♦️499『自然と人間の歴史・世界篇』ギニア

2017-12-14 09:25:50 | Weblog

499『自然と人間の歴史・世界篇』ギニア

 ギニア共和国(1958年10月2日に独立、旧宗主国はフランス)は、西アフリカ西端に位置する。共和制国家。北にセネガル、北西にギニアビサウ、北東にマリ、南にシエラレオネ、リベリア、南東にコートジヴォワールと国境を接する。西は大西洋に面する。首都はコナクリ。
 14-15世紀、マリ帝国の支配下にある。17世紀、イスラム化したフルベ族が現在のセネガルからこの地へ流入する。そして、中央ギニアのフータジャロン地域に定住していく。18世紀前半、この地にイスラムの軍事王国をつくる。
 1890年代になって、フランスが同国の植民地体制を構築する。1904年、フランスの植民地に編入される。
 そして迎えた1958年、ドゴールのフランスがフランス共同体構想を打ち出す。ギニアは、この構想に住民投票で唯一反対し、フランスからギニア共和国として独立し、セク・トゥーレが大統領に就任する。
 1978年、国名を「ギニア人民革命共和国」に変更する。1984年、セク・トゥーレ大統領が死亡する。軍事クーデターによりランサナ・コンテ大佐が政権を掌握する。「無血クーデター」であったという。「ギニア共和国」に再度国名を変更する。1993年、大統領選挙でコンテ大統領を選出する。1998年12月、大統領選挙でコンテ大統領が再選される。2003年12月、大統領選挙があり、コンテ大統領が3回目の当選を果たす。2007年1~2月、ゼネスト状況下でのデモ隊と治安部隊の衝突により死傷者が発生する。
 2008年12月、コンテ大統領が死去。同月、カマラ大尉を中心とする民主主義と発展のための国民評議会(CNDD)によるクーデターが発生し、暫定軍事政権が始動する。2010年2月、ドーレ首相が就任し、国家暫定政府が発足する。2010年6月及び11月、大統領選挙でコンデ大統領を選出する。2013年9月、国民議会選挙がある。2015年10月、大統領選挙でコンデ大統領が再選される。

(続く)

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