福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

終活あれこれ(4) 「かぜさそう 花よりなほ・・」余談

2017年07月04日 03時02分43秒 | コラム、エッセイ
 ■風さそふ 花よりもなほ我はまた 春の名残をいかにとやせん 浅野長矩

 江戸城、松の廊下における吉良上野介刃傷事件で即日切腹となった長矩の無念の一首で、私が心惹かれる句である。

 この句を発端として外来患者とのコミュニケーションが一気に拓けたことがある。
 
 半年ほど前のこと、主治医が出張のためにある患者が私の担当外来に回ってきた。心因要素が強い、対応がむずかしい、と看護師が私を指定した。そうであればこそ常勤医が診るべき、と思ったが、口には出さなかった。嘱託医の立場は小さい。

 風変わりな様相の中年男性、診察室に入ってきても挨拶以外ろくに質問にも答えない。長い間通院し、全身状態もいい。投薬数は10種類近く、初回、2回目は会話少ないまま希望に沿って処方箋を発行した。この間の印象は良くなかった。

 3回目は、状況不明のままではこれ以上処方箋は出せない。「・・・、ここは動物病院でない、質問に答えて欲しい」、と呼びかけた。患者も少しその気になったらしく、2-3のやりとりの後、私は患者の生活環境等について質問した。未婚でアパートに独居、ほとんど誰とも接することなく引きこもり状態だという。

 引きこもりは私自身がそうであって得意分野である。話が合いそうである。

 「職業、日常の拠り所、趣味などは?」と問うたところ、小さな声で「風さそふ 花よりもなほ我はまた・・・の心境です」と返事があった。一句そのままでなく前半だけであったので、私が間髪を入れず「春の名残をいかにとやせん」と続きを合わせた。

 患者は一瞬驚いた表情をし、「この歌のような心境で暮らしています」とのこと。その後、急に会話が弾んだ。好きな文学作品のこと、仏教のこと、歴史上の人物の辞世の句など、広範な趣味と知識を持った方で、最初の印象との乖離が大きかった。

 「風さそふ 花よりもなほ我はまた・・・」の心境とは、自分を受け入れてくれない周囲の人々、社会、医療関係者などへの無念の気持ちをこの歌に込めてます、とのこと。若い時に僧職の修行していたがいじめ等で挫折、婚約者の自死などもあって人生がくるった、と言う。

 予約外来なので通常は時間を取れないが、あえて時間をかけ、この程度のことを把握した。まだまだ話したい、と思ったがここまで、とした。これ以上の詳述も問題だろう。
 長く診ていた主治医が間も無く戻ってくるので、おそらくもう私の外来を受診する機会はないだろう。

 変な先入観念を抱いて人物を評価してはならない、と言われる。全くその通り、と反省した。
 同時に、私の趣味、終活準備が患者との対話のきっかけになった、と言う、稀であろう幸運を味わった。

 
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