福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

本 漫画『その「おこだわり」、俺にもくれよ!!(1)(2)(3)』清野とおる著 講談社

2017年02月23日 05時07分00秒 | 書評
 


私は本も漫画も好きだ。漫画は価値が低いとは思わない。漫画を読むメリットは大きい。読んだことがきっかけとなって興味が広がって、さらに深く追求している分野も少なくない。
 最近上記の漫画を購入、そのこだわりが興味深く、私も積極的に取り入れ、生活にちょっとだけバラエティがつき豊かになった。

 日常の生活で人はいろんなものにこだわっているものと思う。私もその一人であって、どうでも良いことに強いこだわりを持っている。こだわりを持つということはその近辺の価値判断が狭いということである。私はそうだ。すごく狭い。
 この作品はそんな「おこわだり」を持つ人を探し出してスポットを当て、漫画でレポートする。漫画でなければ成り立たない作品と言って良いように思う。

 作者の作品は今まで読んだことはない。絵も過剰な背景がなく、読みやすい。どこからこの漫画を見つけたのか忘れてしまった。

 取り上げられたこだわりの項目は以下のごとくである。
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1巻
•1. ツナ缶の男 •2. 寝る男 •3. アイスミルクの男 •4. ポテトサラダの男 •5. ベランダの男 •6. 白湯の男 •7. 帰る男 •8. 内ポケットの男 •9. さく男 •10. コンソメパンチの男

2巻
•11. 薄皮パンの男 •12. 中国うなぎの男 •13. トマトのかす男 •14. うめ粒の男 •15. ねぬ男 •16. シロップおじさん• 17. パルおばさん• 18. 配置青年 •19. 土日、人に会わぬ男(前後編) •20. 読む男

3巻
•21. フランクフルトの男 •22.メロンの女 •23. すしざんまいの男(前後編) •24. オールドファッションの男  •25. フックの男 •26. 基礎体温プラス1度の男(前後編)
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 取り上げたこだわりの数々がたまらない。しかも、それほど苦労なく真似できそうなものが多いのがいい。

 自称こだわり人間ならこだわりに関してその人独特の意見や主張を持っているだろう。小さい物事に、己だけのシアワセを見出し、それをひたすら楽しむ。人からどう思われようと、そんなの関係ない。そんな世界である。
 私の立場ではどの項目を取っても面白い。清野氏はこだわりのない立場でインタビューしながら時折ツッコミを入れる。これがまた良い。この辺が漫画の良さなのだろう。

 私はこの本で初めてポテトチックスを食べてみた。フランクフルトも、薄皮パンも同様で、ひと月ほど前からこれらを求めて食べてみている。
 今の所はこんなところであるが、私も積極的にこれらのこだわりをいろいろ取り入れたいと思っている。
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映画「この世界の片隅で」原作:こうの史代 監督:片渕須直

2017年02月22日 07時04分36秒 | 映画評


 本日はフリー日、話題になっているらしい映画を観てきたら?と勧められ、私は素直にその助言に従った。自分の判断だけで過ごすと世界が狭くなる。映画は「この世界の片隅で」で、能年玲奈、改名「のん」が出るらしい映画である。

 第13回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞した同名のコミックを映画化した作品。私はルミエールの入り口で初めてアニメ作品であることに気づいた。「のん」は主人公の声、と語りを担当していた。何年振りかで元能年玲奈の可愛い表情が見れるかな??との期待はおじゃんになった。

 第2次世界大戦下の広島・呉を舞台にした無名の少女の生活を描いた作品。
 故郷の広島市から20Kmの呉に18歳で嫁いできた主人公すずは、戦争によって様々なものが欠乏する中で、生活に工夫を凝らしていた。日本海軍の拠点で大和を建造した軍港呉は激しい空襲の標的となった。前向きに生きるヒロインと、彼女を取り巻く人々の日常を描く。空襲で自らの右手を失ったが、健気に生きる。8月6日の朝、爆心地から遠い呉でも閃光と衝撃波が響く。8月15日、ラジオで終戦を知る。

 場面場面には戦時下の軍港呉の生活が生き生きと描かれる。私が生まれる前の日本の文化、米軍の爆弾投下、機銃掃射から逃げ惑う姿が忠実に描かれる。アニメであるが、戦争の恐怖感はリアルに伝わった。

 アニメによる表現の拡張は発想次第で自由自在だ、と思う。むしろ実写映画、CG多用の作品に勝る部分がある。ジブリ作品では、動画を1枚ずつ筆のように強弱のある柔らかいラインで猫き、淡い水彩画のような色をつける手法を採用している。この作品もその線に沿ったのであろう。この作品では一層発展と進化した制作技能の進化が感じられたように思われた。

 とにかく、画面が美しい。畑、野原の草花が美しく、人物の表情の描き方も自然である。デジタルアニメのクリアな映像とは一線を画するものがある。

 わが国のアニメの発展はとどまるところを知らないようだ。
 私はその詳細を知らないが、アニメ史を振りかえれば、かつての派手派手の作画手法、クリア過ぎるCG作品によって作られた作品はちょっと近寄りがたい。水彩画のような柔らかな作品によって「送り手と受け手の距離の近さ」が生まれ、大変革が起きているように見える。真の進化と発展は、まだまだこれから広がっていく、と思う。

 この作品は、制作資金、プロモーション費用の一部をクラウドファンディングで一般から調達したことでも知られる。終了後には協力者の名簿が長々と示される。ミニシアター中心の映画としては制作前から支持され、異例のヒット作となっているようだ。

 「のん」は直接見れなかったが、語りとセリフはとても心地良かった。


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社会保障環境2017年(9) 「シルバーデモクラシー」(2)18歳選挙権への期待

2017年02月21日 09時05分26秒 | 政治・経済 国際関係
 「シルバーデモクラシー」の改善のために若い世代が投票の環境整備が欠かせない。
 前回の参議院選から、70年振りに選挙権年齢が引き下げられた。私は長期的には大いに意味あることと考えているが、昨年の投票の結果はちょっと期待に反していた。

 若者の投票率を資料から拾ってみた。

 総務省の資料によると、投票率は、18歳が51.28%、19歳が42.30%、18+19歳は46.78%であった。
 18+19歳で都道府県別で見ると東京の57.84%、以下神奈川、愛知。最低は高知の30.93%、宮崎、愛媛で都会で高く、地方で低かった。
 秋田県は42.29%、岩手県は43.03%とともに中間であった。

 この都会で高く地方で低かったという差が出たのはなぜなのか。

 選挙管理委員会の働きかけの違いが理由の一つとされている。東京都選管は出前授業や模擬投票など多様なアプローチを展開した。東京では10代の投票率が全世代の投票率を0.34%上回り、全体を押し上げた。「投票した後も政治に関心を持ち続けて・・」、と
都選管は呼びかけている。秋田県選管とかではどうアクションしたのであろうか。

 民主主義における主権者教育の目的は投票率のためだけではない。社会的課題を自分で見つけて考え、解決する能力を育てることで、社会で活躍できる人材の育成を目指す。
 成人年齢を引き下げる検討も始まった。

 若者たちの投票率はキャンペーンの割に低かったが、その理由として以下が考えられる。
 第一は、急に投票権が与えられ、政治について考えなさい、と言われて戸惑ったこと。長い間、子ども扱いし、政治から遠ざけてきたのに急に何だ!!というのが正直なところであろう。

 第二に、18歳選挙権の対象世代は、日本と自分たちがが幾多の難問に直面していることを頻繁に見聞きしている。政治の世界にいい話はあまりない。実際、若者たちはこのまま避けていたいとの意識が働く。しかし、だからこそ政治に耳を傾ける主権者になることが重要な時代に入っている。

 今後、18歳投票権を持つ若者に期待することは、
 第一に、少なくとも、「投票しないことが私の主張だ・・・」などと言うことは一見若者らしく「カッコウがいい・・」と思っている有権者もいるだろうが、バカな考えである。なんと理屈つけても何れ税金はしっかり取られる、あるいは取られる存在になる。「選挙に行かないで納税だけしっかりする有権者ほど政治家にとって都合の良い人間はいないのだ・・」との自覚を持つことが重要である。

 第二に、まず投票するという決意が大切である。そこから全てが始まる。政治は複雑な仕組みで成り立っているが、その複雑さが徐々に見えてくるのも、投票の決意を固めればこそである。政治は分かりにくいが、誰だって迷いながら選択している。

 第三に、新しい感覚を身につけた若者たちの台頭と蓄積こそが、将来の日本を変えていく。

 総じて、昨年の参議院選挙は準備期間が少なかったと思う。
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社会保障環境2017年(8) いわゆる「シルバーデモクラシー」とは(1)

2017年02月20日 17時55分26秒 | 時事問題 社会問題
 最近、シルバーデモクラシーという言葉が散見される。
 シルバーデモクラシーというのは、有権者のうち、高齢者が占める割合が高く、かつ、若者の投票率が低いために、選挙結果に必要以上に高齢者にの価値判断が反映されることをしめす。

 我が国でも選挙の際この傾向は顕著である。人口の4割が高齢者であり、若者が投票に行かない傾向があり、有効投票の6割以上が高齢者である。しかしながら、もともと我が国の高齢者福祉は厚目であるために、選挙におけるいわゆる「シルバーデモクラシー」は一回ごとの選挙で顕著に現れてはいない。

 欧米で昨年、一昨年に年齢間のギャップが結果を大きく左右した。
 英国の国民投票では、高齢者はEUからの離脱を志向し、43歳以下の若者はEUにとどまる意見の方が多数であった。投票結果は離脱となり世界を驚かした。アメリカの大統領選挙においては若い有権者は反トランプ的であったが、結果はトランプ氏であった。ギリシャの国民投票でも年代別に意見が異なっていたという。

 これらは二者択一の投票であり結果は Yes or Noで明快に示される。結果は高齢者の意向が濃厚に反映したものとなった。

 選挙による民主主義は、老人の、老人による、老人のための政治より、となっている。このことの是正は将来さらに重要になっていくだろう。

 民主主義の基本は多数決を背景にしている。本当ならば多数決に頼らない納得の政治が理想であろうが、それでも最終的には数の論理で結論を導かなければならない。
 若い世代の人たちがより長くその国を支えていくことを考えれば、選挙が高齢者寄りになっていくことは問題がある、というべきであろう。少子高齢化は我が国では当たり前の感覚になりつつあるが、年齢別の構成人口が変わり投票率が高齢者がよりになっていくと、国の有り様が次第に変則的になっていく。これは先進国に広く見られる現象である。

 わが国では人口が1億人を超えたのは1966年である。この時の65歳以上の高齢者人口は7%であった。現在は1.2億人で高齢化率27%、2050年頃1億人を割るとされているがその時の高齢化率は40%に達するものと考えられている。同じ1億人といっても中身が全然違ってくる。

 日本の場合、詳細データは手元にないが、民間人が有している金融資産のうち7割以上が高齢者が保有している、とされる。しかも、ほとんどが回転していない。
 戦後の混乱と激しい競争をたくましく生き抜いてきたこの団塊世代は、自分たちを過大評価する傾向があるように見える。オリンピックが当初予算の3倍にまではね上がった背景にはこの世代が身につけてきた拝金主義的自己保身があるように見える。

 迫りくる異次元の高齢化社会をバランスよく運営していくには、少数派の意見より重視した、数の論理を越すような理性的価値判断が必要になってくる。これからの政治家は資質が問われていくだろう。

 
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日韓問題2017(2) また振り出しに戻してはならない

2017年02月19日 18時27分20秒 | 政治・経済 国際関係
 2015年の12月末に、日韓両政府は最大の懸案だった慰安婦問題で合意に達した。
 合意点は以下のごとく。

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 @ 岸田外相は慰安婦問題を「軍の関与のもと多数の女性の名誉と尊厳を傷つけた問題」と定義し、「日本政府は責任を痛感している」と明言。
 @ 安倍首相は日本の首相として元慰安婦に対し、「心からのおわぴと反省」を表明。
 @ 韓国外相も今回の合意について、「日本政府の措置の着実な実施」という前提つきで、「最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」と名言。
 @ 韓国政府は、元慰安婦の名誉と尊厳を回復し、心の傷を癒やすための財団をつくり、そこに日本政府が約10億円を国家予算から拠出する。
 @ 在韓日本大使館前の少女像について適切に解決されるよう努力。
——————————————————————————

 50年前の請求権協定で「法的には解決済み」とする日本政府はこれまで、国家責任を連想させる言葉遣いに消極的だった。今回はその原則を何とか維持しつつ、率直な表現に踏み込んだ。

 日本は90年代、慰安婦問題の解決のために国民の募金からなる「償い金」と、政府の資金による医療・福祉支援事業に首相の「おわびの手紙」を添えた「アジア女性基金」事業を始めたが、日本政府が必ずしも積極的な姿勢で事業に臨まなかったことや、「償い金」に民間募金をあてたことなどで、韓国側は「国の責任を明確に表明していない。だから、
なんら本質的解決にはならない」、と反発していた。

 その過去を受けての今回の合意である。韓国の支援団体は、この合意についても「被害者や国民を裏切る外交的談合」と非難している。要するに、韓国国民は、多分一部だろうが、ここまで踏み込んだ合意ですらも納得できない、と批判を続けていくようである。

 あの合意から一年、市民団体が釜山の日本総領事館前に慰安婦少女像を設置した。韓国政府も釜山市当局も黙認している、と言うから、合意の趣旨に完全に反している。韓国は「約束しても結論を勝手に動かす国」と批判されているが、今回も同様であった。
 韓国・釜山に慰安婦像を設置したことにより、日韓関係が再び険悪なムードになってきた。

 日本政府は対抗措置として駐韓大使と釜山総領事を一時帰国させたほか、経済分野の協議中断などに踏み切った。まず妥当な処置と考えるが、日本の対抗措置に対しては韓国最大野党は慰安婦問題合意の破棄を主張している。昨年末の韓国内の世論調査では「合意を破棄すべき」が60%ほどを占めた、と言う。
 バカな話であるが、これが韓国の国民性と政治の姿である。どちらに問題があるかは明らかであろう。

 この、国家間で結ばれた約束の反故の動きに対して、安倍首相は毅然として対応しているように見える。対韓問題には何度も煮え湯を飲まされてきたし、国内の調整にも腐心してきたことも考えれば、私としては理解可能である。
 ただ、落とし所をどこに置いているのか、気になる。

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日韓問題2017(1) 特命全権大使一時帰国1カ月

2017年02月18日 17時03分22秒 | 政治・経済 国際関係
 安全保障や経済、環境など広い分野で課題を共有する韓国から、特命全権大使が一時帰国して1カ月経過した。

 この事態の発端が韓国側にあったのは明らか。韓国は国政が混乱に陥っているが、日本側はその混乱に乗じて行動を起こしているわけではない。韓国政府の無責任な振るまいが、今日の対立を招いた。

 今こそ、我が国が日韓問題に一定の意思表示するいい機会と思う。私は安倍総理の決断を支持する。大使を安易に戻してはならない、と思う。

 大使の一時帰国は韓国の市民団体が昨年末、釜山の日本総領事館付近に慰安婦像を設置したことへの対抗措置としてであるが、そんな些少な問題ではない。一昨年12月の慰安婦問題への合意を踏みにじる行為が一年以上も続いていることに対しての怒りである。
 いや、それ以上に1965年に調印された日韓基本条約を踏みにじってきた、長い間の韓国政府の姿勢に対する怒りと見ていい。

 慰安婦問題は2015年12月に日本側の多大な譲歩によって、非可逆的に解決した。だから、慰安婦問題はもう国内問題である。その韓国政府の対応の不甲斐なさに日本側が強く抗議したのは当然である。
 大使の一時帰国は韓国世論の反発を強め、結果として像の撤去が一層困難になった。これは止むを得ない。今までは我が国の姿勢が軟弱で事なかれ主義的であった。

 韓国の野党では、駐日大使の帰国を求めるなどの発言も出ている、と言う。これもいい機会と捉えるべきである。

 日韓は共通の懸案事項として北朝鮮のミサイル問題がある。両国の関係全般を後退させるか否かの判断は全て韓国側が握っている、と言っていい。
 韓国の政治家は国際常識に欠ける??プロ意識が乏しい??ようだ。さらに韓国の政権は国を掌握していない。また司法も同様、中立的真実よりを世論に迎合した判断をしている。韓国はそんな国である。

 日本側はもっと時間をかけて冷静に事態の解決を進めるときだ。
 いい機会がおとづれている、と思う。
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整理整頓 不得手な人 vs 得手な人

2017年02月17日 02時39分00秒 | コラム、エッセイ
 現役時代には数多くの医師たちと机を並べたが、机の上に所狭しと書類や物が積み上げていた同僚も何人かいた。
 さらに、そういう人は、書架の使い方も下手で並べ方も乱雑、上手に使えばまだまだ並べられるのに、入りきれない資料や本などが、床の上まで一面に積み上げられていて、部屋全体も雑然、混沌としていて私は不快に思っていた。
 時には机の上に積み上げられた書籍や本が私の机の上や床に崩れて大ごとになったこともあった。本人に連絡つけばなんとかなるが、そうでないときは勝手に手をつけることもできず、私は大変迷惑したものである。

 このような状態だと、何がどこにあるのか、必要なものを探し出すのにどうするのか??側から見ても心配であった。
 多分、あっちをひっくりかえし、こっちを探してみなければ見つからないだろう・・・と考えていたのだが、実際にはそんなことはなく、意外と早く目的のものを探し出してくる。実に不思議で、理解できない世界に住む人であった。おそらく机の上は乱雑でも、一定の法則性に基づく、意味のある乱雑性で、彼の頭の中はそれなりに整理されている、と考えるしかない。

 一方、私はこまめに整理整頓する方で、机の上を少しでも広く使うために本などを積み上げることはまずない。書庫、部屋が乱雑になることはない。届いた書類のうち当面必要がなさそうなものはざっと分類してファイリングしてしまう。
 では、私は求める書類などをスムーズに探し出せるかというと、実はそうではない。整理する時は、「整理することが主目的になって」、往々にしてどこに何をしまったのかわからなくなるからである。

 そこで、資料を探すことに時間が取られて時間がどんどんなくなってしまうこともあり、最後には、探し出すのを諦めて再発行を願ったりすることも稀ではなかった。周囲の方々に迷惑をかけたことも稀でなかった。
 得た教訓としては、未処理の書類などは整理せずに乱雑にしておき、それらをコツコツと処理していくことであった。

 整理整頓に長けた人たちの言葉を借りると、「机の上も整理できないようなだらしがない人は、結局、仕事のできない人であり、周囲の人たちに迷惑をかけているのではないか。だから、時間を有効に使い、手際のいい仕事をするためには、いつも身の回りの整理整頓を心がけることだ」、などと主張しているが、私はその意見には同意できない。

 書類や書籍の整理などは人それぞれの方法があり、そんなに単純に割り切れるものではないのだ。

 さて、私も歳をとった。何かを始める時など、もの探し、道具探しで、かなりの時間を費やすようになった。これは「整理好き」とは違う因子によっている。
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徒然草から学ぶ(2) (121段) 動物を飼う

2017年02月16日 10時10分15秒 | コラム、エッセイ
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 (121段 一部略) 養ひ飼ふものには、馬・牛。繋ぎ苦しむるこそいたましけれど、なくてかなはぬものなれば、いかがはせん。犬は、守り防ぐつとめ、人にもまさりたれば、必ずあるべし。その外の鳥・獣、すべて用なきものなり。走る獣は檻にこめ、鎖をさされ、飛ぶ鳥は翅を切り、籠に入れなれて雲を恋ひ、野山を思ふ愁、止む時なし。その思ひ、我が身にあたりて忍びがたくは、心あらん人、是を楽しまんや。生を苦しめて目を喜ばしむるは、桀・紂が心なり。王子猷が鳥を愛せし、林に遊ぶを見て、逍遥の友としき。捕へ苦しめたるにあらず。
凡そ、「めづらしき禽、あやしき獣、国に育はず」とこそ、文にも侍るなれ。
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 (私の意訳)馬・牛他の動物たちのは繋いで苦しめるのは痛ましいが、無くてはならないから仕方ない。犬は家を守り防ぐから、必ず飼うべきだ。その他の鳥や獣は、すべて無用のものである。飼われて苦しむ他の動物たちの思いを、我が身にあてはめて耐えられるだろうか。楽しめない。生き物を苦しめて目を喜ばせるのは古代の暴君の心である。風流人として知られる王子猷が鳥を愛したのは、林に遊ぶのを見て、そぞろ歩きの友としたのである。捕えて苦しめるためではない。
「珍しい鳥、見慣れない獣は、国内で養わない」と、書物にもありますよ。
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 今の時代を兼好法師が見たらどう思うだろう。
 馬・牛他の動物たち一般的には飼われていない。文中に登場する動物の中で飼われているのは犬だけであるが、ネコが多いのに驚くことだろう。

 兼好法師とネコの関係はようわからないが、多分嫌いだったのだろう。
 紀元前から日本にネコが存在をしていた可能性は否定できないが、今の祖先に当たるネコは奈良時代ごろに、経典などの大事な書物をネズミから守る益獣として、中国から輸入されたとも言われている。ネコの記録は、889年の宇多天皇による黒ネコの飼育日記である。平安時代にはさまざまな和歌や物語に登場し、「花咲か爺さん」、「桃太郎」などに登場するなど人々に親しまれていたことが窺われる。一方、ネコはの登場は一般的に少ない。十二支からも外された。

 兼好法師(1283-1352)は平安時代の末期に生まれているからネコの存在は十分知っていたと考えられているが、この文には登場していない。89段で「奥山に猫またといふものありて・・・」という項でてくるが、実際はネコではなく犬であった。当時はネコはまだ数も少なく一般的でなかったと思われる。

 一方、日本ネコは愛玩用ではなく鼠狩りの益獣として輸入されたため、家で飼われるより外で暮らすことが多かったらしいが、1945年第二次世界大戦が終結した頃から進駐軍など外国人の手によって外来種が日本国内に大量に持ち込まれるようになり、爆発的なシャム猫の流行期以降、外来種との混血が急速に進んだ。

 本来の日本ネコは、定義もはっきりせず、よくわからない存在となっている。ちなみに我が家の7匹のうち3匹はシャムミックスである。
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徒然草から学ぶ(1) (序段) やっと法師の気持ちの一端が分かるようになったかな

2017年02月15日 04時09分44秒 | コラム、エッセイ
 本日は比較的暇があった。請われてボランティアとして飯川病院に来たものの、午前中に予定した患者搬送等の予定がキャンセルされたためである。こんなときにはゆっくり過ごすに限る。

 当ブログの名称になている徒然草は一度通読し、他は適宜参考になりそうな章を読んではいたが、深読みしたことはない。名前を借りたということもあってちょっと罪深さを感じていた。それが、今日突然、再読してみたくなった。
 通読した時には、現実離れした、勝手なことをのたまっているひねくれ老人、と捉えていたが、今読むと印象がかなり違う。私の感受性がすっかり変わってきたのだと思う。

 徒然草序段は短文である。それに、暇な時間があるときの時間の使い方についての提言である。

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 (序段)つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
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 (私の違訳)特に急いでやることもないままに、一日中パソコンにむかって、心に浮かんでは消えていく何でもないこことを、コツコツと書き付ける。これがなかなかいいもの。私にとっては平穏そのもので、あやしくも狂おしい感じはない。兼好法師は何を狂おしく感じられたのだろうか?」
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 現役を退職してから5年経った。ほぽライフスタイルもきまってきた。まだ勤務していて辛いほどの業務が重なる日もあるが、現役時代とは一線を画する余裕が生まれた。当時は今から考えるとずいぷんコマネズミに近い生活をしていたものだと反省させられる。「名利につかわれて、閑かなる暇なく、一生を苦しむるこそ、愚かなれ」と、兼好法師に笑われていい生活であった。

 退職した時には、責任ある立場から解放され、自分の自由になる時間ができる。いろいろやりたいことが山積みで計画を立ててこなしてきたが、5年も経つとそれにも限界も見えてきた。

 昨年暮れに私はそのような自覚の元に、年間の総括と新年を迎えていつも立てていた年間計画とそれに対する努力することを一切やめた。

 勤務ある日は穴を開けないようにするのは当然であるが、それ以外の時間はその日暮らしの発想である。無計画な日常生活を送って見ることとした。自分の五感で感じ取ったことに応じてその場で考えたことをやって見る。読みたければ読む、腹がへれば食べる、微睡を取りたければそうする・・・。「忙中閑あり」でなく、気が向いた時に「閑中忙あり」にする。そんな感じである。

 現代は徒然草の時代と異なることは言うまでもないが、「しずかなるところ」にこそ、いろいろな知恵も生まれ出てくるということは、多分、昔も今も変わりはないであろう。もう長くないであろう余生を、無為に過ごしてみたいものである。それが無駄でない結果を生むのではなかろうか。

 発想を転換してから、かなり心に安らぎが生まれてきたように思う。
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社会保障環境2017年(7) 高齢者定義75歳?? 制度的意義がなければ無駄

2017年02月14日 10時11分00秒 | 医療、医学
 高齢者の定義について国際的にも一般的に65歳以上とされいる。

 日本老年学会と日本老年医学会は1月、高齢者を75歳以上とすべき、とする提言を発表した。65-74歳は「心身とも元気な人が多く、高齢者とするのは時代に合わない」として、新たに「准高齢者」と位置づけた。
 医師や心理学者、社会学者らでつくる両学会のワーキンググループが日本人の心身の健康に関する複数の調査結果をもとに2013年から検討してきた。「あくまで、医学的な立場から検討した・・・」というが、ヒマな方々だね、と思う。

 社会的に認知度がたかい現在の前期高齢者、後期高齢者で何が悪いのか?
 「准高齢者」とは考えたものである。私は今これに相当するのだが恥ずかしい。前期高齢者の方が居心地がいい。それに、「元気だから高齢者とするのは時代に合わない・・」とは何を示すのか。高齢者は元気ではダメか?

 65歳以上でも、身体能力をみる指標の歩行速度などが衰えず維持される傾向にあり、生物学的にみた年齢は10-20年前に比べて5-10歳は若返っていると判断した。そんなこと学会がわざわざ指摘しなくとも誰だって実感として感じている。「高齢者の体力は最近向上したね・・」とお祝い事として捉えていればいいのだが、「・・・だから、社会保障など少なくてもいいよね」との議論に必ず組み込まれる。なんとなれば、高齢者社会保障は今後薄くなることはあれ、逆は無理だろうからである。

 高齢者は長い人生を生きて来ているから個体差が大きい。そんな高齢者を年齢で十把一絡げにまとめてどうするのか。高齢集団は多様である。
 働ける方には働きやすい環境を用意してほしい。
 健康的に問題があったり、経済的に、社会的に弱者であったり様々である。このような高齢者を拾いあげるための工夫を考えてほしい。

 私は今後、この提言を社会保障そのほかをめぐる高齢者制度に利用するのであれば賛成である。健康的で豊かな高齢者への社会保障は薄くし、代わりに個々の落ちこぼれを如何に拾い上げるかを考えるならばいい。

 知的機能の面でも、70代の検査の平均得点は10年前の60代に相当するという報告があり、判断根拠の一つとされた。そんなこと言っても今後は高齢者の10%以上が認知症になると予想されているから、認知症軍団が増えてくる。

 「高齢者とは何歳以上か」を間うた2014年の内閣府の意識調査では、70歳以上との答えが28%で、15年前より13%上がったのに対して、「65歳以上」は6%で、12%下がった。こうしたことも考慮された??「あくまで、医学的な立場から検討した」のではなかったのか?

 学会の提言は概ね好意的に受け入れられているように見える。しかし、私は疑問である。
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稀勢の里横綱昇進 「日本人横綱」か、「日本出身横綱」か

2017年02月13日 02時15分28秒 | スポーツ、相撲、芸能など
 大相撲初場所で初優勝した稀勢の里が25日、第72代横綱に昇進した。相撲界に19年ぶりとなる「日本出身横綱」が誕生した。

 私が目にした新聞・雑誌は全て「日本人横綱」でなく、「日本出身横綱」との表記で足並みが揃っていた。そのための表現としてメディアでは「〇〇人力士」と表現せず「〇〇出身力士」と記載する取り決めがあったのだろう。

 私はそのことを今回まで知らなかったが、今回初めて「日本出身横綱」の表現に気づき違和感を覚えてしまった。

 若乃花が66代横綱に昇進したのは19年前の1998年、67代横綱武蔵丸はその1年後に昇進した。武蔵丸は米国のハワイ出身であるが、日本国籍を取得し、横綱昇進時は日本人だった。それ以降の、朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜と続けてモンゴル出身の横綱で、4人ともモンゴル国籍のままである。

 ほとんど私の記憶から消え去りつつあるが、横綱武蔵丸の呼び出しは変わらず「ハワイ出身」、同じく日本国籍を持つ旭天鵬は「モンゴル出身」と呼ばれていたような気がする。両者とも日本人になっていたのだが、日本人になったことよりも出身地を重視した差別的扱いになっていた。

 稀勢の里は、出身を重視すると19年ぶりの「日本出身横綱」、国籍を重視すると武蔵丸以来18年ぶりの「日本人横綱」ということになる。この辺は微妙である。

 メディアはなぜ「武蔵丸以来18年ぶり日本人力士」と讃えないのか?私は若乃花以来の「日本出身横綱」との表現に、差別的扱いを感じ、やはり少しの引っかかりを覚える。

 日本人ではなく日本出身と記載するきっかけを作ったのは旭天鵬の優勝らしい。彼が優勝する前は「〇〇人力士」と「日本人力士」の別だったのが、その後は「日本出身者」、「モンゴル出身者」とかに表現が変わった、という。国籍を重視して「〇〇人力士」は差別的、との発想があったのだろう。

 私は熱心な相撲ファンではないが嫌いでもない。
 国籍は関係ないと思っている。相撲が日本の国技とされるがここまで外国出身力士が多くなり土俵を盛り上げていることは重要である。外国人力士がいなければ相撲がこれほど面白くなっていただろうか。
 角界では約630人の現役力士がいるが外国出身力士は6%ほど。人種別のバッシング等もあると聞く。中立であるべき協会が露骨にモンゴル出身力士に対し差別的発言したこともあった。侵略者のような扱い?である。そんなに嫌なら、新弟子として受け入れるのをやめればいい。多分、相撲は一気に衰退するであろう。

 こんなこととは別に、横綱としての稀勢の里の活躍を願っている。
  
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日米首脳会談の印象

2017年02月12日 18時03分27秒 | 政治・経済 国際関係
 安倍首相がトランプ大統領と会談した。
 この会談は、未知数のトランプの今後を見るのに重要で、おそらく世界的に注目されたことだろうし、今後、今後内外のメディアを通じて多くの論評がなされることだろう。

 私の印象では、初会談という割には、大方の予想に反し比較的おとなしい、ふつうの会談だったと思った。いや、それ以上に過度に、時間を共有し、不自然に親密な会談であった、ちょっと気持ち悪さも印象として感じた。このことの意味はまだわからない。
 両首脳が個人的な信頼関係をうたい、そのこと自体は良いと考えるが、両国の「蜜月」を演出しても、国際社会の秩序の維持につながらなければ、意味はない。

 日本にとって最大の懸案事項である日米同盟に明快な方向性が示されたことは評価すべきだろう。共同声明では強固な日米同盟をうたい、尖閣諸島に日米安全保障条約第5条が適用されることが明記された。一方、声高に主張していた日本国内の米軍の駐留経費について、日本側の負担増の要求もなかった。
 
 トランプ大統領が選挙戦や当選後も繰り返してきた自動車輸出や為替問題をめぐる対日批判が、記者会見で一切出なかった。

 経済問題、二国間の貿易に関しては副総理と副大統領間で別口に相談する機会を作ったことも大きいと思う。損得勘定には詳しいが、トランプ氏は日本との貿易の歴史や背景をご存じないだろうから、日本にとって安心材料の一つと言える選択だったろう。

 トランプ氏の政策の詳細はいまなお、わからない。
 対中国問題も流動化している。台湾総統と電話会談したかと思うと、習近平氏との電話会談では中国一国主義を支持するとしたかと思うと、トランブ氏は中国の為替政策を改めて批判した。

 今回の首脳会談は一見うまく行ったように見える。
 「予測不能」な言動のトランプ氏への対応として、共同声明を文書に残したのは適切な判断といえるだろう。しかし、今後の日米関係を安堵するのはまだ早い。トランプ氏が中国との関係も複眼的に見ていることは注目しなければならない。

 まだまだトランプ氏はわからない存在である。
 選挙期間中、大統領選出後、日米首脳会談前に放っていた対日本政策、これらは首脳階段で影を潜めたように見えるが、トランプ氏の言動には日本人が考え直さなければならないだろう真実も含まれていた。常に原点に立ち返って考えなければならないことには変わりがない。
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こたつの思い出(3) 今季ネコ専用暖房器として採用

2017年02月11日 17時36分45秒 | コラム、エッセイ
 我が家では平成10年頃まで世界初と思われるハイブリッドこたつを用いていたが、コタツを暖房器具として使わなくなってから15年余りが過ぎた。

 わが家は家ネコの「クロ」と「プチ」、風除室に親子ネコが5匹がいる。親子ネコ5匹は「プチ」の母親と一年違いの兄弟である。後者は家ネコの資格は与えていない。風除室ネコとして、私とは内縁の関係である。しかしながら、今更何ともできない。ずっと保護してやらねばなるまい。同じ生き物として尊重し、掃除洗濯、食事などは十分に世話している。全員去勢済みであるし、遊びの道具も比較的リッチに与えている。

 風除室は4畳ほどの広さで、床を除く4面がガラス、屋根部分がプラスティックだから、冬は寒い。風除室は外気とほとんど同じ気温でとても冷える。家ネコの「プチ」は暖房の効いた部屋でぬくぬくと過ごしており、風除室ネコから差別だ、とクレームが来ているらしい(・・・ウソですけど)。

 昨冬は暖房として11月下旬から2枚のヒーターマットを用意した。ネコ達も体格が大きくなってヒーターマットに乗り切れなくなった。

 ネコといえばやはりこたつが相応しい。
 今年は70cm角の家庭用こたつを風除室にセットした。古いのもあるが、安全を考えて新調した。
 こたつといえど布団は用いていない。床を含め6面をダンボールで覆って箱型にし、一箇所に出入り口を作っている。温度は安全を考えてほのかに暖かい程度にセットした。電源のon/offは私の作業机で切り替えが可能であり、朝夕の給餌の際には箱を触って温度を確かめている。何しろ、こたつの製造元ではこんな状態で使用されるなど想定外だろうから、安全の面では私も緊張して用いている。

 ネコたちはこたつの中と天板の上で暖を取れるようになっている。中に入ったり天板の上に横になったりして、のびのびと過ごしている。その表情は満ち足りているように見え、一安心である。今季、暖房にこたつを採用して良かったなと思う。

 こたつの上にミカンがあるという風景は、それだけで心がほっこりするような温かさかある。「おーい、おめだちミカンでも食うか?」と声をかけるが、返事はない。こんな気持ちになる自分を見て、「年取ったな・・・」と苦笑いする日々である。
 マンガ「ネコと爺さん」もほっこりと暖かい本 「ねことじいちゃん」 ねこまき著 KADOKAWA 第1巻2015年8月、第2巻2014年4月 @1100円。

 なお、わが家のネコどもの様子はこの雑記帳の左袖にあるブックマークのインスタグラムのクリックで見ることができる。
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こたつの思い出(2) 子育ての頃 ハイブリッドこたつを自作

2017年02月10日 15時49分31秒 | コラム、エッセイ
 秋田には昭和48年に転居した。
 長女が生まれたのを機会に家内の親族が多い秋田で子育てしようと画策したものである。
 幸いなことに、私が志向していた血液内科学の講座が秋田大学に作られる予定であったから一挙両得であった。私は幸運の星のもとに生まれている。

 私は大学病院に勤務し血液免疫学を学んだ。家内は秋田組合総合病院内科に復帰した。
 日常の勤務状況は多忙を極め、生活一般、子育ては家内の叔母にあたる石井さんにお願いした。石井さんは昭和52年頃から二人の女の子とともに同居することになった。

 昭和51年に長男、54年に次男が生まれたをの機会に借家が手狭になって現地に居を構えた。子供が石井さんの娘2人と合わせて5人、大人3人の多人数家族で暮らした。

 居間には比較的大型のストーブがあったが、そのほかに補助的に豆炭こたつも併用していた。豆炭こたつは炭火に比較して扱いが簡単で、長時間火力を維持できた。しかしながら、休日などにはこたつ一つではでは物理的に不足で、その時には電気こたつを引っ張り出して併用していた。豆炭こたつは、私どもが夜遅くに帰ってきた時などには燃え尽きて冷えていることも稀ではなかった。その場合、電気コタツが重宝した。しかし、こたつ二つ併用は、結構部屋も狭くなるし、機能的にも不便であった。

 ならば、70cmx70cmの豆炭コタツと電気コタツを合体し、ハイブリッド化すれば互いの長所が活かせるのでは、と考え作成に取り掛かった。コタツは物干しの時の踏み台にもなるし、子供達が上で遊ぶことも稀でないし、70cmx140cmにしても脚が中央にあれば意味がないから構造的に4本足を維持しながら大人の体重に耐え、子供達の遊びにも耐える構造に強化した。これは私の木工作業の中でも傑作の部類に属する成果であった。
 こたつぶとんも二つ合体させた。

 自作の細長い、ハイブリッドこたつに一家8人が集まり、背中を丸めて顔を寄せ合う。ミカンを食べたり、ファミコンしたり、トランプ・・・など、時には雑魚寝の場にもなるなど、ハイブリッドこたつは長い間わが家の冬のだんらんの場だった。

 やがて、子供達は一人一人進学し家を出た。ハイブリッドこたつは平成10年頃まで用いていたが、家族が少なくなるとそのでかい図体があだになって邪魔者扱いとなり、ガレージの2Fの物置にしまわれ、数年後に解体した。

 2000年トヨタがハイブリッドのプリウスを発売して、ハイブリッドの言葉が広く知られるようになったが、我が家ではその20年も前から世界初と思われる豆炭と電気によるハイブリッドコタツを実用化していた。このことは、誰からも知られていない歴史的秘話である(・・・ウソですけど)。
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こたつの思い出(1) 岩手で

2017年02月09日 03時18分34秒 | コラム、エッセイ
 こたつは古くは室町時代から用いられた、と言う。木炭などを熱源に専用の布団をかけて温かい空間を作り、そこに脚や体を入れて暖を取るという道具である。日本人の多くが親しみを持つ暖房器具であり、これからもその価値は薄れることはないだろうと思う。

 私もこたつに関していろいろ思い出がある。しばらく用いていなかったが昨秋から復活した。今回はネコ専用暖房器具としてである。

 岩手でのこたつ生活の思い出ーーーそこにはいつもネコがいた

 岩手の冬は寒かった。1-2月の朝は家の中でも-5℃は当たり前、-10℃に達することもあった。居間の暖房は薪ストーブ一つと木炭のこたつであった。座敷は複数の火鉢だけ。私はこたつに入って小机を脇に置き、湯たんぽに湯を入れ、かじかむ手を温めながら受験勉強した。そばには常にネコがいた。私に生き方を教えてくれた初代のネコで、こたつの上や私の膝上が彼女の好みの指定席であった。

 早朝、母が炭火を起こしコタツを準備するのであるが、最初は火力の調節が難しく時に木炭が弾けるのでその時は布団をかけない。ネコはその時はこたつの縁に丸くなって暖をとるのであるが、布団をかけていないのに頻回に一酸化炭素中毒になった。炭は点火時に多くの一酸化炭素が出るのだろう。
 ネコはその時、ふらふらと立ち上がり、よろよろと数歩歩き、ばったりと倒れ、意識を失った。私が遭遇しただけで10回はあっただろう。うちわで冷たい風を送りながら全身をマッサージして刺激を与え続けた。10分ほどで意識を取り戻しことなきを得た。呼吸が止まりそうになったことが一度あって、私は鼻から息を吹き込んだこともある。

 炭火が安定すると灰を厚くかけて火力を落としこたつ布団をかけるのであるが、ネコは頭だけを布団から出して、あるいは布団のヘリに丸くなって暖をとった。

 ネコとこたつ、とても相性がいい組み合わせである。冬のこたつの周辺にはいつも私とネコがいた。私が大切にしている以下の写真は昭和38年頃、こたつの上にいるときに撮影された。

(あったかいこたつの上で、はいポーズ)

 やがて、ネコは老衰死し、私も新潟に進学し、両親は盛岡郊外に小さな住宅を得て転居した。これを機会に我が家のこたつは木炭から電気に変わった。母親も早朝の火起こしから解放されたし、安全のためにもとても良かったと思っている。
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