政権を握ったが、今のドイツも同じように不安や不満が溢れていることから、どう解決していくかを問う映画になっている。映画は2015年にドイツで制作されものだから、ドイツのジャーナリズムも「国民がヒットラーを選んだ」ことにメスを入れようとしていることが分かる。トランプ大統領の「アメリカ ファースト」に対する現代の課題でもある。

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台風の来襲前の妙な静けさ

2018年09月29日 17時12分50秒 | Weblog

  朝から雨が降っている。風はまだ強くない。台風24号は沖縄を襲来し、東北へ向かっていると言う。市民のための市民講座を担ってきた大和塾の「メンバーで同窓会を」という声を受けて、10月26日に開催するハガキを出したけれど、まだ4人から返事が来ただけだ。新任で出会った7人の仲間の集いをいつ開こうかとハガキを出したのに、こちらもまだ返事が来ない。

 みんな忙しいのか、あるいはどうでもいいのかも知れない。暇な私はただ待つだけ。恋しい恋しいと熱烈に思い続けていても、相手はそれほどでもなく、こちらの思いは伝わらないのが常だ。人種差別を扱ったフォークナーの『八月の光』、ボリス・ヴィアンの『お前らの墓につばを吐いてやる』を読んで、日本人作家の小説を読んでみたくなった。社会性よりも人の内面にあるものを描き、ノーベル賞作家となった川端康成氏の作品をと思ったが、我が家には『眠れる美女』しか見当たらない。

 初めて読んだ時は、官能小説のように思った。老人と裸で眠らされている若い女性と怪しげな館の女しか登場してこない。裸の女性の指や髪や首、乳房や乳首あるいは肌の艶などの描写はあるが、それだけだ。それだけで充分に官能的な妄想に包まれてしまう。でも、川端氏がなぜこのような小説を書いたのか、私には理解できない。もちろん、主人公の老人は67歳だから、それよりも7歳も年上の私は男としては更に枯れているから、老人の欲望はよく理解できるが、年老いた男の悲哀を書いて何が生まれるのだろうと思ってしまう。

 『眠れる美女』は昭和35年1月号の「新潮」に掲載された。川端氏は61歳である。そんな若い時に年老いた男の執念が本当に描けたのかと感心する。既に有名作家であったから、美しい女性たちを数多く知っていたことだろう。交わった女性も少なくなかったかも知れないが、そんなことを妄想させるのもやはり描写が克明で、読み手が勝手に想像していくからだろう。台風の来襲前なのに妙な静けさのこんな日は、川端作品を読むのにいいのかも知れない。

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やっと晴天下で運動会

2018年09月28日 18時03分58秒 | Weblog

  雨降りで延び延びになっていた、小3の孫娘の運動会が行われた。父母やジジババに見せる種目だけに限られ、徒競走などはなかった。真っ青な空の下、風もなく運動会には最適な日だった。今日が予行練習で、明日が本番の小学校もあるが、いつ決行するか、悩むところだ。判断が当たればいいが、もし再び雨降りにでもなれば、責任を感じることになる。

 小3の種目は「台風の目」というもので、彼女たちの青チームはトップでゴールした。けれどなかなか勝敗が告げられない。先生たちが集まって協議している。6年生の男の子が「これはビデオ判定しかない」と笑っていた。ほどなくして、「練習では厳しくルールを守らせています。青チームはルール違反がありましたので失格といたします」とアナウンスがあった。

 ルールがあるならば仕方ないが、いったいルール違反は何だったのと父母たちは話す。6つの学年のうちの1つの学年の、しかも4チームの中の1つのことなので、皆さんはそんなに関心があるわけではない。「みんなで棒を持ってスタートしなくてはいけないのに、棒を持てない子がいたのにスタートしたからよ」とカミさんが解説する。

 父母やジジババに見せるための運動会のように思っていたが、意外に厳しく「教育」しているようだ。時々、児童の席を巡回してくる先生は鋭い声で、「席を立つな!座れ!」と注意する。後ろにいる父母の方がびっくりして姿勢を正していた。父母たちにすれば運動会は「祭り」のような気分だから、あちらこちらで談笑している。だから、先生たちも緩やかに見ているが、児童に対しては威厳を保っている。

 小3の孫娘は隣りの子とよく話しているが、席を外したり、邪魔をしたり、そうした違反行為をすることもなく、なんとなく運動会の流れに従っている。鼓笛やバトンは運動会の華だけれど、「やりたくない」と意欲がない。まあ、それも彼女の個性だから、やりたくなった時はやればいい。4年生、5年生になれば違ってくるだろうとジイジは思う。

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『新潮社45』の休刊

2018年09月27日 18時06分19秒 | Weblog

  新潮社の雑誌『新潮45』が休刊となった。『文芸春秋』と『新潮』は私の子どもの頃からあり、父が読んでいたのを覚えている。私が地域新聞を始めたのは1985年で、その時にはもう、日本で初めての写真週刊誌『FOCUS』が新潮社から発行されていた。私は写真よりも文章に惹かれた。

 何の機会だったか、私よりも若い『FOCUS』の記者と話した時、私が「文章が凄い」と褒めると彼は、「苦労しています」と言った。読んでもらえる文章をどう書くか、それを生業としている者としては同感だった。『FOCUS』に気を良くした新潮社は、続いて『新潮45』を発行した。この雑誌は45歳以上の中高年を対象に、生きがいや健康を主にした編集だった。

 誌の購読者は高齢化とともに減る一方で、出版社はどこも苦労している。私は書店が好きで、どんな本が置かれているのかと見て回る。最近、過激な見出しの雑誌が増えた。産経新聞社の『正論』は「日本型リベラルの化けの皮」、『WiLL』は「朝日新聞と言論犯罪」とか「カラ騒ぎに終わったモリ・カケ朝日報道」、『月刊Hanada』は「安倍総理、新たなる闘いへ」「朝日新聞は国民の敵だ」など。昔、学生たちが読んでいた岩波書店の『世界』や『思想』は、私が行く書店には見当たらないが、まだ発行されているのだろうか。

 『新潮45』が休刊となったのは、自民党の杉田水脈議員の「LGBTは生産性がない」という論文に火が付き、批判への反論「そんなにおかしいか『杉田水脈論文』を特集し、小川栄太郎氏が「LGBTはふざけた概念」とか、「性の平等化を盾にとったポストマルクス主義の変種」などと無知を晒し、社内からも批判が出たためだ。同じ号で「野党百害」「沖縄をダメにする翁長弔い選挙」も掲載していた。

 こうした見出しを眺めていると、国民の中に鬱積しているものを感じる。それは杉田論文にもある「戦後民主主義が『弱者』をのさばらせ、社会をおかしくしている」という意識だ。普通に生活できているのに、なぜ「他人」を憎いと思うのだろう。「弱者」を助けることの、どこに「悪」を感じるのだろう。「言論の自由」という声もあるが、「良心に背く出版は、殺されてもせぬこと」という新潮社の創業者の言葉に真理はある。

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心を開くことができない

2018年09月26日 16時47分52秒 | Weblog

 昨日のブログで、私は小3の孫娘から、「小さい子になれなれしくするのは、いけないのよ」と叱られたと書き、それは彼女の嫉妬から出たのだろうと結論付けたけれど、どうも私の間違いだった。子どもが誘拐されたり、女の子がいたずらされたり、そんな事件が続いたので、学校では「知らない人からなれなれしく声をかけられたら、無視して逃げる」とか、「近くの大人に助けを求める」と指導しているようだ。

 そういう不埒な輩は、初めから「なれなれしく」声をかけてくる。「なれなれしい人には気をつけよう」と教えられたことが、彼女の中では「なれなれしい」は「悪い人」とつながり、「小さい子になれなれしくしてはダメ」となったのだろう。先生の教えを忠実に守っているが故にの発言だが、なれなれしいことにも「善悪」があることが分かっていない。

 小学校の校門の前で、「おはようございます」と挨拶運動が行われている。挨拶を交わすことは、人と人が理解し合える第一歩だからだ。マンションでも「知らない人でも挨拶しよう」をスローガンに掲げようという運動があった。ところが、「エレベーターに痴漢が出た」となると途端に、「知らない人から声をかけられたらすぐ逃げる」ということになった。

 誰もが挨拶を交わし、気持ちよく過ごせることが大事なのに、ひとりでもヘンな人が出ると、それッとばかりに警戒する。みんないい人だったのに、みんな警戒しなくてはならない人になってしまう。人間の本質は「善」なのか「悪」なのか、人間自身が判断ができない。永遠の課題なのだろう。

 イスラム諸国には、「客を招かない家には天使も来ない」という格言がある。他人に心を開かずに、他人に心を開けと求めることは、矛盾だと気付かなくてはならない。他人というか、自分と違う人を受け入れなくなっている。「なれなれしい」大人に気をつけようと、子どもたちに教えなくてはならない現実を変えていかないと、他人不信が他人抹殺へとなりかねない。

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小3の孫娘に注意されてしまった

2018年09月25日 19時09分17秒 | Weblog

 

  

 サルビアがキレイに咲くようになった。夏の間は葉が小さく丸まっていたし、花もどうしてか小さかった。それがこの2日間ほどで、葉は薄くてよく伸び大きくなったし、花も背が伸び大きく立派になった。猛暑で縮こまっていたものが、本来の姿に戻ったのかも知れない。やっぱり、不思議な力が植物には備わっている。  

 バラを見ていても、新しい枝が伸びようとする先にある葉は枯れて落ちていく。新しい枝の成長を妨げないためだろうが、自然は本当によくできていると感心する。しかし時々、自然の摂理に反して枯れても落ちない葉もある。どこの世界にも自分の役割を忘れて、頑張ることはいいことだと思ってしまう「老害」がいる。

 小3の孫娘の学校は22日の運動会を27日に延期し、22日は出校日となり今日がその振替休日で、昼前に我が家にやって来た。彼女のお目当ては近くの大型スーパーへ出かけて行き、彼女が蒐集している「すみっコぐらし」を買うためだ。今日は平日だから大食堂も空いているはずと思って出かけたが、随分込み合っていた。

 それでも席を見つけてまず確保する。孫娘はチーズバーガーのセットを、私はてりやきバーガーとコヒーを頼む。見渡すと女性客が多い。男性は少なく、大方が女性と一緒に来ている。孫娘と同じように学校が休みなのか、子ども連れの家族も多い。私たちの両隣りも2・3歳の子どもと乳飲み子を連れた若いお母さんたちだった。

 私の隣りの乳飲み子は男の子で、何故か私に向かってニッコリするので、私も笑い返すと、私の方へハイハイして抱きついてきた。あまりにも可愛いので抱き上げて、「こんにちは」と挨拶すると、その子はさらに愛嬌を振りまくように私に抱きついてくる。お母さんが遠慮して抱き取りに来るが、またすぐハイハイして私のところに来るので、また抱いてあげた。

 すると小3の孫娘が「小さい子に馴れ馴れしくするは、いけないのよ」と私に注意する。「エッ」と思ったが、そうか、やきもち焼いているのか、それとも彼女が世話をしたかったかも知れないのに、気が付かず、ごめんなさい。

 

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「知っていますか?」

2018年09月24日 17時02分51秒 | Weblog

  「知っていますか」と中学からの友だちが、市の図書館で開かれた文章講座で出会った男の名を挙げ、「あなたの小学校の同級生だが」と、メールで訊ねてきた。彼のブログを読んだ時から、私はそんな気がしていた。以前、小学校のクラス会を開いてくれた時、中学からの友だちと同じ市に住んでいることを知った。同じ市には私が教員として初めて赴任した高校で3年生だったのが住んでいるが、出会うこともないだろうし、出会ってもそこから何かが始まることもないのが普通のことだ。

 私の小学校の同級生と中学からの友だちは、中学1年で同じクラスだったはずだ。中学からの友だちは、1年の途中で転校してきた。その時は、「凄いワルらしい」という噂だったが、暴力事件を起こしたのは私だった。多分、噂にならなかったのだろうけれど、1年の同じクラスの者はびっくりしていたと思う。「おとなしい顔していて、かなり狂暴だな」と、言われたことがあった。

 私はクラス長だったが、「ゴリラ」というあだ名の男の子がいつも言うことを聞いてくれなかった。その時も、始業ベルが鳴ったので、「席について」と言うが無視された。私はクラスの中に好きな女の子がいたから、「いいところを見せたい」気持ちもあって、姉のダンナから「ケンカは先手必勝、相手が構える前にしかければ必ず勝てる」と教えてもらっていたので、チビの私が勝つにはこれしかないと、「ゴリラ」に近づくやいきなり身体を捕まえて思いっ切り放り投げた。

 中学3年で初めて転校生と同じクラスになったが、ひょうきんな男ですぐに友だちになった。成績もよく、私たちのクラスにはいつも学年で5番以内の女の子がいたが、「1度も勝てなかった」と私が言うと、「オレは勝ったことあるよ」と言う。「へー、そうなのか」とその時は思ったが、合格こそできなかったが東北大にチャレンジしたのだから確かだろう。話が逸れてしまったけれど、私の小学校の同級生とは今年の7月18日午前8時過ぎに、中央道のサービスエリアで出会っている。

 私は気が付かなかったが、「千載一遇」と彼からメールが来た。私は6人でNHKテレビ『半分 青い』を見ていた。彼は青春の思い出の地、車山高原へカミさんと出かけるところだとあった。人生には偶然の出会いが必ずある。さて、図書館の文章講座でふたりは何を書くのだろう。楽しみにしている。

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初めての運動会

2018年09月23日 17時16分49秒 | Weblog

  仙台に住む次女が、4歳の孫娘が初めての運動会で踊るダンスの映像を送って来た。今年の4月から幼稚園児となった孫娘だが、ラインで送られてくる写真で見る限りでは、まだまだ幼くて甘えん坊さんとしか思えなかった。運動会の動画では、背も高い方でなかなかしっかり演技している。孫娘の後ろの女の子はもっと大きいが、慣れないのか身体の不調なのか、ダンスをしようとしない。

 その子の隣りに先生がいて、手を引いたりしているがそれでもなかなか踊らない。孫娘は持ち前の世話好きを発揮して、時々その子をせかせたりしている。次女の話では、給食の時間もみんなの世話ばかりしていて、食事ができていないと先生から注意を受けるが、孫娘はキョトンとしているそうだ。「他人の世話ができるなんて、とってもいい子じゃーないか」と私は思うが、次女は気が気でないようだ。

 孫娘が幼稚園に通うようになって、次女はこの9月から働きだした。養護教諭の資格が活きたのか、学校の支援員として出かけているようだ。今、学校ではいろいろと問題が多く、担任だけでは追い付かないようで、どこでもこうした支援員を置いてるらしい。先生たちや保護者とのコミュニケーションが大事な役割だが、世話好きな次女には向いている。

 私がちょっとだけ心配なのは、次女は何事にものめり込む、それでいて完璧でないと気が済まない性格なので、上手くいかないと必要以上に落ち込んだり、相手にも完璧を求めたり、そんなことのないようにと思う。「もう、そんな子どもじゃーない」と笑ってくれるならいいが、4歳の娘を見習って、くれぐれも思い込み過ぎないで欲しいものだ。

 運動会の後、友だちの家族と食事会でもしているだろうか。子育てはまだまだ長い。焦らず気長に楽しんでやってもらいたい。困った時はダンナに助けを求めたらいい。そのうち孫娘がニッコリ笑って助け舟を出してくれるだろう。家庭には笑い声が絶対不可欠だから。

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子どもは天才!

2018年09月22日 16時56分40秒 | Weblog

  続いていた雨が止み、やっと空が晴れて、秋っぽい風が吹いている。今日は小3の孫娘の学校の運動会だったが、27日へ延期となった。長女はメールで、小3の孫娘が出場する演目は2つで、リレーには出られなかったと知らせてきたが、「期待するような活躍はないから来なくてもいいよ」という気持ちが働いているような気がする。

 できれば「よいところ」を見せたいのが親なのかも知れないが、活躍するかしないかに関係なく、ジジババは孫の顔は見たいものだが、親はそこまでは気が付かない。長女も次女も走るのが早かったので、クラス対抗や地域対抗のリレーの選手に抜擢された。長女は怖いもの知らずのおてんばで、何でも挑戦するのに、次女は臆病で決して真っ先にすることはなかった。

 私は歩き出した長女に、男の子が好きなおもちゃを与えてみたが全く興味を示さず、人形とかままごとに夢中だったので、子どもの時から性の違いがあることを知った。ひとり遊びの好きな長女は運動神経の良さからか、身体を動かすことに積極的だった。おかげでケガすることも多く、よくカミさんに注意されていた。カミさんは長女の自由奔放さに困り果てていたから、ここぞとばかり叱りつけたので、私が「そんなこといいじゃないか」と口を出し、「あなたが一番悪いのよ」と言われる破目になった。

 次女は慎重派で、長女の後をついて回っていた。小学校の高学年くらいの時、私が「たまにはお姉ちゃんに逆らったら」とけしかけても、「いいの、お姉ちゃんは間違わないから」と言う。次女が4・5歳の頃だと思うが、何かを言ってカミさんに叱られたことがあった。次女は「ほんとうのことなのに」と泣いて抗議していた。空気を読まずに本当のことを言う癖は今も続いているみたいだ。

 子どもは「誰もが天才」と私は思っている。積極的な子も、慎重派の子も、みんなそれぞれの個性である。できるとかできないで評価してはダメだ。子どもをのびのびと育てるのは親の役割。「叱らない。怒鳴らない」。うまくいかなければまず、自分を反省する。「天才の子ども」も高校生くらいになれば、「普通の子」になる。やれやれ、子育ての終わる時だ。

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ヒガンバナが咲いていた

2018年09月21日 17時05分26秒 | Weblog

 彼岸入りになり、気になっていたマンションの庭を見て来た。やっぱり咲いている。今年の夏は異常に暑かったから、ヒガンバナが咲くのはもっと遅くなるのだろうと勝手に思い込んでいた。いくらこの処、急に涼しさが増したとしても、ヒガンバナが咲く時を間違えないのはどうしてなのだろう。誰が植えたのか分からないが、白いヒガンバナも昨年以上に咲いている。

 私の子どもの頃も、ヒガンバナは必ず彼岸になると土手やお墓に咲いていた。曼殊沙華とか地獄花とか呼ばれていたので、仏さんのために咲く不幸な花のように思っていた。だから土手一面に咲くヒガンバナを「凄くキレイ」とは言えなかった。最近では花屋の店頭で見かけるし、庭に植えている人もいる。

    

 昨日のカタツムリも気になって、もう一度見に行くと、まだガラス窓の端の方にいた。それで気が付いた。窓枠の外に同じくらいの大きさのカタツムリが4匹ジッとしている。いや、本当はかすかに移動しているのだが、私の目には不動に見える。カタツムリは卵から孵化したはずだが、いったいこの地上30メートルの空中にどうやって来たのだろう。全く植えたことのない幼木が鉢で育つことがあるが、大方は鳥が落としていったフンから育ったと推測できる。カタツムリはどこから来たのか?

 安倍首相が自民党の総裁選で当選した。石破氏がよく善戦したとか、石破氏が得た党員票の意味は重いなどと新聞は書いているけれど、それは「自民党は多様な声」と装っているに過ぎない。安倍首相の「念願」である「70年間変えられなかった憲法改正」に着手するためだ。そのためには、消費税の引き上げを延期しても構わない覚悟だろう。「森友・加計問題」にもビクともしなかったのも、国民は「忖度はよくない」程度にしか思っていないためだ。明日も安泰ならそれでいい。それが人の本音だろう。ヒガンバナが毎年同じ時期に咲くように、繰り返すことに慣れているのだ。

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