友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

安城市の図書館が手本だったのか

2023年05月31日 17時42分23秒 | Weblog

 小牧市図書館に2度、行ってみて、凄いなと感心した。図書館はこうあるべきだという手本のように思った。私はどういう訳か、図書館が好きで司書免許までも取得した。その司書の実習が建て替え前の小牧市図書館で、小牧山の東にあった多くの書籍を所蔵した昔ながらの図書館だった。

 図書館に行けば、たいていの本が揃っていて、読書できるコーナーがあるし、何人かで使える学習室が備わっている、そんなイメージだったが、新しい小牧市図書館は広々としていて、何よりも個人が使えるライト付きの机がズラリとあった。読書ばかりか調べ物をしたり、パソコンも使用できる空間になっていた。

 テレビで安城市の図書館が取り上げられていたので、急遽、カミさんと出かけた。図書館は複合施設になっていて、「アンフォーレ」と呼ばれていた。駐車場を挟んだ南側は「暮らしの学校」という講座や学習などを行う公民館で、北側が図書館になっていた。東隣りは公園が併設されている。

 図書館の2階は「こどもフロア」で、「つどいのへや」からにぎやかな子どもの声が聞こえて来たので覗いてみると、「0歳児から3歳児までの保護者・祖父母の皆さんもお入りください」とある。まるで保育園のようだ。さすがに新美南吉にゆかりのある安城の図書館らしく、南吉の童話もいっぱい揃えてあった。

 図書館が新しく開館したのは2017年というから、4年後に開館した小牧市図書館は、ここを手本にしたのかも知れない。「アンフォーレ」の名称が気になったので尋ねると、安城の「アン」とフランス語の森を意味する「フォーレ」を組み合わせたものと言う。駅にも近く、開館時間も午前9時から午後8時までと長い。

 帰りに「安城デンパーク」へ寄った。花たちが一段ときれいだったが、何よりも新緑が美しかった。自動車のナビと助手席のナビに振り回されたけれど、久しぶりに出かけて行ってよかった。明日も天気が良いようなので、植木鉢を運び出す計画でいる。

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あの女の子が幸せにいきていける社会に

2023年05月30日 17時53分56秒 | Weblog

 可燃ごみの袋を持って集積所へ行く途中で、小学校から帰って来た低学年の女の子とすれ違った。女の子が、「おじいさん、こんにちは」と頭を下げた。私はビックリして、「こんにちは」と返事をした。「おじいさん」とハッキリ言われたのは初めてだった。

 戻って洗面所の鏡を見て、「やっぱり、おじいさんか」と思った。自分ではいつまでも若いつもりでいたが、どう見ても年寄りなのだ。ただ、自分が子どもの頃に見ていた年寄りはもっと老けていた気がするが、自己援護なのだろうか。

 今朝の朝日新聞の広告欄に、「週刊朝日は今号をもって休刊します」とあった。おそらく復刊は無いだろう。「週刊朝日」と「サンデー毎日」は真面目過ぎたというか、時代に合わなくなってきていた。

 喫茶店に置かれている週刊誌は、裸の写真や芸能スキャンダルが圧倒的で、家で読めるような真面目なものは無い。新聞を購読する家も少なくなっていると聞く。私たちが若い頃は雑誌「世界」を読むことが、大学生のスタイルだった。

 理屈っぽい記事や、主張がハッキリしている雑誌や週刊誌は読む人がいないのか、でも、書店に行くと、「Will」や「Hanada」が積まれている。裸の雑誌やエロを売りにした雑誌も売り場を増やしている。

 隠れて買い、隠れて見ていた本が、堂々と書店に並べられている。若い人よりも中年以上の男性が買っているようだ。社会を支えてきた、あるいは社会の中心にいる、そんな人たちである。政治や社会の問題に、疲れたのか、嫌気が刺したのだろうか。

 国民が無関心でいてくれることが、政治家には一番都合がよいことだと泉房穂氏は言っていた。行政に携わる人々は、前例に従い、新たにことを起こさないように努める。横並びを尊び、自己の権益を守る。それが行政に携わる人々だと指摘していた。

 「おじいさん」と呼ばれて、ビックリしているようではダメだ。あの女の子が幸せに生きていける社会に、「おじいさん」も責任がある。

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年寄りが拘るのは過去ばかり

2023年05月29日 17時20分31秒 | Weblog

 小3の娘がいる次女から、「私が使っていたソロバン、どこにあるか知らない?」と、カミさんにメールが来た。娘たちが欲しいと言うものは、何でも買い与えてきたが、何時どう処分したのかまでは覚えていない。

 今でも小学校では、ソロバンの授業があるのかとビックリする。計算機の方が確実で早いのに。私も小学生の時、ソロバン塾に通ったことがあった。文字通り3日でやめてしまった。何をやっているのか、さっぱり分からなかった。

 塾の先生が、「初めてだから、もっと早い時間に来なさい」とか、ソロバンの持ち方や動かし方から教えてくれればよかったのに、いきなり数字を読み上げたので、全くついていけなかった。あの頃はソロバン塾は盛況で、私のような子は手間がかかると見抜かれたのだろう。

 私が中学に入る時に、父が買ってくれた勉強机は、このマンションに引っ越してからも使っていた。高校の時の学生服は、私の教え子が欲しいと言うのであげた。辞書や万年筆はそのまま使い続けたし、処分したと記憶に残るものは日記以外にはない。

 中学から書き続けていた日記帳は何冊もあり、県内で小説を書いている人のところへ送った。その人が新聞のコラムに、「小説の原稿や作品と称するものを送ってきて困る」と書いていたから、きっと焼却処分になってしまっただろう。

 娘たちのものと言えば、生まれた頃からのアルバムが我が家に残っている。家族旅行や運動会など、貴重な写真だと思うのに、どうして娘たちは自分の手元に置かないのだろう。「パパが寂しがるといけないから」などという思いやりだろうか。

 生活のスタイルは全く変わってしまった。私のように、思い出ばかりを大事に取って置くと、収納するスペースばかりが膨らんでしまい、何が何だか分からなくなってしまう。若い人が見ている世界は前にある。年寄りが拘るのは「過去」のようだ。

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深いため息が出てしまった

2023年05月28日 18時46分32秒 | Weblog

 友だちに頼んで、Amazonで購入してもらった残りの1冊が今朝、届いた。歌集『キリンの子』である。「中古でもいい」と返事はしたものの、汚れていたらと心配だったが、フィルムでカバーされた新品だった。

 書籍の最後のページには、作者の名前やプロフィールが記されているのに、この本には「鳥居」としか書かれていない。「2歳の時に両親が離婚、小学5年の時には目の前で母に自殺され、その後は養護施設での虐待、ホームレス生活などを体験した女性歌人」と紹介されている。

 「義務教育もまともに受けられず、拾った新聞などで文字を覚え、短歌についてもほぼ独学で学んだ」とある。短歌は彼女の体験を綴ったもので、口語歌が多いから分かりやすいが、余りにも悲惨な状況で悲しくなる。

 おそらく入水自殺を図ったのだろう、「入水後に助けてくれた人たちは『寒い』と話す 夜の浜辺で」。「死にきれず蛍光灯を見つめており動けないままエタノール嗅ぐ」。「夜だけはみんな死んでた夜だけはひとり起きてた(夜だけが味方)」。

 亡くなったお母さんの歌では、「サインペンきゅっと鳴らして母さんが私のなまえを書き込む四月」。「味噌汁の湯気やわらかくどの朝も母はわれより先に起きていて」。「泣いたってよかったはずだ母はただ人参を切るごぼうを洗う」。「副作用に侵されながら米を研ぎ、とぎつつ呻くあの人は母」。

 昨夜、テレビで観た映画『ギルバート・グレイプ』も悲惨だった。アメリカのアイオワ州の小さな町の4人家族の物語だった。知的障害の弟と、夫が首吊り自殺して以来、家に籠ってしまい過食症で250キロもある母と、ふたりの姉妹の生活を支える青年ギルバート。出口が全く見えない絶望的な日々が続く。知的障害の弟の18歳の誕生日を目前にして、母親は亡くなるが、巨体は動かすことが出来ない。家ごと燃やして弔う。母が居なくなり、姉妹も旅立ち、ギルバートも弟を連れて旅に出る。

 重いアメリカ映画を2週連続で観た後で、さらに悲惨な短歌に出会い、深いため息が出てしまった。

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相手の気持ちを察する努力が必要である

2023年05月27日 17時36分09秒 | Weblog

 今晩は夏祭りについてみんなで話し合う予定だったが、先程、ボスから電話があって、「来週の3・4日か、10・11日に延期する」と言う。理由は言われなかったが、何となく悪い予感がする。

 夏祭りに参加するか否か、みんなで話し合って決めなければ上手くいかないことは分かっているはずだが、ボスは昔の人だから、呼びかければみんな従うと思っているようだ。みんなの気持ちがひとつになるように、根回しをする必要があるのに。

 確かに以前なら、掛け声ひとつでみんなは動いた。けれど、3年もブランクがある。ここはひとつ、みんなの気持ちを大いに盛り上げる必要がある。いくら遊び仲間だといっても、集団となると心を動かすものが無ければダメだ。

 明石市の前市長、泉房穂氏はワンマンで何事も自分で決めて突っ走ってきた。議会とも職員とも、妥協することも無く、自分を貫いてきた。その姿勢には感心するけれど、その手法には呆れるところがある。

 今の日本の制度では、首長は大統領のような強い権限がある。けれど議会は、首長に不信任決議を行うことが出来る。泉氏のような市長は異例で、多くの首長は議会と仲良くやっている。そのために市民からは問題点が見えにくい。

 ある意味で、日本の政治そのものが、国民から遠くに感じられるのはそのためだ。地方議員の選挙の投票率は50%を割るし、首長選ならもっと低くなる。私の住む北名古屋市は人口約8万人だが、どん尻の市議の当選は753票だった。

 だから私は、地道にコツコツと地域を回って訴えれば当選できると説いている。けれど議員になると、何を活動しているのかよく見えない。当選できればいいだけの人だったのかとガッカリする。

 みんなの気持ちをひとつにするには、やはり会話が必要だ。会話が成立するためには、相手の気持ちを察する努力が無くてはならない。

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市長にも、ぜひ読んで欲しいと思った

2023年05月26日 17時58分09秒 | Weblog

 友だちに頼んで通販で買ってもらった本を読み始めた。明石市の前市長、泉房穂氏をインタビューした鮫島浩氏との対話集『政治はカンカだ!』である。泉前市長のことは新聞などで、暴言市長と取り上げられていた。また、人口増加と税収増加を成し遂げた市長とも言われていた。

 本の新聞広告には「腐った組織は変えられないとあきらめている全日本人必読」のコピーが大きく目立つ。本の帯には「議会、政党、宗教団体、市役所職員、マスコミ‥、私が闘ってきた相手の正体をすべて明かそう」とある。風貌から歳のいった人だと思っていたが、1963年生まれの60歳と若かった。

 「『四面楚歌』とか、『絶体絶命』という言葉が好きだ」とか、「『人から嫌われたくない』なんて思ったことは無い」と話す、実に変わった人である。明石市長になりたくて、そのためにだけ生きてきた。その原点は、障害を持って生まれて来た弟に対する理不尽な政治にあった。

 「故郷の明石を誰よりも愛し、誰よりも憎んでいた」10歳の少年は明石市長になることを決意して東大に進み、学生寮の寮費値上げ反対の全学ストを決行、敗退した責任を取ると退学届けを出したが、学部長に説得されて復学する。1980年代でも学生運動は続いていたのだ。けれど、泉氏の目は東欧で生まれた「民衆の力」による国家の変革に向かっていた。

 「誰一人見捨てない」政治を目指し、「市民の応援だけを味方にして勝たないと意味が無い」と政党や団体の応援を拒否して市長選に臨んだ。「私たちの明石を私たちの手に取り戻そう」「私たちの社会を諦めてはいけない」と訴えて回った。69票差で当然したが、これまで通りの風習にとらわれない新市長は、議会・職員・マスコミからの総攻撃を受けた。

 我が北名古屋市の太田市長にも、ぜひ読んで欲しいと思った。

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次の時代のスローガン

2023年05月25日 17時44分57秒 | Weblog

 「ウィルあいち」の2階にあるNPOプラザに入って、ちょっとびっくりした。事務所の壁には何枚もの、「北方領土返還」を訴えるポスターが貼られていた。返還運動に熱心な人がいるのか、上の指示で貼っているのか、定かでは無いが、公共の場ではあまり見たことが無かった。

 ウクライナがロシアと戦っているように、国土を奪い返すのは並大抵なことでは無い。自分が住んでいた土地を奪われて、平気でいられる人もいないだろう。人間の歴史そのものが土地の奪い合いだった。土地は人間にとって、無くてはならないものだから。旧約聖書にしても、古事記にしても、人々の土地への執着が描かれている。

 人間は農業に適した土地を求め、仲間とともに国を打ち立て、これを治めて来た。内に籠っているだけでは飽き足らず、他の国までも支配下に置こうとしてきた。日本人もどこから来たのか分からないが、大和朝廷が出来ると、次第に南北へと支配を拡げていった。北海道は江戸時代までは北の果て、異民族が暮らす土地だった。

 どこの国も、先住民を追い出したり、支配しながら国土を増やしてきた。アメリカは先住民を追い払って、白人国家を建設してしまった。北アメリカも南アメリカも、先住民を支配して新しい国家が生まれた。オーストラリアもニュージーランドもそうして生まれた。

 追い払われた先住民たちは、「領土返還」を求めているかも知れないが、ウクライナのような軍事力が無いから奪い返すことは出来ない。しかし、考えてみれば、国家が無ければ奪い合うことも無い。ご近所同士で仲良くやればいい。国家が無くなれば、軍備増強も必要無くなる。

 軍事費に予算を回すことが無くなれば、人々はもっと豊かに生活出来る。「国家廃止」「国境廃止」「軍隊廃止」こそが、次の時代のスローガンになるだろう。「みんな仲良く!国家を廃止しよう!」を訴えるポスターを募集する時代へ進むだろう。

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それしか手は無いだろう

2023年05月24日 17時27分42秒 | Weblog

 今朝、愛知県のNPO担当者から電話がかかってきた。提出した書類に不備があるので、再提出して欲しいというものだった。書類の様式を尋ねると、ホームページからダウンロード出来るからと場所を指示される。

 けれど、私は探すことが出来なかった。右往左往してやってみるが、さっぱり分からない。それなら直接担当者に会って教えてもらう方が早いと思い立ち、「ウィルあいち」へ出かけた。車中から見える、街路樹も家々の庭木も、新緑に輝いていた。

 家の中に籠っていては、こんなにも美しい景色は見ることが出来ないと思い知った。緑輝く季節は、心まで晴れやかにしてくれる。道行く人もウキウキしているように見える。「ウィルあいち」には以前も来たことがあったのに、新緑に騙されたのか道が分からなくなってしまった。

 何度も通り過ぎて、やっと入館できた。担当の若い職員は親切だった。貰った様式をパソコンで打ち直し、必要書類をそろえて郵送すればいい。県下にどれほどのNPOが存在するのか私は知らないが、それを隈なくチェックするのは大変な苦労だろう。私のような年寄りが報告書を作成していれば、どこかでミスが出てしまう。

 でも、おかげで新緑の名古屋の街に出会うことが出来た。名古屋城の周りは緑がキレイだった。「白い街 名古屋」と歌われていたのは、もうずいぶん昔のことだ。でも、街路樹が大きくなると落葉で文句を言い出す人もいるだろう。ご近所で、みんなで清掃することは出来ないのだろうか。

 私が住むマンションでも、年に2回草取りの日があるが、歳を取り確かに作業が難しくなってきた。このまま高齢化が進むとどうなってしまうのかと思う。やれるうちは、やれるようにやる、それしか手は無いだろう。

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たとえ真実を突かれても

2023年05月23日 17時58分27秒 | Weblog

 ルーフバルコニーの植木鉢の処分をどう進めるか、夢の中でも考えていて、最近は眠りが浅い。今朝はカミさんがゴルフに出かけたので、早くからルーフバルコニーに出た。北と南に別れて置いてあった、ペチュニアの鉢を北側に集めて並べ直した。

 水遣りをしていると雨がパラついてきたが、しばらくすると止んでしまったので、もう一度、花の様子などを見ながら水遣りをする。北側に集めたのは、植木鉢を運び出しやすくするためだ。けれど、やっぱり人手が足りない気がする。

 長女のダンナに助っ人を頼んだところ、OKをもらったのでまずは一安心だ。中学生か高校生くらいの元気な子が、アルバイトで助けてくれるといいと思ったが、平日なのでやはり年寄りでやるしかないようだ。

 北の部屋から玄関まで、ブルーシートを貼って、靴のまま作業が出来るようにしよう。井戸掘りで使っていた、ブルーシートを借りられるか訊いてみよう。正午近くなって、風が吹いて来た。今は午後5時半過ぎだが、強い北風がペチュニアを痛めている。

 昼から書店に行き、気になっていた本が置いてあるか尋ねたが、「ありません。お取り寄せも出来ません」と言う。みんなが通販で買っているのだから、私にも出来ないことはないと挑戦してみた。けれど、カードは持たない主義の私は支払いが出来ない。

 何度かやってみたが「完了」にならない。先日、「通販で買っている」と話してくれた友だちに頼む他ないとメールする。するとしばらくして彼女から、「今、購入出来ました」と電話が入った。本は私の家に直接届くと言う。

 出来る人は何でも出来る。これからはきっと、先端技術を使いこなせるか否かが大きな差になっていくのだろう。私も学ぶべきだろうとは思うけれど、いや、私のような人間の存在も大切ではないかと思い直す。

 マイナンバーカードで国民の一人ひとりを全て掌握しようとする、政権に対するささやかな抵抗である。たとえ、追いついていけないだけじゃーないかと真実を突かれても。

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これだけはハッキリしている

2023年05月22日 18時45分53秒 | Weblog

 ルーフバルコニーの植木鉢をどう処分するか、昼も夜も考えていたら、寝ているのに頭が冴えてしまい、ああでもないこうでもないと堂々巡りに落ちた。こんなバカなことに神経を使うのはまっぴらと、眠りにつこうとするがますます頭が冴えてしまう。

 朝、起きて早速ペチュニアの花の手入れに精を出す。咲き終わった花をハサミで切り取りながら、なぜ童謡の歌詞を思い違いしていたのかと考えていた。それは『背比べ』という童謡で、「柱の傷はおととしの 5月5日の背比べ ちまき食べ食べ兄さんが 計ってくれた背の丈 昨日比べりゃ何のこと やっと羽織の紐の丈」の歌詞。

 私は初め、昨日と比べて紐の丈も背が伸びるのかと思ってしまった。でも、よくよく見ればおととしと比べていることが分かる。それにしても「羽織の紐の丈」とはどのくらいなのかが分からない。童謡なのにどうしてこんなに難しいのかと思った。羽織の紐の「丈」は、どこ長さを指すのだろう。着物を着ない生活になって、童謡の世界も遠くなってしまった。

 外国の言葉を日本語に訳す時や、日本語で話した言葉を外国語に訳す時も、きっと大変だろうなとG7首脳会議の報道を見ていてそう思った。インドやブラジルなどの招待国も含めれば、世界の指導者が集まったのに、新しさや過激さは全く無く、これまでの焼き直りのような感じだ。それでも何か、あったと思いたい。

 市川猿之助さんの両親が向精神薬中毒で亡くなった。報道では、家族会議で「死んでやり直そうと話し合った」という。「死ぬ気になってやり直せ」とはよく聞くが、死んでしまったらやり直すことは出来ない。言葉が違う気がするが、真相は分からない。でも、この報道の時、どこの局も「心の電話相談」を紹介しているから、「悩み」があったのだろう。

 誰でも悩みはあるけれど、死んでしまえばやり直すことは出来ない。これだけはハッキリしている。 

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