今ではサヨクをアホだなぁ~と思う。
(それなのにどうしてうどんはあんなに威張っているんだ?)
なんてぶつぶつ思ったら、ぜひお薦めしたいのが「そうめんの里」http://www.ibonoito.or.jp/soumennosato/
ここでは素麺資料館があって素麺の歴史や作り方がわかる。
「冷や麦」って聞くとなんか侘しくない?
天ぷらはきっとご馳走なのだろう。、
子どものころ晩のおかずが「天ぷら」と聞くと大喜びだった。
でもそれが野菜ばかり!
サツマイモ、ゴボウやニンジンなどのかき揚げ、インゲンもあったかなぁ~・・・あと何があったのかなぁ~
サツマイモしか記憶にない・・・そうだイワシもあったなぁ~
でもそれでもご馳走だった。
でも天ぷらはごく普通の家庭料理で、わざわざ天ぷらを食べに行くという感覚はなかった。その後天ぷらはそんなに馬鹿にしてはいけない、天ぷらは意外と高級料理なことを知った。
そんな天ぷらのメーンというとやっぱり「エビ天」。
最初ではなく最後でもなく、微妙な時にさりげなく出る。
「どうだ参ったか!」と内心思いつつも、そこはさり気なく、2尾出す。
でもすでに酔いが回ってきた客は、エビに感謝することもなく、無造作に食べる。
そこが何とも天ぷら屋としては不満だ。
もっと感謝してほしいのに・・・
いえいえそんな天ぷら屋の話ではない。
実は丸亀製麺の話なのだ。
丸亀製麺に行くと、ついついメニューを見て「うむ、これだ!」とばかり「×うどん」・・・じゃない「かけうどん」を頼んでしまう。
たしか300円もしなかったはず。
思わず「得した!」と思ってしまう。
でも「かけうどん」って確か昔「素うどん」と言ってたなぁ~、なんかとっても侘しい感じ。
素うどんだけでは、なんか恥ずかしいような・・・周りの人から、可愛そう!と言われそうな・・・
そこでついつい、見栄をはって天ぷらをとってしまう。
ここで必ずとるのが、かき揚げ。
量が半端じゃない、得した気分も半端じゃない。
それからイカかゲソ。
ゲソもまたお得なのでついつとってしまう。
でもエビはとらない。
たとえ丸亀製麺だとは言え、エビはほかのものより高い。
やっぱりここでも一段高い所に座ってつんと澄ましている。
そこで思わず「ははぁ~~~!」と土下座しないといけないような気に一瞬なるけど、すぐに正気に立ち戻り、
丸亀製麺のエビなんぞに土下座してたまるか!と無視する。
あんたなんか、いらんもんね、もう食べ飽きたもんね!
というわけで丸亀製麺に行っても、かけうどんを頼んでも、500~600円かかってしまう。
吉野家の方がよかったかなぁ~なんて思いながら、
それでもそれなりに満足して食べるのだった。
どうでもいいことだけどビールのみにとっては難しい問題だ。
どちらも本当は季節限定商品、でも今では年中ある。
そう、枝豆も、不思議なことにキュウリだって年中ある。
生産者の立場からはそれは、とってもおかしい。
露地栽培ではキュウリはもうそろそろ終わり、8月にはない。
枝豆はもう少し期間は長いけど秋の初めには終わる。
ところが今ではどちらも年中食べられる・・・これって絶対におかしい!
というわけで枝豆もモロキュウも本来は夏だけのもの。
それを冷凍したりして、季節はずれの肴に出したりして、酔っぱらいを騙したりして、もっともっと呑ませて稼ごうという・・・
そんな魂胆見え見え!
いえいえそんな話じゃなく、枝豆とモロキュウとどちらが偉いか?という話。
1.手軽さ
ビールは夏にビアガーデンで飲んだり、バーベキューで飲んだり、他の季節でも「とりあえずビール」・・・そんな気楽に呑む肴というとやっぱり、まず頼むのはすぐに出てくる枝豆、そしてたまにはモロキュウ。
本当は切ってもろみをかけるだけのモロキュウの方がずっと手軽だけど、湯でて塩をかけるだけの枝豆がずっと手軽。
ゆでる手間はあるものの前もって準備して置ける、そんな出す側の手軽さがある。
ここは枝豆の勝ち。
2.季節感
今ではどちらも年中あるとはいえ、キュウリの方がずっと季節感がある。
旬のキュウリをかじると今にも「夏~~~~!」という気がする。
その点、枝豆は春から秋まであるので枝豆を食べてもあまり季節感はわいてこない。
ここはキュウリの勝ち。
3.栄養
ほとんど水分のキュウリと違って蛋白質いっぱいの栄養豊かな大豆の勝ち。
4.食感
湯でかげんにもよるのだけど、なんかぬたっとした枝豆と違い、シャキシャキ感があるキュウリの勝ち。
5.知名度
これは圧倒的に枝豆の勝ち。
「モロ」って何?
「キュウ」って何?
「モロってね、もろみのことなんだよ。」
といっても「えっ、もろみ・・・もろみって何?」
なんてもろみも知らない人が多い。
というわけで知名度は枝豆の勝。
6.値段
枝豆もモロキュウも所詮ビールのつけたし。
別にこんなもの頼まなくてもビールだけでもいい。
でもそうはいっても居酒屋でビールだけ頼んで肴を頼まなかったらなんとも居心地が悪い。
そこで頼むのは、とりあえず頼むのは安くてすぐに出てくるもの。
というわけでここはやっぱり枝豆の勝。
前もって準備してるものを皿に盛るだけ。
枝豆の勝。
7.味
というわけで今までで枝豆とモロキュウは3勝3敗。
互角のいい勝負。
そこで最後に味。
どっちがうまいか?
でも・・・まぁ・・・ここは・・・微妙な所・・・人によって違うから・・・
「えっ、ビールと枝豆?どっちがうまいかって?
それは断然、エビスビールに決まっている!」
なんて訳のわからぬ酔っぱらいが出てくる。
そう今モロキュウを肴にエビスビールに呑んでるんだよ。
そう、それで枝豆とモロキュウのどっちがうまいかというとね、それはエビスビールがうまい!
うぃ~~~~!
2~3日前市民大学講座に行ったのでついでに隣の、新宮八幡に寄ってみた。
紫陽花、まだ咲いてるかなぁ~、と思って。
でも、なんと、もう剪定も終わってほんの数輪残ってただけだった。
そしていつものひっそりとした侘しい宮になっていた。
きっとまだいっぱい咲いていた紫陽花を、もうあんたなんかには用はないからね!とばかり、ばさばさばさと伐ったのだろうね。
(我が家の紫陽花は未練がましく今でも咲いているよ。半分は枯れてるけどね・・・)
でもまだ楽しめる花を潔く伐っていく・・・
敷島の大和心を人問わば 朝日に匂う山桜花
なんて潔い風情もいいものだけど、
枯れていく花を愛でるのもいいもの。
それを、
散る桜 散らずば俺が散らそうか
とばかり性急にむしり取る・・・そんな風情はいかがなものか。
ここは「いや、いや、いや!」と散るのを拒む花びらを、
うむ、うむ、うむ・・・悪いようにはしないから、となだめすかして、散るのを楽しむ悪代官のごとく、
あるいはまた鄙びた温泉街のストリップ小屋のような「ちょっとだけよ~」なんて散るのを焦らす姥桜のごとく、
散っていくのを楽しみたいものだ。
とうわけで、枯れいく紫陽花を楽しんでいる。
うむ、うむ、うむ・・・悪いようにはしないから、と悪代官のごとく、楽しんでいる。
それで10個ほど収穫した。
来週からは百姓の武器、鍬を片手に、
恐る恐るミョウガ畑の茂みの中に、踏み込んで、
ミョウガの収穫が始まりそうだ。
ここらの田舎の古民家で、普通に見られる木。
甘いものに乏しい昔は柿や栗はとっても貴重なおやつだった。
甘柿は富有柿など大きな立派な柿はもっぱら売りもので、子供たちは小さな固い柿を食べていたらしい。
でも不思議なことに植わっているのは甘がきは僅か、ほとんどは渋柿。
渋柿はとっても重宝されていた。
カラスも食べないし、柿渋や柿酢や干し柿になる。
干し柿は小さな見すぼらしい柿は正月の餅飾り用。
もっと大きいのは正月のおやつ用。
もっともっと立派な柿は渋抜きして、あるいは熟柿にして食べる。
普通の甘柿よりもずっとずっと甘い。
栗はというと、ここ「栗栖」は播磨風土記にもでてくるように昔から栗で有名だったらしい。
でも今では栗を商売で栽培している農家は・・・多分ない。
ただ古い枯れかかった栗が点在しているだけだ・・・
我が家にも何本かある。
でもほとんどは小さな実がなる山栗。
毎年毎年たくさん実をつけてはむなしく散っていく。
今どきのまともな大きい実がなるのは2本だけ。
それも少ししか実がならない。
棕櫚(シュロ)の木は古い家だとたいてい決まって1本はあるけど、今ではどこも持て余している。
昔は棕櫚の繊維からシュロ縄を作っていた。
シュロ縄は丈夫で水に強い。
野良仕事に縄は欠かせないので棕櫚縄は必需品だったのだ。
でも今ではみんなホームセンターで買う。
桑は葉を蚕の餌にするために必要なのだ。
昔はほとんどの田舎で蚕を飼っていた。
蚕を飼ってた家はすぐにわかる。
中二階が、というか屋根裏部屋があるから。
そこで蚕を飼っていた。
我が家にも、今では上がれないけど、屋根裏部屋がある。
というわけで田舎の古い家にはたいてい桑の木がある。
ところが今ではもう蚕を飼ってる家はほとんどないので、桑の木だけが厄介者として残っている。
というのも棕櫚は縦にまっすぐに伸び、途中のは葉枯れるので周りの日当たりの邪魔にならない。
ところが桑の木はほっといたら大木となり、おまけに横にも広がっていくので、周りの日当たりの邪魔になる。
というわけで、前置きが長~くなったけど2~3日前から桑の木の枝を、伐りまくっている。
日当たりのこともさることながら、枝を来年の冬のストーブの蒔きに使おうと思ったから。
脚立に上り太い枝をしこしことのこぎりで切っている。
桑の葉は山羊の大好物。
山羊がいればあげるのになぁ~なんて思いながら、しこしこと伐っている。
今年は豊作、実った桃の数が半端じゃない!
とうとう1っ本の木の大きな枝が桃の実の重さに耐えきれず折れてしまった!
でも数は多いけど日照不足でそんなに大きくも熟してもいないのに次々と落果している。
それであわてて採りに行ったのだった。
そして今日と土曜と2度に分けて収穫するつもりだったけど、落果の不安に耐えきれず、結局みんな、青いのも小さいのも収穫した。
落ちるよりはまし、とっておいてたら、1週間後くらいには赤くなり食べられるらしいから・・・
いやいや、そんな話じゃなく、我が家の桃の話。
我が家の桃の木、確か16年くらい前に2本植えたのだけど、まったく実がならない。
実はつくけどすぐに落果して大きくならない。
これじゃいかん、なんとかせねば!とばかり3年前に桃の育て方を学ぼうと、桃のオーナーに応募したのだった。
ここで習ったことをすぐに我が家の桃の木で実践しようと。
それで習ったことをすぐに我が家の桃の木で実践した。
うんうん、これで実がいっぱいなるようになるはず・・・
ところが実がなるどころか、去年そのうち1本はとうとう枯れてしまった。
「うむ~~~、騙された!」
でもまあそこは抑えて、今年もオーナーを続けたら、我が家の桃の木にも桃が実った!
1個だけだったけど、それでも大進歩!
きっと来年からはもっともっとなるだろう。
そして我が家に来た人に食べてもらえたら、
(あるいは無理やり押し付けたら、)
うれしいな。
発泡酒ではなく、
第3のビールでもなく、
本当のビールを飲んでいる。
それもヱビスビールを飲んでいる。
毎日かくありたいものだ。
たまたま図書館で「ゼロから始めるビール入門」(小田良司・著)を読んだ。
そして今までビールについて、恥ずかしながらまったく知らなかったことに気づいた。
日本の大手4社のビールを飲む限り味にそれほど大きな違いがあるわけじゃない。
すべてラガービールだから。
ところがある時ベルギーのビールを飲んでびっくりした。
それは今までの常識とはまったく違ったビールだったから。
その後、ビール製造の規制が緩和されて、全国各地で地ビールが、それもエールビールが生産されるようなってビールの世界が広がった。
もっと早く規制が緩和されてたら、もっといろいろ飲んだのに・・・
そして日本酒のようにビールにものめりこみ、少なくともそれなりに知ったかぶりができたのに・・・
もちろん当時でも簡単に手に入った有名な外国のビール、ギネスとかバドワイザーとかレーベンブロイとかハイネケンとかは時々飲んだけど確かベルギーのビールは飲んだことなかった。
味もそれほど変わりもない、アルコール度数も同じくせいぜい5~6%。
これじゃビールは「とりあえず」の酒。
まずはビール、そして落ち着いたら日本酒、ウィスキィ~、焼酎・・・
ところがビールの度数はそんなものじゃない、中には65度のビール!もあるらしい。
ねぇ、もういい加減ビールやビールもどきの新製品、中身は大して変わりもしないのにラベルだけを変えて売りつける、そんな商売やめたらどう?
スーパーも国産ビールにこだわらず、もっと世界のビールを売ったらどう?
でもとはいえ、日本の大手のラガービール、美味いと思う。
ところがそれを韓国では飲めなくなる?
あらら韓国のまずいビールを飲まないといけないはめになったの?
お気のどく!
でもまあそれも自業自得だね。
せいぜいまずい韓国ビールを飲んでください。
前回の日本製品不買運動は確か3日でつぶれたね。
その主な要因は「日本のビールを飲みた~~~い!!」だった。
はてさて日本製品不買運動がいつまで続くか?
こっちはとっくに中国・朝鮮製品不買を続けている。
裏の沢もとっても元気!
五月雨を 集めて速し 裏の沢
うんうん、梅雨はこうでなくっちゃ!
五月雨や 小さな沢に 家一軒
というわけで早くもうつらうつらほろ酔い気分です。
いくら制裁しても必ず抜け駆けするところが現れる。
ナポレオンのイギリスへの経済制裁もロシヤが抜け駆けして、
挙句の果てにロシヤとの戦争になり、国を亡ぼすことになった。
中国の日本へのレアメタルの経済制裁もすぐに日本だけではなく他国も代わりの輸入先を開発し、結果的にレアメタルの暴落、中国の優位性が失われ、中国の一人負けになってしまった。
北朝鮮への経済制裁もすぐに根を上げるだろうと思われていたのに、いったいいつまで続くのだろう?
抜け駆けする国があるからだ。
それは中国、そして今では韓国もとっても怪しい。
今回(事実上の)輸出規制となった3品目、韓国の半導体の輸出量と3品目の輸入量をグラフで見るとすぐにわかる。
文政権になってから、輸出に対して輸入は数倍に膨れ上がっている。
この増えた3品目初めてどうなったのか?どこに流れたか?
経済制裁をするといつもそれを破るものが出てくる。
まして文大統領は北朝鮮のメッセンジャー、巷の噂では今ではさらに昇格して北朝鮮の外務大臣と言われている人間なのだ。
今回の(事実上の)輸出規制も効果は一時的。
韓国はすぐさまいつもの常套手段、日本の技術者をヘッドハンティングして自国で生産できるようにする、そして生産できたら日本の技術者はは使い捨て。
それまでは「密貿易」。協力する人間は、団体は日本にはいっぱいいる。
それにせどりのノウハウもいっぱい持っている。
別にそんなことをしなくても日本以外の国から買う方法だってできるだろう。
というわけで、経済制裁は長続きはしない。
中国のレアメタルと同じようにすぐに日本の3品目の優位性は失われるだろう。
ここは短期決戦。
今でも危うい韓国経済が持ちこたえるか、日本の3品目の国際的な優位性が失われるか。
ここは手を緩めないで、3品目だけでなく次々と経済制裁をして短期決戦に勝たねばならない。
変革を望むのが革新。
どちらがいいとは言はないけど、自分自身は常に革新であろうと思ってきた。
それで自分では昔から少しも変ってないと思っている。
日米安保条約反対!自衛隊は憲法違反!
これは今でも変わっていない。
ところがどうして立憲民主党などの野党はこれを言わなくなったのか?
そんなスローガンでは国民の支持が得られない、ということがわかっているからだろう。
それなら過去にあれほど激しいことをやってきた、あれは何だったの?
今の憲法を素直に読む限り、自衛隊は憲法違反、廃止すべきだ。
でもどうしてそれを言はない?
今の憲法の中で自衛隊は存在しているのだからそれでいいじゃない・・・別にそれを変えることもないんじゃない?
そんなまやかしが通用すると思ってるの?
それじゃ過去さんざん自衛隊は憲法違反!と攻撃し続けたとはいったい何だったの?
過去あれほど、さんざん、自衛隊を批判し続けて来たことに何の反省もなく、うやむやに容認するつもり?
こんなまやかしが許せる?いえいえ、絶対に許せない!
過去に言ってきたことがまちがってかどうか、はっきり信を問うべきではないか?!
そのためにも今の、あやふやな状態を許している憲法を改正しないといけない。
ところが護憲派はそれがわかっている。
自衛隊と日米安保条約を廃止して日本を守っていけるどうか?絶対に守っていけないことを!
民主党の時代、中国の「漁船」が尖閣列島を犯し侵入した時、
ただただあわてふためき、ただただおろおろするだけで、何の手も打てなくて海上保安庁の職員に責任を押し付けた、あの見苦しい姿・・・
あの当時の民主党の幹事長、総理・・・
情けないと思わない?!
いったい民主党政権の時やったことは何だろう?
何一つ実現していない。
会社で下手な管理者やることは決まっている!
それは経費削減!!
あの事業仕分け。
無能な管理者がまずすることが経費削減。
そのためデフレをさらに進めて、どれほど国民を苦しめたか!
どれほどブラック企業・シルバー企業を喜ばせたか!
経費削減は必要だけどそれ以上に国民に夢を与えないといけない。
「どうして1番じゃないといけないんですか?2番じゃないといけないんですか?」
そうそれげ日本を卑しめているんだよ。
経費削減だとただただ衰退するだけ、思いっきり成長分野に投資する、
これで日本の未来が開けてくる。
当時の民主党は、今の立憲民主党もただただ日本を卑しめてるだけ。
国民に夢を与えることのできない政党はただただ駆逐され消え去るのみ・・・
かって2大政党と言われてきた社会党が今ではガラパゴス政党として細々と生きのこってきたけど、
今度の選挙で絶滅するかもしれない・・・
でもまあそれも仕方ないよね。
ところで保守と革新。
現状維持を望むのが保守、
変革を望むのが革新。
ところが今の自称「革新」。
ねぇ~現状にしがみついてるだけじゃない?
「憲法9条を守れ!」なんて言ってる分には、それだけでもう充分に保守!
どうして「守れ!」じゃなく、変えようと思わない?
昨日作って、今日高台をつけたり仕上げをしたりして・・・
陶芸は簡単に作れるのがいい。
これが竹細工だったら素人は数か月にせいぜい1つか2つ、
これが陶芸だったらまじめにやったら素人でも1時間に4~5個くらいは・・・電動ろくろだったらその数倍は作れる。
これを素焼きして釉薬をつけ、本焼きする。
そこで焼きあがった作品を見てプロの芸術家だったら、う~~~ん、としばらく悩んだあげく、そのほとんどを割ってしまう。
そしてわずかに生き残った作品を高い値段で売りつける。
加藤唐九郎は一窯全部割ってしまったことがあったという。
一窯作るためにどれほどの手間と時間と費用が掛かったか!
ところがこちらは素人、どんな失敗作であっても何とか使えそうなものはまずはとっておく。
そしてこ失敗作をどう使おうか・・・誰に押し付けようか・・・なんてせこいことに思い悩む。
魯山人はもともと料理人、陶芸家ではなかった。
それで藤九郎と違って、失敗作もみみっちく、捨てないで、そのまま、あるいはわざと、割って、継ぎ目を金で固め、素人に(?!)押し付けた。
そう、きっと・・・根が卑しい男だから。
でもまあそんなことじゃなくて、
加藤唐九郎見たいな人がいてもいいし、
魯山人みたいな人がいてもいいし、
このぐうたら百姓みたいな人がいても・・・?
いえいえそれは違う!!!
そう・・・.やっぱりこのぐうたら百姓、
そんな無駄遣いはできない。
資源の無駄使い!
粗大ごみ、なんて・・・!
そうそう、今の時間、毎日毎日・・・
酔っぱらっているのでありますよ。
次はもっともっと、酔いに任せて、過ごしやすい異次元宇宙に生まれようと・・・
ひたすら・・・
願っているので・・・
ありますよ~・・・
うぃぃ~~~!
呑むことだけが人生だ。
酔うことだけが人生だ。
たまたまこのこの美しい星、地球に生まれたのに・・・
ただただむざむざ過ごしてしまった・・・
一生を振り返って・・・
今思うことは・・・
そうそう!これで良かったんだ!!
これじゃ妻は愛想をつかして家を出ていったのも、わかる。
でも、今でも、ずっ~と、太公望の若いころの暮らしを続けてきた人間にとっては、
この逆三下り半を突き付けられた太公望の気持もよくわかる。
でも意地悪だね、わざわざ盆に水を入れて、それをみんな土に捨てて、これを元に戻したら許してやる、なんて!
どうしてもっと大らかな気持ちになれない?
もっとも苦しい時代に太公望を支えてきた元妻に対して酷いんじゃない?
もっともっと大らかな気持ちになって迎えあげたらいいんじゃない?
なんて思わないでもないけど・・・
きっと太公望、妻に対していろいろ他に含むところもあったんだろうね。
でもまあそれはそれとして、掃除の話。
掃除ってなんか変だと思わない?
時代に逆行してるなんて思わない?
覆水を盆にもどせ!というのは時間をさかのぼれということ、
時間を元に戻すことが出きるかどうか?
タイムマシンで過去に遡ることができるかどうか?
物理学者の間でも理論は分かれているらしい。
でも現実にはそれは不可能!
覆水は盆には返らない。
ということは掃除も時の動きに逆行する作業だ。
ここは割り切って「覆水盆に返らず!」
そう、掃除は時の動きに逆らう作業。.
ごみ屋敷こそもっとも自然なことなのだよ。