友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

中学3年の担任

2018年11月30日 17時31分58秒 | Weblog

  中学3年の担任の息子さんからお礼の手紙をいただいたので、「もし、こちらに帰られる時はお知らせください。3年3組のクラス会にご招待します。」と手紙を書いた。先生が鉄筆で書き上げ、印刷・製本してくださった「クラス誌」の復刻版を親戚の方に送り、息子さんに「渡して欲しい」とお願いしてあったものが届いたということだろう。九州で大学に勤めているとあった。

 私が高校1年の時に息子さんは生まれているから、今年で58歳になると思う。可愛い顔をしたはにかみやさんだった。私は教師になると、生徒を家に呼んで食事していたから、先生と同じことをしていた。短気でよく怒ったが、教師として尊敬していたのだと思う。体育大会の短距離では体育の先生に負けないくらい速かった。

 先生が生活指導を担当した頃は学校が荒れていた時代で、「夜遅くまで問題の生徒がいそうな盛り場を見て回っている」と言っていた。熱心過ぎて、家庭のことは放りっぱなしだっただろう。思い込むと一直線で、周りが見えていないところがあった。名古屋での会議の後で会った時、「先生、ご自分の身体を大事にしないと」と少し茶化して言うと、「自分のことなど構ってはいられんよ。それくらい、今の中学校は大変なんだ」と真剣な表情だった。

 私は先生に期待されていたのに、高校の教師になって10年経た時、内ゲバに巻き込まれて死にそうになり、教師を辞めた。職を転々としながら8年後の41歳の時、地域新聞の発行に辿り着いた。そして10年後に首長選挙に立候補した。選挙事務所に先生とクラスの友だちがやって来て激励してくれた。結果は落選だったが、「頑張っているじゃーないか」と先生や友だちに思ってもらえればそれでよかった。

 私たちの担任が亡くなられたのは何歳だったのだろう。クラス会には必ず出席してくださった。酒は強い方ではなく、すぐに真っ赤になってさらに饒舌になった。なんでも一生懸命の先生で、マイクを握って『白いブランコ』を歌ってくれたが、音程の外れた酷い歌だった。それがいっそう先生への尊敬になった。

 

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男と女の不適切な交際って?

2018年11月29日 17時46分32秒 | Weblog

  愛知県尾張旭市の市長が辞任を表明した。私は読んでいないので知らなかったが、『週刊文春』に市の女性職員と「不適切な交際をしている」と写真付きで記載され、当初は記事の内容を否定していたが、「お金を払い、示談していたのは事実」と謝罪し、辞職を明らかにしたようだ。何があったのか分からないが、「手をつないだ」だけで辞職とは可哀そうな気がする。

 「不適切な交際」とは一体何を指すのだろう。新幹線で手をつないで眠っていて、写真を撮られた国会議員と市会議員がいた。「一線は超えていません」と弁明していたが、市議が既婚者だから「不適切な」行為と言われたのだろうか。心ときめくような異性に出会ったら、そっと手を触れてみたいと思うだろうし、愛し合いたいと願うだろう。

 今、読んでいる小説『マチネの終わりに』の中にこんな文章があった。「どれほど人間的に信頼し、尊敬の念を抱いていようと、肉体的に受け入れられるかどうかは、また別の問題だった。友情と愛情との違いとは、つまるところそれだけだと断ずる人さえいる」。そういえば、高校生の頃、男女の間に友情は成り立つかと真剣に議論したことがあった。

 その時も、何を持って友情というのかが議論の中心だった。男が男に感じるものと、女に感じるものは違う。可愛いとかきれいとか触りたいとか、そんな感情が先に立ってしまう。それでも「肉体的な交わり」が無ければ「友情」と定義するなら「友情は成り立つ」が、可愛いとかきれいとかの感情を秘めたまま交際を続けることは極めて困難だと私は主張した。

 いや、そもそも「いい女」と思うことは、私が通っていたキリスト教会では「十戒」の「姦淫」に当たると教えられたので、みんな「いい女」に見えてしまう私は「罪」から逃れられないと悟った。手足に触れてみたいと思うだけなら、「不適切」ではないのなら、きっとよかったのだ。高まる感情を抑えきれなかったのは女性が魅力的だったからだろう。私も男として、納得できる。

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なぁーんだ、そうだったんだ。

2018年11月28日 17時24分47秒 | Weblog

 なぁーんだ、そうだったんだ。26日のブログで、送り主の分からない小包をどう扱ってよいかと困っていると書いた。翌日、小包を発送した会社からメールが届き、「当店ではご注文いただいたお客様からの、お受取人様への配送商品である可能性が高くなっております」とあり、「当店から注文者様へ『お受取人様へご一報していただくように』ご案内いたします」とあった。

 爆発物とか高額の商品を送りつける詐欺とかいう心配は無くなった。わざわざ私宛に品物を送ってくるような人は娘たちしか考えられない。仙台の次女とカミさんがラインで会話していたので、「何か送ってくれたの?」と聞くと、「何のこと?」と聞き返す。「ブログに書いた小包のこと何だけど」と言うと、「読んでいないから知らない」と答える。これで、次女が送り主ではないことが分かった。

 夜になって長女から、「ごめん。知らせておけばよかったね」とメールが届いた。長女も不審な小包に困惑していた私たちのことは知らない様子だった。つまり、長女も次女も私のブログの読者ではないことがはっきりした。娘たちにすれば、「いつも、同じことばかり書いてる」ということだろう。私の価値観や考えを押し付けられてきた彼女たちにとっては、「ウンザリ」という訳だ。

 今日、姉の見舞いに妹夫婦と行って来た。中学・高校からの友だちがブログで、姉がやっていた喫茶店に出入りしていたばかりか、「店内のボックスのソファーで一夜を明かしたことは一度や二度ではなかった気がする」と書いていたので、姉の娘なら覚えているかも知れないと聞いてみたが、「知らない」と言う。まだ小学生の低学年だったから無理はないかも知れない。念のために姉にも聞いてみたが、やっぱり「知らない」と言う。過去の記憶を失っている姉に聞く私が愚かだった。

 自分のことでもよく覚えていないことは結構ある。親子・兄弟でも関心のないことは忘れてしまう。人は自分に都合の悪いことは記憶から消していく。私は姉から、彼が店で泊って行ったと聞いたことはない気がするが、聞いていても忘れてしまったのかも知れない。ブログで読んでも、姉と彼ならあり得ると思ってしまい、何も不自然に感じなかった。それにしても娘たちは父親のブログに無関心とはちょっと寂しい。

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香山リカさんの講演会が中止になる

2018年11月27日 17時24分34秒 | Weblog

 「陰惨過ぎる。そんなに生きているのが嫌なら、自分だけ死ねばいい」と先輩は怒る。宮崎県の高千穂で6人が殺害され、1人が自殺した事件だ。私はキリスト教の影響もあって、人の生死は神が決めることで、人が決めることではないと考えているが、テレビ報道で、「殺人事件の半数は家族間のトラブル」と聞いてびっくりした。毎日顔を合わせているから、憎悪も深くなるということか。

 カミさんに「台所にいつまでも包丁を出しておくのは危険、仕舞った方がいいよ」と言うと、「「私はそんな気にならないから」と答える。イヤ、あなたがならなくても私がカッとなるかも知れない。目につかないところにあれば、事件にはならずに済むだろう。人はどこでどう爆発するか、おそらく自分でも分からない。先輩は「子どもの頃からケンカもせずに育ってきているから、痛みが分からないのだ」と言うが、私には相手を思う気持ちが欠けてきている気がする。

 精神科医の香山リカさんの「子育て」講演が中止になった。香山さんは「私は精神科医だが、言論人として人権、憲法、反原発について時々発言すると“反日だ“とか“売国奴だ“と言われる。しかし、今回の講演のテーマはそれらとは関係ない。だから講演の内容とは関係なく、私のことが嫌いというか、面白くなかったんだろう。愉快なことではないけれど、“あんな人呼ぶな“とか、“あんな人の話は聞きたくない“というような市民の意見や抗議も“表現の自由“の範囲」と心が広い。

 中止に至ったのは、市役所を訪れた中年男性が「香山氏をよく思わない人が行くかもしれない。大音量を出す車が来たり、イベント会場で暴力を振るわれ、ケガ人が出たら大変だろう」などと発言。さらに翌日に「日の丸の服を着て行ってもいいか」「香山氏がどんな人か知っとるんか。講師としてふさわしくない」などの電話が市役所に入ったので、市は混乱を避けるため中止した。こうした偏見に基づく嫌がらせに行政が屈服してしまうことが多い。

 市長が出て行って、「あなたのしていることは表現の自由に反する、言論弾圧ですよ」と諭すべきだ。自分の考えと違うというだけで排除してしまう人が増えた。どんなに気に入らなくても相手の言うことに耳を傾け、きちんと反論すればいい。脅して黙らせるのは、自分が弱い人だからだろう。

 

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ドタバタと一日が過ぎていく

2018年11月26日 17時24分05秒 | Weblog

 ドタバタした一日だった。心当たりのない小包が届いたが、送り主の名前がないというか、埼玉県の物流センターが依頼主になっている。会社の電話番号は記載されていたので何度も電話するが、「大変込み合っておりますので、インターネットをご利用ください」とテープ音が繰り返されるばかりだ。しかし、アドレスは記載されていない。なんという不親切な会社だろう。

 「小包を開けてみようか」とも思ったが、心当たりも無いのにと思い直して、パソコンで会社名を検索する。家電製品などを扱っているのでますます縁がない気がした。探していたらやっとEメールアドレスに到着したので、「心当たりのない小包が配達されてきました。返品したいのでどうしたらよいか、ご連絡ください」とメールした。

 この会社はメールアドレスが記載されていたからよかったが、もうひとつ、アドレスの表示が無くて困った。私は長年、400~500球のチューリップの球根を通販で購入している。より優れた球根で満足してきたが、今年は腐ったものや虫に食われたものが混じっていた。400球もあれば6個くらい悪くても仕方ないと思ったが、会社のためには知らせておこうと思い、メールで送ろうとしたが、アドレスが分からずFAXで送った。

  

 「苦情や抗議ではありません」と前置きして、最後に「勝手ながら返信は不要です」と結んでおいた。世の中はインターネット社会になりとても便利になったが、悪用する者もいる。2025年に開催が決まった大阪万博では、そんな先端産業に触れることになると言う。世界中に腹をすかした子どもがたくさんいるし、生活の場を求めている移民・難民がいる。こうした不幸を無くす先端産業が生まれて欲しい。

 午前中は買い求めたブレザーの袖が長いのが気になり、縮めてくれるように頼んできた。ついでに書店に行き、取り寄せてもらった6冊の小説を受け取ってきた。午後は電話とパソコンに向かい奮闘した。ドタバタと一日が過ぎていく。

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チューリップの球根を植え終えた

2018年11月25日 18時17分52秒 | Weblog

  かなり植木鉢を減らしたつもりだったが、私が動くことが出来る間はチューリップを育てようと思い直し、再び鉢の土の入れ替えをしてチューリップの球根を植えた。6鉢をパンジーのために残し、49鉢に500球ほどを植えた。かがみこんでの作業なので腰が痛い。春になればこのささやかなフールバルコニーもちょっとした花園になる。それだけを楽しみに作業を続けてきた。

 小3の孫娘が、「落ち葉も役に立ってるんだよ」と言った。童話『葉っぱのフレディ』を孫娘にあげたから、読んだのかな。役割を終えた葉は落ちていく。次の世代と入れ替わるためだ。チューリップの花の命はせいぜい1週間。植えた球根が一斉に咲くわけではないので、期間としてはもう少しあるかも知れないが、ピーク時は短い。球根のエネルギーを使い果たしてしまうので、花を楽しむと来年花を咲かせる球根は数少なくなる。

 次の世代に残すものはチューリップには何もないのだろうか。中東が原産のチューリップがヨーロッパに渡ったのは16世紀と言われている。17世紀になるとチューリップブームとなり、新種が作られて高値を呼び、世界最初のバブル経済にまでなった。アラン・ドロンが主役だった『黒いチューリップ』はチャンバラ劇だったと覚えているが、チューリップはどんな役割だったのだろう。紫の濃いチューリップは見たことがあるが、真っ黒い花はまだ出来ないと聞く。

 人にはそれぞれに役割がある。花や木々も、動物も昆虫も、生きているものは全てそれぞれに意味がある。なのにどうして、人は差別したがるのだろう。サッカーファンはなぜ暴力を振るうのだろう。助けを求めてやって来る人々、移民も難民も、なぜ受け入れずに排斥しようとするのだろう。生きているものの全てに意味があるのに、別の命を軽んじてしまうのはなぜだろう。

 もうすぐ冬になる。冬が過ぎれば春になり、暑くてたまらない夏が来て、やがて秋になりすぐに冬が来る。少しずつ変化していると言うから、必ず正確に同じ時ではないようだ。地球のあるいは宇宙の変化に比べれば、人間の世界の変化など大したことではないし、ましてや個人のあゆみなどは「屁」のようなものなのだろう。「屁」では肥料にもならないか、残念。

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涙の金婚披露宴

2018年11月24日 17時45分33秒 | Weblog

  新婚旅行で泊った山中湖のホテルは50年経て、大きく変わったような印象だったが、フロントで尋ねると「今年で55年になりました」ということだった。もちろん何度か増築と改装が行われたのだろう。案内された部屋はスイートルームで、全面ガラス張りの部屋から富士山がよく見えた。夕方になって暗くなると庭一面にイルミネーションが点灯され、多くの客がその美しさに見とれていた。

 食事はフランス料理のフルコースだったので、赤ワインを1本頼むと早速ソムリエがやって来て、ワインの説明を始めた。明るい男性で、カミさんが「イルミネーションは明日からと聞いたのですが?」と聞くと、「もちろんお客様の金婚を祝ってですよ」と調子のいいことを言う。翌朝、カミさんは6時頃から起きて、カーテンを開けて富士山を眺めている。「ワアー、だんだん赤くなってきたわよ」とiPadで紅富士の撮影に夢中だ。

 ホテルを出る時、フロントの中年男性にそんな話をすると、彼は「私が撮った写真ですが、良かったら差し上げます」とA4サイズの写真8枚をくれた。人の縁はどこにあるのか分からない。私もつい、中学の修学旅行で見た富士山に魅せられ、新婚旅行で富士5湖を回った話をしてしまった。豪華な旅行をさせてもらい充分満足だったのに、名古屋駅に着いてからが本当にサプライズだった。

 社会人となった孫娘の車で菊井町から栄の方へ向かって行く。どこの居酒屋で食事なのかと思っていたら、車は私たちが50年前に結婚式を挙げた会館に入っていく。孫娘は「ちょっと待っててね」と私たちを車に残して会館へ。しばらくすると呼びに来て、今日の「催事の案内板を見て」と言う。そこには私たちの名前の「金婚披露宴」とある。「それではお二人の入場です」とアナウンスされて部屋に入ると、披露宴の時と同じように金屏風が置かれ、長女のダンナが『君についていこう』を演奏し、みんなが拍手で迎えてくれた。

 小3の孫娘からの花束贈呈に続いて、仙台の4歳の孫娘のメーッセージが大型画面に映し出され、出席できなかった次女と長女からもお祝いの言葉が映し出せれた。長女のダンナの企画・演出に、私たちはただただ涙するばかりだった。まさか結婚50周年を迎えられたのも奇跡だが、こんな風に子どもたちや孫たちからお祝いをしてもらえるとは感無量で、涙が止まらなかった。本当にありがとう。心から感謝しています。

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何十年ぶりの再会とは思えなかった

2018年11月21日 17時24分48秒 | Weblog

  やっぱりみんな歳を取った。今ならとても考えられないが、当時は学校内でも時々懇親会が行われていた。業者が学校に来て、生ビールがジョッキで振舞われた。その時、13杯も飲んだ強者も昨夜は、両脇を抱えられても歩くのがやっとだった。店の前でタクシーを拾い、家まで行ってもらったが大丈夫だったかと心配していたら、先ほど電話で「昨日はありがとう」と言ってきた。

 午後6時から始めて、結局9時半過ぎになってしまった。大いに話し、大いに飲み、それぞれに満足してもらえたと思う。新任の7人のうちの1人が欠席だったが、当時、私たちのリーダーのような存在の先輩が参加してくれたので、7人は変わらずであった。先輩は体育教師で、教員チームでソフトボールの試合に備えて授業後に練習し、その後は角の酒屋で立ち飲みし、話がまとまればどこか繁華街の居酒屋まで出かけて行った。

 私がバットを振っていた時、先輩が「ボールがキャッチャーミットに収まるまでよく見て」と言う。指示通りしたらよく当たるようになった。小学校の時にそう教えて貰っていたら、もっとソフトボールが好きになっていたかも知れない。理論よりも根性が優先の時代だった。昨夜も話題になっていたが、当時は生徒に対してとても厳しく処分する高校だった。「厳しく処分を当たり前と思ってやって来たが、あれは教育の放棄だった」と悔やむ。

 伝統校だったからなのか、ユニークな先生が多かった。朝、居たのに下校時までどこかに雲隠れしていたとか、授業のない時間は喫茶店に居たとか、今では考えられないくらい自由にしていた。組合はあったが、助手の人たちは入れないというので、私は親睦のための「青年会」を提案し、20代までの若手でハイキングに行ったりした。「青年会」が恋のキューピット役にもなっていた。おおらかな青春時代を思い出し、話は尽きなかった。予定は早く決めておこうというので、来年は春に開くことになった。

 明日と明後日は娘たちのプレゼントで、金婚旅行に出かけるのでブログは休みます。

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ゴーン会長の逮捕

2018年11月20日 16時31分51秒 | Weblog

  日産自動車のゴーン会長が逮捕された。自身の役員報酬を過少に記した有価証券報告書の虚偽記載の疑いである。本当のところはこれからの調べで明らかになっていくのだろうが、長きにわたって権力の座に居座り、一極化していたことは事実だ。日本人でない人がやってきて、日本経済は実質グローバル化したように見えたのに思わぬことになってしまった。

 それにしても、ホリエモンの時もそう思ったが、日本人は新興勢力が嫌いだ。商工会議所とか日経連とかロータリークラブとか、経済人の団体に属し、先輩を立てていれば可愛がられるのだろうが、一人で目立つことをやれば、同じように金儲けしていても、「金の亡者」とたたかれる。成金というか、チャンスに強い成功者が妬ましいのだろう。

 時代がよかったこともあって、私は地域新聞を始めて毎年、広告収入を伸ばしてきた。売り上げが伸びるためには何が必要かといえば、新聞に対する信用である。「信頼できる」記者が作る「信用できる」新聞であることを心掛けた。こつこつと地域を歩き、話を聞いて回った。紙面に知り合いが載っていれば興味を持って読んでくれるから、出来る限り多くの人が登場するように工夫した。

 飛び込みで入った会社の社長が、毎月広告を載せてくれた。「あんたところに毎月名前があることがいいんだよ。みんなが読んでるからね。いい新聞を続けてよ」と言われ、地域の人たちが楽しみにしている新聞作りをしてきてよかったと思った。ホリエモンが「金は道具」と言っていた。彼は道具で何を造りたかったのだろう。

 私は「文化」を夢見ていた。新聞の次に地域雑誌を作り、近郊の美術館や文化財巡りのバスツアーを企画し、大学に公開講座をお願いした。実現しなかった「音楽祭」は今、市の事業にとして行われている。ホンの少し、市の「文化」にどこかで貢献できたのではないかと思う。今晩は「新任7人の会」の集まり。先輩も来てくれる。どんな話で盛り上がるのか楽しみだ。

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娘たちのサプライズ

2018年11月19日 17時41分14秒 | Weblog

  北風が強く吹いてきて、いよいよ秋も深まった感がする。後、10日余りで12月だからもう晩秋と言える。昨夜、長女一家がやって来た。23日が私たちの結婚記念日で、とうとう50年なるので、そのお祝いの「品」を届けてくれた。新婚旅行で泊まった山中湖のホテルまでの新幹線とバスの乗車券に「お小遣い代(5000円)」である。

 私たちのためにホテルを予約してくれたばかりか、日程表と地図をつけた「冊子」まで作ってくれた。昨年、社会人となった3番目の娘である孫娘も含めた娘たちから、「1年後の金婚式をぜひお祝いしたい気持ちから、1年前からお二人にご案内を出すことになりました」と仰々しい祝電をいただいた。

 「お二人に素敵な時間をプレゼントする企画の始まりです」とあったから、何かサプライズがあるとは感じていたが、思いもよらぬ企画だった。50年前の新婚旅行は3泊4日で富士山を1周するというものだった。私が中学校の修学旅行で見た富士山が忘れられず、新婚旅行は富士山と決めていたからだ。

 旅行会社に相談すると、「1日で回れますよ」と言われたが、どうしても富士山の雄大さを見せてやりたかった。レンタカーを借りて富士山麓の5湖を巡ったのだが、その宿泊したホテルに再び行けることになるとは驚きである。50年前はホテルの周りは何もないところだった。今はどんな風景になっているのだろう。

 子どもが生まれると、子どもたちもきっと喜ぶだろうと富士山麓へ出かけた。それが何年続いたのか覚えがないが、ある時子どもから「ねえ、パパ。どうしていつも富士山なの?」と言われ、感動していたのは自分ばかりだったことに気付いた。中央道が出来上がったこともあり、信州から軽井沢辺りまで出かけるようになった。

 娘たちが運転免許を取得した時は、カミさんの母親を誘って北海道を旅行した。あれからもう何年になるのだろう。

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