友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

平成の終わりに

2019年04月30日 17時50分34秒 | Weblog

 テレビでは各局が揃って天皇の退位を報じ、美智子皇后との60年間を特集していた。1959年4月10日の成婚パレードは、家のテレビで観ていた。白黒テレビであったが、美智子さんの笑顔はとても美しく上品だった。結婚のきっかけは軽井沢でのテニスだったが、どういう訳かは知らないが、戦後を象徴するように各地にテニスコートが出来ていて、私の中学校でもテニス部は人気だった。

 短いスカートをヒラヒラさせながらコートを走る姿が、男の子にはたまらなかったのだろう。私は見たかったのに、見ること自体が恥ずかしくテニスコートに近づけなかった。大学で知り合った女性はテニス部で、一度は試合を観に行きたいと思いつつ実現しなかったが、カミさんにすることには成功した。

 成婚パレードには多くの国民が熱狂した。1989年、皇太子は天皇となり美智子さんは皇后となった。平成の始まりである。おふたりは皇室のあるべき姿を、模索し実行してみえた。これまでの皇室の慣例にとらわれないスタイルは非難を浴びたが、国民の多くが天皇陛下と美智子皇后に一層の敬愛を示すことになっていった。おふたりへの熱烈な歓迎ぶりがよく表している。

 おふたりが作られた象徴としての天皇・皇室の在り方は、皇太子と雅子さんへ受け継がれていくだろう。苦しいことや嫌なことがあれば、それを発露されてもいいのではないかと思う。皇室がなくなったとしても、国民はそれを静かに受け止めるだろう。それくらいの心の広さは国民も持てるようになってきた。

 みんなが幸せであるために、誰かを犠牲にすることはあってはならない。トランプ大統領は「アメリカ ファースト」と言うが、自国の利益ばかり求めたら相手の国はどうなるのか。相手の国にも人々は生活している。みんなが幸せになる道を探り出すのが政治であり、人がなすべきことだと思う。明日から令和となる。明日から次女一家がやって来る。次女のダンナと新元号を祝して一杯やろう。

 明日からはしばらくブログは休むことになりそうだ。

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マンションの総会

2019年04月29日 17時48分27秒 | Weblog

 マンションに入居したのは33歳の時だったから、既に42年にもなる。この地方では1戸当たりの面積が広く、人気が高かった。入居者は30代・40代の人が多かった。毎年、4月29日が自治会の総会で、1年間の予算や人事が決まる。全国的にも珍しい自主運営のマンションで、今日は45回目の総会であった。

 見渡せば知ってる顔の多くは白髪だった。地域の中でもマンションの高齢化は群を抜いていると聞く。それくらい住み心地がよく、他の地に移住せずに残っている人が多い。自治の仕組みは、輪番に組長を引き受け、その組長の中から役員を選出し、役員会が管理事務所を統括・運営する。日々の業務は管理事務所が行い、毎日の清掃や時々起きる修繕を業者に発注し、監督する。

 私も何度か役員に選ばれ、最後に自治会長の責務を務めた。総会は喧々諤々の論議の場であったが、最近は発言する人は滅多にいない。私は昨年の総会で、「会長職を6年も続けることは異常で、ぜひ来年は新しい体制を築いて欲しい」と発言したが、今年度は新しい人が選出され安堵した。

 有能な人が長く続けることはあるが、長すぎると新陳代謝ができなくなる。全員が責任を持つためには、自治会役員は出来る限り新しい人に交代していかなければならない。自治会の今年のテーマは『住民全員参加でコミュニティを考えよう』というものだった。自治会を支えてきた先人たちは、おそらく60年安保の経験者なのだろう、マンションをユートピアにしようと自治・自主管理を貫いてきた。私は役員をやる度に、先輩に飲みに連れて行ってもらい、そんな彼らの夢を聞いた。

 総会の参加者に高齢者が目立つだけでなく、委任状も出さない欠席者が出席者と同数程いる。委任状と出席者で辛うじて過半数を超えているが、総会そのものが成立しない時期が来るかも知れない。先輩たちが熱い思いでつくり上げてきたユートピアは、「夢」になるのだろうか。

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花粉症なのか絶不調

2019年04月28日 16時58分37秒 | Weblog

 昨日の猛烈な風には参った。塵取りが吹き飛ばされて辛うじてバルコニーの鉄柵に引っ掛かったが落ちてこなかった。風が強すぎてへばりついたままなのだ。そんな強風のため、ルーフバルコニーのチューリップは花びらをもぎ取られていた。鉢が1つ横倒しになっていた。バラは蕾が膨らんできていたのに、強風に引きちぎられたものもあった。

 今朝は穏やかな曇り空だったので、早速ルーフバルコニーに出て、昨日の被害を確認しながら後始末をする。バラの鉢は倒れたものはなかったが、根元の土が吹き飛ばされ、傾いていたものもあった。傷ついた枝や葉を取り除き、根元に新しい土を入れ、水やりをする。長い時間、ルーフバルコニーで作業していたら鼻水が止まらなくなった。

 花粉症なのか目もチカチカする。午後は隣の部屋で、次女たちが宿泊できるようにフトンやまくらを出してカバーをかける。カミさんとのコンビネーションがうまくいかない。私が思う手順とカミさんが考える手順とが一致しないのだ。昼前から胃の辺りが痛んでいたが、作業をするうちに痛みはますます強くなった。絶不調になってきた。

 「求め過ぎればイライラが募る。求めなければいい」と車谷長吉さんは書いていたが、なかなかそんな風に悟れない。チューリップもバラもアジサイもあんな強風に耐えていた。傷ついたものもあったが、それでも花を咲かせる準備を怠らない。私よりもはるかに我慢強いみたいだ。長女のダンナは何時、パソコンをセットしに来てくれるのだろう。

 

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3人の孫娘

2019年04月26日 17時50分42秒 | Weblog

 長女のところの小4の孫娘は、仙台の次女一家がこちらへ帰ってくるのを凄く楽しみにしている。仙台の4歳のいとこの誕生日祝いを作り、何して遊ぶかと考えている。仙台の4歳の孫娘も、小4の孫娘と遊べることが嬉しくてたまらないようだ。小4の孫娘には社会人2年目の姉がいるが、15歳も離れているから姉妹という感覚が薄いかも知れない。

 今は家を出ている社会人の孫娘だが、就職するまでは家から学校へ通っていたから学園祭など、3歳で見に行っていたはずだ。そんな時でも、高校生の姉を「アユ」と呼び捨てにしていた。母親が「アユ」と呼ぶので、そうなったのだろうが、「お姉ちゃん」とか「アユ姉ちゃん」と呼んで欲しいと私は思うが、今更直らないだろう。

 小学生になるとますます「アユ」と呼び棄てるようになった気がする。姉に向かって命令口調の時もある。姉の方はそんなことなど気にすることも無く、まるで母親のようにというか、母親代わりに妹の世話をしている。妹の横柄な態度に腹を立てることもせず、姉ぶることもしないあの子はエライなと感心する。穏やかな性格と優しさは、きっとあの子の人生にプラスとなるだろう。

 先の「メモリアルコンサート」で、小4の孫娘を見た40年の付き合いがある友だちは、とてもいい言葉で称えてくれたのに、今その言葉が出てこない。彼女に確かめてみようと思っているうちに時が過ぎてしまった。「新緑あふれる小原の里」への道中の車内でのことだから、彼女も忘れてしまっているかも知れないが、何だっただろう。

 仙台の次女一家は車で来ると言う。どのルートで来るのか知らないが、道路はどこも混んでいるようなので、くれぐれも事故のないように、出来れば1泊してのんびりと安全運転で来て欲しい。小4の孫娘にとって仙台のいとこは、自分の妹の気分なのだろう。今日から、みんなが泊まる部屋を掃除し、フトンを用意し、準備を進めている。さて、明日は「NPOおたすけ」の親睦会のため、ブログは休みます。

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またひとり旅立った

2019年04月25日 17時09分54秒 | Weblog

 春の天気予報は難しいようで、今日は雨の予報だったのに、昨日辺りから曇りのち晴れに変わった。カミさんたちはゴルフで、私は葬儀だったから、雨降りでなくてよかった。2月、3月と葬儀が続いたので、もう4月はないだろうと思っていたのに、昨日、私と同期だった仲間が亡くなったと市の議会事務局から電話があった。

 彼は創価学会員で公明党の議員のひとりだった。中央は自民と公明で組んでいたが、地方議会はまだ仲良しにはなっていなかった。ちょうど福祉会館が出来る時で、当局は「特定の政治団体や宗教団体には使用させない」という規則を提案してきた。公共施設の使用に制限を設けるべきではないと私は反対し、公明党議員も賛同してくれたが、条例は賛成多数で可決された。

 同期当選ということもあり、一緒に旅行にも出かけたこともある。彼は私より4歳年下の団塊の世代で、カラオケでは谷村新司の『昴』をよく歌った。私も好きな歌だったから、一緒に歌ったこともある。人の良い正直者の印象が強いが、今日の葬儀で、公明党の新聞に記事を書いていたことを知り、文章を書くことも好きだったのだと改めて思った。

 棺の中の彼は極端に痩せて小さくなっていた。昨年の7月に膵臓ガンと判り、病と闘いながらあっという間にこの世を去った。同僚の女性議員が「膵臓ガンは見つけにくいから」と気落ちして言う。仕方ない、誰にも定めというものがある。日蓮宗に従えば、彼は極楽浄土へ旅立っただろう。「最後まで居てくださってありがとうございます」と彼女は言うが、最後まで見届けてあげることは友だちとしての礼儀だと思う。

 私もまた、何時旅立ちの時が来るかも知れない。未練を残さないようにと思う。連休には仙台の次女一家がやってくる。長女のところの小4の孫娘はそれを楽しみに待っている。姦しい孫が3人揃うことになる。いや、姦しいのは2人の娘の方か。

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パソコン音痴

2019年04月24日 17時52分44秒 | Weblog

 朝から雨が降っていたので、ルーフバルコニーでの作業は諦めた。せっかく時間があるならと思って、長女のダンナが持って来てくれたパソコンの箱を開いてみた。私が「パソコンの調子が悪い」と言ったので新しい品を持って来てくれたのだ。しかし、彼は忙しくていつセットしてくれるのか分からない。催促するのも気が引けるし、彼が来てくれるのを待つしかなかった。

 箱を開けてみて、私でも組み立てられるのではないかと思い、やり始めた。画面とパソコンとキーボードはつなぐことが出来たが、よしと思って電源スイッチを押してもウンともスンとも動かない。やっぱり彼が来るまで待てということのようだ。決して急がないので、時間が出来たらセットしに来て欲しい。Windows10が無料でダウンロード出来るとメールが送られて来て、それならと実行してから、パソコンの調子が悪くなった。街の電気屋さんに持って行って直してもらった。

 「Wordのソフトを持って来て」と言われたが、私のパソコンは友人にインストールしてもらったものなので手元には無い。そこで無料で使えるというopenofficeをインストールしてもらった。私がパソコンで行なうのはブログとメールと年賀状の宛名くらいだから、それで充分だと思っていた。ところがWordの機能とはかなり違う。どうしたものかと悩んでいたら、彼が新しいパソコンを届けてくれたのだ。

 パソコン音痴で誠に恥ずかしいが、こうなってはもう、彼に頼るしかない。ルーフバルコニーでの作業もダメ、パソコンのセットもダメ、となると本でも読むしかない。「新緑あふれる小原の里」へ誘ってくれた友だちが、評価している車谷長吉さんの本『人生の救い』が中日新聞に紹介されていたので買っておいた。朝日新聞に連載された人生相談を単行本にしたものだ。さすがに友だちが評価するだけあって文章が心地いい。回答も独特で、なるほどと共感出来る。生年月日を見たら、友だちと同じ1945年7月だった。

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工房の主は美意識を変えず

2019年04月23日 17時19分09秒 | Weblog

 山の谷間は清々しかった。太陽の光は谷間の真ん中辺りにしか届かず、空気はひんやりしている。カサカサと音がして、葉が舞い落ちてきた。山の上の方で風が吹いたのだろう、新緑となるために古い葉が落ち葉となったのだ。見上げた空に、緑の落ち葉がヘリコプターのようにきらきらと舞う様子は美しいかった。

 すると、落ち葉の後から雪のような白いものが舞い落ちてくる。桜の花びらだ。どこにあるのだろうと目を凝らすと、頂の方にわずかに白いものが見える。私たちが「桜の宴」をする場所は、桜並木が続いているので桜吹雪はよく目にしたが、こんな風に、どこからは分からない桜の花びらが空から舞い落ちる光景は初めてだった。

 工房の主が「キレイでしょう」と囁く。彼女は「この自然がいいのよ」と言うが、本当にその通りだ。陶芸で名をあげた人だけに、美意識はハッキリしていた。私の友だちがベンチを日当たりの良い真ん中に移動して、来た人たちが話が出来るように工夫したのに、通りがかった彼女は「私の感覚ではないわ」と3度も言ったので、友だちは元に戻した。

 ギャラリーでの食事の時も、「向こうは暗いからこちらにしましょう」と友だちが言ったのに、「食事はここで」と暗い場所を指定する。友だちは何も反論せず、指示に従った。頑固と言えばガンコで、空気を読まず自己を貫く勝手な女性だが、だからこそ著名な作家になれたと思う。彼女は「夫婦なんて別々が当たり前じゃーない。理解することは無理よ」と言い切る。

 「それでも、理解して欲しいのが人間なんでしょうね」と言わなくてもいいことを口にしてしまった。彼女を見ていると強い女性には違いないが、誰かに支えられたい弱さが漂っていた。ここに集まった56人は人生の成功者で、別荘を持ち、海外旅行を楽しむ富裕層である。乗ってきた車は外車が多く、国産車も高級車ばかりだった。人生の終末をどのように楽しむかは人それぞれ、私は「最後の恋」を求め続けよう。

 

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新緑あふれる小原の里

2019年04月22日 17時26分30秒 | Weblog

 「新緑あふれる小原の里」はどの辺りに位置するのだろうか。和紙と四季桜で有名になった小原の和紙工芸館よりは南の、山深い、こんなところは車も通らないだろうと思うような、洞のような谷間を開いたところだった。三方を山に囲まれているから、台風のような強風が吹いても、直接に強い風は当たらないだろう。

 ここに女性陶芸作家の工房があり、おそらく多くの人の訪れに備えたのだろうギャラリーがあり、山のツツジや若い木々が彼女の作品に活けてあった。集まったのは56人に及ぶ。多治見の料理屋から運ばれてきた懐石弁当をいただき、各自が持参したお酒を飲んだ。それぞれが自慢のお酒を次々と出してきて、ビックリする大宴会であった。

 昼食の後は、庭園デザイナーで落語もこなす、私も何度か聞いたことのある知り合いの落語を楽しんだ。以前よりもはるかにうまくなっているなどと言っては誠に失礼だが、「おだいはいらねえ」なんて誠に太っ腹だ。体形も年を重ねて太っ腹にはなっていたが、外見だけではなかった。工房の周りは彼が作った庭で、持ち主の自然への思いが深く感じられた。

 大方の人は夕方になる前に帰られたが、居残り組の12人は更に夜の会へと進み、今度は主の手作りのカレーと友人が持って来てくれたソバと、そしてまた持ち込まれたお酒で大いに飲み、食べ、話し、新録の谷間で熱く燃えた。午後8時、工房の主を残して、近くの笹戸温泉の宿の迎えのバスに乗り込み、真っ暗な山道をぐるぐる回って宿へ着いた。今朝、カーテンを開けると眼下に大きな川が見えた。

 さらによく見ると、カモが3羽河原を動き回っている。エサやりのおばさんが言うには、「5羽いるんだけど、1羽がなかなか出てこない」らしい。エサがもらえるので、すっかりカモは人に慣れてしまっている。宿の窓から河原を眺めた時、恋人らしい男女が川面を眺めていたので写真を撮りたかったのにカメラを持って来なかったので、私のケイタイで写してみたが小さな点が寄り添っていただけだった。 

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高齢者ドライバーの交通事故

2019年04月20日 17時10分25秒 | Weblog

 今年の最初のバラが咲いた。鉢の土を入れ替え、肥料も与えたが、花はまだ小さい。もう少し、枝が大きく伸びてこないと花は大きく咲かない。花も人も、大きく咲く時期と場所があるようだ。たくさん蕾が膨らんできたから、5月になれば大きな花が見られるだろう。チューリップは今が満開だから、これからは風に煽られて傷つきながら散っていくばかりだ。

 東京の池袋で昨日の正午過ぎ、87歳の男性が運転する車が次々と人をはね、横断歩道を自転車で渡っていた母と3歳の娘が死亡した。運転していた男性は息子に、「アクセルが戻らなくなった」と電話したという。近所の人は男性から、「もう運転はしない」と聞いたそうたが、男性は足が悪く、歩くには杖が必要だったらしい。

 先日の認知機能検査の時もそうだったが、歩けない人にとっては車は助かる。今の車は自動運転なので、ハンドル操作ができて右足が使えれば、簡単に運転出来る。87歳の男性も運転免許証を返上するつもりでいたのだろうが、日常の便利さからついつい車を運転してきたのだろう。同乗していたカミさんから、「危ないよ」と声をかけられても、「どうしたんだろう」と答えていたそうだ。

 75歳以上の高齢者ドライバーが受けなくてはならない認知機能検査で、安全運転が確保できるのかは疑問だ。16枚の絵を見た後、指示された数字を消す作業をし、次に絵に描かれていたものを思い出すテストだが、そんな記憶検査で認知機能が計測できるとは思えない。けれども、全国でこの検査が行われているのだから、学術的に裏付けされているのだろう。

 ゲームでやるように運転席に座り、前方の大画面を見ながらとっさの判断をする、そんな検査の方が実効がありそうな気がする。車が無ければ生活が不自由になってしまう高齢者は多いから、そこを解決しないことには高齢者の交通事故は減らないだろう。明日は友だちに誘われて、「新緑あふれる小原の里」へ1泊で遊びに行く。昼から夜まで飲み会が続くのは辛いが、運転はしなくていいと言われ、参加することにした。明日のブログは休みます。

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運転免許証の延長手続き

2019年04月19日 17時10分15秒 | Weblog

 認知機能検査の結果は合格だったので、次の高齢者講習を受講するために自動車学校へ電話した。近くの学校はどこも9月以降でないと空きはないと言う。私の誕生日は4月16日だから、5月16日までが更新の限度である。免許は更新できないのかと思い、認知機能検査を受けた自動車学校に電話してみたら、6月4日なら空きがあると言う。

 「それでは、免許の更新に間に合わないけど」と尋ねると、「最寄りの警察署に行き、延長の手続きをしてください」と指示される。そうか、免許証に延期の判でも押してくれるのだろうと気楽な気持ちで出かけた。窓口の前の椅子には何人もが座って何かを持っている。この人たちは延長の人ではなく、更新の人たちなのだろうと思うが、私のような高齢者が半分くらいいる。

 窓口で、「高齢者講習を受けられることになったのですが、有効期限に間に合わない」と伝えると、すぐに受け取って「この用紙に記入したら、こちらへ持って来てください」と言われる。書類を提出すると、「しばらくかかりますから座ってお待ちください」と指示される。そしてまた呼ばれ、「隣の窓口で更新手数料2500円お支払いください」と言われる。そこでなんとなく分かってきた。

 私は、免許証に判を押すだけと勝手に思っていたが、更新の時と同じように視力検査を受け、免許証写真を撮り、新しい免許証を作ってしまうのだ。それを高齢者講習を受けて、大丈夫と判断されればまた警察署に来て受け取る、そういう仕組みになっていたのだ。ところが視力検査で「見えていませんね」と言われてしまった。

 確かにこのところ、右目がよく見えない。かすんでいるような感じで形がはっきりしない。左目はまだよく見えるから、両眼なら何とか見える。係りの人優しくて、「疲れているかも知れませんから、もう一で検査しましょう」と言ってくれる。3度目は廊下で、学校の視力検査に使う表で検査を受け、「合格です」と言ってもらえた。さて、次は自動車学校での高齢者講習で合格しなくてはならない。こんなに面倒なのは高齢ドライバーの事故が多いので、免許の返上を促すためなのだろう。

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