マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

私の研究生活

2014年10月24日 | 読者へ
 「ブログ入力をお休みになり、『小論理学』、『関口ドイツ文法』御改訂・御完成に集中して頂き度存じます」という読者からの意見について、箇条書き的なお返事をします。

第1点。私は「常に数本の連載を抱えている流行作家」のように、複数のテーマを同時進行的に追求しています。
 
ベースに成っているのは、ブログ百科事典としての「マキペディア(第一と第二)」の拡充の仕事と時々に出てきた問題への意見表明です。その上に、主たる仕事や従たる仕事があります。それは、現在なら、それぞれ、『小論理学』(未知谷版)の仕事と『関口ドイツ文法』第2版の仕事です。

『関口ドイツ文法』の第2版のための準備は常にしていますが、それは主として用例集めです。今は、その『小論理学』(鶏鳴版)の改訳の仕事の中で出てきたものを集める事が中心です。が、文法は本質的に比較文法だということを最近、特に意識するようになりましたので、英訳2種類のほかに仏訳2種類も見るようにしています。ただし、仏訳にはZusatzの訳はありません。先日までは朝日新聞に『こころ』が連載されていましたので、英訳の新しいのを入手し、仏訳も取り寄せて、使いました。

最近、特に強く意識するようになった第2の点としては、ドイツ文法を「比較文法的に」研究するからと言っても、何も原典としてドイツ語のものを採用するのが正しい、という事にはならない、という事です。なぜなら、或る「意味形態」を表現するための「文法形態」をすべての言語が持っている訳ではなく、特定の言語しかそれを持っていないという事があるからです。例えば、日本語の副助詞の「ハ」がその例です。です。これの主たる機能は「主題の提示」です。「主語の提示」ではありません。

関口存男でさえ三上文法を知らなかったために、「ハ」を主語を表すものと理解し、「総主論」の立場に立っています。関口が「強調的先置」としているものは、8割くらいは「強調」ではなく、「提題的先置」というべきものだと思います。例えば、Das weiß ich schonのDasです。ですから、関口自身、「強調的先置」は「何々は~」と訳すと当たる、と言っています。

そうすると、例えば「フランス語独特の文法形態」が出てきた時、「独英日はそれをどう処理しているかな」という問題意識を持つことができるのです(本当はロシア語なども読めるといいのですが、私の語学力では無理です。済みません)。従って、少し遅きに失した感がありますが、今では、原典としては独英仏日を均等にするように気を付けています。

幸い、特に仏訳との比較で新しいことに2点、気づきました。その1つは「事が事だから」という日本語をどう処理するかです。独と英は言わば兄弟か姉妹関係の言語ですから、両者で一致することは多いですが、仏を見てみますと、異なっている場合が結構あります。

第2点。私が「休憩」と言いますのは、今の場合で言いますと、その「主たる仕事である『小論理学』の改訳を先に進めることを中断する」ということです。そして、それに関連したことをするということです。今回は、本質論まで終わったので、関連したものを読んで反省してみようと思ったのです。選んだのは、寺沢恒信訳『大論理学2』(本質論)への「付論」です。

寺沢は、『大論理学1』(存在論)で初版を読んで再版との違いを知ってびっくりし、両者の比較をしました。それが「哲学する」ことだと思ったようです。幸せな人です。ともかく訳文以外に書くことが出て来ました。その内容については、特に「始原論」については、既に批評を書きました。

ヘーゲルは「本質論」も再版を書くつもりだったようですが、突然の死で叶いませんでした。そこで寺沢は「再版が書かれていたらどうなっていただろうか」という問題を立てました。今回は比較対象として再版の代わりに『小論理学』を選びました。いくつかの点で両者を比較していますが、「比較的簡単な場合から検討」するということで、「現実性論」の比較から始めています。それを読んでみて、「違うのでは」と思いました。寺沢の結論は「再版が書かれたとしても現実性論は初版とほとんど違わなかっただろう」ということですが、疑問を持ちました。

まず、『小論理学』の現実性論の第142節から149節までを「前書き」として、小題の付いている第150節以下だけを「本文」としていることです。そもそも寺沢は「内容目次を付ける」という「方法」を実行していません。知らない訳ではないと思いますが。

『大論理学』には『小論理学』のような「節」はありませんが、それでも「文脈を明確にするために」、場合によっては適当な「段落」の頭に「内容見出し」を付けた方が好かったと思います。特にヘーゲル読解ではこれは必須だとさえ思います。「訳注の中で文脈の説明はしている」と言うかもしれませんが、不充分です。ゼミでもそういう練習を指導していませんでした。

第3点。他者を批判するなら対案を出さなければなりませんから、私は『大論理学』の現実性論を読み直しました。大したことはありませんでした。一読してこれがスピノザ論だと分かります。ここで出てくるのは「実体」「属性」「様態」ですから。実際、ヘーゲル自身、「スピノザの哲学とライプニッツの哲学」と題した注釈を付けています。

ではなぜここにそれを出したのでしょうか。私の考えでは、ヘーゲルとしては、スピノザの実体・属性・様態の概念をどこかで扱いたいというか、扱わないわけにはいかない、と考えたのでしょう。しかしどこにどう位置づけたらよいか、自信が持てなかったので、ここに置いたのだと判断しました。

私は続いて『哲学史講義』でスピノザとライプニッツを読みました。これも別段の事はありませんでした。しかし、それと並行して「『イエーナ論理学』でも読んでみるかな」と思って読んだのが大成功でした。

ラッソンの編集した哲学叢書版で読んだのですが、その48頁に「ヒュームによる必然性の証明の否定」が出てきます。ここでひらめきました。「ヘーゲルは因果等の必然的関係をどうしたら証明できるかと考えたのだ」と。そして、カントの答えでは満足できなかったヘーゲルは、「1つのものの2つの部分ないし側面」と理解しなければ「必然的関係」は証明できないと気付いたのです(一番分かりやすい例を出しますと、作用と反作用は1つの力の2つの発現形態ですから、同じになるに決まっているわけです)。それが実際には実体性の相関関係と因果性の相関関係と相互作用の関係となったのです。ですから、この3つは必然性の下位形態なのです。

『哲学史講義』でもヒュームの所を読み返してみましたが、そのような事は全然書いてありませんでした。せめて「問題に気づかせてくれてありがとう。自分の見解は必然性の3形態です」くらいの事は書いてもよかったでしょうに。そうすれば、『哲学史講義』なら『イエーナ論理学』よりはるかに多くの人が読みますから、気づく人も出ていたと思います。

寺沢は卒業論文で、たしか『イエーナ論理学』の「目次」か何かを、原稿のドイツ文字が紛らわしくて、編集者が読み違えたのだろう、とかいった推測を書いたはずです。ゼミで得意げに話していました。目次だけでなく、内容も読めばよかったのに、と思いました。

「再版でどうなったか」は分かりません。私なら、『大論理学』の「本質論」の第3部の「現実性」は、偶然性と可能性と必然性に三分し、最後の必然性の下位形態として上の3つを置きます。そして、相互作用から「世界の一般的相互関係」を引き出して、「概念(の立場)」を導出します。要するに、「弁証法の弁証法的理解(2014年版)」の第4節のようにします。

『イエーナ論理学』の76頁では「相互作用で相関関係の概念が成就された」として、そこから「思考の関係〔概念の世界〕」即ち「普遍と特殊」に移行した」と結んでいます。この時点(1802年頃かな)では「個別」は入っていなかったようです。

第4点。ついでに、寺沢の最大の欠点は「自分の哲学の反省が欠けている」ことです。自分の『弁証法的論理学試論』で「発現の論理」の中に「必然性と偶然性」を入れ、「発展の論理」の中に「現実性と可能性」を入れたこと及びその内容を全然反省しておらず、再検討していません。これでは哲学とは言えないでしょう。

5点。この現実性論には2つの「実体」が出てきます。これをどう考えるかも問題ですが、そう難しくはありません。スピノザ的実体は、「宇宙の実体は何か。物質的なものか精神的なものか」といった場合の「実体」です。これを「宇宙論的実体」と名付けましょう。もう一つの「実体」は「機能」に対立する実体です。機能や性質の担い手としての実体です。Substanzen(諸実体)という複数形が出てくるのはそのためです。これを「個物的実体」と名付けましょう。

第6点。かくして私の今回の「小休憩」は「大休憩」となりました。時間的に「大休憩」に成っただけでなく、内容的にも「大休憩」になりました。学問ですから、こういう事のあるのは仕方ありません。

「これくらいの事にこんなに時間がかかるのか」という批判もあるかと思いますが、私は本を読むのが遅いのです。それに勉強時間が短いのです。白川静は午前も午後も夜も勉強したそうですが、そんな事をしたら私はいっぺんに病気になってしまいます。ですから私は「鈍足のマラソンランナー」なのです。

「休憩」はまだ終わっていません。今、許萬元の『ヘーゲルにおける現実性と概念的把握の論理』の中の圧巻である第3章(「現実性の実践的概念」)の再検討にかかりました。この後、「概念論」の冒頭の「概念一般について」もこの際読み返すつもりです。しかし、もうそう長くは掛からないでしょう。ともかく『小論理学』(未知谷版)の仕事はしているのです。

 第7点。意見をくださったKさん(実名は分かっています)の発言の仕方について一言します。こういう意見を言う場合は、「『小論理学』(鶏鳴版)または『関口ドイツ文法』を自分はどう使って、どういう感想を持ったか」といった発言もほしいものです。そうでないと「自分の事を言わない醜い日本人」に成ってしまいます。自分の頑張っている様子を発表するのが他者を励ます最良の方法だと思います。

 「マキペディアを読んでいます」との言葉を聞くこともありますが、「本当に読む」とは「それについて小論文程度の文章を書く」場合だけだと思います。その程度の文章も書かないのは「文字面をなぞっている」と言うべきだと思います。メルマガ時代に比べて、内容のあるコメントを書いて下さる方がほとんどいなくなりました。寂しいです。

 第8点。「ブログ入力をお休みになり」と言いますが、この「休憩」の間に発表しました「実証主義的社会学の意義と限界」とか「理論と実践の統一の真意」などの文章をどう考えているのでしょうか。つまり、『小論理学』等の仕事とこれらの論文との関係をどう考えているかということです。

私は、これらの論文のような考え方が出来るようになるためにヘーゲルを勉強しています。つまり、こういう論文で世の中の間違いを正す仕事が「目的」で、ヘーゲル研究はそのための「手段」です。又、関口文法の研究は「ヘーゲルを一層自信を持って読む」ための「手段」です。

皆さんはどういう目的で私の仕事を待っていらっしゃるのでしょうか。それを自分にはっきりさせてほしいと思います。と言いますのは、どうもこの点の曖昧なのが皆さんの勉強が進まない原因ではないかと推測するからです。「目的」がはっきりしないと、自分の勉強(研究)が十分か否かを「測る尺度」が無いことになるからです。

上に述べましたように、私の研究では「目的」がはっきりしています。ですから、才能の無い私でもいくらかの成果を上げることが出来たのだと思っています。我が人生の本当の目的は「公正な世の中にしたい」ということです。ですから、2011年の市長選挙に「仮」立候補さえしたのです。今でも、機会さえあれば政治ないし行政に関わりたいと思っています。この点でも私は、フランス革命に対する共感を終生持ち続けたヘーゲルの弟子です。

第9点。寺門伸の研究についても同じ欠点があると思います。皆さんから教えていただき、また友人のSさんから「かつて寺門さんとは三修社の『Mein Deutsch』の編集で一緒に仕事をしていた」と聞いて、自分の無知を反省しました。別の文章を書くほどの事もないと思いましたので、ここに短評を書きます。

意味形態論(1999年)のほかに2001年に発表したらしい「二重否定について」の論文を読みました。とても驚いたことには、そこに「意味形態」という言葉が全然出てこなかったことです(もし私の見落としでしたら、教えてください)。何のための「意味形態論研究」だったのでしょうか。意味形態論は文法研究のための「方法」の1つなのです。実際の文法研究の前に意味形態論を研究するとは、「水に入る前に泳ぎを習う」という正真正銘のカント主義です。この場合のように、「意味形態」を論じた後での文法研究にその意味形態論を使わないのも同じです。成果の出ないのは当たり前です。

内容的にも「意味形態」という言葉を使えば簡単に済むところがあります。nicht schlechtです。つまり、「文法形態」としての二重否定(1つの文の中にnichtを2度使う)は「意味形態」としての二重否定の1つの在り方でしかないのです。このように「文法形態」と「意味形態」を対比的に使えるようにならなければ意味形態論を書いても意味がありません。

そもそも寺門のこの論文には区切りがなく、全体の論理構成が見えにくくなっています。「(論理学でいう)論理」という言葉が2回出てきますから、論理学を勉強した事はあるのでしょうが、「文章全体を論理的にまとめて、題を付けて章節にまとめる」練習をしていないようです。

参考までに、私の案を次に書きます。

第1項、問題の確認
第2項、二重否定の二義(1頁の下から5行目の「二重否定というと~」以下)
第3項、それの検討(3頁の中ほどの「このことを~」以下)
第4項、二重否定の変種(3頁の下から3行目の「ところで」以下)
 その1、nicht ohne(4頁の中ほどの「これだけでは」以下)
 その2、nicht schlecht(5頁の1行アキの後から)
第5項、二重否定の二義性の根拠(6頁の中ほどの1行アキ以下)
第6項、第5項への注釈、
 その1(7頁の8行目以下)
 その2、(7頁の下から9行目以下)
 その3(8頁の6行目以下)
第7項、二重否定の第3義(「例外なし」)(9頁の頭から)

 私も『関口ドイツ文法』で「二重否定」(1215頁以下)を扱いましたが、内容的には寺門から学ぶものはありました。感謝しています。しかし、関口が既に指摘している「二重否定の変種」(拙著の1217頁)に気づかなかったのはなぜでしょうか。Dudenに載っていないからでしょうか。大欠陥です。

又、「ところで」という「つなぎの言葉」が合計3回出てきますが、これは前後の「論理的関係」を全然示していない言葉ですから、学術論文では原則として使うべきではないと思います。

第10点。要するに、応用しない「理論」などというものは無意味だと思います。寺沢も「認識論」という言葉の好きな人でしたが、「議論の認識論」ひとつ発表していません。

或る時、ゼミの終了後、自治会をやっている大学院生が、大学院生の自治会には学部学生の自治会とは別に独立した権限(大学の在り方について意見を言う権限)を認めるようにとかいう問題で寺沢に意見を言いました。当時、寺沢は、その問題での大学側の委員の一人だったからです。両者譲らず、寺沢は徐々に激してきました。私はここで退席しましたから、その後どうなったかは知りません。

又、博士課程の入試の口述試験ではこういう事がありました。私に対抗意識を持っていた寺沢は「この『存在論』とか『認識論』という言葉はどういう意味で使ってるの!」と、喧嘩を売るような口調で聞いてきました。私は一応答えたのですが、寺沢は「答えられないのは当然で~」と言って、私の日頃の態度を非難しました。「議論は対等な立場でしなければならない」という事すら知らないようです。楽しい思い出です。インターネット時代の今まで生きていてくれたら、面白いことに成っていたでしょうに。

寺沢の名誉のために、冷静な時は公正に振る舞う人でもあるという実例を1つ。1967年秋、許萬元の博士論文「ヘーゲルにおける現実性と概念的把握の論理」の完成と審査のために、彼は指導教官である寺沢としばしば二人だけで会うことがありました。その頃、私の論文「『フォイエルバッハ・テーゼ』の一研究」が都立大の哲学研究室の雑誌『哲学誌』に載りました。或る時、寺沢は「許君と牧野君は似てるなあ」とつぶやいたそうです。許萬元から聞きました。

第11点。今、「関口独和辞典抄」を最後まで作り上げることを精力的にやっていますが、これは、「これを、荒っぽくても、とにかく最後までやって『枠組み』を完成させておかなければ、仕事がやりにくい」と判断したからです。

こう考えれば、『関口ドイツ文法』でさえ、今後の前進のための「枠組み」を「とにもかくにも作った」だけでしかないことが分かります。しかし、近いうちに出るであろう『小論理学』(未知谷版)を「鶏鳴版」と比較すれば、この「文法」をまとめたことには大きな意義のあったことが誰にでも分かるでしょう。

いや、敢えて言いますと、ヘーゲルの「エンチクロペディ」でさえ、「枠組み」を提示しただけと言ってもいいくらいです。「だけ」は言い過ぎとしますと、「内容的にも大筋で正しい枠組み」を作ったものだと思います。ヘーゲルは「内在的導出による体系こそが真の学問だ」と言っていましたから、そのような体裁を整えてはいますが、ごまかしている所も多いです。そういう事は一個人に出来る事ではありません。本当にそれが出来ているならば、第2版でなぜ第1版の文章を直したのでしょうか。

 ヘーゲルは「知っていることと認識していることとは違う」ということを言っていますが、それを判別する基準は「知識が『包括的な体系』にまとめられているか否か」です。まとめられていない「知識」でもその中には高低の段階があります。「包括的な体系」にもいろいろあり、高低の区別があります。しかし、この根本的な区別をまず考えなければなりません。この「学問の根本条件」を明確に主張して実際に示したのがヘーゲルの不滅の功績だと思います。私が、「今の大学は、東大を含めて、皆、専門学校でしかない」と言うのは、こういう「学問とは何か」の問題が「その大学の全活動の中心に据えられていない」と考えるからです。

寺門が「二重否定の変態」を見落としたのも、多分、これと関係しています。「二重否定」だけで関口の全著作を調べ直すのは大変ですから、それをしなかったのです。しかし、初めから「ドイツ文法の全体を自分なりにまとめよう」という「目的」を持って関口の言葉を集めて整理し、自分でも用例を集めて整理していたならば(私は不充分ながらそうしたのですが)、その中には「二重否定」という項目があったでしょうし、その項目には多分「二重否定の変態」が収集されていたでしょう。「包括的で体系的に」まとめる事にはこういう意義があるのです。全体像を無視した「部分の研究」は、理工系ならいざ知らず、人文系の学問では学問たりえないのです。

 日曜大工を始めた頃、家(親の家)で付き合いのあった棟梁に「大工の修業って、何から始めるのですか」と聞いたことがあります。答えて曰く、「カンナ掛けだね。カンナ掛けをすると、仕事の全体が頭に入ってくるんだよね」。この「理由」が印象に残りました。「常に仕事の全体像を持とうとし、部分に携わっている時でも、その全体像を正確にしてゆくことを忘れないこと」。これは誰でも「無意識には」していることなのですが、これを意識化して提示するのが哲学の仕事の一つだと思います。

第12点。かつて「物陰から人を打つような卑怯な事はするな」というような事を言いましたので、最近は名前を書いて意見や批判をする人が増えました。しかし、なぜ名前を書く必要があるのかまでは考えていないようです。それは、その批判者に「批判する資格」があるかを誰でもが確かめられるようにするためだと思います。

批判は自由と言っても、資格が必要な場合もあるのです。ですから、自分の実績をきちんと発表していないと「批判する資格」があるか否か、他の人には判断できませんから、名前を書いただけでは無意味なのです。

 時枝国語学の信奉者や三浦つとむ哲学の支持者はよく牧野批判をしてくれます。多分、偽名を使って。しかし、「関口ドイツ文法」をまとめた人を批判するためには、まず自分自身に「時枝日本語文法」という題の「包括的で体系的な日本語文法」を出してある必要があります。あるいは、「三浦哲学の論理的再構成」といった本を出すことが先決です。その前に他者批判をするのは本人にとっても学問にとっても有害無益です。時枝や三浦はこういう事すら教えていないのでしょうか。情けない学問です。

 第13点。そうはいっても、いつまでも「休憩」しているわけにはゆきません。12月で75歳になります。仕事をし残して死んだ関口さんの轍を踏まないようにと戒めています。後十年くらいは出来ると考えて、すべき仕事の重要性と必要時間を考慮し、全体の割り振りを間違えないようにしなければならないと思っています。

一番警戒しているのは交通事故です。かつて「文法」の校正で疲れた時、自律神経失調症になりました。運転していて、ブレーキを踏もうと思っても足が動かなくてあわてました。田舎でしたから、大事には至りませんでした。2度とそういう事のないように、「勉強をしない日」を意識的に作っています。しかし、今回の「大休憩」ではやはり「頑張りすぎたかな」と反省をしています。少し疲れました。文字通りの「休憩」が必要です。

19日には縄文楽校の稲刈りに参加してきました。秋晴れで楽しかったです。何年振りかな、と考えてみたら、大学院生だったころ、信州で勉強していた時、近所の農家に「やらせてください」と言ってやった時以来なので、50年ぶりだと気付きました。5月の田植え(手植え)は、たまごの会の八郷(やさと)農場(茨城県)でやったので、30年ぶりくらいだったと思います。

そういうわけで、間もなく「主たる仕事」に戻る予定です。今後もどうぞよろしくお願いします。

2014年10月24日、牧野紀之
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