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関口存男(せきぐち・つぎお)

2006年11月23日 | サ行
 その生涯などの基本的な部分の表面的な事、普通に百科事典などに書かれるような点はウィキペディアなどの記述で十分でしょう。ここにはそれ以外の事を、特にその著作と学問内容と関口研究について書きます。

   著作

 著作はバラバラに沢山ありますが、生誕 100年記念に『関口存男著作集』(三修社)が編まれました。大体はこの中に入っています。まずその目次を確認します。

 関口存男著作集(ドイツ語学篇、全13巻)

01, 接続法の詳細
02, 独作文教程
03, ドイツ語学講話
04, ドイツ語前置詞の研究、和文独訳の実際
05, 独逸語大講座(第1、2巻)
06, 独逸語大講座(第3、4巻)
07, 独逸語大講座(第5、6巻)
  〔第5巻にはヘッセの「アウグストス」の注解があります〕
  〔第6巻にはリールの「無言の議員」の注解があります〕
08, 新ドイツ語大講座(上中下巻)
09, 標準初等ドイツ語講座
10, 趣味のドイツ語
  〔終戦直後の「月刊ドイツ語」の1年分をまとめたものです〕

11, ドイツ語冠詞、ドイツ語副詞、和文独訳漫談集、
  ドイツ語会話常用句集
12, やさしいドイツ語、科学者のドイツ語
13, 新ドイツ語文法教程(第3版)
  〔1932年の初版には初版だけにしかない長所があるのですが、これは第3版です。練習問題等の答えがなく、例文の訳もないために、「第4版」が出ました。と言いましてもこれは関口氏が自分で出したものではなく、第3版に藤田栄氏と橋本
文夫氏が「解答」を付けたものです。第4版は多くの図書館にあります〕

 関口存男著作集(翻訳・創作篇、全10巻)

01, ファオスト抄(ゲーテ)、
  海に潜る若者(シラー)、
  マルティン・ハイデッゲルと新時代の局面(フィエッタ)
  〔この巻の3つだけは詳しい語学的注釈が付いています〕
02~04, 阿呆物語(グリンメルハオゼン)
05, ミンナ・フォン・バルンヘルム(レッシング)、
  カミリア・ガロッティ(レッシング)、
  抒情挿曲(ハイネ)
06, 鉄手のゲッツ(ゲーテ)、
  エグモント(ゲーテ)、
  トルクワット・タッソー(ゲーテ)
07, 年代記録(ゲーテ)
08, 盗賊(シラー)、
  ヴァレンシュタイン(シラー)、
  ヴィルヘルム・テル(シラー)
09, ニーベルンゲン(ヘッベル)
10, 素人演劇の実際(関口存男)、
  ラ・フォンテーヌの寓話(関口存男)、
  首相の親友(関口存男)

 別巻『ドイツ語論集』
 〔これは、戦前、氏が主宰した雑誌『独文評論』や『独語文化』に載った論文の内、価値あるものを三修社で編集して、著作集の別巻として著したものです〕

 この著作集に入れられなかったものは以下の通りです。

 冠詞(全3巻、三修社)

第1巻、定冠詞篇
第2巻、不定冠詞篇
第3巻、無冠詞篇

 これは生前に参照箇所の頁の記入がなかっただけで、後は全部出来ていたものを、それぞれ、死後の1960年、1961年、1962年に直弟子たちが出版したものです。3巻で全2200頁の大作です。

 その他、読本の教科書として注解の付いたものがいくつかあります。

01, 理髪師チッターライン(ヘッベル作)(三修社)
02, 湖畔(シュトルム作)(三修社)
03, 労働術(ヒルティ作)(三修社)
04, 拾い子(クライスト作)(三修社)
05, 学識と学者(ショーペンハウエル作)(三修社)
06, 真意と諧謔(ヴィンクラー作)(三修社)

 戦後の NHKのラジオドイツ語講座の担当も、ウィキペディアの経歴では、「1955年から死まで」となっていますが、これの根拠は追悼文集{関口存男の生涯と業績」に載っている「関口存男年譜」だと思います。しかし、これはひょっとすると「1956年から死まで」が正しいかもしれません。

 と言いますのは、このラジオ講座を当時のオープンリールの録音機で録音した人がいまして、それをダビングしたものがあるのですが、それは1956年04月02日から1958年07月05日までだからです。

 そして、その最初の日の挨拶が、「昨年度に引き続いて又、新たに始める」という感じではなく、「〔長い間の中断の後ではあるにせよ、ともかく〕新規に始める」という感じだからです。

 初級用の訳注書としては以下のものがあります。

01, 7番さん、御用だよ
02, 人に金を借りるべからず
03, 或る実験
04, ピタゴラスの定理
05, 願掛け指輪(レアンダー作)

 このほかに弟子の名前で出したけれど氏が監修した訳注書がいくつかあります。
 これらの訳注書および関口の出した雑誌については、「絶版書誌抄録」を参照。

 氏の主たる著作は以上ですが、補足が必要でしょう。

 戦後の雑誌に執筆したもので入手出来る形になっているものは「趣味のドイツ語」にまとめられたものだけですが、そのほかにぜひ残しておきたいものとして「移轍(いてつ)」という論文があります。

 これは雑誌『基礎ドイツ語』(三修社)の1952年04月号に載ったものですが、題名からほぼ推察できますように、或る構文を予定して言いはじめたのに、途中から何らかの理由で別の構文に移ってしまう言い方のことです。

 日本語でも同じですが、こういう事は言語現象には沢山あるのでして、ドイツ語についてそれを詳しく展開した素晴らしい論文です。これはぜひとも入手しやすい形にしたいものです。

   伝記

 自伝みたいなものとしては「わたしはどういう風にして独逸語をやってきたか」があります。これは最初、雑誌「月刊ドイツ語」に連載したものです。そのため『趣味のドイツ語』の巻末に収録されています。又、追悼文集『関口存男の生涯と業績』にも入っています。なお、この追悼文集は2006年11月、POD 版(オン・デマンド出版)として復刊されました。

 伝記はありません。伝記らしいものとしては、2004年の1年間、雑誌『現代思想』(青土社)に池内紀(いけうち・おさむ)が連載しました「言葉の哲学者」しかないと思います。

 池内のこの作品は、関口氏の生涯については可能な限りよく調査して書いていると思います。しかし、氏の語学の内容については独自の観点も研究もなく、ヴィトゲンシュタインの語句との表面的な比較があるだけです。

 これは加筆して単行本として出版されるという噂がありますが、まだ出ていません。(その後、2010年10月に出ました)

   研究書

 研究書としましたが、これほどの関口文法(と人々は呼んでいます)について本格的に研究したものは皆無と言っていいでしょう。従って、この欄に記すべきものはないのですが、そう言っては身も蓋もないので、少し欄を埋めることにしましょう。

 なぜ関口研究がないのでしょうか。『関口ドイツ語学の研究』(鶏鳴出版、1976)を出した牧野紀之は、その「関口文法と私」(雑誌『ドイツ語研究』三修社、第2号、1980年)の中でこう言っています。

 「まあ、何を研究する時でもそうなのでしょうが、とくに関口文法を研究する時には、武器をもって立ち向かわなければならないということです。その武器というのは、この点なら自分の方が関口氏より上だという点のことでして、その点を武器にして、その点から関口文法を捉え直すということです。」

 関口氏を何かの点で越えるものを持つのは大変だからでしょうか。これまで本格的な研究書は1冊も出ていません。

 上に言及しました牧野の本も、志は買えますが実力不足でした。相手にぶつかる前に倒れたという感じです。現在、根本的に書き直して「関口ドイツ文法」として出し直そうとしているという噂がありますが、これも噂です。

 牧野以外に関口を執拗に研究している人に、佐藤清昭がいます。佐藤はいくつかの論文を発表していますが、残念ながら、本にまとめる程にはなっていません。

 その他では細谷行輝を中心とする冠詞論研究会の活動が光ります。この会は1989年以来断続的に「ドイツ語学研究」という会誌を発行しています。2004年には第11号が出ています。

 これの第9号に佐藤清昭による「関口存男に関する研究文献リスト」が載っています。

 東京での研究会としてはかつて早稲田と慶応の教授たちが「関口文法研究会」の例会を持っていました。

 その中心人物は有田潤で、有田も早稲田大学の紀要とか自分で出した『ドイツ語学講座』(全4巻、南江堂)に論文を発表しています。

 今ではドイツ本国でも関心が高まっていると言われる関口文法ですが、この傾向を押し進めるには、まず氏の著作を独訳する必要があると思います。これまでに独訳されたものは本では『ドイツ語前置詞の研究』(訳者は佐藤、細谷、吉田保、諏訪功)だけ、論文では『ドイツ語学講話』に所収の「dochとは何ぞや」(訳者は江沢建之助)だけです。(その後、「独作文教程」が訳されました)

 この「前置詞の研究」の独訳には江沢建之助の文章(最初は講演)「関口存男の生涯」と言語学者のコセリューの「関口の言語理論と文法」(いずれも独文)が付録として載っています。

 コセリューは同僚の江沢から関口文法について詳しい説明を聞いたりして関心を持ったようです。そして、日本に来た時、関口のメモ集(用例集)を読んで、この論文を書いたようですが、やはり資料的に不十分すぎました。

 今、日本語の出来るドイツ人(ドイツ語を母語とする人)も急速に増えていますから、その内又新しい人が出るかもしれません。

     寸評

 関口存男ほどの語学者は二度と出ないのではないかと思われるほど凄い人でしたが、それは才能と努力の結果だと思います。こういう論じても仕方のないことはさておき、その方法について言いますと、それは有名な意味形態論によるものでした。

 この方法については何人かの人が論じていますが、見るべきものは牧野の前掲書の中での分析だけでしょう。

 これはヘーゲル哲学と弁証法的唯物論の立場から意味形態を捉え直したものです。牧野にはこのほかにも「関口存男とソシュール」という論文(至文堂の雑誌『国文学、解釈と鑑賞』1992年1月号に所収)があります。これも弁証法的唯物論の立場から両者の方法を比較検討したものです。

 この事から推察出来ますように、関口の業績を捉え直すには独自の哲学がなくてはならないと思います。と言いますのも、関口の方法は彼自身が言っていますように、フッサールの現象学とハイデッガーの存在論に連なるものだからです。

 具体的には、それは発話者の立場に立って、発話者の意識以前の「気持ち」から出発して、それが現存の言語(今の場合ならドイツ語)に与えられている様々な表現方法のどれをどういう理由で選んでいくかという考察方法だからです。

 しかし、これは関口自身によっても必ずしも十分にまとめられませんでした。その証拠に、関口の多くの著作は形式文法の枠組みを前提して、それを意味形態的に理解し説明するという形を取っています。

 曰く、意味形態を中心とするドイツ語前置詞の研究、曰く、意味形態的背景より見たるドイツ語冠詞の研究。明記していないものも、題名は「接続法の詳細」「副詞」などとなっていたりします。

 完全に意味形態の立場からまとめたものは「独作文教程」1冊でしょう。

 この「古い革袋に新しい酒を入れる」という中途半端さは、関口が包括的文法書もドイツ語辞典も残さなかったことと結びついていると思います。

 思うに、語学の知識は大きくは文法書と辞書にまとめられます。それなのに関口はこのいずれをも残しませんでした。文法書としては「ドイツ語文法教程」がもっとも包括的ですが、それも「教程」という言葉が入っていることから分かるように、教科書ないし学習参考書として編まれています。辞書は独和辞典も和独辞典も1つも作りませんでした。

 関口と比較されることの多い英語学の斉藤秀三郎が文法書と辞書を作り、その1部はいまだに販売されているのを考えると、関口における「纏め方の拙さ」が浮き彫りになります。

 それに比して、教科書は手を替え品を替えて沢山作りましたし、NHK での初級ドイツ語講座は死ぬまで続けました。弟子に任せればいい仕事になぜこんなに力を入れたのでしょうか。

 又、関口が高く評価した存在論の理解と紹介についても、ハイデッガーの「存在と時間」の詳しい訳注書を出せばいいものを、そうしないで、3流以下の論文である「ハイデッゲルと新時代の局面」(エゴン・フィエッタ作)などという本の詳細な訳注書を出しました。目的と手段が一致していないと思います。

 この本は読んだ人がほとんどいないという無駄骨折りでした(しかし、関口やドイツ語を本当に勉強したいという人は、大変ですが読んだ方がいいと思います)。

 まあ、後世の関口継承者にわざと難しい課題を残して試練を与えたとでも解釈しておきましょうか。