『人の記憶とは実にあいまいな物です。
うれしかったこと、つらかったこと。
様々な記憶を人間は頭の中で都合よく作り変えてしまうものなのです。
今日のお話の主人公はあまりに辛い現実を忘れるために、
絶対に失ってはならない大切な記憶までも
心の奥に閉じ込めてしまいました。
その大切な記憶とは一体どんなものだったのでしょう。』
妖怪ウオッチ25話 ウィスパーの前説より
こないだ久々に子供と妖怪ウォッチの1話と25話を見た。
「おれっちは、はねられない猫になるため日々特訓してるにゃ」
と、交差点でトラックに立ち向かうジバニャン。
人にのりうつり、交差点で車がぶつかるギリギリの状況をつくり、トラックに向かって突っ込み、百烈肉球をかまして事故を止める。
そうしている理由は、
「車にひかれて死ぬなんて………ダサっ」
という死に際に聞いた飼い主エミちゃんの言葉がすごくショックで、それだけが強く記憶に残っているから。
エミちゃんはいい子で、そんなことを言うわけないと思いつつ、なぜそんなひどいことを言われたのか理由はわからないまま。
そしてエミちゃんを責めないために、そもそも「おれっちがはねられなければいい」と自責。
「でも人をまきこんだら危ないよ」
というケータの言葉を素直に受け入れ、一人でトラックに立ち向かう。
でもはじき飛ばされる。
ひとりだとうまくいかず、人にのりうつらないと力が出ない。
ひとりだとさびしいから、誰かと一緒なら力がでるから、とつい人に乗り移っていたジバニャン。
でも、それが他者に迷惑ならひとりでいる、と一人のさびしさを受け入れるジバニャン。
そしてケータが「それなら俺に乗り移ればいいよ」と手を差し伸べ、友人になる。
25話でジバニャンは過去と同じ状況に戻る。
それでも自分が死に、飼い主であるエミちゃんを助ける道を選ぶ。
↓
エミちゃんの真意を理解するジバニャン。
↓
元の世界に戻り、時間を遡った記憶などは忘れているが、気分はスッキリする。
慢性的な緊張の解消もこの話(プロセス)とよく似ているところがあると思う。
身体に慢性的な緊張がある場合、たいてい「こうしなければならない」と強く思い込んでいる。
それに沿って無理な活動(感じ方・考え方・動き方)をして、心身が疲れる(憑かれる)。
それがどれだけ非合理的でも、自分で思い込みに気づかないと疲れを解消できない。
そして他者や外界に投影し(憑りつき)、他者も自分と同じようにしてないと怒ったり改善を強く迫ったりする。
その相手は自分より弱い相手であったり、もしくは自分よりはるかに大きく強い相手(社会)や非現実的な相手だったりする。
前者は陰湿なモラハラ・パワハラ、虐待などとなり、後者はドン・キホーテ的に(ジバニャンのように)等身大の戦いではない。
また、逆に自分が攻撃されていると思ったりもする。
そうして自分自身(緊張)との果てしない闘争が続いてく。
そういった緊張を解消するには観察(ウォッチ)が必要になる。
「自分がしていること」を客観的に観察する。
そして自責・他責をやめる。
自分を責めたり、他者を巻き込むことをやめて自分に向き合う。
最後は追体験と仮の死。
身体的な死ではなく、「緊張という自我」の死(の受容)。
そして心の奥に閉じ込めた記憶を思い出し、もうそうしている必要はないと気づくことで慢性的な緊張は解消される。