かっぱblog

鍼治療のことや日々のことなどを書いてます。

欲求

2022年04月27日 | 鍼治療

乳幼児期に親に丁寧に様子を見てもらい世話をされること。

嬉しかったこと、怒ったこと、悲しかったこと、怖かったこと等を日々聞いてもらう。

時には自慢話を聞いてもらったり、抱っこしてもらったりする。

そういったことをしてもらうには、親からかけがえなのない大切な存在として承認されないといけない。

そして生理的欲求を満たし、感情との付き合い方を学んでいくことになる。

受け入れてもらうことで感情は対象化し処理されていく。

 

もしそれらが妨げられると欲求不満が生じる。

乳幼児は怒ってアピールする。

そして長期間にわたって怒っても状況が変わらないと絶望し感情は閉ざされる。

 

身体が成長してもそういった欲求不満や絶望感は解消されない限り残る。

そして認識できなくなる。

認識できなくても自分の感じ方や考え方、表現(言動)に反映される。

身体には緊張として現れる。

そして日常生活や人生に大きく影響することになる。

やがて心身の不調が生じてくる。

自分自身に不調が出ない人は周囲の人に現れてくる。

認識できていない場合は特に子供に連鎖する。

何世代にも渡って連鎖し続けることもある。

 

自分自身の欲求と不満を認識し、理解していくこと。

それしか根本的な改善や解決の道はないと思う。

少しずつ少しずつ、タケノコの皮をはぐように進んでいく。

進むほど大きな怒りや悲しみ、絶望感などが出てくる。

しかし次第に楽になってくる。

 

改善の方法はいろいろあるが、皮膚への鍼も一つの手段となる。

欲求不満をため込んでいると身体が慢性的に緊張している。

あちこち引きつったり痛みが出たり、お腹の調子が悪かったりなどの軽い段階から本格的な疾患になっていく。

たとえば緊張していると眠りが浅い。

時間は足りていても睡眠不足となっている。

そういった場合、ツボ(になっているところ)に鍼を当てると「落ちるように」急速に眠ることがある。

それはある部分(系統)がずっと緊張し続けているからだと考えている。

鍼を続けていくとだんだん途中で急速に眠ることが減っていくし、夜眠れるようになってくる。

あまりこちらに深いことを話さなくても、緊張が解けていく過程で本人には何か気づきや洞察がある。

そういったことを経て自分自身(の欲求不満や感情)を承認することになる。

そして同時にその「仕方」を学んでいくことになると思う。

 

しかし、自分のやっている鍼に限界を感じることもある。

それは幼い頃からあまりに強く、もしくは長く欲求を破壊されてしまった場合など。

そういう人は緊張を認識していない。

そして鍼を受けて緊張が解けることに対して抵抗や不安がとても強い。

鍼も仕事であり無条件の愛ではないから、試し行為を頻繁にされると線を引かざるを得ない。

なかなか難しい所だけど。

 

 

最後に、自覚もなく緊張が続いたままだとどうなるか。

自分自身が心身の不調から病気になったり、周囲に吐き出して緊張を発散している場合は周囲が病気になったり。

緊張自体が脳にも負担がかかると思うが、特に高齢になってから周囲に吐き出せなくなった場合なおさらだ。

記憶などの機能が弱まるのが早かったりいわゆる認知症に早くなりやすい印象。

子供返りするなど、乳幼児にできなかった(してもらえなかった)こと、抑え込んでいたことが制限が外れて出てくる感じ。

そうなってしまうとただ受け入れて(承認して)あげるしかないのかと思う。

しかしそれは家族には厳しいものがあるけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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超人的

2022年04月22日 | 日記

これまで旅の途中や山登りなどで超人的な人を何人か出会ってきた。

そういう人は見た目はごく普通だったが、物凄く早く山を歩いたり野性的な勘が鋭かったり、サラッと話すことが普通じゃなかったりした。

そしてまた同じように、普通っぽい人なのだが超人的な人が身近にいた。

 

その人は自分が借りている畑(小さな1区画)の隣の区画でやっている方。

数年前に定年されてから畑を始めたようで、最初は畑で会った時に少し話すぐらいの感じだった。

あまりに草をきれいにとっているので長続きしないんじゃないかと思っていた。

それが今では畑の区画を複数借りて、いろいろな作物を作っている。

こちらに「草をきれいに取れ」とか言ってくるかと思っていた(以前隣の区画を借りていた人には時々言われていた)が、それは全くなかった。

 

最近は近隣でもよく会うようになってきた。

わりと近くにお住いのようだった。

それで少しずつ話をするようになってきた。

そうしたら、野球、ソフト、テニスだったかの3つか4つのチームに入って毎週練習や試合をしているとのこと。

それだけでなく、「こないだは金華山まで歩いて行って登ってきた」とか「名古屋駅まで歩いてきた」とかサラッと言われる。

ざっと調べると金華山まで歩いて片道3時間ちょっと。

登るのは約1時間、下りが30分としても休憩なしでトータル8時間。

ビックリした。

ちなみに名古屋駅までは片道4時間ちょっと。。

おそらく60代後半か70歳ぐらいだと思うのだけれど、人ってそこまで元気でいられるのかと驚いた。

 

そしてこないだ、図書館の帰りに自転車に乗っていたらまたお会いした。

何と暑い中、駅近くの道端で一人で汗まみれで草を取ってらっしゃった。

ちょっと衝撃的だった。

自転車を停めて話を聞いたところ、ボランティア組織等に属している訳ではなく個人で草取りをしているとのことだった。

これまでも駅周辺や陸橋などで吸い殻やゴミを拾ったり、草取りをしたりしていると聞いてさらに驚いた。

結構身近な所に鉄人か超人かいるものだと思った。

 

 

 

 

 

 

 

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2022年04月20日 | 鍼治療

こないだ先生の鍼を受けに行った。

自分にとっては最も勉強になる。

施術の後、いろいろお話を聞いた。

先生の先生である井上恵理先生の写真も見せて頂いた。

先生が取穴モデルになっている写真だった。

先生とは異なり、太く丸っこい指だったが親指は反っていた。

そのことを先生にお聞きすると、

「やはり手は柔らかかったよ」

とおっしゃっていた。

 

考え方は形に反映されてくる。

どれだけ口で「施術者は触れ方が大切」とか言っても、本人の指に余分な力が入っていたら意味がないと思う。

しかし写真で見た井上先生の親指には説得力があった。

 

 

 

 

 

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教科書

2022年04月08日 | 日記

子供が新しい教科書を持ち帰ってきたのでざっと見てみた。

そして学校の年間スケジュールも見た。

中学生はとても忙しそうだ。

そして、どう考えても勉強についていけない子が多く出ると思った。

「分からない子は塾で教わって」という塾ありきなのか、それとも子供の理解など全く無視して進めていくのか、どちらかとしか思えない。

自分は鍼灸学生時代に割と勉強熱心なエリアで塾講師のアルバイトをしていたが、生徒に聞いたらクラスのほぼ全員が塾に通っていると言っていた。

 

せめて数学(算数)は小中学校連携で習熟度に応じて進んでいくシステムを導入すべきだと思う。

小学校の時点で理解が追い付いていない子にとって、中学数学の時間は苦痛でしかないだろう。

もう少し大人が手を差し伸べれば多くの子供が助かると思う。

何が分からないかも分からなくなっている子供に大人がついてあげて理解できていない部分をやり直していかないといけない。

全く分からない子供を無理やり授業に出席させて、その子を無視して授業を進めていくのははっきり言って虐待だと思う。

子供は自信(肯定感)を失うか捻くれるか、そのどちらでもなくても大切な時間を無駄に使うことになる。

学校では個別対応ができないなら、せめて嫌なことを強要しないで子供が自由に勉強できるようにしてほしいと思う。

実力テストなどで弱い(理解できていない)部分は出てくるだろうから、そこの部分のワークを自分で進めていくように指示するだけでもかなり違うと思うのだが。

 

 

 

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もう一人の先生

2022年04月03日 | 日記

久しぶりに以前学んでいた太極拳の先生とお話しすることができた。

自分は会社員時代に太極拳を学び始めたのだが、その先生が鍼灸の先生でもあったとは全く知らなかった。

家から体育館に行く途中に「ここに鍼灸院があるな」とは認識していた。

自分が会社を辞めて鍼灸の専門学校に行くことにした時、先生にその話をしたら

「なんてことするの」

とえらい剣幕で怒られた(気がする)。

自分が不思議に思って聞いたところ、太極拳の先生が自分が時々前を通る鍼灸院の先生だったと知った。

この仕事は難しいよ、とだけおっしゃっていた。

その後は帰り道にちょくちょく鍼灸の話をお聞きしたりした。

 

先生には随分とお世話になった。

鍼灸学校を卒業した際は太極拳教室の皆さんにお祝いして頂いた。

東洋医学に関する物凄い量と質の本を頂いた。

太極拳教室の後継者にもしようともして下さった。

 

しかし自分はある時太極拳を辞めた。

それから会っていなかった。

自分が太極拳を辞めてしばらくした頃、先生の鍼灸院は閉院していた。

 

今年に入って何度かご自宅に伺ったのだが不在だったが、今日ようやくお会いすることができた。

先生は以前とほとんど変わっていなかった。

80代半ばになられたが背筋もシャンとしていた。

つられて自分も背筋が伸びる。

ここら辺は太極拳を学んでいた頃ずっと先生の姿勢や動きを真似しようとしてきた癖が染みついている。

最初に不義理を謝ったら、

「いいんですよ。好きなように生きれば。」

と言われてほっとした。

そして自分が先生に、

「会社を辞めて鍼灸学校に行くと言った時先生に怒られたのをよく覚えているのですが、今ならよく分かります。なかなか生活できないですね。」

と言ったら笑っていた。

先生としては当時怒ったつもりはなかったらしい。

ただビックリしたこと、鍼灸の仕事は生活していくのが難しいから、などと話していた。

先生はご主人を亡くされて他に選択肢がなく、といった感じで鍼灸学校へ行き開業したらしかった。

ただし、物凄く勉強されたのだろうということは頂いた本から容易に推測できる。

そして先生は、

「でもやらなかったらやらなかったで悔いが残っただろうからやってみてよかったんじゃないですか」

と言っていた。

それは本当にそう思う。

最初に会社を辞めてカイラスを目指したのも、次の会社を辞めて鍼灸学校に行ったのも、そこから更に体表の鍼を学ぶことにしたのも、やらなかったら悔いが残っただろうなと思う。

今からカイラスへヒッチハイクなんてできないし、定年後に鍼灸学校に行っても鍼のことをあんなに勉強できないと思う。

 

そういえば本を頂いた時に、古典も多かったが様々な流派の本もあった。

それを見ながら先生は、

「このうちの一つでも完全に自分のものにできていたら」

とおっしゃっていたのをよく覚えている。

おそらく様々な考えや技術を取り入れたり、いろいろ変遷があったりしたのだろうと思う。

自分は一つ、体表の鍼だけは身に沁みこんで残るものとなったのはよかったと思う。

 

鍼の先生も太極拳の先生も世間一般で言えば相当変わった人なのだが、なぜか自分は面白味を感じるし優しい人だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

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13年

2022年04月01日 | 日記

気づけば体表の鍼をはじめて13年が過ぎた。

初めて先生の鍼を受けて以来、それまで学んだことは一旦捨てて1から学び始めた。

 

学び始めてから技術的なことは練習を繰り返すことで着実に上達していった。

それまで自分がやってきた他のトレーニングや勉強と同じく練習の質を高め量を増やせばよく、やればやる程上手くなるのである意味楽だった。

それに伴い、なぜ体表の鍼が効くのかという疑問も東洋医学の枠だけでなく様々な分野を調べたりした。

これも自分にとっては楽しいことだった。

 

途中から自分がやっている体表の鍼には一つ課題があると思っていた。

おそらく世間一般で言えばごく一部の人に該当する問題だと思うし、それをカバーする方法(対処法)は先生から直接的間接的に学んでいた。

しかし自分自身がそのごく一部の人に該当し、自分の鍼を受ける人もそういう人が割と多かったこともあり、もう少し何か方法はないかと模索していた。

 

その後、一旦先生の勉強会から離れて自分で進むことにした。

課題を抱えて泥沼に嵌まっていった。

今になって分かるけど、純粋に東洋医学のみ考えてやっていればそこまで嵌らずに済んだかも知れないとも思う。

先生の親心だったのかも知れない。

でも自分は自分の課題を追究していく他なかった。

昨年ようやくそれを解決する糸口が見つかり、少しずつ明確に形になってきた。

そして昨年からまた先生の鍼を受けることにもなった。

 

体表の鍼を学びはじめた頃にリンゴ農家の木村さんの本を何冊か読んでいたのをよく覚えている。

何となく刺さない(体表の)鍼と自然栽培が似ていると感じていたから。

先生から最初に「この鍼は効果が出せるようになるまで時間がかかる」と言われていたこともあったのも似ている思った理由かも知れない。

木村さんは自然栽培でリンゴがなるまで10年かかり、木村さんが指導したある程度自然栽培の下地のある人は(リンゴ以外の作物だけど)数年で軌道に乗ったと本に書いてあったと思う。

当然のように「自分は10年もかからない、数年だろう」と思っていた。

ところがどっこい13年。

(鍼の効果がある程度出るようになったのは数年だったけど)

妻のお腹の中にいた子供が、妻と同じ背丈になっていた。

 

 

 

 

 

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