友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

安直でリアルさに欠けたドラマだった

2022年09月30日 18時04分52秒 | Weblog

 NHKテレビの朝のドラマ『ちむどんどん』が終わった。このドラマは視聴者に何を伝えたかったのか、私にはさっぱり分からないままだった。朝ドラは女性を主人公に、その生涯あるいは半生を描いたものが多い。

 困難を乗り越え、ひたすら努力し、幸せをつかむ、そんな物語が好まれた。主人公の特徴は、明るく・元気で・爽やかの3要素を備えている。その点で、『ちむどんどん』の主人公の暢子はピッタリ当てはまる。

 けれど、どう見ても自己中心で、周りの空気が読めない。自分の幸せは追求するけれど、他の人が何を求めているか、何を考えているかは二の次だ。和彦の恋人に向かって、「和彦君が好き」と告白したり、東京で沖縄料理店を開きながら、「沖縄で野菜作りに胸がわくわくする」と沖縄に定住する。

 脚本は杜撰だった。本土復帰50年の節目のドラマで、比嘉家の人々の人生を描いたのに、沖縄の人々の苦労も苦しみも何も伝わってこない。米軍の襲来で沖縄が地獄となり、母は弟を守り切れなかった責め苦を背負っているが、そんな場面はわずかに出てくるだけで、戦後の沖縄の問題に触れられていない。

 一番下の詩子は沖縄民謡で歌手となるが、身体が弱いことばかりが描かれているのに、なぜなのか、どういう病気なのか、全く分からない。最終回の今日は、比嘉家の兄弟姉妹とその連れ合いや子や孫が集まり、暢子の料理を堪能する。あまりにも安直でリアルさに欠けたドラマだった。

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人は死んでしまえば誰でも同じ

2022年09月29日 18時24分00秒 | Weblog

 安倍前首相の「国葬儀」を、「5時間もテレビで見続けた」と先輩は言う。安部氏を評価する先輩は早すぎる死去を惜しむようだったが、安倍政権が進めてきた「強い国造り」に反対の私と話すのは得策ではないと、用件だけ話して帰っていった。

 安倍氏は「統一教会」の信者では無かったとしても、「統一教会」と深く関わり合っていた。私は「統一教会」の教えを、ウソとか間違っていると否定するつもりは無い。何を信じるかは人の自由だと思っている。

 少しばかりキリスト教を学んだ私には、「統一教会」も「エホバの証人」も受け入れられない。しかし、信じた人が「信仰」の為に熱心に活動することを妨げる気は無い。献金で家族を犠牲にしてしまったことは、家族や親族が解決する以外に無い。

 安倍氏の「美しい国」がどういうものなのか分からないが、「統一教会」の主張と重複するのだろう。「互いに利用し合っていた」と評論する人もいるが、安倍氏が、そして「統一教会」が、理想に燃え共鳴し合ったと考える方が「美しい」気がする。

 「国葬儀」では友人代表の菅前首相の弔辞に拍手が沸いた。安倍氏との友情が色濃く語られ、ふたりの関係を伊藤博文と山県有朋になぞらえ、山県の歌「かたりあひて 尽くしし人は先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」を読んだ。

 「総理官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした7年8カ月。私は本当に幸せでした」と、涙を誘うラブレターだった。安倍氏が周りに気遣う人だったとか、笑顔を絶やさなかったとか、安倍氏の人柄が「天の神」のように見える。

 私が死んだら、遺骨は拾わず、知人に死亡ハガキを送ってくれと頼んである。葬儀をする必要は無いと思うが、どういう形にするかは家族で決めればいい。人は死んでしまえば誰も同じ、この世に発言権は無い。

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青春はいいなあー

2022年09月28日 17時28分17秒 | Weblog

 内視鏡検査のため、朝8時前に家を出る。久しぶりに通勤時間帯の電車に乗るが、半世紀前と変わらない混雑ぶりだ。ドアからのわずかな隙間に入るが、このままドアが閉まるだろうかと心配していると、私の後ろから若い男が飛び込んで来て、無理やり背中を押してくる。

 混雑した車内では、前の背中に身体を寄せることになる。しかし、私の前は少し高齢の女性が、客席ではなくドアの方を向いているので、私と女性は正面から向き合っている。このままでは顔と顔、お腹とお腹を突き合わすことになるので、迷惑をかけないように踏ん張るしかない。

 「両手を上に挙げている」ことが、男たちが痴漢疑いを免れる方法だというが、荷物があれば手は挙げられず、女性たちの尻を触ってしまう。まだあの、好景気の頃の混雑が続いていることに驚いた。電車が地下鉄の乗換駅に到着し、向き合った女性は平然と降りていった。

 内視鏡検査は無事に終わった。来週の水曜日にCTとMRIの検査があり、再来週の水曜日に医師から検査結果が言い渡される。病院内の喫茶店に寄って、のんびりして帰ろうかと思ったが、そんな気力も無く帰路に就いた。電車はガラ空きだった。

 私の向かいに、ミニスカートの黒ずくめの若い女性が座った。化粧はしているが中学を卒業したばかりだろうか、女の子はカバンから何かを取り出し、眼球に張り付けた。目がパチリときれいに見える。マスクを外して缶コーヒーを飲む。マスクしていた方が魅力的に見える。

 私が見つめていても全く気にならないようだ。結局、私と同じ駅で降りた。えっ、じゃあー、彼女は女子大生だったのか。脚は艶があってとてもきれいだった。マスクを外した顔は若干大きめで、ミニスカートにそぐわなかった。けれど、声をかけてくる男性はきっといるだろう。青春はいいなあー。

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身体の不調ばかりが聞こえてくる

2022年09月27日 18時17分39秒 | Weblog

 小学校の同級生からメールが届いた。「下肢と足裏前部の痺れ・違和感は神経内科でもらっている薬を服用していますが改善しません。別の薬まですると対処療法としては良くなるそうですが、認知症などの副作用もあるようなので踏み切れません。どうしたらよいか悩んでいます。アドバイスください」。

 私は医学の知識も無く、彼の置かれている状況も知らない。素人の私が言えることは、「痺れが我慢できないのであれば、副作用の心配は次にして新しい薬に替えてもらう、副作用の方が心配なら痺れを我慢する、どちらに重きを置くかだと思う」という曖昧なものだった。

 彼はカミさんに先立たれ、マンションでひとり暮らしのようなことが、年賀状に書かれていた気がする。小学6年の時、彼の家に遊びに行ったことがある。お父さんはトヨタに勤めていて、将来は重役と聞いた。確かに家にはステレオが置かれ、パンを焼くトースターがあり、バターを塗って、おやつで食べさせてもらった。中学からは名古屋の名門私学へ進んだので、交流が生まれたのは厄年(?)のクラス会からのような覚えだ。

 クラスで群を抜いて成績もよく、お金持ちのオボッチャンだった。医者やトヨタ系の会社の重役の息子や娘は皆、名古屋の私学へ進学した時代だった。世界が違うと思っていたから、それを羨ましいとか妬ましいと思うことは無かった。

 昨夜、ブログを立ち上げてしばらくした時、知人がメールで「安部ではなく安倍です」と知らせてくれた。本人は「どっちでもいいけど」と冷淡だ。お礼のメールをして、「どうしていますか」と尋ねた。オランダ人と結婚した娘の子どもが遊びに来ていて、「とってもイケメン」と称賛している。

 年取ったからか、幸せなメールはいい。身体の不調ばかりが聞こえてくる中、ホッとさせてもらった。アレッ、雨が降ってきた。明日はどうなるのだろう。日赤病院でまた内視鏡検査を受ける。嫌だ、出来れば避けて通りたい。

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政治家は長きに亘って、天皇を利用してきた

2022年09月26日 17時51分39秒 | Weblog

 いよいよ明日、安倍前首相の「国葬」が行われる。選挙の応援演説中に凶弾によって命を落とされたのだから、「国葬」を提案しても、一部に反対はあっても賛成が過半数を超えると岸田首相は見ていたことだろう。

 犯人が統一教会への恨みから犯行を企てたことが明らかになると、統一教会の霊感商法が再び取り上げられ、安倍前首相は巻き添えをくらった気の毒な人となり、安倍前首相の政治的功績が輝くものかのように映し出された。

 けれど、自民党議員と統一教会の癒着が明らかになり、安倍前首相と統一教会の関係は互いに支え合う親密な関係であったことがわかってきた。さらに、安倍前首相の考えと統一教会の信条はピッタリと一致する。

 エリザベス女王の死去に伴い、イギリス連邦から離脱し、共和制への移行を国民投票する国がある。国王にかつてのような権限を持たせている王制国家は無いけれど、主権は国民にあるというのに王制を維持しているのもおかしなことだ。

 日本は何千年も天皇を擁いてきたと言うが、だから維持すべきとは思わない。天皇になる人が辞めたいのであればそれでいい。むしろ、人権を認められないより、普通の人になりたいと思われるのは当然だろう。

 ただ、「日本国の象徴である」と飾られるためだけに生きていくのは耐えられない気がする。皇族から「天皇制を廃止したい」と望まれるなら受け入れることが国民の優しさだろう。日本の政治家は長きに亘って、天皇を利用してきた。

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今晩もブツブツ言いながら観てしまうだろう

2022年09月25日 18時02分22秒 | Weblog

 秋晴れになり、小学校の運動場では、午前中は少年サッカーの、午後からは少年野球の、クラブチームが大声を出して練習している。声を出すのは練習の基本のようで、コーチから「もっと声を出せ」と檄が飛ぶ。

 親が子どもに言ってはいけない言葉がある。「あなたは何をやっても遅いわね」。「また同じミスをしている」。「何回言ったら分かるの」。「こんなことも出来ないの」。女の子に「ブス」とか「チビ」、男の子に「役立たず」とか「デクノボウ」とか。

 子どもを褒めると「つけあがる」と思い込み、貶して「奮起」させることが「教育」と思っている親は多い。しかし、自分が子どもだったら、叱られて「大きくなる」と思うだろうか。ダメな点ばかり突き詰められれば、委縮し絶望するだろう。

 コーチたちは強いチームを作り上げたいから、いつも厳しい言葉が飛び交う。子どもたちも強くなりたいから、「ハイ」と素直だ。サッカーとか野球というスポーツの一面だからまだいいが、親は生活を共にしている。

 親のやること、親の言葉を、子どもはよく見聞きしている。矛盾があれば、なんだそんなものかと思ってしまう。今日はNHKテレビ『鎌倉殿の13人』が放映される。畠山を討ち取った北条が、ますます執権の地位を強固なものにしていく。

 ドラマでは権勢に酔う父の時政とそれを見ている子の義時、どんな展開になるのか興味深い。義時は父から、何を学び、何を改革するのか。史実よりもドラマの面白さが先に立ち、私は不満の大河ドラマだが、他に見るものはないから、今晩もブツブツ言いながら観てしまうだろう。

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「ついていけないわねえ」と呟く

2022年09月24日 18時08分16秒 | Weblog

 青い空が広がり、台風一過の爽やかな日だが、北風が強く吹いている。ルーフバルコニーに出られずもっぱら本を読んでいるか、読書のふりをして転寝をしている。退屈な本だとどういう訳か自然と睡魔に屈服している。

 「最近、見たいもの無いわねえ」と、カミさんが新聞のテレビ番組表を眺めて言う。私が「これが見たい」と言っても、その時間帯に彼女の見たいものがあれば却下されるのだから、私は希望を言わないようにしている。

 確かに、私たちのような高齢者が見たい番組が無くなった気がする。いや、それだけ私たちが歳を取ったのだ。私が子どもの頃、我が家には近所に先駆けてテレビがあった。けれどチャンネル権は祖父にあったから、祖父の見たいものを見ていた。

 祖父が居ない時、私が洋画を見ていたら祖父が入って来て、「こんなくだらんものの何が面白いんだ」と言った。フランス映画の『禁じられた遊び』だった記憶だが定かではない。年寄りと子どもでは面白いものが違うのだと悟った。

 昨日の孫娘のピアノ発表会は4時間近くもあったのに、カミさんは最後まで生中継を観ていた。「音楽って、やっぱりいいわね」と感嘆する。多分、人類の誕生と共に音楽は生まれたのだろう。人の住むところに必ず音楽はある。

 ピアノ曲やクラシックは落ち着いて聞いていられる。ロックは既成のものへの抗議が込められていた。楽理で作られた音楽よりも、心の叫びを表していた。ラップといわれる早口の歌は年寄りにはついていけないのか、共感することが無い。

 若い人たちが世の中を支え引っ張っていくのだから、若い人たちが好むドラマや音楽や言葉が主流をなしていくのだろう。私たちの若い頃もそうだった。けれど今、私たちはボッソっと、「ついていけないわねえ」と呟く。

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子どもたちにどんな才能があるか分からない

2022年09月23日 17時40分09秒 | Weblog

 風は無いが、朝から雨が降り続いている。台風15号が南から東海地方へ接近している影響だ。雨だけなら何とか我慢しよう。今日の午後は、茨城に住む次女の小2の娘が通う音楽教室の発表会がYouTubeで生配信されるというので、カミさんと一緒に緊張して観ている。

 次女が「頑張っているのに結果がついてこない状態に、先生から心配のメールが」と送って来る。何でも一生懸命になる子、結果は二の次でいいじゃーないかと思うけれど、親としては歯がゆいのだろう。次女も子どもの頃はとても慎重派で、自信を持って率先するタイプでは無かった。

 茨城に越してからピアノを習い始めたから、3・4歳から始めている子と比べるのは酷だ。けれど、登壇した時から堂々としていた。孫娘の発表曲は、カミさんが学習発表会で子どもたちに演奏させたという『ドナウ河のさざ波』だったことも功を奏したかも知れない。孫娘が演奏し始めると、私は涙を流してしまう。弾き終わって礼をした時は、笑みがあった。

 次女の娘だけでは片手落ちだと思い、長女の中1の娘に、「次は出番かな」とメールした。長女から、「体調不良で合唱コンクール伴奏オーディション欠席。来週、再度オーディションすると先生のご配慮。運動会も混合リレーと学年対抗リレーに選出。そこそこやってます」と返信があった。

 子どもの活躍は親を喜ばす。音楽でも運動でも勉強でも、そこそこやってくれればうれしいものだ。「楽しみだ。でも無理させないように、人生はまだまだ長い」とメールする。私の母は、小1の「桜祭り」コンクールで私が賞をもらうと、「ピカソのようになるかも」と画塾に通わせてくれた。中学生になると、私の手を見て「ピアニストのようなきれいな手だ」と褒めた。その手で私は畑を耕し、バラを植えた。

 子どもたちにどんな才能があるか分からない。何でもやりたいことをやらせればいい。どんな結果であっても貶したりせずに、「頑張ったね」と認めてやることだ。音楽教室の発表会は2時から始まったがまだ続いている。みんな頑張っている。小2の孫娘もたくさんの刺激をもらったことだろう。

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まるで墓場のようだから止めてくれ

2022年09月23日 10時20分12秒 | Weblog

 パソコンに向かっていて驚いた。9月18日のブログが立ち上がっていない。下書きは書いたはずだと確かめてみると、やっぱり出来上がっていた。きっと、それでやったつもりになってしまったのだ。悔しいので、ここに掲載しておく。

 朝(18日)、カーテンを開けると西の空に大きな虹がかかっていた。地上から30度くらいの半円で、まるですぐ近くの児童公園から伸びているように見えた。マンションの友だちに、「西の空を見て」と電話し、急いでケイタイで虹を撮ろうとしたが、既に薄くなっていた。

 東の空は雲が切れて太陽が顔を出していたが、西の空は小雨が降っていた。絶好のチャンスだったのに間が悪い。フェイスブックを見ていたら、ヒガンバナが取り上げられていた。東浦町では小舟に乗って、ヒガンバナの川岸を眺める企画が紹介されていた。ヒガンバナは赤だけでなくピンクや白なども観られた。

 えっ、もうそんな季節なのか。ヒガンバナは秋分の頃に咲くが、今年は少し早いのかと思いながらカレンダーを眺め、もうすぐ彼岸と気付いた。井戸掘りも無く、外出する機会も無く、家で本を読んでいるか、ゴソゴソと周りの整理で一日を過ごしている。カミさんが「どこかへ行かない?」と声をかけてくる。

 ヒガンバナでも見に行こう。確かに閉じ籠り生活はうつ状態になる。決して明るく華やかなことは浮かんでこない。私の子どもの頃のヒガンバナは、お墓の周りや田んぼの畔に咲いていたが、球根に毒があると言われていた。もともとは中国の揚子江の辺りに自生していたもので、稲と共に持ち込まれたのではないかと思われる。

 ヒガンバナは、大人の女性の妖艶さを思わせるから女郎花とも呼ばれている。ヒガンバナは改良され、自宅の庭に植えている家庭もある。ユリの清楚さと比べても、ヒガンバナの華やかさは対照的だ。我が家のルーフバルコニー一面にヒガンバナを咲かせたなら、「まるで墓場のようだから止めてくれ」と苦情がくるかも知れない。

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話を聞いてもらう側にいる

2022年09月22日 17時41分17秒 | Weblog

 台風の影響で、バラが1本折れていた。私の好きな真っ赤なバラだ。迷ったけれど、鋸で根元から切り落とした。鉢から根元を取り出すと、新しい根が育っていた。先日、植え替えたところ、葉の色もよく、元気になっていたから予想は出来た。折れた幹の下から、新しい芽が出てくる可能性はあったが、諦めるべきだと思い切った。

 傷つけてまで育てるのは不憫な気がした。責任は私にある。バラ園だったが今では5鉢にまで減った。生きているものには「潮時」がある。全く逆な話だが、子どもはいつまでも子どもではない。親が気付かないうちに成長していくものだ。昨日、食事をしていた天ぷら屋で、そう思った。

 隣の席は80代の母と50代の娘だった。母は息子と同居しているようで、娘に息子の愚痴を零していた。「仕事を辞めると言うのよ」と母が言えば、「何かやりたいことがあるのよ」と娘は答える。「食事のことで文句を言う子ではなかったのに、『こんなまずいものは食えん』と怒鳴るから、嫁さんが『そんなに言うなら自分で作れば』って怒り出して」と話す。

 娘は「私だって、きっとそう言うわ」と言い切る。店を出てカミさんが、「母娘って、何でも話し合えていいわね」と羨ましそうに言う。「私は忙しかったから、娘たちに何もしてあげられなかったなあー」と。「母と娘が女同士で話し合えるのはこれからでしょう」と私。カミさんが反省するとしたら、自分の母親の愚痴を聞いてあげることだけれど、もうこの世にはいない。

 過ぎてしまったことは取り戻せないが、これから先のことなら、どういう心がけで臨めばいいか考えられる。私たちのようなジジババは、子どもたちに何かを教えたり、指図したりする立場では無く、話を聞いてもらう側にいるという自覚だろう。

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