乳幼児期に親に丁寧に様子を見てもらい世話をされること。
嬉しかったこと、怒ったこと、悲しかったこと、怖かったこと等を日々聞いてもらう。
時には自慢話を聞いてもらったり、抱っこしてもらったりする。
そういったことをしてもらうには、親からかけがえなのない大切な存在として承認されないといけない。
そして生理的欲求を満たし、感情との付き合い方を学んでいくことになる。
受け入れてもらうことで感情は対象化し処理されていく。
もしそれらが妨げられると欲求不満が生じる。
乳幼児は怒ってアピールする。
そして長期間にわたって怒っても状況が変わらないと絶望し感情は閉ざされる。
身体が成長してもそういった欲求不満や絶望感は解消されない限り残る。
そして認識できなくなる。
認識できなくても自分の感じ方や考え方、表現(言動)に反映される。
身体には緊張として現れる。
そして日常生活や人生に大きく影響することになる。
やがて心身の不調が生じてくる。
自分自身に不調が出ない人は周囲の人に現れてくる。
認識できていない場合は特に子供に連鎖する。
何世代にも渡って連鎖し続けることもある。
自分自身の欲求と不満を認識し、理解していくこと。
それしか根本的な改善や解決の道はないと思う。
少しずつ少しずつ、タケノコの皮をはぐように進んでいく。
進むほど大きな怒りや悲しみ、絶望感などが出てくる。
しかし次第に楽になってくる。
改善の方法はいろいろあるが、皮膚への鍼も一つの手段となる。
欲求不満をため込んでいると身体が慢性的に緊張している。
あちこち引きつったり痛みが出たり、お腹の調子が悪かったりなどの軽い段階から本格的な疾患になっていく。
たとえば緊張していると眠りが浅い。
時間は足りていても睡眠不足となっている。
そういった場合、ツボ(になっているところ)に鍼を当てると「落ちるように」急速に眠ることがある。
それはある部分(系統)がずっと緊張し続けているからだと考えている。
鍼を続けていくとだんだん途中で急速に眠ることが減っていくし、夜眠れるようになってくる。
あまりこちらに深いことを話さなくても、緊張が解けていく過程で本人には何か気づきや洞察がある。
そういったことを経て自分自身(の欲求不満や感情)を承認することになる。
そして同時にその「仕方」を学んでいくことになると思う。
しかし、自分のやっている鍼に限界を感じることもある。
それは幼い頃からあまりに強く、もしくは長く欲求を破壊されてしまった場合など。
そういう人は緊張を認識していない。
そして鍼を受けて緊張が解けることに対して抵抗や不安がとても強い。
鍼も仕事であり無条件の愛ではないから、試し行為を頻繁にされると線を引かざるを得ない。
なかなか難しい所だけど。
最後に、自覚もなく緊張が続いたままだとどうなるか。
自分自身が心身の不調から病気になったり、周囲に吐き出して緊張を発散している場合は周囲が病気になったり。
緊張自体が脳にも負担がかかると思うが、特に高齢になってから周囲に吐き出せなくなった場合なおさらだ。
記憶などの機能が弱まるのが早かったりいわゆる認知症に早くなりやすい印象。
子供返りするなど、乳幼児にできなかった(してもらえなかった)こと、抑え込んでいたことが制限が外れて出てくる感じ。
そうなってしまうとただ受け入れて(承認して)あげるしかないのかと思う。
しかしそれは家族には厳しいものがあるけれど。