ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

もう秋

2005年08月31日 18時29分34秒 | 田舎暮らし
今日で夏も終わり。
朝はもう寒いくらいだ。
ツクツクボウシが妙に侘しい。

ただただあわただしく春と夏が過ぎ去り、秋は駆け足で通り過ぎていく。
お~い、待ってくれぇ~!
でも自然は少しも待ってくれない。
野菜の種蒔き、じゃが芋の植付け。
それが終わると豌豆、ソラマメの種蒔きや柵作り、芋掘り、大豆やあずきの収穫と選別。柿の収穫と干し柿作り、それからじゃが芋の収穫・・・秋はあっという間に過ぎていく。
田舎暮らしの一年もあわただしく過ぎていく。
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柿渋その後

2005年08月31日 18時15分06秒 | 田舎暮らし
この前作った柿渋。
その後なかなか醗酵しない。
それどころか、酒の匂いでなく漬物の匂いがする。
どうやら柿渋を作ったのではなく、渋柿の漬物を作ってしまったようだ。
でもどうもこの漬物は食べる気にはなれない。
ともあれもうしばらく様子をみることにしよう。

そこで、ちょっとやばいかなと思い、昨日柿渋を作り直した。
今度は上手くいきそうだ。
この前はたくさん作ろうと思いついつい水を入れすぎたようだ。
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鶏インフルエンザ

2005年08月29日 19時21分17秒 | 鶏の話
茨城で鶏26万羽処分だとか。
インフルエンザにかかったからと言って鶏舎の鶏を全部殺す!

これを人間に置き換えてみたらどうだろう。
人口26万の都市で数人がインフルエンザにかかったので
その都市を閉鎖して、住民26万人全員を殺す。

このようなブラックユーモアが現実に行われているのだ。

インフルエンザにかかったからといって、みんなが死ぬわけではない。
必ず生き残る鶏が出る。
そしてインフルエンザに耐性を持つ。
みんな殺してしまったら、いつまでたってもインフルエンザに負けて、
これからも何十万羽という鶏を殺し続けることになるだろう。

そのためにも大規模で不自然な飼育でなく小規模で平飼いの強い鶏を育てるべきだと思う。
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貝殻

2005年08月29日 19時01分04秒 | 鶏の話
鶏を飼って一番困ったことは貝殻だった。
せっせと貝を買ってきては食べたり近所の人から貝殻をもらったり・・・
餌は飼料屋で買うのでなくすべて自前でまかないたかったからだ。
けれどもとうとうねを上げて貝殻だけは飼料屋さんで買うことにしたのだった。

そして買いに行くとカキ殻が20キロで500円もしない。
なんだこれならもっと早く買っとけばよかった!
いままでいったい何千円分の貝を食べたのだろう?

それに実はどうして貝殻をやらなければいけないのか疑問に思っていたのだ。
自然の状態ならば海のそばならばともかくも、そんなに貝殻が落ちているわけでもない。カタツムリやニナ、タニシ・・・これだけでは足りるはずもない。きっと貝の代わりに何か食べていたに違いない。そう、必ずしも貝は必要ないに違いない。野鳥は貝をやらなくても卵を産むじゃないか。
・・・と、思った。

しかしこれはどうやら違うようだ。それは鶏自体が既に自然ではないからだ。野鳥だったら毎日卵を産む必要はない。卵を生みそれを孵す。これが自然の流れ。それなら年に数回生めばよい。それならカルシュームの補給にはカタツムリだけで間に合うかも知れない。

鶏に毎日卵を生まそうとしたからこそ、貝殻集めの苦労が生まれたのだ。
つまり養鶏自体すでに自然ではない。
自然養鶏と言うのは正確には自然もどきの養鶏とでも言うべきだろう。
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100均

2005年08月29日 18時38分25秒 | 田舎暮らし
明日は衆院選の公示なので思い立って100均に行って来た。

民間で出来るのものは民間で。
100均で買えるものは100均で。

財布が壊れたので100均に探しにいったのだ。
そして山羊の餌入れ用に食器を洗う器と、山羊の水のみ用に洗面器を買ってきた。
財布を買うのは忘れた。

さすがに今日の行動はわれながらアホだと思う。
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ひよこその後

2005年08月29日 04時20分44秒 | 鶏の話
4羽のひよこは元気だ。
もう親鳥達とまったく同じ生活を送っている。
朝夕の餌の奪い合いも親鳥達に混ざってなかなか健闘している。

卵を抱いた育ての親鳥は手持ち無沙汰になったのだろうか、また巣篭もりを始めそう。
よく産卵箱に閉じこもっている。はやく他の有精卵を探してやらないとね。

ところで4羽のひよこのうちどうやら雌は1羽だけらしい。
なんと3羽は雄。
26個の卵のうち雌は1羽だけ!!
う~ん、・・・。
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思い出の図書館

2005年08月28日 18時32分34秒 | 日記
今日は朝市。
姫路まで行って来た。
キュウリもトマトもほとんど終わったので出すのに苦労した。

カボチャ、インゲン、マクワウリ、ピーマン、なすび、そしてキュウリとトマトは少しだけ。後は漬物でごまかす。

久し振りに姫路に出たので、姫路の町を歩いた。ここでは姫路は都会、神戸は大都会。久し振りに都会の気分を味わった。

駅の大きな本屋に立ち寄った。
~昔は本屋には随分通ったものだった。でも最近は本を買う習慣はほとんどなくなってみんな町の図書館で済ませている。
別に買うわけではないけど久し振りに立ち読みの楽しみを味わった。

今後、新聞・本・CD・ビデオなどの旧メディア・情報の媒体産業は急速に廃れていくだろう。個人個人で情報を溜め込むのでなく、必要な情報はいつでもネットを通じて手に入るようになるからだ。

でも思い出の本やレコードはいつまでも手元においていたい。
本もレコードやCDも随分溜め込んだ。
その一冊一冊に一枚一枚に買ったときの思い出が閉じ込められている
別棟のプレハブの一室を思い出の図書館にしよう。
そして疲れたとき本やCDを眺めていよう。
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山羊害

2005年08月28日 06時18分38秒 | 日記
畑に行くと山羊がいる!
ロープを切って侵入したのだ。
大豆を美味そうに食べている。
「こらっ!」
畑をめちゃめちゃにして逃げていく。
あっ、芽がでたばかりの白菜が、ニンジンが、大根が!

やっと捕まえて小屋に入れる。
「めぇ~」とも鳴かない。
自分がどんな悪いことをしたのかまるでわかっていないのだ。
でも山羊の目を見るとついつい笑い出してしまう。
それだけによけいになさけない。
誰も怒る相手がいないというのは。

あらためて畑を見直すと、すっかり気落ちしてしまった。
春から育てたイチゴの苗が全滅。
イチゴは根が浅いので根ごと引っこ抜かれて食べられている。
わずかに数本根だけが残っているのがあったので、ここから生えてくるのを願うほかない。
*山羊はイチゴの葉が大好き。そんなにイチゴの葉って美味いのかな?
 いちど食べてみようかな?
 もっとも山羊は粗い葉や木の葉が好きなのであまりその味覚は信用できないけど。

大根の葉もやられていたがこれは回復しそうだ。
トウモロコシは数本食べられていた。
さすがにこれは大きいので食べ切れなかったらしい。
育ち始めたニンジンの葉。これは小さいので少しだけやられていた。
それよりも歩いて押しつぶされていたのが大分あった。
ルバーブ。見事に食べられていた。でもこれは回復しそう。

あらためて被害を見直すと、草をとってきれいにしてた野菜ほど狙われている。
これは山羊にとってはテーブルにご馳走を並べているようなもの。
山羊はただそれを食べるだけでいい。
ところが草ぼうぼうの畑だったらどうだろう。
草の中から見つけ出さないといけない。
収穫の手間がかかるのだ。
というわけで草ぼうぼうの畑や混植した畑ほど全滅の危機から免れる事が出来る。

これは山羊だけでなく他の害虫に対しても当てはまる。
単作で草がはえてない畑は真っ先に害虫から狙われて、全滅する。
単作農家にとってはこれは致命的な打撃になる。
こうして、最初無農薬でやってた人も次第に減農薬というわけのわからないものに移っていく。
一度減農薬をやったらもう歯止めがきかない。
どこまで薬を使っていいのかの規定がないからだ。

というわけで、今日の結論は、草取りはほどほどに。
珍しく、イチゴやニンジンの草取りをしてたのが敗因だった。

やっぱり、そう。
ぐうたらがいい。
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屁糞蔓

2005年08月24日 06時53分35秒 | 田舎暮らし
ざうけふに 延ひおほとれる 屎葛 絶ゆることなく 宮仕へせむ
                        (万葉集・巻16)

「さいかちの木に、しつこく絡みついているヘクソカズラのように、いつまでもしがみついて宮仕えをするぞ」
この自嘲的な歌の作者はきっと下級役人だったのだろう。サラリーマンは昔も今も同じ。つらいよね。

ところでこのヘクソカズラは早乙女花とも言う。たしかに花だけ見るとこの方がぴったり来る。
この花の名前をつけた人はきっと早乙女に振られた腹いせに「ヘクソカズラ」とつけたにちがいない。

でも臭いからといってなにもこんな名前を付けなくても・・・
なかなか可愛い花なのに・・・

(写真は笹にしがみついてる屁糞蔓)
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閉じこもり症候群

2005年08月23日 18時55分01秒 | 鶏の話
鶏小屋に行くと鶏が一羽産卵箱によく閉じこもっている。
そろそろ次のヒヨコを産ませる準備をしないといけないのだろうか?
今度は他所の有精卵を孵そうと思う。そして半年後には雄鶏を皆入れ替えよう。
しかしこんな感じでひよこを孵していくと目茶苦茶増えるだろうな。
鶏を潰すのは昔実習でやったけど、もうすっかり忘れてしまった。
でも今のヒヨコが大きくなったらいよいよしなければ。
かなり気が重いけど、まあ仕方ないか。
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クサギ染め

2005年08月22日 10時05分55秒 | 田舎暮らし
柿渋が醗酵を始めた。
ボチ・・・ボチ・・・ボチ・ボチ・・・ボチ・・・ボチ・・・
ぼちぼちゆっくり醗酵を始めた。

そして今月末には絞り終わって、あと二年寝かせて完成。
きれいな柿渋染めができたらいいのだけど・・・

来月はクサギの実を集めてクサギ染めをしよう。
今クサギの花がいっぱい咲いている。
クサギの花は葉からは想像できないようないい匂いがする。
クチナシみたいに強烈ではない、ほのかなにおいが。
染物にもこの匂いがうつったらいいのだけど・・・
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秋風

2005年08月20日 18時38分29秒 | 田舎暮らし
まだまだ暑い日が続いているが風は随分涼しくなった。
ツクツクボウシの鳴き声が一段と元気良くなって、
もう秋はすぐそこまでやってきた。

でも百姓をやってると、秋~行楽の季節・・・なんてイメージは少しもなく、
早く秋・冬野菜の種蒔きの準備や種蒔きせなぁ!、と思う。
自然は少しも休ませてくれない。

今年の夏野菜は散々だった。
日照りのためいつもの半分くらいしか収穫はなかった。
秋・冬野菜に期待しよう。
米とちがって野菜は一年のうちである程度は挽回できるのがいい。
もっとも単作農家ではそんなわけにはいかないか・・・

今日は青首大根と白菜2種蒔いた。
青首大根は種取で有名な長崎の岩崎さんの種。
白菜は在来種の白菜とふつうの白菜。
それぞれどんなに育ってくれるか楽しみだ。

トマトとキュウリはそろそろ終りのようだ。
育ちが悪かった分まあ遅くまで収穫できた。
今ゴウヤが最盛期。
でもゴウヤなんてそんなにたべれるもんじゃないよね。
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柿渋つくり

2005年08月20日 06時57分26秒 | 田舎暮らし
のらさんたちご一行をこき使い(?)柿渋つくりをした。
渋柿をとってきて、後は実を木槌で叩いて潰して、桶に入れて、水を入れる。
あとは5日間まって絞るだけ。これで一番絞りができる。
次に絞り粕を再度桶に入れて水をいれる。5日後に出来るのが2番絞り。
そして2年間(!)まったら出来あがり。
去年は絞り方が悪かったのか今でもどぶろくみたいだ。最後に絞ったものなんかまるでヨーグルトのよう。倉庫の中に保存しているけど、なにやらえたいが知れないこの一角からは思わず視線をそらす。
今年は上手く行くかな?
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シイタケの柵作り

2005年08月17日 08時08分01秒 | 田舎暮らし
シイタケの柵を作った。
今まで斜めに立てかけてほったらかしにしていたシイタケの原木の家がやっと出来た。
やったら数時間で出来るのに、なかなかその気にならなくて先送りするのが、いつものこのぐうたら百姓の修正なのだ。

盆も過ぎ夏も終わりを向かえて、し残した夏の仕事が山済み。
でもまあここはキリギリスを見習って寒くなるまでにやることにしよう。
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東京裁判

2005年08月15日 08時07分33秒 | ニュースの中から
もしも東京裁判がなかったなら・・・
はたして自分達の手で裁く事が出来ただろうか?
戦争に負けた罪?
・・・そんな罪が刑法のどこにあるだろう?

けれども国民をあんなに苦しめた戦争を起こして破れた罪は誰かがとらなければいけない。
戦争責任というあいまいな言葉では責任は問えないかもしれないが、敗戦責任はあるのだ。軍隊は国を守る事、戦争になったら戦争に勝つことが任務なのだから。
けれども誰も責任をとろうとはしなかった。

もし東京裁判という、政治ショーがなかったら誰が責任をとっただろう?
裁く法律がないのならどうして潔く8月15日に自決しなかったのか?
昔の武士ならば自決したにちがいない。それが日本人の美学だった。
けれども当時の役人化した軍事官僚たちは責任をとろうとしなかった。
役人が責任を取らないというのは今も同じだが・・・。

いまや東京裁判という見せしめ裁判が彼らの隠れ蓑になっている。
そして責任をとったのでなく、責任をとらされた、という一種の被害者意識が見える。
連合国側はあのインチキ裁判でA級戦犯を死刑にするのではなく、徹底的にその無能無責任ぶりを暴き、結果的に連合国側の勝利に大いに貢献したことで表彰状でもやって、日本人の手に引き渡すべきだった。

そしてその後初めてわれわれ日本人としてのほんとうの戦争責任が問われただろう。
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