◻️211の14『岡山の今昔』岡山人(20世紀、大村清一)

2020-01-31 08:37:34 | Weblog

211の14『岡山の今昔』岡山人(20世紀、大村清一)

 大村清一(おおむらせいいち、1892~1968)は、保守派の政治家だ。
それに、日本国憲法の公布文に名前が残る一人としても知られる。
 1917年(大正6年)には、京都帝国大学法科大学独法科を卒業する。内務省に入り、長野、神奈川県知事となる。長野県知事は、2度つとめる。地方、警保局長を経て、1939年(昭和14年)の阿部内閣の文部次官を務める。第19代東京市長の岸本綾夫の任期中(1942~1943にかけての一時期)には、その市長を支える助役にもなっていた。
 戦後は、1946年(昭和21年)の第1次吉田内閣にて、内務大臣を務める。内相となっては、新憲法下の参議院の構成、地方自治制度の創設などで連合軍司令部との交渉に当たる。
 憲法草案要綱には、「地方公共団体の長」につき、「当該地方公共団体の住民に於て直接之を選挙すべきこと」とあり、内務省は地方長官を県議会で選出する間接選挙の方法を採択する余地がないか総司令部と折衝を重ねるも、連合軍総司令部の受け入れるところとはならない。
 5月25日には、首長公選制を含む「府県制の一部を改正する法律案要綱」が閣議決定される。

 そして迎えた6月14日の地方長官会議の席上、内務大臣の大村は、「地方住民に直接参政の権利を与えて都長官、道長官、府県知事又は市町村長を直接選挙する」方針をいう。これを踏まえての府県制の一部を改正する法律案は、帝国憲法改正案と同じく第90回帝国議会において審議される。
 その議会においては、知事は公選とするがその身分は官吏(国家公務員)とするという原案に、憲法施行を機会に知事の身分を公吏(地方公務員)とする修正が行われる。かくて、府県制の一部を改正する法律は9月27日に公布される。

 この理由を、大村は、続く10月30日の地方長官会議において「地方行政改革が現行憲法(大日本帝国憲法)の下に於けるものであることと当時の社会情勢とに鑑み、公選知事の身分を官吏とすることを適当と考へたのでありますが、議会の審議中に、治安、食料等の情勢に緩和の徴が現われ、又一般の輿論が徹底せる地方分権を希望し」たためと説明し、理解を求めた模様だ。

 第1次吉田内閣の閣僚として、貴族院勅選議員に勅任されていた大村だが、1947年(昭和22年)の総選挙に、岡山から出馬して当選する。1954年(昭和29年)には、鳩山一郎らとともに民主党の結成に参加する。第1次鳩山内閣の防衛庁長官となり、初の「防衛力整備長期計画」を作成する。平和憲法の解釈では、憲法は自衛のための戦争を禁じていないとの答弁を繰り返す。他にも、日本林業協会長、相模女子大学長などもつとめる。

(続く)

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