友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

女子アナや女性気象予報士の「美しさ」に

2018年04月30日 18時11分32秒 | Weblog

  若葉が美しい季節になった。4月も今日が最後、明日からは5月になるのだから、緑がいっそう目立つのは当然なのに、近頃の気候のせいなのか、私が年老いたのか、季節の移り変わりが分からなくなっている。4月からテレビは新編成となった。私が気になるのは、NHKテレビがまるで民放と変わらない内容になっていることだ。娯楽としてテレビを楽しむのなら民放で充分なのに、NHKまでも同じことをされたのでは、受信料を払っている意味がない。

 我が家は朝も夜も、時計代わりにテレビをつけている。朝の『おはよう日本』は、私の好きな和久田麻里子アナが出ているから、彼女の顔を見ているだけで満足だ。時々見せるひょうきんな面も心惹かれる。以前、この番組を担当していたのは鈴木奈穂子アナで、彼女は夜7時のニュースを担当するようになったから、いわばNHKの顔になった。ふたりはよく似ていて私好みだが、鈴木アナの方が年上だろう。

 男たちがテレビを観ながら「見ているもの」は、女子アナや女性気象予報士の「美しさ」である。今日はどんな服装なのか、ズボンではなくてスカートの方がよかったとか、ワンピースの丈はもう少し短い方がいいとか、これから夏場に向かい彼女たちへの期待度がいっそう高まる。もっと足を出してとか、腕も出してとか、直接本人に言ったら「セクハラ」になってしまうが、やっぱり男たちは女性たちに美しさを求めている。

 韓国の文大統領と北朝鮮の金委員長が会談し、南北の緊張が一気に解けてきた。「いや、北には何度も裏切られた」と疑心暗鬼の人もいる。「朝鮮半島の非核化」と宣言しているのに、「北朝鮮の非核化」と主張する人もいる。NHKは国営放送だから政府の方針に逆らうことは出来ないだろうが、それならいっそう「中立・公正」と振舞う立場を捨て、ニュース放映に徹してはどうだろう。民放も右派と左派とに分かれて、ニュース解説を行なったら面白いのにと思うが、ダメだろうか。

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マンションの自治

2018年04月29日 17時53分22秒 | Weblog

 再び初夏を思わせるような暑い日となった。長女のダンナのお父さんが持っている「山」に、家族が集まるから来てと連絡をもらったのに、私はマンションの総会があり、どうしても発言しなくてはならないことがあったので、欠席させてもらった。カミさんは「お誘いを受けたのに」と言うが、総会を欠席する方が気が重い。「総会での発言、気をつけてよ」と言い残してカミさんは出かけて行った。

 小学校の体育館を借りて行われた総会は淡々と進んで行った。「ご質問はありませんか」「ご異議はありませんか」と司会の声ばかりが響く。以前は、決算にしても予算にしても、一言あったが最近は発言する人がめっきり少なくなった。決算に続いて「特別案件」が提案され承認された。平成30年度の役員が選出され、ここで5分間の休憩となり、10時50分から後半の審議へと移った。

 11時15分頃、全ての議案が承認され、「その他、ご意見などございませんか」と司会が言う。誰も発言しなければ「これで総会を終わります」となってしまう。地震対策について女性から発言があったので、私も続いて手を挙げた。なるべく角が立たないように「組長さん、役員の皆さん、ご苦労様でした」と切り出した。

 私たちのマンションは管理会社に委託せず自主管理を続けてきた。最初に自治会を立ち上げた先輩たちは、ここに理想的な共同体を構築しようとした。それは自治会管理規定に組長を輪番制とし、役員も輪番で決めるとしたことから分かる。みんなで支え合うためにはみんなが問題を共有することが必要で、出来るだけ多くの人が役員を経験することが大事だと思う。新しい役員さんと組長さんで、来年はぜひ、新体制にしていただきたいと結んだ。

 現会長は7年目でこれだけ長く続くと、会長がすべてを知り尽くしているから、次に会長になる人がいない。ひとりの有能なリーダーは、モタモタしないでどんどん実行できる。けれど、それが本当によいとは思えない。みんなが問題を共有しなければ理想的な共同体とは言えない。私の発言がどれほど役に立ったか分からないが、沈黙のままよりも良かったはずと自分に言い聞かせている。

 

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働き続けて得た幸せ

2018年04月28日 17時01分20秒 | Weblog

  長女のダンナのお父さんは「夢追い人」のようで、退職金で山奥に土地を買い、農作物を道の駅で売って余生を楽しむ計画を立てた。自宅からその畑まで行くのに時間がかかることや、野生動物から作物を守り切れないなどで、考えていたようにはいかないようだ。電気工事関係の仕事をしながら仲間と音楽バンドを組んだり、神社で雅楽の演奏をしたり、とても趣味の多い人である。

 先日、恩師の親戚を訪ね歩いた時、同じ町に住む同級生の女性の家にも行くことが出来た。いくら電話をしても連絡が付かなかったので、訪ねてみることにしたのだが、家の前に着くと、以前と同じ明るく高い声が聞こえた。連絡が付かなかったのは「オレオレ詐欺」を警戒していたためだった。「スマホで全部出来ちゃうから、家電は見ない」と言う。だから私が送ったFAXも見ることはなかったのだ。

 随分広い庭はよく手入れされていて、クレマチスが見事に咲いていた。これからバラも咲き始めるだろう。「ダンナは?」と聞くと、「ゴルフ」と答える。彼女は写真が趣味で、よく撮影旅行に出かけていることがフェイスブックから分かる。「別々なんだ」と言えば、どうしてそうなったのか、今はそれがふたりの充実した日々であると語ってくれた。

 職場で知り合ったふたりは結婚。ちょうど好景気を迎える時期で、ダンナは思い切って会社を辞め企業した。トヨタの下請けはいくらでもいるが、ダンナが立ち上げた製品は1日に数個しか作れない特殊なものだったから、バブルがはじけても注文は途絶えなかった。

 「毎日毎日忙しくて、私は会社のこと家事と子育てでヘトヘトだった。それでも頑張って簿記の資格も取り、会社の経理をやって来たのよ。それでね、ある時、『いったい何のために働いているのかしら』と夫に言ったの。その時、夫が『60歳になったら好きなことをしよう』と言ってくれたの。頑張って働いて、会社は息子が継いでくれたから、今はふたりで好きなことをしている」と話す。

 立派だ。堅実に人生を歩んでいる。2泊3日や3泊4日の撮影旅行に出かけていても、庭がきれいなのは決して手を抜かない証だ。そういえば、昨日完成した井戸のお宅も見事な庭だった。

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中学からの友だちの話

2018年04月27日 17時56分05秒 | Weblog

  中学からの友だちと話していて、人生はみなドラマだと思った。最近、夫を亡くした同級生が二人もいる。前のクラス会の時に、ダンナの具合がよくないとは言っていたが、あまりにも早い最期だったらしい。それに追い打ちをかけるように、息子までが旅立ってしまい、生きる元気を無くしていると言う。親よりも子どもが先に逝ってしまい、何ともやりきれない思いだろう。

 もうひとりは、ダンナから「具合がよくないから病院に連れて行ってくれ」と言われたが、どうしてもやっておかなくてはならない仕事があったので、「それを済ませたら、迎えに来るからちょっと待っててね」と仕事に出かけた。急いで帰って来て夫を見ると、既に息絶えていた。故意ではなかったが、なぜあの時、夫の言うことを聞いてあげられなかったのかと、今も自分を責め続けているという。「だから、クラス会には出たくないと言ってる」。

 男もひとり、「次は幹事を引き受けるから、もう1回だけはやってくれ」と言っていた元気印が亡くなっている。大学生の時に亡くなった女の子は「死後の世界は不思議なところで、全くの別世界なのよ」と話していたという。私たちのクラスはどういう訳か、女子の方が若くして多く亡くなっている。そんな話から、「中学の時は、アイツはあの子が好きだった」とか、「あの二人はどこまでいったか知ってるか」とか、下世話な話題も飛び出した。

 私たちのクラスでずば抜けて成績の良く、先生からも高く評価されていた女の子は、結婚して子どもを産んだがひとりは障害があった。「この子より先に逝けない」と彼女は言った。20歳で結婚して子どももいたのにすぐに離婚した女の子は、「子どもも孫も20歳前に結婚したのでひ孫までいる」と言う。男たちは真面目に生きてきたが、それでも「真剣に恋した時があった」と話せば、「男だけでなく、女だって同じよ」と女性たちが言う。

 「もう、74歳になるんだから、色気もないだろう」と男が言えば、「色気が無くなった時はおしまいよ」と突っ込まれる。中学からの友だちは気心が分かっているから、構えて話すことはない。みんな言いたい放題で笑っていられる。聞けばますますドラマチックな話が続いた。

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担任の親戚を探し求めて

2018年04月26日 18時29分21秒 | Weblog

  中学3年の担任の家には何度か行ったことがある。先生が作ってくれたクラス誌『麦の歌』の1号・2号・3号の復刻版が完成した時、クラス会の出席者に渡すことしか考えていなかった。真ん中の2号が最後に印刷できたが、そこには、先生の1歳半の長男の写真と中学校の先生方の近況が掲載されていた。私は先生の長男に、先生がどんなに生徒思いだったかがよく分かるこのクラス誌を届けたいと思った。

 しかしもう、先生も奥さんも亡くなられていたので、先生の親戚の方で長男の住所を知っている人を探してもらおうと思い、先生の家の近くに住む同級生に電話したが、すぐにルス電話になってしまう。仕方ないのでその旨を書いてFAXを送ったのに何日経っても全く連絡がない。彼女のことも心配になって、中学からの友だちに車に乗せてもらってまず先生の家を訪ねた。奇跡の出会いはあるもので、私が記憶していた先生の家を覗いていると1台の軽トラが近づいて来て止まった。

 友だちが地元の人らしいその方に、「この家は」と担任の名を告げ、「先生のご親戚の方をご存知ありませんか?」と聞くと、「私だが‥」と言われる。私はクラス誌を見せ、「これを長男に届けたいのですが、ご住所は分かりませんか?」と話すと、先生の奥さんの「実家の電話ならウチのが知ってるから」と老人会の集まりの場所に連れて行ってくれた。さらに、「同級生が近くに住んでいるのですが」と言うと、その家までも案内してくれた。友だちが最初に声をかけた人のおかげで、課題が一気に解決できてしまった。

 先生のお父さんは長男だったが、家を継がずに学者になった。私たちが出会った人は後を継いだ弟の息子だったのだ。電話を入れてもFAXを送っても連絡がなかった謎も解けた。「知らない人からの電話には出ないし、今はスマホでなんでもやり取りできるから」と言うことだった。写真の同好者と全国を飛び回っていることも分かった。最後にクラス会の幹事にも会い、「おお、必ず開くから」と言ってもらえた。担任の親戚を探し求めた今日の旅の終わりは酷い花粉症の来襲だった。クシャミの連発と鼻水で、ゆっくり話も出来ずゴメンナサイ。

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生命保険

2018年04月25日 17時59分32秒 | Weblog

  昨夜からの雨は午前中に止んだけれど、午後は強い風が吹いている。生命保険のレディが契約内容の説明にやってきた。大柄の女性でしゃべり方も男っぽいが、指先は細くてきれいだった。保険について、私は懐疑的だ。将来起きるかも知れない万が一に備えて、掛け金を支払い金額を受け取る訳だが、最近はさらにいろいろな補償が加えられている。

 子どもの頃、母がよく「お前のために保険に入っているからね」と言っていた。そのための掛け金を支払いに四苦八苦していた覚えがある。「そんなに大変なら解約すれば」と言うと、「解約してしまったら何にもならない。保険は続けなければ価値がないんだ」と言っていた。けれど、母が亡くなっても保険金が入って来た訳ではなく、「お前のため」と言っていたが、私が保険から受け取ることは何もなかった。

 教員になると教員室まで保険のオバさんがやってきて、勧めてくれたが全く興味がなかった。結婚すると聞きつけたオバさんに、「将来に備えるのが男の甲斐性」と無理やり生命保険に加入させられた。今日の生保レディも「若い人たちには掛け金が低い保険が受けている」と言っていた。「死んだらいくらもらえる」という話は嫌だけど、「病気になったり、事故に遇ったりしたら、困るでしょう」と言われると、年金暮らしには急な出費は負担が大きいはずだ。

 少しずつ掛け金を支払い、それで助かるなら現実的な判断かも知れない。生活に負担がかかるような保険は止めてもらいたいし、「死んだら」と言うのも要らない。そう言っても、我が家の保健管理者はカミさんだからお任せで、「ちゃんと知っておいて」と言われるが何も知れない。長女はしっかり者だから、カミさんは長女に相談しているだろう。私は煩わしいことにかかわりたくないから、うまくやって欲しいと願うばかりだ。

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『およげ たいやきくん』の悲哀

2018年04月24日 17時44分41秒 | Weblog

  昭和で最も売れたシングル盤は『およげ たいやきくん』だという。フジテレビの子ども向け番組「ひらけポンキッキ」で歌われたものが、いつの間にか子どもよりもその父親たちの関心を引いた。私もその頃、ふたりの子どもを授かり、テレビで見ていた。昭和が終わり、平成になると、「昭和歌謡」などと懐かしい番組が作れれ、必ず『およげ たいやきくん』が登場するようになった。

 改めて聞いてみて、やっぱり子どもよりも大人の歌だと思った。出だしの「毎日 毎日 ぼくらは鉄板の」が、多くのお父さんたちの心に引っ掛かったのだろう。「毎日 毎日」出勤し、別に「鉄板」とは思わなくても、職場で黙々と働き、来る日も来る日も同じことの繰り返しに、「やになっちゃう」と感じながら、じゃ―どうするんだと考えても、結局は歌のオチのように、元の場所しかないのだ。サラーリマンは誰もがきっとそんな思いでこの歌を聞いたのだろう。

 私は教員の時も、自分で地域新聞を始めた時も、議員になった時も、毎日が違っていて、だから大変だったから、「やになっちゃう」ことはなかった。ああやってみたらどうか、これがいいのでは、どうしてなのかと疑問を追う、毎日が面白かった。退屈など感じる余裕がなかった。時間に追われ、それを充実した日々と錯覚する、それで充分楽しかった。頭に浮かぶことを人にどのように伝えるのか、そんなことをあれこれと追い求めているうちに年老いてしまった。

 せっかく飛び出した「自由な海」にも結局、何もなかったように、何かを求めていたはずが、何もなかったように思う。人生は、その「何か」ではなく、「求める」ことなのかも知れない。今日は雨降りで、少し寒さが戻った。求めれば遠のき、諦めれば消えてしまう。何かが分からなくても、ひたすら追い求めるしかないようだ。

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井戸掘りの喜び

2018年04月23日 17時50分00秒 | Weblog

 「三度目の正直」の諺通り、今日の井戸掘りは成功した。一度や二度はうまくいかなくても、三度目ともなれば成功すると昔の人は分かっていたのだろ。昨日の2度の失敗も、水が無かったからではなく、動作が鈍かったことや焦ってチェーンブロックで無理やり引き抜いたからだ。2度とも同じ接着部分から外れたから、接着剤が劣化していたのかも知れない。

 依頼主は今日も午前中は私たちの作業をじっと見守っていたが、午後、私たちが昼食に出かけて帰ってくると、「私が見ていると水が出ないので」と、どこかへ出かけられた。見られている緊張で失敗した訳ではなく、作業のミスというか動作がテキパキと出来なかったためだ。それに80歳近い老人は頑固で、他人の言うことを聞かず勝手にやってしまうことも失敗の原因だ。

 水が勢いよくホースから飛び出し、30分出し続けても水量は変わらない。依頼主の奥さんに「水が出ましたから見に来てください」と声をかける。冷たい水に手を差し出し、目を潤ませて「ありがとうございます」と頭を下げられた。先輩は「奥さんのその顔が見たくてやっています。こちらこそありがとうございます」と声が明るく響く。井戸掘りをしてその報酬でみんなで酒を飲む。それが無上の喜びなのだ。

 「二度あることは三度ある」と冷やかされたが、心掛けが良かったので「三度目の正直」となった。依頼主を紹介してくれた友だち夫妻もやって来て「よかったわね」と喜んでくれた。依頼主が午後4時過ぎに帰ると言うので、後片付けをして喫茶店でしばらく過ごし、戻って再び水を汲み上げる。先ほどと変わらぬ量の水が勢いよく飛び出してくる。そのエンジン音を聞いて、依頼主が現れた。

 両手を広げ、一人ひとりと握手をして、「ホッとしました」と言う。「まずは水に手を当ててみてください。地下水は気持ちいいですから」と先輩が促す。きらきらと輝く水に手をやり、喜色満面になられた。奥さんは「あんなに嬉しそうな顔、見たことがない」と呟かれた。ああ、よかった。明日から天候が悪いというので、金曜日に手押しポンプを取り付ける予定でいる。

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失敗は体力の低下だと思うが‥

2018年04月22日 18時28分48秒 | Weblog

  井戸掘りは失敗だった。しかも同じ過ちを2度も繰り返してしまった。原因は体力の低下だと思うけれど、誰もそれを認めようとしない。5メートル50センチほどまで塩ビ管を掘り下げたところ、打ち込んだ水が上がって来ない。ここに水脈がある。だから、少し引き上げて、吹管を入れる準備をしなくてはならないが、しばらく作業をしていなかったのでその感覚を忘れている。「早く引き上げて」と言うが、もうその時は塩ビ管はビクともしない。そこでチェーンブロックを使って引き揚げるが、地下の圧力が強くて、途中の接続部分で外れてしまった。

 2度目も、「慎重に」と作業を進めたのに、最後の詰めのところで、テキパキといかない。モタモタしてしまい、結局同じ過ちを犯してしまった。どうしてなのだろうと考えた時、動作が鈍くなっていることに気付いた。それに、「水脈だ」と感じた時の感覚を忘れているし、何をどうするかも身体が覚えていないのか動きが悪い。やっぱり体力が落ちているのだろう。一番若い私が74歳、残りの人たちは皆、80歳の手前だ。耳が遠くて、聞こえていない人もいる。「限界だよね」と私は言うが、「まだ出来る。明日は絶対大丈夫」と言う。

 先輩たちは確かに元気だ。私よりも体力があるかも知れない。日本の好景気の時代を生きてきた人たちなので、挫折などというものを知らない。「1カ月に100万円近くも交際費を遣った」と豪語する世代だ。私は教員だったから全くそんな経験は無いが、「毎晩のように接待でキャバレー通いをしていた」と言う。「財務省の福田事務次官のような言葉遊びは日常茶飯事で、もっとあくどいことをする奴もいた。女も金を見せれば言うことを聞いた」とも言う。私も教員になった時、私たちと先輩の先生との女性観が大きく違っていると思った。

 先輩たちの時代は「赤線」があり、「女は金で買える」経験がある。戦後教育の私たちは、「男と女は愛で結ばれる」と信じてきた。けれど金持ちや地位の高い人は、まだ戦前の意識が残っているようだ。そんな先輩たちも今は、井戸掘りに汗を流し、財務省の役人に倣って「過去は振り帰らない」と言う。まだ、反省が足りないようだから、明日の作業が心配だ。

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明治100年から明治150年へ

2018年04月21日 18時00分16秒 | Weblog

  姜尚中さんが講演に来てくれた時、私たちとの懇親の席で「2018年は明治150年、政府は記念事業を行うようです」と話した。今朝の中日新聞を見ていたら、特集『変革の源流』の中で、保坂正康さんが「明治100年の首相は佐藤栄作、安倍首相の大叔父です。明治150年は安倍首相、ともに山口県(長州)の選出。今から100年後の歴史家に、150年たっても薩長政府が影響力を持っていたと書かれますよ」と指摘していた。薩長の影響力については定かではないが、安倍首相が憲法改定に並々ならぬ意思を持っているのも歴史に名を遺すためなのだろう。

 しかも面白いことに、明治100年に当たる1968年はどういう時代だったかについて、別のページの『考える広場』で特集していた。私は高校の教員となり結婚して、カミさんの家で義父と食事をすることがよくあった。東大全共闘の山本義隆議長が演説する姿をテレビで見た。警察官の義父はなぜか、「こいつは大物だな」と評価していた。その東大全共闘の島泰三さんが「捉えやすい明白な不正に反抗するという形をとりながら、自分たちの不安と世代的な不満を一気に爆発させた」と回顧していた。

 そして、島さんは「全共闘世代の人たちが、今の学生たちは何も動かないと憤って見せることがありますが、それは老人のたわ言です」と述べていた。京大で男たちと一緒に闘争していた上野千鶴子さんは、「男女が平等でない現実」から女性運動に転身していった。その上野さんが講演に来てくれた時、名古屋まで迎えに行った私は、彼女が全共闘をどのように総括しているのかと思い、いくつか質問してみたが冷ややかだった。「自己否定の思想は評価されるのでは」と尋ねても、「何を言ってるのこのおっさんは」という目で笑われてしまった。

 「社会問題として『反乱』にまで至るかどうか、それは時代背景によって違うのです」と島さんは言う。確かにその通りだろう。でも、反乱に至らなくてもやはり歴史は積み重ねられていく。明日は井戸掘り、どうか水が出ますように。

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