♦️403『自然と人間の歴史・世界篇』第二次世界大戦(ヨーロッパ戦線・デンマーク)

2017-10-16 09:48:05 | Weblog

403『自然と人間の歴史・世界篇』第二次世界大戦(ヨーロッパ戦線・デンマーク)

 1397年、マルグレーテ1世の下、北欧三国によるカルマル連合(~1523)が成立する。1660年、絶対王政の時代であった。1849年、憲法が発布され、二院制議会となる。
そして迎えた第二次世界大戦の時代。ドイツ占領軍へのデンマーク国民の非服従については、次のように語られている。
 「政府が民衆の脆弱な抵抗しか期待しえないような場合、あるいは占領が被占領国の関与しない戦争との関連で行われ、侵略者が直ちに政府を転覆しようとはしないような場合には、「協力なき適応」という、より柔軟な政策が、犠牲を最小におさえて、時の経過とともに成功を収める可能性をもつかもしれない。
 1940年から43年のあいだドイツ占領軍にたいしてデンマーク政府のとったコースがその適例である。なるほど、デンマーク政府は適応政府の枠内において、ドイツ側に外交や経済上の譲歩を行い、義勇軍(主としてデンマーク・ナチスからなる)の結成や反コミンテルン同盟への加入などを余儀なくされた。しかし、立法・司法・行政などの諸機構は占領軍の直接統制を免かれ、合法的政府の保護のもとに民衆全体の「ナチス化」を阻止し、ナチス協力者を孤立化させた。
 こうしてドイツ軍の干渉から自由な分野を確保することによって、のちの全国民的な抵抗の拠点をつくりだすことが容易となった(U・ボッホ「1940年ー43年のデンマーク政府の政策ー「協力なき適応政策」のモデル・ケースとして」エーベルト編「市民的抵抗」所収、1970年)。
 この段階のデンマークの事例は、むろん「市民的防衛」にとって模範的なものとはいえないかもしれない。しかし、特定の状況においては、協力と全面的抵抗とのあいだに受け入れられる中道がありうることを示すものであろう。」(宮田光雄「非武装国民抵抗の思想」岩波新書)

(続く)

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