
と言うほどに上達したわけじゃなく、偶然にもこんな機会がめぐってきて、面白そうで参加したのだ。
オペラを教わってる先生御夫妻は会津若松の出身。会津は昔から声楽が盛んな土地のようでその道に進む、進んだ人が大勢いるようだ。そんな土地だから先生もいつか自分が作ってる舞台を故郷で公演したいと考えていたようだ。想いが具体化してきた時点で我々合唱団にも参加してほしい依頼がきた。演目のボエームは2度、3度公演してるから不安はない。一方で歌仲間と一泊二日のドライブ旅行、宴会もあるぞでそっち目的の参加者が15,6人。僕もそのひとり。
ところが3月末に事件が起きた。故郷に凱旋するはずだった先生ご自身が病気で倒れ、参加できないことに。当然奥さまも参加できない。主役を務めるはずだった2人の突然の不参加。中止も考えたようだが、代役をお願いして公演を行うことに決まった。重い気分を関係者各位がもちながら、準備、練習を続けた。
もっとも緊張し、心臓が破れる思いをしたのは突然ロドルフォという大役がまわってきた高嶋君ではなかったか。まだ若いし、聞いてみるといろいろ経験はしてきてるが、こんな大役は初めてで、主役なんて初めて。公演の後で「苦しかった。なんでオレなんだよ。」と思い続けてたと話してた。そうだろうな。
裏ではそんな苦難があったわけで、そこにいろんな人間ドラマが生まれるのは当然。そのあたりを書きとめておきたい。
土曜日朝6時に駅集合。2台の車に男2人、女性10人が分乗、他にJRで向かう仲間もいた。僕はレンタカーの運転手。前日の夜車を借り出しに行って、朝5時半家を出た。集合は順調、みなさん大人だね、きちんとしてる。「成功させなくちゃ」の心情もあったろう。先生の奥さまも早朝というのに送りにきてくれた。「みなさんお願いします」が読みとれる。「成功させなくちゃ」をまた思う。
東名、中央環状、東北道、磐越道と通って会津若松へ。現地到着13時を厳命されてる。都心の渋滞が心配で心配で。用賀からは混んでたがイライラするほどではなかった。大橋から新しい中央環状に入る。驚いた。これが都心の首都高かと疑うほど通行量が少ない。快適に短時間で東北道に入れた。便利な道ができたね。
土日は天気もさほど良くない予報、それに東北道方面の桜はまだと判断されてるのだろう、東北道も混雑してない。110~120km/hで走れる。必着厳守は守れそうと余裕がでてきた。途中で都心を出発した別グループの車を発見。お互い無事を喜び、今日の幸運を感じる。






一服して1時半から最初で最後の現場練習。開場は一昔前地方の町によくあった小規模な舞台。すごくレトロ。そこがなんかいい。なつかしさを感じる。お客さんは300人しか入らない。舞台から放射状に座席が並び、後部に向かって少しづつ高くなってる。
今回の演出 2幕の最初の出は客席の後ろのドアからクリスマスイブの雑踏が入ってくる仕掛。客席が小さいからできる演出。でも歌い始めは舞台までたどり着けない。客席の通路で歌う事になりそう。歌いながら舞台への階段はきついかな。最後の練習だ、細かい点はもう無視。関係者一同がいいものにしようと努力する力を信じるしかない。
5時開場、5時半開演。始まった。お客さんは200名こえてるんじゃないかな。座席7,8割は埋まってる。1幕ラストの拍手も大きいぞ。そして2幕。驚かされる入り。お客さんの顔がほころんでた。がっちりつかんだのを感じた。いつものことだが、始まったらドッ~と進んで、あっというまに終わってしまう。
合唱団は3幕の頭3分ほどで出番終了。僕はそれから客席に行って、舞台を見ることにしてる。もう緊張がないから心地よく美声を堪能するわけだ。4幕でコッリーネが自分の古い外套を売って、ミミのために金を作ろうと歌うアリアが特に好き。これを聞くと「ブラボー」と声を掛けたくなる。今回のコッリーネ役はたおれた先生の後輩でまだ若い。先生への思いも込めて歌ってるだろう。それと会津の人に「オペラは静かに見るだけのものじゃなく、自分も中に入らなくちゃ。入って行けばいいんです。歌舞伎だってそうでしょう」を解ってもらいたくてより大きな声で「ブラボー」をやった。お客さんが僕を振り返ることはなかった。そこは気を使ってくれたかな。それより「かけ声の後は拍手でしょ」と思うのだがどうも拍手がわきそうな雰囲気じゃない。ここも僕からしかけようでちょっと小さい音で始めた。お客さんも拍手してくれた。ちょっとは解ってくれたかな。よかった、よかった。楽しんでもらいたい。楽しまなくっちゃ。
4幕終了前にカーテンコール、アンコールのため舞台袖に戻った。
ここでまた事件(僕にとっては)。 このオペラ 最後は死んだミミを思ってロドルフォが「ミミ、ミミ」と叫んで終わる。テノールの高い声が開場いっぱいに響いて最高潮に達するものと思ってる。ところがその声が聞こえない。耳をすます。かすかに聞こえる。泣いてるようにも聞こえる。演技じゃない。思った。「高嶋君やりとげられたことに感激してるんだな」。そうだよ。あたりまだな。そうでなくっちゃな。お客さんからみれば泣いて当然の場面で役者が本気で泣いてるんだからこれはグッとくるよな。こういう演出もありだ。美しいテノールの叫びだけがオペラじゃない。
幕が降り、袖に戻ってきたソリストさん達、みなさん涙を浮かべてた。倒れた先生への思い、責任を果たせた満足、まちがいなく成功させられたとの実感 そんなものが一機に関係者の中にひろがった。今これを書いててもグッとくるんです。
そしてカーテンコール。一番気持ちいい時間。ここで演出の橋本先生が、主役が倒れたことで役者が変更になったことをお詫びし、倒れた先生と自分の関係、先生の今、先生がこの公演にかけてた想いなどを声を詰まらせながら話した。これにもまたぐっときたね。関係者一同、お客さんまで感きわまってたんじゃないかな。目がしらにハンカチをあてるお客さんもいらっした。それから開場にいる全員で「ふるさと」を合唱。これも先生がぜひ実現したかったアンコールの演出。ここは福島、会津だもんな。成功したなを実感できた。
それからロビーでお客さんのお見送り。圧倒的に年輩の方が多い。そんなおじさんおばさんが「よかった。すばらしい。また来てね。」と言って頭を下げていかれる。「暖かいな。福島の人はこの4年間で優しくなったんだろうな」を思った。
そして「来年は先生御夫婦といっしょにまた来なくちゃいけないんだろうな」と思った。
古川先生 来年行きましょう。 先生が歌うに越したことはない。もしですよ、歌えなかったとしても総監督として舞台に立ちましょう。それを目標にがんばりましょうよ。
合唱団の僕等は先生を会津に連れて行く義務があるんじゃないだろうか。先生のために。そして会津の街のために。
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