友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

新聞で知るコロナウイルス禍

2020年06月30日 17時59分23秒 | Weblog

 今朝の新聞の社会面に、あおり運転の厳罰化を盛り込んだ改正道路交通法が、今日から施行されたと大きく報じられていた。その記事の隣りには、『関市議 市役所に爆破予告』の見出し。市議が「爆発物を仕掛けた」と市役所に手紙を送ったので、市役所は爆発物を捜索するため2時間近く業務を中断することになった。

 手紙を送った市議は、5期目のベテランで議長経験者でもある。いわば、議員の中では「顔がきく」立場であるから、何か問題があれば、直接職員に質すことが出来る地位にある。詳しいことは分からないが、「(5月1日の手紙には)新型コロナウイルスで影響を受け、市の窓口の対応に不満があるとの内容が書かれていた」と記事にあった。だったら尚更、議員として役割を果たすべきなのに、何が彼を狂わせたのだろう。

 同じ新聞に『コロナから何を学ぶか』と題して、嘉田由紀子参院議員と谷岡郁子学長と山中伸弥京大教授の座談会が掲載されていた。嘉田さんは私よりも6歳下、谷岡さんは10歳下、山中教授は18歳も年下になる。この歳の差は発想の仕方にも微妙に影響しているように感じた。

 谷岡さんは「人と人が離れることが良いとの新しい生活様式は、古来人間が群れることで文明をつくり、文化を発展させてきた歴史そのものを否定することになる」と警告する。若い山中教授は「アメリカの研究室のメンバーとズームで会議をしたが、同じ部屋で会うより話が弾む」、「画面に全員の顔が映り、全員と1対1で向き合って話している気になる」、「オンラインなら、どこにいても世界中の一流教授の授業が受けられる」と話す。

 座談会の締めは谷岡さんの、「人類全体を考えるようになれば、今の武力中心ではなく、人間の存在自体の安全保障のため、各国が協力できる時代になる」だったが、そうなって欲しいと願う。

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議員を目指すのはどういう人

2020年06月29日 17時47分09秒 | Weblog

 市議会議員がA4判4ページの後援会討議資料を持って来た。「議員になったのだから、何をやっているかを有権者に知らせる活動を」とアドバイスした。彼は議会毎に資料を作り、配って歩いている。この市のような、1千票もあれば当選は確実なのだから、「この人は真面目にやっている」姿を見せることが得票につながる。

 まだまだ地元推薦の意識が残る地域だが、ヘンなしがらみや地域エゴに巻き込まれないためにも、彼は地元を大切にしながらも広範囲に活動している。多くの人に活動を知ってもらう必要があるし、市民が何に困っているのか、どこにどんな問題があるのか、を知るためにも市中を歩く必要があり、彼は懸命に努力している。

 買収容疑で逮捕された河井克行前法相が、以前テレビで「市会や県会の議員なんて、出ていく金が多くて全く儲からん」というような発言をしていた。この人は何のために政治家になったのだろう。国会議員ならば何千万円もの収入がある。市会や県会の議員だって、人並み以上の収入なのに、労働の内容からすれば充分だと思う。

 政治家になりたいだけで立候補されたのでは、市民は何を基準に投票すればよいのだろう。東京都北区の都議補選は定員1人のところに5人が立候補して話題になっている。全員が女性で皆若い。最高齢が自民党候補で49歳、最も若いホリエモン新党候補は27歳で、アベノマスクで胸を覆った裸の選挙ポスターにはビックリする。

 政策や主義主張よりも人目を引く、こういうやり方が流行るのかも知れない。選挙が身近になるという見方もあるが、有権者のレベルってこんなものなのかとバカにされている気がする。彼女はとてもグラマーで可愛いから興味のある人は検索してみるといい。

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ドラマ『天城越え』を見る

2020年06月28日 18時06分30秒 | Weblog

 最近のテレビはつまらない。私が無気力になっているからなのか、テレビに飽きてしまったのか、何も見たいものがない。先日、山口百恵さんと三浦友和さんが初めて共演したという『伊豆の踊子』を見た。14・5歳の女の子が抱いた淡い恋心が切なかった。

 『伊豆の踊り子』とか、『野菊の墓』とか、日本の小説は情緒的だ。同じ初恋を描いたツルゲーネフの作品とはどこか違う。天城トンネルのつながりで、松本清張原作のドラマ『天城越え』を見た。NHKBSで放送されたその作品は、1978年に制作されたものという。

 娼婦役の大谷直子さんがエロっぽかった。大谷さんには『受胎告知』という妊婦のヌード写真集がある。この娼婦役をその後、田中裕子さんと田中美佐子さんが演じている。田中美佐子さんは色っぽい感じがしないが、田中裕子さんなら妖艶だっただろうと想像できる。

 たまたま出会った3人が天城越えをする。ひとりはどこかの置き屋から逃げ出してきた娼婦で、ひとりは家業が嫌で家出した少年、もうひとりは無口な土工だ。少年を鶴見慎吾さん、土工を佐藤慶さんが演じていた。土工の背中には幼い時に受けた虐待の傷痕がある。

 冷え性という女は、胸に少年の手を入れさせて、「あったかい」と言う。土工と女の交わりを見てしまった少年は、女が男にいじめられていると思ったのか、それとも女に恋心を抱いたのか、分からないまま、男を刺し殺してしまう。

 少年の罪を被る女、女を罪人にして悩む少年、この辺りの人間模様が映像としてよく描かれていた。やっぱり松本清張は人の心理をしっかり見ている。喧しいバラエティー番組より、古い作品でもこちらの方が面白かった。

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いい加減でいいじゃーないか

2020年06月27日 18時33分57秒 | Weblog

 世の中にはいろんな人がいる。それぞれに個性があって、違うのだから当然なことだけれど、その個性に気が付かない人もいれば、気にし過ぎる人もいる。「しまった」と言うから、どんなことかと心配すると、買い物して来た店よりチラシの店の方が安く売っていたというような他愛もないことだったりする。

 けれども本人は真剣で、「安いと思って2つも買っちゃった」と嘆く。「電気代がもったいないから」と部屋の電灯を消して回るのに、トイレの換気扇を1晩中点けっぱなしにしてしまう。火事にならなければそれでいい、そのくらいのいい加減さの方がよいと思うが、いろんなことが心配でならないのだ。

 今朝の朝日新聞の『悩みのるつぼ』は、過去の出来事がまざまざと蘇ってくる人の相談だった。「誰でも経験すること、と思いながらなかなか忘れられず、悔恨が繰り返し浮かんでは消え、消えては浮かんできます。すぐに忘れられる人が羨ましい。このような性格や考え方を変えるのはどうすれば」と訴える。

 回答者の姜尚中さんは、「人間は過去を記憶し、未来を予測する知恵を持っています。でもそれが悩みのタネにもなっているのです。今を愉しめない性行の根幹にあるものは不安だと思います。不安が過去の悔恨となったり、未来への焦りとなったりしているのです。ですから答えは、今を無心にエンジョイすることです」と結ぶ。

 過去のことを悔やんでも取り戻せないし、先のことを心配しても仕方ない。「今がよければ、それでよし」と思う以外ない。「しまった」ならば、こういう時も「あるさ」と開き直ろう。完璧な人間などはいない。いい加減でいいじゃーないか。これって、自分勝手なのかな?

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どこに自分の視点があるか

2020年06月26日 18時09分12秒 | Weblog

 陽射しが強い訳ではなかったが、ベッタリして蒸し暑かった。6ヶ月に1度の定期検診のために名古屋へ出かけた。電車に乗り込むと、「車内ではマスクを使用してください」と 、国土交通省からの お願いが放送された。マスクを忘れなくてよかった。全員がマスクしている。

 けれど、地下鉄に乗ると電車よりはるかに混んでいるのに、マスクしていない人がいる。利用者の雰囲気が違うようだ。夏を感じるのは乗客の服装からだ。私の眼の前に、肩から背中に大きく開いた服を着た女性がいた。ふたり連れで、スマホを見せ合いながら話している。

 露出した白い肌はとてもきれいで、シミや黒子がひとつもない。ジロジロ眺めるのも気が引けるし、ソーシャルディスタンスだからと思い、彼女との間隔を広く空けていた。すると3人組に割り込まれてしまった。テレビで見たような、広く間をとっているような人はもういない。電車が来れば、ぐんぐん前に詰めてしまう。

 建前と本音は現実の前では仕切りがない。私が創刊した地元の地域新聞が、マンションの井戸を紹介した記事を載せてくれた。記事の内容は、自治会としての取り組みに注目し、防災用トイレに水を流すため2カ所に井戸が完成したというもので、井戸掘りをしたNPOの名前は無かった。

 新聞が何を伝えたいかによって記事の内容は変わる。河井克行・案里夫妻の逮捕も、初めはウグイス嬢に法定の2倍の報酬を支払っただけの違反行為だったが、今では市議や市長などへの買収容疑が中心になっているが、単なる祝い金と見ることも出来る。

 どこに自分の視点があるかで、その人の人柄まで見えてくる。背中が大きく開いた服に見とれていた人のほとんどは男だ。我慢して目をそらすか、せっかくだからと眺めるのか、悩むところだ。

 

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マスメディアの役割とは

2020年06月25日 17時43分03秒 | Weblog

 手越祐也さんとか渡部建さんとかが、テレビで話題になっている。私はふたりをテレビで見たこともないので関心がなかったが、有名人は大変だということはよくわかった。手越さんが自粛中に女性と食事をしようと、ジャニーズ事務所を退所しようと、放っておけばよいのに、マスメディアはどうして追い回すのだろう。

 渡部さんの女性問題で、「会見を開いて、謝罪すべき」と主張するマスメディアは、個人のことを取り上げて何がしたいのだろう。茶の間の視聴者が謝罪して欲しいと願っているとでも言うのだろうか。不倫とか略奪婚とか、マスメディアはよく取り上げるけれど、それを報道することで何を切りひらくというのだろう。

 人の生き方を他人がとやかく言うべきではない。「心不全と診断された」と先輩は笑って言う。そんなおおらかさを持って生きていたい。「人は人」と言う時は、自分はどうなのかと振り返らないと、ただ突き放すだけで終わってしまう。昨日の中日新聞に「自民の改憲漫画が波紋」という見出しで4コマのマンガが載っていた。

 「ダーウィンの進化論ではこういわれている。最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である。これからの日本をより発展させるために、いま憲法改正が必要と考える」。マンガはインターネットで公開されたとあるから、若者向けなのだろう。

 「変化できる者」から憲法改正への発想は、メチャクチャなこじつけである。国が発展していく過程に変化は付きものだが、逆にどのような変化が必要なのかは国民の課題である。改憲よりも、何が問題であり、それをどのように明らかにしていくのか、マスメディアの真価が問われている。

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これからはインターネットが重要な働きをするのは確実なのに

2020年06月24日 17時38分03秒 | Weblog

 卒業生が『同級生新聞』第2号をメールで送ってくれた。その前に、「大丈夫か?」と心配もしてくれたが、私のパソコンはデスクトップ型の大型画面だと伝えておいた。『同級生新聞』はA4判の6ページの組み立てである。1ファイルがA4判2枚のA3判で、3ファイルが送られてきた。

 まだ、よく分からないが、印刷してみようと試みたが出来ない。私のプリンターはA4までしか出来ないので、1ファイルを2枚に分けられないかと試みたがダメだった。「A4判に分割して送って欲しい」とメールを送ると、「13名にデータを送りましたが、その意見は初めてです」と返信が届いた。

 昨日のブログも、どうもフォントと書体がこれまでのものと違う。どうしてそうなったのか、確かに最初のところはインターネットニュースからコピーして貼り付けた。それを下書き上で同じフォントと書体にしたはずなのに、アップしてみると思い通りになっていない。

 70代は丁度パソコンが職場に導入されてきた時代の人だが、多くの人が有能な部下にパソコン操作を任せてきた。私も同様で、新聞の原稿は鉛筆書きだった。パソコンに堪能な女性が入社してこなかったら、イベントなどの新しい企画は出来なかっただろう。

 卒業生たちはデザインの世界で働いてきたからITに精通しているが、私はどうも落ちこぼれのようだ。SNSといわれるFacebookTwitterなど、全く使いこなせない。インターネット世界では若い人たちの発信力が凄いのに、頑固な老人となった私たちは意見発表も出来ないのだ。

 これからの世の中はインターネットが重要な働きをするのは確実だが、ただ年寄りは見ているしかない。願わくば、誹謗中傷や悪口・陰口ではない、情報と意見交換の場になってもらいたい。

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沖縄戦から75年目の「慰霊の日」

2020年06月23日 18時00分22秒 | Weblog

 沖縄戦から75年目の節目となる「慰霊の日」を迎え、最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園で「沖縄全戦没者追悼式」が開かれた。

 玉城デニー知事は平和宣言「私たちは戦争を風化させないための道のりを真摯に探り、我が国が非核平和国家としての矜持を持ち、世界の人々と手を取り合い、この島が平和交流の拠点となるべく国際平和の実現に貢献する役割を果たしていくために、全身全霊で取り組んでいく決意を宣言する」と述べた。

 私はアメリカ人と沖縄人の間に生まれた知事の誕生は、大きな意味があると思っている。国が他国と対立するのは、政府が対立しているのであって、国民が対立している訳では無い。どこの国も「自国ファースト」を主張すれば、どこかで利益が相反するから対立が生まれてしまう。

 だから、トコトン話し合って妥協点を見出すのが政治家の仕事だ。「国がある限り、防衛は必要」と主張する人もいるが、だったら国を無くしてしまえばいい。莫大な防衛費を各国が持たなくなり、その分をみんなのために使えば世界中の人が喜ぶはずだ。武器を製造している業界や販売にかかわっている人たちは失業することになるが、救済することくらいは安価に出来る。

 世界中の国が日本の憲法第9条を取り入れるなら、国対国の戦争は起きない。だから、日本の政治家は世界中に憲法第9条を広げる活動を目指すべきだ。コロナ対策や自殺者を無くす社会基盤や交通事故防止も必要な課題だが、日本の国の政治家であるなら、ぜひ、憲法第9条を広げる活動をして欲しい。

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家族の集まり

2020年06月22日 17時36分36秒 | Weblog

 「父の日」でも「母の日」でも「子どもの日」でも、何でもいい。家族が集まる機会であれば、「七夕」でも「中秋の名月」でも構わない。忙しい現代の家族は、ゆったりと家族が顔を合わせる機会は少ないという。食事はみんな揃って食べるものだったが、別々の家庭もあると聞く。

 家族が揃っても、「結局はあなたがお酒を飲んで一方的にしゃべるだけ」と批判される父親は、少し反省しなくてはならないだろう。私は年中行事を大切に行ってきたつもりだが、子どもたちはどんな風に受け止めていたのだろうか。

 長女のところの小5の孫娘が、カミさんに「午後7時にみんなでラインしたい」と連絡してきたと嬉しそうに言う。先日、3家族でテレビ電話して、孫娘は何か感じるところがあったのかも知れない。本当は次女の6歳になったいとこと話がしたかったのではないだろうか。

 長女のところは子ども2人、次女のところはひとりっ子。長女のところの上の娘は嫁に行き、実質的には小5の孫娘もひとりっ子のようなものだ。近所に仲良しの友だちはいるようだが、血のつながりはまた別のものなのかも知れない。

 私は従弟がたくさんいたし、特に母の妹の次男とは歳が近く、よく遊んでもらった。それでも高校生になる頃には従弟たちとの交流は無くなった。祖母が亡くなると父の兄弟も来なくなり、母が亡くなると母の妹の家に行くことも無くなった。

 大きくなれば、生涯の友に出会い、その付き合いが続くことになる。血のつながりでは得られない友情を味合うだろう。それでも家族は原点であるから、小さな時は特に集まりを持つ機会があった方がいい。小5の孫娘も6歳になった孫娘も、急に大きくなったように思うのはジイジの贔屓目かも知れない。

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「父の日」プレゼントに感謝

2020年06月21日 17時04分38秒 | Weblog

 コロナ騒ぎで床屋へ行かなかったら、みすぼらしい老人になっていた。これではいけないと思い、いつもの床屋へ出かけた。マンションの玄関先の道路を、3人の小学生が自転車に乗ってやって来た。行き過ぎてから急に止まると、「アレ、久しぶり」と言う。

 2月まで通っていた放課後教室でよく話しかけてきた子だ。マスクしていたのに覚えていてくれたらしい。部活は無いし、クラブのサッカーも無いとボヤいていた。マンションの中庭でみんなと遊ぶと言う。連れの子が「おじいちゃん?」と彼に聞く。「ウウン。じゃーね」と彼は答え、自転車にまたがり行ってしまった。

 いい顔をしていた。何だかこちらまで嬉しくなった。午後の床屋は空いているだろうと思ったが、先客がいた。床屋の主人と話していたら、「緊急事態宣言が出てからは客足はさっぱりだった。休業補償は出ないので休むか迷ったが、県と市で協力金が出ると聞いたので休むことにした」と言う。

 個別の申請ではなくて、理容組合が申請し配布するという。その方が手続きが早く済むが、まだ配られて来ていないそうだ。コロナ禍は庶民の生活を一変させた。「マスクをしていない人は犯罪者扱いですから。でも、それで徹底されるならいいんじゃーないですか」と言う。

 今日は父の日。高校生になった子どもが「何がいい?」と聞くので、「パパの欲しいものは君らの小遣いでは買えないから、気持ちだけでいいよ」と答えると、肩たたき券を持って来たそうだ。「しかも1度に1枚しか使えませんと但し書きがあるんです。賢くなっていました」と笑う。

 そうやって子どもは知恵をつけ、大人になっていく。昨夜、長女から届いた『古伊万里浪漫』を肴に、今晩は飲もう。次女からは山形のサクランボが届くはずだ。子どもたちからの「父の日」プレゼントに感謝!

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