♦️475『自然と人間の歴史・世界篇』ベナン

2017-12-09 18:55:08 | Weblog

475『自然と人間の歴史・世界篇』ベナン

 ベナン人民共和国(1960年8月1日に独立、旧宗主国はフランス)は、西アフリカに位置する。南北に長く、西にトーゴ、北西にブルキナファソ、北東にニジェール、東にナイジェリアと接し、南は大西洋のギニア湾に面する。
17世紀、ギニア湾に近いアラーダ王国で王位争奪に敗れたド・アクリン王子らがこの地にやってきて、アボメイ王国、後のダホメ王国が建国されると、アポメを都として、軍備に怠り無く、近隣に力を伸ばす。18世紀前半にアラーダ王国を征服したことで、奴隷貿易港のウィダーの支配権を手に入れる。これ以後、ポルトガルとの奴隷貿易にのめり込んでいく。その後も、近隣の小国との戦争で獲得した捕虜を奴隷としていく。東隣のベニン王国(現在のナイジェリアの西部州を根拠地に、13~18世紀に存続)と共に奴隷供給地となっていく。
 なお、これに関連して、1985年にユネスコの世界遺産に登録された「アボメイの王宮」とは、かつて奴隷貿易で栄えた、かかるフォン族のアボメイ王国の軍事国家の素顔を伝えるものだ。
 1884年、フランス軍のこの地への介入が始まる。ポルトガルに対抗して、この地に力を伸ばしていく。ポルトガルも商館兼要塞をウィダーに造る。1892年、フランスの保護領となる。19世紀末までに、この地域はフランスの支配下に入る。1894年、フランスはこれらの王国をフランス領ダホメーとして植民地化する。1900年、ポルト・ノボをその首都とする。1946年、フランスの海外領土となる。
 1960年8月、独立を宣言し、ダホメ共和国となる。1963年~1972年、5度の軍事クーデターが起きる。1972年10月、5度目のクーデターを指揮したマチウ・ケレク司令官が大統領に就任する。1975年11月、ベナン人民共和国に国名を変更する。これには、過去の正装に終止符を打ち、自国内だけでなく、現在のナイジェリアに栄えたベニン王国の名にあやかるとともに、マルクス・レーニン主義を標榜しての国造りを謳ったものと思われる。土地所有について、手工業者その他の私有財産、そして外国人の試算も、それが国民経済に役立つとされる場合は、保護する。
 1979年11月、国民革命議会人民委員選挙が実施される。1082年、ケレク政権は、ソ連よりの閣僚を追放する。1989年12月、マルクス・レーニン主義を放棄する。1990年3月、1997年共和国基本法を停止する。国民革命議会を解散し、国名をベナン共和国に変更する。1991年3月、ソグロを大統領に選出する。1993年6月、最高裁判所が設立される。1996年3月、ケレク大統領が返り咲く。
 1999年3月、国民議会選挙。2001年3月、大統領選挙でケレク大統領が再選される。2003年3月、国民議会選挙。2006年3月、大統領選挙があり、ボニ・ヤイ大統領が選出される。2007年5月、国民議会選挙。2011年3月、ボニ・ヤイ大統領が再選される。2011年4月、国民議会選挙。2014年4月、国民議会選挙。2016年3月、大統領選挙があり、タロンを大統領に選出する。

(続く)

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