友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「心配り」に欠けてきている

2019年01月08日 17時26分36秒 | Weblog

  新年会で我が家に姪っ子の家族や長女の家族が集まった時、姪っ子が「長男がまだ独身だから、誰か嫁に来てくれないかしら」と言った。私が冗談で長女の下の娘に「お嫁さんになってあげたら」と言うと、いつも遊んでもらっているのに、「ムリ」と即答する。周りも「33歳と9歳じゃー、ちょおと無理か」と言い出した。

 そこで「幾つ違うの?」と小3の孫娘に聞いてみた。「えーと、えーと」と言うもののなかなか計算が出来ない。すると周りが、「30から9を引いて、3を足す」とか、「9に1を足して、33から引いて、答えに1を足す」とか、「33を30と3に分け、30から9を引いて、答えに3を足す」とか言い出す。孫娘はますます分からなくなってしまった。

 学校ではどう教えているのだろう?友だちの息子が小学校で教えてもらった方法以外のやり方で答えを出したところ、先生は「そんなやり方は教えていない」と注意した。私は腑に落ちなかったので、大学で数学を専攻していた大学生に問うと、「それってインド式で正しいですよ」と言う。先生も数学の知識がなかったのだろうが、教師としてはダメだと思った。

 昨年、愛知県出身の若者が大事件を犯している。新幹線で殺人事件を犯した青年は一宮市で育った。中学時代から不登校気味だったようだが、学校の先生はどんな対応をしていたのかと思う。そんな話を教師をしている人にすると、「無理です。時間がありません」と言う。どうしてそんなに忙しくなっているのか私には分からないが、それが学校の現実のようだ。

 私は高校しか務めたことがないので、しかも最近の学校の様子は全く分からないが、小学校の職員室は随分遅くまで電灯がついているし、朝は7時ころから先生が運動場にいる。「先生は夏休みや冬休みがあっていいね」という時代はもう昔のことらしい。余裕がないのは先生だけではないようで、社会全体に「心配り」に欠けてきている。辛く寂しい時代になってきたと思う。

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