マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

川勝知事の1年

2010年07月09日 | カ行
 昨年の選挙前、私は候補者の評価をしましたが、川勝知事には40点という点を付けました。そして、「川勝さんに入れるしかない」という消極的な理由で行動しました。

 1年たってみて、成績を付ける責任があると思います。私の評価は30点です。理由は以下の通りです。

好かったこと

・私の質問に2度にわたって(部下に丸投げしないで)自分で返事をくれたこと。
・僻地にまで自分で赴いて住民と話したこと。
・沼津の貨物線駅の必要性に疑念を呈した事。
・佐久間ダムの「排砂トンネル」の意義に疑念を呈した事。

悪かったこと

・教育長人事で「教育委員会部局の順送り人事に従って」安部徹氏を遠藤教育長の後釜として任命したこと。これは物凄く悪い(教育界の腐敗堕落の原因が「教育長と校長がグルになって消化試合をしていること」だということを知らないのか)。川勝知事の「教育が一番大切」という言葉が調査研究に基づいていないことを証明し、その言葉を反故にした。
・2人の女子中学生の自殺事件の時、自分で調査せず、地元の教育委員会に丸投げしたこと。
・県立文化芸術大学の理事長に有馬さんを据えたのも大間違いです。

・副知事を、みな、職員出身者で固めたこと。それのほかに、「リーディングアドヴァイザー」とやらを作ったが、副知事の中に民間人(特に女性)を入れるべきでした。

・担当課に答えさせるべき事柄を自分で答えた事。そのため、県庁職員が県民の質問に答えない悪習(石川時代の終わりころから)が治っていないこと。

・ホームページもメルマガも変わっていない。ブログでの「週間活動報告」もない。即ち、 「開かれた見える県政」は嘘だったということです。大阪府の橋下知事は毎週のメルマガで自分の言葉で府民に語りかけています。例えば、こんな具合です。

──先週6月24日木曜日、府教育委員と意見交換を行いました。知事に就任して以来、今回で7回目になります。今回の論点は3つ。1つ目は教育行政の意思決定機関である教育委員会議に、私も参加したいという考えを表明したことです。

 現在の教育委員会制度は、戦前の政府による教育への過度の介入による弊害を教訓に、政治と教育との分離を大きな柱として作られたものです。もちろん現代社会においても、政治家が自分の主義主張で教育内容を自由に変更することは許されません。しかし、大阪の子ども、大阪という都市の未来を預かる知事として、教育の水準というものには責任を持たなければならないと考えています。現在、私には教育委員の任命権はありますが、大阪の教育の大方針を決める教育委員会議には出席することができません。是非とも府の教育委員会会議規則を改正して、私も教育委員会議に参加できるようにしてもらいたいとお願いしました。

 2つ目は、私と教育委員会の共同メッセージについてです。教育にはさまざまな役割がありますが、私は大人になった時にきちんと稼ぎ、ご飯を食べる能力をつけさせることが非常に大切だと考えています。昨年度はアジア諸国、そして先日はヨーロッパの教育現場を視察しましたが、いずれも世界との競争を見据えて教育を行っています。こういう実態を見ると、今の大阪・日本の教育で世界との競争に打ち勝ち、稼げる職、自分が納得できる職につくことができるのかどうか、危機感を抱かざるを得ません。

 まずは、私や教育委員が大阪や日本の子どもをとりまく厳しい現状を直視し危機意識をしっかりと共有することが重要です。今後、このような認識のもとしっかりと教育に取り組んでいくというメッセージを発信していきたいと考えています。

 そして3つ目は小中学校教員の人事権の市町村への移譲についてです。私は小中学校については、住民に身近な市町村が教育内容から教職員人事についてもトータルで責任を持つべきだと考えています。そして府教育委員会は大阪全体の教育目標を示し、市町村教育委員会の取組みを評価、チェックし改善につなげていく。そうすることで大阪全体の教育水準を確保することが府教委の役割です。今回は、教育委員の皆さんからも色々な意見が出されて、結論には至りませんでしたが、これからもしっかり議論していきたいと考えています。(引用終わり)

・静岡空港に力を割き過ぎです。これは静岡空港対策のNPOでも作って、石川前知事にボランティアでトップをやらせれば好いと思います。

・「富士山の日」は狂気の沙汰です。

結論

 私も50年以上社会運動に関わり、それを理論的に研究してもきました。かつては社会主義者でしたが、次第に離れました。その点は拙著「マルクスの空想的社会主義」にまとめました。

 今では、経済体制がどうあるかということよりも、政治には絶対に必要不可欠な「行政」というものをどうするかが根本的な問題だと考えています。行政組織を住民に奉仕するものとして機能させるか否か、です。

 ソ連共産党が変質を始めたのは、スターリンが書記局(つまり共産党内の行政機関)を乗っ取って、それを梃子にして政治局を制圧したからです。今、民主党は「政治主導」とやらを標榜しながら、四苦八苦しています。

 政治家が行政組織を使いこなすためには、「改革意欲を持っている」のは当然の前提条件ですが、それだけではだめで、その上に行政の仕組みと実情を研究しなければならないのです。

 首長になった人は、その就任の最初の日から沢山の決済しなければならない事に直面します。しかるに、ほとんど全ての首長は行政がどう動いているかを知らず、何の準備もないままで首長になりますから、「これは大変だ」と悟ります。その時、ほとんどの人は「職員に丸投げするしかない」と、改革派を離脱するのです(北脇前浜松市長も鈴木康友現市長もこの道を辿りました)。ごく少数の人が、直面した問題と取り組んで改革を貫くのです。この例外がかつての田中康夫長野県知事であり、今の橋下大阪府知事です。

 川勝知事はどっちでしょうか。全体としては離脱派です。そもそも改革派だったと言えるかもあやしいです。ともかく、県政を研究していなかったし、知事になっても研究していません。全体として、思いつきで行動しています。選挙前、新聞に「自他共に許す学究肌」とありましたが、とても学究肌とは言えません。

 学者であるためには次の3点が必要です。①一貫した方法をもって対象に立ち向かうこと、②対象の根本から始めて枝葉の方へと順序好く調査研究を進めること、③研究の結果を体系にまとめること、です。川勝氏の遣り方にはこの3点のどれもが欠けています。

 思いつきでやるから、たまには好い事もするが、計画性も一貫性もありません。知事の才能がないと思います。

 しかし、他に適任者がいるでしょうか。「?」です。つまり、静岡県には希望が無いということだと思います。いや待て。これで終わったら絶望です。

 政治は国民の姿を写す鏡でしかありません。静岡県知事に碌な人が出てこないのは、県民の主権者意識が低い事の結果でしかありません。従って、これを高める地道な努力にしか希望はありません。

 具体的に提言します。まず、よそではやっている「議員に通信簿を付ける会」を始めることです。県議についても市町の議員についても通信簿を付けることです。これくらいなら出来るでしょう。

 次はかなり大変ですが、学校ホームページを批評する会を作ることです。対象となる学校に無関係な地域の人が互いに作り合うと好いと思います。基準が分からないと言うなら、さしあたっては私の提言している「学校ホームページの必要条件」を使うといいでしょう。

 最後は、県政なり市政なりの「カウンター・ホームページ」を作ることです。これも会を作って協力してやるといいと思います。

 こういうことをすると、批評された人々が反省してくれるという直接的なメリットがあるだけでなく、批評する人(つまり住民)自身の行政に対する理解が深まり、見方が鋭くなるという根本的な改革が達成されるのです。そうなると、選挙で首長を選ぶ際に、マニフェストなどではなく、その候補者が行政をどの程度調査研究しているかで判断できるようになるのです。

 これ以外に、行政を改革する正道はないと思います。

コメント
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