かっぱblog

鍼治療のことや日々のことなどを書いてます。

発達

2015年06月29日 | 鍼治療

最近、子供が寝る前に、

「鍼して」

と来るようになった。

 

ちょっと前まで、

「鍼しようか?」

と言っても、相当に体調が悪い場合を除いてはあまり受けたがらなかった。

それ以前はよく「鍼して」と言ってきたのだが。

 

自分の先生も、お孫さんにそのような時期(3歳から5歳ぐらいの間の一時期)があったと聞いた。

だから子供に無理強いは一切しなかった。

 

多分、親である自分と少し距離をおきたくなったのだろう。

親から自立した、”自分”という枠を成長・発達させるために。

そして何か一区切りついたのだろう。

 

そういえば、こないだ極楽寺公園に蛍を見に行ったのだが、4年目になる今年は暗闇を一切怖がらなかった。

 

 

 

 

 

 

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表現

2015年06月26日 | 日記

東洋医学では心理状態が身体状態に影響を及ぼしたり、関連していると観る。

たとえば、

  喜・・・「気が緩む」「気緩」

  悲・・・「気が引っ込む」「気消」

  怒・・・「気が上がっている」「気逆気上」

など。

気という言葉をつかって、全体的な身体状態の変化を表している。

 

 

神経学者がそういった変化を表現すると以下のようになる。

 

『もし私がその場にいれば、私は観察結果をいくつか列挙することができるだろう。
そうした状況(長いこと音信不通だった友人との再会、同僚の死)の中心的局面に対するメンタルイメージが形成されると、身体状態に変化が起こる。

その変化は、さまざまな身体領域におけるいくつかの変化によって定義される。
旧友に会えば、心臓の鼓動は速くなり、顔は紅潮し、口と目のまわりの筋肉が変化してうれしそうな表情になり、他の筋肉も弛緩するだろう。
また、もし知人の死を耳にすれば、心臓はドンドンと高鳴り、口は渇き、顔は蒼ざめ、腸管の一部は収縮し、首と背中の筋肉は緊張し、顔の筋肉は悲しげな形相を生み出す。
いずれの場合も、内臓(心臓、肺、腸管、皮膚)や骨格筋(骨についている筋肉)や内分泌腺(たとえば下垂体や副腎)の機能のいくつかのパラメータに変化が起こる。

いくつかのペプチド調節物質が脳から血流に放出される。免疫系も急激に変化する。
動脈壁の平滑筋(心臓を除く内臓の筋肉)の基本的な活動が増加し血管を収縮させ、細くする(その結果、蒼白になる)。
逆にその活動が減少すれば、平滑筋は弛緩し、血管が膨張する(その結果紅潮する)。』

「生存する脳 Descartes' Error」より アントニオ・R・ダマシオ

 

表現しようとしていることは同じだろう。

実際に相手が目の前にいれば、言葉にしようとしまいと多くの人は相手の身体状態の変化から感情を感じる。

それを東洋医学ではシンプルな言葉であらわす。

そして更に陰陽や五行に当てはめて、バランスで観る。

そのバランスの表現も、この学者によると

 

『全体として一連の変化は機能的バランスあるいは恒常性(ホメオスタシス)と対応する平均的状態の範囲からの逸脱を示している。
平均的状態にあるとき、有機体の経済は少ないエネルギー支出と単純かつ迅速な調節で、おそらく最善に機能している。
この機能的バランスの範囲を静的なものと考えるべきではない。
それは上限と下限の範囲での一連の連続的な変化である。』

 

と難しくなる。

東洋医学はとてもシンプルで普遍的な表現なので、単純だとバカにする人もいる。

でも、鍼をする上ではシンプルな方が感覚を鈍らせず、役に立つ。

最後に、

 

『それをウォーターベッドの状態と結びつけて考えることもできるかもしれない。
ウォーターベッドの上をさまざまな方向に歩くと、ある部分はへこみ、またある部分は膨らむ。さざ波がたつ。
そしてベッドが全体的に変化する。
しかしその変化はベッドの物理的限界、つまり、ある量の液体を内に含んでいる境界によって規定される範囲の中にある。』

 

と書いているが、変化を規定する”ある量の液体を内に含んでいる境界”とは、人で言えば身体境界である皮膚だろう。

 

 

 

 

 

 

 

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ウォッチ

2015年06月09日 | 鍼治療

 

『人の記憶とは実にあいまいな物です。
 うれしかったこと、つらかったこと。
 様々な記憶を人間は頭の中で都合よく作り変えてしまうものなのです。
 今日のお話の主人公はあまりに辛い現実を忘れるために、
 絶対に失ってはならない大切な記憶までも

 心の奥に閉じ込めてしまいました。
 その大切な記憶とは一体どんなものだったのでしょう。』

 

 

妖怪ウオッチ25話 ウィスパーの前説より

 

 

 

こないだ久々に子供と妖怪ウォッチの1話と25話を見た。

「おれっちは、はねられない猫になるため日々特訓してるにゃ」

と、交差点でトラックに立ち向かうジバニャン。

人にのりうつり、交差点で車がぶつかるギリギリの状況をつくり、トラックに向かって突っ込み、百烈肉球をかまして事故を止める。

そうしている理由は、

「車にひかれて死ぬなんて………ダサっ」

という死に際に聞いた飼い主エミちゃんの言葉がすごくショックで、それだけが強く記憶に残っているから。

エミちゃんはいい子で、そんなことを言うわけないと思いつつ、なぜそんなひどいことを言われたのか理由はわからないまま。

そしてエミちゃんを責めないために、そもそも「おれっちがはねられなければいい」と自責。

 

「でも人をまきこんだら危ないよ」


というケータの言葉を素直に受け入れ、一人でトラックに立ち向かう。

でもはじき飛ばされる。

ひとりだとうまくいかず、人にのりうつらないと力が出ない。

ひとりだとさびしいから、誰かと一緒なら力がでるから、とつい人に乗り移っていたジバニャン。

でも、それが他者に迷惑ならひとりでいる、と一人のさびしさを受け入れるジバニャン。

そしてケータが「それなら俺に乗り移ればいいよ」と手を差し伸べ、友人になる。

 

 

25話でジバニャンは過去と同じ状況に戻る。

それでも自分が死に、飼い主であるエミちゃんを助ける道を選ぶ。

      ↓

エミちゃんの真意を理解するジバニャン。

      ↓

元の世界に戻り、時間を遡った記憶などは忘れているが、気分はスッキリする。

 

 

 

 

慢性的な緊張の解消もこの話(プロセス)とよく似ているところがあると思う。

身体に慢性的な緊張がある場合、たいてい「こうしなければならない」と強く思い込んでいる。

それに沿って無理な活動(感じ方・考え方・動き方)をして、心身が疲れる(憑かれる)。

それがどれだけ非合理的でも、自分で思い込みに気づかないと疲れを解消できない。

そして他者や外界に投影し(憑りつき)、他者も自分と同じようにしてないと怒ったり改善を強く迫ったりする。

その相手は自分より弱い相手であったり、もしくは自分よりはるかに大きく強い相手(社会)や非現実的な相手だったりする。

前者は陰湿なモラハラ・パワハラ、虐待などとなり、後者はドン・キホーテ的に(ジバニャンのように)等身大の戦いではない。

また、逆に自分が攻撃されていると思ったりもする。

そうして自分自身(緊張)との果てしない闘争が続いてく。

 

 

そういった緊張を解消するには観察(ウォッチ)が必要になる。

「自分がしていること」を客観的に観察する。

そして自責・他責をやめる。

自分を責めたり、他者を巻き込むことをやめて自分に向き合う。

最後は追体験と仮の死。

身体的な死ではなく、「緊張という自我」の死(の受容)。

そして心の奥に閉じ込めた記憶を思い出し、もうそうしている必要はないと気づくことで慢性的な緊張は解消される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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収穫

2015年06月07日 | 日記

 

本格的な梅雨が始まる前に、たまねぎを一部収穫。

赤たまねぎは酢漬けにするのが気に入っている。

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きっかけ作り

2015年06月06日 | 日記

以前の記事で書いたニュース「自閉症患者は脳内の免疫細胞が過剰だった」。

 

その後、どうやらあらぬ方向へ進んでいる模様。

統合失調症予防の施設 浜医大が全国初 中日新聞

 

 

現在の日本は、抗精神薬を出すきっかけ(理由付け・販売機会)となる研究ならば、いくらでも後押しされるのだろう。

逆にそれに反する研究は潰されていくのだろう。

前回書いた「各学校に精神科医を配置」の話も似ている。

顧客(自社商品を消費する人)を増やすため、販路の拡大と販売機会創出のための活動をするのは会社組織として当然だ。

それがすごい規模で行われている。

どこで歯止めがかかるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

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増える

2015年06月01日 | 日記

 

『増えるうつ病の子ども 23%の中学生にうつの症状が!?』

 

元はこれ↓か。

「こどものうつ病と発達障害」

 

よく見たら2003年と2007年の調査。

311前の調査でこの数値だから、今はもっと増えているのかも知れない。

 

 

強制的で、自発性や自主性を封じ込める授業は軍隊に近い。

 

以前blog記事で書いた、「バカを作る学校」より、

『義務教育は子どもたちに「チャイムによる思考中断」「クラス分け」「無関心」「感情的な依存」「知的な依存」「条件付きの依存心」「監視」を強いている。

そんな教育に順応した子どもは「大人の世界に無関心」「集中力が長続きしない」「未来に対する認識に乏しい」「歴史に関心がない」「他人に対して残酷になる」「親しさや正直さを拒絶する」「物質主義的になる」「依存的、受け身、新しい挑戦に臆病」といった人間になる』

 

 

学校教育に順応できず、外交的であればスポーツや非行、内向的であれば芸術や文学系、そしてうつになっていくのだろう。

この記事では、

「安易に抗うつ薬の処方を要求するのは控えましょう」

とある。

しかし現実的な流れは、各学校に精神科医を配置しようとの猛烈なプッシュがあり、当然ながら「お薬」となるだろう。

 

 

 

 

 

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