友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

刑事ドラマから、法廷ドラマへ

2024年04月27日 18時19分40秒 | Weblog

 NHKテレビの朝ドラ『虎と翼』の影響なのか、民放のドラマが変わってきた。『虎と翼』は戦前の民法が、女性の人権を無視していることに憤り、改革に立ち上がる女性たちを描いている。そのためか度々、法廷の様子がドラマに出て来る。

 以前、こうした法廷をドラマにしたものが、あったのか思い出せない。『相棒』や『捜査1課長』や『特捜9』など、事件の犯人を捕まえる優秀な刑事が主人公だった。犯人は絶対に悪い奴で、同情の余地など全くないから、捕まえた時は拍手喝采であった。

 ところが、日曜日に放送される『アンチヒーロー』を観ていたら、エッこの男は犯人ではなかったのかと思ってしまった。主人公は弁護士で、「依頼主に応えることが仕事だ」と言う。検察側の不備を暴き出していくが、でも、じゃー誰が犯人なのかと分からなくなる。

 検事は警察が捕まえた犯人を、証拠を積み上げて証明しなくてはならない。犯人を捕まえられなければ警察の権威は地に落ちるから、警察は何が何でも犯人を捕らえようとする。杜撰な捜査で、冤罪が起きる、そんな事件がある。

 女優の石原さとみさんが主演している『Destiny(宿命)』は、大学の同期生の男女の青春ドラマと思っていたら、友だちが自動車事故で死んでしまう。そこから、石原さんの父親は検事という設定となり、事件を捜査中に自殺している。この2つが重なり、彼女はそれが気になってならない。

 しかも、2つの事件に友だち(恋人?)の父親である弁護士が関わっている。いったい、法廷は事件の決着をつける場なのか、それとも犯人を特定し、刑を言い渡す場なのか、思いが入り乱れる。人を裁くことの難しさをテーマにすると、裁判への信頼が揺らいでしまう。視聴者である私は、とにかく見守る他ない。

 法廷ものに刑事もののような快活さは無いが、人の心に入り込む要素は持っている。人々が刑事ものに飽きたから、こうした弁護士や検事がやり合う法廷ものが登場してきたのだろうか。この先、どんな展開になるのかと落ち着かない。

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誰と恋愛するのだろう

2024年04月26日 18時22分28秒 | Weblog

 NHKテレビの朝ドラ『虎に翼』を観ていると、昔のことを思い出す。私は昭和19年生まれだが、ドラマの時代はもっと以前なのに、戦後もまだそんな価値観が色濃く残っていた。男女平等ということで、同じ教室で机を並べていて、男女の差別は無かった。

 けれど教室を出れば、男の子たちは女の子たちに対して、「女は黙っとれ」とか、「女のクセに生意気なことを言うな」とか、言い放っていた。家では男の子の無法さが許されていた。男の子たちにいじめられた女の子が、担任に告げ口をした。担任はベテランの女性教諭だった。

 男の子たちが何をしたのか知らないが、私は担任に呼ばれ、「男の子の先頭に立って、女の子の席を回って、謝りなさい」と言われた。私が納得できない顔をしていたのか、担任は「級長なら、みんなを止めなさい。それが出来なかった責任を果たしなさい」と諭した。

 小4のその時はよく分から無かったが中学生になって、担任の意図するものが理解できた。中学生になって、すぐに試験があり、その結果が廊下に張り出された。上位を占めるのは女の子が多かった。小学生の時は気が付かなかったが、女の子たちは大人びていて、なぜかキレイになっている。

 『虎と翼』は、女が無能力者と扱われることへの疑問から、法律への関心が高まり、法曹界に進出する物語だ。女は読み書きが出来ないというか、必要ないとされた時代である。それでも時代は進んでいく。私の母は明治40年、田舎の農家で生まれだが、女学校を出て教師になり、2歳年下の父と恋愛し結婚している。

 「当時では考えられない『走り』だ」と、従兄弟が言っていた。親が決めた人と結婚するのが女の幸せと、みんな思っていた時代である。ちなみに、従兄弟の母親(母の妹)は親が決めた相手と結婚している。

 『虎と翼』の主人公は、恋愛結婚をするのだろうか。いやその前に、誰と恋愛するのかと思ってしまう。ちょっと気になるドラマである。

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間違ったことをすれば罰せられる

2024年04月25日 18時10分28秒 | Weblog

 解散した「NPOおたすけ」の収支を、昨日から検算しているのだが、過去に書き間違いをしていたのか、合わない。事務能力の低さに、我ながらガッカリする。長い時間、数字を見つめ続けていたら、頭がフラフラする。脳梗塞の再発かと思い、慌てて身体を動かし、温かいお茶を飲んだ。大丈夫な気がする。

 こんな私を見たら、愛知県東郷町の町長ならきっと、「バカか、こんな計算も出来ない奴は死んでしまえ」と言うだろう。「おまえらの脳はハトより小さい」とか、「年休を1年取ったら殺すぞ」とか、人を見下す態度が強烈に出ている人だ。町長はまだ57歳と若いが、町議を3期務め町長は2期目である。

 岐阜県岐南町の町長はセクハラ問題で辞職し、町長選挙では女性候補が当選した。さらに、池田町の町長もセクハラを問われ、辞意を表明している。女性職員を町長室に呼び出し、二の腕や太ももを両手で揉むように触ったという。町長は「激励のつもりだった」と述べている。

 セクハラ問題を起こした町長は、ふたりともに70代である。岐南町は岐阜市に近い都会だが、池田町は大垣の奥の山間にある。町長を何期務めたのか知らないが、知らないうちに殿さま気分となって、部下の女性を大奥に仕える女と思っていたのだろう。ふんぞり返ることが、権威を保つことだ思っている首長は結構いる。

 立場が全く違うが、三重県のどこかの養護教諭が懲戒免職になった。彼女は保健室に相談に来ていた男子生徒を抱きしめ、キスをしたという。男子生徒の話を聞くうちに、抱きしめてあげることが養護教諭の務めだと思ったのかも知れない。養護教諭の言い分が全く伝わって来ないので分からないが、なぜか一方的な処分に思えてならない。

 間違ったことをすれば罰せられる。大人なら解るはずだ。けれど、何でも罰すればいい訳では無い。町長たちは納得していないかも知れないが、選挙という罰を受ければ分かるだろう。

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エスカレートする金の魔力

2024年04月24日 18時25分34秒 | Weblog

 小牧市にある「メナード美術館」は小さな美術館だが、いつも企画が面白い。新緑の季節の今は「風薫る夏」をテーマに、美術館が所蔵している作品を展示している。第1室は「緑さす」、第2室は「夏旺ん」、第3室は「涼夏」とあった。

 所蔵作品が主だから、当然だが以前に観た作品が多い。それでも作品の解説などを読んでいると、「そうか」と新たに知ることがある。「納涼」と書いて「すずむ」と読ませてあったが、そう言えば「涼みに行く」と発していたことを思い出した。

 メナード美術館の学芸員がどんな人なのか、一度は会ってみたいものだ。愛知芸術大学の田淵俊夫さんに早くから目を付け、多くの作品を所蔵してきた眼力を賞賛したい。カミさんが「あなたの好きなダリは無いわね」と、皮肉を言う。

 収集するには金が要る。メナード化粧品で儲けた金で、美術品を買い集め、それを一般の人にも公開した姿勢は素晴らしい。美意識を高めることで、化粧品の価値を高めることになったし、学芸員の美意識や文章力も磨かれた。

 新聞もテレビも、「頂き女子」の裁判を話題にしている。「頂き女子」のネーミングは凄い、誰が名付けたのか知らないが、上手い表現だ。新聞報道では、彼女は恵まれない家庭で育ったようだ。居場所が無く、自分を受け入れてくれる相手が欲しかった。

 優しく接してくれたホストにハマり、金を稼ぐためにパパ活を始め、男たちが下心から同情するのを逆手にとって、ダマしのテクニックを磨いていった。「凄い」と言ってくれる女性たちのために、テクニック集まで作ってしまった。

 「これだけ細かに考えられる女性なんだから、きっと世の中でやっていける」と、誰かが言っていたけど、現実の会社のような世界では無理だろう。誰か、彼女を助け、見守ってくれる、そんな存在が必要なのだと思う。

 テレビで報じられている「頂き女子」しか知らないが、新聞に書かれている「頂き女子」は、どこにでもいる普通の可愛い女の子だ。「魔が差した」としか思えないが、一端ハマるとどんどんエスカレートしていくのが金の魔力なのだろう。

 「クワバラ、クワバラ」。さて、くわばらとは何でしょうか?

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戦争は絶対にしてはならない

2024年04月23日 18時18分00秒 | Weblog

 カミさんは朝、5時に起きて、7時前にはゴルフのために出かけて行った。ゴルフを楽しみ人たちは皆、朝が早い。真面目だなあーと思う反面で、よくやるわと呆れてしまう。遊びのために、そんなに時間を割く人の気持ちが私には分からない。

 仕事なら仕方ないし、旅行とか楽しいことならそれも分かる。たかが、遊びでしょと思ったが、そうか楽しいから出来るかと気が付いた。人にはそれぞれ楽しいことがある。他人の楽しみを、ああだこうだ言うことは無い。

 私は花を育てるのが楽しみだった。マンションの12階のルーフバルコニーでは、花を眺めてくれる人は上の2家族しかない。だから全くの自己満足で、花の咲き揃う様子を想像しながら、手入れや水遣りをしてきた。

 中学時代、お嬢さんだった同級生が、野菜作りをしていると聞いてビックリした。「野菜が育っていくの、楽しいわよ」と喜々としていた。ベランダでの家庭菜園かと思ったら、畑での本格的な野菜作りだった。「もっと、畑を拡げようと思っているの」と話す。

 子どもたちが育ち、家庭のことに縛られなくなって、新しい楽しみを見つけたということのようだ。夫婦では理解し合うことは難しいが、野菜や花なら時間を費やしても苦にはならないし、ちゃんと応えてくれるから嬉しいのだろう。

 名古屋市の河村市長が、「祖国のために命を捨てるのは、高度な道徳行為である」と発言している。記者の質問に、「捨てよと煽っている訳では無い」と弁明していたが、「戦争は必ず起きる」と言うのだから、「国のために命を捧げよ」と言っているのと同じだ。

 この発言を問題と捉えられないところに、河村市長の恐ろしさがある。戦争を回避することこそが政治家の使命なのに、戦争は起きるから国のために命を捧げよとは、全く戦前の政治家と変わらない。

 河村市長は作家の百田尚樹氏と共に、「日本保守党」の党首である。武装して戦うことは、死ぬことである。それを強要するのが「日本保守党」なのだ。ああ、いやだ。戦争なんか絶対してはならない。

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相手が解るように伝える

2024年04月22日 18時32分10秒 | Weblog

 手紙を投函するために、車に乗って行った。ポストは我が家の近くにもあるけれど、文房具も買いたかったので、車で出かけた。街路樹の新緑がとてもキレイだ。玄関前をいろんな花で飾っている家もある。

 地域新聞を発行している時だったら、「花いっぱい」特集をしていただろう。人は花が好きだ。寒い冬が終わり、花たちが開き始めるとウキウキしてくる。せっせと花の手入れをしている人もきっと、心が弾んでいることだろう。

 せっかく車で来たのだからと、少し遠回りしてみた。歩いているのは年寄りばかりだ。それでも家を出て、周りの春を感じられる、そんな幸せを求めていることだろう。ジジババがふたりで、手をつないで歩く姿は見られなかった。

 先日、名古屋栄に行った時、昼間だったけれど大勢の人で溢れていた。圧倒的に若い人が多くて、年寄りはいなかった。女の子たちはミニスカートで、下着まで見えそうなファッション、まるで見せつけるように群れていた。

 東京の渋谷のように、パパ活の獲物を探しているのだろうか。私のような年寄りは獲物にならないと思っているのか、誰も声をかけてこなかった。もし、声をかけられたらきっと、オドオドしてしまっただろう。

 子どもを「叱らずに育てよう」と言われている。けれど、悪いことをしたなら叱ることが大切だ。何をやってもいいのではないことを、子どもたちに教える大人がいなくなった。頭から決めつけて叱るのはよくないが、なぜいけないのか、その理由は伝える必要がある。

 作業現場で先輩が後輩を叱っていた。「お前はバカか」と怒ったが、「こうするのだ」と作業を見せていた。後輩は「ありがとうございます」と頭を下げていた。パワハラにならなくてよかった。相手が解るように注意することの見本だなと思った。

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まだまだ予定が残っている

2024年04月21日 17時20分14秒 | Weblog

 痛くて苦しかった。どうなることかと思った。昨夜のこと、零時過ぎたころに、胃が猛烈に痛くなった。鷲づかみされて、引き千切られるような痛みだった。絶え間なく痛い訳では無く、周期的に襲われる痛みだった。

 息を殺してグゥと我慢すれば、しばらくは無いのだが、また、痛みが襲って来る。夕食に何か悪いものを食べたのだろうかと思い出してみる。市販されている餃子、カボチャの煮物、白みその具だくさんの吸い物、毎回出て来る小鉢。

 それと、お茶が切れていたので、ふたりでビールを1缶づつ飲んだ。ビールと餃子の組み合わせが悪かったのかと反省する。トイレに起きて排便するが、小便しか出ない。百草丸を飲んでみたが、効果は無い。即効のものは無いかと薬を探す。

 カミさんが病院からもらっていた、サロンパスのようなものを胃の上に貼った。けれどそれも、効果無かった。目を覚ましたカミさんが、「どうしたの?」と訊くので、「胃が痛くて耐えられない」と伝えると、白湯を飲ませてくれた。

 2時間か3時間おきにトイレに行く。午前3時過ぎに1度、排便したが普通の便だった。胃が抉られるように痛いのに、どういう訳か死ぬ気は起きなかった。なかなか眠れなかったが、とにかく横になって目を閉じて耐えるしかない。

 何時に眠ったのか分からないが、午前9時過ぎに目が覚めた。やっぱり生きている。シャワーを浴び、身体を洗うとスッキリした。昨夜のことがウソのようだ。午前11時にいつものように朝食を取るが、コーヒーは止めた。

 心配した長女一家が昼過ぎにやって来た。長女の幼友達が今も、歌劇団で活躍している。大阪で公演があるというので、私たち夫婦も一緒に応援に行く、その打ち合わせに来てくれた。50歳半ばなのに、まだ踊っているのは余程、踊ることが好きなのだろう。

 胃の痛みは全く無くなった。中3の孫娘の卓球大会、歌劇団の見学、そして同年者の集い、まだまだ予定が残っている。負けていられないぞと決意する。

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孫たちが成人となる頃は

2024年04月20日 17時15分18秒 | Weblog

 昨夜、NHKのEテレで変わった番組を観た。男と女の物語というか、夫婦の物語というか、出逢いから始まって現在に至るまでを、ふたりから聞き出す番組だった。このカップルは女の方が年上で、企業家としても成功していた。

 マッチングアプリで知り合ったふたりは、意気投合して結婚し、やがて女の子が生まれた。けれど、男は女に頼ってしまい、仕事が出来なくなってしまう。女はこのままでは男のためにならないと決意し、ふたりは離婚する。

 相手に対する思いやりから、離婚するケースもあるのだと知る。けれど、離婚したから絶縁状態になるのかと思ったら、男は女の家の近くに住み、子どもを交えて旅行したり、近くの公園で遊んだりしていると言う。

 男には子どもの存在が、とても大きいようだ。「3人でお風呂に入る」と聞いてビックリした。離婚はしたが、男女の関係は続いている。でも、離婚した当初はふたりとも、自由なのだからと新しい相手を探そうとしたとも話す。

 ふたりが幸せなら、他人の私が言うことは何も無い。ただ、子どもが学校へ通うようになり、両親の関係を受け入れなくなることはないのかと心配だ。きっとふたりは賢く、そんな事態も乗り切っていくのだろう。

 それにしても、NHKらしくない番組に驚いた。しかもEテレでの放送である。NHKテレビが民放と変わらない番組作りになって来て、私は全く受信料を払う気がしない。NHKは、国営放送局であることに徹して欲しい。

 歌もドラマもバラエティーも要らない。政府が国民に、伝えなくてはならないことだけ放送してくれればいい。政府からの予算だけで、運営できる範囲でやるべきだ。今のNHKは、余りに手を広げ過ぎている。野党はなぜ問題にしないのか不思議だ。

 男と女、夫婦や家庭のあり方、当然、時代と共に変わるだろう。親子の関係も変わってきている。考える材料を提供してくれるのはありがたい。孫たちが成人となる頃は、どんな日本になっているのだろう。

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住民が集まって議論する場を

2024年04月19日 17時32分36秒 | Weblog

 最近、地震が多い。四国の愛媛県と高知県にまたがる地域で17日、マグニチュード6・6の地震が発生した。大規模地震である南海トラフに含まれる地域だけに、巨大地震の前触れではないかとマスコミも取り上げていた。

 気象庁も地震の専門家会議も、「兆候は見られない」との見解だった。しかし、政府もマスコミも「地震に備えよ」と号令するが、何をどうすればいいのだろう。家具の固定や水・食料の備蓄を行うことは出来ても、それ以上に何が出来るのだろう。

 地震は自然現象だから、予兆を掴むことは出来ても、現象を止めることは出来ない。地震が起きてしまえば、みんなで助け合うしかない。もちろん避難所の開設や、倉庫の整備や、万一に備えた区域の整理も必要だろうが、これは行政に任せるしかない。

 「備えよ、備えよ」と言い過ぎれば、不安を煽るだけになる。今日、市長に会って、「同年者の集い」への出席をお願いしてきた。時間があったのか、市長の方から「国は保育所を作れと言うけれど、保育士が足りないことには目を向けていない」と話された。

 「場当たり的で、先を見越したプランが無い」と腹を立てているのだ。「合併で財政は豊かになるはずだったのに、垂れ流しで何も改革していないから、火の車になっている」と嘆く。そうした事実を市民は知らない。公共施設の統廃合が進められているが、その原因や手法について明らかにされていない。

 若い市長は、この難題に立ち向かっていかなくてはならない。そのためには行政の持っている情報を公開し、市民と共に考える機会を設けることだろう。議会はまだまだ、古い地域エゴが蔓延っている。直接、市民に話しかけ、対話することでしか道は開けない。

 地震への備えも、みんなで議論することがカギだろう。市民と行政の協同も大事だけれど、議論することで生まれる相互理解こそが力になるだろう。古代ギリシアも、日本の江戸時代の村落も、住民が集まって議論してきた。人間はそんなことの、繰り返しの中で生きている。

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家に着いたら7時半になっていた

2024年04月18日 17時21分11秒 | Weblog

 中学3年の時の同級生が集まった。男3人、女4人、中学時代の思い出に話が弾んだ。中3のこの時、私たちの担任はまだ独身で、とにかくよく怒る先生だったらしいが、私にその印象は無い。先生は30歳になっていて、担任になってすぐに結婚した。

 結婚したのは、給料が上がったからと話してくれた。新婚旅行の写真を教室の後ろに貼り、1枚10円(?)で買ったことが思い出深い。私は副級長の女性と一緒に街の小物店に行き、ふたりでベニスの小舟のオルゴールを買って、先生にプレゼントした。

 「こうして集まれるのも、先生のおかげかも知れないね」と言うが、多分その通りだろう。私たちはよく、先生の自宅へ遊びに行ったから。短気なところはあったけれど、優しくて思いやりのある先生だった。

 「テレビを見ていたら、こんな言葉があったの。素敵でしょう」と、彼女が書いた短冊をみんなに配ってくれた(写真)。「人のつながりは 春の花のように 人生を色どってくれます」。

 出逢いこそが人生と、80歳を迎えてよく分かる。人生に彩を与えてくれた大勢の人たちに感謝したい。友だちはスマホのアドレス交換を、「こうするのでは」「いや違うよ」「じゃー、やってくれない」とか、夢中になって行っていた。

 スマホを持たない私はただ羨ましく眺める。一見すると皆、健康そうなのに、それぞれに問題を抱えている。夫を亡くした女ともだちは、娘が心配して同居やら近くに住むやらしてくれている。女ともだちは孫の好物の手作りに追われている。

 そうかそうか、みんなそれなりに幸せに暮らしている。「ねえ、これが最後かも知れないから、みんなで写真撮らない」と言う。「最後」と言うのに、「今度は何時する?幹事は決めていかないと」と、指名する。まだまだ元気だ。

 おしゃべりが止まらなくて、午後5時を過ぎてしまった。家に着いたら7時半になっていた。頂いた混ぜご飯を食べた。

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