友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

これから人類はどうなっていくのだろう

2022年06月30日 17時56分45秒 | Weblog

 欧州各国はウクライナ支援に力を入れている。軍事物資や医療機器、食料や生活用品、どのように使われるのか分からないが莫大な資金も投入されている。私たち日本人には理解しにくい歴史と風土があるようだ。

 フランス革命前の欧州は、王侯貴族が支配していた。キリスト教の信仰もあって王は絶対的な存在だった。他国から嫁入りさせたりして血縁関係を築き、国勢を広げたり武力衝突を避けたりしてきた。

 EUが生まれる時、「欧州はひとつ」が合言葉だったように、国は違っても共同体の意識はあったようだ。フランスやドイツから見れば、ウクライナもロシアも欧州の東の端の田舎だったのだろう。ロシアの皇帝も先進国フランスを真似していた。

 ロシアがなぜウクライナに侵攻したのかを、私は解説できるほどの知識はない。共産主義体制が崩壊し、東欧の共産主義国家も欧州の傘下へ移った。ロシアも市場経済となったのだから、欧州に加入してもよかっただろうに、意固地な性格が出たのだろうか。

 EUが誕生した後、ギリシアの経済危機が問題になった。放漫な財政が露見し、EUから増税・年金改革・公務員削減・公共投資削減・公益事業民営化などが求められ、ギリシア債権は下落し長く混乱が続いた。

 ウクライナ支援のため巨額な資金は各国とも債権で賄っている。誰だったか忘れたが、こんなに「ジャブジャブ」と債権を発行して本当に大丈夫なのかと思う。けれど、過去にもこうした時があった。確かに経済は混乱したけど、何年かすると繁栄を取り戻している。

 ウクライナ侵攻に終止符が打たれれば、世界の穀倉地帯からは農作物が輸出され、富を得る人々が必ず生まれる。けれど、死に追いやれれた人々は帰ってこない。これから人類はどうなっていくのだろう。

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子どもと一緒に考えてくれる親がいい

2022年06月29日 17時45分41秒 | Weblog

 青い空、照りつける太陽、煮え立つような空気、屋外に居たら死ぬんじゃーないかと思うような猛暑。小学校のプールから子どもたちのはしゃぐ声が聞こえてくる。どんなに暑くてもやっぱり子どもたちは元気だ。

 子どもが「学校へ行きたくない」と言い出したら、親はどう対処するかということが、新聞に載っていた。「無理やり行かせるのはよくない」と、専門家は答えていたが、それでは親が求める回答になっているのだろうかと疑問だった。

 私は小4の時、「学校に行きたくない」と母親に言って休んだことがある。プロレスごっこが盛んで、ボスみたいな子がみんなを残して教室でプロレスのまねごとをした。ボスは身体が大きかったし、ボスを負かすことは許されなかった。

 負かされるだけのプロレスごっこが嫌で、登校できなかった。母が担任に話したのだろう、「今日からは学校へ行っていいよ」と言うので登校したが、ボスのグループに誘られることは無かった。小5でクラスが変わり、私はクラスの中に居場所を見つけた。

 中学校ではボスだった子の存在すら忘れていた。中1の時、級長だった私の言うことを聞かないワルにとびかかり壁に向かって投げつけた。「おとなしい顔をして狂暴だな」と囁かれたりした。私は生徒会が活躍の場となり、目立つ存在になっていた。

 中年になったある時、クラス会の2次会で小4の時のボスとスナックで一緒になった。普通のオジサンになっていて、「小学校の時、よくいじめられたよな」と友だちが言っても、全く覚えていなかった。

 子どもの頃のことは一時的なもので、大人になればそしてジイジになれば、何もかも過去のことになってしまう。けれど、子どもが「学校へ行きたくない」のには理由がある。子どもと一緒に考えてくれることが、子が親をありがたく思う時だろう。

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猛暑に鳥もビックリなのかも知れない

2022年06月28日 17時38分45秒 | Weblog

 市役所から「児童公園の手押しポンプが水を汲み上げない」と連絡があった。児童公園には花壇があり、近所の方が水遣りをし、子どもたちの遊び場になっている。手押しポンプを設置して10年ほどになるが、以前もピストンの劣化で水が出なくなったことがある。この暑さでピストンが痛んだのだろうと推測して、先輩とふたりで出かけた。

 市役所の男女2名の職員も現場に来てくれた。隣の病院の手押しポンプからは相変わらず大量の水が汲み上がってくるから、ふたりにバケツを渡して水を汲んできて欲しいと頼む。ピストンを外してみると確かに多少劣化しているが使えないほどではなかった。先輩が下の弁を見て、外れていることに気が付き、正常な位置に戻す。

 汲んできてもらった水を注ぎ、手押しポンプの柄を動かすと手ごたえがある。ふたりの職員と一緒に近所の喫茶店に行き、万が一に備えて井戸の重要性について話す。各小中学校や公園などに手押しポンプを設置することは災害への備えになるとも強調する。若い職員は手押しポンプに直に触ったことが無いし、どういう原理で水を汲み上げているのかも知らないから伝承する必要を感じた。

 行政は市民のために働く組織である。人口減少の社会に向かうのは確実だから、それを見据えた未来づくりをして欲しいとも話す。店を出るとさらに暑さが増していた。今年はたいして雨が降らないうちに梅雨明けが宣言された。異常気象が叫ばれてもう何年になるのだろう。異常が常になれば、そのうちそんなものと受け止めるだろう。

 家に帰り、「暑い、暑い」と言いながら窓の外を見ると、日陰で鳥が休んでいる。写真が撮れるだろうかと思いながら近づいても動く気配がない。鳥も暑さを避けてジッとしているようなので、少しずつ近づいてみる。80センチ、50センチと近づいても、首を回して警戒するが飛び立つ様子はなかった(写真)。

 猛暑に鳥もビックリなのかも知れない。けれどまだ、蝉の鳴き声は聞こえないから、一時的な異常気象の到来なのだろうか。私は勝手に、地球と太陽の距離が1センチ縮まったとか、地軸の傾きが5センチ変わったとか、推測しているが、そういう研究者はいないのだろうか。

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今年もクラス会は開かれないのだろうか

2022年06月27日 17時38分55秒 | Weblog

 中学からの友だちがブログで、私の問いに答えてくれた。それは嘘偽りのない彼の姿だけに、私は世俗っぽい自分を卑下せざるを得ない気持ちになった。女の子にすぐにちょっかいを出すから、「女好きな奴」と私を含めてみんな思っていたが、意外に「のめり込まない」意志の持ち主だった。彼の言葉は次の通り。

 『考えてみれば、“友達以上恋人未満”というのは、自分に備わった五感のうちの視覚と聴覚だけの付き合いで、今はその視覚と聴覚の記憶は忘却の彼方に消え去ってしまっている。(略)時の流れは、人間に対して忘却という残酷な仕打ちをしてくる。触覚と嗅覚の記憶が残っていれば、私の記憶の中から、彼女との思い出は消滅することはなかったのかも知れない』。

 彼はブログで、16歳年下の女性と渥美半島の恋路カ浜や幸田町の椿とアジサイで有名な本光寺、碧南や知多の料亭を訪れている。10年以上もそんな記事を書き続けているから、下衆な男は当然ホテルにも行っていると勝手に想像してしまった。しかし、彼は恋人未満を超えることは無かったのだ。

 私たちが大学に入った頃、彼は浪人中だったのに友だちを呼び集め、居酒屋へよく行った。金の無い私たちのために、つまみやビールをサービスしてくれた女給さんの下宿に押しかけた時も、私たちが気を遣って「先に帰るわ」と言うのに、「オレも帰る」と言う。西浦温泉へ「実写映画を上映しているから見に行こう」と言ったのも彼だった。

 そういうことに長けていると思い込んでいたが、彼は決して家庭を壊す行為はしなかった。彼女にそれだけの魅力が無かったのか、いやむしろ、彼女の方が彼を冒険をしない人と知って去っていったのかも知れない。踏みとどまる勇気に、「気が小さい」などと詰る奴がいるかも知れないが、それは彼の誠実さの表れなのだろう。

 みんな過去にいろいろあった。笑い話で終わるなら話題にしてもいいが、振り返っても楽しくないことは終わりにしよう。みんなそれぞれに精一杯生きてきた。自慢話の方が気楽に聞ける。今年もクラス会は開かれないのだろうか。

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人間の弱さは同時に強さであり、ロマンでもある

2022年06月26日 18時06分52秒 | Weblog

 朝、ルーフバルコニーで掃除をしていたら、いつも見かける小さなアリが、3倍ほどある大きなアリを運んでいた。よく見ると大きめのアリの死骸があちらこちらにある。ルーフバルコニーでたまに大きめのアリを見かけることはあっても、こんなにたくさんの死骸は見たことが無かった。

 アリ戦争の勝者は小さい方だったようだ。それにしても、この大きい方のアリはどこから来たのだろう。いや、そもそも小さなアリはどこから来たのか、どこに巣を作っているのか。鉢の中の土を入れ替えたが、アリの巣は無かった。入れ替えたことのない1番大きな鉢のどこかにきっと巣があるはずだ。

 アリはルーフバルコニーという狭い世界で生き残っていかなくてはならないから、同類の生存は許しがたいのだろう。人間は共存という「考え」を身につけたけれど、それでも時々殺し合ってきた。平和を望みながら、全く逆なことをしてしまうのはなぜなのだろう。男も女も、他民族ばかりか他人種とも交じり合ってきたのに。

 混血が生まれれば、他民族だとか他人種とかの差別が無くなるはずなのに、今も激しく対立するのはなぜなのだろう。イスラム教では男が複数の妻を持つことを禁止していない。砂漠で農業が出来ない土地なので、女性を保護するためらしい。キリスト教の夫婦以外とセックスしてはならないという戒律は、アダムとイブが神との約束に背いたからだろう。

 男も女も人種・民族を超えて、愛し合うことが出来るのに、妻や夫以外の異性と恋してはならないというのは矛盾している。しかし、この戒律が無ければ社会が乱れるのは必至だろう。人間の弱さは同時に強さであり、ロマンだと私は思う。午後から一気に暑くなってきたので初めてエアコンを使う。やはり快適だ。

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差別がうまれることのない社会であって欲しい

2022年06月25日 17時47分26秒 | Weblog

 陽の当たらない午前中はルーフバルコニーで作業する。増えすぎたペチュニアを何も植えていない鉢に移植した。ペチュニアがこんなに次々と花を咲かせ、実をつけ、こぼれて芽を出すとは知らなかった。育ってきた若芽を取り出し移植すれば、新しく苗を買う必要もない。

 それにしても暑い。日陰なのにびっしょり汗をかいた。午前11時過ぎに作業を終了する。吉本新喜劇を見ながら昼食。涙を流す私を見て、カミさんは「そんなに面白いの?」と不思議な顔をする。感性のことなので説明は出来ない。カミさんが出て行った午後はお昼寝時間。ところが横になってしばらくすると猛烈な風が吹いてきた。

 慌てて洗濯物を取り入れる。部屋の中を強風が通り抜け、物が飛び散ったのを片付け、慌てて南側のガラス戸を閉める。そんなに長い時間ではなく、わずか30分程度だった。空を見ると、青い部分もあるが白い雲や鼠色の雲がゆっくりと移動している。天気予報で荒模様に注意するように言っていた通りになった。

 茨城県に高温注意報が出ているが、次女らは大丈夫だろうか。今日は次女の誕生日だから一家で出かけているのかも知れない。何事もなければ最も早い猛暑日として記憶されるだろう。おませな小2の孫娘が、「あのね、パパちゃんママちゃん」とボイスメッセージを送ってくれるかもしれない。

 午前中の猛暑のなか、少年サッカークラブが相変わらず厳しいコーチの激をうけて練習していた。熱心なのはいいが、熱中症にならないように適度に休憩させ水分補給をと、他人事なのに祈りたい気持ちだった。日本のように、こんな小さな市にもいくつかのスポーツ少年のチームがあり、練習に励んでいる国は少ないだろう。

 学習塾やピアノやヴァイオリンなどの音楽教室、絵画や書道の教室、そろばんや水泳の教室など、子どもの才能を伸ばす教室がたくさんある。もちろん通いたくても金銭的な理由で通えない子もいる。受けた教育で差別がうまれることのない社会であって欲しいと思う。

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話してくれるのを待つことにしている

2022年06月24日 18時10分19秒 | Weblog

 「108日の休日

休日の始まりは2月末の寒い朝、突然訪れた。

事前に分かっておれば生活の工夫を惚けた頭で考えたものだが……。

部屋で静かに読書を楽しむ程度。これ程読んだことがないほど。ネット環境が整っていればアップできたのだが。とにかく、想定外の休日は終わった。また、下らないこと書き始めの報告」。

 Facebookに友だちが退院したことを載せていた。やれやれ、とにもかくにもこれでよかった。コーヒータイムにしないかとメールをくれたのに、突然変更を告げたまま音沙汰ないから、「どうした?」とメールすれば、「入院」との返信しかなかった。

 私たちも後期高齢者だから、いつ、何が起きても不思議ではない。読書家の彼にと本を3冊用意していたのに、渡すことが出来なかった。今度会う時に渡せばいいか、入院中はどんな本を読んでいたのか、いろいろ話は尽きないだろう。

 今日も暑い。テレビはいつから梅雨明けかと論じていたが、明日の天気とこの先1週間くらいの天気予報が分かればそれでよいのではと私は思う。毎日あまりにもやることが無いと、天気予報もどうでもよい気になってくる。

 北海道の農業高校の教師が、この3月まで同僚だった12歳年上の英語の女性教師を殺害した報道があった。英語の先生は凛としていていかにも利発そうな美人だ。「交際に疲れた」と男が供述していることから、女性教師の方が熱を上げていたのだろう。

 それにしても、殺害することなく別れることは出来なかったのだろうか。人の命の尊さを生徒たちに教えてきた教師が、それではあまりにも無分別すぎる。既婚者であっても人を好きになることはある。けれど、なぜ人殺しで決着をつけなければならなかったのかは理解できない。

 私の中学からの友だちは、10年以上付き合っていた16歳年下の女性がいた。その女性と出かけて行った名所や食事処をブログに載せていたが、ある時から全く登場しなくなった。どんな別れ方をしたのか聴いてみたいが、友だちから話してくれるのを待つことにしている。

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消滅の日がやってくるのかも知れない

2022年06月23日 17時47分03秒 | Weblog

 「出生率が死亡率を超えない限り、日本はいずれ消滅する」と、アメリカの大富豪、イーロン・マスク氏が語ったという。数学の不得意な私でも理解できるが、じゃーどうするのかとなると決定打は無い気がする。

 各政党も少子化を問題にしていて、それぞれに政策を掲げて国民の支持を訴えている。けれど、20代の若者の40%が異性とデートしたことが無いという。結婚願望も減少傾向になっている。親の世代は家父長とか嫁姑とか、古い慣習に逆らってきたのに。

 その子どもたちが結婚に関心が無いのはなぜなのか。結婚生活は大変な努力と忍耐が要る。それが嫌だというのも分かる。けれど結婚して子供が生まれ、生活はとてもしんどいのに子どもといると楽しい。1歳8ケ月の息子をあやす孫夫婦を見ていてそう思った。

 孫のダンナも子ども好きなようで、3人で出かけた時の動画を送ってくれるが、家族はいいなあと思う。ところがダンナは2ケ月ほど、会社の命令でアメリカへ行ってしまった。孫はひとりで息子の世話をしているが、大丈夫なのかと気が気でない。

 私が中・高校生の頃は、男たちはセックスに関心が強く、それらの雑誌を回し読みしていた。恋愛している相手に欲望を抱いたり、年上の女性に性欲を覚えることを罪のように感じた。性欲は食欲と同じ本能だったのに、異性に触れてみたい抱いてみたい、そんな欲望を若者たちは感じないのだろうか。

 先進国は大方、少子化になっている。だからといって「産めよ増やせよ」と呼びかけても少子化に歯止めがかかる訳は無い。「他人のセックスに口を出すな」は原則だ。それで人口減少が進み、消滅する国がでてきても仕方のないことだ。

 その時代にはその時代の対応が生まれてくるのだろう。パパ活で頑張った(?)国会議員もいるし、女の子をダマクラカス助平な男も後を絶たない。性欲が存在する限り、人類が滅ぶとは思えないが、でも、ある時突然、消滅の日がやってくるのかも知れない。

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政党とは何か、どのような価値観なのだろう

2022年06月22日 18時06分52秒 | Weblog

 参院選挙が告示された。選挙区が広いから街宣車が回ってくることもない静かな選挙の幕開けである。街のポスター掲示板もなかなか埋まっていかない。男がひとりでポスターを貼っていたが、金で頼まれたアルバイトのようだ。

 昨日は日本記者クラブ主催による9政党の党首討論が行われ、朝日新聞も中日新聞も大きく紙面を使って報道していたが、それぞれの政党への配慮からか、無難にまとめて報じているからか、2紙を読み比べても対立点がよく分からない。

 投票に行く人は既に支持政党が決まっているから、他の政党の主張を読み比べてみる気が湧かないのだろう。新聞を読んで、こっちの政党よりこの政党の方がよいと心変わりする人がいるのだろうかと思ってしまう。

 私は憲法第9条こそ世界平和への道と信じているので、改憲に反対の立場の政党を支持する。立憲民主は改憲反対を鮮明にせず、「目の前の人口減少や地方の衰退、教育の格差を改善していくことが重要」と主張している。

 どっちの立場なのか「ハッキリせい!」と言いたくなる。共産党は自衛隊は憲法違反の立場だが、自衛隊を有効に活用すると言い出している。一貫して自衛隊は憲法違反を主張していた社会党が政権入りして、首相となった村山さんが自衛隊を合憲と認めると、社会党は一気に凋落してしまった。

 国民の関心は物価高にあるからと各政党は物価抑制を掲げているが、どう実現するかはハッキリしない。「れいわ新選組」は消費税の廃止を主張しているが、消費税で賄っている福祉政策の財源までは踏み込んでいない。

 現実問題は国民の関心事ではあるが、その解決策となると難題である。国全体のありようを述べ、そこへ向かうプランを示してくれるといいのだろうが、それは無理なんだろうか。そもそも政党って何だろう。どのような価値観、どのような人々の集まりなのだろう。

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「切ないね」と呟いてしまった

2022年06月21日 17時41分50秒 | Weblog

 BSテレビで歌番組を聴いていて、この歳になって歌詞の凄さに気が付いた。寺尾聡の『ルビーの指環』とジュディオングの『魅せられて』である。2曲がヒットしていた頃もテレビで見ていたはずなのに歌詞は素通りしていた。

 『ルビーの指環』の出だしは、「曇りガラスの向こうは風の街」という情景描写から始まる。「あなたを失ってから」2年も過ぎようとしているのに、木枯らしが吹く街角を眺めている男は「切ないね」と呟いている。

 8月の「目映い陽の中で誓った愛」は幻だった。「そうね誕生石ならルビーかな」と言われて、男はきっと奮発したのだろう。それでも女は去っていった。「気にしないで行っていいよ」と告げる男は、「孤独が好きな俺さ」と自分に言い聞かせる。けれど、「街でベージュのコートを見かけると 指にルビーのリンクを探すのさ 貴女を失ってから」と真に未練に満ちている。

 『魅せられて』は「女は海」といい、「好きな男の腕の中でも違う男の夢を見る」「優しい人に抱かれながらも強い男に魅かれていく」とある。この曲は版画家の池田満寿夫氏の小説『エーゲ海に捧ぐ』を映画化した時に歌われたものだが、ジュディオングさんが白いドレスで登場し、両手を羽のように広げて歌う姿の印象が強い。後半も「女は海」に続いてもう一度、「好きな男の腕の中でも違う男の夢を見る」とある。まるでダメ押しである。

 海は万物の母というが、女の強さが際立っている。男は女を可憐なものと思い込もうとしているが、それは男の身勝手なのだろうか。『ルビーの指環』は松本隆さんの、『魅せられて』は阿木燿子さんの作詞である。男と女の感性の違いが対極的だ。決して元に戻ることはないのに愛した女を追い求める男、身体を重ねた翌朝にレースのカーテンを裸の身体に巻き付けてみせる女、違いがあるから惹かれ合うのだろうか。私は「切ないね」と呟いてしまった。

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