福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

残念な日本語(1) 代表的3つを例に

2017年07月05日 18時57分55秒 | コラム、エッセイ
 最近、エキセントリックな表現や言葉が流行している。私はとても残念に思っている。

 浜矩子同志社大学大学院教授の著作「アホノミクスの完全崩壊に備えよ」、シナリオ作家・評論家の内館牧子氏の著作「カネを積まれても使いたくない日本語」、匿名の母のツイッター投稿「保育所落ちた、日本 死ね!!」などはどうかと思う。その3つを例に考える。

 前二者は何も著名人の著作である。そのために面だって批判した評者はいなかった。
 しかし、有名になった「日本 死ね!!」は匿名であったためか、ちょっと謎っぽいところもあって各所で評論家達も取り上げ、便乗して政府の無策を指摘していたが、この日本語表現をネガティヴにとらえた論評は少なかった。私は最悪の日本語の代表にあげたい。にもかかわらず2016年の「ユーキャン新語・流行語大賞」のトップ10に選ばれた。日本の言語文化がここまで来たか・・とさえ思う。

 今の時代、私は「攻撃的本音」をむやみに出す危険な時代と掟えている。トランプ氏は正しくその一役を担っている。
 本音を噴出させると言うことは、建前や知性そして理性の後退を意味する。それは、人間が持っている本能、欲望をむき出しに前面に押し出すことに他ならない。こうした本音を出して拡張しようとする動きは、社会の形成の根幹を否定するもので残念である。

 人々が本音をはびこらせていく先にあるのは「社会の野蛮化」である。「社会の野蛮化」が行き着く先は金と力、富と権力が大っびらに支配する社会に行き着く。そこでは、富と権力をいかに守り広げるかがすべてとなる。

 浜矩子同志社大学大学院教授は教育者である。経済論理からアベノミクスを支持していないのはわかるが、相容れない論理に対しても、その論者に対しても敬意が必要である。教育者として下品である。資質に問題ないのか??大体、アベノミクスがあるからこそ氏の論理の存在価値があるのではないか??それをパロディ風に言い換えるなど教育者としては如何なものか?多分、題名に惹かれて著作は売れたのだろう、似た内容の本を出し続けている。アベノミクス様様でないのか? 私も資料として購入した。氏の主張も取るべきところは多いが、総じて正しいのか?今の所、私は判断できない。

 内館牧子氏は作家として日本語の乱れを看過できないのであろう。著作「カネを積まれても使いたくない日本語」はその題名自体が、私から見れば題名そのものが下品で、そのままで日本語の乱れを表している、と思う。私は購入して参考にしているが、内容的には氏の視点に共感できる点は少なくない。この本の存在価値は十分ある。
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