もう20年も前だろうか、確か文芸春秋の記事だったと思うけど「患者よ、がんと闘うな」(近藤誠 著)を読んで衝撃を受けた。
とっても説得力のある記事だった。
でもそれでも納得はできなかった。
少なくとも初期のがんは手術で切り取るべきではないだろうか?
そのためにはやっぱりがん検診は必要なのではないだろうか?
副作用だらけの抗がん剤は問題はあるかもしれないけど・・・
と思った。
でも今では納得できる。
人はみな、がんになるものをもって生まれてくる。
それが縁に触れて発症する。
がんは自分の体の一部なのだ。
そして高齢者になるほど発生率が高くなる。
「老衰」という名の病気はない、何らかの病名がつく。
がんもその中の一つではないか。
病気というよりも寿命というべきではないか。
でも若くてがんになった人にがんと戦うなとは言いずらい。
むしろ精いっぱい戦ってほしい。
でも抗がん剤や放射線治療で衰弱して死んでいく人を見ると、
がんと戦ったことがいいことか、と疑問に思う。
若くて死んだからと言って、それはもって生まれた寿命ではなかったか?と。
もし永遠に生きることができたら人は幸せになれるか?
きっとそれは逆。
永遠の生は苦痛でしかない。
死があるからこそ生が楽しいのだ。
死刑囚と無期懲役囚とは毎日の暮らしが全く違うという。
死刑囚は残されたわずかな時間をあわただしく活動的に暮らす。
無期懲役囚は毎日毎日だらだら暮らす。
人生50年。
50年も精いっぱい生きたら、もうそれで充分ではないか?
象は70年生きる。
ネズミは3年しか生きない。
でも生涯の心拍数は象もネズミも同じだ。
ネズミは短い生涯を精いっぱい生きる。
人間も縄文時代まではこの法則と同じだった。
でも今では不自然に長生きしている。
長生きするのが良いことか?
そんなことはない。
大切なのは
いかに生きるか、いかに生きたか、ということなのだ。
とっても説得力のある記事だった。
でもそれでも納得はできなかった。
少なくとも初期のがんは手術で切り取るべきではないだろうか?
そのためにはやっぱりがん検診は必要なのではないだろうか?
副作用だらけの抗がん剤は問題はあるかもしれないけど・・・
と思った。
でも今では納得できる。
人はみな、がんになるものをもって生まれてくる。
それが縁に触れて発症する。
がんは自分の体の一部なのだ。
そして高齢者になるほど発生率が高くなる。
「老衰」という名の病気はない、何らかの病名がつく。
がんもその中の一つではないか。
病気というよりも寿命というべきではないか。
でも若くてがんになった人にがんと戦うなとは言いずらい。
むしろ精いっぱい戦ってほしい。
でも抗がん剤や放射線治療で衰弱して死んでいく人を見ると、
がんと戦ったことがいいことか、と疑問に思う。
若くて死んだからと言って、それはもって生まれた寿命ではなかったか?と。
もし永遠に生きることができたら人は幸せになれるか?
きっとそれは逆。
永遠の生は苦痛でしかない。
死があるからこそ生が楽しいのだ。
死刑囚と無期懲役囚とは毎日の暮らしが全く違うという。
死刑囚は残されたわずかな時間をあわただしく活動的に暮らす。
無期懲役囚は毎日毎日だらだら暮らす。
人生50年。
50年も精いっぱい生きたら、もうそれで充分ではないか?
象は70年生きる。
ネズミは3年しか生きない。
でも生涯の心拍数は象もネズミも同じだ。
ネズミは短い生涯を精いっぱい生きる。
人間も縄文時代まではこの法則と同じだった。
でも今では不自然に長生きしている。
長生きするのが良いことか?
そんなことはない。
大切なのは
いかに生きるか、いかに生きたか、ということなのだ。
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