友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

今もって全く理解できない

2024年02月29日 17時34分05秒 | Weblog

 岐南町の町長がテレビカメラの前で、怒ったり泣いたりしていた。町長が女性職員の頭や手や尻に触ったり、ハグしたりした行為はセクハラだと昨年、週刊文春に報じられた。見聞きした職員が多くいたし、された女性職員も我慢ならなかったのだろう。

 第3者委員会が調査すると、セクハラだけではなく、「お前はクビだ」とか、育休予定の男性職員に「ボーナスは減るし、出世ゾーンから外れる」などと発言していた。町長は「ねぎらいや感謝のつもりだった」と弁明していたが、明らかにパワハラである。

 町長という権力を手にして、奢りがあったとしか思えない。第3者委員会についても、「結論ありきで、中立性に欠いている」と批判していて、全く自分の立場が理解できていなかった。最後に涙を流していたけれど、悔しくて泣けてきたようだ。

 愛知県の東郷町の町長も、同じような言動で問題になっていたが、時代が変わったこともあるけれど、ふたりとも権力者の奢りが見て取れる。どういう町にするのか、それを考えていたなら、セクハラやパワハラなど起こりようがないだろうに。

 私はマンションの友だち家族で食事会を行っていた時、年上の女性から「肩が凝っているから揉んで」と頼まれた。子どもの頃、祖父があんましてもらっているところを見ていたので、軽い気持ちで揉んであげた。「気持ちいい」と喜んでもらった。

 他にも女性がいたので、平等にと思って肩を揉んだ。今ならセクハラと言われそうだ。男女の関係は難しい。町長が女性職員に密かに恋心を抱いていたとしても、それを具体化することはセクハラであろう。心の中に留めて置く他ない。

 吉本隆明の『対幻想』の前書きは次の文章で始まる。「恋愛は論じるものではなく、するものだ。とおなじように性にまつまる事柄は、論じられるまえに、されてしまっていることだ。またこれらをみな対幻想の領域として包括させるとすれば、それについて考察することは、それについて行動することよりも、いつも劣っているとみなされる唯一の人間的な領域だといえよう。」

 全く今も、私には理解できない。

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すっかり春めいた今日

2024年02月28日 17時05分10秒 | Weblog

 穏やかに晴れた早春の一日、これは出かけないわけには行かないと思い、大県神社へと向かった。いや待てよ、その前に田県神社に参拝することにしよう。と言うのは、大県神社へ行く道の交差点を見失ってしまったので、巫女に「どこで曲がったらいいですか」と尋ねたかった。

 田県神社は男性の性器をご神体としている。安産の神様でもあるようで、女性がひとり神殿で祈祷を受けていた。この神社の奥の院には大理石の丸い石が2つあり、「なでなでして、賽銭をチンしてください」と作法が記してある。周りには、性器の形をした石が幾つも並べてある。

 大県神社は女性の性器が祭られているが、意外に皆さん知らずに通り過ぎていく。こちらも石で、よく出来ているなと私は思うが、女性たちは「こんな形なの?」と連れ合いに尋ねている。男性の方は、照れくさそうに頷くだけだった。「そうだよ」とでも言えば、「見たの。スケベ!」と叱られそうだ。

 斜面の今年の梅は、何か頼りなげに感じた。見学していたおじさんが「手入れのし過ぎじゃー無いか」と呟いていたが、花盛りには見えなかった。梅は桜のような華やかさは無く、静かに春の訪れを知らせてくれる花だ。NHK大河ドラマ『光る君へ』でもきっと、梅を鑑賞する場面が出て来ることだろう。

 カミさんは境内で、「美味しそう」と串差し団子を買った。「家に帰って、すぐ食べましょう」と言うが、私はどこかでコーヒーが飲みたかったので、運転手特権でちょっと大き目なコーヒー店に入った。カミさんは女性週刊誌を、私は男性週刊誌を読んで過ごした。「ねえ、あなたによくない食品のことが書いてあるわよ」と、カミさんが教えてくれる。

 すっかり春めいた今日、大県神社も喫茶店も、年寄りの男女が多かった。日本は本当に平和だ。大県神社の梅の写真(下)。

 

 

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あなた方は歴史の礎なのだ

2024年02月27日 17時16分13秒 | Weblog

 陽射しがあるのに、風が強くてとても寒い。それでも山茶花は咲き、花弁が風に煽られて可哀想だ。なぜかふと、地球が誕生し、偶然と必然から生物が生まれ、長い時間をかけて今日に至ったのだと頭に浮かんだ。地球にある、どれもこれも、欠かせてよいものは何も無い。

 なのに、人間はどうして争いを止められないのだろう。ウクライナはなぜ戦い続けるのだろう。プーチンの望みは何なのだろう。ニュースでスゥーデンが北大西洋条約機構(NATO)に加入したと報じていた。中学校の社会科でNATOの役割を学んだことがある。

 余り定かでは無いが、集団防衛・危機管理・安全保障だった気がする。NATO加盟国の中でも貧しいギリシアなどは、豊かなドイツからの支援が無ければ政情不安に陥ってしまう。生産力の低い国の加入は歓迎されないが、そこそこの国なら受け入れるのだろう。

 ロシアもNATOに加入すれば、ヨーロッパの緊張は一気に解決できそうなのにと、ノー天気な私は考えてしまう。元々NATOはソ連を意識したものだったが、ソ連の崩壊後も警戒心は変わっていないようだ。社会主義国家では無くなっても、共産党が支配する独裁的な国家である限りは無理というものだろう。

 手っ取り早いのは、地球が1つの国家になってしまえばいい訳で、アメリカとかロシアとか日本とか、地方自治体のようなものとなるなら、軍隊は不要で、その軍備費を住民の生活のために使える。いいことづくめな気がするのになあー。

 草木だって、昆虫だった、どんなものでも不要なものはない。自分は何のために生まれたのかと自問する人がいるが、生きていること自体に意味があるのだろう。私は長生きしたくないと願っているが、旅立ちは神様のお決めになることと受け止めている。

 神様が啓示を与えられた中東の地が、どうしてなのか長く紛争が絶えない。これも地球の歴史のためには必要なことなのかも知れない。そこで命を無くされた方には申し訳ないが、あなた方は歴史の礎なのだ。きっと‥。

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ジジイの常識は過去のものだった

2024年02月26日 17時09分28秒 | Weblog

 昨日の朝、時間があったので次女一家に、名古屋芸大の卒業展を見せてやろうと思いついた。最初に入った所が「アートクリエイター」だったので、アニメ風の絵に小3の孫娘は面白がったけれど、ダンナの方は怪訝な顔をしていた。日本画の作品の前では、みんなが見入っていたので、やっと「卒展」を見た気分になれた。

 あちこち見ていたら時間が無くなってしまい、洋画まで見られなくなってしまった。次に、私の退院祝いを長女が予約してくれた和食店へ行った。とっても美味しくて、それだけでも嬉しかった。食事の後、私とカミさんは次女のダンナを乗せ、東枇杷島駅まで送り帰宅した。

 長女と中2、次女と小3、それにふたりの子持ちの孫娘は、新幹線で東京へ行き、東京ディズニーランドへ向かった。長女の娘がテストで目標ラインをクリアしたので、褒美に行くと言うものだ。褒美をエサにするのはどうかとは思うが、それで頑張れたのだから結果は良しとすべきか。

 ディズニーランドは晴天のようで、 ジェットコースターに乗って大はしゃぎしている写真などが送られてくる。長女も次女も働いているが、この日のために休んだようだ。中2の孫娘は愛知県の制度で、休校日だったのでよかったが、小3の孫娘は今日は出校日なのに休んだのか。まあ、それもいいだろう、私も子どもたちを休ませて連れ出したことがある。

 昨日の朝で一番驚いたのは、小3の孫娘が手鏡を出して化粧をし始めたことだった。「今日は、化粧ののりがいい」とか、「ナチュラルメイクにしよう」とか、言い出した。「クラスの女の子も化粧するの?」と訊くと、「する子もいるし、しない子もいる」と答える。両親も笑って見ていたから、そんなものかと思った。

 女の子が化粧するのは、社会人になる時というジジイの常識は、完全に過去のものだった。化粧をし終った孫娘を見て、「大人っぽくなったね」と褒めてしまった。孫娘は得意そうに、ニヤッと笑った。

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自分がどう思うかである

2024年02月23日 17時08分09秒 | Weblog

 今日は天皇誕生日で休日だが、天皇誕生日というと4月29日と思ってしまう。長い間の習慣なのだろう。4月29日は「昭和の日」という休日になったが、上皇の誕生日の12月23日は、休日にはならないのだろうか。休日が増えれば国民は喜ぶだろうに。

 日本は「主権在民」の国家とはなったが、天皇制国家であることも事実だ。天皇はいつも時の権力者に利用され、飾りものにされてきた。天皇が国民と等しく人権を望まれるなら、私は天皇制を放棄されてもいいと思う。

 普通の国民と同じように、喜怒哀楽を表わせないのは誠に気の毒だ。いつも国民の視線を意識していなくてはならない立場は、余りにも残酷だ。政治家なら、「覚えが無い」とか、「そうかも知れないので、今後は誠心誠意努力します」とか、言っていれば済んでしまう。

 株価が34年ぶりに高値を記録し、証券会社ではクス玉を割って祝っていた。孫娘のダンナも「株をやっている」と言うから、決して金持ちだけが投資をしている訳では無い時代になった。彼はいくらかでも儲かったのだろうか。

 物の売り買いは昔から、儲かったり損したりを繰り返して来た。だから私は、儲けたいなら働いた方が確実だと思って来た。保険も、母が「保険料を支払うために働いているみたい」と言っていたのに、いざと言う時にどうなったのか全く分からなかった。

 教員になった時、保険のおばさんが生命保険の勧誘に来たが、入らなかった。結婚すると聞きつけて再びやって来た時は、「夫としては妻のために加入するのが当たり前」と説得されて、サインしてしまった。

 友だちの中にも、保険に入らず手術を受けても自費で払って満足している人がいるけれど、相方は保険に加入している。これはどう見ても相手への思いやりなのだと思う。相手がどう思っているかよりも、自分がどう思うかである。

 明日は次女一家が来てくれるので、明後日は退院を感謝して食事会をするので、ブログを休みます。

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伝統の祭りは今も続いているのだろうか

2024年02月22日 17時39分11秒 | Weblog

 温水器の洗浄に来てくれた男性は、私と同じくらい頭が剥げていた。温水器の前にブルーシートを置いて、「どっこいしょ」と座り込んで作業を始める。1つやる毎に、「よいしょ」と声をあげ、からだを動かす度に「よいこらしょ」と発する。

 これまで一度も我が家に来たことが無いが、定年退職後も働いている人のようだ。年齢は多分、私よりも若いが70代にはなっているだろう。40分ほど作業をして帰って行ったが、立ち上げる時は本当にシンドイようで、「アイタッタァ」と腰をさすっていた。

 マンションに新しく入居して来る人は、温水器を撤去して、ガス温水器か新型の温水器エコキュートに替えている。我が家に設置されている深夜電力型の温水器はもう、製造している会社が2社しか無いから、近い将来には様変わりすることだろう。

 作業員のかけ声の他にも、外から威勢のいい「わっしょい、わっしょい」が聞こえて来た。今日は国府宮神社の裸祭り、地元の有志が難追笹を束ねて練り歩いているようだ。いつからか小学校の運動場でも、「わっしょい、わっしょい」とやるようになった。

 PTA役員を終えた男性たちが「オヤジの会」を結成し、学校への奉仕を行うようになり、地元で続いてきた奉賛会も引き受けたようだ。今日は雨こそ降っていなかったが、風があり寒かっただろう。雪が降る日もあったから、まだ良かったのかも知れない。

 地元で受け繋がれてきた祭りも、担い手不足で立ち消えるところもあると言う。私は刈谷市で生まれ育ったが、春には山車が勢ぞろいする市原神社の祭りが、夏には秋葉神社での勇壮な万灯祭りが、秋は元刈谷神社で馬追祭りが行われ、独りで出かけていた。

 まだ、伝統の祭りは続いているのだろうか。友だちと一緒に出掛けていれば、話を聞くことも出来たのだろうが、私はいつも独りだった。刈谷を離れてもう60年近くなる。子どもの頃の思い出は、アルバムにも残っていない。

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人は自分から成長していくの?!

2024年02月21日 18時29分09秒 | Weblog

 孫娘が7ケ月の曾孫を連れて遊びに来た。毎月1回の「見守り」と言うが、今回は退院した私の様子を見に来てくれたようだ。今年の7月が来ると4歳になる長男は、ダンナの会社が従業員の子どものための保育園に通っている。園児が少ないのに、保育士さんが多くて、本人はとても気に入っていて、毎朝、嬉しそうに出かけて行くそうだ。

 それでも意思表示がハッキリしてきて、「テレビを見ながら食事をするなら、テレビは切ります」と言うと、「食べないから、テレビ見る」と切り返されると言う。下の子がママにべったりしていると、「ママはハックン、ツックンはパパ」と、ママを自分の方に引き寄せる。「お兄ちゃん」の意識は芽生えてきているようで、時々弟と遊んでくれるそうだ。

 7ケ月の下の子も随分大きくなってきた。フトンに寝かせると、自分で寝返りしてハイハイしそうな勢いだ。この子はあまり泣かず、ニコッと微笑んでくれる。こんな風に子どもは周りを見ながら育って行くことがよく分かる。周りに大人が居なければ生きられないのだから、可愛さを撒き散らすのも当然だろう。

 今週末に次女一家が泊まりに来る。それを思ってなのか孫娘が、「お風呂の掃除をする」と言い出した。ちょこっとシャワーで流すだけかと思ったら、排水溝に薬品を流し、湯船の周りの黒カビを歯ブラシで擦り出す。やり始めると中途半端に終ることは出来ないようだ。「綿棒はある?」と聞くので、手渡すと奥まったところの黒カビを徹底的に取り除いていく。

 誰の血を受け継いだのだろう。長女はそんな細部にこだわる人では無かったが、どちらか言えば次女の方が、キチンとやらなければ気が済まないタイプだった。孫娘のこんな姿は初めて見た。大雑把にドンと構えて、友だちづくりは積極的でも、摩擦を起こしそうな拘るタイプでは無いと思っていた。

 環境が人を育てるのか、年齢が人を変えるのか、それとも人は自分から意識して成長していくものなのか。ホントに今日はありがとう。

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老害になっていると自覚した方がいい

2024年02月20日 17時24分13秒 | Weblog

 生命保険会社の人が来るというので、北の部屋を元の応接間に戻すために寝具を移動し、机とイスを元の形に並べ直した。明日は孫娘が曾孫と一緒にやって来るし、24日は茨城の次女一家が泊まりに来る。私の回復具合を自分の目で確かめたいのだろう。

 次女夫婦はワインが好きだから、ぜひとも杯を交わしたい。義理の父親と娘のダンナは、男同士の話がある気がする。私は自分の父親が高校生の時に亡くなってしまったので、親子で話をしたことが無かったが、カミさんの父親とは酒を飲みながらよく話をした。

 ほとんどが義父の、子どもの頃から退職に至るまでの苦労話だったが、テレビに映る東大全共闘の山本義隆のアジ演説を観て、「この男は大物だな」と言った時はビックリした。義父は警察官だったから、体制擁護の人だと思っていたからだ。

 義父の亡くなった歳を超え、今度は私が義理の息子たちの話を聞く番がきた。それぞれに社会の中堅となり、仕事の上でも重要な役割を担っている。私が経験してきた苦労の何十倍もの苦労を背負っていることだろう。

 話すことで気が楽になるのなら、いくらでも聞こう。アドバイスなど出来るような経験も論理も持ち合わせていないが、それでも年寄りと話すことで気が晴れてくれるなら、有難いことだと思う。

 アメリカの大統領選挙は、「老対老」決戦と揶揄されている。バイデンさんが81歳、トランプさんが77歳、アメリカにはもっと若い政治家はいないのかとさえ思ってしまう。年寄りが悪いと言う訳では無いが、やはり若い人に譲った方がいいと思う。

 年寄りがいつまでも頑張っていると、どうしても若い人の活躍の場を狭めてしまう。「まだまだやれる」と思うのは勝手だが、本当は老害になっていると自覚した方がいい。ハルノ宵子さんの『隆明だもの』を読んでいると、つくづくそう思う。

 吉本隆明に傾倒した団塊の世代も、既に後期高齢者になっている。

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余りに悲惨な現実

2024年02月19日 17時28分43秒 | Weblog

 さあー、もうそろそろ普通の生活に戻ってもいいだろう。そう思って、マンションの外壁修繕工事の業者に、ルーフバルコニーに残っている植木鉢の処分をお願いする手紙を出そうと、パソコンの前に座った。印刷しようとしたら、「インクが無くなりました」の表示。

 仕方がないのでいつもの文房具屋さんに行く。インクの番号をメモしていかなかったので、2度も行くことになった。店の主人は「お茶でも飲んで」と、声をかけてくれる。地域新聞を発行していた頃からの知り合いだから随分になる。カウンターの中に通され、主人が淹れてくれたお茶を飲みながら雑談する。

 日展に行って来た話から、将棋の藤井聡太さんの街で知られる、瀬戸へ行って来た話など尽きなかった。主人は岐阜の生まれだが、もうこの街で文具店を開いて何年になるだろう。駅前の発展会の顔でもあるが、今は息子さんが店を仕切っているようだ。「故郷に帰っても、多くが次の世代に替っている」と、寂しそうだった。

 私も彼も、高齢者の仲間入りである。「いつまでも年寄りが頑張っていては、若い人の邪魔になるだけ」と私が皮肉を言うと、「分かってはいるが、何にもしないのもなぁー」と口ごもる。バリバリ働いてきただけに、未練が残るのだろう。「今度、来た時は抹茶を飲ませてあげる」と言う。「抹茶を売っている店も無くなったが、名古屋で買って来るから」と。

 同年代の仲間が少なくなり、話し相手が欲しかったのかも知れない。私もいろいろやっていた時はこの店にもよく来たが、今では文房具が必要になるような仕事をしていない。時代は変わっていく。年寄りは、昔を懐かしんでいられるのが一番幸せなのかも知れない。

 『隆明だもの』を読み始めたが、娘からみた吉本隆明の最後の頃は、汚い老いぼれジジイでしかない。思想界の神様も、自分で排泄も出来なくなり、ヨレヨレの下着で過ごす、どこにでもいる老人だった。余りの悲惨な現実に読む気を失ってしまった。

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人の生き様はその人そのもの

2024年02月18日 17時30分44秒 | Weblog

 ルーフバルコニーの植木鉢は大方処分したけれど、大きすぎて運べないものはそのまま残してある。カミさんが育てていた鉢は北の部屋の置いてあったが、茨城の次女一家が24日に来て泊まるというので、今朝、隣りの部屋に運び出した。久しぶりの肉体労働で汗をかいた。

 午後、退院以来始めて、自分で車を運転して外出した。取り寄せを依頼していたハルノ宵子さんの『隆明だもの』が、書店に届いたと連絡を受けたので取りに行って来た。助手席にカミさんを同乗させ、「運転はどうでした?」と尋ねると、「普通じゃーない」と言う。私としては、「あなたよりも安全運転」だったのに。

 『隆明だもの』は新聞広告で見て、ぜひ読んでみようと思った本である。吉本隆明は、私たちの世代の左よりの学生には、「神のような存在」だった。大学の図書館にあった『図書新聞』に、60年安保から目立ってきた知識人と言われる人たちの記事がよく出ていた。私の本棚には吉本隆明の著書が9冊も並んでいる。

 最初に買ったのは『芸術的抵抗と挫折』だった。表題の言葉に魅かれて、最初のページに「マチウ書試論』とある。キリスト教に関する著述である。私は中学生の時からルーテル教会に通い、キリスト教に関心があった。けれど、吉本の本はよく分からなかった。どの本も結局は、最後まで読まなかった。持っているだけで安心してしまっていた。

 ハルノ宵子さんは吉本隆明の長女で、漫画家とある。吉本のような難しいことを考え発信する、その娘さんが漫画家ということに驚いたし、本の帯に「吉本家は、薄氷を踏むような家族だった」とあるのも気になった。戦後思想界の巨人と呼ばれ、左翼学生が傾倒していた吉本隆明がどんな人だったのか、興味があった。

 私の覚えだから間違っているかも知れないが、80年代以降は随分変わってきた気がする。小沢一郎氏を評価する発言もあり、人は変わるものだと思った。凪良ゆうの『星を編む』を読み終え、人の生き様は「その人のもの」と痛感した。

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