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検察庁(02、内部告発)

2008年08月08日 | カ行
 「辞めな、いかんな。辞めて、やるしか、ないな。それをやるなら」。

 2000年09月05日夕、東京・赤坂のホテルの一室。三井環(たまき)・大阪高検公安部長(当時)は朝日新聞記者の前で逡巡し、悩んだ。情報提供者への謝礼などは本来は使うべき調査活動費(調活費)の裏金流用を実名で告発するかどうか~。

 元部長は、高知地検次席検事時代の部下の事務官らから聞いた話をもとに、偽造領収書と虚偽の伝票で調活費が裏金にされ幹部の飲食に流用された、と語った。ただし、調活費の流用を裏付ける帳簿のコピーなどはなかった。不正の日付など具体的事実も知らなかった。取材や報道にあたって検察内部に情報源がいると明らかにすることに難色を示し、取材開始から記事化までの期間についても「1週間くらいあくとこちらがやられる」と条件をつけた。

 記者「三井さんの名前を出せない、となると、三井さんに語った人に聞かざるを得ない。具体的な資料がないと、詰めても、逃げられる。検事が被疑者を調べるのと同じですよ」。
 元部長「私がしゃべれば記事になると思ったんだが」。
 記者「三井さんが捜査権力として、こういう事実を認知した、と言えば、書けますよ。公安部長ですから」。

 元部長「私が出れば?」
 記者「出れば、簡単なことですよ。今から原稿を送っても(記事になる)」。
 元部長「私が表に立つか」。

 結局、元部長はこのとき、実名での告発に踏み切らなかった。そして約1年7ヵ月後、実名告発を決意し、テレビ局のインタビューを受けようとした当日、詐欺や職権乱用の容疑で逮捕された。

 1998年03月、中央省庁を対象にした情報公開法案が閣議決定され、国会に提出された。法務省はこれを機に、検察の調査活動費の適正使用を求める通達を出し、予算も減らすことにした。

 見直し作業の中で、1999年初め、調活費の乱用を告発する怪文書がマスコミなどに出回った。不正処理に直接かかわった事務官の内部告発とみられた。

 三井環・名古屋高検総務部長(当時)は怪文書を読んで、その内容をほぼ事実と確信する。そして、ある先輩検事を調活費流用で告発しようと考えるようになった。後に著書などでその先輩検事を「私を逆恨みした」と名指しする。

 三井元部長は2000年09月に朝日新聞記者と接触した後、月刊誌の記者らの取材に応じた。2001年初めから雑誌で、調活費の乱用を告発する記事が報じられるようになったが、情報源は伏せられていた。

 元部長が実名での告発を決意したのは2001年秋。先輩検事に対する調活費流用容疑での刑事告発を検察当局が不起訴処分
にしたからだ。「検察はクロをシロにした。検事として許せない、世論を喚起するため実名で告発するしかない」。

 それを実行に移そうとした矢先の2002年04月22日、元部長は現職の大阪高検公安部長として逮捕され、05月10日、起訴と同時に懲戒免職となった。一審、二審とも実刑を言い渡され、上告している。

 一方、検察の調活費は、1998年度の5億9740万円をピークに年々削減され、2007年度は7511万円になった。二審判決は「調活費の本来の目的、必要性には疑問が生じる」と指摘した。

 元部長は今回、朝日新聞記者の取材に対し、2000年09月の経緯を明らかにすることに同意した。仮にそのとき実名告発していたら、どうなっていたのか。元部長は「逮捕されず、検察は裏金を認めた。そういう可能性があった」と述べた。

 神戸市に自宅のある元部長は検察の裏金問題の追及を続けるため、近く、東京に拠点の事務所を開くという。

  (朝日、2008年03月20から21日。編集委員・村山治)


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